唇 寒(しんかん)集66<23/4/1〜>

23年8月26日(土)

夜空には星がいっぱい?

なかなかクロッキー会が再開できない。クロッキー会を再開するには最低2万

円の資金が欲しい。キャンバス代を入れれば7万円? ま、キャンバスはなん

とかする。紙に描いてもいいのだ。

とりあえずは2万円。その前にわが家の洗濯機が水漏れしている。買い替えに

3万円とのこと。

この夏はウーバー配達を頑張ったけどまだ足りない。苦しい。朝ドラ『らんま

ん』の家計状態。質屋には行っていないけどね。

でも、クロッキー会は月に1度でもいいから再開したい。

銀座で個展ができればいいのだが、それには100万円ぐらいかかる。人件費を

のぞく最低経費はペイできても、まったく儲からないと思う。やる気起きな

いよね。いい絵が売れちゃって儲けゼロ。労力や心労の対価なし。全然売れ

ないかもしれないのだ。

若ければ期待もするけど、この歳ではきつい。

それはどんな商売だって同じ。みんなリスクを背負って資金を出している。

でも、まぁ、勝負に出る、しかないかなぁ〜、イヤだね。

一応ご期待ください。

しばらくは鉛筆模写で楽しく古典回遊をさせていただく。本当にごめんなさ

い。

で、フェルメール《真珠の耳飾りの少女》に挑戦。模写してみると「この絵、

いったいどうやって描いたんだ?」と素朴な疑問が湧く。振り向く瞬間を捉

えている。その目や口元の描写は今まさに動いているように見える。そして

とても精確。信じがたい筆力。熱烈たる情熱。自動車もテレビもない時代。

夜空には星がいっぱい。そういう古き良き時代だからこその絵なのか

なぁ〜〜〜。

 

23年8月19日(土)

めざせ! スーパー爺さん

73歳になって自転車こぎの日々。水泳もなんとか続けている。かなり苦しい。

苦しいけど、葛飾北斎(1760〜1849)なんて85歳から4回も江戸と小布施を

往復している。ミケランジェロ(1475〜1564)もティツィアーノ(1488/90〜

1576)も最晩年まで大作に取り組んでいる。まさに死ぬ寸前まで制作を続け

た。富岡鉄斎(1837〜1924)もとても美しい絵を、死の3日前に描き残した。

90歳に近かった。

いったいどういう体力をしていたんだろう? 大谷翔平みたいな宇宙人並の

超人だったとしか思えない。

仏像彫刻の木喰上人(1718〜1810)も92歳の死の直前まで旅をしていた。

何度も言うが、私は若いころからそういうスーパー爺さんたちを知っていた。

なんてったって死の直前の作品が一番いいんだから驚嘆しかない。人類って

どういう動物なんだろうと不思議でならない。禅では遺偈の書と言って死床

で書を書き残す。それは迫力満点の素晴らしい墨跡だ。

ま、一応私も人として生まれてそういうスーパー爺さんを目指そうとはして

いる。人生の途中はどうでも、死の直前にド凄い作品を仕上げればいいわけ

だ。しかし、そこまで生きていなければならない。絵を描き続けていなけれ

ばならない。ま、途中で死んじゃうのは仕方ない。天命である。でも方向性

としては「90歳最高作品」みたいな。90歳に達しなくてもそっちを向いて倒

れたい。

どうも絵の神様の思し召しはその方向を歩ませてくれている。73歳で自転車

こぎの暮らしは神が課したウォーミングアップなのかもしれない。ハンパな

い試練。驚くね。

でも、若いころにスーパー爺さんたちを知っちゃったんだから仕方ない。私

はしゅっちゅうアカデミズムを批判しているけど、心のなかはアカデミズム

なんてどうだっていい。問題じゃない。もっとはるかにでかい目標がある。

スーパー爺さん画家になることだ。いまの段階では一応ギリギリがんばって

いると思う。もちろん世間の評価もどうでもいい。勝手に一人でやっている

だけだ。

 

23年8月12日(土)

最良の状態

NHK朝ドラ『らんまん』の主人公は精密に植物画を描いている。細い筆でゆっ

くり丁寧に実物を見ながら線を引いている。あれはたしかに絵を描いている。

しかし、アートとしての絵とはちがう。

文章だって厳密な解説文と俳句はまったくのベツモノ。もちろん俳句だって

意味不明では話にならないけどね。そこのところの兼ね合いは簡単じゃない。

若いころには絵を徹夜で仕上げたなどと言う話も聞いた。徹夜していい絵が

出来るのだろうか? いったい何が描きたいのだろうか?

私の描き方は出来れば午前中。それもたっぷり寝た元気いっぱいの午前中だ。

ま、対象となる花なんかも午前中のほうが綺麗。そしてスプリンターのよう

に描きまくる。描いたら休む。ムチャクチャ休む。油絵の筆だけは洗ってお

かないと使えなくなるけどね。最低限の片づけをしたら終わりだ。

次の絵を描くときまで養生する。裸婦のクロッキーは特に大切。しっかり休

養した身体で描く。野球のピッチャーのローテーションみたく自己管理する。

私は人間の集中できる時間は最長でも45分間と思っている。その最高の瞬間

をキャンバスに焼き付けるのがイッキ描きだ。

頭の冴えが絵の冴えに反映されるとは限らない。最高の状態で臨んでもまし

な絵は100枚に1枚がいいところ。年間1000枚描いても見られる絵は10枚しか

できない計算だ。

ま、野球の大谷選手も将棋の藤井7冠もたっぷり寝ているらしい。居眠りや寝っ

ころがりが後ろ暗かった時代は終わったのかも。とても嬉しい。

私は人生の敗残者だが、ヤフーの健康ニュースでは特上の優等生。食も眠も

排便もとても順調だ。

「酒も飲まずにタバコも吸わず女にぜんぜん手を出さず100まで生きたバカが

いる」

という都都逸(どどいつ)を中学生のころ上野の鈴本演芸場で聴いた。私はま

さにその路線を歩んでしまっている。

 

23年8月5日(土)

線が引きたい

8月3日に海に行った。不覚にも絵の道具をいっさい持っていなかった。鉛筆

も100円均一のスケッチブックも。

実際の海は凄い。

空も雲も大きい。それが風で動いている。

夏の光が満ち溢れている。あんな大きな明るさは夏の数日だけなのでは。

喜びの巨大な風光だ。

葉山の長者ヶ崎は富士山もよく見えるけど、夏の午後だと雲が多くて見えな

い。見えても黒富士。

こういうところにスケッチブックと鉛筆があっても、ただ横に線を引くだけ

なんだよね。

でもその行為は自分が風景に溶け込む行為。絵の出来なんてどうでもいい。

線が引きたいだけ。それはとても素晴らしい欲求だと思う。右の二の腕が線

を引きたがっている。それは目と連動していて、海風を感じる肌とも連動し

ている。身体全体が絵を描きたがっている。

こういう身体的欲求はとても貴重だ。

絵心?

そういう欲求を感じられることに感謝して、線を引く幸福に浸りたい。

でも、昨日は画材が何にもなかった。描けなかった。

それも、また自分の希求の強さを知る目安になった、かも。

私はけっこうまともな絵描きになっている。

 

23年7月29日(土)

状況を描く

脳は絶対的なものを求めるし、それが「ある」と確信している。しかし、絶

対的な安楽もないし、絶対的な苦悩もない。すべては相対的なものだ。

運動した後の飯は旨い。グータラ食欲不振では同じものを食っても味がなく

なってしまう。

同じ花を見ても苛酷な状況のなかでは100倍癒される。普通に見ても綺麗だけ

ど、苦しいときの花は涙さえ誘う。

人は相対のなかに生きていて、とても身体的な生物だ。身体的でない生物なん

ていないけどね。

空調のととのった部屋で、安楽椅子に横たわり、ワイン片手に葉巻を咥えなが

ら、村上春樹の不思議世界を彷徨う、みたいな幻想は捨てたほうがいい。そん

なところに涅槃寂静はない。

汗ビシャ、ヘトヘト、どろどろの戦いのなかに真なる喜びがあり、そういう戦

いの後のメシこそが最高の味覚。戦いのなかの冷水はどんなトロピカルジュー

スにも優る。

人はギリギリのなかに本当の姿がある。

東洋の多くの古人はそのギリギリを旅することで実践した。それはお釈迦様の

教えでもある。

古人の偉大な足跡はたどれないけど、ま、そういう方向性だけでも持ちたい。

そしてそういう状況のなかでも絵を描き続けることが必須。絵描きなんだから

当たり前だ。状況を描く、のだ。それはウーバー配達の様子を描くという意味

ではない。ウーバー配達をやりながら花とか風景を描くということだ。裸婦も

描きたいけど、もうしばらく我慢。

しかし、実際のウーバー稼働時間は5時間ぐらい。あとはほとんど寝ている。もっ

と慣れてくれば絵なんてどんどん描ける。いまも合間にけっこう描いている。

当たり前だけどね。

 

23年7月22日(土)

ピッタリ当てはまる

37歳の長谷川利行(1891〜1940)が友人の矢野文夫に書簡で「ボク絵ガカケテ

悦シガッテ居ルノハ事実デス」(昭和3年8月21日)と書いている。

先週の『唇寒』でも述べたが、絵を描く喜びは筋肉の問題なのかもしれない。

確かに水泳は上半身の筋肉が泳ぎたがっている、感じ。ウォーキングや自転車

は脚の筋肉の欲求がある。

私自身はグータラで寝っころがっていたいけど、筋肉が行動を促す。この「私

自身」というのは私の脳だと思う。私の脳は生まれ持っての怠け者だ。

で、実際に泳いだり歩いたり自転車をこいだりすると想像以上に気持ちいい。

やってみるもんだね。もちろん脳も喜んでいる。その気持ちよさは言語を絶す

る。身体の芯から来る。自転車をこぎながら、思わず「ぶひゃー、最高!」と

叫んでしまう。整備されたサイクリングロードを快走するときなど、自分が風

になっている感じ。ほんの数分だけどね。その数分がたまんねぇんだよね。

絵も前後不覚になって描いているときの状況は言葉では言えない。でも、絵の

場合はキャンバスに定着される。嘘偽りのない喜びの筆の跡は正直に残ってし

まう。

だから私は長谷川利行の油彩画を日本油彩画史上最高、と評価しているのだ。

私の父は「あれじゃあ、まだダメだ」と言っていたが、もう私はすぐ父の死と

同じ年齢になるが、今もってその意味がわからない。

「あれで十分いい」と思っている。

喜びってお釈迦様が言っている涅槃寂静なんじゃないのだろうか? 究極の悟

りなんじゃないのだろうか? もしそうなら何の文句もない。誰にも文句が言

えない。

言うまでもなく、これは私の仮説だ。でも、この「喜び基準」で古今東西の絵

を判断するとかなり、というかほとんどすべての美術作品がピッタリと当ては

まるんだよね。

太古の洞窟壁画から古代ギリシア彫刻、奈良の仏像、中国宋元の水墨画、ルネ

サンス絵画、印象派の作品群。今やっているマティス展のマティス(1869〜19

54)の絵もドンピシャリ。

むずかしい屁理屈は要らない。

 

23年7月15日(土)

筋肉の問題

心の底から世評なんてどうでもいいと思うようになった。高評価をもらえると

飯が食えるから楽だけど、飯はなんとか食う。チョーたいへんだけどね。

世評とか言っても一時的な場合も少なくない。長い人生を想うと、たとえば本

とかを出版出来てそれが売れたとしたって収入は知れている。ン百万円てとこ

ろだろう。一般のサラリーマンの年収にも届かない。ま、小説家みたくどんど

ん出版できれば話は別だが、学者さんの書物とかだったらそうはじゃんじゃん

書けない。

絵も、50年ぐらい前に絵画ブームがあったけど、あれだって一時的なもの。そ

の再来を信じていまだに頑張っている絵画業界人もいる。絵画ブームの後にバ

ブルがあった。それでさえ今から30年ぐらい前。

大雑把に言って絵では食えない。職業画家じゃあつまらない。おそらく職業画

家の絵も売れていないと思う。どうにもならない。

もちろん私は描き続ける。同じ作画姿勢でやってゆく。もう72歳。すぐ73歳に

なる。こうなったら最期までやるだろう。

子供たちも40歳になる。20年ぐらい前は本当に情けない父親で申し訳ないと思っ

たが、父親を反面教師として、二人とも堅実な公務員になった。私と一蓮托生

の家内には申し訳ないけど、この不安定路線で最期まで行くしかない。ほんと

うにゴメン。

高齢だからいつまで続くかわからないけど、今のところ健康優良ジジイだ。運

動が家計にかかわっているのが恐ろしい。だけども運動には筆舌に尽くせない

身体の芯からの喜びがある。筋肉の喜びは知る人ぞ知る、のだ。ま、絵を描く

ことだって細かい筋肉の喜びかもしれない。腕が描きたがるのだ。それは腕の

筋肉だと思う。

下手とか巧いとか売れるとか受賞とか、そういうケツの穴の小さい問題ではな

い、のだ(下品ですみません)。もっと壮大な人間の生理の問題なのだ。

世評なんてクソだ。

ロダンも言っている。

「美しいものはいつでも孤独の中にある。群衆は美を会得しません」(『ロダ

ンの言葉抄』(高村幸太郎訳・岩波文庫)p44)

 

23年7月8日(土)

そっちを向いていたい

最近の私のブログでは「空気の層」の話をした。

しかし、絵画ではその「空気の層」を踏まえたうえでの「層の破壊」が魅力を

生む。それは水墨画なら線描の躍動であり、油彩画などなら色彩の発色なのだ。

わかるかなぁ〜。

 

NHKの朝ドラ『らんまん』でもアカデミズムとの闘いがテーマ。

この前の中学時代の同窓会でも美大パワーの物凄さをみなさんご存じだった。

私がクソだと罵る空っぽパワーだ。

しかし、名利を求めるならアカデミズムの力が爆発的に有利。70歳を過ぎた友

人は知っていた。一番ひどい目に遭っている私がノーテンキなのが不思議だ。

ドラマの主人公が植物の存在の本質、新種植物との出会いの感動を語る。大学

教授がその主人公を学歴のない虫けらだと断ずるが、そんなことはお構いなし。

自分が虫けらでもゴミでもクズでもアカデミズムが巨大な城壁でも、そんな人

間の都合に無関係に谷間にひっそり生える新種植物は存在するのだ。

神秘を知ってしまった人間に組織や上下関係はない。大谷翔平は野球の真髄を

求めているだけ。藤井聡太も将棋の神様と会話をしているだけ。私はとても未

熟だけど絵画の真実に向かいたい。方向性だけでもそっちを向いて死にたい。

 

6日に行った『特別展・良寛の書の世界』(11日まで@東中野 東京黎明アー

トルーム)では、良寛の書も素晴らしかったし、常設の古代インド(1〜3世紀)

の仏像彫刻にも目を見張ったけど、ああいう美術館てたいてい現代アートもあ

る。そしてその作家はみんな美大出(未確認)。わけのわからない作品。

私は「古典を見ろよ!」と叫びたい。良寛もお釈迦様をムチャクチャ尊敬し続

けた。そして、良寛(1758〜1831)も少し複製展示があった浦上玉堂(1745〜

1820)も、お釈迦様も、誰もかれもみんな美大とか官展などに無縁、と言うか

そういう既成組織を忌み嫌った人たち、古典だけを愛した人たちなのだ。誰で

も知っていることだ。

ああ、それなのに、それなのに。

勝手にしろよ、どうでもいい。

 

23年7月1日(土)

長く永い

長谷川利行(1891〜1940)は32歳のときに「絵を描くことは、生きることに値

するという人は多いが、生きることは絵を描くことに価するか」(『長谷川利

行画文集 Don’t say どんとせい』求龍堂p21)と言った。どういう意味だろう?

大谷翔平の野球ライフを見てこの言葉を思い出した。人生以上に野球を大事に

している。野球が第一だ。大谷は松井秀喜をして「俺は志が低かった」と言わ

しめた。

ま、大谷も野球の真の楽しさを知っていてそのなかに浸っているだけなんだけ

どね。

藤井聡太七冠も将棋にのめり込む喜びを知っている。その集中のときこそが至

上だとわかっている。

涅槃寂静の境地にいるのだと思う。そのためにすべてを犠牲にする。もちろん

人生そのものも。

大谷も藤井もある意味孤独だ。飲み会にも行かないし、美女との秘め事もない

(みたい)。

飲み会や美女って最高なんじゃないかと思うのが普通の若い男だ。そのために

まずは金を稼ごうとする。

でも、大谷も藤井も集中熱中が先にあり、その後にお金が付いてきているだけ。

理想だね。

誰でも富貴栄達には迷うよ。それが当たり前。常識。

長谷川利行は酒のみだったけど、けっこう飲まずに絵を描いていたという報告

もある(『長谷川利行画文集 Don’t say どんとせい』求龍堂p76)

 

私自身、絵を描くことにどうなんだろう。絵を描いているといろいろなことを

忘れる。きっと集中しているんだと思う。その時間はかなり楽しい。最高の時

間かもしれない。でも、とても利行に及ぶとは思っていない。この程度。この

レベル。でもそういう喜びの「とき」を心得ている。それを続けることになん

の躊躇がいるだろう。低レベルでも死ぬまで続けるだろう。絵は長く永い。そ

こがいいところだ。

私の場合はとてもマイナーで貧乏という幸運に恵まれた。世評に迷うこともな

い。世評に身を売るぐらいならウーバー配達で自転車をこぐ。

 

23年6月24日(土)

『マティス 幸せの色彩』を見て

マティス展(8月20日まで・東京都美術館)にはまだ行っていない。でも録画し

ておいたNHK『日曜美術館』の「マティス 幸せの色彩」を見た。

一見マティス(1869〜1954)の絵は私とも似ている。同意点がいっぱいある。

まさしく同じ分野で筆の作業をしている、感じ。

その前の『日曜美術館』「現代アートはわからない?」は本当にわからなかっ

た。こっちはまだ全部見ていいないけどね。見ないかもしれない。前にも言っ

たが現代アートの美術館に行くなら鉄道博物館に行きたい。100倍楽しそう。

でも鉄道博物館より東京国立博物館とか西洋美術館に行くなぁ。同じお金と労

力と時間を使うなら美術館だよね。

ま、現代アートと言われている分野は私の作業とは別分野だ。マティスのほう

がずっと共通部分が多い。だいたいああいう作品は大昔からある。江戸時代に

もある。人はわけのわからないものが好きだ。もちろん、一口に現代アートと

言ってもいろいろあるから、それが商業アートなどに生きる場合も多い。ま、

マティスとか私などの油絵とは別分野と思っていいように思う。

でも、マティスの絵も私とはかなりちがう。マティスは出来上がった作品(ま

たは出来上がりつつある作品)にものすごく責任を感じているし、大事にして

いる。私は自分の絵にそれほど大きな責任を感じていない。そういうところは

ピカソ(1881〜1973)に近いかも。作品を排泄物とまでは言わないけどね。

でも、絵そのものよりも絵を描きたいという気持ち、または描く前の花や風景

を見て「うわ、綺麗だな」と思う気持ちのほうが大切だと思う。マティスも同

じようなことを言ってはいる。

マティスはタブロー(本画)を作り上げるまでに何度も下絵のデッサンを重ね

るという。わたしにそういう作業はない。私にとっては本画もデッサンであり

クロッキーでさえある。いい絵は描こうと思って描けるものではない、と思っ

ている。そのときの心境や状況や筆や絵具(パレット)の具合で決まってしま

う。幸運が重ならないと決定的な「いい絵」は生まれない。われわれはそうい

う状況が生まれやすいように画材などを調整する。生活さえもコントロールす

る。それがわがイッキ描きだ。状況の絵画なのだ。だから私は自分の絵を安く

売らない。ま、じゅうぶん安価だけど、買うとなると高額だ。

とにかく、筆の幸せに満ちていることが大切である。

 

23年6月17日(土)

魅力のおおもと

5月27日付け『唇寒』《本質をバンと描く》で述べたが、中国宋元画に学んだ

日本の室町水墨画は大きな寺院の襖などを飾るという都合もあったし、支配者

階級にも受け入れられたこともあり、装飾性が大きくなり、本来の禅画として

の魅力、その本質から遠ざかってしまった。描写の実力も中国宋元画に比べる

とかなり劣る。

そのことは多くの専門家は知っている。ほとんどの収集家も知っている。多く

の牧谿の作品が国宝になったり重要文化財に指定されたりしていることでもはっ

きりわかる。

それなのに、一部美術館や美術史家はそこのところをはっきり言わない。

6月13日に行った神奈川県立歴史博物館(桜木町)の特別展『あこがれの祥啓

━啓書記の幻影と実像』(6月18日まで)でも、もっと中国宋元の水墨画がい

かに優れているかを述べるべきではないだろうか。

私も油絵を描いているが、自分の絵なんてどうでもいい。昔の素晴らしい絵が

大事。見ているだけで満足だけど、子供が親の真似をするように自分でも描き

たいから描いている、だけ。さらに、昔の素晴らしい絵を見比べていても、絵

なんてどうでもいいような気さえする。雪舟等楊(1420〜1506)の絵は素晴ら

しいけど、それは雪舟の旅こそが素晴らしいからだ。雪舟の思想と哲学と行動。

その行動のなかに絵も入る。おそらく雪舟自身同じように思っていたと思う。

絵が巧いから絵を描いて金持ち爺さんに買ってもらって自分も金持ちになろう。

有名になろう、なんて微塵も考えていないだろう。私なんて72歳なのにまだ未

練があり「微塵」ぐらいは考えている。ゴメン。ウーバー配達、辛いもんね。

なにが一番大事なのか、よくよく考えるべきだ。

哲学とか絵画の造形性とかアートとか、わけのわからない妄想に振り回されて

いる「インテリ上流階級」だけは御免こうむりたい。

そう言えば、昨日(6月15日)も川村記念美術館のロスコの部屋でひとり鑑賞に

浸っている爺さんがいたなぁ〜。あの茶色の絵が本当にわかるんだろうか?

 

23年6月10日(土)

等身大が指標

コロナ禍って終わったのか? ずっと前に終わっていたような気もする。わ

が町田市成瀬だと今でもマスク率が90%以上だけど、町田の繁華街は6〜7割

ぐらい。都心はもっと少ない、感じ。マスクなんかもノイローゼなんだよね。

欧米ではずっと前からノーマスク社会だった。

日本人は真面目だ。クソまじめ?

なんか景気も上向いている。コロナがなかったらオリンピックのころから上

向く感じがあった。大災害でもない限りはこのまま好景気が続く感じもある。

ウクライナが収まればますます上向くだろう。

もしかすると、絵も売れるようになるかもしれない。バブルのころは物凄かっ

たが、私はほとんど恩恵を受けていない。

ま、そういう世間の上下振動に関係なく自分の道を進むのが一番。無視に限

る。私は当分ウーバー絵画を続けるつもりだ。というか、続けないわけにい

かない。

また、クロッキー会を再開しない理由がなくなってきた。資金がないから始

められないだけ。いやいや、回数券を発行してあるんだから再開しなければ

詐欺だ。というか再開しないわけがない。クロッキー会のないイッキ描きは

ない。まだ裸婦を描きたい意欲もなんとかギリギリ残っている。長くてあと

10年。その間に100号も描ける。

100号は等身大の裸婦なのだ。等身大の人物というのは人物画家の一つの指

標でもある。

 

23年6月3日(土)

世評は無視でいい

20世紀から21世紀にかけてアートは大きく変わった。

ピカソ(1881〜1973)がそのターニングポイントとも言えるか。

私はピカソをいいと思う。アグリーだ。

ピカソ以降もアートの世界はどんどん進化した。現代アートとかコンテンポラ

リー・アートなど呼ばれ、世界のコレクターたちが高価格で取引をし、国立レ

ベルの美術館が積極的に買い上げている。美術大学はその活動拠点となってい

る。

私から見ると、そういう現代アートのほとんどがわけがわからない。もちろん

まったく感動もない。

現代の美術界は暗黒時代だという評価もある。

私は19世紀フランスアカデミズムと同じ道に迷い込んでいるような気もする。

ま、私にとってブグロー(1825〜1905)は現代アートよりずっと理解できるけ

どね。

美術の暗黒時代と言えばルネサンス前の中世。古代ギリシア・ローマ美術から

ルネサンスまでの1500年にもわたる長いトンネルだ。われわれのヨーロッパ感

覚だと『ロビンフッドの冒険』のころ。映画だったら『ブレイブハート』(メ

ル・ギブソン主演監督)の時代のアートか。イヤだね。

具体的にはノートルダム寺院とか。そのなかに飾られる絵や彫刻もコチコチに

硬くつまらない。ルネサンスの柔らかい人間味はない。でも、ロダン(1840〜

1917)は中世の彫刻も高く評価している。一般的には暗黒時代だ。

現代アートの暗黒のトンネルはピカソ以降としてもまだ50年ぐらいだからとて

も短い。

日本で認められている現代アートにはマンガから影響を受けたのもある。国立

の芸術大学を出た鬼才がマンガもどきのタブローを大画面に展開する。私とし

ては元のマンガ「アラレちゃん」とかのほうが100倍楽しい。だいたい鳥山明は

かなり絵が巧いよね。

美術館の芸術作品のほうは「なんだ、これ?」って感じ。

ま、世間はアホだ。メジャーになることを目的とする必要もない。大多数の人

は悪趣味。テレビやヤフーニュースを見ればわかる。

そういうのに目もくれずに大谷翔平とか藤井聡太は自分の道を進んでいる。大

谷は12時間も寝ているという。あとは筋トレと野球。マスコミなんかに目もく

れていない。ニューヨークに行ったって街に出ないんだから浮世離れの世捨て

人だよ。

素晴らしい!

私もせめて方向だけでも真似たい。

 

23年5月27日(土)

本質をバンと描く

牧谿(1280頃活躍)の水墨画は禅画である。宗教画と言える。宗教画とは言っ

ても禅画はとても独特。一般的な宗教画は聖書を絵解きしたものだったり、仏

像や神像、高僧の像などだ。曼荼羅というのもある。

禅画は禅画僧の心の中身を表現した絵だ。その時々の心境を墨で表している。

近現代のヨーロッパ絵画にも似ている。だから、一般的な宗教画とは違う。

でも、ルネサンス美術でもミケランジェロ(1475〜1564)の《ロンダニーニの

ピエタ》など、老境に入ったミケランジェロの境地をそのまま表現したように

も見える。それはティツィアーノ(1488/90〜1576)の晩年の《荊冠》とか《受

胎告知》などにも感じられる。ゴッホ(1853〜1890)の絵など、すべてが禅画

に近い心意気で描いてある。

禅画というと、私はまっさきに因陀羅(元代末)を思い出す。素晴らしい筆の

跡。墨が美しい。いやいやその他の中国宋元の水墨画はどれも墨がしっかり紙

に馴染んでいて透き通って見える。

本質をそのままバンと描き出すのが禅画だ。

私は父親が絵描きだったから子供のころから近代ヨーロッパの画家を知ってい

た。成長するにしたがってルネサンスやバロック美術に驚嘆した。牧谿の《煙

寺晩鐘》に感動できたのもターナー(1775〜1851)の油彩画に心酔していたか

らだと思う。

牧谿を知ったのも20歳ぐらいのとき。けっこう早かった。大学生だったことも

あり、大学の図書館で画集を見まくった。実際の美術展にも何度も行った。ド

ガ展とかヴュイヤール展などがあると3回は行ったはず。水墨画の画集も見たし、

本物も美術館で何度も見た。そう言えば、東京国立博物館には牧谿がないんだ

よね。

現代美術などと言うが、私は美術も本質は大昔から変わっていないと思う。そ

して、その本質から外れてしまうのも人の常。でも軌道修正もされてきた。

で、今回は牧谿をちゃんとしっかり継承したのは雪舟等楊(1420〜1506)であ

り、同時代の能阿弥(1397〜1471)や狩野正信(1434〜1530)、狩野元信

(1476〜1559)は本質から外れたと思う。その参考図版をアップしておく。

見比べてください。

上)雪舟等楊(1420〜1506)《天橋立図》国宝 1501年以降(異説あり) 

紙本墨画淡彩 90.2×169.5p 京都国立博物館

中)狩野元信(1476〜1559)《雪中山水図》重要文化財 制作年不詳

紙本墨画 177.5×91.0pが8幅  京都 霊雲院

下)伝・能阿弥(1397〜1471)《三保松原図》室町末期 紙本墨画

155.3×59.2p×3副 兵庫 頴(え)川家

 

23年5月20日(土)

牧谿の方向

今週はNHK・Eテレ『こころの時代』「心とは何か 脳科学が解き明かすブッダ

の世界観」にはまってしまい、仏教哲学へのあこがれが目覚めかけたが、むず

かしい書物はお手上げ。読めない。無理。

具体的に言えば、仏教かキリスト教かって話。昔そういう本も読んだ。

でも、今の私にとってはどうでもいい。私自身はお釈迦様の教えが素晴らしい

と思うけど、キリスト教の信者に尊敬すべき人はいっぱいいる。

絵描きの中村彝(1887〜1924)、岸田劉生(1891〜1929)、藤田嗣治(1886〜

1968)などはみんな洗礼を受けている。

砂漠を緑にした中村哲、看護師さんを尊重した日野原重明。日野原先生の一段

おき階段昇りを私は今も実践している。この人たちも確かキリスト教徒だ。

ま、私が尊敬する昔のヨーロッパの画家はほとんど全員キリスト教徒だろう。

それできっと彝も劉生も藤田もキリスト教に入信したのだと思う。

でも、私の場合は若いころから仏教に興味を持ってしまった。入門書レベルだ

けど仏教哲学の本も100冊以上読んだと思う。

そして中国の牧谿(1280頃活躍)の絵を見て、他の多くの中国宋元の水墨画に

出会い、日本の雪舟、雪村、白隠、仙高フ絵に強く惹かれた。

画僧じゃない日本のお坊さんの事績を読んで、たとえば道元(1200〜1253)と

か良寛(1758〜1831)とか、他にもたくさん偉いお坊さんがいて、東洋には書

があり、造形としても尊敬できる。

そういう僧や画僧たちはお釈迦様の教えを深く理解しているとも知った。仏教

哲学に精通している。ちゃんとわかっている。そのうえで実践している。

というわけで、私は牧谿みたいな絵が描きたい。油絵だけどね。そうすると自

分自身がいかに未熟か、身に沁みるほどわかる。

未熟のままボケてしまいそうな気配だ。17日も野津田のバラ広場へ行く道を間

違え、ついいつも行く50mプールのほうに向かってしまった。5分以上のロス。

アホだった。

牧谿みたいな絵?

それってどういう意味だろう?

雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)や長谷川等伯(1539〜1610)のように牧谿

を模写するのだろうか? 倣うのだろうか? 牧谿の模写は江戸狩野の画人た

ちもいっぱいやっている。

わかりやすく言えば私が倣いたいのは牧谿の心意気だ。造形的に言えばヴァルー

ル。絵の厚み。その方法はとにかくたくさん描くしかない。何でもいいからた

くさん描く。所詮はそこに行きつく。気持ちの片隅に牧谿を置いてそっちに向

かうしかない。

江戸狩野見たくトンチンカンナことにならないように牧谿の核心に迫りたい。

いや「核心に迫る」のは無理。核心のほうを向いて生きていたい。そのまま死

にたい。

 

23年5月13日(土)

世間とは無関係

負け惜しみでいうわけじゃないけど、絵などでメジャーになっても幸福という

わけじゃない。ま、ある程度の金は入るだろうからそういう意味では幸福だ。

画家として幸福かどうかは疑問。

だって、メジャーということは世間に認められたということだろうが、世間に

認められたいか? このホームページも世間に発信しているのに世間の悪口を

言うのも矛盾しているが、世間の評価ってほんと当てにならない。

世間ということはテレビなどのマスコミやホームページ、ブログなどのアクセ

ス数も含まれる。

 

絵って巧く描けない。楽しくも描けない。作品の出来はだいたいが不満で終わ

る。昔の偉大な画の絵を想うと、本当にイヤになる。ま、描きたいから描いて

いるだけだからいいけどね。作品の出来なんてどうでもいい。

とは言いつつ、いろいろ試行錯誤をしている。

私が立て続けに同じモチーフを描くのも一つの作戦だ。同じモチーフを5〜6枚

描けば1枚ぐらい見られるものが生まれるだろうという戦法。

1枚の絵をグチャグチャ直すのはダメ。「家に帰ってから」というのは全然話に

ならない。

というのは、絵っていうのはその場の感動を描いているからだ。それは静物画

でも同じ。

風景はどんどん変わる。ジャンジャン描かないと間に合わない。

バラ園に行ってバラの香りに包まれて「うわぁ、咲いているぅ〜〜」と感嘆し

て描くものだ。その幸福感は言葉では言えない。ま、構図とか足場とか現実的

な問題もある。他の観賞者に邪魔にならない場所を確保しなければならない。

さらにいい構図? けっこういろいろ気を使う。

ここのところ裸婦を描いていないけど、裸婦はもっと瞬間的。次々とポーズが

変わり、そのたびに「わぉ!」と作画意欲が湧く。がっかりするポーズもたま

にあるけどね。

その「うわぁ〜」とか「わぉ!」をキャンバスに叩きつけるのがわがイッキ描

きだ。

「あとで直す」はあり得ない。だいたい観念的になってしまい、絵をダメにす

る。

「うわぁ〜」や「わぉ!」はモネの絵からも聞こえる。ゴッホからも。浦上玉

堂からも聞こえてくる。

そういうのって世間の評価とはまったく関係ないんだよね。

 

 

23年5月6日(土)

世間に合わせる気はない

何が幸福で何が不幸なのか? 誰が人生の成功者で誰が敗者なのか?

人生も後半に入って来るとわけがわからなくなる。一般的には私は人生の敗者

だ。金がまったくない。家賃の支払いもままならない。

絵描きとしてもほとんど認められず無名のままだ。

でも生きている。一応ギリギリホームレスでもない。足腰が快調というわけで

はないけど一目健康と言える。

中学生になった孫と釣りをしていると、こういうのこそ幸福ってもんなんじゃ

ないか、とつくづく思ってしまう。魚はまったく釣れないけどね。

2歳の孫娘ともよく遊ぶ。

ま、孫との付き合いは自己完結(できるだけ他の人に迷惑をかけない)じゃな

いから要注意だけどね。

絵は自己完結と言えるかも。描き続けている。描いた枚数では日本有数だと思

う。

絵についての今後の希望はとりあえず二つある。100号が描きたい。裸婦のクロッ

キー会を再開したい。

ま、もう一つ。もっと絵を買ってもらいたいが、それは無理。買う方の意に沿

う絵は描けない。どうにもならない。

昔の絵描きもメジャーじゃなかった人はいっぱいいる。100人ぐらいの支持者が

いただけだ。もちろん私はそんな偉大な画家じゃない。ムチャクチャな爺。や

りたいことをやって自分を幸福だと勘違いしているノーテンキなクソ老人。世

間の意に合わせる気は毛頭ない。だからプロとも言えない。言われたくもない。

死ぬまでの命。自己完結の範囲で勝手にやらせてもらう。本当にゴメン。

 

23年4月29日(土)

勝った!

ある夜の9時前にフラフラになってウーバーから帰ってきたら、テレビで池上

彰が何かしゃべっていた。いい声でとても流暢な語り。私とほとんど同じ歳だ

ろう。その口角泡を飛ばすしゃべりを見て、私はなんの根拠もなく「勝った!」

と思った。私の自転車こぎのウーバー暮らしは物凄くまともだなと感じた。フィ

ジカル(身体的)。フィジカル人生こそ勝利者なのでは?

同じようなことは大学時代にもあった。

大学のキャンパスに聞き覚えのある声が響き渡っていた。中学のころ生徒会長

をやっていたN君の声だ。彼は付属高校からストレートで入学した優等生。こっ

ちは住み込み新聞配達などを経て2浪の末に夜間部にやっと合格した底辺学生だ。

しかし、私は半年足らずの住み込み新聞配達で大きく成長していた。

中学生のころは圧倒的に凄かったN。全校生徒集会でも大人みたいな口調で大勢

の前で演説をしていた。こっちは洟垂れ小僧。学生服で遊び回り、学生服は埃だ

らけで黒が白っぽく見えるような暮らしだった。

そんな中学時代から5年以上経っていた。「あ、同じ声がする」と思って見てみ

るとNが演説している。中学のときと変わらない感じ。演説口調も、もう大人だ

から大人びているとも言えない。

そのときも「勝った」と思った。なにがどう勝ったのかわけがわからないけど、

私の勝ちだと思った。20歳で逆転したな、と感じた。

で、今72歳。私はありとあらゆる人たちに敗北している。人生の惨敗者。でも池

上彰には勝ったと思ったんだからいいか。

勝ったと言っても勝手な思い込み。一般的には敗者だよね。

しかし、人は死ぬまでしか生きない。わけのわからない言説をしゃべり捲って楽

しいのだろうか? そのオシャベリでウクライナに平和が来るなら文句はないけ

どね。

 

23年4月22日(土)

清貧なるウーバー

ウーバーイーツの配達員を始めてもうそろそろ半年になる。18歳のときにやっ

た新聞配達(新宿住み込み)は5か月ぐらいだったから、新聞配達より長く頑

張っている。

しかし、住み込みの新聞配達とは比較にならないかも。

私は高校卒業後、すべての大学に不合格を喰らい、新宿三丁目の朝日新聞販売

所に住み込みで雇ってもらった。初めて世間というものを知ったわけだ。世間

の荒波? 生きていくというのはこれほど大変なものかと、始まってもいない

人生がイヤになった。

しかし、私はその住み込み新聞配達の5か月間ですっかり大人になったらしい。

ま、今のウーバーとは比較にならない苦労だった。

私より年下の老人たちが天下りなどと言ってセコイことをやっているのに比べ

ると、私はまさに清貧? 内実は腹黒(エロ)爺だけど見かけは清く正しく美

しいかもしれない。どうも最近歳のせいか、エロはカッコつきになってしまっ

た。

新聞配達は朝の4時起きだったけど、ウーバーは昼前に出発。かなりのんびりし

ている。合計労働時間も正味5時間ぐらい。自転車こぎは楽じゃないけど、健康

にいい感じがする。死ぬほど大変じゃない。多分蓄積疲労もないと思う。家にい

るときは寝てばかりいる。午前中なら絵も描ける。週休2日でもなんとか家賃が払

える。

たまに絵を買ってもらったり、ロールキャンバスが売れたりしないと続かないけど

ね。

交通事故さえ気をつければまだ当分続けられる。もっともこのごろ陽気がいいせい

か受注が半減してしまっている。春の閑散期というらしい。

絵についてはわがイッキ描きはチョーまともでとても正しい方向性を持っていると

思う。世の中は狂っている。なんてたってこっちは清貧の純粋絵描きだもんね。本

物だよ。

多分私しかいないでしょ。もちろんいろいろ未熟で、上には上があることも承知のう

え。でも、最近の美術界を見てみるとやっぱりだぁ〜れもいない。現存有名画人はト

ンチンカンなアホばかり。寂しくて悲しい。

 

23年4月15日(土)

才能か?

将棋の渡辺明名人が「将棋は才能だ」と言い切った。渡辺自身の才能を自慢

するのではなく藤井聡太六冠の才能を讃えて言ったのだ。

やっぱ才能なのかなぁ〜、とがっかりした。

絵も才能なのか?

ちがう!

近代美術館に行って「東京国立美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」と

「所蔵作品展『MOMATコレクション』」を見て、意を強くした。

私が行ったのは4月11日。富岡鉄斎(1837〜1924)は展示されていなかった。

長谷川利行(1891〜1940)もなかったと思う。そんななかで、一番いいと思っ

た絵はセザンヌ(1839〜1906)《大きな花束》だ。クレー(1879〜1940)も

いっぱいあってクレーもいいと思った。

ヨーロッパ人の絵描きは「絵は枚数だ」と思っている。そこに同意できる。

描かなければ話にならない。腕の運動なのだ。

それじゃあマンガ家は? と来る。マンガは説明のための絵だ。セザンヌな

どの絵は絵のための絵。描きたいから描いた絵。感動して描いた絵だ。当た

り前過ぎて解説するのもバカバカしい。そういうのが「絵」だ。

では、ほんの一部鉄斎や利行を除いた日本の画家たちは何を考えているのか?

何を想って描いているのか?

絵って描きたいから描くもの。楽しいものだと思う。

野球の大谷翔平が教えてくれている。根性とか特訓とかシゴキ、体罰などと

は真逆のものだ。現代のある世界的な日本画家が若い人を怒鳴って、自作を

手伝わせていた。工房? アホらしい。威張りたいだけだ。

日本の腐りアカデミズム絵画の一端を見た思いがした。あれは氷山の一角。

ああいう腐り体質が150年以上も続いているのだ。そういうところから出た

クソ絵がいっぱい並んでいた。いいわけがない。目を覚ませよ。

絵と将棋はちがう? でも、藤井さんは将棋を楽しんでいるよね。タイトル

なんか屁とも思っていない。だから、どんどんタイトルが取れちゃう。

私がずっと前から主張している絵に対する姿勢だ。絵は楽しいもの。作品の

出来なんかどうでもいいのだ。描くことが幸福なのだ。私はきっとものすご

く正しい。

でも、私みたいな考えの絵描きは昔からいた。浦上玉堂(1745〜1820)など

だ。きっと雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)も。仏像の木喰上人(1718〜

1810)も禅画僧の白隠(1686〜1769)や仙香i1750〜1837)も同じような思

考だろう。

ほんと最近のスポーツ界も根性主義から脱却している。

水泳選手も口をそろえて「楽しく泳ぎたい」という。北島が「気持ちいいぃ〜

〜〜」と言ったのがキッカケか? 平井コーチの賜物か? 

ゴルフも渋野日南子はいつもニコニコ笑っている。

野球は大谷翔平が世界革命を起こしている。

将棋は言わずと知れた藤井聡太。威張りゼロ。ただ謙虚に低姿勢に容赦なく

勝ちまくる。

絵の世界はウーバー絵画だけが希望の細い綱か。ま、絵の場合はいつの世も

そうだった。評価には100年かかる。どうでもいい。自転車こぎはかなり楽し

い。

 

23年4月8日(土)

私の立ち位置

私は図々しく絵画教室をやっている。思えば長くやってきた。

ま、学習塾だって図々しい。なんの資格もない。ただ大学を卒業したという

だけ。それも文学部なのに理科も数学も教えた。子供の成績が上がればなん

だっていい。それが塾かもしれない。

絵画教室に到っては美大も卒業していないし、コンテストで大賞をとったわ

けでもない。弱小美術団体なのかで何回か受賞しただけだ。

画歴にはフランス留学などと書いてある。ボルドー美術大学で学んだと書い

た。嘘ではない。本当にボルドー美術大学の先生に絵を見てもらったし、裸

婦もいっぱい描いた。同時に石膏デッサンもやった。日本の美術研究所のよ

うな石膏像ではない。本当にでかい《サモトラケのニケ》とかパルテノンの

《カリアティード(女人像柱)》などを木炭デッサンした。石膏室に一人。

贅沢な時間だった。

ま、私が絶対的な自信を持っているのは帰国後にキャンバスメーカーに勤め

ながら3年半通った美術研究所での成果だけどね。毎日3時間の裸婦固定ポー

ズ、土日はクロッキーと展覧会巡り。おそらくどんな美術大学生にも負けな

い分量の裸婦を描いたと思っている。画材についても精通した。

合間には風景や静物も描いた。画家である父親に見てもらっていた。

ま、その父親も小学校しか出ていない在野の絵描きだけどね。国画会という

でっかい美術団体の会員だったから私よりずっと画壇の社会的な地位は上か

もしれない。

でも、私は画廊企画の個展を20年間やった。これは父親にも負けない。

だから、絵画教室をやってもそれほど図々しくもない、のだ。実質的には美

術大学の先生より本格的な画家と言えるかも。貸画廊の個展を合わせると90

回近く個展もやっている。

何度も言うが、絵を描いた枚数はギネス並。5万枚は下らないと思う。油彩画

も何万枚も描いている。今日も6枚描いた。

美術史の知識も絵描きのなかではトップクラスだろう。ほとんどの絵描きは

何も知らない。美術展にもロクに行っていないと思う。

ま、世間は広いから私以上の絵描きはいるかもしれない。それはむしろ嬉し

いことだ。

本心、描きたいから描いている。絵を描いているときが一番いい。最高の時

間だ。

私が絵描きになると言ったら、少し考えて父が言った。「歳とってからやる

ことがないよりいい」。本当にそうなったみたいだ。絵だったら何歳になっ

ても描ける。

 

23年4月1日(土)

画歴&今後

わたし自身の画歴を想うと、30歳までは修業時代と言える。キャンバスメー

カーに4年半勤めた。その会社はオランダのターレンスの輸入元もやってい

た。レンブラント絵具をほぼ自由に使えた。習作用のヴァン・ゴッホ絵具の

ほうが多かったかも。キャンバスはベルギーのクレサンキャンバスの輸入も

始め、私もクレサンキャンバスを使っていた。こっちも習作用の安物だけど、

シルバーホワイトで地塗りがしてある本格的な油性キャンバスだ。キャンバ

ス屋だからC時代?

その後学習塾を23年間やった。学習塾は自由時間が多くたっぷり絵が描けた。

G時代か。

60歳前から14年間余りマンションの管理人を務めた。家計はギリギリだった

が絵だけはしこたま描いた。M時代とでも言えるか。

そして今ウーバーイーツの配達員をやっているU時代だ。まだ半年にもなら

ないけど、いろいろ慣れてきた。何とか絵を描くように努めている。相変わ

らずギリギリの暮らしだがホームレスにならないように頑張っている。

物凄い運動量。一般の72歳では考えられないような消費エネルギーだと思う。

でも、体調はとても良好だ。マンション管理人のときも見回りでけっこう歩

いていたが、今の運動量のほうがはるかに多いと思う。歩数は減っているが、

自転車こぎは1日30キロ以上だろう。自転車修理代もバカにならないが、と

にかくガソリン代がかからないから安い。

C、G、M、Uと生きてきた。いっぱい絵を描いてきたなぁ〜。

今後の課題はクロッキー会を復活させること。100号を描くこと。個展もや

りたい。

まだ当分絵を続ける、予定。ここまで来たんだから生きてる限り続けるだろ

う。交通事故に気を付けよう!

 

 

 

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