唇 寒(しんかん)集65<22/11/5〜>

22年12月3日(土)

言いたいこと

12月1日のブログで『いろいろ面倒』と書いてしまったが、この『唇寒』で

面倒でも頑張って言いたいことを言う。

11月30日のブログでは「江戸狩野アカデミズムには身体的実践がない」と

いうようなことを書いたが、絵を描く修業自体身体的実践ではないかという

ご批判もあるだろう。私が言う「身体的実践」とは歩くことだ。もっと言え

ば旅だ。絵なんてどうでもいい。さらに言えば仏道修行なのである。仏道修

行というと抹香臭くなって、今度は仏教アカデミズムが威張り出すからイヤ

だ。

だからお釈迦様の教えのエッセンスだけを真似ればいいのだ。それが旅だ。

もちろん私自身旅は苦手。家の周りをウロウロしている派だ。風呂もベッド

も自分の家のが一番。ボロベッドだけど我がねぐらが最高。

そういう不便も含めて旅は並はずれた修行なのだろう。

だからとりあえず歩くことでご勘弁いただく。最近の私はウォーキングより

サイクリングだけどね。

私も若いころサイクリングの大旅行を4回ほどやっている。1日の最長走行距

離は198キロ。150キロは常識だった。それが毎日続く。私は旅館に泊まった

ので、新幹線旅行より金がかかる。今のウーバーの40キロぐらいなんでもな

い。50年も前の話だけど、経験しているので強い。行っても行っても道。走っ

ても走っても目的地に着かない。日本は広いよぉ〜〜。長野に行ったときは

頑張っても頑張っても上り坂だった。そういうのって大きな経験なんだよね。

ありがたい。

松尾芭蕉(1644〜1694)も旅を最重要視していた。もしかすると旅をやり過

ぎて50歳で死んでしまったのかも。

旅こそが「身体的実践」。妥協してウォーキングもギリOKか?

大事なのは問題意識なのだ。俳句とか絵なんてどうでもいい。作品は表層部

分。氷山の一角だ。海の中にはでっかい氷の塊がある。そっちが大事。

それは最近AIが作ったクラシック音楽やレンブラント作品もどきの腑抜け具

合でも証明されたはず。「純粋に作品そのものを味わう」という思考、つま

り「作品そのもの」なんていう思考は妄想なのである。それをAIが証明して

くれた。

「古人も多く旅に死せるあり」

芭蕉の言葉はジーンと来る。これが大事。作品なんてクソだ。

 

22年11月26日(土)

集団てどうなの?

高校生の吹奏楽部のコンテストを密着取材したテレビ番組を見た。長い番組。

『笑ってこらえて』(日テレ)の特番だ。

吹奏楽はチームワークが大切。野球とかサッカーと似ている。相撲や水泳、

陸上などの個人競技とはちがう。絵もまったくの個人の作業かも。

で、吹奏楽部の団体でのポジションの取り合いとか、統一性、先生の指導方

法などを見ているといろいろなことを考えてしまう。私にはとても不向き。

無理。

さらに、コンテストで金賞とか全国大会進出など競争も激しい。

ハンドボールで高校インターハイ寸前まで頑張った家内は興味深く見ていた。

懐かしがっていた。長く控え選手だった経験もあり、いろいろな人の気持ち

がわかるらしい。

ま、私なんてほぼ一生控え選手だけどね。

しかし、ああいう競争ってどうなんだろう? 教育上いいことなのか?

何度も述べているように仏教の悟りは合格枠なし。それでも、六祖慧能は悟

りの競争に勝つんだよね。その辺の事情が分からない。競争相手は神秀。確

かこの人も高僧になるはず。でも、悟りに人数制限はないと思う。禅宗の歴

史上では無数の雲水が悟りを開いている。

いいか悪いかわからないけど、多くの人が集まって集団陶酔みたくなるのは

私には無理。気持ち悪い。サザンのコンサートでさえ行きたくない。いやい

やサザンのコンサートなら行ってもいいか。それが政治的なものならなおイ

ヤだ。宗教もちょっとイヤ。

とにかく、絵はいい。一人の世界。私にはぴったりだ。そう言えば、ウー

バー・イーツも一人仕事だからとても向いている。もう少し収入が上がれば

100歳まで続けたい。

サルも、チンパンジーやゴリラみたく集団で行動する種類は多いが、オラン

ウータンみたく一人行動もいる。私は完全にオランウータンタイプだ。

 

22年11月19日(土)

筋肉も財産?

私は確かに金がない。車を保持しているから車検などに金がかかる。この前

はタイヤ交換もした。それは借金になっている。かなりヤバい。

しかし、今のところ健康。なんとかなるような気もする。

若いころからバカだった。絵はちゃんと頑張っていれば売れるものと思って

いた。絵ってめったに売れないんだよね。だけど若いころは「年金なんか要

らない。貯金は(絵の)腕にする」と豪語していた。本当にバカだった。

確かに絵はたくさんある。買ってもらえるレベルだと思う。商品価値ありと

信じている。でもそれは遠い将来。100年後とか200年後かもしれない。

しかし、私は有難いことに今のところ健康だ。おかげで今も肉体労働ができ

る。

私は58歳のときにマンション管理人を始めて、自分の脚力の衰えに驚いた。

65歳の先輩管理人の見回りについて行けなかった。「この爺さんバケモノか」

と驚嘆した。しかし、その後、見回りのスピードはぐんぐん上がり、膝の不

調もすっかり治ってしまった。

さらに、今またウーバー・イーツを始めて、自分の筋肉の衰えを嘆いている。

でも、これも克服できる感じ。若いころに自転車ばかり乗っていた。自転車

大旅行を何度もしたし、都内の移動(40キロぐらい)はほとんど自転車だった。

キャンバス会社の通勤も美術研究所へ行くときも自転車だった。

その筋肉が思い出している。元に戻ろうとしている。

まったく金はないけど、筋肉も財産だと知る。多分絵の腕も維持しているはず。

私は確かに高齢だけど、私が尊敬する美術史上の画家たちには80歳90歳で巨

大画面に挑戦し、東洋の画家や僧侶も旅の人だった。私なんてまだ若手なの

だ。

一般的には私の状況は最悪だけど、精神状態や健康状態は優良。もしかする

と億単位の金持ちに勝っているのかもしれない。

 

22年11月12日(土)

100倍ハッピー

油絵を使ってキャンバスに描くという絵画方法はかなり古臭い。絵の世界は

音楽などに比べると本当に自由で、目で見る芸術というように分野を広げれ

ばありとあらゆることが可能になってしまう。

音楽はムチャクチャなことになってもドレミファは守られる。楽器も限定さ

れている。デタラメな音楽というのはない。いやいやデタラメなアートもな

いのかもしれない。

テレビなどのメディアでは目新しい造形は注目を集めるから、多く取り上げ

られる。一時的な場合が多い。

私なんか油彩画の祖みたいなティツィアーノ(1488/90〜1576)こそ最高の油

彩画家として尊敬している。古くて長い絵画道を信じて古臭い画法を守って

いる。守らないと油絵は剥がれてしまう。絵画史全体を想えば、もっと古い中

国の多くの画家も尊敬している。もしかすると音楽家以上に古式を守っている

かも。

とは言っても、いわゆるアカデミズムとはちがう。ある意味デタラメだ。私か

ら言わせれば今のアカデミズムこそデタラメだと思うけどね。

たとえば、ピアノやヴァイオリンやギターのような熟練した技法はアートにも

あると思う。ドガ(1834〜1917)がアングル(1780〜1867)から学んだ「たく

さんの線を引きなさい」という教えがそれ。私は物凄く同意している。線を引

かなければ話にならない、と思っている。それは中国や日本の古い絵(東洋の

場合は書もだけど)にも共通する当然の修業だ。

そういうのを守っていたら、新しい造形なんかやっている暇はない。私は50年

以上守り続けている。多分人間国宝だろうと自分で勝手に思っている。それな

のに「今年も文化勲章の話が来なかった」と友人に言ったら「こいつ、なに言っ

てんだ」とトンチンカンな顔をされた。

まったく世に受け入れられていない。

でも、それってとても気分がいい。不思議だけど気楽で楽しい。クソみたいな

世間に受け入れられても嬉しくもない。ウーバー・イーツで働きながら絵を描

くほうが100倍ハッピーだ。軌道に乗ってちゃんと家賃が払えて飯が食えればな

おハッピー。

 

22年11月5日(土)

将棋AI

AIの話は前回で終わりにする予定だったが、最後に将棋の話をしたい。

チェス、囲碁に続き、将棋のチャンピオンもAIに負けてしまった。『レンブ

ラントの身震い』(マーカス・デュ・ソートイ/冨永星訳・新潮クレストブッ

クス)でも、その話がキッカケになっている。『レンブラントの身震い』で

は囲碁の話が主だけどね。

私は囲碁には詳しくない。トッププロの将棋は今でもよく見ている。You Tube

のダイジェスト版ばかり。しかも見始めると寝てしまう。だから、よくわか

らないまま。でも、アメバの実況中継も見るので、だいたいのところはわか

る。

3日には負けてしまったが藤井聡太五冠だけは図抜けている。最近出てきた勝

率8割超えの若手もいるけど、その人たちの将棋は見ていない。藤井レベルな

のか?

とにかく藤井五冠は最終盤間違えない。羽生善治も含めたほとんどの棋士が

終盤間違える。最終盤のAI判定は意味がない。99%の詰み筋ありの判定でも

逆転してしまう。AIの詰み筋は細い一本道で奇手、妙手も多い。人間では気

が付かないような手筋。ふつう無理。

攻めているときに自陣を守る手がベストだったりする。そんな手、人間に指

せっこない。

つまらないんだよね。

将棋の二日制の七番勝負など、昔の初日は雑談だらけ。一日制の予選だって

午前中は冗談ばかり言い合っていたという。それが今や初めから真剣勝負。

息継ぐ暇もない。将棋界も変わった。正解がある指し手を棋士は模索する。

われわれアマチュアから見るとそれは昔も同じ。プロ棋士の指導は正解だっ

た。現代はAIという神が降臨してしまったわけだ。

それでも、棋士同士の人間模様がおもしろいから将棋界が消えてなくなるこ

とはないだろう。それどころかAI超えの絶妙手を指す藤井五冠が光り輝いて

いるから、人気はますます上昇。プロの将棋は楽しい。

ちなみに藤井五冠は何百万円もするコンピュータで研究を続けているという

話。コンピュータの知識もプロレベルとのこと。

 

 

 

最初のページ           「唇寒集」目次