唇 寒(しんかん)集6

 

02年1月6日

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

今朝の「天声人語」に風邪で年賀状が書けなかったことが詫びてあった。私は風邪で

はなく、年末を無計画に過ごしたために年賀状が大幅に遅れてしまった。どうも今年

の馬の絵は「もう一つ」らしい。こっちは200枚やっつけることが目的だから出来

はどうでもいい。こういう年もある。馬の絵は年中描いている。馬なら何とかなる。

そういう気持ちが「もう一つ」となったのかもしれない。ちょっと気負ったか?

 

いままでNHKの「よみがえる源氏物語絵巻」という番組を見ていたが、本当に酷い

番組だった。飛び飛びに見ていたので偉そうなことは言えないが、あんな作業で本当

に源氏物語絵巻が復元できると思っているのだろうか? 数年前に見た、ギリシアの

パルテノンをコンピュータが復元する番組も酷かった。NHKの誰があんな番組を作っ

ているのだろうか? 気が知れない。美術のことなんて分からないのだから口を出さ

ないほうがいいように思う。

いまの若い美大生では絶対に源氏物語絵巻の線は引けない。一本も引けない。絵のな

かの線というものは物凄く厳しいものだ。アングルは若いドガに「線を引きなさい。

たくさんの線を」と言った。晩年そのドガは「絵描きの引く一本の線は、小説家の小

説一冊分の価値がある」と言ってのけた。偉い絵描きがそういう言葉を残しているの

だから、もうちょっと線の恐ろしさを知るべきではないのか? 源氏物語絵巻がどれ

ほど素晴しい絵画か、もっともっと思い知らなければいけない。日曜日の夜9時に1

時間以上もあんな番組を流すNHKの見識を疑う。「しっかりしろ!」と言いたい。

古典絵画の真髄をもっと学ぶべきである。

 

インターネット美術館の飯村氏からメールを頂き、馬の絵を10枚掲載して頂いた。

1月9日から1ヵ月ほどの企画。そこで、インターネット美術館をじっくり見せてい

ただいた。私のよく知っている方の企画あり、若い方の開発もあり、年配の画技もあ

りと、たいへん意欲的なページである。飯村氏の心意気を感じる。これだけのものを

ボランティアでやるのは並大抵のことではない。

みな様、ぜひご訪問ください。インターネット美術館

 

本日の更新はありません。先週「今月の絵―最新裸婦5点」を更新しました。

12月16日更新に、「ゴッホの絵」を更新しました。

 

9月30日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展

させた「宇宙の寸法」の「地球の中身」を更新。

 

新年の第1週のアクセス数は117。ますます減少。悪口ばかり言いすぎかも。

 

02年1月13日

明日は長女の成人式。やっと20歳になった。どうも中身はまだまだのようだが、と

にかくよくも育ったものである。下にまだ大学受験を控える長男がいるから、当分解

放されない。もっとも私の精神の方は初めから解放されていて、とても父親と言えるよ

うな人間ではない。実にいい加減。申し訳なく思っております。

明日の私の役目は成人式の前にスナップ写真を数枚撮ること。12時ごろ数分で終わ

るらしい。

そこで、今夜の更新はこのページだけでご勘弁願う。明日必ず「日本洋画の歩み(仮

題)」をアップします。

とお約束のとおり、本日(2.1.14)、「萬鉄五郎の絵と言葉」を作った。何卒ご覧くだ

さい。

 

前回も週の途中からお知らせしたとおり、インターネット美術館で私の馬の絵を10

枚掲載して頂いている(内3点は現在銀座のくまざわ書店に展示中)。

1月9日から1ヵ月ほどの企画。

みな様、ぜひご訪問ください。

さらに、たっちゃんハウスでも菊地理ネット展をやって貰っている。掲載作品はすべて

たっちゃんこと原田さんにお買い上げいただいたもの。だから私にも懐かしい展示だ。

是非見てください。

また、ときどき版画美術館で一緒にクロッキーをやっている八木原さんのページが誕

生した。八木原さんは実績のある女流画家なのに、初心者になっていろいろなグルー

プに参加され版画の技法などもどんどん身につけておられる。たいへん立派な方だ。

これはなかなか真似の出来ることではない。今売りだし中で、私なんか問題にならな

い人気作家であられる。インターネット美術館を紹介してくださったのも八木原さん

だ。キャンバスも買ってくれた。

八木原由美絵画館

 

12月16日に、「ゴッホの絵」を更新しました。

 

9月30日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展

させた「宇宙の寸法」の「地球の中身」を更新。

 

「新年の第1週のアクセス数は117。ますます減少。悪口ばかり言いすぎかも」と

書きましたが、139の計算間違えでした。今週は182。年賀状にURLを入れた

ので。

 

02年1月20日

先週は「日本洋画の歩み(仮題)」を更新するはずが、「萬鉄五郎の絵と言葉」になっ

てしまった。もともと萬鉄五郎は作る予定でいた。ところが、萬のあたりのことを調

べていると、明治、大正期の日本の洋画家たちが本場・西洋の絵画に出会うシーンが

次々と出てくる。改めて気がついたが、これがけっこう壮観なのである。

これはこれで別の話を作らなければ、と課題が一つ増えてしまったわけだ。

昔読んだ本などを引っぱり出して読み返してみるとけっこう面白い。田中穣の「日本

洋画の人脈」も読ませる。今読み返しているのは「原色現代日本の美術」。これは小

学館から1978年に出た美術全集だ。藤田嗣治の図版の問題で参考図版か鑑賞に耐

える図版かで裁判になり、確か小学館が負けたように記憶する。ウカツにも私は買っ

てなかったから、まずは手に入るまいと諦めていたら何のことはない、古本屋で簡単

に買えた。特に高くもなかった。

第5巻から第7巻まで3冊持っている。日本洋画のおいしいところはこの3冊で十分。

第8巻は「前衛絵画」となっているが、萬は第6巻「大正の個性派」に入っているし、

長谷川利行は第7巻「近代洋画の展開」に入っている。ちなみに件の藤田裁判の巻は

第7巻(だと思う)。

この全集は図版もまあまあだが、解説もなかなかいい。「大正の個性派」は匠秀夫が

書いているが、匠の美術論のなかでもいいほうなのではないか。まだ若く、たいへん

意欲的だったと思う。次の「近代洋画の展開」の富山秀男も悪くない。こういう美術

全集の解説は本がでかくて重いから誠に読みずらい。だが、読んでみるとけっこう情

熱をもって書いてある。講談社の水墨美術大系の牧谿・玉澗(第3巻)と梁楷・因陀

羅(第4巻)もよかった。一番印象に残っているのは集英社の「現代世界美術全集」

第6巻の「ドガ」。高階秀爾の傑作である。25年も昔の話だが感動したものだ。

 

1月14日、「萬鉄五郎の絵と言葉」を更新しました。何卒ご覧ください。

 

前回も週の途中からお知らせしたとおり、インターネット美術館で私の馬の絵を10

枚掲載して頂いている(内3点は現在銀座のくまざわ書店に展示中)。

1月9日から1ヵ月ほどの企画。

みな様、ぜひご訪問ください。

さらに、たっちゃんハウスでも菊地理ネット展をやって貰っている。掲載作品はすべて

たっちゃんこと原田さんにお買い上げいただいたもの。だから私にも懐かしい展示だ。

是非見てください。

前回ご紹介した八木原由美絵画館に引き続き、今回はやはり版画美術館で一緒にクロッ

キーをやっている井出さんのページ。井出さんは建築家の奥さんだが、主婦業の合間

に精力的にクロッキー会を梯子しているツワモノ。銀座などで個展も開いておられる。

井出万里子の世界

以上3つのページ「インターネット美術館」「八木原由美絵画館」「井出万里子の世

界」はリンク集「おすすめホームページ」に本日ご紹介しました。

 

12月16日に、「ゴッホの絵」を更新しました。

 

9月30日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展

させた「宇宙の寸法」の「地球の中身」を更新。

 

今週のアクセス数は189。少し増加。まだ年賀状にURLを入れた効果ありか?

 

02年1月27日

今週の水曜日(1月30日)から京橋の金井画廊で「おんな展」が始まる。私も新作

の裸婦を数点持って行った。当方に打ち合わせの不備があり、金井社長は留守だった。

しばらく待つと上機嫌で金井さんが現われた。特上の一品を手に入れたとのこと。私

の絵なんかそっちのけで見せてくれる。何と、クリムト! 淡いパステル画である。

どうも妊婦を描いたらしい。クリムトが画面をなぜた筆触がじーんと伝わってくる。

特に顔と手のところは語り尽くせない味わい。やっぱり絵はいい。版画はすべて上か

ら抑えてしまうからタッチというものがない。絵は何十年何百年とタッチが生き続け

る。

この前も横浜美術館でレオナルドの「白貂(しろてん)を抱く貴婦人」を見たが、やっ

ぱり絵の具の流れるような筆触を味わせてもらった。この展覧会は4月7日までやっ

ている。目玉作品が1点だけの割には入場料が1100円と立派だが、桜木町に用事

があったので見てしまった。そういえば、7000円弱のピカソの画集もゴッホの画

集も買った。ちょっと収入があるとすぐ油断する。困った性根だ。

実は、二玄社の「大正のアヴァンギャルド」(萬鉄五郎の画文集)も欲しい。だんだ

ん図々しくなる。

それから、図書館で「無言館」の画文集を借りたが、これも悪くない。これは本より

も実物が見たい。長野の上田まで行かなくてはならない。長野といえば、梅野記念絵

画館。去年の夏に知っていたら寄ってきたのだが。ま、梅野記念絵画館にはまた行く

ことになろうから、そのときには必ず無言館も見よう。ちなみに、無言館には太平洋

戦争で戦死した若い画家たちの絵がある。画文集は講談社から出ている。

 

今週は上記「唇寒」の11月以降の分を「唇寒集5」「唇寒集6」に分けて掲載し

ました。

1月14日、「萬鉄五郎の絵と言葉」を更新しました。何卒ご覧ください。

 

前回も週の途中からお知らせしたとおり、インターネット美術館で私の馬の絵を10

枚掲載して頂いている(内3点は現在銀座のくまざわ書店に展示中)。

1月9日から1ヵ月ほどの企画。

みな様、ぜひご訪問ください。

さらに、たっちゃんハウスでも菊地理ネット展をやって貰っている。掲載作品はすべて

たっちゃんこと原田さんにお買い上げいただいたもの。だから私にも懐かしい展示だ。

是非見てください。

 

12月16日に、「ゴッホの絵」を更新しました。

 

9月30日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展

させた「宇宙の寸法」の「地球の中身」を更新。

 

今週のアクセス数は184。微減。それでもけっこう多い。

 

02年2月3日

先週は田中真紀子の更迭劇のおかげで随分テレビを見た。一番心配だったのは緒方貞

子さんが外務大臣を引き受けるかどうかだったが、断わってくれたのでよかった。こ

のページでも持ち上げた「ほんまもん」の緒方さんが、今の怪しげな内閣に入ったの

ではちょっと困るな、と思っていた。断わったから、きっと30年もすれば緒方さん

はお札の顔になるかもしれない。

 

いつも申し上げるように、私は活字が大の苦手で大変な遅読である。しかし、いっぽ

う活字中毒であることも確かだ。本を手放したことがない。遅読だから同じ本を何週

間も何か月も持ち歩いている。最近は「ゴッホの遺言」だったが、その続編の「ゴッ

ホの証明」は今だに読み終わっていない。それから、池田満寿夫の「私のピカソ、私

のゴッホ」も読んでいる。池田の考え方は根底のところで私とは食い違うが、池田の

本は読んでがっかりしたことがない。とても正直な男なので飽きないのだ。本当の自

分の弱さもはっきりと書く。また、文章もうまい。「私のピカソ、私のゴッホ」は文

庫になっていたので、買ったから後回し。遅読のクセに読みたい本はいっぱいある。

困ったものだ。

若い頃の専門が東洋哲学なので、そっちの方面も嫌いではない。いま持ち歩いている

のは「道元断章」。これを書いたのは中野孝次という人。むかし「ハラスのいた日々」

という物凄くつまらない映画(加藤剛が主演で「ハラス」という名の犬を飼う話)を

テレビで見たが、その原作者だ。もっとも「ハラスのいた日々」は後に一節を原作で

読む機会があった。それは映画ほど酷いものではなかった。

「道元断章」は死を恐れる初老の知識人(確かドイツ文学が専門)が道元の『正法眼

蔵』に出会い、生死のことを考え直すというような本だが、中身はほとんど『正法眼

蔵』への賛辞なので、道元ビイキの私としては気分がいい。専門外の学者の書いた道

元ものは、道元を頭で理解しようとするからだいたい無理がある。坊主の書いたもの

は文章が分かりにくい上にどことなくエバっている。仏教学者のものもやっぱり分か

りにくい。この「道元断章」はいいほうだと思う。道元の原文をそのまま味わおうと

する姿勢がいい。難しい、難しいと言われるが、けっこう読めるのだ。とにかく、死

にたくない人にはおすすめの一冊。岩波書店。1600円。私は買ってない(=図書

館の本)が、そのうち買うかもしれない。

 

本日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展させた「宇宙の寸法」

「広がる宇宙」を更新。小林秀夫の「無常ということ」をカバーしました。また、「偉

大な天文学者たち」を少し書きました。

 

1月27日は「唇寒」の11月以降の分を「唇寒集5」「唇寒集6」に分けて掲載

しました。

1月14日、「萬鉄五郎の絵と言葉」を更新しました。何卒ご覧ください。

 

前回も週の途中からお知らせしたとおり、インターネット美術館で私の馬の絵を10

枚掲載して頂いている(内3点は現在銀座のくまざわ書店に展示中)。

1月9日から1ヵ月ほどの企画。

みな様、ぜひご訪問ください。

さらに、たっちゃんハウスでも菊地理ネット展をやって貰っている。掲載作品はすべて

たっちゃんこと原田さんにお買い上げいただいたもの。だから私にも懐かしい展示だ。

是非見てください。

 

12月16日に、「ゴッホの絵」を更新しました。

 

今週のアクセス数は185。1月の月間アクセス数818。

 

02年2月10日

本日は「ヨーロッパ美術への憧憬1」としてむかし書いた小文をアップした。画像は

ない。

今朝は久しぶりに「新日曜美術館」をつけたが、ほとんど見ないで寝ていた。明治期

の日本洋画の話らしかったので「これは見ておかないと」と思ったのだが、始まって

みると聞き飽きたようなことばかり言っていたから眠ってしまったのだろう。夜の再

放送には間に合わなかった。

実は千葉まで雪村展を見に行っていた。贅沢にも夫婦で電車で行った。遠かったぁ!

雪村は戦国時代の画僧である。雪舟を慕って雪村と名乗った。父がとても好きだった。

私も雪村はかわいいから好きである。今日の展覧会で知ったことだが、尾形光琳は雪

村をたいへん尊敬していたと言う。それで父は雪村が好きだったのか? 父は光琳ビ

イキだから雪村につながったのかもしれない。ま、しかし、とにかく雪村の絵がよく

なければ光琳も蜂の頭ない。気に入っていたのは、まず絵がよかったからに決まって

いる。

雪村周継は関東を中心に活躍した画僧で、京都中心の正統派ではない。雪舟の後裔と

しては長谷川等伯と狩野永徳が挙げられ、彼等は自分こそ正当な雪舟の一派であると

争ったらしい。しかし、雪村はそんな争いとは関係なく勝手に雪舟を慕い、名前も雪

村とし、法諱の周継は「周文を継ぐ」といような意味なのではないか? いい加減だ

が、おそらくそんな所だったと記憶する。けっこう戦国大名に敬われたらしい。正統

とか家柄なんて問題にならない時代だから自由勝手に活躍できたとも言える。等伯や

永徳より50年ぐらいは先輩に当たるはずだ。

私がかわいいと思うのは、絵は決して巧みではないのに、物凄い研究家だという点。

ありとあらゆる画題をこなす。古典絵画の研究も並外れている。もちろん雪舟以前の

多くの画家を調べ、当然中国水墨画を徹底的に模写している。達者な絵ではないが、

憎めない可愛らしさがある。画面の厚みとか、墨の扱いは抜群。絵の寸法も大小さま

ざま。とにかく描きに描いているという感じがする。絵画史上でも稀に見る絵が好き

な男だ。まことに愛すべき画人。千葉でもどこでも見に行ってしまう。3月か4月ご

ろ渋谷の松濤美術館にも巡回するらしいから、また見に行きたいぐらいだ。

雪村展 千葉市美術館 1月26日(土)〜3月3日(日)

 

「道元断章」もまだ読んでいる。全然進まない。合間に岩波新書などで西洋哲学にも

当たったりするからなおさら進まない。比べてみると、やっぱり道元は凄い。スケー

ルが違う。ハイデッガーの「存在と時間」を思わせる「有時(ゆうじ)」という巻が

ある。道元の「有時」は、1911年にラザフォードが発見した「原子は原子核のま

わりを電子が秒速960キロメーターというスピードで廻ることで形が保たれている」

ということを知っているかのような内容。「存在は時間である」と語っている。ハイ

デッガーの「存在と時間」はよくわからないが、どうもそんな話ではなく、もっと説

教くさい。坊さんの道元のほうが哲学者より理詰めだというのも面白い。

ま、しかし道元も突然光明が発したりするから困る。「頭を丸めないと俺の話にはつ

いてこれないんだよ!」と言われているみたいで、なぜか気持ちいい。「お前たち俗

人にわかってたまるか!」と罵られているようで、最高のマゾ気分になる。やっぱり

道元は神秘なのである。

 

2月3日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展させた「宇宙の寸

法」の 「広がる宇宙」を更新。小林秀夫の「無常ということ」をカバーしました。

また、「偉大な天文学者たち」を少し書きました。

 

02年2月17日

中野幸次の『道元断章』(岩波書店)はやっと読み終わった。そうしたら今度は『風

の良寛』(集英社)という本が見つかった。本の後ろに中野幸次のいろいろな著作が

並んでいて、こういう本を書き始めたのは『清貧の思想』からだと知った。そこで、

その本も借りて来た。すべて町田の図書館で借りている。まことにありがたい。最近

はまず図書館で借りて読み、いい本は買う。文庫本になっていたら、なおさら買う、

というようにしている。萬鉄五郎の『大正のアヴァンギャルド』は買いたい本だが、

なかなかない。これは画集だから文庫本ではダメ。『道元断章』も買ってもいいか。

ところで、道元が仏道というとき、それは絶対であり、それ以外に道はない。道元の

一言半句はすべて仏の言葉として発せられる。だから絶対である。そこが宗教の宗教

たる所。道元にとっては仏教以外はすべて外道(げどう)である。

だから、道元の思想(という言い方もおかしい)を外の修業に当てはめるのは無理があ

るし、必ず壁に突き当たる。道元を慕うならまず頭を丸めて坐禅をしなければならな

い。それが嫌なら道元を超えるしかない。それも無理なら道元を離れるしかない。

たとえば、道元は昔の偉い禅僧の話をする。そういう偉い禅僧はすべて道元自身なの

である。もちろんお釈迦様も同一。時空を超えて一体化している。

しかし、これはわれわれにはどうしてもピンと来ない。だって知らないもの。正直、

禅僧にはなれない。前にも書いたが、私も近所の禅寺で坐禅の真似事をした時期があ

る。月に2回の日曜坐禅会に数年通った。坐禅自体は物凄く気持ちのいいものである。

これは誰でも始めればのめり込む。身体全体が別世界に行くようなものだ。ちょっと

した宇宙旅行の気分か? 宇宙旅行をしたことがないからわからないが、坐禅は起源

がわからないほど古くからある心身調整法だ。もちろんヨガから来ている。インダス

文明の頃からあるというから少なくとも4千年の歴史か? ま、そういうレベルの修

行法なのだ。悪かろうはずもない。現世人類とともに続いている。

しかし、坐禅会では始めに般若心経を一斉に読む。般若心経は好きだから文句はない

(道元の『正法眼蔵』などすべて般若心経の焼き直しだとも言える)。その次(前だっ

たかもしれない)に観音様に這いつくばる。いま流行の土下座なんてもんじゃない。

それを何度も繰り返す。信心がなければできない所業だ。私は若い頃から仏教に興味

があり、けっこういろいろな本を読んできた。奈良の仏像も大好きだし、禅画にも親

しんできた。観音様もたくさん見ている。漠然と偉い菩薩様だということはわかって

いる。しかし、この近所のお寺のご本尊は見たことがない。仏壇の一番奥のほうに安

置してある(らしい)。そっちに向かって超恥ずかしい格好で這いつくばるのだ。何

回もやるからうっすらと汗をかき、坐禅の前のいい運動になる。運動にはいいかもし

れないが、見たこともない仏像に土下座を超えた挨拶を繰り返すのは屈辱である、と

考えるのが普通の神経だ。逆にそう思うからこそ己が捨てられるのかもしれない。

私が坐禅をやめたのは、他にもいろいろ理由がある。ま、正直信心もないのに気持ち

がいいからといって坐禅を続けるのは邪道だ。日曜の早起きとお坊さんの説法と足が

痛いのが中止の本音だと思う。

しかしそれでも、道元は偉い。『正法眼蔵』は素晴しい。捨て難い。

だから自分の『正法眼蔵』をやるしかないのだ。無謀だが、多分一人よがりだが、十

中八九野弧禅だが、もうこれで行くしかない。この歳では後に戻れない。

すなわちわれわれの菩薩様はレンブラントであり、ミケランジェロなのだ。ターナー

であり、ドガであり、ロートレックなのだ。牧谿であり、梁楷であり、夏珪である。

源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵巻の作者であり、可翁であり、黙庵であ

り、愚谿であり、周文である。雪舟、雪村、宗達、光琳、(浦上)玉堂。歌磨、北斎、

広重。徐渭、八大山人、石濤。ゴッホ、モネ、シスレー、ヴュイヤール。白隠、仙崖

(「崖」には上の「山」はない)、風外、良寛。レオナルド、ティツィアーノ、ルー

ベンス、プッサン。ゴヤ、コロー、ロダン。富岡鉄斎、中村彜、長谷川利行。フェイ

ディアス、ミュロン、ポリュクレイトス、プラクシテレス、スコパス(以上古代ギリ

シャの彫刻家)。まだまだ挙げていったら切りがない。われわれはこれら偉大な芸術

家(わたしはこの「芸術家」という言葉を仏教の「菩薩」に当てはめて言っている)

になら、心の底から這いつくばることができる。ひれ伏すことができる。というより、

一年中のべつ幕なしにひれ伏している。

われわれは絵を描いているとき、時空を超えてこれら偉大な芸術家と一体となる。同

一の地平に立つ。そうでなければ本当ではない。第一面白くない。筆を持ってキャン

バスの前に立ったら、われわれはレンブラントなのだ。中村彜がレンブラントだった

ようにわれわれもまたレンブラントなのである。そしてまた中村彜であり、長谷川利

行である。ドガであり、ヴュイヤールであり、鉄斎である。牧谿であり、雪村であり、

玉堂となる。雪村もまた牧谿だったし、雪舟だった。絵を描く瞬間こそすべてが同一

に帰する奇蹟の時空となる。そうでなければ嘘だろう。

こういう道元の方法はユングなどの深層心理の考え方にも通じている。仏教には深層

心理の科学を知っていたかのような思考がある。道元の『正法眼蔵』はオリジナリティ

の高いものだが、すべて古来の仏教の教えにかなうものだ。そこがまた凄い。量子力

学とか現代宇宙論にも通じるし、心理学の最高レベルにも達している。ユング心理学

の第一人者である河合隼雄が鎌倉時代の高僧・明恵上人に驚嘆したのは最近のことだ。

ま、われわれは絵を描く瞬間に時空を駈ける。最高の「とき」を体現する。まことに

ありがたい話だ。

 

本日は「今月の絵」をアップ。最新の裸婦5点。

 

02年2月24日

では、道元の教団はどれほどのものだったか? 

今でこそ曹洞宗といえば、日本でも最大級の宗派だが、道元の頃は驚くほどマイナー

な小さな組織だった。50人ほどの教団だったとどこかで読んだ覚えがある。今の曹

洞宗の基盤を造ったのは螢山紹瑾(けいざんじょうきん1268〜1325)という僧。鎌倉

時代の人だが、道元の死後に生まれている。

日本有数の大教団を運営するとなれば、道元の教えからはどうしても遠のいてしまう。

そのうえ、江戸時代になると仏教は幕府の保護のもとで腐り切ってしまう。釈尊が想

い、道元が願った仏教徒とは遥かに遠い怪異の僧侶が蔓延していた。その無残な情景

は良寛が詩や歌に残している。

現在の曹洞宗派について詳しくは知らない。永平寺では今も道元の頃と同じ修行が続

けられているとも聞く。しかし、頑強に安定しきった宗門のなかでどれほど本当の修

行ができるのだろうか? 私には良寛のように批判する資格もないし、情報もない。

また、興味もない。

釈尊を敬い、道元を慕った良寛の生き方にただただ感服するばかりである。良寛はわ

れわれに一つのやり方を示してくれた。釈尊につながり、道元を生き返らせる唯一の

方法だったのかもしれない。

仏法では坐禅によって仏の世界に入り込むことができる。坐禅は現実世界と悟りの世

界を繋ぐタイムトンネルのようなものだ。これには絶対的な信仰が必要だが、もっと

も手っ取り早い解脱なのかもしれない。

これを絵の世界に置き換えること自体、罰当たりな所業だ。本当はそんなこと絶対に

できない。してはならない。考えただけでも奈落に落ちる。

だから、仏教とは違うけれど、まったく異質だけれど、昔の素晴しい画人たちの流れ

に身を置くやり方として、たとえば良寛の方法は見習うべきところがあるということ

だ。ちょっと引き比べてみるぐらい許してくれるのではないか? 最近の絵描きで私

のようなことを言う人は滅多にいない。池田満寿夫などはとても向学心の旺盛な人で、

何でも貪欲に貪るように吸収したが、最期までアートという幻想を追い続けていた。

そうすると、制作は突き詰めても「修業」になってしまう。「修行」にはならない。

「修業」には目的があるが、「修行」に目的はない。修行そのものが目的だからであ

る。

そういえば、むかし読んだ文庫クセジュの「仏教」という本のなかで唯一印象に残っ

ている一文は「仏教は宗教ではない。仏教とは修行である」という所(p33)だけ

だった。

 

本日の更新は唇寒のみです。

 

2月3日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展させた「宇宙の寸

法」の 「広がる宇宙」を更新。小林秀夫の「無常ということ」をカバーしました。

また、「偉大な天文学者たち」を少し書きました。

 

1月27日は「唇寒」の11月以降の分を「唇寒集5」「唇寒集6」に分けて掲載

しました。

1月14日、「萬鉄五郎の絵と言葉」を更新しました。何卒ご覧ください。

 

前回も週の途中からお知らせしたとおり、インターネット美術館で私の馬の絵を10

枚掲載して頂いている(内3点は現在銀座のくまざわ書店に展示中)。

1月9日から1ヵ月ほどの企画。

みな様、ぜひご訪問ください。

さらに、たっちゃんハウスでも菊地理ネット展をやって貰っている。掲載作品はすべて

たっちゃんこと原田さんにお買い上げいただいたもの。だから私にも懐かしい展示だ。

是非見てください。

 

先週のアクセス数は204。200以上を3週間維持。

 

最初のページ           「唇寒集」目次