サロン・ド・ヴェール 絵画教室
第2回 「手を描く」
印象派の中のドガ
ドガは印象派展を中心に絵画活動をしました。しかし、モネや
シスレーのように風景をたくさん描くことはありませんでした。
ドガは踊り子などの人物画を得意としました。
印象派の画家は主に1840年前後に生まれた同級生です。モ
ネとロダンが1840年生まれ、セザンヌとシスレーは1839年
生まれ。ルノアールは1841年生まれです。この「若手」に対し
て、マネは1832年生まれで、ドガは1834年生まれでした。
ピサロの一時期の作風はモネやシスレーにたいへん近い「生
粋の印象派」でしたが、なんと1830年生まれの最年長なので
す。
ですから、マネ、ドガ、ピサロの3人は年齢的には先輩格に当たります。
実際にもピサロは温和で優しい先輩。マネはズバズバ物言う指導者でした。ドガは無口で頑固
な実力者という役回り。第6回展で、ドガは「若手」といざこざも演じました。
しかし、ドガは実際にはたいへん立派な行動をとった人。マネもドガも時の官展サロンに入選
できる画力を持っていました。マネは画題などが問題視され落選することもありましたが、ドガ
のほうは将来有望な新進画家でした。ところが、ドガはサロンを去り、若手作家とともに印象派
展を創設しました。マネはずっとサロンに出し続け、印象派展には一度も出展していません。
マネは既成の画壇にこだわり、ドガは潔く新しい流れに乗りました。
ドガの画法
ドガの心意気は立派だし、おそらく実質的な経済的援助も相当したと想像できます。ドガの画
風はクラシックをたいへん重んじる強情なほど古臭い一面がありますが、色彩や構図 は日本
の浮世絵などから学び、造形性という点ではもっとも進歩的な画家でした。マネやモネも日本
の浮世絵を研究し、実際の画面の中に浮世絵を描き込んだりしていますが、ドガの絵は一瞬
浮世絵かと見間違えるほど色や構成を取り入れています(下の左の絵は部分図ですが、浮世
絵のように見えます)。このやり方はロートレックの作品にも伺えます。
ドガは画面上でも画家としての生き方でも進取の精神と義侠心に満ちた尊敬できる人物です。
とても努力家で聡明だと思います。
ドガは色彩と構成は日本の浮世絵から学びましたが、細かい写実の方法はヨーロッパのイタ
リア=ルネサンスを踏襲しています(この点も、他の印象派の画家がレンブラントなどに傾い
たことなどとちょっと違います)。そして、ヨーロッパに限らずクラシック絵画はすべて手の表現
に大きな労力を注いでいます。人物画は手で決まる、といっても過言ではないほどです。本当
は顔も重大ですが、手は顔に次ぐ最重要テーマなのです。もちろんドガはそのことをよーく知っ
ていました。それは作品がしっかり物語っています。ドガのほかに「手を描いた」画家 はロダ
ン、ヴィヤール、ピカソなどでしょうか。少なくとも彼らは知っていました。手が大切なことを。
そして、東洋の画人たちも。
次回のテーマは「顔」
話の繋がりから当然「顔」ということになります。顔の画家といえば第一人者はレンブラント
です。やっぱりまたレンブラントでした。そして、中国や日本の仏像、仏画も素晴らしい顔の
美術です。ギリシャ彫刻は石膏で描きます。
図版は上から順次、
*ドガ「手の習作」1868年ごろ キャンバス 油彩 38×46cm
*ドガ「髪をすく少女たち」部分 1875〜6年 キャンバスに紙 エッサンス 31×45cm
ドガ「ダンスの試験」部分 1880年 紙 パステル 63×48cm(2枚とも)
*ギリシャ パルテノン神殿浮き彫り部分 アポロンの右手
ミケランジェロ「天地創造」 1508〜12年 システナ礼拝堂天井画部分
*ドガ「株式取引所にて」部分 1878〜9年 キャンバス 油彩 100×82cm(3枚とも)
*レンブラント「ダナエ」両手の部分 1636〜47年 キャンバス 油彩 185×203cm
*ルーベンス「毛皮をまとうエレーネ・フルーマン」左手部分 1638年 板 油彩 176×83cm
*ロダン「ネレイデス」右手部分 1888年 ブロンズ H.45cm
「百済観音」左手部分 飛鳥時代 木造 H.209.4cm 法隆寺
「技芸天像」右手部分 天平時代 乾漆像 H.212.1cm 秋篠寺
他のテキスト
第1回絵画教室「りんごを描く」(03年7月16日)/第3回絵画教室「顔を描く」(03年9月3日)
第4回絵画教室「花を描く」(03年9月17日)/第5回絵画教室「油絵で描く」(03年10月1日)
第6回絵画教室「バラを描く」(03年10月15日)/第7回絵画教室「風景を描く」(03年11月5日)
第8回絵画教室「静物を描く」(03年11月19日)