唇 寒(しんかん)集62<21/8/7〜>

21年12月25日(土)

発掘された古代ギリシア彫刻を見たミケランジェロ(1475〜1564)の様子。

『ヴァティカン美術館 世界の美術館』(講談社)の4・5(ページなのか作品

番号なのか?)《ベルヴェデーレのトルソ》の解説(高田博厚or吉川逸治)に

詳しい。やっと見つけた。今まではミケランジェロ側の本ばかり探していた。

少しは古代ギリシア彫刻側からも探ったが、見つからなかった。

《ラオコーン》を見たミケランジェロ(1475〜1564)は「芸術の奇蹟」と叫び、

《ベルヴェデーレのトルソ》には「自分はこのトルソの弟子だ」と誇ったとあ

る。これらの古代彫刻はギリシア盛期ではない。ヘレニズム期の作。ミケラン

ジェロが大英博物館にあるパルテノン彫刻を見たらどうなっていたのだろう?

ルネサンスは古代ギリシアや古代ローマを慕う芸術運動だった。そのルネサン

スをさらにまた慕ったのが19世紀新古典主義。その新古典主義真っ只中のロン

ドンにフィーディアス原作のパルテノン彫刻が大量に持ち込まれたのだ。いっ

たいどんな化学反応を起こすのかと興味津々。だが、ロンドンはとても静かだっ

た。ルネサンスではない。そのさらに大元の古代ギリシアでは反応ゼロなのか?

新古典主義ってけっこうあやしい。本当の芸術がわかっていたのだろうか? 

まさかフランスのアングル(1780〜1867)が芸術の本質を知らなかったとも思

えないけどね。

ところで、《ベルヴェデーレのトルソ》に感動したミケランジェロはルーブル

にある奴隷像を作ったとあったが、私は一番の影響を受けた像はフィレンツェ

にある粘土作品の《河神》なのではないか推測している。ミケランジェロが古

代ギリシア彫刻を見て興奮し、ガンガン作った様子が見えるようだ。全然違う

かもしれない。

キリスト教絵画の巨匠ミケランジェロの話。クリスマスにぴったりだったかも。

 

21年12月17日(土)

ヤフーの将棋記事で、多くの棋士に「将棋は才能か努力か?」と問いかけたア

ンケート記録が載っていた。

トップ棋士ほど「将棋は努力」と答えている。

私はトップ画家ではないが、絵画も努力だと思う。ま、努力というほどの苦痛

はないけどね。分量なんだよね。

少なくとも、才能なんてほとんど意味をなさない。しかし、若いころは才能が

圧倒的だと思っていた。才能ある絵を目の前に見せられると打ちのめされたも

のね。

でも才能ある絵は決して「いい絵」ではない。「いい絵」は大量に描いたなか

から偶然のように生まれるものだ。もちろん偶然ではない。真面目に大量に描

かなければならない。描きたいものを描きたいように描く。描きまくる。それ

が大事。それしかない。

将棋は理屈であり、度胸であり、記憶でもある。絵も似たような面もあるけど、

精密な記憶は要らない。理屈的なことも多くない。少しはあるけどね。踏み込

む度胸は必要だが、失敗したら別にもう一枚描けばいいだけだ。システナ礼拝

堂のミケランジェロ(1475〜1564)だと度胸だけで描いている、のか? 金屏

風に描いた障壁画も凄い度胸だよね。

何にしても努力は大前提だと思う。熟練していなければ話にならない。才能な

んてカスだ。

 

21年12月11日(土)

この文章は12月5日付け『イッキ描きブログ』の続きかもしれない。

藤井聡太や大谷翔平の活躍を見ていると、ああいう人は集中度がちがうとわか

る。少なくとも将棋や野球を道具にしていない。藤井四冠が指し手を考えてい

る姿はまさに諸法無我、諸行無常。結果として涅槃寂静の世界にいるのかもし

れない。大谷がグラウンドを走る姿もまことに美しい。喜びに満ちあふれてい

る。

絵の世界でも、ほんとうに喜びを持って描いてある絵は素晴らしい。巧い下手

じゃない。なぜか、まっさきに雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)が思い浮か

ぶ。さっきテレビに他の人の絵と混ざって長谷川利行(1891〜1940)が映ってい

たが、利行の絵だけ俄然光っていた。墨田公園のプールの絵。60号ぐらいある。

30分で仕上げたとナレーションが流れていた。60号で30分か。凄いね。私も20分

で60号の裸婦を描いたことがある。ま、私の場合は描いただけだけどね。

雪村や利行に比べるならわが画業はとても脆弱。頼りない。しかし方向だけでも

同じでありたい。細くて情けなく、いつ切れるともしれない信念だけれど、同質

の思いを少しでも長く保っていたい。それにはまず何はともあれ描き続けなけれ

ばならない。

当たり前だけど、とにかく絵を描かなければ絵描きではない。

散漫、邪心、不純、厭々。上記の人たちとは真逆かもしれない。もう、どうでも

いい。とにかく描かなければ同じ土俵にいることにはならない。

 

21年12月4日(土)

朝一で絵を描くとなんか気分がいい。どうしてだろう? 達成感て言葉は使い

たくないけど、もしかすると達成感かも。イヤだね。少なくとも精神衛生上か

なりいいような感じがする。

ま、私は絵を描くしか能がない人間なんだから絵を続けるのは普通。ここで絵

を辞めちゃったらアホの極致だ。

私の父も朝一で大量のデッサンを描いていた。父はすべて想像画なので、自由

と言えば自由だ。私は現場に行かなければならない。裸婦だとモデルが要る。

めんどくさいんだよね。この前から始めた過去のクロッキーをもとに油絵や水

彩を描く方法をもっと押し進めるかもしれない。それならいくらでも描ける。

このコロナ(空)騒ぎが続くようだと、まだクロッキー会は出来そうもない。

国内の感染者数が減ったら海外のことで大騒ぎ。切りがない。これで第6波が来

なかったら騒いだ奴は全員死刑だ。

こっちは絵の腕がどんどん落ちてしまう。落ちたままであの世逝き? みたい

な。やってられない。せっかく70歳まで描き続けて来たのにここで止まったら、

わが人生は大喜劇だ。富岡鉄斎(1837〜1924)ならこれからが勝負。私の評価

ではモネ(1840〜1926)も白内障の手術後(83歳)からが最高だと思っている。

私だって85歳以降の自分に期待している。もっとも、それまで元気で生きられ

るかどうかはわからない。はっきり言って自信はゼロに近い。

とにかく私の精神衛生が調っていればまわりの人たちにも迷惑をかけない。イ

ヤな気分にはさせないと思う。そういう意味でも朝一で絵を描くのは悪くない。

 

21年11月27日(土)

絵画の評価基準は実にむずかしい。気難しいすべての絵画愛好家を満足させるの

は不可能だと思う。だから絵描きは、世間一般の評価なんて気にすることはない。

だけど、企業戦略にしても受験作戦にしても敵を知ることがまず第一。企業戦略

なら市場調査、受験なら志望校の過去問をしっかり研究することが常套手段だ。

絵描きだって、世間受けする絵を狙いたい。世間の方々はいったいどんな絵をご

所望なのか、そこを知るべきかもしれない。

将棋やスポーツならとにかく勝てばいい。勝ったモンの勝ち。当たり前過ぎて書

くのもバカバカしい。

だが、絵となると勝ち負けはない。主観の問題だ。

だから、わがイッキ描きは「描きたいように描け」ばいいと主張する。「描きた

いものを描きたいように描く」。これがわがイッキ描きのモットーだ。世間の評

価は気にしない。

しかし、絵を描くにも金がかかる。キャンバス代、絵具代、モデル代、風景だっ

て取材費が要る。バカにならない。だからやっぱり多少は買ってもらわなければ

続けられない。そこが渡世人の辛いところだ。

とは言っても世間に媚びて己を失ったら元も子もない。「あいつの絵画人生なん

だったの?」となってしまう。そういう画家は物凄くたくさんいる。大多数。

99.999%かも。

ゴッホ(1853〜1890)でさえも世間の受けを狙っていた言動がある。言動だけで

筆の跡にはそういう感じは微塵もないけどね。言葉と絵がちがいすぎる。稀代の

嘘つきかも。

私の人生も残り少ないけど、一応、イッキ描きの筋をとおし続けたいと思ってい

る。多分とおし続けられると思う。

 

21年11月20日(土)

父の絵をじっくり見る機会が出来た。父の絵ってどうなんだろう。ものすごく絵

具を盛り上げた絵が印象に残る。私にはああいう絵はない。

以前「父の絵は怒りの絵画だ」と言ったことがある。それは父が戦争を経験して

いるからだ。父は海軍に所属し、ボルネオ島まで従軍した。天気図を描く仕事を

していたと言っていた。階級は伍長まで行ったと語っていたような気がする。父

が20歳代の前半。

父の怒りは戦争への怒りだ。あの時代は誰でも怒っていたと思う。今の政治に対

する怒りとは比べものにならない。絵も小説も怒りが創作の原点だったのかもし

れない。松本清張は父よりかなり年長だけど、清張の小説にもいつも戦争の翳が

付き纏っている。

私も、父の絵と比べられることもあった。最近はそういうことも少ない。父を超

えたとか、またいっぽう「やっぱり、お父さんには敵わないね」などとも言われ

る。

本心、私は父と争う気はない。無理だよ。絵とか小説とか、音楽もそうだろうけ

ど、そういう創作って、いつもその時代の子なんだよね。

評価なんて気にしないで無我夢中で描くのが大切。これもなかなかできないんだ

けどね。

描きたいように描く。描けるだけ描く。それしかない。

 

21年11月13日(土)

11月9日付のブログで将棋の奨励会三段リーグの話を書いた。そのとき、絵の世

界との比較もちょっと述べた。

将棋は勝ち負けがはっきりしているからわかりやすい。絵の評価はまちまち。画

法もいろいろあり過ぎてわけがわからない。アート全般に視野を広げたら、もう

何が何だか意味不明になる。

誰でも認めるのは《モナ=リザ》なのかなぁ?

美大を卒業した人は絵の先生なのか?

ゴッホ(1853〜1890)は美術界の藤井聡太でいいのだろうか?

で、「お前自身はどうなんだよ?」という質問が飛んでくる。

どうもこうも、もう71歳でどうにもならない。

ま、葛飾北斎(1760〜1849)が《神奈川沖浪裏》を描いたのは72歳。富岡鉄斎

(1837〜1924)が本当に凄くなるのは85歳からだ。だから、私も終わったわけで

はない、と思ってはいる。絵の世界では政治や会社みたく老害というのはない。

いやいや、公募展などの組織では老害があるのかも。私みたく画壇から外れてし

まった人間には無関係。

「描きたいものを描きたいように描く」これがわがイッキ描きのモットーだ。こ

の歳になると「描けるうちは描けるだけ描く」という方針も加わる。

本心を言えば、私の基準のなかでも、私は自分を天才だなんてまったく思ってい

ない。でも、私の絵をある程度の金額で買ってくださった方も少なくない。私は

私なりにけっこうやって来たと思うし、これからもまだ描くつもりだ。実際描く

しか能がない。将棋の世界だって藤井聡太じゃないけど将棋しか能のない人はいっ

ぱいいる。

自分の絵の価値は本心わからない。でもインチキじゃないと思う。本道、本流。

太古から続く絵心を引き継いでいる覚悟はある。矜持(きょうじ)?だっけ? 

そういうのもあるつもり。というかむしろ、それしかないかも。それで十分なよ

うな気もする。

 

21年11月6日(土)

因陀羅(元代末)は中国で活躍した禅僧である。インド人との記録もある。どん

な感じだったのだろうか? 残っている絵は数点だけだ。謎が多いだけに、その

魅力は果てしなく広がる。3日の文化の日に行った東京国立博物館でも南宋の名品

に伍して引けを取らない存在感を示していた。

因陀羅の絵は人物像。寒山拾得などの伝説の禅の高僧が描いてある。道釈人物画

などと言う。その絵には余白部分に文字が書いてある。楚石梵g (そせきぼんき

 1296〜1370)という禅僧の文章。楚石梵gはしっかり伝来のわかる高僧である。

だから、因陀羅も相当立派な禅僧だったと推察できるわけだ。ま、立派だったと

いうことは絵を見りゃわかるけどね。が、立派な人が立派な絵を描くという理屈

が必ず成立するわけでもない。これも困るんだよね。

この夏から因陀羅を2作品見た。静嘉堂の《智常禅師図》と東京国立博物館の《寒

山拾得図》だ。どちらにも楚石梵埼の賛がある。どっちも国宝。

では、楚石梵埼ってどういう禅僧なのか?

宗派は臨済宗。臨済禅も複雑多肢でわけわからない。私は『禅の心』(飯塚関外・

講談社新書)と『禅宗の歴史』(今枝愛心・至文堂)をいつも参照している。でも、

現在『禅の心』は行方不明。アマゾンで1円で買えるけどね(送料がかかる)。多

分絶版。あんなにいい本が絶版なんだよね。くだらない本がベストセラーなのにね。

まったく素晴らしい世の中だよ。

で、楚石梵埼は圜悟克勤(えんごこくごん・1063〜1135)の法系。ついこの前(3

日)に東京国立博物館で『流れ圜悟』(圓悟の墨跡)の実物を見たばかりだ。圜

悟が臨済宗の大きな法流の大元だ。梵埼はそこで法系が途絶える枝葉。弟子の教

育には失敗したということか? 書のほうではチョー有名人らしい。ということ

は、因陀羅の絵を見たと同時に立派な墨跡も味わったわけか? まったく覚えが

ない。

有名じゃないけどやたら国宝なんだよね。渋沢栄一とかの財界人が憧れた清貧の

禅僧? 戦国時代の武将たちもみんな尊敬していた。途轍もなく偉い人の筆の跡?

わかんねぇけど、絵として見れば完璧ヴァルールで、構図デッサン文句なし。マ

スもある。静嘉堂の《智常禅師図》の構図は葛飾北斎(1760〜1849)の波《神奈

川沖浪裏》にも似ている。北斎が参照したのだろうか? ンなわけないか。名作

は似るのか?

 

21年10月30日(土)

『五分後の世界』(村上龍・幻冬舎文庫)のp185から3ページほどのミュージシャ

ンに語らせる村上創作論の続き。

作曲家はモーツァルトひとりいれば十分。もう要らないという話の続き。絵だった

ら絵描きはラファエロ一人いればいいという話になる。

「でもみんなそこで止めていたら、ボクらはドビュッシーもヴェルディもワーグナー

も聞けなかった」と言う。「モーツァルトとは別な組み合わせ」の可能性を語り「ア

イデアが出るとか発想がひらめくとかそんなものじゃない」と言い、ここでまたト

ンネルの話になる。「何百回、何千回と計算尺を使う、仮定法と消去法で数学を解

くように何かを明確にして行く」と地道な作業を語り「そういう作業のときには興

奮も快感もないんだよ」と言ってから戦闘で銃を撃つ興奮と比較し、「それまで波

一つ立たなかった静かな湖から恐竜が現れるように」という絶妙のたとえで「音楽

が出現する」と言い「つくりあげるとかできあがるというのではない、突然、目の

前に、ずっと前からあったものがたまたま姿を現すというように、出現するんだ」

と言う。

「その、出現してくる瞬間ていうのは、スリリングだよ」と言い、戦争と同等だと

語る。

この辺りの語りは創作者と鑑賞者が入り乱れている感じもある。

私の「ラファエロ一人でいい」に対する思いとはかなり違う。これは私は何度も言っ

ているが、古典に対する畏敬や憧憬と自分自身の活動はベツモノ。そこは意識では

連続していない。もちろん意識下ではムチャクチャ連続していると思うけどね。親

の真似をする子のようなものだ。絵の場合、描きたいから描くのである。ラファエ

ロのように仕上げる必要はない。で、その作画作業の快感は小さくない。出来た結

果はどうでもいい。

 

21年10月22日(土)

『五分後の世界』(村上龍・幻冬舎文庫)のp185から3ページほどはミュージシャ

ンの語りになる。ま、村上龍の芸術論が展開していると言える。創作論と言い換

えてもいい。

それはミュージシャンの父親のトンネル工事から話が始まる。ミュージシャンの

子供のころに見たトンネル工事の様子。ミュージシャンの父親は言う。「良いト

ンネルは人間が掘ったものじゃなくて、ずっと前からそこにあったもののように

見える」

このセリフをミュージシャン(=村上龍)はモーツァルト(1756〜1791)のピア

ノ・コンチェルト20番から27番を想う。私もすぐにYou Tubeで聴いてみた(=い

い世の中だねぇ)。23番だけだけどね。一度は聴いたことのある名曲。ピアニス

トが気持ちよさそうに演奏していた。

ミュージシャンに託して村上は「余分なものも、不足もない、別にモーツァルトが

作ったわけじゃなくて、ただモーツァルトがどこからか捜してきただけという感じ

がする」と語らせる。さらに「こんなものがあるんならもういいじゃないか」と来

る。これも常套論。絵だったらモーツァルトじゃなくてラファエロ(1483〜1520)

だ。ブグローは「絵描きはラファエロ一人いればいい」と言った。

ところが、村上の話は終わらない。そして「芸術は組み合わせだ」という結論に至

る。「モーツアルト以外の組み合わせもあるんじゃないのか」となる。

そこら辺は、私の意見とはだいぶ違うけどね。大多数の絵を志す者は真のラファエ

ロを知って筆を置いちゃう。それは一つの道。聡明なる選択。

長くなりそうだから来週に続ける。

 

21年10月16日(土)

落語には古典落語と新作落語がある。絵だと古典絵画と新作絵画とは言わない。

意味が全然ちがってしまう。大雑把に言って、絵画の場合は具象絵画と抽象絵画

でもいいかもしれない。もちろん、具象絵画にもいろいろある。細密描写から幻

想絵画、私の絵みたいなのをまとめてフォーヴと呼ぶ人もいる。便宜上はわかり

やすいかも。

古典絵画に則った絵、というか古典絵画を慕い、敬う方向の絵画という上手い分

類はないのだろうか? 具象絵画の人でも古典をまったく無視している人も多い。

私自身は古典主義であり自然主義だと思っている。以前読んだ本によると「自然

主義」というのもややこしい定義があるみたいだ。私がここで使う自然主義は実

物の自然をよく見て描くというだけのこと。ややこしい話ではない。

しかし、自然は、キッカケだ。自然をそのとおりに描くことが目的ではない。花

を見て「綺麗だな」と思う自分を画面にぶつけることが、わがイッキ描きの方向。

孫を見て「可愛い」と思い、海を見て「広いなぁ〜」と感嘆する。富士山を見る

といつも「でかい!」と思う。そういう気持ちが始まりだ。それが始まりでそれ

がすべてかもしれない。

だけど、個展があると必死で描く。このネットに新作を載せなければと思うとま

た描く。そういう呪縛がないとなかなか描かない。

描き始めるといろいろなことを忘れて絵に集中できる。この状態が一番。諸法無

我なのかどうかはわからない。そんな高尚な心境ではないようにも思う。

 

21年10月9日(土)

もし葛飾北斎(1760〜1849)が現代のネット環境にいたらどうしただろう?

私の使っている機器は古くてダサいものばかりだけど、一応ネットにアップでき

る。プリンターはA3でカラーコピーもファックスもスキャンもできる。古い中古

(7)だがパソコンもあり、スマホはアイホン。高級品だ(古希の祝いに娘夫妻に

もらった)。いろいろなことができる。

北斎やゴッホ(1853〜1890)がこの環境のなかにいたらどんなことをするだろう?

いっさい無視して絵ばかり描いているような気もする。でもゴッホだって、キャ

ンバスを木枠から外して巻いてテオに送っていたのだ。その手間はたいへんだっ

たと思う。絵ばかり描いていたわけではない。そういう雑用も少なくなかったと

思う。

北斎だって版元や戯作者との交渉があったはず。

「めんどくせぇ〜」と言って一人でパソコンで発信したくなっただろう。

そう考えると、私がやっていることも妥当なのかもしれない。

それにしても絵って「巧さ」じゃないんだよね。本当によくわからない。自分の

言い訳をするわけではない。私自身、自分がものすごく巧いとは思っていない。

「巧い」より「魅力的」でありたい。

10月5日に都美術館のゴッホ展を見たけど、やっぱりゴッホは巧くない。10年の作

画期間だから熟練もしていない。でも、魅力いっぱいだ。方向を持っていて信じて

いて、それに向かってまっしぐらにエネルギーを集めている。カメハメ波みたく気

を一点に絞る術を知っている。持っている。思わず引き込まれる。

 

21年10月2日(土)

先週の反省というわけではないが、今週はいっぱい絵を描いた。水彩や鉛筆デッ

サンを含めれば、2年前のペースだった。昨日からまたお休みだけどね。

ちょうど酔芙蓉もよく咲いてくれた。

クロッキー会が再開できないなら、今まで描いた裸婦をもとに油絵で描いてみ

る方法もある。やっぱり人体を描きたいよね。

この前は孫娘をいっぱいクロッキーしたけど、生後6か月では筋肉もない。で

も、ハイハイへの意欲は凄まじいからその動きはとても魅力的だ。私の紙は安

物だが一応水彩用紙なのでコピー用紙の価格の何十倍もする。でも、ガンガン

描きまくった。気にすることはない。クロッキー会ではムチャクチャな絵で紙

を汚してきたのだ。

この前は《シェ・ヴュイヤール》という小説で、小説の中にヴュイヤールの絵

をたくさん掲載したが、ヴュイヤールの絵ってほとんど厚紙に油彩で描いてい

る。厚紙も安くはないが、キャンバスに比べれば問題にならない低価格。私も

厚紙に描いてみようかという気になった。

なんにしても私にとっては絵を描くことが一番の諸法無我。描かないとロクな

精神状態にならない。屈託と煩悩と焦燥の繰り返しに陥る。最悪な老人鬱寸前

状態だ。やっぱ絵描きは絵を描かなければ話にならない。当たり前過ぎること

だけどね。

 

21年9月25日(土)

絵が下手になっている。驚くね。描かないと下手になる。イッキ描きは自転車

操業。マグロと同じ。止まると倒れる。泳いでいないと死ぬ。

巧くなる道理がない。毎月46枚の裸婦を描き、他に静物や風景を20枚ぐらい描

いていた。それも面倒な油絵で描いていた。それが今や楽な水彩ばかり。風景

は描いても2〜3枚。この前なんか1か月近く筆を持たなかった。

絵がダメになるのは当然の成り行きだ。とても厳しい。運動しないで食ってば

かりいると体重が増えるのと同じ理屈。まったく人生とは苛酷だ。哲学的な思

惟に沈んでいる暇もない(現実にはそんなもの50年前からやってない)。ガン

ガン活動しないとブクブク老人病ジジイになってしまう。あっという間だ。

絵も体重計みたくはっきりわかる。

絵画理論で描くわけじゃない。腕で描くのだ。これって本当にまともだよね。

私はコロナが流行る前に風邪をひいた。インフルエンザかもしれないと思い、

急遽マンション勤務も休んだ。その後2年間まったく風邪もひいていない。私

個人の健康を言えばコロナなんてまったく関係ない。元気。絵だっていくでも

描ける。しかし、クロッキー会も絵画教室もできない。個展もできない。アホ

らしいけど致し方ない。そうすると、絵って描かなくなるもんだよね。昔の絵

描き、ドガやモネのことだけど、本当によく描いた。そして彼らは知っている

んだよね。絵が理屈じゃないってこと。腕なんだよね。描かないと絵描きじゃ

ない。当たり前過ぎる現実。

考えてみれば、私は自分が絵を描くように追い込んできた。それでずっと描い

た。5万枚。それがたった2年間のブランクでパァ〜。その2年間にも全然描かな

かったわけじゃない。多少は描いていた。とは言ってもチョー少ない。

その怠慢がここにきてドッと襲ってきた。ああ、恐ろしい。

 

21年9月18日(土)

即興で今度来るゴッホ(1853~1890)の《夜のプロヴァンスの田舎道》(糸杉

の絵)を評論するように求められた。いやいや別にメジャーな美術雑誌からの

依頼ではない。古い友人との絵ばなし。それをネットにアップするという計画。

しかし、即興だったので、なかなか言いたいことを言えない。あとで思い返し

てみると、ゴッホってリアリズムの画家なんだよね。ブグロー(1825〜1905)

を肯定している。ゴッホもブグローのようにお上手に描きたかったのだ。そう

いう意味ではアンリ・ルソー(1844~1910)にも似ているかも。確かルソーも

ブグローを称賛していた。

ブグローみたく描けないから、どんどん絵が厚くなる。グイグイ絵具を重ねる。

重ねようと思って重ねた絵具ではない。厚塗りは結果に過ぎない。

ピカソを驚嘆させたルソーの絵も重厚なヴァルールを持っている。ゴッホのよ

うな厚塗りではないが、絵としての厚みは素晴らしい。

ゴッホの絵は短時間に絵具を重ねるから濁りがない。透き通っている。作ろう

として作った透明感ではない。あの絵具の「付き」は真似して真似のできるも

のではない。暴力的な腕の力で絵具をグイグイキャンバスに叩きつけている。

もちろん乱暴な感じはない。ただ一筋、正確に画面に情景を描きたいだけなの

だ。でも描けないから厚くなる。描けちゃうブグローの絵が薄っぺらく見え

ちゃう。

 

21年9月11日(土)

去年書いて新人賞に応募した小説はけっこう悪くないように思う。新人賞受賞

は宝くじが当たるほど(それ以上か?)のド凄い快挙。ふつう無理だ。そうい

う道があるだけでも小説の世界は拓けている。

木曜日に都心に行ったときは、電車の中で自分のスマホに入っている去年の自

分の応募小説を読んだ。むろん新人賞は取れなかったが、読み直してみてもそ

れほど酷い小説ではないと思った。画像付き小説(ピクノベ)としてネットで

公開する予定。

そうすると、いま新しく書き下ろしている《名画探偵ピカン》とかぶるんだよ

ね。そこが苦しい。去年も似たような小説をいっぱい書いたんだけど、テーマ

とか少しずつ変えてある。絵で言うと、いま発表している《マス・ボディ》は

裸婦、いろいろかぶるから発表しない予定の《ワイルド・スケープ》は風景、

次にアップする予定の《シェ・ヴュイヤール》は静物画、昨日電車で読んだ

《芙蓉ノート》は花の絵などだ。変えてあるが、主要テーマは全部同じ。

というわけで《名画探偵ピカン》が全然進まない。実に困る。そう言えばこの

ホームページの『グランドギャラリー』の作業も滞っている。なんでもいいか

らどんどん作ってしまわないとまずい。いくらでもあとで改良できる。

 

21年9月3日(土)

私はかなりたくさんの絵を描いてきた。油絵の作画枚数では世界レベルで比べ

ても引けを取らないと思う。ここにきて油絵の枚数がガクンと減ってしまった。

コロナ禍のせいだ。こうやってしばらく描かないといろいろと考えてしまう。

で、今までたくさん描いてきたことがいかにわがままで身勝手だったかよくわ

かる。実に申し訳ない。でもコロナが終わったらまた描くと思う。

で、世間のいろいろなスーパースターを見ていると、すぐ思い当たるのは将棋

の藤井聡太と大リーグの大谷翔平だけど、オリンピック選手などでも同じ。あ

あいう人はそれぞれの分野がやりたくてやりたくてうずうずしている。そして

やっている。のめり込んでいる。我を忘れて(諸法無我?)没頭している。躍

動している。

同じことを画家で探してみると、ゴッホ(1853〜1890)は凄い。日本洋画では

長谷川利行(1891〜1940)。日本画だと富岡鉄斎(1837〜1924)。葛飾北斎

(1760〜1849)もいる。もっと古くは雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)を

思い出す。そういう人が絵を描きたいと願う気持ちは常人の域を超えている。

そして実際に描いた枚数もド凄い。普通じゃない。

他にもピカソ(1881〜1973)とかモネ(1840〜1926)などがいる。ドガ(1834〜

1917)は目が悪くなってしまったが、造形への希求はハンパない。

そういうことが最近分かってきた。それらの画人たちの絵画への愛着は私なん

て問題にならない。私はただ「描かなければ」と思いながらやって来ただけだ。

「たくさん描かなきゃ話にならない」と思ってきた。それで今71歳になったけど、

これはこれでいいとも思っている。致し方ない。ほかに好きなこともなかった。

大雑把に見て大したことはない。のめり込みのレベルもイマイチだったかも。で

も、まあ、じゅうぶん楽しかった。まだ完全過去形ではないけどね。今後も多分

描く。

 

21年8月28日(土)

絵と台詞が一体となったのがコミック(マンガ)だ。子供向けの書籍には挿絵

がいっぱい入っている。江戸時代の黄表紙という絵がいっぱいの本もあった。

葛飾北斎(1760〜1849)が絵を描き、曲亭馬琴が文章を書いた『椿説弓張月

(ちんせつゆみはりづき)』が有名。

私がいま挑戦している絵画小説は絵画図版がいっぱい。カラー時代だからこそ

実現した新企画だ。

内容は拙いかもしれないが、古典絵画を入れたり自分の油絵を挿絵にする方法

はおそらく今までにないと思う。

コロナ禍で絵画教室やクロッキー会などがなくなり小説をいっぱい書いたこと、

その前からパソコンで作品集などを作り、Photoshopの基本操作ができること、

そのさらに前からなんとかして父から授かった絵の見方みたいな話を残してお

きたいと思っていたことなどが相乗して実現しつつある。ノベルアッププラス

というメディアもものすごくぴったり。カラー図版入れ放題なのだ。

一般的には最近の異世界小説などにはアニメ系の絵を入れる。そういう夢の世

界に薄汚い油絵をガンガン投入。ムチャクチャなジジイが参入している状況だ。

申し訳ないけど一時的な現象かも。定番になって欲しい。絵画小説に最期の命

運を託す。

とは言っても孫もいるし、金はない(ノベルアップなどに金はかからない)。

なかなか思うようにははかどらない。ま、時間はかなりあるから大丈夫だとは

思う。

コロナ禍も収まるどころかますます蔓延している、感じ。もっとも日本の被害

は数字的には多くないと、私は思っている。ゴメン。騒ぎ過ぎだよね。閑散路

上マスク、一人車運転マスクなど、ほとんどみんなバカマスク? いやいや、

村八分に遭いたくないから私もできるだけマスクをやっています。

 

21年8月21日(土)

『海辺のカフカ』(村上春樹・新潮文庫・上巻)の222ページに「世界の万物

はメタファーだ」とあった。これは、その前に「ゲーテが言っているように」

と付いている。つまり、ゲーテは世界の万物はメタファーだと言ったわけだ。

メタファーって確か比喩って意味だったように思う。隠喩だっけ? ……いま

ネットで調べたらやっぱ隠喩だった。

隠喩(暗喩)というのは、直喩(明喩)の反対語。「あの黒い馬は蒸気機関車

のように走る」と言えば直喩。言葉のなかに「ように」が入っているからだ。

「あの黒い馬の走りは蒸気機関車だ」というのが隠喩。

私は茂木健一郎の本で「メタファー」を覚えた。茂木は「メタファー」をとて

もよく使う。

で、『海辺のカフカ』だけど、このシーンは15歳の家出少年(多分主人公)に

30歳前の青年がいろいろ教えているところ。「人間はなにかに自分を付着させ

て生きてゆくものだよ」というセリフの次に出てくる。

さらに前には15歳の家出少年が夏目漱石の『坑夫』を読んで、その主人公に自

分を重ねているという話から展開する。つまり、15歳君は坑夫の主人公(金持

ちの坊ちゃんだけど炭坑で働くことになる)に自分を重ねるということ。

で、私はもともとゲーテに同意できない。ゲーテはパルテノンの彫刻を激賞し

ているから嬉しいんだけれども、どうも肌に合わない。合うわけないけどね。

ゲーテは言ってみれば貴族みたいな人。こっちは日本の貧乏絵描きだ。

私みたいな現場主義に「世界の万物はメタファー」はない。すべて現実。その

場その時。神様を信じている方々ならゲーテの言葉も納得できるのかもしれな

い。

『海辺のカフカ』がメタファー否定の主題であることを祈る。私みたないもの

でもけっこう祈っちゃう。ゴメン。

 

21年8月14日(土)

パソコン作業って、ちょっと引っ掛かるとやる気がなくなり、私なんかだと3日

も放ったらかしになる。酷いね。上司がいるわけではない。一人作業だ。作業

の進捗など誰も見張っていない。ま、このホームページやブログなどで公開し

ているから、衆目の目に晒されていると言えば言える。しかし、私の作業など

に興味を持っていただけるわけもない。

私の作業もお金に直結していればもっと頑張れる。

お金って、本当にやっかいだ。マジ入ってこない。私はずっと貧乏人だからけっ

こう慣れているけど、お金は強敵である。私はブログなどでもホリエモンを批

判的に述べているが、金を稼ぐ名手としては物凄く尊敬している。片手間に金

を稼ぐことはできない、と思う。

私はわけがわからず生きて来たが、学習塾を個人で経営しているとき、1回だけ

年商1600万円になったことがあった。学習塾はあまり経費が掛からないから、

私としては驚くべき高収入だった。入会金など現金でもらう。ほんとポケット

からお札がこぼれそうだった。

ま、人生1回の1600万円では新車を買える程度だけどね。絵の売り上げでは190

万円ぐらいを記録したことがある。これは額面だから私の収入は60万円程度。

ボーナスとしても多くない。

71歳だからいろいろな経験がある。普段はほとんどカツカツの貧乏暮らしだ。

老い先も定まらない。孫とは親しいけど、孫が大金持ちになるころには私はあ

の世だと思う。ま、長寿革命が起きて150歳まで生きれば大丈夫かもしれない。

もちろん孫が大金持ちになるとは限らない。爺孫貧乏というのが相場だろう。

 

21年8月7日(土)

「菊地理 グランドギャラリー」は思ったよりも順調に進んでいる。けっこう

頑張っている。ブログにも書いたが、「勤勉な会社員」みたくパソコンに向か

い合っている。

水彩画のページも、最近の絵は簡単にアップできるが、9年前に行った南仏の水

彩となると探すのがたいへん。パリを描いた絵もある。

雨に降られて、すぐ退散したけどね。水彩は雨に降られると一発でアウト。絵

がダメになる。さすがの私のムチャクチャな絵も雨で効果が上がることはない。

ついこの前も隣家のミニトマトの傑作(?)が突然の雨でパァ〜になった。翌

日リベンジしたけどね。もちろん前日の絵と同じには描けない。

パリ風景はどうにか救われた。

ま、古い絵はあとでじっくりアップすればいい。とりあえず、ページの枠を作

る。枠さえ作ってしまえば、絵を増やすのはむずかしくない、はず。これをな

かなかやらないんだよね。まったく有能な女子社員を雇いたいよ。

今も少しずつ進んでいる。途中経過で申し訳ないが、ご覧いただくことも可能。

スマホでどう映るか試すために、少しでもアップしている。

入り口はけっこうカッコいいと思っている。

 

 

 

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