唇 寒(しんかん)集10

 

02年7月28日

昨日から今朝にかけて美術の番組を3つ見た。昨日の夜は12チャンネルの『美の巨

人たち』の長谷川利行。その直後、NHK教育の『美と出会う』で島田章三。今朝は

NHK総合の『新・日曜美術館』でアフガニスタンの古代美術。他にゴッホ展や薬師

寺展、黒田清輝展などの紹介。

昨夜の長谷川利行は演出過剰で絵が少ない。この番組は毎回演出過剰。小林薫のナレー

ションもイマイチ。2年ぐらい前に出た求龍堂の『長谷川利行』を下敷きにしてある

のが見え見えなのに、その本のことに一言も触れないのは道にはずれるのでは。私は

この本はこの前買った。家計は依然として危機状態なのに、けっこう本は買ってしまっ

ている。萬鉄五郎の『鉄人アバンギャルド』も買った。今のところ欲しい本はない

(=超ハッピー)。

番組のなかで、長谷川の絵は「半描き」と言われ描きかけのように評されたとあった

が、どうせ言った奴は安井(曾太郎)か誰かだろう。あの絵がわからないのである。

何が「半描き」だ。お前の絵は描き過ぎでヒビだらけ。絵の厚みだって長谷川のほう

が俄然優っている。貧乏臭くだらだら描いているからつまらない絵になる。

島田章三は、中学時代の話が多かった。横須賀の中学の出身で第一期生。校章をデザ

インしたという。中学時代に描いた油絵も登場。デザインも島田章三の個性が見えた

し、油絵も悪くない。画壇の逸材。私の中学時代とは大違い。島田は現在69歳との

こと。芸術院会員になっている。例の安井賞も貰っている。逸材は、芸大を卒業して、

大きく開花したと言える。

しかし、国画賞を取った24歳のときの絵も含めて、どんな絵も長谷川利行には遠く

及ばない。全然ダメ。中学生のときの才は微塵も見られない。何かつまらない主義主

張に縛られて自分で「島田章三たる絵画」という幻想を築き上げ、その呪縛から逃れ

られないようだ。もしかしたら頭が硬いのではないか。芸大や国画会という辺境国の

貧弱美術団体のクソ面白くもないちっぽけな権威主義が島田をダメにしたんだと思

う。もちろん一番いけないのは島田自身だが。

新しく描いている130号の大作は悪くなかった。もっとも、まだ途中なのでよく見

えたのかもしれない。きっと出来上がった頃にはズタズタな絵になってしまうのでは

ないか。

ああやって見ていると、やっぱり絵は心持ちだなあ、とつくずく感じた。もっと自由

になれないものか? 絵に「島田章三たる絵画」も蜂の頭もないだろう。「目を覚ま

して、中学時代の自分に帰れよ」と言いたい。

アフガニスタンの彫刻は桁はずれにいい。平山センセイ肝入りの展覧会を東京芸大で

をやっている(9月5日ごろまで)。おそらく見に行くと思う。今もこのパソコンの

脇にはミロのビーナスの横顔の写真があるが、古代彫刻というのは実に美しい。リア

ルなくせにこの世のものとは言えない理想美が彫り出されている。奈良の仏像も同じ

ように美しい。やっぱり神が生きていた時代は崇高なのだろうか?

 

本日の更新は、「唇寒集9」。 先週真夏の裸婦6点をアップしました。

 

7月15日から7月21日までのアクセス数は258。再度微増。

 

02年8月4日

<この日の分は不明。更新していない模様>

 

02年8月9日

本日から出かけるので11日分を更新します。

 

久しぶりで劇場で映画を見た。

「スター・ウォーズ エピソード2『クローンの攻撃』」。

DLP(デジタル画像)で見られるというので、わざわざ日比谷のスカラ座まで行っ

た。やっぱり凄いのか? 見比べてないので不明。奇麗だったようにも感じる。

この映画は子供向けに作られている。大人が見ても納得できる。2000円ぐらい払っ

ても損をした気にならない(私は偶然第一水曜日に行ったので1000円)。

子供向けの映画だが、52歳の私と50歳の妻で見た。わが子供は18歳と20歳で

戸籍上(と精神)は子供だが、誰が見たって「子供」じゃない。第一、両親と一緒に

映画に行くほど可愛くない。

2時間以上に及ぶ大作。恋あり、冒険あり、活劇ありで休む暇なく楽しませてくれる。

テンコ盛りの特大メニュー。

前にも書いたが、向こうの映画監督は昔の絵をよく見ている。陰影法や構図などいろ

いろな絵から学んでいる。

主人公の騎士は中世の僧侶という出で立ち。レンブラントの絵にあった姿だ。ヒロイ

ンのお姫様はミュシャの絵を思い出させる。こちらはエピソード1のときのほうがさ

らに若くて可愛らしかった。本当に絵の中から飛び出してきたようで、目を見張った。

もちろん、今回も文句なく美しい。

日本の歌舞伎などからもいろいろヒントを貰っていると聞いたが、全世界のありとあ

らゆる造形を調べ尽くしている感じ。

まことに楽しい映画。

主人公はやがて悪の総帥となる修業中の若者。生まれながらの特殊能力を持つ選ばれ

た戦士。とは言ってもまだまだ修業中で未熟な自惚れもある。この辺もなかなか見せ

る。修業は厳しい禁欲主義で貫かれ、完全マンツーマンの特殊教育。師弟のやり取り

も面白い。

登場人物は幼い戦士候補生から何百歳というマスターまで、七段飾りの雛人形のよう

に多彩だ(雛段にはあらゆる年齢層を配してある)。

本当に子供に見せたい映画。どきどきわくわくしながら反戦思想や修業の大切さ、人

を信じるということ、恋愛論までたっぷり盛り込まれている。幼く見た子供が成長す

る過程でビデオやテレビなどで繰り返し見ることになろうから、その度に新しい発見

があると思う。実によくできた映画だ。

52歳のオッサンには2時間半はきつかった。しかし、この三日ほど前に知り合いの

音楽会に招かれて行ったが、その2時間よりはずっと楽しかった。こちらはビバルディ

とベルディを間違えて「ビバルディなら、たまには高尚な時間を味わおう」などと鑑

賞を請け負った。もともとビバルディに「レクイエム」などあるわけない(と思う)。

本当にしんどかった。ま、「レクイエム」は鎮魂歌。先日亡くなった菊地俊雄先生の

供養にでなれば、とも思った。それにしても、何事にも基礎知識は欲しいものだ。な

んか「徒然草」みたいな文末になってしまったが、そのとき、3〜4歳ぐらいの女の

子が少し前の席にいて、特に後半は泣き顔になって我慢していた。最後まで声を立て

なかった。私も頑張らなくては、とたいへん励みになった。

ところで、ADSLでいろいろなホームページを見ている。「イッキ描き」と検索し

てみたらいろいろな人が私のページを引用してくれている。これは油断ならない。ちゃ

んと調べて書かなければ! 私のページはもちろんリンクフリーだし、プリントしよ

うが、引用しようが一切文句は言わない。インターネットとはそういう場だと認識し

ている。ここにさらけ出した以上今さらケチケチしても始まらない。

そう言えば、数年前はとてもケチだった東京国立博物館が多くの美しい画像を提供し

ている。特に夏珪の「山水図」はとてもよく撮れている。一見をおすすめします。

 

本日もウインドウズへの移行で多忙のため、更新は「唇寒」のみです。

 

7月29日から8月4日までのアクセス数は260。けっこう凄い。

 

02年8月18日

今回から「ニューイッキ描き」となる。あたらしいパソコンで作る。URLも変わる。

こちらを「お気に入り」か「ブックマーク」にお願いします。ご迷惑おかけします。

最初からあんまり欲張ると碌なころにならない。少しだけ模様替えする。

とにかく、マックからウィンドウズに変わったので、いろいろ勝手がちがう。52歳のオヤジにはけっこう過酷なのだ。

こうやって絵も入れてレイアウトを直すだけでもン十時間もかかっている。

8月いっぱいは旧アドレスでも見られるので、バックナンバーなどはそちらでどうぞ。とにかく本日は表紙だけ。

それから私の大好きなアクセスカウンターは壊れた(今回の引越しには関係ない。ソネットの都合らしい)。しばらくは諦める。そのうち

付けると思う。

 

前回も書いたが、東京国立博物館のホームページは凄い。絶対お勧め! 中国絵画の夏珪(南宋)と徐渭(明)が印象に残る。中国

の彫刻の菩薩半跏像(唐・8世紀)も惚れ惚れする。とにかく私は東博に絶賛のメールを送った。あんなにたくさんの徐渭はどこの画

集でも見たことがない(小さな参考図版なら見たが)。

 

今は夏休み。一昨日、昨日と水泳に行った。前にも書いたとおり30分ほどで1300メーターあまり泳ぐ。かなり一生懸命泳ぐ。しかし、

食事規制などは一切やめたのでそんなに太りもしないが、ぜんぜん痩せない。家内がこの家には鏡がないからいけないのだと、半身

が映る鏡を取り付けた。家内は自分のために付けたのだが、当然私だって映る。普段も週に2〜3回は泳いでいるのに、驚くべき老醜。

昔は少しは自慢だったバストも今はしっかり垂れている。「男の垂れ乳」。なんかエッセイの題名みたいだ。ま、水泳は好きだから続

ける。食事も規制はしないが、息子と争うのは止めよう。歳をとって見た目が衰えるのは致し方ない。昔からそんなにいい男ではない。

こうなってみると落差が少ない。いい男に生まれなくてよかった。

 

絵も少しは描いている。

「本当に俺は絵が好きなのか?」と考え込んでしまうほど、絵を描きに行くのが面倒。それでも、この前は例のマリーナで6〜7時間も孤

軍奮闘した。描いている最中は楽しいのだが、準備が大変。手もベトベトになるし、爪の間に絵の具が入って悪戯小僧のように爪が真っ

黒。まったく油絵の具は厄介だ。水彩はいいよ。しかし、その水彩絵の具もただいま紛失中。この前同じやつを画材屋で見たら、なんと

一万八千円。私の水彩絵の具は世界の最高級品だった(オランダ・タレンス社製=レンブラント水彩絵の具)! 

確かに子供のころは図工や美術の時間が好きだった。好きだったが、学校自体は嫌いだったから、致し方なくやらされるならお絵描き

がいい、ということなのかもしれない。ま、しかし、描いている最中は「やっぱり絵は面白いな」と思う。「俺は本当に絵が好きだな」と改め

て小声に出すこともある。第一もうここまできたら辞めるも何もない。40歳にして惑わずなのに、私は52歳だ。どうも昔から精神年齢が

10年以上低い。

 

02年8月25日

<この日の分が不明。どうも更新していない模様>

 

02年9月1日

戦後の日本は「民主主義は正しい」という黄金律が支配してきた。われわれの世代は子供のころから話

し合いと多数決を仕込まれてきた。私はこのことを恨んではいない。むしろ、概ね正しかったと思って

いる。しかし、これが絵などの文化の世界のこととなると、なかなか難しい。はっきり言って、絵の世

界は狂っている。何もわかっちゃいない人が絵を売り、さらにわからない人が買っている。

このホームページを読んでくださっている多くの若い絵描きの人たちは私の絵が売れていると思ってい

る。これは面白いことだ。どうして、売れているなんて思うのだろうか? 京橋の金井画廊で毎年企画

展をやってもらっている。これは確かに驚くべきことではある。しかし、そんなに売れているわけでは

ない。むしろ、売れるのは金井画廊だけで、ほかではほとんど売れない。

少し絵のことを知っている人は私みたいな絵は売れるだろうと思い描いてしまうのだ。実際には売れな

い。やっぱり、輪郭線から色がはみ出していない、時間をかけた絵が売れる。それもけっこういい値で

売れる。われわれから見ると何の感動もないつまらない絵だ。100枚でも200枚でも同じように描

ける大量生産絵画。信じがたいが、そういう絵がほんとうにそこそこの値で売れている。もっとも最近

は不景気でそういう絵も売れないだろう。

とにかく、われわれのやっていることはまことに狭い範囲のことだ。マイナーということ。

一昨日、父の七周忌を知らせるハガキが来た。もう死んで6年にもなるのか? 父親としてはとても合

格点をあげられるような人間ではなかったが、絵描きとしては筋金が入っていた。世俗に対する野望も

金に対する貪欲さも持っていたが、肝心な第一線は踏み外さなかった。ま、女性問題でははちゃめちゃ

だったのかもしれない。

父は私によく言ったものだ。「お前は馬鹿だな。何が一番重大なのか、よーく考えてみろ」。父親が子

に小声で言うのだから嘘はない。「本当に好きなことを全うしなくちゃダメだ。重大なのは絵が売れる

とか有名になるなんてことじゃない」。

また、私が「まったくついてない。神も仏もないよ」なんて言うと「お前本気で神や仏がいると思って

いるのか。やっぱりお前は馬鹿だな」と笑われた。私も神や仏が本当にいるとは思っていない。言葉の

あやでちょっと口が滑っただけだ。

父は上野の博物館で徐渭の葡萄の絵に見入ってつくづく溜息をついていた。「このやり方でいいのか」

と呟いていたように思う。私と父以外は誰も客のいない博物館の東洋館の6階で、私は不思議な時空を

見ていた。400年もの時を隔てて二人の絵描が差しで話し合っている。一枚の絵を通して同じところ

でしゃべっている。

父も若いころは「俺が死んだら俺は有名になる」などと豪語していたが、晩年はそんなことも口にしな

くなった。もっとも父に晩年はなかった。肺がんを発病して半年ほどで死んだ。最後の半年はさすがに

衰えていたが、発病するまではどう見ても「おじいさん」ではなく「(ヘンな)おじさん」だった。

70歳を過ぎてもずっと現役だった。ま、好きなことをしていた功徳だろう。死んで6年になるが有名

になる気配はまったくない。あんな絵描きはなかなかいないのだが、まこと絵の世界ばかりは民主主義

では収まらない。もちろん私みたいないい絵描きもめったにいないのに、こっちにも女神は全然微笑まな

い。 おっと、女神なんて言うとまた親父から言われてしまう。「お前は馬鹿だな」と。

 

ところで、私はとにかくよく泳ぐ。さっきも泳いできた。合間を見てはプールのすいている時間を狙う。

仕事も時間外のときは「プール行くから」と放り投げる。何が何でもとにかく泳いじゃえばこっちのも

の。泳いだ者の勝ちなのだ。昔はこの精神で絵も描いていた。電車の中でも喫茶店でも描いたものだ。

会社の仕事も時間が来れば「後は明日」と抜け出した。「絵は描いた者の勝ち」。後先を考えない、そ

ういうでたらめな根性はいくつになっても変わらない。塾がつぶれるのも時間の問題である。もちろん、

イアン=ソープにはなれない。

 

そう言えば、このホームページももっとちゃんと直さなくてはならなかった。水泳どころではないのだ。

9月の半ばごろまでには何とかしますのでご容赦ください。水泳以外は最後の夏休み2日を使い果たし

て目をしょぼしょぼさせながらがんばったのです。

 

02年9月8日

今朝の朝日新聞の『折々のうた』は「物いへば唇寒し秋の風」。わが『唇寒』の大本となった松尾芭蕉

の俳句である。この句には前書きがあり、「他人の悪口は言わない、自分を褒めない」とあるそうだ。

私の『唇寒』とは大違い。深く反省しました。

昨日の『折々のうた』も松尾芭蕉。

私は塾で生徒に「毎日、新聞のコラムだけは読みなさい」とエばっているので、自分でも読むようにし

ている。ついでに『折々のうた』も読む。なるべく作者などは見ないようにして「うた」だけ読んで時

代や作者を当てる。やっぱり最近のものはつまらない。正岡子規が「写生、写生」と言ったものだから、

やたら写生のうたばかりで、何の興感もない。新しい研究では「芭蕉の句は決して写生ではない」とい

う。たとえば、「荒海や佐渡に横たふ天の河」の句。芭蕉が新潟に滞在した時期の天の川は佐渡に横たっ

てはいないそうだ。私から見れば当たり前で、芭蕉は臨済禅を極めたような人なのだから、ただ目の前

の情景を読んでいるわけがない。また芭蕉はまだ戦国の名残の濃い17世紀の初頭に武家に生まれ、武

士としていつでも死ぬ覚悟を教育されたと思う。芭蕉の句にはいつも死の翳があり、だからこそ脈々た

る生がある。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」は有名だが、「やがて(=すぐに)死ぬ姿は見えず蝉の

声」というのもある。「山路来てな何やらゆかしすみれ草」はすみれ草との一期一会を歌っている。

万葉の和歌だって目の前の情景は言い訳で、本当のところは悠久なる大自然やその中の人の営みを詠ん

でいる。だからたまらなくいい。

ま、以上のようなところは創作の根本である。「生死」「悠久」「自然」「営み」といったところがキー

ワードか。

これに新鮮味が加わると、目が覚めるような時代を超えた傑作となる。

そこで、昨日の芭蕉の句。「身にしみて大根からし秋の風」。こんな心情吐露の歌はない。何が写生句

だ! このうたはそのまま今の私の唄ではないか。わが家の経済は10月で破綻する予定。ま、それま

では生きていられる(=この1ヶ月の間に何とかします)。

この歌を作者を隠して読めば、現代の人かと思う。それにしてもなんて斬新、簡略、率直。「秋の風」

という陳腐な下の句がまったく陳腐になってない。懐かしくさえ感じられる。

これと同じ思いを先週熱海のMOA美術館で味わった(=破綻寸前で熱海で遊ぶな! ハイ、ヤケクソ

です)。

破綻前の見納めに、例の夏珪の『鷺図』を堪能しようという魂胆。しかし、そう簡単には展示していな

い。目当ての絵は何もなかった。

大正時代の版画家の吉田博の特別展示をやっていた。

吉田博は悪い版画家ではない。真面目ないい仕事をした。とにかく版画家というジャンルを作った。浮

世絵のような木版画だが、浮世絵は絵師、彫り師、刷り師と三部門からなっていた。吉田は全部一人で

やって「版画家」となった。立派だと思う。

しかし、吉田展を見た後、複製画などを売るコーナーで北斎と広重(複製画)を見て驚嘆した。

やっぱり絵は比べないとわからない。

絵というものは(版画でも)、とにかく50cm前後の長四角の平面に線と色が塗ってある。その線の

具合と色の種類や分量で、絵の価値は決まる。具象も抽象もない(絵から立体が飛び出したりしている

のは、よくわからない。すみません)。そういう長四角をぱっと見て、最初にインパクトがあり、陶磁

器を見るようにじっと見つめても魅力があり、長く掛けておいても飽きず、繰り返し見たくなる。これ

がいい絵の条件だ。この条件で吉田博と北斎、広重を比べると、北斎、広重のインパクトは抜群。吉田

の絵がただの灰色の平面になってしまう。昔、父が私の絵を「これじゃあ、下塗りだ」と評したことが

あるが、吉田の版画はまさに下塗り状態。ぼやっとしていて何が描いてあるのかもわからない。北斎や

広重はまさに芭蕉の俳句。斬新、簡略、率直。まことに明快である。

どうやったら、北斎や広重みたいな絵が出来るのだろうか。

きっと、おそらく人生観や絵画観が根本的に違うのだと思う。

北斎や広重の絵は、言ってみれば旅のパンフレットのようなもの。大衆から支持されなければ仕事が来

ないはずだ。ところが、北斎の絵も広重の絵も、まったく大衆に媚びていない。絵画の本質にまっすぐ

に向かっている。あの絵画革命の真っ只中のヨーロッパの中心地で、その最先鋒たちを驚愕させた画面

である。ドガが、モネが、ゴッホが目を瞠った造形。それが北斎であり、広重だった。

吉田博のほうが大衆に媚びている。おかしな話だ。

 

ところで、わがホームページだが、これを元に戻すのは並大抵ではない。

毎日毎日パソコンの前で悪戦苦闘している。目がしょぼしょぼである。やっぱり5年分の道楽は相当の

分量だ。これは半端な仕事では終わらない。9月の中ごろまでには何とかすると豪語したが、期限まで

あと1週間となってしまった。そのうえ、新しい将棋ソフトで遊んだり、ADSLだからネットサーフィ

ンも無制限。実に困ったものだ。それでも、今週は先週より相当進歩したはず。クリックしてもがっか

りすることが少なくなっていると思う。

予定では、「今月の絵」のほかに、「ギャラリー」というページを作って、今までの絵でましなものを

100点ぐらいアップする予定。そのかわり、「クローン美術館」の作品は減らす。「画歴」に自分の

顔写真を載せる(要クリック)。「絵の話」は全部アップする予定。ほかに「唇寒集」「小さな話」な

どもすべて入れる。レイアウトや写真写りは二の次にして、マックから移したものはすべてそのままアッ

プする。簡単だと思ったが、これが大仕事。とにかく少しずつマックとは勝手が違うのだ。いいところ

もあるし、悪い点も多い。やっぱりマックは元祖だから細かいところでユーザーの心を知っている。

そのうち、父の絵も大量にアップするかもしれない。

「絵の話」は100話まで行ったので、今度は別のタイトルでヨーロッパの古典絵画や近代絵画、昔の

中国や日本の水墨画の話を作ろうかとも思っている。もちろん画像をたくさん入れて、比較する方式。

5年前にページを立ち上げたときに予想していたとおり、若い人がけっこう見てくれている。そういう

人は絶対に絵は買ってくれないが、私のページを全部プリントアウトしたという人も複数いた。ありが

たい話だ。張り切って画像を使って、絵を比べて見る話を作ろう!

画像といえば、竹橋の近代美術館のページは画像が全然ない。あんなケチくさいホームページは見たこ

とがない。美術館のくせに「本物の絵」の凄さを知らないのだ。ホームページで大きい画像を出せば出

すほど本物を見たくなるのに。一度見たらまた見に行きたくなる。それが「本物の絵」というものだ。

ホームページに画像を出すと、美術館に行く人が減るとでも思っているのだろうか? 情けない貧乏性。

私みたいな貧乏人に「貧乏」と言われては国立の美術館としては最低である。しっかりしろ!と言いた

い。毎回書くが、上野の東京国立博物館はふんだんに画像が入れてあり、本当に偉い!

 

02年9月15日

毎日、新しいホームページのために、過去5年分のホームページをチェックしている(目がしょぼしょ

ぼ=本日の更新は複製画シリーズ・ 付「絵画の明日」2002年作品集 付「芸術の進歩について」)。

つい2〜3週間前「私の絵は売れない」と嘆いたが、ここ5年間の絵を見回すと、まことによく売れて

いる。ゴッホなど生涯に一枚しか売れなかったのに、私はすでに100枚以上売れている。もっともゴッ

ホは弟のテオが買い上げてくれていたようなものだから「一枚だけ」という話はどうも納得できない。

なんつったってテオはパリでも有数の画商だったのだから。

他人のことはともかく、私の絵は売れているほうなのかも。ただ安いから売れたような気がしないだけ。

困ったものだ。もちろん安いといってもン万円、ン十万円はするのだから買う側からすれば全然安くな

い。ゴメンナサイ。

が、しかし絵だけで生活は出来ない。プロの絵描きにはなれない。なれないが、毎度言うように「プロ

の絵描き」にはなりたくない。私は「本物の絵描き」になりたいのだ。昔の偉い絵描きの絵もほとんど

売れなかったのだ。たいていの絵描きは親の資産で生きていた。絵描きなんて職業は成り立たない

のだ。

特にこんな不景気では絶対無理。諦めたほうがいい。

絵画市場全体から見れば、絵は売買されているし、ちゃんと市場も生きている。しかし、絵画市場とい

い絵は別。「何でも鑑定団」を見ていればわかる。昔のいい掛け軸が数十万円もしない。ちゃんと絵画

の修業積んだ人の絵だ。そういう絵がないがしろにされている。馬鹿な話だ。鑑定士は「本物です。で

も、市場がないんです。需要がないんです」という。日本人の恥である。日本人は美術を見る眼がない

のだ。また、明治時代のようにごっそり外国に持ってゆかれるゾ。

われわれも生活してゆかなければならないから大変だが、やっぱりちゃんとした絵を描き続けたい。何

とか生き抜いて、日本の絵画の伝統を守りたい。ま、そんな大仰なことでもないか。描きたいものを描

く。絵のわからない奴に腹を立てても仕方ない。

わかる人、買って下さい。お願いします。

わが家の近所にそういうラーメン屋がある。「マニアの店」と書いてある。味のわかる人に味わっても

らいたいとある。ほとんど客はいない。私も食べたが、麺には腰がないし、スープもダメ。宣伝したと

きだけ混むが、すぐ閑古鳥が鳴く。ああいう勘違いは困る。私の絵も勘違いかもしれない。こればかり

はわからないが、この歳ではこのまま進むしかない。しかし、もうそろそろ限界ではある。

 

02年9月22日

このウィンドウズのパソコンにも少しずつ慣れてきたか? ADSLに変えて驚いたのは、インターネッ

ト世界の変貌振りだ。今までの電話線での接続では、ほとんど私からの一方通行だった。こうしてじっ

くり見てみると、画面が動くのは当然で、音の出るページも少なくない。ホームページ作りのプロが存

在するのもうなずける。テレビのコマーシャルみたいだ。ま、私としては、いまの自分のページで事足

りる。もちろん基本的なミスは順次改良するが、とてもテレビのようにはいかないし、そんな凄い画面

を作る気もない。それよりも、絵の画像を大きくするとか、絵の具の盛り上がりが見えるように斜め横

からの写真を取り入れるとか、静止画面の中でのホームページの表現力に期待したい。美術館などでは

是非やってほしい。彫刻の写真は各方向から最低3枚。できれば5〜6枚は欲しい。

前のパソコンでは将棋ばかりしていて仕事が進まなかったが、こっちではネットサーフィンばかりで進

まない(将棋もしている=連戦連敗)。わがページを開いてくれるみなさんのご期待に副えなくて申し

訳ない。大した期待もしていないだろうが、一応、できる限りがんばっている(つもり)。今のところ

ネックになっているのはデジカメ。私のは古くて画像が大きくならない。比較的新しいスキャナーは持 っ

ているから、あれをうまく使えないものか。そのうち何とかします。

 

ところで、以前日本の近代美術の項で、明治の小説に出てくる絵の話を書いたが、その小説が見つかっ

た。国木田独歩の「画(え)の悲しみ」という短編。この小説が自伝かどうかは不明だが、自伝だとす

れば、明治15〜6年ごろの話(独歩が教師をしていたころの教え子の話題だとしても明治20年の前

半という計算)。驚く勢いで西洋絵画が入ってきている。本当に日本人は外国文化が好きである。歴史

上では奈良時代から平安前期にかけての仏教受容。鎌倉から室町時代にかけての禅文化の導入。戦国大

名の南蛮文化好み。そして、明治期の西洋かぶれ。われわれは戦後のアメリカ趣味の無差別シャワーを

浴びて育った。一千年後の歴史家が調べたら、日本人の大多数がアメリカ人と混血になり、日本は完全

にアメリカの一つの州になったのだと判断するかもしれない。逆に考えると、弥生時代の大陸からの影

響も「騎馬民族」大襲来説は怪しいように思う。そんなに海を渡って押し寄せられるものではない。軽

薄な日本人の外国かぶれに過ぎなかったのではないか。

国木田独歩の「画の悲しみ」では、美術教師や技法などの具体的な話はそれほどないが、話全体の雰囲

気に、西洋画が日本社会に違和感なく浸透している様子が感じられる。

国木田独歩は文学史上では、自然主義になりきれなかった浪漫主義作家という扱い。評価はもう一つ。

しかし、やっぱり文章はうまい。○○主義などと文学史、美術史で作家を分類するのもけっこうだが、

あれだけの描写力はめったにない。そこのところはやっぱり忘れてはいけないだろう。

 

本日はトップページを整理した。「作品集」や「絵の話」の細かい項目を別ページとした。ネットサー

フィンで少しは学んだところもあるか? 52歳では頭が固くてなかなか素直に学べない。困ったもの

だ。なお、リンクを失敗していた箇所も順次修正してある(不完全)。

 

02年9月29日

見ごたえのある画廊のページを見つけた。私の絵の取り扱いは「ボツ」だったが、リンクの許可をもらっ

たので、ご紹介する。愛知県日進市にある青木画廊。フランス人画家の版画を専門に扱っている。

フランス人画家といっても、全部が全部すばらしいわけではない。インチキも多い。ここの画家は本物

(だと思う)。ただし、版画がどのようなものかは保証できない。画像が少し小さい(当ページの画像も

他人のページに文句が言える大きさではない)が、インターネットで楽しむには十分。たいへん画像が

多い。私より10〜30年も年長の画家が4人並ぶ。先輩画家として学ぶべき画面。日本にはこういう

絵描きはなかなかいない。家内が私の絵にはこのフランス絵画のようなところがないと言う。ま、私の

よりいいと言っているのだろう。私も少なくとも競う相手ではあると思った。相手にとって不足はない、

という感じ。こういう画人が日本に少ないのはとても寂しい。

家内には内緒で言い訳を並べれば、私の絵は東洋の絵だということ。あんなに脂ぎってはいない。花だっ

て私の絵はすべて立ち木。あっちのは花瓶に挿した切花ばかり。私の絵も画材料は間違いなくヨーロッ

パ製(しかも特級品)だが、描いてる絵はまごうかたない東洋絵画。これはどうしようもないところだ。

こちとら、正真正銘東洋人なんだから。第一、いい絵に東洋も西洋もない。描きたいものを好きなよう

に描く、これが絵画の大道である。

青木画廊のフランス人画家は、私の絵とはまったく異質だ。異質だが、同じ土俵の上にいる。描きたい

絵を描いている。描きたい絵で勝負している。そこが嬉しい。

昨日も京橋や銀座の画廊を少し廻ったが、日本の絵描きは一番肝心なところを捨ててしまっている。己

の衿持を捨てて、鑑賞者に媚びてしまっている。それじゃあ、もう土俵が違うと言うしかない。

しかし、いくら媚びたってこんな不景気じゃあ絵なんて売れやしない。どっち道売れないんなら、好き

なように殴り描いたほうがすっきりする(と思うのだが)。

 

この辺のことも含めて、いつもはっきりものを言うのは池田満寿夫だ。池田の本は実に楽しい。今度読

んだのは、リプリオ出版の「美に生きる」という本。なんか大きな活字で、老眼になりかかっている私

としてはすらすら読めて、楽だった。池田のいいところは、話の後ろに生活がある。暮らしがある。金

があり、銭がある(p70)。そこがいい。「美」などといってもまず生きていなければ創れやしない。

池田は必死で自分を売り込んだ(p40〜45)。腕一本で世界の美術界に殴りこんだ。これは何と言って

も立派である。日本の絵描きは名前を売ったら、今度は名前で絵を売る。いい絵だから売れるんじゃな

く、○○という絵描きが描いたから売れる(p46)。そんな馬鹿な話はないが、これが日本の絵画市場

なのである。だから日本の巨匠の小品は駄作ばかり。

しかも、寡作が尊まれるから、ろくに描かない(p63)。ますます下手になる。

 

9月20日(金)の朝日新聞の「折々のうた」は最近作としては珍しく目に留まった。

  この村で枯るる他なしいぼむしり

佃藤尾(つくだ ふじお)という人の俳句。『白上布(しろじょうふ)』(平成14年)に所収とある。

「いぼむしり」というのはカマキリのこととの解説。作者は1918年生まれの女性。

 

と、本日の更新はこのページだけ。2〜3日中に「今月の絵」を画面を少し大きくしてアップする。

 

突然10月1日。昨夜遅く「今月の絵」をアップ。銀座コアに展示してある絵を5点と今週のヘッドペー

ジの絵、あわせて6点。お約束どおり古いデジカメを駆使して画像を大きくした。10号のピントがイ

マイチか。ご容赦ください。

ご存知のように、銀座コアは本当に銀座のド真ん中。銀座4丁目。銀座通りに面し、地下鉄銀座駅から

地下を通って行ける(ビアホール・ライオンの脇を抜ける)。1分で着く。くまざわ書店はコアの6階。

展示は壁の上の空いているスペースだが、1年中常設で、もうそろそろ丸6年になる。もっと感謝して、

制作に励み、展示替えをして、宣伝もしなくては!

 

ただいま、老化のため(妻の説)、耳の後ろが帯状疱疹という皮膚病にやられ、なんか冴えない。頭が

ボーっとしている。赤ちゃん以外他人には移らないし、特効薬をもらったからすぐ直るハズ。しかし、

この特効薬がド高い。まことに涙が出る治療費。歳は取りたくないものだ。

 

なるび会(クロッキー会)の予定日。10月30日(水)、12月4日(水)、12月14日(土)、

12月21日(土)。すべて午前中10時から。詳しくはこちらをどうぞ。

 

7月22日に更新した画歴のページに以前アップした「裸婦習作(鉛筆)」を再アップしてあります。

たっちゃんハウスでは菊地理ネット展をやって貰っている。数日前に再度見たが、長谷川利行の次の次

という扱い。驚きました。

掲載作品はすべてたっちゃんこと原田さんにお買い上げいただいたもの。だから私にも懐かしい展示だ。

是非見てください。

なお、私の4月の豊橋展の様子もご覧になれます。

 

2月3日は、けっこう知られていない地球や宇宙のコーナーを発展させた「宇宙の寸法」の「広がる宇宙」

を更新。小林秀夫の「無常ということ」をカバーしました。

また、「偉大な天文学者たち」を少し書きました。

 

「京橋界隈」も是非ご覧ください。お近くにおいでの節は金井画廊にお立ち寄りください。

 

最初のページ           「唇寒集」目次