No85 絵の話 2000.9.17更新

永遠のレンブラント

わが感動の軌跡

 

自画像の最高傑作

上野のアムステルダム美術館展に行った。金がないから美術展はできるだけパスする

方針だったが、レンブラント(1606〜1669)の「聖パウロに扮した自画像」が来てい

ると知ったのでちょっと無理して見に行った。下の右の絵。

    

レンブラント
左:「自画像」油彩 キャンバス 1652年 113×81cm 右:「聖パウロに扮する自画像」油彩 キャンバス 1661年 91×77cm
 

小学館「原色世界の美術7」の嘉門安雄の解説には「数多くの彼の自画像のなかでは、

傑作とは言えないかもしれない」とある。私はこの自画像が一番いいと思っている。

レンブラント自画像の最高傑作である! だからわざわざ見に行った。嘉門安雄はレ

ンブラント研究の第一人者ということになっている。しかしどうも怪しい。数年前、

嘉門が館長を勤める(ていたか?)東京・京橋のブリヂストン美術館のレンブラント

作品が贋作との指摘を受けたこともあった。だいたい嘉門安雄は昔から気に入らなかっ

た。どう見てもヘンな現代の絵描きを褒めたりするからだ。高階秀爾とか澤柳大五郎

はそんな真似はしていない(と思う)。

ところで、私の父が揚げるレンブラント自画像の最高傑作はウイーン美術史博物館が

蔵している46歳のときの自画像。上の左の絵。いま上野に来ている自画像は55歳。

45歳ぐらいから、レンブラントは生涯最大の経済危機に瀕している。私の苦境など

とは比べようもない。しかもレンブラントは22歳で絵画界にデビューし大成功を収

めた経歴の持ち主。だからこそ、破産のどん底でのその精神はずたずたに打ちのめさ

れたはずだ。ところが、46歳では堂々と胸を張ったポーズ、55歳では少しおどけ

た様子で自画像を描いている。何という素晴しい画人! どんなときも絵筆は放さな

い真なる画家! レンブラントこそ絵描きのなかの絵描きである。レンブラントの前

にレンブラントなく、レンブラントの後にレンブラントなし。

というわけで、これから私が若い頃から感動してきた生粋のレンブラントをズラリと

お見せする。

 

18歳のときの模写

右の絵は私が18歳のときに模写をした絵。この模写は

キャンバスに鉛筆でやった。初め油絵でやろうとしてう

まく行かず鉛筆になったのかもしれない。父は模写は鉛

筆でいいと言っていた。後で調べてみると確かにドガな

ども鉛筆でたくさんの模写をしている。

この絵はレンブラントが27歳のときの自画像で、得意

の絶頂だった。27歳にして工房の親方である。金ぴか

のいろいろな装飾を付け、ちょっといただけない趣味。

堂々と胸を張ったポーズやそれを見事に画面に収めた構

図など、若いレンブラントが精一杯見栄を張っている。 「自画像」油彩 板

しかし、絵に対する真摯な態度、謙譲の姿勢などがはっ  1633年 62×52cm

きりと伺え、たいへん好感が持てる絵だと思う。この絵はフィレンツェのウフィツイ

美術館にある。私も本物を見た。

 

画集のなかの巨人

下の2点は真作を見ていない。講談社の世界の美術館(ワシントン国立絵画館)に掲

載されていた絵。特にこの女性像の左頬の表現はどうだろう! 筆のタッチがそのま

ま女性の頬の面をしっかり捉えている。石膏デッサンをやっている画学生だったら惚

れ惚れする筆捌きだろう。木炭よりずっと扱いにくい油絵の具でこれだけ見事に形を

捉えている。つまらない芸術論にうつつを抜かしていないで、このレンブラントをしっ

かり見て欲しい。絵画の原点をまず踏まえなければならない。これこそ破産をしても

絵筆を握り続けた男の筆跡である! 真なる画家の存在の叫びである。

    

レンブラント
 左:「駝鳥の羽の扇を持つ婦人の肖像」(部分)油彩 キャンバス 1660年代          原画99.5×83cm
 右:「自画像」(部分)油彩 キャンバス 1659年 原画84×66cm

この講談社の世界の美術館はいい画集だった。写真が素晴しい。全部撮りおろしで、

本の価格もそんなに高くない。少し後に出た小学館の原色世界美術全集の方がちょっ

と落ちる。

 

ロンドンのレンブラント

ロンドンナショナルギャラリーにもレンブラントの傑作がある。左の自画像は正調レ

ンブラントというヤツ。レンブラントの厳しいまなざしが「絵画とは何か」をはっき

り物語っている。われわれはこの自画像に恥じないように、この自画像と面と向かっ

て絵を描かなければならない。筆を奮う喜びを他のものの代償にしてはならないのだ!

    

レンブラント
左:「自画像」油彩 キャンバス 1669年 85×69.5cm
 右:「沐浴する女」油彩 キャンバス 1654年 61×46cm

右の「沐浴する女」は見事な速描き。この絵については以前に述べた。

レンブラントは版画家としても一流で、エッチングは特に有名。左の「三本の樹」も

ロンドンで見たが、大地があり風を感じる大きな絵である。もちろんエッチングだか

ら作品そのものの寸法は小さい。

右のクロッキーこそレンブラントの真骨頂。この技があるからこそ重厚な油彩画もで

きるのである。この絵もロンドン(大英博物館)にある。

    

レンブラント
左:「三本の樹」エッチング 1652年 21×28cm
 右:「眠れる少女」デッサン 1655-56年 24.5×20.3cm

 

黄金の大画面

レンブラントの「ダナエ」が上野の国立博物館に来たのは私が28歳のときだった。

1978年である。おそらく3回は見に行ったはずだ。どうして油絵が光り輝くのだ

ろうか? 本当の金を使っているのだろうか? とにかくこの絵は輝いていた。物凄

く大きな絵だった。それが透き通ったように輝いて見える。レンブラントの全エネル

ギーが結晶した奇蹟の油彩画である。

    

レンブラント「ダナエ」油彩 キャンバス 1636年 185×203cm

私はこの絵の人物のところだけ同じ大きさで模写をしようと試みた。100号ならこ

の等身大の裸婦はぴったり収まる。しかし、この上に挙げた右手の表現、この物凄い

一回描きを見たとき模写を断念した。こんなスピードでは正確に写せないからだ。

 

ああ、このダナエの顔の表現はどうだ。完璧な立体感。驚嘆しかない質感。絵の具の

厚みはレンブラントの深い思いをずっしりと伝えてくれる。神様になった油絵描きで

ある。このレンブラントをちゃんと知っていたのはゴッホだと思う。

 

ターナーは見ていた

私がターナーの模写をやっていたちょうどそのとき、レンブラント唯一の海洋風景画

「ガラリアの海の嵐」を知った。

この絵を見て私は思わず心のなかで叫んでいた。

「何だ、ターナーもレンブラントだったのか!」

下の図版を見ていただけばお分かりのように、ターナーはレンブラントの陰影を逆さ

まにしただけなのだ。もちろんだからターナーの絵がパクリだとは言わない。30歳

のターナーがレンブラントを研究した成果である。立派な画業だと思う。そう言えば

ターナーの自画像を見ていると、どことなくレンブラントを思い出す。

 


上:ターナー「難破船」油彩 キャンバス 1805年 171×242cm 下右:ターナー「難破船」部分 下左:レンブラント「ガラリアの海の嵐」油彩 板1633年 160×127cm

ちなみにフランスの印象派の画家たちは、ほとんど全員レンブラントに傾倒している。

あえて言えばドガだけがイタリア系だが、ドガもレンブラントを尊敬していたことは

明らか。すべてのヨーロッパ近代絵画はレンブラントに通じている。

 

 

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