唇 寒(しんかん)集22<05/8/7〜05/12/25>

 

05年8月7日

暑中お見舞い申し上げます。

本当に暑い。「イッキ描きブログ」のほうではちょっと政治の話。わがパソコンは「せいじ」

と打つと「青磁」と出る。ヤッパそうとう格調高い。

全国画廊アタック作戦は続いているが、どこもそろそろ夏休み。相手にしてくれない。昨

日は夏祭りの焼き鳥を4本も食った。なにがヴェジタリアンじゃ。おかげで腹の調子が悪

くなった。だけど何か元気。気持ちが悪い。

夏だねぇ。

 

また豊橋に行く。ついでに名古屋攻撃。テロじゃありませんのでご安心を。画廊を巡るだ

け。きっと汗びっしょりかいて断られ続けるでしょう。ああ、その姿、映像にでも撮りた

いね。ドキュメンタリー「へっぽこ絵描きのプロジェクトN」ってか? Nは名古屋の頭

文字でした。

テロといえば、山形新幹線のゴミ箱は閉鎖中。テロ対策だって。東海道新幹線のゴミ箱は

普通に使えるのに、山形新幹線でテロ対策ねぇ……。もう好きにしてよ。山形新幹線はテ

ロ対策より五月蝿いおばさん対策してもらいたい。往きも帰りも4〜5人の元気いいおば

さんの笑い声に車内が占拠され、うるせぇのなんのって。それでも図々しくちょっとは寝

ましたが、おばさんパワーは日本中に炸裂している。よくもあれだけ話があるよ。3時間

しゃべりっぱなし。凄いね。

 

スペースシャトル。前例のない船外活動? 前例のない故障となりゃぁ、前例のない修理

もするだろう。だって自分の乗り物だもの。自己責任の極致だよ。もっともはがれるよう

なタイル仕事をしたのは乗組員じゃないんだから、まったく余計な仕事が増えちまった、

ってとこか? 当たり前だけど大したもんだよ。もうそろそろ無事帰ってくるでしょう。

 

もっと本質的な話しろ、絵に関係ある? こう暑くっちゃあ、それは無理。ああ、明日か

ら載せるブログの絵がもうない。おっと、水彩の裸婦が山ほどあるか!?

 

05年8月14日

「イッキ描きブログ」にも書いたが、名古屋展が決まりそう。ちょっと信じられない話。前

にも書いたかもしれないが、大阪の画廊も作品を扱ってくれる。どうも狐につままれたみ

たいだ。各画廊は夏休みに入ってしまい、本当に取り扱いが始まるかどうか確証はない。

ただ電話でOKされただけ。今回全国の画廊にアプローチしているが、実はこれは初めて

の経験ではないのだ。おそらく過去二回ぐらいはやっている。やり方が悪かったこともあ

るが、うまくいったためしがないのだ。おかしい?

もしかすると絵がうまくなっているのかも。

絵画教室でも何度も申し上げているが、絵は描けば描くほどうまくなる。単純な原理だ。

実は勉強も同じ。やればやるほど成績が上がる。もちろんやり方は合理的なほうが手っ取

り早いが、大原則はコツコツやること。これは絵も同じだし、水泳などのスポーツも同じ

だと思う。将棋だってたくさん指せば必ず強くなる。

だから絵がうまくなっている可能性は高い。

名古屋ではご年配の二人の画廊の方に見ていただいた。前もってパンフレットを送らず、

直接作品を持って伺った。6号以下の小品を数点。絵を前に戦前から戦後にかけての油絵

描きのお話。お二人ともなんと長谷川利行を知っている。びっくりした。私が知っている

ことをお二人が驚き、お互いに知っていることも驚いておられた。

ま、長谷川利行だったら最近かなり名を広めているからご存知だろうと「私のもっとも尊

敬する油絵描きは長谷川利行です」と言ったら、膝をたたかんばかりに感服なさっていた。

滅多にないような楽しい一時となった。

というわけで、今年の10月か11月の個展がほぼ決まった。ところが、名古屋と豊橋は

遠くない。豊橋で個展をご覧になった方が、名古屋まで足を伸ばす可能性はとても高い。

つまり、全作品を新作でやらなければならない。果たして会場はとても広い。50点ぐら

い飾れそう。

ああ、8月後半から10月まで絵具まみれになって描きまくらなければならない。と、そ

の前に町田に帰ったら真っ先にキャンバスを張りまくらなければならない。えらい現場仕

事が続く。

ところで、先週ブログに掲載する絵がないと嘆いたが、ワンサカ出てきた。よかった。ま

た描くから全然困らない。

 

05年8月21日

豊橋では毎朝喫茶店で朝食をとる。贅沢に思えるが、370円ぐらいでコーヒー、トース

トはもちろん、卵やミニサラダも付く。ヤクルトみたいな飲み物も(これはデザートか?)。

そして、豊橋の喫茶店には唸るほど雑誌が置いてある。病院の待合室などちょっと待たさ

れる場所には必ず雑誌がある。以前は豊橋には1年に2回ぐらいしか行かなかったから、

われわれ家族は貪るように雑誌にのめりこんだ。主にマンガだが、一般誌も豊富でびっく

りするようなヌード写真満載だったりする。

しかし、ご存知のように雑誌はほとんど看板倒れ。オリンピック競泳の金メダリスト岩崎

恭子のヌードとあるから、見たくねぇと思いつつページをめくると「どこがヌードじゃ!」

という着衣姿。しかも全然エロチズムでもない。安心したようながっかりしたような変

な気分。あれがヌードなら競泳中の女子選手のほうがずっとヌードだ。

そのほかのいろいろな記事もだいたいがタイトル倒れ。中味は空っぽ。読む価値なし。だ

から、やっぱりマンガになる。

「ドラゴン桜」というマンガを初めて読んだ。これがテレビドラマ化されているというの

で、2〜3日前にそのドラマも見た。偏差値40前後の高校生が東大をめざすというストー

リー。よくありそうな話だが、注目できるのはその受験テクニック。けっこう頷ける、と

いうか私の塾の理念とそっくり、というか今の生活の方法にも似ている。

たとえば、テレビドラマの話では、主人公の先生が東大の理Tを受験しろと言う。学部ぐ

らい自由に選ばせろと言う生徒に「東大というでかい看板に合格できるんだ。何学部だろ

うが関係ない。合格したあとの人生ぐらい自分で何とかしろ」みたいに答える。ここのコ

ンセプトは私も同じ。私の塾は近所の都立高校をめざす小さな塾だから、まったく同じで

はないが「しょせん受験なんて合格しちまえばこっちのもの」という考えは似ている。だっ

て、めざしている高校がどんな高校なのか中学生にはわからないのだ。未経験なのだから

当たり前だ。わからないものをめざしているのだ。初めからむちゃくちゃな話なのだ。

しかし、これは結婚だって同じ。どんなに愛し合っていたってその人の本質はつかめない。

カッコのいい慶応出のお医者さんと結婚したら変な宗教に入っていて人殺しの研究、実行

をやちゃってた、なんてこともありうるのだ。わからないものはわからない。いくら考え

たって時間の無駄。直感で行くしかない。回りの情報も少しは役立つかも。

だいたい高校とか大学なんて、今の日本社会では必要条件だから行くだけで自分の本当に

やりたいこととは無関係。ま、関係付けられればちょっとお得、ぐらいなものだ。どっち

道大したことはない。どうせアカデミックな役立たずの、口だけ達者なおしゃべり野郎が

うようよいるだけのところだ。東大はまさにそのメッカか。

もう一つの注目ドラマ「女王の教室」も面白い。こっちの主人公は偏差値、有名私立まっ

しぐらの女性教師。もちろん、ドラマの主題は正反対にある。けっこうまとも。重大なの

は子供時代をどのように過ごしたかであって、勉強をはじめとするいろいろな技能はつい

でに付けてゆくもの。勉強も含め技能をつけることは人間形成の一端に過ぎない。努力の

喜びなどもそのときに学ぶ。重大なのは努力すれば成果が出るという事実を身をもって知

ること。成績とか偏差値に汲々とするのはさもしく貧しい。だいたい自分が勉強したこと

のない母親に限って教育ママだ。子供に本を読ませたいが、自分の子供時代は読まなかっ

たし、母となった今もロクに読まない。こんな親では子供はかわいそうである。

教育論になるとつい熱が入ってしまう。長年お世話になった塾稼業のしがらみか?

マンガのほうの「ドラゴン桜」はログオンの話。スタンバイってやつ。休みながらスイッ

チを入れておくって方法。これは絵のほうでずっと使っている。この話は長くなるので来

週のお楽しみとする。昨日は8月18日(木)の新聞記事を隅々まで丹念に読む羽目になっ

てしまい、その中の保坂和志氏の文章が面白かった。このことも次回まとめて述べる。

 

05年8月28日

先週、8月18日(木)の朝日朝刊の保坂和志氏の記事の話をすると予告したが、肝心な

その新聞を紛失。記憶だけで書くので間違っていたらご容赦を。

文章にしても絵や音楽にしてももともと真っ白なところに創作する。われわれはこういう

ことが好きだからその道を歩んでいる。とは言ってもやっぱり大変なのである。このホー

ムページの更新でも書くことがなくて困る日は少なくない。

保坂さんの記事もそんなことが書いてあった感じだ。奥さんや家族への言い訳かもしれな

い。おそらく何もせず一日を暮らし家族からのブーイングをくらっているのではないか。

私も将棋ばかりしていると怒られる。保坂さんは人気作家だから生活費に困ることはない

だろうが、私などどうしようもない経済状態だから家族の怒りも激しい。小泉首相より前

に殺されるかもしれない。ちなみに私は「殺されてもいい」とは言ってない。

だけど、制作意欲を充満させるのは楽ではないのだ。私はイッキ描きと豪語しているが、

実質的な描くまでの準備は人並み以上だと思う。心の準備も体調の保持も必要なのだ。休

んでいるようでもスタンバイしている。外を歩いているときはいつも画題を探している。

同じ花でも時間や天候によってまったく違う美しさを見せるのだ。風景も同様。ついこの

前は美しい芙蓉を見つけ、夕方涼しくなったら描こうと出かけていったら、芙蓉は朝顔の

ように夕方は閉じてしまうのだった。ジャンジャン。

「ドラゴン桜」の先生が言っていた休みながら休まない状態とはまさにわれわれの普段の

状態。保坂さんも同じことを言っている(と思う)。

特に絵の場合、わざと描かないで、描きたい気持ちを溜める業もある。このやり方はわれ

われのようにイッキに描く絵には大きな効果がある。普段怒鳴ったり笑いすぎたりしない

ほうがいいのかもしれない。物凄く穏やかにしている方がキャンバスに爆発できるかもし

れない。私はけっこうよく笑うし怒鳴る(自分ではそういう意識は全然ないが家族がそう

言う「けど、やっぱ声が大きいだけだと思う」)。ドラマを見ていて泣くことも多い。本

当はそういう感情は押さえてキャンバスにぶつける方がいいのかもしれない。しかし、抑

えすぎると絵もむちゃくちゃ穏やかになっちゃったりして。むずかしいなぁ。

 

今度、クレサンキャンバスの日本の総輸入元「クレサンジャパン」のホームページが登場

した。皆さん、一度訪問してみてください。こちらです。

 

05年9月4日

つらいねぇ。

ま、何はともあれ、昨日のブログを一言で言えば、「一期一会」ってか。

昨日のブログは無言館の話。戦争で徴兵された画学生の残した絵を展示している。長野県

の上田市のある。私はまだ行ったことがない。東京駅のステーションギャラリーの無言館

展は見たがお目当ての裸婦は実物大の写真だった。あれじゃあ全然ダメ。

油絵というのは立体的になっている。いくつもの絵具の層がキャンバスの奥の方から響き

合ってあの複雑な画面を作っているのだ。みなさんそれをなかなかご理解いただけない。

だから絵画教室ではみなさんなかなか地塗りをやらない。やっても薄いし、余った絵具と

か、地塗りを軽くお考えだ。私の指導がいけないのかも。「女王の教室」の鬼教師マヤみ

たく「どうして私の言うことが聞けないのかしら。私の言うことを聞かないとどうなるか、

まだわからないの」などと冷ややかに指導しなければならないのか。

きっと、本物の油絵を見ていないからだと思う。厚塗りなら、レンブラントやルオー。薄

くさっと描いてあっても、きっちり絵具の層ができているのはアングルとかドガとかロー

トレック。色価(ヴァルール)ということを知っている。色価を知っていれば水彩でも厚

く見える。水墨画は墨だけで描いてあるが鉄板のように頑丈な画面になっている。

こんな文、いくら書いてもどうにもならない。見なければダメ。よーく見ないとダメ。繰

り返し見ないとダメ。全然ダメ。うんざり。

昨日の話は、戦争でもう二度と逢えない恋人(または新婚の奥さん)の裸婦像のこと。無

言館の一期一会は教訓や想定ではない。実際の一期一会。本物、嘘偽りのない現実。実は

われわれの毎日も一期一会なのだが、なかなか実感できない。ついダラダラ過ごしてしま

う。今年の芙蓉は今年だけなのだ! というか今日の芙蓉は今日だけ、さらに9月4日午

前6時の南成瀬5丁目の芙蓉はそのとき一回きりなのだ。一瞬なのだ。これがなかなかわ

からない。いえ、絵画教室の人ではなく私自身です。

ああ、まだシルバーホワイトの地塗りをしていない。ホームページも改良したいなぁ。

 

05年9月11日

いま盛んに開票速報をやっている。衆議院選挙結果が出ている。私も投票に行った。昨日

会った旧友の言に従って投票した。ブログやホームページでちょっとしゃべったところと

は違うかも。無責任で申し訳ない。

ちなみにさっき見たところでは自民党の圧勝らしい。もっとも私みたいなジジイから見る

と自民党も民主党も中身はみんな自民党なんだな、これが。公明党なんてこの前まで物凄

く自民党の悪口を言っていたもの。それが共闘だもんね、驚くよ。

あれじゃあ、信用できないな、やっぱり。

昨日の午前中はクロッキー会。2回連続がら空き。やばいかも。ま、個人でモデルを雇っ

ていると思えば、全然リーズナブル。

油絵でクロッキーを描く、というのは実はかなり理に適っているのかも。しっかり地塗り

をしておけば、油絵具ほど自由な画材はない。複雑な身体の凸凹も微妙な光の調子も一瞬

で表現できる。失敗しても、ボロキレに画溶液をつけてさっと拭き取れば、見事に消える。

消しゴムで鉛筆をごしごしこするよりずっと素早い。大きな面を描くのも太い筆でイッキ

にいける。鉛筆で塗るのは一仕事。おそらく油絵具で裸婦のクロッキーをやっているのは

私ぐらいだと思うが、本当は誰にでも出来るのかもしれない。

シルバーホワイトの地塗り、完了しております。レンブラント絵具の太いシルバーホワイ

トを半分以上使っちゃいました。

 

05年9月18日

数年前、遠藤周作が他界したとき、その追悼文の中の安岡章太郎の文章に文句をつけたこ

とがった。申し訳ないので、少し褒めなければと、図書館で1冊借りてきた。「観自在」

という評論集。この観自在の文字は良寛様の筆跡だと思うが本のどこにも書いてない。こ

れも不備(いま再度よく見たら小さく書いてあった。ヤッパ良寛だった)。分厚いから面

白そうなところだけ拾い読みしようと目次を探すと「生きものとしての絵画」とある。と

ころがこれがいけない。褒めるつもりがまた文句。第一、養老孟司の本がなかったから代

わりに借りただけなのに。

日本では(外国のことは知らないが)文筆家がよく絵画論をぶつ。小林秀雄を筆頭に遠藤

周作や井上靖なんかも書いている。やっぱり専門外の話は書かないほうがいいように思う。

小林秀雄の(「ゴッホの手紙」と「近代絵画論」)は凄く若い頃に読んだきりなのでよく

覚えていないが、読後感はデタラメだなと感じた。遠藤周作のはルオー論、井上靖は富岡

鉄斎論だった。中身は覚えていない。まったく印象にないということは大したものではな

かったのだと思う。井上靖の「石濤」は晩年の作で期待を込めて読み始めたが、つまらな

いの限界を超えていた。これから読もうとする人は絶対に止めておいた方がいい。贋作が

どうしたこうしたという自慢話みたいな程度の低い話だった。

昨日テレビドラマ「女王の教室」のマヤ(先生)も言っていたが「わからないことをわか

ったようにいうのは一番いけない」のだ。マヤは死後の世界のことを言っていた。見たこ

ともない世界を見てきたように言い、自分たちの仲間になれば極楽へ行けるとか、仲間に

ならなければ地獄に落ちるなどというのはデタラメである。そういう言に迷うほうも悪い。

あの脚本家はなかなかわかっている。けっこう凄い。

絵の判定でも同じ。たとえば、われわれのような現役の絵描きは鑑定不能だ。まだ未知数

だからだ。われわれの絵を買ってくれる人はとりあえず気に入ったから買ってくれる。ン

万円、ン十万円で買う以上は作家とコレクターは一蓮托生である。もちろん投機な意味も

あるが、いい絵が認められるとは限らない。わからないのだ。いろいろなことを言わずに

黙って買う、ここが凄い。びっくりする。だって、ラーメンなら100杯とか1000杯

食える値段なのだ。そんな値段でわけのわからない男の絵を買ってくれる。テレビの「な

んでも鑑定団」などの骨董ではなく、銀座や京橋でいま生きている現役の絵描きの絵画市

場はイカレテイルかもしれない。なければ困るが、普通じゃない。ああいうものがあるこ

と自体、日本は最高レベルの文化圏なのかもしれない。

話がそれた。安岡章太郎の「生きものとしての絵画」だった。中の例え話も不正確。ゴッ

ホが北斎の模写をしているとある。しているかもしれないから私も強く言い張る気はない

が、ゴッホが模写をしたのはふつう広重だろう。細かいことは我慢するとしても(安岡の

原稿料は安くないのだからやっぱり我慢出来ない。不正確な知識は危険である。もっとち

ゃんと調べろと言いたい)、内容もつまらない。感覚的な話ばかり。東洋の感覚とか西洋

の感性とか、そんな話ばかりだ。

今朝読んだ今週号の「ドラゴン桜」では、東大生は面倒だから情報を集めるとあった。他

の奴は情報を集めることを面倒がる。そして結局遠回りをする。これはクラシック絵画を

軽んずる最近の絵描きの傾向でもある。感覚とか感性とか才能とか、そんなわけのわから

ないものばかりに頼る。そして自分は特別だと思い込む。バカの極致である。

安岡の文章はルドンを取り上げている。ルーブル美術館の中で唯一東洋的な絵画で、自分

に感覚にぴったり来たというような話。私もルドンはいいと思うが、私のは東洋的だから

いいわけじゃない。

絵は描けば描くほどよい。もちろん思いを込めて描かなければいけない。気を入れて描か

なければいけない。そういう前提で描けば描くほどよくなる。ルドンにしても、絵の中の

線はハンパじゃない。あれだけの線が引けること自体人間国宝なのだ。あの線は東洋も西

洋もないのだ。ルーベンスは気持ち悪いぐらい超西洋だが、あの線は凄い。それは中国の

石濤だって同じ。全世界同じなのだ。

ただ、たくさん線を引くといっても工芸のお土産品ではダメ。自己鍛錬の軌跡でなければ

ならない。感動して引かなければダメだ。

 

05年9月25日

もうすぐ大分のアートギャラリー美慶の個展が始まる。今日もたくさん絵を荷造りしてお

送りした。ほとんど売れない個展をすでに3回もやってもらった。まことに申し訳ない。

今年は大分へ行かなくてよいことになった。少し嬉しい。しかし、行くことで1枚でも2

枚でも売れるなら喜んで伺う。美慶さんにもご負担になり、私にも大旅行(どうも私は旅

行が苦手みたいだ=超怠惰)。前回伺ったときは絵の道具を担いでいった。2〜3枚描い

た。その絵のSM一枚を別の画廊で買っていただいた。私の絵は安いからもちろん飛行機

代にもならないが、遠いところで描く絵はやっぱり色調などが変わって面白くなる。買っ

ていただいたということは少しはましだったということにもなる。そういう意味でもあり

がたい。ここで何度も述べたが、純粋な画家は絵が売れることを嫌うという説もある。私

だって金がありあまっていて、でっかい作品収納庫があるなら売りたくはない。しかし、

父も言っていたが、そういう気持ちは物欲に過ぎない。第一、買ってもらうと作品は丁重

に扱われ、だいたいの場合応接間などに飾られ、けっこう幸せになるのだ。私が持ってい

るよりずっと幸福になれる。しかも、この世から抹殺されるわけではない。ちゃんとこの

世に存在するのだ。大丈夫、どこにあったって私の絵は私の絵なのだ。

今日のNHKの新日曜美術館は松田正平だった。ああいう絵がどんどん認められれば私な

どには大いに有利である。松田正平は国画会の人で、他にも渡辺貞一とか椿貞夫とか小泉

清、川島理一郎など立派な方がたくさんいた。私の父の先輩に当たる。数年前に相模原の

フクヤマ画廊で対談した芸術愛好家のK氏は張替正二を最高の現代画家と讃えておられた。

張替さんは私が幼いころからよーく知っている国画会の長老である。そのことを言うとK

氏は痛く渋いお顔をなされた。私の絵を褒めてくれた喜多村智先生も国画会。梅原龍三郎

とか原精一も国画会だった。原先生は父の洋画の師である。積田鰹士先生は銀座で個展を

やっているとき立ち寄ってくれ、ホワイトの使い方をたしなめられた。今も変わらないと

思うが、昔の国画会には立派な絵描きがたくさんいた。ああいう先生方の心意気はちゃん

と受け継がれているのだろうか? ま、私がいることはいる。

 

05年10月2日

先週は実によく絵を描いた。2〜30枚は描いた。自分でもびっくりする。だいたい私は

描き始めるとたくさん描く。描かないときは全然描かない。今週はオフになると思う。私

の父は2ヶ月間描かない次期があったと言った。あれは嘘かもしれない。私が「このごろ

全然描いてない」と言ったら「バカ野郎(父は私に何か言うとき必ずこの放送禁止用語を

使う)、俺なんか2ヶ月も描いてねぇ」とエバっていた。あれは人を油断させる甘言かも

しれない。父は真冬でも毎朝早朝水をかぶって何枚もデッサンをしていた。そうしなけれ

ばいま私の部屋に飾ってある裸婦は出来ないだろう。この裸婦は先週のブログにアップし

た。もう一度写真を取り直して父のページでも作るか(おそらくやらない)。

この父の絵を倉庫から出してきて部屋に飾ると、自分の未熟さが身に沁みる。がっかりし

ながらもジャンジャン絵を描いてしまう己が空恐ろしい。フツー意気消沈して(寝込まな

いまでも)、うつろな目で天空を見つめながら「俺って、やっぱ向いてないかも」などと

呟かなければならない。

ま、絵画教室とクロッキー会が重なり、その間の2日間筆を洗うのが面倒なのでとりあえ

ずコスモスが咲いていたのでそれを描き、海に行きたかったので海を見に行き、ついでに

絵も描いただけだが。とにかく私は桁外れの能天気である。絶対に意気消沈などしない。

実は昨日もクロッキー会の帰りに見た版画展で深く反省した。クロッキー会は町田の国際

版画美術館でやっている。昨日は企画展の初日で無料開放日だったから見た。有料なら見

なかったかも。やっていたのは「浮世絵モダーン━深水・五葉・巴水・・・伝統木版画の

隆盛」展だった。橋口五葉、川瀬巴水、伊藤深水のほかに石井柏亭、吉田博などたくさん

の作品が並んでいた。安井曽太郎や梅原龍三郎もあった(もちろん木版画)。一番驚いた

のは日本に来て日本の木版画を学び、日本の風土を描いた外国人の作品(名前は忘れた)。

彼らは本当に日本の木版画に惚れこみ、日本人の暮らしに感動して制作している。桜の中

を子供たちが走っている絵(私の絵のテーマみたい)とか、ターナーばりの帆船の絵など

本当に美しかった。同じ部屋に安井や梅原があったが、ちょっと情けなかった。「お前ら色

キチか」と言いたくなるような色と線。フォーヴも一歩はちがえるとこうなる、というよ

うなだらしない絵。やっぱり来日している外国人は緊張しているのか、地味な本当にいい

絵である。

深水、五葉、巴水だが、もちろん悪くない。超一流の職人の仕事。芸術の域に達している

のだろう。文句はない。だが、歌麿はもっといい。吉田博の風景も北斎、広重には及ばな

い。風景でいいと思ったのは石井柏亭。それから、彫刻家の戸張孤雁の木版画があり、こ

れは大したものだった。白黒の世界の彫刻だが、あれだけ色が使えるものか。むしろ色に

飢えていたのか。

だが、深水にしろ五葉にしろ、うしろに歌麿がある。見ている。じっくり研究している。

それはクラシックがあるということだ。ここが重大だ。昨日のブログにも書いたが、ロダンでも

ムーアでもピカソでも、彼らの後ろにはギリシャがあるのだ。ギリシャの再現に全生涯を

費やしている。それは私の父も同じだし、私も同様。もちろんまったく悔いはない。それ

でいいのだ。それだけなのだ。新しい必要なんてまったくないのだ。

張替正二は正次だった。また、喜多村智はおそらく知が正しいと思う。さらに本日のブロ

は変な画像を入れてしまった。昨日まで最新の絵ばかりアップしたが今日辺りから息切

れしてきた。また、明日4〜5枚デジカメに収める予定なので、超最新作になるはず。昔

の絵に比べるとやっぱり最近の絵の方がすっきりしているかも。

 

昨日から私の美慶展が始まった。だからと言うわけではないが、昨日は京橋へ出て、美慶

さん専属の画家・太田正人氏と金井画廊の人気作家・蔡國華氏の個展を見てきた。お二人

とも画像や印刷物で見るのと本物は全然ちがう。絵はやっぱり本物を見ないといけないか

も。

その電車の中での感想が今日のブログ。たいへん物騒な内容になってしまった。地下鉄銀

座線の若い女性客は特に酷く、十分二人座れる真ん中に陣取り、年配の男性が乗ってきて

前に立っているのにまったく反応なし。ここは本当に東京の真ん中なのかと情けなくなっ

た。私は別に席を譲れと言っているわけではない。横にずれればいいだけのこと。年配の

男性はしばらく黙っていたが、「ちょっとずれてください」と言ってずれてもらっていた。

若い女があんなじゃあダメだ。けっこう化粧もしていたが、絶対にモテないと思う。もし

私が若くても、あんな女とだけは恋をしたくない。

 

私は父の最高傑作を持っている。50号の裸婦だ。事情があって倉庫から出したが、毎日じっ

くり見ていると、私が最高傑作だと言うだけあって、やっぱりいい絵である。絵を描くの

がいやになるほどいい。サインの脇に1973年とあるから70歳か71歳のときの絵。最後の画集

『桃夭と風漂と』(1971年)のあとに描いた絵だ。おそらく父の画業を集大成した渾身の傑

作だと思う。家内がその絵を見て「周りにある裸婦(私の絵)、全部捨てたら」と言った。

本当に捨てたほうがいいかもしれない。2〜3日は諦めの真っ只中にいた。今日の上の裸

婦は最近の私の絵のなかでは上々の出来。しかし、それももちろん色褪せ、げっそり寂し

い日々だった。まぁ、だいたいが自信過剰オヤジだから丁度いいかもしれない。久しぶり

に厳父の一打をくらったと思うしかない。

本日は、毎回下にくっつけてあった「ルオーの言葉」を独立させた。こちらです。

また、蒲郡のマリーナで親切にしてくださったI氏のページをリンクした。

I氏は工藤和男のコレクターで大作を所持しておられ、ページは工藤先生の作品集になっ

ている。工藤先生の作風は私とははなはだ異なるが、みんな仲良くインターネット。今日

ブログじゃないけれど、譲り合いの精神が大切です。

 

05年10月9日

この日の分行方不明。

 

05年10月16日

大分のアートギャラリー美慶展が終わり、今度は名古屋展が始まる。

今や名古屋は日本一の大都市だ。バブル崩壊後も名古屋だけは景気がよかった(らしい)。

中学で学ぶ日本の四大工業地帯の一番は京浜工業地帯、二番が阪神工業地帯だったが、数

年前に阪神を抜き、2年ほど前に京浜も抜き去り、ついに中京工業地帯が一番に躍り出た。

愛知万博もあったり、セントレヤ国際空港も出来た。すべてトヨタのうしろだけである。

その名古屋で個展をやる。場所は名古屋のど真ん中。名古屋市立美術館も近い。最高の舞

台が出来たとお思いかもしれないが、どういうわけか私の個展会場の辺だけ人通りが少な

い。なんとなくビジネス街という雰囲気。大丈夫かなぁ? 期間も7日間とちょっと短め。

ギャラリー栗本の企画展だが栗本さんはもともと陶器のギャラリーだ。いろいろ不安がよ

ぎる。だけどやっぱりやるっきゃない。新作もどんどん描いている。もっともっと描く。

ついでに等迦会の100号も2点描いちゃう。絵具漬け、油漬けで暮らす。

会場のギャラリーシラカワはとても広い。大きな展示スペースがある。50号、60号な

ど大作がいっぱい飾れる。久しぶりに80号も描くか。絵具をケチってはいけない。パレ

ットにもりもり出してジャンジャン使う。

これはけっこう楽しいかも。

だいたい展覧会に絵を出すのも個展をやるのも絵を描くことが第一の目的である。本来は

普段精進して作品を描く溜め、十分粒が揃ったところで発表となる。これが優等生画家の

作品発表だ。ところが無頼絵描きは、展覧会でもなければ絵なんて描かない。ねっころが

っている。特に私は怠け者だ。

だけどあれだけ絵が好きだった長谷川利行でも晩年の連続個展で描いた作品群は素晴らし

い出来だった。絵というのは切羽詰って描くものだ。描き始まれば戦争だ。仕事もせずに

絵ばかり描いている絵描きなら、なおさらギリギリ崖っぷちの絵をお見せするのが義務だ

ろう。のほほんと描いた絵など世間には腐るほどあるのだ。たまには死にぞこないの焼け

クソ親父の絵も悪くはないと思うのだが。

最近のブログは日本美術史なり。

 

05年10月23日

ああ、ホームページを整備しなくては!

先週はいろいろな方からメールを頂いた。高校時代の知り合いから突然メールが来た。びっ

くりした。やっぱりインターネットは凄いかも。茨城のにまるさんからも、愛知のIさん

からも個展開催のお話が来た。画集の注文もあった(完売)。画集は新しいのを作る。パ

ソコンで作るとインク代と紙代、表紙代だけでとんとん。手間賃が一切出ない。自分の絵

が広まるのだから我慢しなければいけないのだろうが、やっぱり何かつまらない。一日か

けて印刷して、失敗もたっぷりやって、手間賃なしは酷い。だから、印刷屋さんに頼むこ

とにした。おそらく安く出来る。だから皆さんにも1000円以内でお届けできる。そのかわ

りページは少ない。年に2種類ぐらい作りたい。果たしてうまくゆくかどうか。

前回はアマチュアの展覧会を見て、古典の研究が足りないと思ったが、最近見たアマチュ

ア展ではデッサン力、特に空間描写が足りないと感じた。アマチュアの展覧会もたまに見

たほうがいいかも。でもやっぱりできるだけ見たくない。どうも目に悪い。町田市立博物

館の「大倉集古館蔵 近世・近代の名画」展は実によかった。特に「近世」のほう。室町

時代の前嶋宗祐の「鶏頭小禽図」にはシビレた。近代の佐々木尚文の「雪之水車」もよかっ

た。この佐々木という人はどんな人か、私は全然知らない。ちょっと調べたが出ていなかっ

た。もっと調べてみる。インターネットで検索したら出てきたりして。

最近のブログは奈良の仏像なり。

 

05年10月30日

いま豊橋に来ている。明日は町田に帰る。土曜日はつくばに行き、来週の日曜日にまた豊

橋に来る。けっこう忙しい。1、2年前に「みなさんの街に伺いますよー」と言ったが、

本当にそういうことになりそうな気配。来年の3月は憧れの田原市で個展をやることになっ

た。とはいっても喫茶店での展示なので小品でも15点が限界だろう。

本日はリンクが2件。

一つ目は7月に個展をやらせてもらった豊橋のギャラリー公園通り。6日間4万円のリー

ズナブルな貸し画廊だ。私は来年の10月12日間予約した。貸し画廊だが、オーナーは

昔から豊橋に住んでいる方で顧客も多い。お願いすれば名簿も貸していただける(と思う)。

今のところあまり予約もないようなので、全国の画家のみなさん、豊橋で個展をやってあ

げてください。豊橋市立美術館のすぐ近く。豊橋公園の前。豊橋の文化交流の中心の場で

の展示となる。予約がないのが不思議。今がチャンスかも。

もう一つのリンクは25歳の男性のページ。美しいものをこよなく愛する好漢。文学、美

術、演劇と話題は尽きない。心豊かな青年の叫びをお楽しみください。

 

最近のブログは奈良の仏像から脱線中。

 

05年11月6日

先週の予告どおり、ちゃんと豊橋にいる。本日のお土産は百円ショップのメガホン。ここ

のおばあちゃんは耳が遠いので。高価な補聴器もお持ちだが、どうも付け心地がよくない

らしい。一番原始的なメガホンがいいと聞いた。この百円のメガホンを耳に当てるとテレ

ビの声も鮮明に聞こえる。実は私も少し耳が遠い。ガキのころから声がでかいからかも。

上の個展の予定をご覧頂きたい。こんなにやって大丈夫だろうか? 上の予定には京橋の

金井画廊は入っていない。おそらくやってもらえるからさらに殺人的な予定になる。ま、

これぐらいやらないと絵描きとは言えない。これだけやってちゃんと絵が売れれば大した

ものである。正真正銘の絵描きだ。きっと絵だけでメシが食える。

ところで、ブログのほうは養老孟司の『人間科学』講読をやっている。独力で読み通す

のは困難なのでブログでみなさまのお力をお借りしながら読んでいこうという魂胆。歳を

とると本を読み通す力もなくなる。まったく情けない。

 

05年11月13日

名古屋展は明日で終わる。

個展としてはもう一つぱっとしない。お客さんも50人ぐらいか? 

今日はなんと実質ゼロ。本当に難しい。

しかし、名古屋の第一回展としてはギリギリ及第かもしれない。いまや日本一の大都市名

古屋も東京に比べるならやっぱり一地方都市だと思う。もちろんこれは非難ではない。

われわれ東京圏の人間(町田では「東京の人間」とは書けない)から見れば羨ましいこと

だ。東京はしょせん植民地なのだ。全国のいろいろな人が集まって来てメチャクチャにし

てしまった。江戸時代からずっとそうだ。参勤交代制度が江戸の運命を決めた。薩長の明

治政府も容赦なく東京をいたぶった。自分の故郷はそっとしておいて東京を凄まじいコン

クリートジャングルにしてしまった。

したがって、東京のような都市は世界にも類を見ない。

これに対して名古屋など地方都市はちゃんとした都市。郷土の強い絆がある。ここに乗り

込むのはそう簡単ではない。5年とか10年のスタンスでじっくりやらなければならない。

 

ところで、今朝は源氏物語絵巻を見に徳川美術館に行った。10年に一度、現存する源氏

物語絵巻が集まった。徳川美術館はけっこう広い。展示も絵巻だけでなく、武具や茶道具

もあり、見ごたえ十分。10分ほどで見て帰るつもりが30分以上に延びてしまった。平

成の復元も見たが、思ったよりはマシだった。ボロクソに非難してしまい申し訳ありませ

んでした。ま、本物を見ると、ちょっと復元してみたくなる。その気持ちはわかる。精一

杯やってみたのだろうが、残念ながら思うようにはいかなかった。しょせん無理。あれだ

け剥げ落ちてなおあれだけ美しいのだ。再現できるわけがない。その素晴らしさを改めて

見直すだけだったと思う。

 

05年11月20日

ブログのほうも画像が出ないし、 実に申し訳ない。おそらく今週は大丈夫だと思う。

今週の絵は名古屋展後に描いた。どんどん描かないと間に合わない。しかもまだ等迦展の

100号が出来ていない。全然出来ていない。12月の町田展では大きい絵を並べる予定

なので、20、30、40、50号などを描かなくてはならない。合間に小品も描く。大

きい絵の合間に描く小品はうまくゆく確率が高いのだ。

いくら描いても個展会場などでは批判される場合がある。これは致し方ないこと。もとも

と完璧な絵画などない。文句をつければどんな絵にだって文句はつけられるものだ。個展

を開く以上すべてを受け入れなくてはならない。こっちはまな板の鯉なのだ。どうともし

てくれ! という気分。

しかし、なんか言ってくれる人は親切なのだ。何か言いたくなる絵ということだ。絵に引

っ掛かりがあるから文句をつける。嫌な絵なら初めから会場に足を踏み入れない。

黙って買ってくれる方は特上。ちょっと恐ろしい。

それにしても、塾を止めてから恐ろしいほど絵を描いている。しかもまだまだ余裕がある。

まだまだ描ける。どこまで描けるか計り知れない。ま、きっと認められることはないだろ

うが、物凄く上手くなることだけは確かだと思う。絵描きだから当たり前だが、こんなに

上手くなってどうしよう。凄く心配である。

 

本日はにるま氏のブログをリンクする。『わーずわーす』で私を知り、つくば展をご紹介

くださった方。ブログの感じよりご本人はずっとお若い。表紙が私の絵なので驚かない

でください。

 

ブログに少し書いたが、以前『ブローニュの森』というマチスの絵についてページを作った。

この絵が今上野のプーシキン美術館展に来ている。ブログからリンクしたがうまくゆかな

いので、こちらにもう一度リンクしておく。ここをクリックしてください。

 

05年11月27日

とにかく100号2点上野に送った。一応ちゃんと描いた(つもり)。

1月のクロッキー会は11月22日に予告した日取りが変更になった。私の個展の都合な

どを考えずに予約してしまったので、上記のように変更になる。

くれぐれもお間違えのないようにお願いします。

ブログで話題にしたダビッドの絵が出ているページはこちら。ティチアーノのページはこちら

ここからならまず繋がると思う。

ライヴドアのブログは、どうも私には合わないので変えなければならないか? 本音を言

えば変えたくない。面倒くさい。ライブドアさん、私に合わせてください。

本日の上の絵も裸婦にする予定だった。上野に送った100号でもよかった。しかし、

100号はデジカメに撮っていない。話にならない。

絵描きなんだからもっとちゃんと働かなければならない。デジカメに撮るのは義務だ。こ

のホームページももっとちゃんと整備すべきである。食うや食わずの絵描きのくせに怠け

すぎだと思う。深く反省して今週は終わり。

 

05年12月4日

1月のクロッキー会は11月22日に予告した日取りが変更になった。私の個展の都合な

どを考えずに予約してしまったので、上記のように変更になる。

くれぐれもお間違えのないようにお願いします。

 

今年は上野に3回も行った。例年だと1回行くだけ。受賞などをした場合はパーティーに

出るから2回行く。今年は受賞しなかったので普通なら1回だが、審査を手伝いに2回行

った。飾りつけと合わせて3回。朝6時に起きて満員電車に乗って行く。凄く遠い。まっ

たく何のために行くのやら。去年から委員になったから会費は上がるし、審査(まだ見習

い)にも行かねばならない。これが日展とか独立などなら絵を売る上で多少は役にも立つ

が等迦会ではほとんど何にもならない。つまり、費用や労力が宣伝にもならないという

こと。

では、なぜ辞めないのか?

第一の理由は100号を描くこと。100号を描いて上野の都美術館に並べることが第一

の目的である。お客さんなんかほとんど来ないが、そんなことはどうでもいい。問題じゃ

ない。250点の絵の中に混ざって並べることに意味がある。

第二の理由は、これはお祭りなのだ。そう考えるしかない。絵の神様に挨拶するのだ。初

詣みたいなものだ。朝の満員電車は初詣の人の波だと思えばいい。委員は町内会の世話役

と同じ。年に一度みんなで冗談言って笑ったり、この絵はどこの場所に掛けるかと言い合

ったりして楽しむのだ。

それぐらいの気持ちが欲しい。そういう気持ちでみんなやっていると思う。ちょっと贅沢

な遊びである。

ほとんどの人に年に一度しか会わないのにみんなけっこう仲良くやる。年に一度がいいの

かもしれない。

ブログでは「公募展への誘惑」と題して、等迦展などの話を連載中。

 

05年12月11日

いよいよ戦争の週が始まった。戦争は水曜日で終わる。すなわち、2日間だけの町田市立

国際版画美術館の市民展示室展だ。水曜日が過ぎれば、あとは年賀状だけ。本当は喪中だ

が、罰当たりなので通常どおり出しちゃう。年賀状は絵の修練の一つなのだ。さすがに今

年は200枚というわけにはいかない。塾も終わったし、喪中でもある。150枚用意し

た。

戦争の第一日目は50号を描いた。今日はその50号をアップするつもりだったが、また

またデジカメにとっていない。デジカメは本当に面倒くさい。

明日は40号、次は30号と小さくしてゆく予定。水曜日の午前中はクロッキーも入って

いる。ここでも30号に挑戦する覚悟だ。最悪の場合は私はこの日に戦死する。

ブログのほうは公募展論シリーズも終わって、何を書くか困っているところ、と言いつつ、

今日の分は午前中にアップした。ちゃんと働かねば、と思いつつ50号を描きに行った。

ま、一応今のところ絵は仕事だから。

ところで、本当に今日からの戦争に耐えられるのだろうか? まったく自信はない。生き

ていれば来週こそはホームページの整備も進むはず。

 

05年12月18日

恐怖の町田版画美術館展も終わり、安息の日々を送っている。

昨日は銀座に行った。日動画廊は所属の画家の小品展。広い会場に所狭しと0号、SM、

3号などの作品が5段掛けぐらいで並んでいる。物故作家もいっぱいあった。私の父は取

り扱い作家ではなかったので、もちろん展示されていない。原精一の裸婦や風景があった。

0号の風景はよかった。全作品の中で一番よかったかもしれない。30万円。3千円な

ら買ったかも。

私の絵を買ったみなさん、ご安心ください。まったく遜色なし。というか一番いいかも。

こういう小品展を見ても、俺は描いているなと思った。みんな描いてないし、ヨーロッパ

の傑作を見ていない。と言いつつ、入場料1300円に負けて渋谷のスコットランド美術

館展を見なかった。ゴメンナサイ。

それにしても、ヨーロッパの古典絵画や北斎など日本の昔の絵を見ると、もっともっと描

かなければと反省する。ああいう昔の画人の作画量は並外れて凄い。日本の現代作家と比

べて「俺は描いている」などと喜んでいてはいけない。もっともっともっと描かなければ。

とにかく絵を描くしか能がないんだから。

 

先週「ところで、本当に今日からの戦争に耐えられるのだろうか? まったく自信はない。

生きていれば来週こそはホームページの整備も進むはず」と書いたが、やっぱり進んでい

ない。今週こそは本当にやります。もっと画像をアップしなければホームページが役に立

たない。駄文ばかりでは申し訳ない。絵も十分駄作かも。

 

05年12月25日

今日はクリスマス。メリークリスマス。キリスト教の話はブログのほうでやっている。

今日はつくばへ行った。普通なら次のセリフは「遠かったぁ」と来るところだが、実はそ

うも感じなかった。けっこう快適。みなさんも是非おいでください。本日の絵は町田展以

前に描いたにもかかわらず、町田で展示し忘れた。つくば展で実物をご覧ください。

往きは東京駅に出て高速バスに乗った。朝作ったフランスパンのサンドイッチとコーヒー

を味わいながら、首都高から常磐自動車道へと進む。自分で運転すると、ちょっと油断し

ていると上野へ行ったり、千葉へ進んだり、東北道へ入ってしまったりする難しいルート。

バスはいいね。気楽に景色を見ていれば自動的に常磐道だもん。

うとうとする間もなく大田園風景。高速を降りると気持ち悪いぐらいでっかい都市に突入

する。これがつくば学園都市。10年前は一面田んぼだったところが一瞬で大都市にと変

貌した。凄いね。

個展会場は「吉瀬(きせ)」というところ。つくばセンター駅からまたバスに乗る。300円。

のりのりバスというマイクロバスは無料。みなさん、これに乗りましょう!

想像していたところとは全然違うバス停。両側4車線の大通りに屋根つきのバス停がぽつ

んとある。バスを降りても右へ行くのか左へ行くのかさっぱりわからない。ふと見るとバ

ス停にプレートがぶら下がっている。「テロ対策実施中」だって。いくらイスラム過激派

が暇でもここまで来ないだろう。

直感でこんもりした木々のある方角へ進む。すると、人の気配があり、文化の香りが漂う。

「こんなところに!」とびっくりするようなカッコいいイタリアレストラン。その前の古

い屋敷がなが屋門ギャラリーだった。これまたカッコいい。

それにしてもお客さんが来るのか本当に心配。でももちろんちゃんとやります。

帰りは噂のつくばエクスプレス。これは高速バス以上に快適。北千住で乗り換えれば、わ

が長津田まで一直線。このルートが最適かも。ドアツードアで2時間半かからないと思う。

さて、ホームページの整備だが、今週もやってない。しかし、このページの容量を倍増し

たから、画像をいっぱいアップできる。お金も少しかかっているので、来週こそはちゃん

とやる。少なくても正月までには驚くべきギャラリーのページを3つは作る!

 

 

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