No86 絵の話2000.11.5更新

習作時代2

 

去年の6月に裸婦習作(鉛筆デッサン)をここで発表した。そのときは気が進まなかっ

たが、出してみると案外好評で、また見たいという人もいた。それから1年半も経っ

てしまった。気が進まないからなかなかデジカメに撮らない。若いときの習作など出

すと、どうもあの世で親父がせせら笑っているような気がするからだ。

しかし、若い人やコレクターの方は絵描きの修業時代の絵が

見たいと思う。わたし自身若いときはドガなどの修業時代の

絵がたいへん見たかった。もちろんわたしはドガほど立派で

はないし大成もしていない。わたしなんかの習作を見ても始

まらないが、今日倉庫から出して見るとなかなか真面目であ

る。何を考えてこんなに熱中して描いたものか、23、24

歳のときの8号と27から30歳ぐらいまでの50から80

号の裸婦が数枚出てきた。

波の絵は1973年の11月に銚子で描いたとある。描いた

ことはもちろんよく覚えている。しかし11月だったとは。確か1日中浜辺にいた。

けっこう波の高い日だったのだが大きな波は10分に一回ぐらいしか来ない。1時間

に6回。6時間でも36回だ。しかも波は一瞬で消えてなくなる。

よく見ると波頭を鉛筆で描いてある。

波は海面の凸凹である。その下には深い水の層がある。なんてことを考えていたよう

な記憶もあるが、当てにならない。

    

波からほぼ1年後に描いたのが右の静物だが、ほとんど覚えていない。自分の部屋で

描いたような気もするし、大学のサークルで描いたような感じもする。ドガの影響が

強いと思う。わたしは今でもドガが好きだが、この24歳の頃はほとんど熱中してい

た。この翌年わたしはフランスへ行くが、ドガの墓参りまでしている。

裸婦はいっぱいある。27歳から30歳なかば

まで3年半目黒の美術研究所にいた。2週間の

固定ポーズを80枚以上描いた計算になる。ほ

とんどが50号から80号ほどのキャンバスで

前回掲載した鉛筆デッサンはきわめて珍しい。

わたしはヨーロッパ絵画の模写をほとんど鉛筆

でやるので鉛筆は好きである。油を描いている

ときもいつも鉛筆でやりたくなる(最近は油ば

かり。鉛筆でやりたくはならない)。そしてと

うとう大きな紙(ケントのB全)に2週間鉛筆デッサンで取り組んだ。

     

見直してみると案外いい。真面目なものだ。野心なんかない。ちゃんと対象を写すこ

と、それだけを考えている。いい時間を過ごしていると思う。我が青春に悔いなしか?

……と言っちゃうところが「悔い」だらけ。

     

今までならわれわれの修業時代の絵など絶対にカラー図版でお見せすることはないだ

ろう。インターネットがあるからこれも可能になった。まことにありがたい時代であ

る。

わたしは17歳から油絵を描いている。おそらく初めての油絵もどこかにある。また

他にも習作の人体画はいっぱいある。さらに模写もあるはずだし、石膏デッサンも探

せば出てくると思う。若い頃のクロッキーもとってあるはず。

ご希望があれば習作シリーズの第3弾、第4弾もお届けします。

もっともわたしの今の絵はスーパークロッキー。こちらのほうが本筋ですのでよろし

くご声援ください。

【大きさなど】

上の1枚:P50号(足を組んで椅子に腰掛ける裸婦)、2枚横並びF8号(波)、

F8号(静物)、次の段1枚:P50号(顔の部分)、4段目:変形80号(お尻で

手を組むポーズ・部分)、変形80号(背中・部分)、5段目:F50号(足を伸ば

し椅子にかける)、変形80号(目を伏せる・部分)

これらの絵の一部分は拡大写真も撮りました。後日別ページを作ります(おそらく、

キット、まず、まちがいなく)

とお約束したら「1年後には日本中の全家庭でインターネット接続ができるようにな

る」とニュースで言っている。それじゃあ、どんどん更新も頑張ろう! 本日「別ペー

ジ」を作りました。

なお、絵の裏書きを再確認したら、波の絵は24歳ではなく23歳でした。

 

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