唇 寒(しんかん)集46<14/11/1〜15/3/28>

 

15年3月28日

個展が始まって1週間。いい話はない。面白い話はいっぱいあるけど、このホームページも一応全世界に公開しているわけだから、詳しくは書けない。残

念です。

モクレンはあちこちで咲いている。来年は大丈夫。いろいろチェックしておいた。だから金井画廊に飾られるのは再来年になる。金井さんが私を見捨てな

ければの話だ。どうも、モクレンにもいろいろな種類があるらしい。全然調べていないけど。大木もあるし、庭先で小ぢんまりと咲いているのもある。た

だ剪定しているだけか。

桜もけっこう咲き出してしまった。これは忙しい。油絵はキャンバス張りや地塗りが必要だから、金井展が終わったらすぐに絵具だらけにならなければな

らない。休めないねぇ〜〜。

大自然は休んでないから、私も休めない。

私の絵は印象派みたいだというけど、実際には大違い。印象派は細密描写とも言えるほど、すみずみまで描いてある。同時代のフランスアカデミズムに対

抗するにはイッキ描きでは無理だ。ま、ロートレックはイッキ描きでガンガン描いたけどね。貴公子だもの。ルノワールみたく貧乏くさくない。

印象派が自然主義だというのは納得できる。で、私も確かに自然主義だ。いやいや、ちゃんとした自然主義の定義は知らないけど、外に出て自然を見なが

ら描いていれば自然主義か? 自然主義だろが!

ま、なに主義でもいいけどね。

ルノワールをはじめ、印象派はだいたいみなさん尊敬している。

ドガとか自然主義とも思えない節もある。

実際、私は古い中国や日本の水墨画をとても尊敬している。画材や描き方は全然ちがうけど、絵を描くという行為だけは同じだ。平面に空間を描くという

気持ちもそれほど変わらないと思う。

今日個展に来たお客様が「この絵って、昭和だね。いや大正か? う〜ん、明治かな?」だんだん古くなって行った。

 

15年3月21日

19日(金)勤務先のマンションの中庭の白いモクレンが凄いことになっていた。満開である。モクレンなど満開より少し前の5分とか7分咲きがよいという

話もあるけど、もちろんそれも清楚で美しかったけど、満開は凄いね。狂ったように美しい。モクレンも桜と一緒で葉っぱより先に花が咲く。ひょろひょ

ろした黒っぽい枝の先のほうに重なり合って咲き狂う。地面には少し花びらも落ちている。妖艶とも言えるけど健康な感じが強い。なんか性的だけどとて

も健全な感じ。

もちろん、制作意欲ムンムンである。

ところが、モクレンの絵が上手く行ったためしがない。いやいや鉛筆で克明に描いてみたりもしたけど、実際桜やバラ、わが家の酔芙蓉も鉛筆の習作はや

っている。イッキ描きの私だって花には泣かされているのだ。なかなか描けないもの。絵になってくれないんだよね。

で、本日より東京の京橋で私の個展が始まる。今この文章を描いているのは前日の朝だ。目の前に隣の家のツバキが咲き誇っている。白とピンクの斑模様。

これも毎年凄い。まだ1回も描いていない。

モクレンを、最近始めたムチャクチャ描きでやっつけたい。まさか勤務先では描けないから、東雲寺にでも行くか。あそこはちょっと山なので開花が少し

遅い。

ほんと、この時期の個展は困るよ。百花繚乱だものね。早起きして描きまくってから会場に出勤という手もあるけど、絵具だらけの指先はお客様に失礼な

ような気もする。というか、そんなに気力、体力が持つのか? 無理だべ。

その前にYou Tubeとかやることがいっぱいある。昨日の夜列記したら10項目にもなってしまった。金魚の水槽掃除と床屋、風呂掃除は必須だ。ああ、筆洗

い。キャンバス張りと地塗り。でも、あたしゃ、絵描きだからね。絵を描かない手はないよ。制作意欲ムンムンなんだから。

金魚が死んじゃっても困るしね。いちおうわが家の唯一のペットだし。

今は夜。今日はけっこう頑張った。薬師池公園に梅も見に行った。そしたら、カワセミがいた。風呂の掃除などもやった。You Tubeはなかなか難しい。最

低限の金魚の水槽掃除もやった。床屋も行った。筆洗いもした。合格だと思う。

 

15年3月14日

『雪村周継』(赤澤英二・ミネルヴァ書房)では、もちろん雪村は偉大な画家という扱いだ。当り前である。私だって偉大だと思っている。そうじゃなきゃ、

こんなめんどくさい本は読まない。

だけど、たとえば、玉澗を雪村が模写した『瀟湘八景図』を「濃墨にリズム感と瑞々しさがある」と讃え、「モーツァルトが奏でる快音のリズム感」

(p116)と絶賛。私が玉澗と雪村を見比べたときは、「雪村、ヘタクソぉ〜〜」と感じ入ってしまったのに、まったく意見が合わない。

そりゃ、雪村の模写だって、そこらの現代水墨画より数百倍も魅力的だ。でも、玉澗は上手いもの。舟なんか一筆。確かに水の上に浮いている。その水面

の描写も素晴らしい。そのうちYou Tubeで比較したい。

玉澗と比べれば、雪村の模写(臨画というのか?)も下手だけど、雪村が少ないチャンスをものにして、玉澗を見られ、さらに模写が出来る喜びに満ち溢

れているのがひしひしと伝わってくる。下手でもなんでもいい。とにかくこの天啓のチャンスを逃すまい、という意欲で筆が踊っている。もしかしたら、

記憶で写したのかもしれない。それでも玉澗を見たその日のうちに描いたのだろう。そういう意味での瑞々しさはある。

雪村だけではない。雪舟だって中国の南宋絵画には平伏していた。そういう心からのオマージュが美しいのだ。なんのけれんみもない。張ったりもない。

一画工として、徒弟として、ただの画学生になりきって、先人の筆の跡を慕っている。

赤澤説では、雪村が玉澗を写したのは73歳ごろ。ほんと謙虚な爺さんだよ。

ルーベンスがティツィアーノを模写したのも50歳を過ぎてからだ。

ロクでもない絵を描いてふんぞり返っているどっかの国の大巨匠とは大違い。

謙虚でなければ本物ではない!

 

15年3月7日

横浜美術館のホイッスラー展で日本の浮世絵の素晴らしさを実感した。具体的には広重、北斎、鳥居清長の絵だった。浮世絵だから木版画だ。はっきりくっ

きり見える。ホイッスラーの油彩画に負けていない。むしろ油彩画のほうがボケていた。

いっぽう『近代日本画の人脈』には油絵の優位が何度も語られる。P120に「(前略)発色の強い油絵とくらべると、日本画の画面は見るからにひよわで貧

相なのは否定できなかった。(中略)日本画の主流をなしてきた狩野派の表現主義的な強い表現も、油絵の前では色あせて見えた」とあり、p186では、ヨー

ロッパに出かけた竹内栖鳳がコローの風景画を見て「(前略)画面全体に漂う詩情まで東洋の水墨画に似て、より強く深いと見惚れた。外国人画家が本気

で描いたこれらの風景画にくらべれば、日本の水墨画などまさしく余技のように思えてきて、愕然とした」とある。

私には水墨画も南画も浮世絵も、ヨーロッパの油彩画に負けていないと思う。自分が油彩画を使っているのに、東洋の画材は凄いと思っている。フェノロ

サもヨーロッパの油彩画を優位に思っていたというような記述だが、それならなぜ美術館が出来ちゃうほどたくさんの東洋画を蒐集したのだろうか? ど

うも怪しい。

フランスの印象派が日本の浮世絵を高評価したのは歴史的事実である。これは否定できない。私の高校のときの世界史の先生が、浮世絵が印象派に与えた

影響に疑問を呈していたが、私は高校時代からその先生の説に反対だった。印象派の画家が日本の浮世絵に驚いたのは歴然としている。

私はYou Tubeを使って、東洋画の素晴らしさをご覧いただきたいと考えている。でも、まずはヨーロッパ絵画をじっくり見て頂くということで、取りあえ

ずルネサンスから入った。長大な計画である。

で、本日もラファエロのYou Tubeを新たにアップした。

 

15年2月28日

やっとYou Tubeに2つの動画(と言ってもほとんど動かない)をアップできた。ちゃんとこのページの上にリンクした。これからもどんどんアップできる

(はず)。

今日明日にもラファエロをアップする予定だし、次のレオナルドも70%ぐらい準備が出来ている。その後が白紙だけど、漠然とティツィアーノかな、と考

えている。その後のルーベンスやレンブラントの構想もあり、画像などはけっこうたくさんコピー済みだ。

生没年や制作年代、絵の大きさなどを間違えないように気をつけるぐらいだけど、そういう基本的な間違えはとても多い。歳のせいではない。子供のころ

から間違えだらけ。でも「自分は間違えるクズ人間」ということはよく知っている。

こんなに間違えだらけだから絵描きなんだ。絵描きは多少間違えても、それが好結果を生むことも少なくない。間違えが新しい発見になることも多い。

事務の仕事は間違えると致命的。私にはとても無理。この前の等迦展のカタログもいくつか間違えてしまった。もちろんよく見直したのだけど、完璧な校

正は個人では不可能である。特に私の場合はまったく無理。

You Tubeの場合は間違えがわかったら削除して作りなおせば済む。

ま、世の中、間違えだらけだと思う。みんな図々しく生きているね。

原発事故は論外。それでまた再稼動しようというんだから、あいた口がふさがらない。私以上のメガトン級のノー天気だ。

ま、現実には現在日本の原発は1基も動いていない。けっこうまともかも。

入学試験の採点間違いも多い。ほんと人ひとりの人生を左右する間違えだ。いいのか?

災い転じて福となす、となることを祈る、しかないよね。

64歳にもなれば、高校入試とか大学受験なんて屁みたいなものだけど、当人にとっては一生の一大事だよ。自殺しちゃう人もいるんだから、間違えられな

いよ。しかし、間違えを想定していないシステム自体が間違えだよね。人は必ず間違えるもの。偉い人でもそこのところがわかっていないのかな?

2月27日、『ホイッスラー展』(横浜美術館)に行った。

 

15年2月21日

やっとYou Tubeで「レオナルドの2枚の『岩窟の聖母』を比べる」をアップ出来たけど、自分で自分の動画が検索できない。どこにアップしてあるのかわ

からない。当然、ここにもリンクできない。バカである。ゴメン。もう一度アップすると「これはすでにアップされています」と来ちゃう。「うん、うん。

確かにアップしたよね」。知ってるよ。自分がアップしたんだから。

悲しいよ。

2〜3日でなんとかなると思う。

次のYou Tubeは油彩画の『聖アンナと聖母子』とカルトンの『聖アンナ、聖母子と聖ヨハネ』を比べるで、三つ目がラファエロの『アテネの学堂』。4作

目(『モネとルノワール』からだと5作目)がレオナルドの『聖母子像』と進むはず。ここまでは金井展の前にアップしておきたい。ま、もっとも金井展

の私の絵とレオナルドやラファエロとどういう関係があるんだ、と言われると、ほとんど関係ないか、とも思われる。

ただ、レオナルドやラファエロを尊敬している人間が描いた絵です、ということか。もちろん、ほとんどの絵描きはレオナルドもラファエロも尊敬してい

ると思うけどね。ロクに見もしないで貶す輩もいる。アホだ。褒めるにしても貶すにしても、絵はとにかくよく見ないといけない。当り前である。

私もこのYou Tubeの企画のおかげで、ここ数カ月、毎日ルネサンスの代表作を見て暮らし、改めてその偉大さを痛感した。

それで、自分の絵が変わったか、というとほとんど影響ない。最近一番影響されたのはブリヂストン美術館の『デ・クーニング展』かもしれない。楽しか

ったのは同じ日に見た『東山御物展』だけどね。無自覚の影響はわからない。わかりっこない。

たった今影響されているのは中村屋サロン美術館で見た戸張孤雁の裸婦彫刻かな?

でも、裸婦が描きたいと熱烈に思うほどでもない。クロッキー会が休止して1か月以上経つけど、まだ大丈夫。禁断状態は始まっていない。

100号みたく自分のクロッキーを参照しながら50号とかで遊んでみるのも面白いかも。

もうすぐ終わっちゃう『ホイッスラー展』(横浜美術館)にもぎりぎり行く予定だ。

 

15年2月14日

どうしても『近代日本画の人脈』(田中穣・新潮社)はつまらない。話としてはとても面白いけど、登場する画家の絵に興味がないから全然進まない。1

日数ページという鈍いテンポ。のんびりしていてとてもいいけどね。読みたい本をじっくりゆっくり読める今の私の環境は超ハッピーかもしれない。

町田の美術館が3月から長期の休みに入るけど、町田の図書館は昨日から1か月間の休みに突入した。私は前日に重い石濤とカンディンスキーの画集をはじ

め、12月号だけど将棋世界も借りた(最新号は借りられない規則)。『雪村周継』(赤澤英二・ミネルヴァ書房)も借りた。

そうすると、やっぱりどうしても絵に惹かれている雪村を読んでしまう。

私は以前雪村が曹洞宗の禅僧と書いたが、臨済宗の禅僧だった。しかし、雪村は真言宗や曹洞宗などのお寺にも滞在したらしい。宗派を超えた禅僧だった

とのこと。

雪村というと奇想の画僧などと言われ、曽我蕭白とも共通項で括られそうだが、私は雪村の絵にはしっかりした空間意識があったと思う。蕭白の絵は凄い

迫力だけど空間意識に乏しいところがある。

ま、雪村は大量の絵を描いた。そこは岡倉天心とはちがう。そりゃ、そうだ。岡倉天心は絵なんて描いていない。画家ではないんだから当たり前である。

そうすると、もう根本的な絵画観がちがってくる。私の場合は美術という分野を否定しているのだから、話が合うはずがない。もう初めからまるっきり立

場がちがう。

それでも、明治期の美術界の権力争いは面白い。もっとも『近代日本画の人脈』では、天心は野心がなかったという視点。ただただ新しい日本画のために

頑張ったということになっている。多分そのとおりだと思う。

雪村や雪舟、牧谿も仏の教えが根本にあり、そのうえで絵を描いている。絵は二の次だ。天心の想いは、理想化された新しい日本画がまずある。そこに向

かって画家を育てようとした。私は「理想化された新しい日本画」というかさらに広めて「理想的な新しい絵画」なんてないと思う。妄想である。

人間がいて、苦しみながら生きる。これがまず根本である。絵なんてどうでもいい。そういう人間がたまたま絵を描くだけだ。この所業はホモサピエンス

が絶滅するまで続くと思う。斬新さなんていう評価はクソみたいなものだ。描く所業、その作業に価値がある。

 

15年2月7日

『近代日本画の人脈』(田中穣・新潮社)に「発色の強い油絵と比べると、日本画の画面は見るからにひよわで貧相なのは否定できなかった」(p120)と

ある。日本画が油彩画に比べ薄く感じられるのは岡倉天心自身よく知っていたらしい。

もっとも私は近代絵画の最高峰は西欧を含め富岡鉄斎だと思う。印象派にも負けていない。絵が薄かったり厚かったりするは、画材ではない。画力だ。鍛

錬だ。枚数である。

油絵だって、いくら厚く塗ってもヴァルール(色価)がでたらめなら、ぱさぱさに見えてしまう。見る人が見ないとなかなかわからないけどね。まったく

われわれは色価に苦労するのだ。でも、ちゃんと描いていれば色価は得られる。ちゃんと真剣にたくさん描けば目と腕が連動してくるものだ。たくさん描

くことなのだ。

アングルがドガに言ったとおり「絵を引きなさい、たくさんの線を」なのだ。

たくさんの絵を描くことは、季節にも関係ないし、たとえば美術館のアトリエが使えなくなってしまうことにも関係ない。どんな障害があろうと描くのだ。

寒くても暑くても描くのだ。描かないとティツィアーノの仲間にはなれない。鉄斎の後裔にはなれない。ティツィアーノも鉄斎も雪村もみんなホモサピエ

ンスだ。私と同じ人類だ。

私が絵を描くということは、とても危うい。いつ止めてしまうかわからない。強い気持ちでガンガン行かなくてはならない。マグロと同じ。泳いでいない

と死んでしまう。自転車と同じ。止まったら倒れる。

現役で生きているから、当てにならない。だけど、この世でたった今絵を描いているのは私自身。ティツィアーノもゴッホもみんな死んじゃっている。生

きているのはこっちだ。現世で描いているのは「俺だぁ〜〜〜!」。絶対的優位にいる。

危ういけど、かなり楽しい。

 

15年1月31日

1か月前の年末に年内に1本アップする(10本だっけ?)と豪語したYou Tubeは全然アップせずに1か月が過ぎようとしている。で、現在の状況は等迦展の

図録に困り果てている。いや、画像のレイアウトなどは終わっているけど、文字部分のフォトショップへの変換に難儀している。で、マンションの連勤も

始まってしまってい、お手上げ。

でも、ルネサンス絵画を毎日見ている。よく描けているね。われわれと同じ人間が描いたとも思えない。父はミケランジェロは宇宙人なんじゃないかと真

剣に悩んでいた。それぐらい信じがたい筆力なのだ。

前にも述べたけど、あの狭いフィレンツェという街で何が起きていたのだろう? とんでもない奇蹟が起きていた。遠い宇宙から見たら、あそこだけ不思

議な光で輝いていたかも。それはベニスだって凄いけど、フィレンツェは桁ちがいだ。ほぼ何もないところから、あのレオナルドが生まれたんだから不思

議というしかない。

それは、油絵という点について、ティツィアーノはナンバーワンだけど、レオナルドはルネサンスのリアリズムを開拓した。独特な絵画空間を生みだした。

なんか途轍もなくずば抜けた爺だったような気がする。いや、絵を見ていると、まったく改めて素晴らしいと感嘆してしまう。

絵画は瞬間的に感動できる。ほんとうに特殊な芸術だ。パッと見て凄いと思い、よーく見てさらに驚き、数年経って見直してまた感嘆できる。見るほうに

ほとんど苦痛がない。我慢しなくていい。パッと見るだけ。便利だよね。

私なんて爺だから数十年経って見直して、また驚嘆している。

 

15年1月24日

私が作るYou Tubeは最長3分と心得ている。慣れてきたら、毎朝1本作れるかも。

『古畑任三郎』の再放送を見ていると、最初に古畑役の田村正和が一人でいろいろしゃべる。上手いね。あんな風にしゃべりたいよ。

いま、アップしようとしているのはレオナルドだけど、次の次はラファエロの『アテネの学堂』をやる予定。で、その図版をA3にコピーして目の前に飾っ

てあるけど、いい絵だね。ラファエロが35〜36歳ぐらいのときの絵だ。ラファエロは37歳で死んじゃう。

横8mという巨大な絵。その構成が素晴らしい。群像絵画の規範である。渦巻の構図と三角構図が見事に融合している。でっかい空間が感じられる。もちろ

ん、一人一人の人物描写も見事。

ま、36歳とは言っても、現代の36歳とはだいぶ違う。少なくとも、私の36歳なんて、全然話にならない。ガキだ。ラファエロは20歳代から絵画工房の親方

だ。10歳ぐらいから大先生(=ペルジーノ)の工房で働きながら絵を学んでいる。36歳のときには大工房を持っていた。逆に言えば、ラファエロの大壁画

はほとんど工房の職人が描いたとも言える。もちろん、ラファエロ自身が手直ししているけど、フレスコ画なんて、油絵とちがうから、簡単に直せない気

もする。

ま、You Tubeではこの『アテネの学堂』の悪口を言うのだから、まことに不遜である。

それにしても、You Tubeは楽しい作業になるかも。この歳で、もう一回ルネサンス絵画をじっくり見直せる機会が来るとは思わなかった。これから、中国

水墨画や仏像なども取り上げる予定だから、私の今後の人生はとても楽しくなるだろう。未来は明るいね。

 

15年1月17日

やっぱり、You Tubeのような映像+音声は絵の説明にはもってこいだ。だって、視聴者は絵を見ていればいい。本やホームページみたく読まなくていい。

ま、ホームページには音声も入るらしいけどね。

You Tubeの問題点は画像が悪いこと。もちろん、原画からは程遠いけど、作ってある絵のプリントはけっこう見られるものだ。それが、ムービーカメラの

映像になると、ガクっと落ちる。ムービーカメラだからズームインとかもできるけど、自分でしゃべって自分でカメラの操作をすることは出来ない。定点

カメラでやるしかないのだ。

一人でやるところがYou Tubeのいいところでもあるし。

ま、昔の画集を見ると、カラーでも酷い印刷だから、それに比べればましかもしれない。拡大図版をいっぱい作って説明するしかないか。

図版はスーパーファインというエプソンの紙にコピーしているけど、けちけちしないで、どんどんコピーしないと、根がケチなうえに、経費をかけたくな

いからなかなかできない。ガンガン行け、と自分に言いたい。

これが絵だと、高価なクレサンキャンバスにベルギーのブロックス絵具でじゃんじゃん描くのだから、やっぱケチじゃないかも。

ま、やると決めた以上は、しっかり頑張ってYou Tubeを作るしかない。慣れてくれば少しずつましなものができるだろう。まったく60の手習いだよ。

とりあえず10本。出来れば100本ぐらい作りたい。映画の寅さんだって50本ぐらいあるんだから、あれに比べれば、こっちは2〜3分の粗末な映像なんだか

ら、出来ないわけがない。

できたらいいよね。私の絵画鑑賞ワールドが少しは他の人に伝わるんだから。幸福だよ。

で、You Tubeを作っていると、また、そのときクラシック絵画をよく見る。解説しなければならないから、さらにじっくり見る。クラシック絵画は十分そ

れに答えてくれる。とても楽しい作業だ。

 

15年1月10日

今日は鏡割りだ。お汁粉にお供えの餅を入れて食べる。中学生のころ町道場で剣道をやっていたので、鏡割りのお汁粉を食べに道場に行ったこともある。

みんなで食べるととてもおいしい。私の剣道はまったく強くない。子供のころから赤胴鈴之助に憧れていた。大人になって『竜馬が行く』(司馬遼太郎)

を読んだら、どうも赤胴鈴之助は坂本竜馬がモデルみたいだ。北辰一刀流で千葉道場。

You Tubeは何回も撮影している。上手くゆかないけど、ムービーカメラだからとても具合がいい。外部マイクの取り付け方がわからないので、でかい声で

しゃべることにした。なんとかなりそうだ。

だけど、いくら昔の人の絵とは言っても、あまり貶したくはないね。でも、絵を比較する企画だから、そこが命だから、片方をどうしても貶すしかない。

厭だね。致し方ない。

また、話がつい長くなってしまう。短く要点を述べる。造形的な話だけする。とは言ってもなかなか難しい。やってみると、貶したい絵もよく見えてしま

う。ずっと見ていると「けっこう一生懸命描いてあるじゃん」などと思ってしまう。それではいけない。ばっさり斬り捨てなければ趣旨が通らない。いい

の、いいの。私の見方が間違っていても、それでみなさんが絵を見るキッカケになってもらえば十分役目は果たしたことになる。そこの理念をいつも忘れ

ずに頑張ろう。ついおしゃべりになって、知識をひけらかすみたいな悲惨な映像になる。最低である。朝礼の校長先生になってしまう。ダメだぁ〜〜。

それにしても、造形的な話って難しい。つい忘れてしまう。絵のエピソードや図像学(ずぞうがく)みたいなことを語ったほうがずっと楽かもしれない。

それじゃ、月並みなんだよね。

いやいや、図像学にもハンパない知識が必要だと思う。

 

15年1月3日

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

と、もう3日目が始まっている。はやいね。

今年はYou Tubeができると思う。3月の金井画廊の個展までに10本ぐらい作りたい。この正月休みにもけっこう頑張っている。

ムービーカメラがあるから、どんどん撮って、何度も撮って、じゃんじゃん編集すればいい。1分以内に1本終わるようにしたい。ご希望が多くなれば3分、

5分と伸ばして行く予定。ま、ご希望がなくてもやるけどね。ご希望なんて気にしていられない。

ムービーカメラと言っても、お父さんがわが子の運動会を撮るための高級品ではない。1万円以下の安物だ。ほとんど定点カメラだから十分役立つ。なん

か声が小さい。やっぱり録音マイクを別にセットしないとダメかも。

で、さっきも参考書として、赤瀬川原平の『名画読本』(カッパブックス)を読んでいた。けっこう歯に衣着せぬ毒舌ぶりである。そう言えば、赤瀬川は

去年の10月末に77歳で亡くなった。年末の新聞の「今年亡くなった人」などで取り上げられていなかった感じ。私が今ここで取り上げちゃう。

『名画読本』の14章ルノワールはルノワールの『ピアノによる少女たち』をこれでもかと言うほどボロクソに貶している。あの絵に関しては私もほぼ同意

見だけどね。

赤瀬川は名古屋の名門・県立旭が丘高校を卒業している。頭のよい人だ。43歳ごろに小説を書いて芥川賞を受賞した。武蔵野美術大学を中退しており、画

家に拘っていたけど、ほとんど描いていなかったという話。雪舟応援団などいろいろな活躍は私も知っている。当然文章はとても上手い。わかりやすい。

絵画に対して固有の理念も持っている。それもだいたい同意できる。

ただ、私は絵を描いている。絵描きは絵を描かなければ始まらない。だから圧倒的に私の勝ちだ。はっきり言って問題にならない。きっと、クラシックの

見方も私のほうが深いと思う。こっちの勝負もYou Tubeでやって行きたい。ま、赤瀬川は死んじゃっているのだから、私はとても卑怯かもしれない。

私も死ぬ前にYou Tubeで発言しておきたい。

もっとも私自身は死なないけどね。

  何度も言うように、自分が死んだことは自分では認識できないもの。だから、私は死なない。誰も死なない。ダイジョブ、ダイジョブ。

 

14年12月27日

私の絵の師匠はやっぱり父だと思う。美術研究所に行っていた頃も、絵を見てもらった。その頃、父はもう茨城県の水海道に住んでいた。私は何度水海道

に行ったか、一時期は毎週のように通っていた。車でも何度も行った。まだ常磐自動車道もなく、国道6号線の鬼怒川にかかる新しい橋もなかった。新し

い橋ができて喜び、常磐自動車道ができたときにはスーパーマンになった気分だった。帰りの隅田川の上の首都高速大渋滞には難儀した。

3年半で美術研究所を辞めたのも父が五月蠅かったから。「俺が研究所に行っていた時分にも研究所の主みたいなヤツがいたけど、お前も主を目指すのか」

とバカにされた。会社を辞めたり、子どもができたりしたから目黒の美術研究所に通うのは無理だった。町田に引っ越したし、全然無理になった。

町田に引っ越したのは30歳の頃。その頃から絵画教室をやっている。裸婦はしばらくお休みだった。動物を描いたり、自分の子どもを描いたりしていた。

でも、見ないで80号などに裸婦を描いていた気もする。あちこちの公募展に落ちまくったのもこの頃かも。父のいる国画会には出品しなかった。また、東

光会の先生にも絵を見てもらっていたけど、東光会は日展系なので出したくなかった。生粋の一般出品で勝負したかった。

池田満寿夫だけは私の絵を独立の新人みたいな絵と超高評価してくれた。独立美術協会に入選するより嬉しいかも。

池田は皮肉をこめて言ったのかもしれないけどね。

 

14年12月20日

音楽に大学が必要なように、小説などの文学にも大学が必要かどうか、これはいささか疑問だ。

では、絵はどうか?

私が日本最大の洋画家と讃える長谷川利行は美術大学に行っていない。じゃあ、必要ないのではないか?

はっきり言って美術大学は要らないと思う。私自身美術大学に行っていないのだから、美術大学でどういうことをやっているのか知らないけどね。

ボルドー美術大学にもぐりこんだけど、言葉もわからないし、何をやっていたのか?

裸婦を描いて粘土でルネサンス期の彫刻を模した。裸婦は同じモデルだった。鉛筆で描いたけど、何分ポーズだったか覚えていない。固定ではなかったよ

うに記憶する。クロッキーでもなかったか? でも、けっこうたくさん描いたと思う。40年も前の話で、まったく記憶がない。自分で描いた室内の油絵を

フランス人の先生に見てもらったこともあった。40号ぐらいの絵だった。

中国でも、最高評価は神品だけど、これはアカデミックの範囲。さらに上に逸品がある。黒田清輝が神品なら、長谷川利行は逸品か。佐伯祐三もアカデミ ッ

クからの脱却を願った。ま、われわれ凡夫には神品さえもはるか彼方だけどね。ワープ画法でイッキに逸品を狙うしかないかも。

人生は一度、ダメ元で行くしかないのでは。とにかくアカデミックは厭だ。つまらない。

しかし、アカデミックを超えるには、最低でも美術大学を凌ぐ修業が必要だと思う。それは、とりあえずたくさん描くこと。描くことで、また描きたくな

り、その連鎖の情熱を維持することだ。生涯に10万枚描けばアカデミックの壁を突破できると思う。

で、私はいまのところ3万枚がいいところ。道はあまりにも遠い。

でも最近の美術大学出の先生がたの絵で驚くものはない。私だって夜間だけど3年半、週日は裸婦の固定ポーズを描き、土日はクロッキーを4回ぐらい消化

したのだ。4回というのは、今、月に2回やっているクロッキー会を土日だけで4回やっていたということだ(月に16回)。墨で描いていた。これだけで少

なく見積もって毎月320枚の裸婦を描いた計算だ。3年半で13000枚以上か。中にいいのが10枚ぐらいあったけど、わら半紙に描いていたのでボロボロ。で

も、一般の美術大学の4年間より私の美術研究所の3年半のほうが中身が濃いように思う、のは甘いか?

 

14年12月13日

先週12月6日NHKで夕方に放送された『若き音楽家たちの挑戦 ドキュメント第83回日本音楽コンクール』を見ていたらとても若い演奏家を目指す女の子が

「○○はアカデミックだから良い」と言っていた。

一般に絵画ではアカデミックは批判の対象である。しかし音楽界では良いとされるのだろうか。

アカデミックとは「学校主義的な」という意味だ。

ここで言う学校というのは、そこらにある小学校や中学校のことではなく、本格的な専門家の養成機関ということだ。

十分な設備があり、有能な指導者がいて、たっぷり練習出来る場所がある。資料なども不足なく整っている。そういう意欲と情熱の塊で仕上がっているシ

ステム。

このシステムは、当然今の世に存在し、機能している。言ってみれば、ちゃんとした大学のことだ。

土木建築、理化学、医療、農林水産などなど、東京大学を頂点に立派に働いている、と思う。のはず。そのほか政治経済にも専門知識が必要だ。これを否

定する人はいない。

アカデミックはまともなものだ。

では芸術分野ではどうか?

文学、美術、音楽について、アカデミックである必要があるのか?

いやいや、クラシック音楽はとても一人では学べないかもしれない。上記の若い学生さんのおっしゃる通り、アカデミックなくして専門家への道はないの

だろう。

文学もよく分からない。私自身文学部の出身だ。大学では主に哲学と仏教について学んだ。あれも大学が必要なのかなぁ〜〜。大学の4年間より卒業して

からの40年間で自分で読んだ本のほうがはるかに膨大だけどね。ま、物体の移動でも初速は大切だよね。学問も初めが大切かも。もちろん、私のデタラメ

仏教は学問なんてもんじゃないけどね。

で、美術アカデミズムの話だけど、これは次回に。

 

14年12月6日

今年最高の秋の美術展は「特別展 東山御物(ひがしやまごもつ)」だった。行く予定ではなかった美術展だ。なんか牧谿の『遠浦帰帆図』がどうしても

見たくなってしまい、日取りの合間となけなしの金をはたいて行ってしまった。行ったら、びっくりするような南宋絵画がずらずら並んでいた。絵だけで

はない。よく分からないけど、陶磁器や漆器も「本物!」って感じだった。ああいう色合いや質感を見ているだけでも目が肥やせる。本物を見ていないと

自分も本物になれない。

金がかかると言っても往復の電車賃や入場料を含めて1人3000円ぐらいだ。夫婦で行っても6000円。蕎麦かなんか食ってしまうと10000円が吹っ飛ぶ。ま、

美術展も3か所ぐらい回るから、10000円はかかるかも。家内もお茶の先生だから東山御物を見るのは義務かもしれない。ま、見ないと損だけどね。

もう終わっちゃったけど、東山御物は素晴らしかった。玉澗が来ていたのも嬉しかった。確か岡山県立美術館の所蔵のはず。岡山にはいいものが多い。以

前「岡山県立美術館水墨画名品展」というのを上野毛の五島美術館に見に行った覚えがある。15年以上前だ。

こうして思い出すと、もう何年も中国の宋元や鎌倉・室町の水墨画を追いかけまわしている。40年以上か。長いねぇ〜〜〜。なかなか自分の絵には好影響

を及ぼさないものだ。上達しないねぇ〜〜〜。悲しくなるよ。

こういうバカな絵描きが一人生きていたってことだ。

美術展に足を運び、本物を見る。これをとても嬉しいと感じることができるってことに感謝したい。こういうバカになってしまったってことはありがたい

ことかも。贅沢だねぇ〜〜〜。

それにしても、昔の工人の技と心意気にはつくづく惚れ惚れするよ。

 

14年11月29日

先週のクラシック美術の流れの中には奈良の仏像も雪舟も浦上玉堂も入っていない。ヨーロッパのドガもヴュイヤールも入れていない。この1週間の間に

ボナールの美術展カタログも買った。買ったと言ってもブックオフで360円(税別)だったけどね。

そういう敬愛する画人たちや彫刻家は切りなくいる。

彫刻家と言えばロダンもいた。

ま、そういう画人たちに共通する一つのことは、みんなうんざりするほど描いているということだ。数万、数十万単位で絵を描いている。一生描き続けて

いる。絵を描いて、描きながら死んでいっている。

この「描く」とことを守っていれば、先人たちに続くことができる。それがすべてである。いろいろな裏面工作や処世術は要らない。ただ描きさえすれば

よいのだ。描くことが全作業である。

しかし、感動して描かなければならない。

ま、今だって世間を見渡せば紅葉の盛りだ。紅葉が秋の日差しの中で光り輝いている。ちょっと見ていれば誰だって感動するよ。

2〜3日前の富士山も凄かった。丹沢山系にふわふわと雲が浮かび、富士山にもかかっていたけど、その雨上がりの光景は、嘘みたいに美しかった。舞台を

見ているみたいに陽の光が効果的に働いていた。舞台みたいなんだけど、間違いなく現実の広大な世界だ。

遠くに近所のビルが見える。その2倍ぐらいのところに丹沢があるように見える。しかし、実際には丹沢は何十倍も遠い向こう側にある。その後ろに富士

山が白く見えるが、その富士山までの距離はさらに何倍もある。物凄くでかい空間なのだ。

この大空間で繰り広げられる雲と光と空気の饗宴は息をのむしかない。われわれならとりあえず絵に描くしかないのだ。絵の出来なんてどうでもいい。と

にかくこの喜びを絵筆に託したくなるのだ。それが絵描きってものだ、と思う。

 

14年11月22日

長谷川利行は日本一の洋画家で、富岡鉄斎は明治以降最大の画家、人類史上最高の人体表現は古代ギリシアのオリジナル彫刻、史上最高の絵画は中国の宋

元画、ヨーロッパの油彩画の最高峰はティツィアーノなど自分で勝手に決めている。

そうすると、印象派の位置は? とか、バロック絵画は? とか、ミケランジェロは? とか、いろいろ質問が飛んでくる。誰も質問してくれないから自

分が自分に質問しちゃう。

中国絵画でも明末清初に徐渭とか八大山人など素晴らしい画人が誕生している。

これにどうやって答える。

明治以前の日本絵画はどうなんだ。

源氏物語絵巻を世界最高の色彩表現と言っていたじゃないか。

雪舟は? 等伯は? 浦上玉堂は? 葛飾北斎は? 白隠や仙高ヘ?

と疑問が次々に沸いてくる。

また、そろそろ100号の季節が来る。私は自分の絵では20号以下の油彩画に期待している。100号は無理だ。でも100号も描いていないと20号以下がダメに

なる、というか、私みたいなやり方でいいのか、といつも疑問に思う。疑問もなにももう64歳なんだから、この路線しかないんだけれど、華やかなアート

シーンを想うと、とてもみすぼらしい感じもある。ま、楽しきゃいいか。

東西の古典絵画を見歩いて、自分も描く。これしかないもの。

鉄斎とか利行はとても不幸だ。あんな不幸にならなければいい絵は描けないというなら、「いい絵」はご免こうむりたい。

ま、しかし、昨日のブログにも書いたけど、絵を描き始めると、鉄斎も利行も蜂の頭もない。描いている行為の真っただ中にいるだけだ。最高の爽快感の

中に息づいている。もしかすると涅槃寂静かも。

 

14年11月15日

悩まない』(矢作直樹・ダイヤモンド社)の新聞広告に「『他人にできて自分にできない』と悔しがることはない。あなたの代わりに他人がやってくれ

ただけなのだ」は、若い頃に失恋したときに訊きたかった。彼女の恋人は、「あなたの代わりに恋敵がやってくれただけ」と考えればいい。また、その恋

しい女性が結婚しちゃっても(私の場合、もう64歳だからほとんどの人が実際に結婚しちゃっている)、「あなたの代わりにそういう男性が夫をやってく

れている」と考えればいいわけだ。夫稼業も楽じゃないと思う。恋人だったら不安定で、もっと楽じゃないかも。

ま、絵の場合だったら、売れている人がいたら「自分の代わりに人気画家になってくれている」と考え、自分は陰でジャンジャン描く。絵の場合、描いた

者の勝ちだから、陰だろうが表だろうが描かないと始まらない。描けば長谷川やゴッホの世界に入れるのだ。それは作画作業の世界だ、絵具まみれの世界

だ。個展会場でシャンパンを開けるというような人気芸術家のチャッちくて派手な幻想ワールドではない。

フクヤマ画廊の長谷川利行展(27日木曜日まで)は素晴らしい。行かないと損。とにかくあの空間にいられるのは幸福だ。どんどん行ってください。私は

本気で長谷川利行を日本一の洋画家だと思っている。ということは、青木繁や中村彜や佐伯祐三なんかよりいいと思っている、ということだ。その人の絵

が41点も展示されている。入場無料。

無論、梅原龍三郎とか安井曾太郎よりずっといい。絵の中の油絵具が輝いている。もちろん絵も輝いている。日本で最大の洋画家だ。少し前まで、日本一

の油絵描きと呼んでいたけど、今は、「洋画家」に変えた。だって、水彩もデッサンも水墨もいいもの。

「フクヤマ画廊・長谷川利行展」はネットで簡単に検索できます。

 

14年11月8日

やりたいことをやっている。絵を描き、泳ぎ、歩きまわっている。

階段を一段おきに上っていた、あの103歳の日野原先生も車椅子だし、92歳の瀬戸内寂聴も体調不良らしい。あんなスーパー老人でもいつかは動けなくな

る(きっと復活すると思う)。私も出来るうちに思い切りやりたい。

でも、もっと描いている人、もっと泳いでいる人、もっと歩いている人もいる。私が世界一じゃない、と思う。油絵の作画枚数だけは世界レベルかも。で

も、もっと凄いのがいる可能性が高い。

それも気にすることはない。『知識ゼロからの禅入門』(ひろさちや・幻冬舎)のp140に「誰かと比べたり真似したりせず、自分らしく生きればいい」と

書いてあった。また『悩まない』(矢作直樹・ダイヤモンド社)の新聞広告に「『他人にできて自分にできない』と悔しがることはない。あなたの代わり

に他人がやってくれただけなのだ」とあった。

出来る範囲でやるしかないもの。他のヤツのことなんか、全然問題じゃない。

それにしても、10月末のバラ園といい、この前の小山田緑地といい、町田も気持ちいいところがいっぱいあるね。誰もいないバラ園で寝っ転がったときに

は、自分が極楽にいるのかと思ったよ。

まったく絵なんてどうでもいい。ああいうところで何時間も過ごすことに価値がある。それが私の暮らしであり、人生だと思う。ありがたや、ありがたや。

11月8日から橋本のフクヤマ画廊で長谷川利行展が始まる。41点展示するとのこと。27日まで。11時から19時。フクヤマ画廊、長谷川利行展で検索すれば

簡単に見られる。

 

14年11月1日

大雑把に言えば、ギリシア彫刻、ルネサンス美術、バロック絵画、印象派までがヨーロッパ美術の見どころだ。

その間に、コローやターナーがいる。

いっぽう、東洋には仏像彫刻の魅力がある。インド、シルクロード、中国、東アジア、東南アジアにまたがる仏像文化圏が大きく広がっている。

中国の禅宗絵画も素晴らしい。墨を中心とした独特な表現だ。

これらはすべて日本美術に流れ込んでいる。宗教や哲学とともに、多くの日本人が東洋文化を受容した。

明治以降はヨーロッパ文化がどっと流れ込んできた。

それから約150年。悲惨な戦争や巨大地震を何度も経験して、現在がある。

まったく人類はしぶといよ。

われわれが中高生の頃、今から50年ほども前だ。石油が数年で枯渇すると言われていた。10年以内に世界規模の核戦争が起きて人類は滅亡するとも叫ばれ

た。また、人口爆発によって人類は地球上から消え去るとも言われた。

しかし、まだ繁栄している。

空気が汚れて息もできない中国が目を覚ませば、人類の未来は暗くない。中国はきっと目を覚ますと思う。

まだ千年規模で人類は生き続けるだろう。エネルギー問題が解決してクリーンエネルギー(燃料電池か?)が発明されれば素晴らしい。とにかく送電網は

出来あがっているのだ。道路や鉄道も十分働いている。現代社会は物凄い経済効率を孕んでいる。頭を冷やして考えれば、当分続くはずだ。人類が集団的

狂気に走らない限り、少なくとも数千年は大丈夫だろう。

そうすると、美術はどうなるのだろう?

絵画は?

やっぱり腕の技術として生き残ると思う。それはスポーツと同じ。

人は走りたい、泳ぎたい、跳び上がりたい、取っ組みあいたい、ボールを投げたい、受け取りたい、のだ。そして踊りたい、歌いたい、絵も描きたい。そ

れが人だ。難しい話じゃない。やりたいことをやればいいのだ。やると思う。やり続けるに決まっている。

以上が私の考え。とても健全だ。かなりノーテンキなバカかも。

 

 

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