唇 寒(しんかん)集64<22/6/4〜>

22年7月2日(土)

緊張感

『国立西洋美術館 名画の見かた』(渡辺晋輔/陣岡めぐみ・集英社)のな

かに、ジョルジュ・ブラック(1882〜1963)の《静物》(西洋美術館蔵)を

評して「立体感のほのめかしと平面性という、ふたつの相反する志向の緊張

感がこの絵の魅力になっている」(p151)とあった。6月30日付けブログで

述べたとおり。

ブログは話が曲がってしまったので、こっちでは本筋へ。

つまり、「緊張感」という話。これが絵画の真髄でしょ。いかに緊張した画

面を生み出すか。これは意図してできるもんじゃない。

You Tube《美術の沼びと》でも何度も述べているが、ヨーロッパのマスター

ピースだって、着彩されたタブローより下絵のほうがずっと魅力的。下絵や

デッサンはその巨匠が自らの手で構想を練った「ホンモノ」だからだ。意欲

も緊張感もあり、楽しみもいっぱい詰まっている。

その下絵やデッサンをいっぺんにタブローにしちまえ、というのがわがイッ

キ描きだ。でもそれはドーミエ(1807〜1879)もやっているし、モネ(1840〜

1926)もロートレック(1864〜1901)もやっている。中国宋元の水墨画はど

れもみんな一気に仕上げたタブローだ。

そこにはピンと張りつめた緊張感が漲っている。「張」の字の使い過ぎ?

絵画の魅力はそこにあるよね。何が描いてあるなんてどうでもいい話。誰が

描いたかだってどうでもいい。現代でも近代でも中世でも時代も関係ない。

いい絵であればそれでいい。

私はそれは画家の状況が大きく影響すると考えている。緊張感のなかで描き

たい。短時間に現場で描くというのは切羽詰った状況を創り出してくれると

思っている。

 

22年6月25日(土)

恐ろしい梅雨明け

6月末なのに梅雨明けの気配。まったく夏の辛さは耐えられない。かったる

くてプールにも行きたくない。頑張って行ったけどね。泳ぎ始めれば気持ち

いい。当たり前か。もともと水泳は夏だけの楽しみだった。

絵のほうはさっぱり。制作意欲ゼロ。暑くて息をするのもめんどくさい。む

かし作ってもらったリコーのデジタルアートから選んで作品アップしている。

グータラがますますグータラになって熱気で煮詰まっちゃう。小6の孫がエア

コンをかけているからその部屋の隅でゲームを始めたが、ヒカキン(ユー

チューバ―?)の声がうるさいうえに、なぜかエアコンてイヤだ。水を浴び

て大の字に伸びていたほうが気持ちいい。ときどき風が来ると、遠い昔の、

子供のころの夏の肌の感触がよみがえる。「ああ、生きているなぁ〜」って

感じ。

ま、エアコンを嫌う年寄りが熱中症に罹る話もよく聴く。気を付けなければ

いけない。子供のころの夏の感触のなかであの世に逝くならそれもまた悪く

ないかも。

マンション勤務は梅雨が明ける前に卒業する魂胆だったが、今年の梅雨は早

く開けるらしい。酷暑のマンション見回りがきっとある。ああ、イヤだ。恐

ろしい。ついてない。汗だくクタクタヘロヘロだよ。

先週ぐらいに「下手でも何でも描く」と開眼したのに、描かないんじゃあ話

にならない。キャンバスも裁断してあるけど、木枠に張って地塗りをしなけ

れば意味ない。しかし、今日みたいな暑さではとても無理。グータラでいい

と思う。だいたい、レンブラントもルーベンスもプッサンも私の歳には死ん

でいる。私の今の暮らしなんてオマケみたいなもの。でも、鉄斎とかティツィ

アーノなんかはこれからなんだよね。80歳過ぎからなんだからほんと考えた

だけで息切れする。ド凄い爺さん画家だ。私も出来るだけ頑張ります。

 

22年6月18日(土)

方向は線描

線描は、描きに描き、描き続けていないと出来上がらない。その描き続ける

期間はとても長い。40年、50年というレベル。いやいや60年、70年かも。15

歳から始めて85歳で花開く、みたいな? 花が咲いたと同時にあの世逝き。

竹みたいだ。竹は120年かかるという。花が咲いたら枯れちゃうらしい。人間

の絵描きは竹より短い。半分ぐらいか。竹は凄いね。

昔の中国では、早くから線描の魅力を知っていた。筆墨の文化があったから

だ。それが禅の教えと結びついて人類美術史上最高レベルの水墨芸術を生ん

だ。禅の教えが凄いんだよね。

西洋哲学みたいな思弁じゃない。毎日の何気ない暮らしの行為を最も大事に

考える。地味なんだけど、行動がある。行いがある。行いこそが大切だと説

く。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)だっけ? 茶道じゃないけど、一挙手一

投足に神経を行き渡らせなければいけない。

これって絵を描く姿勢に強く影響すると思う。一筆一筆に心を込める、みた

いな。それは時間をかけるということではない。

今の私のレベルでは、花が咲いた喜び表現程度だけど、それも未熟なりに、

トンチンカンな方向ではないと思っている。とりあえずは喜びでいいように

も思う。

 

22年6月11日(土)

とにかく描く

個展もないし絵画教室もない。クロッキー会もない。ぶらぶら水彩を描き歩

いている。私の水彩はまさに「才能ナシ」絵。情けない。巧く描けないんだ

よね。致し方ない。巧い絵が魅力的だというわけでもない。下手で魅力がな

ければ最悪だけどね。

評価なんて、どうでもいいような気にもなっている。

今さら上達もノビシロもないだろう。こういう絵なんだよね。本当にゴメン。

でも、描かないと私が主張する「描き続ける絵」はできない。せっかくここ

までなんとか描画持続命脈を保ってきたのに、ここで断つわけにもいかない。

水彩でも下手でも何でも描き続けないと、「描き続けてきた絵」は保たれな

い。腕を動かしていないと終わっちゃう。

ものすごく感動しているわけでもないけど、散歩道のタチアオイを描くしか

ないかも。まだこれからどんどん咲きそうな感じ。淡いピンクのつまらない

花だけど、ぐんぐん上に延びている生命力は素晴らしい。初夏の風に揺れる

姿はなんとも風情がある(今日のタイトル画)。

ま、そんな感じで誤魔化しながら描く。きっと近日中に大量の地塗りキャン

バスも用意すると思う。本当にコロナが終わったら何がなんでもクロッキー

会を始めなくてはならない。

政府が給付金をくれれば嬉しいけど、望み薄。不正受給のヘンな犯罪者(=

小細工が効き頭がいいのに大バカ)が出てしまったし、とても無理そう。

絵を買ってもらえる気配もない。とても厳しいけど、ま、今朝も焼き立てフ

ランスパンを食べた。散歩もした。

そう言えば家内の心臓手術や入院もあるのだった。大丈夫かぁ〜???

 

22年6月4日(土)

作画実況

それにしても絵って巧く描けない。情けない。私のブログにアップしている

絵と一日おきにアップしているクラシック絵画(最近はセザンヌの風景が多

い)と比べて、家内が「こんなふうに描けないのかねぇ〜」と批判する。描

けっこねぇだろが。セザンヌに限らず、アップするクラシック絵画は特上の

画家の生涯の傑作ばかり。こっちはペーペーグータラ爺のとにかく描いた絵。

比べるのも無理。

とはいうけど、やっぱり情けない。筆を持って描き始めても思うように描け

ない。まったくブグロー(1825〜1905)は巧いよねぇ〜。わがブログではブ

グローは批判の対象だけど、批判できるような立場じゃないよ。確かに描き

方で描いているからどんどん描ける。こっちはバラ園に行っても、「ああ、

いい空気だ。今年もいっぱい咲いた」などと感慨にふけってから、「どうやっ

て描こうかなぁ〜」と思案する。描き始めても筆が勝手にデタラメに暴れる。

「もう勝手にしやがれ」となる。それでも時折、思わぬ効果が出たりするこ

ともある。「やっぱ絵って、おもしれぇ〜」と独り言を言ったり。ま、かな

り行き当たりばったり。それがわがイッキ描きだもんね。苦しいけど面白く

て楽しい。

筆も間違えるし、絵具も取り違える。弟子がいるわけじゃないから、ぜんぶ

一人作業。全責任は私にある。どうしようもないね。

そう言えば、水彩画では鉛筆下描き禁止という自分縛りをしていたが、セザ

ンヌが自由に鉛筆と水彩を使っていたので、この前から解禁とした。イッキ

描きは描きたいように描けばいい、のだった。

自由は素晴らしい。空を飛ぶ鳥みたい。気分最高、かも。

(今日のタイトル画《バラ広場》は参考図版か?)

 

 

 

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