唇 寒(しんかん)集58<19/10/5〜20/2/29>

20年2月29日

ルネサンスも印象派も古典絵画への尊敬があった。ルネサンスは名前がもうすでに「文芸復興」なのだ。古代ギリシアへの熱烈な憧れがルネサンス美術を生んだ。印象派はどうか? モ

ネ(1840〜1926)なんかは、どちらかというと古典美術への造詣は大きくない感じ。しかし、マネ(1832〜1883)やドガ(1834〜1917)は深く古典を愛したし、ルノワール(1841〜1919)

もまた古典美術を尊敬した。ロダン(1840〜1917)もまたギリシアや中世の彫刻の素晴らしさを繰り返し語っている。

そういうふうに言うと必ず「じゃあ、19世紀フランスアカデミズムは?」と反論が来る。19世紀フランスアカデミズムと新古典主義は区別されなければならない。つまり、ブグロー

(1825〜1905)とアングル(1780〜1867)はちがうのだ。

ブグローは「画家はラファエロ一人いればいい」と言ったそうだ。これは古典の尊敬とは別な考え方。ルノワール(1841〜1919)は後年にラファエロの実物を見て自分の勘違いに驚いた。

アングルもローマで「私は騙されていた」と嘆いた。アングルとブグローを同一に語るのは間違っている。ブグローはアングルやそのもっと前のプッサン(1594〜1665)などとも別人。

ブグローは世俗の人だ。プッサンもアングルも絵画に命を懸けていた。

とにかく、偉大な芸術家は古典に心酔している。

で、いわゆる現代アートだけど、現代アートに古典への憧憬はあるのだろうか? わけのわからない才能主義と新し物好き主義だけが蔓延している気がする。肝腎なところを見ていない。

 

20年2月22日

学校の国語から文学作品が消えるという噂。選択科目になるらしい。どういう考えなのか? 説明的文章を最優先させるのか? 説明って何だ? たとえば、マルクスの文章。私はほと

んど読んでいないけど、少しは読んだ。「価格とは?」など。翻訳だったけど、すごく巧い。人を惹きつける。説明的文章なのにユーモアもあって、比喩が抜群。そういう意味では道元

(1200〜1253)の『正法眼蔵』も魅力いっぱい。道元の情熱が行間にみなぎっている。文章というのは理屈で描くものではない。勢い、情熱、「書きたいぃ〜〜」という強い意志が筆を

進めるのだ。

電気製品のマニュアルはうんざりだけど、それでさえいい文章はある。人が書いているとわかる。もっとも最近は分厚いマニュアルはなくなったようだ。

文科省のお役人は「人の創作」ということがわかっていないのか?

文学作品が消えるなら美術も音楽も消えるのだろうか?

私はここで何度も述べているが、美術史は進歩していない。西洋美術史を俯瞰しても、ギリシア彫刻とルネサンス美術と印象派。大きな山はこの三つだけ。ギリシア彫刻(紀元前450年)

からルネサンス(1500年)まで2000年近くあり、ルネサンスから印象派(1900年)までに400年もある。じゃあ、その間はどんな美術だったんだろうか? ローマ美術とか中世美術だ。中

世の彫刻はロダンが絶賛している。私にはよくわからない。ギリシア彫刻の生命感に比べれば、問題にならないような気もする。技巧じゃないんだよね。どうしても技巧に走る。ルネサ

ンスから印象派までなら、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン派、写実主義とたどれる。それぞれに素晴らしい作品があるけど、ルネサンス絵画を持ってきたらグゥーの音も出ない。

で、印象派、ゴッホ(1853〜1890)と来る。これまた生命の讃歌、か? なんか思い切りがいいんだよね。その後の美術史で代表的なものは抽象表現主義? はっきり言ってロクなもの

はない。なんかピントがずれている。ちがうだろがぁ〜〜〜、と叫びたくなる。

お前が一番ちがっている! と言われそうだけどね。

いやいや、ギリシア彫刻の生命力こそがナンバーワンだ!!!

 

20年2月15日

世の中は厳しいと思う。道元理論は甘ちょろい。しかし、本当の道元理論は世間の競争理論よりずっと厳しいのだ。市場などの競争理論はもちろん、受験戦争も含めて世間の自由競争は

もうじき行き詰まるだろう。今もうすでに核兵器問題や温暖化問題がある。ああいうのも世界的規模の競争の結果だと思う。

豊かな暮らし、って何だろう?

たとえば本が読みたいなら図書館がある。歩いて15分。本館でも30分あまりで着く。新刊本は無理でも2年前の本なら好き放題無料で読める。買いたい本はブックオフやアマゾンで安く買

える。スポーツもウォーキングやジョギングならほぼ無料。65歳以降の市営プールの料金は2時間100円だ。私にとっての最大費用は美術館。これはかなりの大出費。ロンドンナショナル

ギャラリー展も行きたい。他の美術展などまとめて行っても電車賃込みで数千円は覚悟しなければならない。でも、おおむね満足。貧乏だけど豊か、かも。

それでは子供が育たない。家庭を維持できない。そっちの豊かさは実に困難。

そうなって来ると子育ての責任者である女性は無制限に豊かさを求める。このメカニズムが競争原理の根本かも。

絵を描いているとき向上心は働くのだろうか? 物凄く熱中しているけど、いったい何に熱中しているのだろうか? いったい何に向かって熱中しているのだろうか? 意識はどこを向

いているのか? 意識は飛んでいるけどね。

裸婦の絵って何だ? クラシック絵画で裸婦画を一つくれると言われたら、誰の絵をもらうだろう? ブグローではない。ルオーか? ティツィアーノか? ゴヤか? シヌエッサのア

フロディーテ(ギリシア彫刻)? ドガか?

「ああ、綺麗だなぁ〜」と思って描いているよね。それは私とまったく同じ気持ち。そこのところに同意できる。同じ人類として共鳴できる。シンクロできる。それも嬉しい。絵描き同

士の絆? そういう状況に浸れることが幸福なのだ。出来た絵の評価は二の次だと思う。絶対に競争じゃない。

 

20年2月8日

年寄りの仕事ってとても大事だ。隠居思想はロクでもない。隠居思想っていつから始まったのだろうか? マルクスの主張には隠居がある。高校の英語の授業で原文で読まされた『アニ

マルファーム』にも出てくる。この本はマルキシズムを皮肉っているのだが、共産主義の理想も語られる。

私自身、中高時代には、共産主義は合理的だと思っていた。この歳になると、隠居思想や保育思想はまったくなっていないと感じている。ダメだ。そのほかいろいろな矛盾を感じる。と

は言っても繁栄だけを狙う資本主義は根本的におかしいとも思う。ここでは、はっきり言ったことはないが、原発は無理。日本国憲法は素晴らしいと感じている。駅頭の署名運動は素通

り。ゴメン。自衛隊などの実態に合わなくてもいいのだ。憲法はブレーキなんだからこのままブレーキを踏んだままグズグズやっていればいいと思う。

でも、中国にも古くから隠居思想はある(隠遁思想だっけ?)。本当の隠居思想(=隠遁思想?)はけっこう厳しいものなのかもしれない。昼間から酒を飲むような教えではないだろう。

毎日が日曜日なんて苦しすぎる。日曜日は7日に1回だから楽しい、のではないか?

保育園の考え方は根本的におかしい。われわれは有性生殖の哺乳類なんだよね。哺乳類が子育てをしなくなったら終わりじゃないの? この近所の公園にも保育園の2歳児がたくさん遊

んでいるけど、あんなかわいい盛りの子を他人に預ける気がしれない。もったいない。ま、8割の親は幼稚園派らしい(未確認)けどね。

 

20年2月1日

他の人の絵を褒めることはなかなかない。ついこの前、カメラをやっている古い友人が風景写真を送ってくれた。なかなかいいと思ったが、それだけ。お褒めの言葉をわざわざ知らせる

気はない。2~3か月後に会うからそのとき言う予定だが忘れてしまう可能性もある。

そんなもの。

他の人の絵や写真がけっこういいと思っても、なかなか褒めることはない。いいと思ったものがゴッホとかなら、ゴッホをいいと思った自分の眼が素晴らしいわけ、か?

と言うわけで、私の絵が他の人に褒められることも滅多にない理屈だ。よほどいい絵を描いてもなかなか褒められることはない、はず。

ま、褒められても「これいいじゃん」レベル。それだけでも凄いことだ。

いいと思われ、賛辞をもらい、さらに買ってもらうなど、夢のまた夢だ。私の絵は全然安くない。

現実的には買ってもらわないと本当に困る。画材費もバカにならないし、モデル代も安価ではない。ヒジョーに危うい。でも、これから町田まで絵具を買いに行く。買わないと絵が描け

ない。

起死回生の一手は絵画小説だけか? なかなか清書が終わらない。清書というか、画像をふんだんに挿んだビジュアル絵画小説なので画像整備などもある。

 

20年1月25日

1週間ほど前にネット上で父・菊地辰幸(1922〜1996)の絵を探していたら、父の絵と一緒に同時代の画家の絵を掲載しているページに行き当たった。戦争を経験した人たちの絵だ。戦後

派? けっこういい絵だ。父が言っていた。「この絵はいいと思ったら、その絵を描いたヤツはお前の10年先を行っていると思え」。この教えって焦るよね。うんざりする。

でも、松尾芭蕉(1644〜1694)でさえ、そういう焦りや迷いはあったのだ。「ある時は倦(う)みて放擲せん事をおもひ、ある時はすゝんで人にかたん事をほこり、是非胸中に戦うて、

是がために身安からず」と『笈の小文』(福音館書店)に書いている。

そして「終(つい)に無能無芸にして、ただこの一筋に繋がる」と諦めている。

自分のペースで描き続けるしかない。私の方法はおそらく大きく間違っていない。

つまり、たくさん描く。古典美術をたくさん見る。私の知っている範囲のプロで私の方法を実践している人はほとんどいない。

今朝も『芸術家になる法』(池田満寿夫《対談》金田石城)を再読していたが、いろいろと私とは意見が合わない(もちろん、同意見も少なくない)。詳しくはこのページの『絵の話』

の『突然・池田満寿夫と金田石城の対談に割り込む』をご参照ください。

ま、ほとんどの人は、絵は才能だと思っているし、アイディアなどがとても重要だと考えている。

絵は枚数と集中力と古典力なのだ!

粘りも大事、かも。そういう胆力を練るためにはウォーキングも長く泳ぎ続けることも必要だと、私は思っている。世評に惑わされてはならない。

 

20年1月18日

2か月ごとのカレンダーだと2か月間ずっと同じ絵を見てもらえる。もちろん絵といっても印刷物だけど、われわれだって初めは印刷物でドガやモネに出会ったのだ。カラー印刷の力は小

さくない。それは実際の原画と比べれば、いろいろ不満はあるが、絵は長く見てもらわないとわからないと思う。

印象派のころの話で、コレクターに2週間絵を貸出し、毎日見て気に入った場合購入するという販売方法をとった画商もいたらしい。

カレンダーは原画ではないが2週間どころか2か月間も続けて見てもらえるのだからかなり有望。それで原画を買ってもらえるなら、それはそれで嬉しい。だけど、カレンダー自体が売れ

て、画材やモデル代になれば、それは一つの絵画販売革命だ。

私は印象派の勝利は絵画販売革命であった、とも思っている。現実に第1回印象派展では共同出資の絵画販売組織を真剣に考えていたのだ。メアリー・カサット(1844〜1926)の活躍もあ

り、アメリカの絵画市場を切り拓けたことが印象派の勝利でもあった。

それは絵画が王侯貴族や教会から一般市民に広く行き渡った最初の一歩だったのではないか。

そして今、その時代も終わろうとしている。

今の世で油絵みたいな旧態依然とした写生絵画が生き残る最後の手段はカラー印刷に頼るしかないと思っている。いやいや、もうダメかもしれない。私自身はこの身一つだから描きたい

ように描いて、どこまで続くかわからないけど、描きまくって死んでゆく、予定。しかし、その後の美術界を想うと、まず見込みはない。ま、絵を描くという行為は楽しいから人の手か

ら消え去ることはないと思うけど、人生を懸けた絵画修業をやる人なんていなくなるんじゃないだろうか。

カラー印刷技術は油彩絵画の生き残るギリギリ最後の細い命綱、のような気もする。

もちろん、印刷物は実際の原画とはまったくちがう。ちがうけど、カラー印刷こそ、太古から繋がる筆の喜びを表現した王道絵画が帰ってくる可能性を秘めた最後の砦のような気もする。

画集は綴じられてしまうからダメなんだよね。カレンダーはオープンだから期待できる。

 

20年1月11日

9日付のブログにも書いたけど、まったく女性の人体を描くというのは最高の喜びである。だいたい私はモデルさんにポーズについての要求をしない。裸で居るだけでいいいと思っている。

何度も言うが裸の女性など一般には見られるものではない。下手をすると犯罪になる。黒田清輝(1866〜1970)が明治時代に官権と戦い、勝利をもぎ取ってくれたから、われわれは自由

に裸婦が描ける。

裸で居るだけでいいのに、ポーズを作ってじっとしている。これって凄いことだよね。こっちは絵の道具をそろえて、いつでも描ける臨戦態勢。奇蹟のようなハッピーな状況だ。2分間ポー

ズはどんどん変化する。その変化の瞬間の動きも魅力いっぱい。生身で動くんだから、実際は絵具の臭いだけだけど、目の前の状況はまさに「匂い立つ」って感じ。

古来多くの絵描きや彫刻家が魅了されてきた。

やっぱり、どう考えても最高のモチーフだと思う。

とにかく、人はやりたいことをやるべきだ。本当にやりたいことだ。もちろん、自己完結の範囲内。やりたいことと言っても、人を殺したいなどというのは最低。あの女性とハグしたい、

などというのもダメ。自己完結でなければならない。絵を描くというのは、とても理想的な「やりたいこと」かも。ま、絵具が臭かったり、汚したり、いろいろご迷惑がかかる。

いろいろ問題はあるが、死ぬまでの人生、一度の人生、本当にやりたいことをやるべきだ。そういう意味で裸婦のクロッキー会は最高の自己まっとう行為。じゃあ、「毎日やれよ」とい

うかもしれない。若いころは本当に毎日描いていた。でも、この歳だとローテーションが必要。月2回でも精一杯。風景や静物、花も描きたいしね。けっこうギリギリいっぱいいっぱい頑

張っていると思う。

 

20年1月4日

謹賀新年。今年もよろしくお願いいたします。

3日付のブログのテーマは『足るを知る』だった。ここには『欲している』を書く。

これも何度も言っているが、アテネに行きたい。パルテノン神殿に行きたい。ナポリの美術館で《シヌエッサのアフロディーテ》が見たい。スコットランド国立立美術館でティツィアー

ノ(1488/90~1576)の《ディアナとアクタイオン》が見たい。45年前に見たけど、もう一度見たいのはラファエロの《アテネの学堂》のカルトン(下絵)。ミラノにある。ミラノと言え

ばミケランジェロ(1475~1564)の《ロンダニーニのピエタ》もあるしレオナルド(1452~1519)の《最後の晩餐》もある。

台湾の故宮博物院にも行きたい。これは不可能じゃないかも。行けるかもしれない。

画集で欲しいのは『牧谿』(講談社・水墨美術体系)。普及版は持っているが、大判が欲しい。

サザンの『Suika』の中古CDも欲しいけど、『Suika』には『TSUNAMI』も『Hotel Pacific』も入っていない 。最近、現実に車で聴いているのはヴィヴァルディの『四季』ばかりだけどね。

ま、だいたいそんなところか。

アテネやナポリはまず無理。でも、去年、現実にカナダへ行ったのだから、まったく無理でないかもしれない。14時間のエコノミークラスはあまりにも辛いけどね。まだ我慢できるか?

ああ、《シヌエッサのアフロディーテ》かぁ〜〜。死ぬまでに本物を見たいよね。見なくても飢えて死ぬわけじゃないか。致し方ないか。

《シヌエッサのアフロディーテ》は古代ギリシア彫刻。澤柳大五郎は紀元前4世紀の傑作という。ほぼ完全ヌード。紀元前4世紀の古代ギリシア美術盛期に完全ヌードのアフロディーテは

ないとの説が有力。私にはどうでもいい。あの彫刻が見たい。どうしてだろう。女性の裸だからか? 全然ちがう。女性の裸を見た誰か古代彫刻家の「ああ、綺麗だなぁ」という思いが

見たいのだ。もちろんそれは美術的技巧によって大理石から彫り出された。でも技巧が見たいわけじゃない。彫刻家の創作の情熱に現物で同意したいだけだ。シンパシーかエンパシーか。

 

19年12月28日

原田マハは『モネのあしあと』(幻冬舎新書)のなかで、若いころは「印象派の作品を(中略)、ちょっと斜(はす)に構えて、あえて自分から遠ざけていました」(p14)と書いている。

で、どんな絵に近づいていたかというと、「ルソー(1844〜1910)やピカソ(1881〜1973)、そして20世紀の現代アートの方に関心が向き、若気の至りとでもいいますか、コンテンポラ

リーな作品でなければ『格好悪い』と思っていました」(p14)と告白している。きっと正直な気持ちなのではないか。文章は正直に書かないと世間に受け入れてもらえない、と思う。

しかし、絵描きから言わせていただけば「そんなアホな」と言いたくなる。必死こいて描いた絵を「斜に構え」たり「若気の至り」、「格好悪い」などというどうでもいい判断基準で評

価して欲しくない。本当にいいと思うものをいいと言って欲しい。当たり前過ぎる。

一般的に見て、「前衛」とか「美術革命」みたいな事象に目が行って、絵画の本質から遠のいているように思う。NHKなんて、なんであんなに「現代アート」に肩入れするんだろう、と不

思議に思う。ほとんど不公平ではないか。もっと絵画の本質を見すえて欲しい。それはここ2〜3日ブログで述べている「時空を超えてシンクロする筆の喜び」である。

ま、これもブログで述べたが、私自身の絵が古典絵画とシンクロしているとは思っていない。方向性としてはシンクロしたいけどね。

何度も言うが、いくら新しがってもわれわれ現生人類は5万年の繋がりがある。生理機能が同じなんだから衣食住の基本は変わらない。欲望も希望も絶望も似たようなものなのだ。海に行

けば気持ちいいと思う。江戸時代でも奈良時代でも現代でも、それは同じ。

絵だってそんなに変わるわけがない。現に私は何万年も昔の洞窟壁画に感嘆したし(45年前に実物を見た!)、2500年前の古代ギリシアの彫刻は最高の人体表現だと思っている(いまだ

にアテネには行ったことがないけど、大英博物館やルーブルには行った)。

造形の本質からブレないで欲しい。基本こっちは本気で真剣に描いている。

 

19年12月21日

先週の続きだけど、牧谿(1280頃活躍)などが描き残した中国宋元の水墨画には奥深い思想が潜んでいる気配がある。しかし、そんなのわからない。考えても無駄。境地がちがうし、た

ぶん修行への覚悟がちがう。

われわれのレベルは喜びをもって筆を揮うこと。たくさん描くこと。描き続けること。これだけで十分だと思う。でもこれだけでも並大抵のことではない。私の場合は図々しいバカだか

ら運よく続けられた。そのせいで、貧乏ジジイに成り下がっている。致し方ない。

で、宋元の水墨画だけど、いくら見ても見飽きない。そういう世界があるだけでも楽しい。そりゃ、ヨーロッパ美術だってムチャクチャ楽しい。古代ギリシア彫刻もわくわくする。みん

な人間が創ったのだ。

そういうクラシック美術と自分自身の絵は、とりあえず無関係。ま、同じ現生人類の作業なのだから、求めるところは変わらないのかもしれない。達成レベルがちがうのだろう。でも同

じ方向だけは向いていたい。トンチンカンな絵が多すぎるものね。絵が才能だと思い込んでいる輩はウヨウヨいる。気持ち悪い。きっとクラシック美術を見ていないのだ。いやいやもち

ろん牧谿やレオナルドには有り余るほどの才能があったと思う。でもそんなこと悩んでもどうしようもない。日本人はシャッチョコ立ちしてもヨーロッパ人にも中国人にもなれない。出

来る範囲で精一杯やるしかないのだ。同じ方向で頑張るしかないのだ。とにかく10万枚描いてみようよ、ということ。70歳寸前で5万枚じゃあ間に合いそうもないけど、ま、方向としてやっ

てみる価値はある。70歳寸前5万枚だって滅多にいない希少ジジイだと思う。

ああ、それにしても100号が描きたい。残りの5万枚は全部100号にしたいぐらいだ。それは絶対無理。いくらイッキ描きでも100号の油彩画だと1枚に2時間ぐらいかかる。その前にキャン

バス代がないけどね。

 

19年12月14日

12日(木)の朝日新聞の朝刊に4万4千年前とされる洞窟壁画のニュースがあった。インドネシアの島で発見されたという。その絵は水牛を狩猟する模様を描いたらしい。2万年前とされる

フランスの壁画から更に2万4千年もさかのぼることになる。凄いスケールの話。約2千年前にイエスが生まれたのだ。万年レベルの話なら2千年前は「つい先ごろ」となってしまう。

それにしても洞窟壁画って素晴らしい。どうしてあんなに躍動しているんだろうか?  線描に絵を描く喜びが満ち溢れている。4万4千年前も2万年前も同じような線描の喜びがある。

私はこれが絵画の本質だと考えている。

私自身、絵を描いているとき、とても楽しくなる瞬間がある。最高の喜びかも。これはまったく個人的な歓喜だ。自己完結している。そういう意味でも罪がない。

中学のころ、「人生をまっとうしろ」と教えてもらった。どういう意味だろう? 「本当にやりたいことをやり通す」という意味だと勝手に思い込んで55年間そうやって生きてきた。釣

りもやったしパチンコもやった。鉄道模型も作った。ほんの一時期だけど、酒もけっこう飲んだ。タバコをふかしたこともある。スポーツだと水泳か? これは今でも続いている。でも、

一番楽しいのって絵を描くことだと思う。今でも描いていて「ああ、楽しいぃっ」と感じる瞬間がある。とても短い。ほとんどは苦闘。苦闘のなかに喜びがある。その核みたいな感じが

何万年も昔から続く現生人類の描く喜びなのではないか。ここが絵画の本質なのではないか。幼児の絵にははっきりそういう喜びが見える。

どんな絵でも喜びがなければ価値はない、と思う。ここ数年、特に強くそう主張してきたかも。『西洋絵画鑑賞ガイド』も『アルジャントゥイユの夜明け』も同じ主張である。

19世紀フランスアカデミズムの絵は人を驚かせるには十分の技量を見せている。しかし、筆触の喜びという点でモネやルノワールに遠く及ばない。もちろんドガもそれを知っていた。

そういう見方で千年前の東洋の水墨画を見たら同じなのか? 禅の水墨画にはもっと深くて厳しい何か別の主張があるのだろうか?

 

19年12月7日

秋の景色の中にいると色彩のことを考えてしまう。

「秋の夕日に照る山紅葉、濃いも薄いも数ある中に、松を彩る楓や蔦は山の模様の裾もよう」(童謡・「もみじ」)と子供のころ歌ったが、この歌って、本当に秋の景色をよく謳ってい

るよね。この歳になって初めて知る。「松を彩る」と、緑色も歌のなかにちゃんと入っている。続く2番もいいけど、You Tubeで聴いてください。とってものんびりしている。

ブログでも述べたが、ドガの言葉「完全にモノクロームで描け。それから、ほんのちょっと色を置く。ここに一筆、そこに一筆と。ほんの些細なものと見えても、人には生気が感じられ

る」は実に参考になる。しかし、「モノクロームで描け」って、これがどれほど難しいか。そう言えば、このホームパージの『絵の話』に「色彩のちから」と「絶対色感」も書いたのだ

った(読み直すと激しいね。若かったから仕方ない)。また、「墨に五彩あり」という言葉もあり、まったく牧谿の《煙寺晩鐘》など間違いなく墨だけで描いてあるのだが豊かな色彩を

感じる。本当に感じる。

やっぱり絵はデッサンなのか? ……デッサンだと思う。鉛筆でリンゴを描く、これが絵画の基本だ。若いころはこればかりやっていればいいとさえ思う。色彩を絶賛したい《源氏物語

絵巻》や《伴大納言絵詞》だって、素晴らしい線描なのだ。《源氏物語絵巻》の庭の草の描写なんて本当に中国の水墨画の石蘭図を想わせる。そうとうの線の鍛練を重ねた感じが伝わる。

この秋から冬への景色は透き通った澄んだ空気が大切。これをまず味わいたい。いつも見なれている景色なのにこんなにでっかい空間だっけ? と目を凝らしてしまう。そのなかに紅葉

が光る。午後の短い瞬間。3時半から4時半まで。この時間帯に10枚描きたい。

ああ、キャンバスがないのだ、ったぁ〜〜〜。そろそろ1月8日のクロッキー会も近づいてきた。ああ、キャンバスを用意しなくては。まだモデル斡旋所にも電話していなかったぁ〜〜。

いろいろ忙しいね。

 

19年11月30日

裸婦のクロッキー会がお休みになって丸々2か月になる。こうなってくると、裸婦が描きたいとも思わない。昔の絵描きはけっこう同じポーズを繰り返し描いている。私も裸婦を何万枚も

描いてきたけど、「これが菊地の裸婦だ!」と言える絵は100ぐらいだと思う。そういう絵を厳選して、それを想いながら実物のモデルを見ないで描いてみるのも面白いかもしれない。

100号はいつもそうやって描いてきた。新しい菊地スタイルの裸婦が出来るかも。

どうでもいいけどとにかく手を動かしていないととてもヤバい。偉そうなことを言っても絵描きなんて手職人なんだから手が動かなくなったら終わりなのだ。

昨日も録画しておいたNHK『日曜美術館』を見た。佐竹本三十六歌仙絵巻の話。今は切断されているから絵巻じゃないけどね。見るほうは見やすい。京都国立美術館に31枚そろったという

話。京都じゃ行けないけど壮観だね。

誰が描いたか、という話はなかった。

明治のフェノロサは東洋美術のランキングをつけ、中国人画家が多いなか日本人画家を二人選んでいる。信実(のぶざね)と雪舟だ。もちろん雪舟は超有名だから誰でも知っているが、

たいていは「信実って誰?」ってなる。信実は藤原信実(1156〜1266? あの時代に90歳??? すごっ)で鎌倉前期に活躍した絵師だ。《源氏物語絵巻》の作者だと比定したいたのだ

ろうか。最近は研究が進んで、信実の父が《源頼朝》を描いた藤原隆信で、その父親か、藤原隆能(たかよし)という画人がいる。江戸時代にはこの隆能が《源氏物語絵巻》の作者と思

われていたらしい。絵巻の研究者で秋山光和(てるかず1918〜2009)という人がいる。凄い情熱の学者さんだ。

で、佐竹本三十六歌仙だけど、これはとても有名。もちろん魅力的な絵ばかりだ。ところがもっといいかどうか、少なくとも同レベルの三十六歌仙絵がある。上畳本(あげたたみぼん)

の三十六歌仙だ。こういうのを描いたのが信実との説。フェノロサもそれを知っていたのかも。

 

19年11月23日

近所の公園の秋景色がとても綺麗になっている。誰かが両手で四角い枠を作って構図を取っていた。多分絵を描く人ではない。写真を撮ろうとしているのだと思う。ま、写真なら後で自

由にトリミングできるはずだが、やっぱり現場のトリムは楽しい。

「ああ、綺麗だなぁ〜」と思って写真に撮りたくなったのだろう。

この「ああ、綺麗だなぁ〜」という気持ちは絵描きも写真家もきっと同じ。

絵描きは次に絵にしようとする。これがなかなか思うように行かない。私みたく何万枚も描いていると、上手くゆかないのは大前提。上手くゆくわけがない。描こうと思った絵と出来上

がった絵はベツモノなのだ。ここの諦めが肝心。

「ああ、綺麗だなぁ〜」という気持ちはとても大事だが、それはキッカケに過ぎない。絵を描く行為に入ってしまえば、目の前の景色なんてどうでもいい。ただ絵具との格闘だ。で、ほ

とんど上手くゆかない。

でも、10枚に一枚とか、100枚に一枚ぐらいは面白い絵に出会う。そう、出会う感じ。自分で描いたのに天からの授かりものみたいな感じになってしまう。

私は絵とはそういうものだと思っている。

だからたくさん描かないとマシなものはできない。絶対にダメ。たくさん描かなければ始まらない、のだ。

レオナルド(1452~1519)は寡作だと言われるが、それは油彩画の枚数。いっぽうデッサンの分量はハンパない。ものすごい量のデッサンを描いている。素晴らしい線描を残している。そ

のペンのスピードは抜き手も見せぬ早業。レオナルドは寡作で遅筆という説は間違ってはいないが、必ずしも正しくはない。で、われわれは油彩画で直接デッサンをしているだけのこと

だ。

 

19年11月16日

これだけ印刷術が進歩して絵画が廃れるはずもない。このインターネットだってフルカラーのビジュアルメディアだ。固定画面に向いている。

昔の偉大な画家たちも版画などで自分の作品を広めた。

近代以降現在にいたるまで、雑誌の表紙などで活躍した画家は少なくない。そういう何千、何万というコピーによって画家の名声は高まるし、報酬も入るから、直近の経済的な問題もあ

る程度は解決するわけだ。

一枚ずつ絵を買ってもらっている画家なんて生活できるわけがない。

なんとかしてこの目覚ましく進歩しているカラー印刷技術を駆使できないものか?

私の父が個展をやっていた50年ぐらい前は、DMを作るのに100枚程度でも10万円ぐらいかかったのだ。決死の覚悟でDMを作った。個展の開催も一大勝負だったわけだ。

私が銀座で個展をやったのは約25年前、バブル崩壊寸前だったが、DM代は1万円ぐらいで済んでいる。銀座の一等地だったので会場費は50万円近かった。私としては命懸けの大勝負だった。

「銀座で個展」は絵描きの一つの目安だが、これからはそういう時代じゃない気もする。

オシャレな感覚を持っていないと雑誌の表紙にも採用されない。昔の絵描きは雑誌の表紙とともに新聞小説の挿絵も出世の大きな一歩になった。

しかし、美術界の目は厳しく「挿絵画家」などと一段低い扱いも受ける。でも食えないと生きていられないんだよね。

まったく、私の父たちの30歳代は敗戦後の最悪のとき。よく絵を描き続けたよ。立派というしかない。その後、高度経済成長のなか絵画ブームなどもあったけどね。

このカラー印刷革命とも言える現代、なんとかうまい方法はないものかねぇ???

 

19年11月9日

新聞4コマ漫画を毎日ひねり出さなければならない漫画家の創作の苦しみはハンパない、みたいなことが新聞に書いてあった。また、わが愛読書『居眠り磐音』(佐伯泰英・双葉文庫)の

執筆も凄く大変みたいだ。ま、全50巻ともなれば簡単なわけがない。私もまだ33巻目。32巻で一休みしてヨーロッパに家族旅行をしたとあった。その前にも『居眠り磐音 江戸双紙 読

本』という巻を出すことで、出版社が筆者にお休みをあげたみたいだ。少年マンガの鳥山明も『ドラゴンボール』で精根尽き果てた感じ。そう考えると手塚治虫はモンスターのように執

筆した。晩年の『シュマリ』など驚くべきエネルギーを感じる。湯水のようにアイデアが浮かんだのかも。

私の油絵もとても危うくなっている。裸婦のアトリエが取れない事情もある。ロールキャンバスがなくなってしまっている。金ももちろんないが、家内が買ってもいいと言ってくれたか

ら近日中に買う。もちろんベルギーのクレサンキャンバスだ。荒目双糸29番。かなり上質なキャンバスだと思う。いま販売されている荒目の最高級品ではないか。でもこればかりは妥協

できないんだよね。もっとも、7年前のフランスではキャンバスが足りなくなりフランス製の安物に描いた。致し方なかった。絵の具はブロックスなど同じレベルで描いた。

私がバラ園に行く回数も減っている。一時期の熱狂的なバラ園通いはない。バラ園近くの室内プールが1年間の改修休業中ということもある。以前はマンション勤務の遅番なら早朝に起き

出して描きに行ったものだ。バラへの情熱も薄らいでしまったか? いやいやさっき見た近所の老人ホームのバラに「秋バラも立派だなぁ〜」と感嘆したばかり。まだ立木のバラへの情

熱は消えていない。

だいたい私の絵には締め切りがあるわけではない。ただ、芙蓉とかバラはボヤッとしていると時期を逃してしまう。そういう意味では追われている。裸婦のクロッキー会だとキャンバス

張りと地塗りに追われる。ここ3か月アトリエが取れなくて楽させてもらった。

私の絵は「描きたいものを描く」「本当に心の底から描きたいものを描く」というスタイルだから意欲が消えることはない、はず。また描き方も自由。つまり「描きたいように描く」わ

けだからまったく気が楽だ。言ってみれば、世の思潮に関係ない。牧谿を慕い、ティツィアーノを想って描いているだけ。抽象とか具象などもどうでもいい。描きたいように描く。ま、

本人の意識は具象だけどね。

それにしても、締め切りもなく描きまくったゴッホ(1853~1890)はやっぱり偉大かも。

 

19年11月2日

僧侶か専門画家かの話では、可翁(?〜1345)が誰か、という問題もある。最近では可翁は専門画家だという説が有力になってきているらしい。私は僧侶説を推している。とは言っても私

のは絵を見ての直感だけ。文献を読み込んでいるわけではない。私にはそんな能力はまったくない。

可翁の画像はこのホームページの下にリンクしてある『絵の話』の『画像つき絵の話』『牧谿「濡れ雀」━水墨画の世界5━』にアップしてあるが、とても小さい。

可翁が僧侶だとすると、可翁宗然という偉いお坊さんになる。臨済宗の禅僧だ。この人が絵を描いたという記録はない。しかし、1320年に中国(元)に渡っている。1320年と言えばまだ

牧谿(1280頃活躍)が生存していた可能性すらある。生々しい牧谿が水墨の筆跡もみずみずしく中国水墨画界に君臨していた、はず。ま、けっこう地味かもしれないけどね。とにかく可

翁宗然が牧谿を見ていないはずもない。

で、可翁の絵だけど、どれもこれも牧谿そっくり。模写と言ってもいいぐらい。全体的には牧谿より下手だけどじゅうぶん魅力的な絵になっている。とにかく、可翁宗然は牧谿と同じ臨

済宗の坊さんで1320年に中国にいた。可翁宗然は中本明峰にも参禅しているが、中本明峰は牧谿(1280頃活躍)の法系にいる。牧谿の兄弟弟子の弟子の弟子だ。大元の師は無準師範(む

じゅんしぱん)。牧谿の兄弟弟子(無準の弟子)には無学祖元や兀庵普寧(ごったんふねい)もいて、日本人僧の円爾(1202〜1280)も無準の弟子だった。臨済宗にも魅力的な禅僧がゴ

ロゴロいる、のだ。

そしてなんと言っても残っている絵を見れば一目瞭然。牧谿に私淑していたことは明らか。私は可翁が可翁宗然である可能性は消しきれない、どころか、ムチャクチャ当たっている、と

いうか、それ以外考えられないっしょ。

なにが専門画家だよ。バァ〜カ。(わたくし元々下町のクソガキです)

牧谿の絵は「余分な哲学や精神性などくっつける必要のない」とか「そろそろ、精神性とか、禅とか難しいことを言うのはやめて……」などと言っている美術史家もいるが、絵を描いて

いるのは間違えなく人間であり、その人間がどんな人であるかは物凄く重大な要素だと思う。「絵そのもの」っていうけど、「絵そのもの」って何なのかお訊きしたい。インチキ絵画教

に狂っているのだろうか? 素晴らしい美術の後ろには必ず素晴らしい人間がいて、ちゃんとした立派な宗教があるのだ。当たり前過ぎる美術史上の事実なのである。

 

19年10月26日

読売新聞に毎日詩歌コラム「四季」が連載されている。万葉集から現代短歌まであらゆる詩歌が登場する。ああやってランダムに歌が出てくると、万葉集の和歌はとても素朴。なんか惹

かれるんだよね。特によみ人知らずの歌は素晴らしい。ホント名前なんて要らない。絵でも同じ。いい絵があれば誰が描いたっていいわけだ。ルーブル美術館の《アビニヨンのピエタ》

とか、日本の絵だったら江戸初期の肉筆風俗画とか、もっと古い《那智の滝図》など作者不明の名画はいっぱいある。当たり前だけど、太古の洞窟壁画の画家の名前も不明。

絵描きは名を売る必要なんかない。いい絵だけ描いていればいいのだ。とは言ってもそれじゃあ生きて行けないんだよね。そこが渡世人の辛いところだ。

でも、いい絵にいつも標準を当てて生きていないとつい迷ってしまう。油断大敵だ。

少し前に東テレの『なんでも鑑定団』に河合玉堂(1873~1957)の山水図が出た。すぐ本物とわかった。絵が透き通っていた。しかし、軽くてつまらない絵。ムチャクチャ巧いけどね。あ

れじゃあダメだ。

松尾芭蕉も『笈の小文』の冒頭で言っている。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」

大切なのは新しさではない。太古の昔から変わらない創作者の情熱である。

『笈の小文』では上記引用文のあと、雄大なる自然に従えと言っている。まっこと同意できる。この冒頭部分も若いころは丸暗記していたけどね。今じゃネットですぐ読めちゃう。ネッ

トって人を怠惰にするよね。

日本文化はインチキじゃない仏の教えをきっちり守っているように思う。何度も言うけど雪舟は禅僧である。専門絵師ではない。大切なのは技巧ではなく心意気なんだよね。心意気と言っ

ても命を懸けた生涯の行いだ。精神主義じゃない。

 

19年10月19日

スピードとタイミング。

相撲もバレーボールもサッカーもラグビーも、どれもこれもスピードとタイミングだよね。『居眠り磐音』のチャンバラシーンだってスピードとタイミングだ。『ドクターX』の大門未知

子の手術の手際も同じ。

私は絵もスピードとタイミングだと考えている。もちろんそのためには修練が必要。それはすべて同じ。ずっと昔から同じだ。全世界共通。

いま出光美術館でやっている『名勝八景』展のメイン出展作《山市晴嵐図》は玉澗(宋末元初)の傑作。スピードとタイミングの粋だと思う。それで画面が透き通って見える。最高に憧

れる筆さばきだ。

私は新しいことをやろうと思っているわけじゃない。古くて月並み。でもなかなか傑作はできない。絵の場合は何十年もかかる。実際に描く時間は数分でもそのスキルを修得するには何

十年も描き続けていなければならない。そんなアホは滅多にいない。

そりゃ、始めるのに早いに越したことはない。昔の画家は10歳から始めている。私だって公表17歳だ。本気の本気になったのは27歳ごろか? それからずっと何十年。でも、80歳から始

めたっていいと思う。年齢は数字に過ぎない。始める歳なんて関係ない。

ただ、絵はスピードとタイミングだという流派があるということは確か。大昔からあり世界規模で時期は多少違うけど多発的に存在していた。私はそれを「イッキ描き」と命名しただけ

だ。

油絵具はもともと絵が透き通って見える画材。使い方で抜群の効果を生む。

絵を描くか描かないかは別にして、このことを理解している人はほとんどいないんじゃないか? 長谷川利行(1891~1940)はよく理解していて作品にも残しているところがムチャクチャ

偉大だ。中村彝(1887~1924)の傑作も本当に透き通っている。何度も見たくなる。

われわれ凡人の場合、そういう絵って切羽詰って追い込まれないと描けない、かも。理屈や才能じゃないんだよね。十分スキルを積んでいてそれがギリギリまで追い込まれる、みたいな? 

 

19年10月12日

図書館の本には栞(しおり)がない。だから、チラシの端っこをちぎって栞がわりにしていた。ずっとそんなやり方だった。ある日突然、美術館でもらうパンフレットを切り取る方法を

思いついた。昔の人の絵を栞にするわけだ。ティツィアーノ(1488/90〜1576)の《受胎告知》は長く使った。でも栞って消耗品なんだよね。私みたく遅読の人間だと特に消耗が激しい。

ボロボロになっちゃう。ティツィアーノの次は仙香i1750〜1837)。仙高烽「っぱい使った。でも、使い切ってしまう。で、今度は山と積んである自分の絵のパンフレットを切り取って

使う方法を思いついた。これならたくさんあるから当分持つ。

栞って何度も繰り返し見る。DMやパンフレットは1回ざっと見て終わりだが、栞は小さな図版ながらしょっちゅう見返すことになる。栞とは長いお付き合い。

自分の絵でも、何度も見ていて「この絵って悪くないじゃん」と思ってしまった。

それで、多くのみなさまにわが自家製栞を使っていただこう、という考えが浮かんだ。

いやいや、まさか栞を見て私の絵を購入しようという人はいないだろう。そんな野心はない。しかし、マイナス効果にはならない、はず。自分で使っていても、悪い気はしなかった。自

分だからかもしれないけど、けっこう一般的にも受けるかもしれない。受けたと言ってもそれで大画家になれるわけじゃないし、文化勲章をもらおうなどとも思っていない。

マクドナルド効果? みたいな遠大な計画だ。マクドナルドのハンバーガーは子供のころに食べると、その刷り込みで大人になっても食べたくなるらしい。そういう何十年にわたる大き

な効果を狙っているのがマクドナルドハンバーガー、という話を聴いたことがある。

栞作戦は自分の絵が広く世間に浸透する方法かもしれない。ミレー(1814〜1875)の《晩鐘》みたく誰でも子供のころ学校で見た絵、みたいな。

釣りで言えば撒き餌みたいなもの?

で、いっぽう真逆のこともやっている。キンドルに自分の小説を載せる計画だ。キンドルなら電子書籍なんだから栞は要らない(だから真逆)。現在鋭意調査検討中。その前に、小説の

原稿も書き直している段階だけどね。ま、トランプやプールの暇はないはず。しかし、人間、体調管理は絶対。また頭の冴えた状態を作っておかないと絵も描けないし小説も書けない。

それは70年の人生経験で知っている。もっとも私の場合は調整しすぎの傾向がある。早い話が怠け者かも。ゴメン。

どうもキンドルの専用機はモノクロ画面らしい。なんかがっくりくるんだよね。わが絵画小説にはカラーじゃないととても不利だ。

 

中尾さんが新しく私の絵のページ「菊地理作品専用サイト」を作ってくれたので、リンクを張った。ご一見ください。

 

19年10月5日

油絵は時間がかかると思い込んでいる方がとても多い。

つい5日ぐらい前も女優の松岡茉優がレンブラント(1606〜1669)を紹介していたが、レンブラントの絵は時間がかかるという大前提のものとに話をしていた。

個展会場においでのみなさまも大多数の方々は「油絵は時間をかけて描くもの」と思い込んでいらっしゃる。私の絵の制作時間は30分でも長いほう。ほとんど5分とか10分だ。

「油絵は時間がかかる」という固定観念を打破するのは簡単なことではない。

油絵を重ね描きすると、一般的にはボテボテのピントのずれたボケた絵になる。色もとても濁る。生乾きの重ね塗りは厳禁。ひび割れの原因となる。

木炭デッサンの練習が油彩画技法の基本だということを多くの人は知っているはず。

木炭デッサンを消すのにパンを使うことはけっこう知られている。40年も昔には瓶のコカコーラを飲みながらパンで消したり食べたり。木炭デッサンは肩がこるので、空の瓶で肩をたた

く。木炭は油絵のように自由に消せるし、大きな面で塗ることもできる。石膏デッサン紙は普通15号(65.2×53.0p)ぐらいの大きさで1枚仕上げるのに8時間かかる。しかし、これも巧

くなるとどんどん速くなる。

個展会場で「この絵が完成するにはどれぐらいかかりますか?」とよく訊かれるが、これが一番困る。私の油絵は筆を置いてから仕上がるまでに5分とか10分なのだ。それがイッキ描きの

売りでもある。

しかし、地塗り段階から考えると、とても5分では無理。地塗りが乾くのに1週間かかる。また、私はバラ園などに行けば3時間は絵を描いている。20号とか15号から始めてSM(22.7×15.8

p)まで5〜7枚ぐらい描く。そのなかから絵を選んでいるわけだから、その絵自体は5分で仕上がっても他のボツになった多くの絵もその飾られている絵の犠牲になっているわけだ。その

前後の時間も制作時間に入るのか?

いい絵の要素には冴えとかキレなどはとても重要。そういうのは画家がコントロールできる領域ではない。ロートレック(1864〜1901)の絵なんて冴えとキレの連続だ。

そこのところを一般方にご理解いただくのは至難の業だ。はっきりって無理、かも。

 

中尾さんが新しく私の絵のページ「菊地理作品専用サイト」を作ってくれたので、リンクを張った。ご一見ください。

 

 

 

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