No65 絵の話1999.6.15更新

裸婦習作のころ

スーパークロッキーの礎

偶然の幸運?

なんとかこの歳まで絵を描き続けていられたのは偶然の幸運だった。父親が絵描きだったこと、入った

会社に残業がなかったこと、日本の経済がしっかり安定していたこと、よい仲間がいたこと、すべてに

恵まれていた。取り合えず感謝しなければならない。

この鉛筆デッサンは今から20年ほど前に描いた。親父が生きていたら「よくこんなものがとってある

な」と馬鹿にされたことだろう。親父の若い頃の習作はすべて戦争で焼けている。

この絵は17時間近くかけて描いた縦1mほどのデッサンだが、このほかこの手の裸婦の習作が何十枚

も残っている。他の絵は鉛筆デッサンではなく油絵だが、こんな古い絵が残っているのも平和のおかげ。

これも幸運にちがいない。チャンスがあれば他の絵もそのうち掲載します。

私たちが目指すもの

2〜3週間前にも述べたが「プロの絵描き」は怪しい。プロ野球の選手は立派な素質と並外れた努力の

結実だが、プロの絵描きはインチキばかり。私の知る限り、かなりきっちり絵画修業をやり遂げた人で

も絵描きにならない人は多い。本物の絵描きはなかなか絵では生活できない。

私の父は50歳頃からやっと絵だけで喰えるようになったが、それまでは看板を描いたり挿絵に挑戦し

たり、全然別の仕事で生計を立てていた。私も絵だけで生計を立てているわけではない。小さな学習塾

で生きている。近頃はそれも危ない。

 

もちろん、できれば絵を売って生活したいが、ふつう絵などなかなか売れるものではない。よほど口先

がうまいか、そういうマネージャーに恵まれなければ無理。逆に言うと、弁舌巧みなマネージャーにさ

え恵まれれば、絵なんてどんな絵でも売れてしまうような気もする。絵をちゃんとわかる人は滅多にい

ないし、本当に絵を知っている人はたいへん厳しくてなかなか買ってくれない。

よく知られているように、ゴッホもセザンヌも全然絵が売れなかった。ドーミエもシスレーも売れてい

ない。彼らは「プロの絵描き」とはとても言えないのだ。だから、よく「菊地さんはプロだから」など

とおだててくれるが、内心ちっとも嬉しくない。

絵描きのプロなんてみんなインチキ。私たちはプロの絵描きになんか目指してはいない。私たちが目指

しているのは「プロの絵描き」ではなく「本物の絵描き」。私たちは「本物」になるために絵画修業を

してきたのだ。

 

どれぐらい描いたのか?

いくら残業がなくても1日中仕事をするのだから、そんなに描けるものではない。大したことはないだ

ろうと計算してみると、案外馬鹿にならない。固定ポーズが1ヵ月33時間余りある。土日のクロッキー

が1ヵ月16回。時間にすると26時間強。合計で1ヵ月に59時間描いていることになる。これは休

憩時間などを除いた正味の時間数だからけっこう凄い。私はこういう生活を3年半やったが、ヘタな美

術大学など問題にならない分量なのではないか。その頃一緒に描いていたN君は固定ポーズは同じ時間

だがクロッキーは私の倍ほどもやっていたからさらに凄まじい。そのうえ、彼は10年以上もこの研究

所に通ったはずである。私の4倍以上裸婦の写生をやってのけたことになる。これだけやったのに、な

んと彼は今ほとんど絵を描いていない。

 

無限の時間

1日中仕事をして、夜は固定ポーズ。土日はクロッキー。その他、美術展なども逃がさず見にゆく。も

ちろん今生きている画家の美術展ではない。見に行くのはすべて古典絵画ばかり。本当の本物を隅から

隅まであくことなく見尽くすのだ。先人の絵画修業の成果を貪り取る。しかし、これは言葉にできない

楽しみなのである。そこには余人の理解を許さない時空を超えた絵画の交流がある。先人の驚くべき精

進。想像を絶する頭脳。奇抜な発想。絵画世界の深さと広がりは際限がない。

この点だけはN君より私が勝っていたかもしれない。本当によく昔の絵を見たものだ。私は古典絵画が

好きだったし、もちろん今でも大好きである。

 

しかし、それにしてもこんな絵三昧の毎日ではさぞかしつまらないだろう、もっと遊びたいだろうと同

情される方もおいでかもしれないが、これが不思議なほどに苦痛はない。無限のときを生きていたのだ

なあと思う。

今でも絵を描いているときが一番楽しい。至福のときなのだ。世の中で一番好きなもの(女性像)を好

き勝手に描いているのだからこれほどの幸福はないわけである。

父親の苦言

そんな充実できる研究所を3年半でやめたのはいろいろな事情が重なったためだが、1番の原因は父親

だったかもしれない。「あんなところは早くやめろ」「研究所なんかに長くいる奴はろくな絵描きにな

れない」などまことに口うるさい。しょっちゅう言い続けているわけではないが、事あるごとに言われ

たので、いつの間にか適当なところでやめようと思うようになったのかもしれない。

研究所をやめてさらに楽しい絵画境に遊べたかというとこれは不明。しかし、少なくとも私は絵を続け

ている。最近は絵を買っていただくことも多くなった。多少はものになってきたか? いやいやまだま

だ本当の「本物」にはほど遠い。ま、しかし今のところまだ道は踏み外してはいないつもりだ。未熟な

絵を高価に買っていただき本当に恐縮している。申し訳ないといつも心がとがめる。今現在の絵を買っ

ていただくのではなく私の目指す方向を買っていただくのだと自分に言い聞かせている。

インチキで不誠実、何の修業もないデタラメ絵画が眼も眩むような価格で売買されている。売るほうは

詐欺のようなもの。一歩間違えば犯罪である。自分がそういう仲間にはならないように、これからもちゃ

んと真面目に精進いたします。

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