唇 寒(しんかん)集20<04/11/28〜05/3/27>

 

04年11月28日

先週宇宙の話を書いて、おしまいのところに

(本日の話題の宇宙の色々な数値は記憶だけで書いているので間違っているかもしれません。

だいたい合っていると思いますが、今週中に確認しておきます)

と記したが、やっぱりいろいろ間違えていた。しかし、それは宇宙がさらに大きいという誤り。

どうしてもわれわれの想像は小さくなってしまう。現実はもっと桁外れ。

第一の誤り。太陽のスピードを秒速200kmと書いたが、手元の資料を確認すると秒速250km

だった。

第二の過ちは大きい。われわれの天の川銀河とアンドロメダ銀河の中の恒星(太陽のように

自分で輝く星)の数を2億個と記したが、天の川銀河で2千億、アンドロメダはその2倍の

4千億あるという。

第三の過ちもでかい。「今見えている宇宙には天の川銀河やアンドロメダ銀河のような銀河

が数億個は確認できるらしい」と書いたが、これも実際には、30億光年ぐらいの範囲でな

んと1千億以上と桁違いに数が多い。

ちなみに、人口爆発などと恐れる全世界の人口はたったの65億ぐらいである。

どうしても記憶のスケールは小さい。気が小さくセコセコ生きているから頭の中も小さくな

る。

われわれがただただ殺伐としたとてつもなくだだっ広い真っ暗闇の不安定のただ中にいるこ

とを400年も前にフランスのパスカルという若僧は見抜いていた。35歳かそこらである。

その文章も美しい(日本語に訳しても)。パスカルの文は現代フランス語の基盤となったら

しい。

  われわれは、固い地盤と、究極のゆるぎない根底を得て、その上に、無限に高くそびえ

  立つ一つの塔を築きたいと熱望している。だが、われわれのすべての基礎はひび割れ、

  大地は裂けて深淵となる。(講談社文庫「定本パンセ」上p225)

この辺の前後の文は痺れる。本箱に「パンセ」をお持ちの方は是非ご確認を。ブランシュヴ

ィック版なら72、ラフュマ版なら199。引用部分はその断章の終わり三分の一ぐらいの

ところ。

 

ところで、等迦展の絵はもう送った。おそらく去年よりはましかと思う。って言うか、去年

の絵は相当酷かった。出してみてびっくりした。申し訳ありませんでした。

 

本日やっと「唇寒」のバックナンバーを更新しました。つい最近のものを先にアップします。

「唇寒集19」

本日の寸前前の数値を桁外れに小さく間違った宇宙の話もお読みいただけます。

 

04年12月5日

現在、等迦展真っ最中。今年は知り合いの方が2名入選した。鴨志田一雄さん(第2室)と

望月達さん(第4室)。これから行かれる方はご覧ください。私のは第7室、乱暴な絵です。

 

というわけで、パスカル(1623〜1662 最近大気圧の単位になったヘクトパスカルはこの人

に因む)は人間の状況を知っていた。大宇宙の中で人間がどれほど弱く孤独な存在かを熟知

していた。日本で言えば江戸時代の初期である。驚くべき洞察力と言わねばならない。先週

も書いたが、35歳前後の人である。39歳で没している。

こういう人間がどうやって生きてゆくか。どういう気持ちで暮らすか。本当の真なる人間の

状況を感得できたならとても生きていられない。気が狂う。

パスカルは「人間の悲惨」と題して、どうにもならない人間の真なる状況を次々と暴いた。

私も若い頃は「カッコいい」と感じながらも「何もそこまで悪く考えなくても……」と思っ

たりした。

とにかく、それではその悲惨な人間はいかに生きればよいのかという最終問題にも答えてい

る。それは神の信仰だった。「パンセ」を読んでいるとキリスト教徒になるしかないと思い

詰めてしまう。それぐらい迫力がある。

しかし、私はちょうどその頃同時に仏教にも興味があり、水墨画にも惹きつけられていた。

水墨画は禅宗と深く結びついている。だから、結局なんとか教には入らず、ただダラダラと

歳を取ってしまった。もちろんオウム信者にならなかったのは超ハッピーだったが。

 

本日は「唇寒集18」を更新。これで、04年11月21日までのバックナンバーはすべて揃っ

た。なお、今後はすぐ前のバックナンバーが読めるような方法に変える。ちなみに、先週の

「唇寒」は「唇寒集20」に収録。この「唇寒集20」は毎週増えてゆく。

先週更新した「唇寒集19」もどうぞ。

 

04年12月12日

ここ1ヶ月ほど読まなかった養老孟司をまた読んでみた。やっぱり養老先生は面白い。

「続・涼しい脳味噌」(文芸春秋)のp111「国際水準」という項。

「自然のほうを向いていないといけない」という主張。ほとんどの人が人間の方を向いている。

それでは本当のことはできない。自然の方を向くべきであるという。

すなわち、他の人に褒めてもらいたいと思って何かをしているようでは本当ではないとおっ

しゃる。養老先生は科学者だから、他の人とは自分より偉い先生とか世に認められたいとか。

これは絵描きだって同じ。ほとんどの絵描きは人間の方を見ている。つまり、先生とかコレ

クターとか世間である。新しがっている現代アートもみな同じ。会場効果や売れ筋ばかりに

つい走る。

養老先生は言う。

「顔が人間のほうを向くと、なにが起こるか。他人の認めることでなければ、やらなくなる。

他人が認めると予測できることでなければ、やらなくなる」

他人の認めることの一つの典型が「国際水準」なる妄想。

養老先生はこう結論付ける。

「本当にしたいことをしていれば、いずれは『国際水準』に達する。それではなぜいけない

のか」

「自分のしたいこと」とは「自然のほうを向く」ということ。人間ではなく、自然のほうで

ある。絵描きだったら「本当に描きたいものを描きたいように描く」ということである。こ

の前の東京都現代美術館のピカソ展に並んでいた。女性の股間の絵。股間だけの絵。ピカソ

は本当に描きたいものを描いていた。実にわかりやすい。

 

04年12月19日

「わーずわーす」(月刊誌)の話が始まったのはまだ暑い盛りの頃だった。

新しい男性誌を作るという。総責任者は小黒一三という方。編集者としては名の通った人

だ。「ソトコト」(月刊誌)という環境雑誌を成功させた。

「わーずわーす」の主張はアジア。アジアの再発見という主題。そこが一般の男性ファッシ

ョン誌とはちょっとちがう。一本筋の通った男性誌というわけ。

昨日の発売なので、まだまだ読み込んではいないが、ぱらぱら読んでゆくとけっこう面白い。

私のコーナーは水墨画の紹介。「ヘンなオヤジが日本各地の美術館を旅歩く」という企画。

一応1年間は連載してくれるという。

初回の訪問先は根津美術館。牧谿の「漁村夕照図(ぎょそんせきしょうず)」がテーマ。モ

ネやターナーを引き合いに出し、牧谿が世界最高の風景画家と断じた。全国の書店に平積み

されてあるはずなので是非ご購入ください。780円。買って損をしたとは思わないはず。

なかなかいい雑誌。

創刊2号(3月号)の記事も入稿済み。連載2回目は富山県水墨美術館へ飛んだ。富岡鉄斎

の絵を中心に書いた。乞う、ご期待!

和服を着て偉そうに腕組みしている私の写真が2枚載っている。3月号にも。

本人の認識はギター侍。着物も安物なり。

 

雑誌を見てから、気に入った会社の内定が取れて有頂天の娘は私を「先生、先生」と呼ぶ。

写真も文章も「利口そう」という厳しい評価。確か高校1年のとき担任に「利口そうにするな」

と言われたのを思い出した。もっとも学年が進むに連れて本性が現れたから高校の担任の先

生は安心されたと思う。高校では落語研究会の実質的部長だった。和服はその頃からよく着

ていた。和服のインテリというよりやっぱりギター侍なのだ。

娘の評価に対しては「本当に利口かもよ」と超憎らしく返答しておいた。

娘が内定が取れた瞬間、その電話をしているすぐそばに不幸にも私がいた。さらに不幸なこ

とには家の中に二人きりだった。

「お父さん、お父さん、内定取れた!」

私は、半年後、会社の不平を言い捲くる娘の様子を思い描いて、思わず言ってしまった。

「働かされるだけじゃん」

 

上の絵は以前アップした(と思う)が、今回「わーずわーす」に掲載したので、再アップした。

 

04年12月26日

12月18日に発売された「わーずわーす」(月刊誌)の私の記事への反響は、ま、ほとんど

ない。知り合いの方から4〜5本メールをいただいた程度。

これから年賀状で宣伝するので、まだまだ。

先週もお知らせしたとおり、創刊2号(3月号)はすでに原稿を送ってある。富岡鉄斎がテー

マ。今は3号(4月号)の構想を練っている。4月号と言っても1月20日ごろが締め切り。

油断は出来ない。もっともまだ美術館も確定していない。

今は年末でけっこう忙しい。年賀状も全然書き始めていない。構想もない。実は、10月に

岳父が亡くなっているから、今年は喪中の年なのだが、ま、岳父だし、90歳だったのだか

ら十分いいだろうと200枚買ってしまった。だからやっぱり描いちゃう。しかし、間に合

うかなぁ。毎年こんな調子だ。

ところで、来週の更新はお休みをいただく。正月休み。ご容赦ください。

しかし、今週やっと「最近の絵」をアップした。約一年ぶりの更新である。やってみるとけっ

こうたいへん。こんな作業はとても毎月は出来ない。次回から毎週少しずつ増やして、適当

に絵を削ってゆく方針に変える。しかし、先週の絵は「わーずわーす」に紹介したので、「 わー

ずわーす」からの新しいお客様の目安として残す。来週お休みなので3週間連続同じ絵

になってしまう。申し訳ありません。

また、今週は文章を書く意欲もなく、つまらない近況報告となってしまった。おしゃべりオ

ヤジでもたまにはこういうこともある。重ね重ねゴメンナサイ。

 

05年1月9日

不思議なことに05年が明けた。ちゃんと生きている。

しかし2月からの展望はない。普通の人なら精神病になるころ。それなのに、至って健康。

おそらく心も病んでいない。

今もプールで30分ほど泳いできた。行くときは北風がぴゅーぴゅー冷たかったが、帰りは

さわやかな涼風になっていた。プールから出たときは夏より冬のほうが気持ちがいい。

 

最近はロクに本も読まない。正月休みもほとんど読んでいない。

読んだ本は将棋の本ばかり。大山康晴名人のことを書いた本を読んだ。偉い人だということ

はだいたい知っていた。将棋が強いのはもちろんだが、戦後の混乱期に将棋界を支え、しっ

かりした組織に育てた功績は計り知れない。大山名人が生きているころから将棋が好きだっ

たから、大山名人の勝負術が余り褒められないことは知っていた。しかし、やっぱり功績は

大きいと思っていた。いま改めて知ると驚くことばかり。偉い人なのである。

将棋は大変ピュアなゲームだ。麻雀のような運はほとんどない。自分の手を隠さない。すべ

てオープン。考える時間もたっぷりあって、まさに頭脳勝負。頭のよい人が勝つ。第一線で

活躍している一流棋士は子供のころからとても強い。近所の大人など問題にならない。だか

ら、すぐ「天才」と言われる。普通の大人がアマチュアの初段を取る苦労を考えると、文字

もロクに書けない小学生がやっと初段になった大人をばったばったとやっつけるのだから、

これは「天才」と言いたくなる。しかし、将棋というたいへん特殊なゲーム上でだけ強いと

いう話。所詮ゲーム。もちろん私から見れば間違いなく天才なのだが、棋士本人がその気に

なっていい気になるのは危険である。ま、一流棋士はほとんどみんな謙虚だから大丈夫だが、

ときどき妙な言動を見聞きすることもある。子供のころから天才、天才とチヤホヤされたの

だから、ちゃんとした大人になるのは一苦労かも。

絵の世界とは比べられないが、将棋の棋士にインチキはいない。間違いなく将棋が強い。絵

は主観の世界だからおかしな絵描きがたくさんいる。そこがまた面白いところでもあるが、

まったくやってられないという気分になることも少なくない。

と、自分はちゃんとした絵描きだと思い込んでいても、将棋界に換算したらアマチュア初段

以下だったりして。

 

05年1月16日

先週は9日の夜に更新できなかった。更新ソフトが不調。10日の朝試してみたらうまくいっ

た。また、更新日が1月12日になっていた。いろいろおかしい。

昨日の最大のニュースは土星の衛星タイタンの写真。それにしてもあんなものが何の役に立

つのだろうか? 土星といえば、火星の向こうの木星のさらに向こう側。太陽からはるか遠

い寒いところ。タイタンの地表の気温はマイナス179度とあった。今朝の新聞には360

度のパノラマ写真が載っていた。海があって陸がある。川も見える。あの遠い沿岸に工場地

帯はないのだろうか? 工場地帯でなくても漁師の村は? 絶対にない。だってタイタンの

海はメタンの海なのだから。しかも地表温度は−179度。莫大なお金を掛けてアメリカと

ヨーロッパが撮った写真だそうだ。原始の地球を知る手がかりとか。なんだか訳がわからな

いけど、メチャクチャ面白い。ネットで見ることもできる(解説付き)。

 

確か10日だと思ったが、町田の市立博物館に行った。河井寛次郎展をやっている(2月6

日まで)。河井寛次郎は明治生まれの陶芸家。国画会に所属していた。国画会は私の父がい

た美術団体で、もちろん今も毎年5月に上野で展覧会をやっている。私の子供のころは会と

の付き合いが深く、夏には会の人と海へ行ったり、普段もしょっちゅう行き来があった。

美術団体で一番有名なのは日展である。日展ははじめ文展と言われた。文部省が主催したか

らだと思う。次に帝展となった。大日本帝国の展覧会だからか? ここでの確認していない

が、おそらく正しい。つまり日展は国がやっている公募展。今も社団法人である。

こういう国家権力がかかわる美術では真の自由な制作活動が難しいと在野の美術団体が出現

する。二科会は文展の二科、すなわち油彩画部門(一科は日本画部門)が独立した最初の在

野団体。1914年とある。このとき日展の油彩画部門は骨抜きになった。生粋の在野団体

で一番古いのは春陽会。岸田劉生の草土社が発展的に1922年に結成した。しかし、これ

も内部分裂して岸田劉生が抜けた。その後を慕った梅原龍三郎などが、主に日本画の在野だっ

た国画創作協会の洋画部に入った。ここでも春陽会は一度骨抜きになった。しかし、中川一

政などが春陽会に残ったこともあり、今も春陽会は健在(春陽会には点描の岡鹿之助もいた)。

国画会は戦後活況を呈している。私が毎年見ていたころだ。梅原は元気だったし、香月泰男

もいた。河井寛次郎も国画会だった。他に思いつくのは司馬遼太郎の挿絵で有名になった須

田剋太もいた。今の国画会は芸大の卒業生が多い。最近は行っていないが、おそらく抽象絵

画が主流。森本草介のような細密描写の流れも見られる。

美術団体の話をすれば、上記のほか独立美術がある。ほかに二紀会、自由美術、行動美術、

主体美術、モダンアートなどの在野団体、日展と掛け持ち出展できる一水会、白日会、東光

会、朔日会、示現会などもある。

ま、上記のような画壇美術に対して現代アートなる塊が登場した。コンテスト形式の公募に

出して名を馳せる画人も出てきた。いっぽう銀座や京橋の画廊絵画もあり、こちらは上野の

画壇美術と密接だったが、上野には出さない人も「無所属」画家としてやっている。

先週の話の続きで言えば、将棋は81マス、しっかりルールの決まった白黒はっきり勝負の

つく世界だが、とにかく絵は自由。見るもの、描くものの主観だけの世界だ。「しっかり修

業が出来ていて実力十分」などと言っても、絵が認められなければ始まらないのだ。

美術論を繰り広げたら切りがないのである。

以上のような前提に立って河井寛次郎の作品を見ると、なかなかいい。力強いし、自由闊達。

のびのび見事な造形が豊に広がっている。

いっぽう、河井の言葉が布に大きく印刷され会場のあちこちにぶら下がっているのだが、こ

ちらはいただけない。「美」がやたらと連発されている。挙句の果てが「愛」である。勘弁

してもらいたい。造形作品は出来たものがすべてで、作画動機なんて何だっていいのだが、

こうやってぶら下がっていると、なんだか数十年前の上野の国展にタイムスリップしたみた

いで、そのころの作家の心意気が手に取るようにわかる。

はっきり言ってダサい。西洋かぶれでヨーロッパ信仰。東洋を理解する様子もチラと見せた

りして我慢ならない。いまだに都美術館のレストランは肉料理が主流。麺類はすべてスパゲッ

ティで、油はラードを使っている(と思う)。馬鹿野郎! こちとら日本人だい。蕎麦ぐら

い置いておけ。ちなみに、東京国立博物館の精養軒には去年の秋から蕎麦が置いてある。東

洋の食文化の素晴らしさにやっと気がついたらしい。「遅い!」つーの。

すなわち、西洋絶対主義が蔓延していたのだ。だって都美術館では日本画の展覧会もやって

いるのだ。日本画家も得意になって洋物の脂ぎった肉食をしていたことになる。「絵は日本

画だが心は西洋にある」っていう感じ? さしずめインテリである。

誰も疑っていない。絶対である。実存主義が流行りだして、しゃべっちゃいけない、本を読

んでもいけない、考えちゃいけないとなり、「もしかするとこれって禅?」と気がついて、

やっと良寛にたどり着けば、良寛様は列記とした禅僧だった。松尾芭蕉も臨済禅の教えを受

けていた。一休さんも禅僧。私の父の実家は日蓮宗だったが、葬式は曹洞禅でやった。父の

遺志である。

本心ぶっちゃければ、日蓮宗も悪くはない。似たようなものだと思う。とにかく、葬式は短

のが一番! なければさらにいい。

上記のような思想の変遷をした代表者が中野孝次ではないか。これからは養老孟司で大丈夫!

何が?

本日の絵は以前にも掲載した「華」。去年の夏にテレビカメラの前でイッキ描きでやっつけ

た作品。1月19日発売の『わーずわーす』3月号に載るので再掲した。

 

05年1月23日

熱海のMOA美術館に行った。目的は『わーずわーす』の取材。今やっている浮世絵展も見る

ことになる。葛飾北斎の師だった勝川春章の美人画がよかった。また、初期の浮世絵との関

連で風俗画も出展してあった。教科書に載っているような重要文化財が2点。やっぱりいい。

『わーずわーす』の取材は3回目になる。第1回が根津美術館、2回目が富山県水墨美術館、

そして今回がMOA美術館だ。それぞれそのときの企画展をやっている。根津では宋元の漆

器を見た。『わーずわーす』の取材がなければ絶対に見に行かない展覧会。富山では刀剣の

展示。刀剣は漆器以上に見に行かない。しかもはるか遠方の富山では話にならない。しかし、

それぞれのところで、学芸員の方にいろいろな話をお聞きできる。富山の刀剣は取材が休

館日だったので特にゆっくり解説していただいた。ずっと昔、奈良の大和文華館に行ったこ

とがある。そこでは陶磁器の企画展をやっていた。数人の方に学芸員が詳しく解説して回っ

ていた。なぜか、私もついて回ってしまい、陶磁器に詳しくなった。とは言っても値段の鑑

定は出来ない。

こんな具合に、絵画以外の美術品にも詳しくなってしまう。もちろんけっこう楽しい。やっ

ぱり美術品には作家の気合が感じられる。今回の勝川春章もだが、刀剣や漆器でもいいもの

には皆共通の気合がある。楽しませていただいています。

ところで、『わーずわーす』3号のメインは梁楷の「鷺図」。以前このホームページ

にも取り上げた。『わーずわーす』に掲載される「鷺図」は講談社の「水墨美術大系第4巻

梁楷・因陀羅」(講談社 ¥17000)の図版よりずっとよくなるはず。水墨美術大系の

はモノクロで印刷もイマイチ。『わーずわーす』のは最高の出来上がりが期待できる。大き

さもページいっぱいに取る予定。この1ページのためだけでも¥780は安いと思う。

 

話は全然変わるが、昨日今日と町田市の中学室内プールは客がほとんどいない。私以外に一

人だけ。それも途中からは私一人。公共物を独占していいのでしょうか? どっかの国の独

裁者よりも贅沢。ま、この寒さで泳ぐのは馬鹿かも。今日は雪も降っていた。

 

先週の日展系公募展で大事なところを2つ忘れていた。清水港の森の石松の金毘羅まいりじゃ

ないが、寿司を食わしてもらうためにもここに記しておく。光風会と旺玄会。

 

本日の絵は先週に引き続き、以前に掲載した「華」。去年の夏にテレビカメラの前でイッキ

描きでやっつけた作品。1月19日発売の『わーずわーす』3月号に載っているので継続再

掲した。

 

05年1月31日

本来ならば昨夜更新しなければならないところを本日になってしまった。

実は昨日は豊橋に行っていた。

土曜日に前もって更新しようと準備をし、さて、アップロード、と思ったら2時間かけて(

負け将棋を1局挟んだかも)作ったファイルが見当たらない。検索をかけてもない。時間も

ない。だから(豊橋へ)行っちゃった。

豊橋では大した用事はないが、スポーツジムと喫茶店へ行った。スポーツジムは泳ぎに行っ

たが、ちょっとしたストレンジャー気分を味あわせていただいた。よそ者扱いを受けたわけ

ではない。スポーツジムの招待券を義兄にいただいたので、2日連続行った。スポーツジム

はいわば(老人)デイサービスの前哨戦って感じか? 60歳前後の方々が楽しく集まって

いる。絵画教室も同じかも。新老人は75歳からという。そこからがデイサービスの学齢期

ってところ。その前の幼稚園がスポーツジム。もちろんスポーツジムだから若い人もいる。

年齢制限はない。私営だからいろいろと自由。そのかわりお金もかかる。プールがあって、

ゴルフの練習が出来て、筋肉トレーニングの設備があり、エアロビクスで汗を流す。プール

には風呂がある。シャワー室にはシャンプーや石鹸も備え付け。会員になって毎日行くなら

けっこう安く済む。平日の昼間から満員である。私が行ったのは土日の夜だったのでプール

は十分泳げた。プールにいる人は男女混浴みたいな感じにプールのコーナーでしゃべってい

る。ほとんど泳がないように見える。それでもときどき泳いでいるらしい。玄関ホールには

「正しい」ダイエット方法が展示されている。身体の中の脂肪の模型がある。更衣室などには

鏡がいっぱいある。自分の身体の中にこういう脂肪がたぷたぷと入っているのかとつくづく

納得できる。

喫茶店ではマンガを読む。だいたい「ビックコミック」か「ビックコミックオリジナル」を

読む。「ゴルゴ13」とか「はぐれ雲」とか。他に短い四コマ漫画を読む。ところが今回は他の

人が読んでいてお目当てのマンガがない。致し方ないから若い人向きのを見たら、裸と性交

でいっぱい。びっくりした。もっとも「ゴルゴ13」や「はぐれ雲」にもそういう場面はけっこ

うあることはある。だけどやっぱり私には刺激が強すぎる。PTAじゃないけれど、あんなマ

ンガ雑誌が世に充満していていいのでしょうか? 

将棋雑誌はずっと穏健。養老孟司はさらに安全。

(ここから、消えた部分の復活に努める)

養老孟司の対談集「見える日本、見えない日本」(清流出版)のなかの奥本大三郎(「ファーブ

ル昆虫記」の翻訳者)との対談には絵がよく出てくる。奥本さんが絵が好きみたいだ。しかし、

不十分な感じを受けた。たとえば、中国に花鳥風月の感覚はないというような記述は私の『わー

ずわーす』を読んでいない(当たり前だが)。中国は広いから致し方ないが、南の長江付近の、

納豆文化圏には花鳥風月を楽しむ風習があると思う。梁楷や牧谿の絵を見ればすぐわかる。

ずっと後の徐渭や八大山人、石濤の絵でもわかる。日本の花鳥風月はそういうところから学

んでいると思う(日本にも元から花鳥風月を楽しむ土台はあっただろうが)。

また、ヨーロッパ絵画には虫の絵がないという話もあった。しかし、ヨーロッパ絵画には虫

の絵はとても多い。18世紀のオランダ絵画の精密な花の絵には必ず虫がいる。よく見ると

気持ちが悪い。近代絵画でもボナールは蟻の行列などを描いている。

と、まあこんな話を打ったような気がする。

 

05年2月6日

いよいよ金井画廊の個展が近づいてきた。その前に一つ風景画の企画展がある。

とりあえず風景画を描かねばならない。

また、大量にキャンバスも張らなければならない。

『わーずわーす』4月号の原稿も書かなければ。

それなのに、パソコンソフトの将棋ばかりやっている。読む本も将棋の本ばかり。もちろん

全然上達しない。

だから将棋の話をすると、不調だといわれていた羽生善治は復調している。4冠まで制した

森内がどんどん失冠している。もうすぐ名人位だけになりそう。とは言ってもこのままダメ

になる感じはしない。十分強い。大丈夫。

20歳の渡辺明が森内竜王を破って新竜王になった。新しいヒーローの登場かも。この人は

20歳にして奥さんがいる。この前子供も産まれた。あと若手で強いのは23歳の山崎と宮

内。羽生、森内、佐藤などより10年若い。

それにしても羽生世代は凄い。いま33歳ぐらいの人たち。将棋以外でも活躍している感じ

がする。イチローなども同年齢なのではないか? 高橋尚子も。貴乃花もか? 絵描きにも

いいのが出ているかも。昭和44〜5年生まれに注目! 

本日は不調につき以上です。

『わーずわーす』がでているのにアクセス数はまったく増えず。むしろ減り気味。

 

05年2月13日

明日から金井画廊でpaysage展が始まる(26日まで)。

今月はクロッキー会がないからキャンバスに追われることもない。とは言っても、個展が近

づいているからやっぱり張らなければならない。つらいなぁー。地塗りをすると狭い部屋が

臭くなる。ますますパソコン将棋に負けてしまう。

パソコン将棋ばかりやっているからちっともテレビを見ない。将棋を中断しても見るのは「エ

ンタの神様」。土曜日の10時から日本テレビ。あれだけは面白い。昨日も見た。見ていて「お

もしろいなぁ」とつい呟いてしまったほど。やっぱりお笑いはネタ物が一番いい。

水泳もけっこう行っている(昨日は休んだ)。体重や体脂肪にはほとんど効果はないみたい

だが、泳ぐとなんとなく体調がいい。この前は豊橋で泳いだ。豊橋と東京は250キロぐら

い離れているから、軽い時差ぼけがある。泳ぐとすっきり時差ぼけも解消する。イライラし

たりムカついたりしたときも泳ぐとすっきりする。もちろんぐったり疲れるが、それもまた

いい。寒いからプールに客がほとんどいない。これもいい。いいこと尽くめ。

絵画教室はここのところずっと室内ばかり。寒いので仕方がないが、早く外で描きたいもの

だ。生徒のみなさんも初めは「恥ずかしい」などと言って、嫌がっていたが、最近は外のほ

うがいいようだ。花だって風景だって絶対外のがいい。気持ちいいから。

それももうすぐ。風はまだ冷たいが、日差しは明るいし暖かい。季節は立春なのである。

 

05年2月20日

『わーずわーす』の第3号が出た。第3号は梁楷の話。このホームページの絵の話「雪舟の

想い」(水墨画の世界6)でも取り上げたMOA美術館所蔵の伝梁楷「鷺図」がメイン画像。

あれだけの図版は専門書でも得られない。

ページいっぱいいっぱいに大きく印刷するように私がお願いした。あれ1枚のために『わー

ずわーす』を買っても高くない。原版はMOA美術館からン万円で借りたネガ。ちゃんと奇

麗に仕上がっている。

その『わーずわーす』の4月号が休刊になる。世の中甘くない。

『わーずわーす』は私のページだけでもたいへん価値が高い。2号の鉄斎はあんな大きい図

版では絶対に見られない絵。あの絵の図版が見たければ富山県水墨美術館のカタログを取り

寄せなければならない。1冊4000円もする。しかも『わーずわーす』のほうが写りがい

い。富山水墨美術館の最高傑作4点を収録しているのだ。私が本屋であの雑誌を発見したら

絶対買う。だけど私が男性誌のコーナーで立ち読みなどすることはまずない。私が見るのは

将棋の雑誌と芸術新潮ぐらい。世の中どこにお宝が転がっているのかわからないものだ。

本日の画像は『わーずわーす』3号に掲載された「萌」です。

 

05年2月27日

本日は更新日で、現在夜中の12時。『ピースメーカー』という映画を(テレビで)見てし

まった。私はああいうアクション映画が大好きである。

実はちゃんと文章は書いてあった。今読んだが、これを公開するのは憚られるのでやめる。

ということは、本日更新する文章がなくなる。

上の絵も先週と同じ(『わーずわーす』に紹介した絵だから)。ごめんなさい。

本日更新しようとした話はプロ論。後日改めて述べます。

本日の画像は『わーずわーす』3号に掲載された「萌」です。

 

05年3月6日

昨日はギリシャ彫刻の「踊るサテュロス」を見に東京国立博物館に行った。(3月13日まで。

会期中無休)

ミロのヴィーナス以来の本物のギリシャ彫刻ではないか? 

1998年イタリアのシチリア島沖で漁船の網にかかった大物である。「2000年の眠り

から醒めた地中海の至宝」とパンフにある。

大理石の彫刻ではなく青銅の像。等身大より大きく、思ったよりずっと凄い。生粋のギリシ ャ

がやって来たという感じ。ミロのヴィーナスよりクラシックだと思う。顔も素晴らしい。噂

どおり本当にプラクシテスの手による彫像かも。私レベルならそういわれてもまったく異存

はない。

会場は薄暗いが、すぐ背中が眼に飛び込んでくる。もうそれだけでどれほど凄い造形か察し

がつく。「ああ、この背中はミケランジェロのデッサンだ。ミケランジェロにこの彫像を見

せたかった」と思った。優劣を語るならルネサンスは古代ギリシャに及ばない。ミケランジェ

ロを凌ぐ造形だ。神の技か、古代の息吹きか、どうしてこんなに素晴らしいのだろう。しか

し、ミケランジェロはギリシャの子である。間違えなく同じ方向を見ている。同一の美を知っ

ている。芸術の神髄に向かっている。

ぐるりと回りこむと顔が見える。よく見える。いい顔である。文句なし。この顔なら最低で

も紀元前300年。450年と言われたら、それはそれで納得できる。どうやってこのよう

な顔を作るのだろうか? あどけなく、知性にあふれ、素直で、美しい。神秘があり、覚醒

がある。

さらに回ると、顔はわずかに顎と眼だけがうかがえる。身体は真正面に来る。私はこの角度

を最高のアングルだと思う。ところがこの角度の写真がない。1000円のカタログを買っ

たがこれにもない。一体の彫像を撮影するのだから、機械的にとりあえず8方向から撮れば

よいのだ。どうして、最高のアングルがないのだろうか? 

この像はこの後名古屋の愛知万博に展示される。チャンスがあったら是非見てください。

上野駅のホームが5時過ぎ。5時30分までに東京駅に着かねばならない。東京駅ステーショ

ンギャラリーでは「無言館 遺された絵画展」をやっている(3月21日まで)。ちょうど

私の父親世代が若かった頃の絵画。太平洋戦争に徴兵され死んでいった画学生たちの絵であ

る。配列もよく、文字の分量も適当で、当時の状況がよくわかる。「どうせ画学生の絵」と

半分馬鹿にして入館したが、こみ上げてくる感動は抑えることができない。私が一番見たかっ

たのは若妻や許婚の裸婦。まさに入魂の筆致。残念ながらお目当ての絵は多くなく、複製画

だったりしてがっかりしたが、それに余りあるものがあった。裸婦は上田の無言館まで見に

行くしかないか? 世の中甘くない。

この展覧会も全国を巡回するので、お近くに巡回の節はお見逃しなく。

東京ステーションギャラリーはこちらをどうぞ。

 

上の絵も先週と同じ(『わーずわーす』に紹介した絵だから)。ごめんなさい。

本日の画像は『わーずわーす』3号に掲載された「萌」(3週連続同じ絵)です。

 

05年3月14日

図書館に『国民の芸術』という分厚い本があったから借りた。

この本の存在は前から知っていた。田中英道の著書だ。田中の本では以前『写楽は北斎であ

る』という本を読んだ。この『国民の芸術』は『国民の歴史』とか『国民の……』などすべ

て1000ページにも及ぼうかという厚い本が本屋に並んでいた。著者も題名も本の様子も

どうも偏った感じがして手にも取らなかった。

『国民の芸術』はなんとなく借りてしまった。読むとけっこう面白い。田中は筆が立つ。ス

ラスラ読める。内容の偏りは思ったほど大したことはない。こっちがしっかりしていればまっ

たく問題ない。高校生ぐらいの若い人が読むと危険かもしれない。ま、しかし、どんな本も

幾分は偏っているのだから、偏りなど気にすることはないかも知れない。

明らかな間違えが2箇所ほどあった。雪村が雪舟の弟子だというところ。確か、雪村は雪舟

を慕っていただけだと記憶する。活躍年代に100年以上の開きがあるはず。禅宗の話でも

曹洞宗と臨済宗の区別が不明瞭だし、道元の読み込みは全ったく不足。それから、可翁、黙

庵、鉄舟、愚慧など初期水墨画への言及がほとんどない。これらの絵画を語らずに『国民の

芸術』もないだろう。

本が厚い割には1800円と安価だが、田中英道も日本の美術史に関しては大したことはな

いと感じた。これぐらいの見識で「新しい歴史教科書をつくる会」などと言ってもらっては

教科書を使う中高生が可哀想である。田中はこの会の会長である。

ほかにも、たくさん文句はあるが、本日はこれぐらいにしておく。

 

本来なら昨夜更新するところでしたが、本日になってしまいました。申し訳ありません。

本日の画像は『わーずわーす』3号に掲載された「萌」(4週連続同じ絵)です。

 

05年3月20日

もうじき個展が始まる。みなさま、よろしくお願いいたします。

23年間やってきた中学生対象の学習塾を閉めた。わが町成瀬の塾の状況が変わってしまい、

私のような個人塾は出来なくなってしまった。ま、10年ぐらい前から危なかった。去年か

らさらに状況が悪化した。中学生にとって悪化したのかどうかは不明。ま、おそらく悪化し

たと思う。

閉めると仕事がなくなる。失業である。子供(といっても23歳と21歳だが)が親の職業

が言えないのはみっともないと嘆く。私の職業は画家である。それが本来の仕事である。た

だ絵が売れないから「画家」と言えないだけ。これからは大っぴらに画家と言えばいい。

塾のおかげで子供が育ち、とにかく絵を描きながら20年以上生きてきた。ありがとうござ

いました!

これからも、何かやりながら生きる。当たり前である。塾だって毎年毎年生徒が集まるかど

うかわからなかったのだ。ただ、今年は全然ダメだっただけ。「そろそろ止めどきだよ」と

神様が言っているのかもしれない。

私の絵画理論では、このどうしようもない状況だと絵がよくなるはずである。

最近もあちこちでアマチュアの方の絵を見る。何がいけないか。もちろん下手だが、下手は

致し方ない。ゴッホだって十分下手である。下手なくせに主張があるから気持ちが悪い。そ

の主張が陳腐だからなお悪い。写真を見ながら描いているから最悪。生活が安定しておられ

るのは仕方がない。いい年をして職がない私は馬鹿である。普通の頭脳があれば、安定した

収入を持っているものだ。だから安定した暮らしの中で絵を描くのは致し方ないとしよう。

本当はダメなのだが、そこは問わない。せめて写真を見て描くのは止めたほうがいい。安定

に安定が重なって酷い絵になる。技術がないからなおさら酷い。

フェルメールの絵は写真のように見えるが、すべてフェルメールの技術で描かれている。フェ

ルメールの時代にもピンホールカメラがあったなどと言っている美術史家もいるが、そんな

めんどくさいものなど使わなくてもフェルメールはちゃんと描けるのだ。あの筆触を見れば

どれほどずば抜けた画力を持っているかわかりそうなものではないか。やっかいなピンホー

ルカメラなど準備している間にフェルメールなら数枚の油彩画を描き上げてしまう。絵とい

うものは人間が描くのだ。心持一つでどうにでもなる。円柱の形も取れないような素人が写

真を見ながらダラダラと時間ばかりかけて魅力的な絵が出来る道理がない。頭を冷やしたほ

うがいい。絵を何だと思っているのだろうか?

無言館の裸婦がいいのは、戦争に死にに行く画学生が最後の最後に愛する女性との別れを惜

しんで描いているからである。モデルの女性も最高の美しさを示す。ああいう絵は世界に一

つしかないのだ。だからこそ価値がある。

パスキンも女性像を描いた。淡い色調の美しい裸婦だ。やるせなくて悲しい絵である。何が

いいのか? すべてを賭けているからいいのだ。人生を捨てているから素晴らしい。ちゃち

な財産やちっぽけな暮らしをかなぐり捨てて腰からドーンとキャンバスに向かっている。本

気の本気である。パスキンの全存在が色となり線となって画面を埋めている。素晴らしい絵

である。どうしたってミュシャよりいい。問題にならない。どうしてミュシャに人気が集ま

るのかさっぱりわからない。それはミュシャも人生を賭けた画家である。立派な人間だと思

う。だが、所詮職人に過ぎない。絵がうまいだけの人。その枠からぜんぜん出ていない。今

の日本の人気作家もみんな同じ。左脳ばかりが働いている。

長谷川利行は並外れた日本人画家だった。ドーンとキャンバスにぶつかった。ヨーロッパな

らもっともっとたくさんいる。パスキンもそうだし、ルオーも凄い。ゴッホはそういう純粋

画家の祖である。ピカソは恋に賭けた。

鳥海青児の絵を昨日見た。いいのは40歳まで。どうして考えるのだろうか? 己の技術で

絵を描こうとするのか。なけなしの頭でいくら考えたって造形は生まれないのだ。そんな簡

単なモンじゃないだろ。止むに止まれぬ厚塗りと、作為が見え見えの厚塗りではその美しさ

は全然違う。しっかりしてくれよ。芸術でも作るつもりかよ。そんなものは幻想である。美

しいということをもっともっと知るべきである。

以上、これだけ生意気なことを言う奴の絵を見に来てください。

絵画とは喧嘩である!

喧嘩といえば、『国民の芸術』の雪村が雪舟の弟子だという話。雪舟と雪村の歳の差は100

歳は離れていなかったが90歳以上は離れていた(雪村の生没年が不明のためはっきりしな

い)。しかし、絶対に弟子ではありえない。

 

05年3月27日

いま、個展の真っ最中。同時に塾の片付けの最終盤。本日は金井社長にお休みを頂き、荷物

運びに終始した。

というわけで、更新はこれだけ。

ちなみに、個展の序盤は盛況で、買っていただいた絵も6号4枚、4号、3号各一枚と私の

個展としては大きな絵でびっくりしている。もちろん、年に一度これだけ買っていただくだ

けではとても生きてゆけないが、嬉しい驚きではある。

買っていただいた責任上、なんとしても生き延び、絵を描かなければならなくなった。

ちなみに、本日の肉体労働の感想。まだまだけっこうやれる! でした。

 

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