No90 絵の話 2001.3.11更新
ピカソは不滅か? 2
その偉大性を見る
ピカソ「鏡の前」油彩 キャンバス 1932年 27×35cm
この文は、前回も書いたとおり、平成12年12月号の「新潮45」54ページにあ
る「『ピカソ』は女性への憎悪を表現した」という木原武一さんの記事を読んで書い
ている。
わたしは木原さんという人を全く知らない。恩も恨みもない。評論家とのことだが、
何の評論家なのかもわからない。今まで木原さんの文を読んだ覚えもない。木原さん
はピカソの絵を認めておられないが、それも木原さんの勝手だ。わたしにはどうでも
いいことだ。
ピカソ「眠るマリー=テレーズ」木炭 地塗りをしたキャンバス 1932年頃
97×130cm
しかし、「新潮45」という相当メジャーな知的(?)雑誌にろくに知りもしない、
調べもしない。手近の画集かなんかをぱらぱらめくって思いつきだけでささっと「ピ
カソ論」をぶたれたのではたまらない。ちょっと承服できない。ピカソを知らないだ
けならともかく、絵のことが全然わかっていない。「評論家」とは所詮そういう人種
だし、相手にする気もないが、少なくとも「文を書く」という行動は(かなり怪しい
が)「観念(=口先)」ではなく、間違えなく「行動」なのだから、百歩譲って「評
論家」もプレイヤーと認ずるならば、プレイヤー中のプレイヤーたるピカソに対して
はますます許し難い評価といわざるを得ない。
上の2枚の絵をご覧いただきたい。今まで誰がこんな絵を描いただろうか? こうい
う絵を描いたのはピカソだけである。もうこの2枚だけでもピカソは偉大なのである。
この溌剌としたエロチズム。
男と生まれ、健全に性欲を有するならば、このピカソがわからないはずはない。この
絵を描いた男が女性を憎んでいたと主張するのなら、そう主張する男はホモかインポ
である。ピカソがマリーだかフランソワーズだかをどう愛し、どう憎んだかは知らな
い。わたしは伝記作家ではないし、ピカソの色恋沙汰に興味もない。重大なのは作品
である。
この絵を描いているとき、ピカソはこのモデルを愛し(絵描きとして断じて言うが、
ピカソはこの絵を描いたとき、この女性と性交渉はしていない。そんなことを始めた
ら絵なんて描かない。そっちに熱中してしまう)、性を謳い、生を喜び、あらゆる女
性を賛美している。目の前に身を任せてもいいという女性が裸で寝ているのに、ピカ
ソは絵の具まみれになってこの絵を描いたのである。木原さん、少しは情況というも
のを考えてください。男ならこのピカソの心意気を称えようではありませんか。
ピカソは金のためにこの絵を描いたのだろうか? 名声のためだろうか?
断じて、金や人気取りで描いてはいない。ピカソは描きたくて描いている。ただ絵の
ためにこの絵を描いたのだ。
もしかするとピカソは女性の性の悦びを描いているのかも知れない。そうなると、こ
の絵を描いたとき、ピカソは貝原益軒「養生訓」言うところの「接而不漏」というの
を実行したことになる。
裸婦の一つの極致を示していると思う。
左写真:西破風「イリス」大英博物館蔵大理石1.2m、真ん中の写真:東破風「ディオネとアフロディテ(部分)」大英博物館蔵 大理石1.14m。右写真:ニケ神殿浮き彫り「サンダルの紐を解くニケ」
アクロポリス美術館(ギリシア)蔵 大理石1.06m
ピカソは人間の真なる姿を写そうとした。
ピカソは生涯「性」をえがいた。しかし、結果としてピカソは「生」をえがいていた。
それは、ピカソの脳裏からギリシャ彫刻(上の写真)が離れなかったから。
ギリシャ美術こそ「人間の生」を限りなく謳い上げた喜びの賛歌なのだ。
ピカソはギリシャを現代に蘇らせるべく生涯を捧げた。
絵というものは理論ではない。空論ではない。現実である。「描く」という作業は行
動であり、パフォーマンスである。出来上がった絵は現実である。実体である。目の
前に現存する「もの」なのだ。ここに絵画の永遠の「ちから」がある。
左:ピカソ「泉のほとりの三人の女」油彩 キャンバス 1921年
203.9×174.0cm
右:伊原宇三郎「坐れる裸婦」油彩 キャンバス 1926年 73.0×60.0cm
左はピカソの大作。この絵にはギリシャの息吹がある。
右は日本人作家のもの。この絵にはピカソの皮相なムードはあるが、ギリシャはない。
人体の肉の表現も弱いし、空間描写も不完全。絵の厚みや頑丈さは比べるまでもない。
これだから日本の油絵は周辺文化の域を出ない。
左:ピカソ「夢(赤い椅子に眠る女)」(部分)油彩 キャンバス 1932年
130.0×96.5cm(原画サイズ) 右:池田満寿夫「陽光のように」ドライポイント、アクアチント、ルーレット 1981年
63.0×45.6cm
池田満寿夫さんも真面目な方だが、やっぱり造形とかアートとかわけのわからない妄
想を追っている。そんなものはないのだ。
あるのは生命! これだけである。
ピカソははっきり中心目がけて全身全霊を打ち込んでいるではにか。よーく絵を見な
ければいけない。ピカソの主題を掴み取らなければならない。
日本人も卑下することはない。江戸時代にはピカソ以上に生命をえがき出した画僧が
いた。白隠である。下の絵をじっくり比べていただきたい。造形とかアートとかいう
もの、色とか線とかいうものは結果に過ぎないのだ。われわれが目指すのは「生命」
なのである。
左:ピカソ「画家とモデル」油彩 キャンバス 1963年
89×116cm 右:白隠「黒牛図」紙本墨画 1762年頃 34.0×48.1cm 下:白隠「七福神寿船図」紙本墨画淡彩 1763〜5年頃
56.8×116.0cm
白隠はピカソ以上に抜けている。突き抜けている。
人と生まれて絵筆を執った以上白隠のレベルまで行きたいところだが、80歳、90
歳まで長生きするだけでも、すでに息が上がっている。もう50歳でギブアップ。困っ
たものだ。
もう木原さんの話はしたくないが、木原さんは「絵画の使命」なる小題のなかで、画
家を政治家、鑑賞者を国民に見立てたような論陣を張る。ピカソの作品を見て不快感
を味わった二人の女性の話をし、「工業製品などの場合と同様、絵画についても、も
のの価値をきめるのは生産者(画家)ではなく、消費者(鑑賞者)なのだ」という。
政治家や生産者は国民や消費者が絶対であり、「国民の利益」「消費者の需要」を出
したらグウの音もでない。
左:ピカソ「闘牛」インク、紙 1957年2月7日
50.5×66cm 右:因陀羅「禅機図断簡」紙本墨画 1328〜57年頃 35.4×48.2cm
しかし、絵描きはそうはいかない。冗談じゃない。鑑賞者のことなんかクソ食らえで
ある。ま、ピカソは比較的若い頃から認められたから、頭も上がらないだろうが、わ
れわれに言わせれば、絵を観る人のことなんてまったく考えてない。考えていたら絵
なんて描けない。裸婦を描くにしても風景を描くにしても、われわれは人智を超えた
大自然の前に対侍するのだ。そんなときに「いま描いている絵をみんなどんな気持ち
で観るのだろう」なんて心配していられるだろうか?
われわれは自分で働いて自分で時間をつくり自分の好きな絵を描いているのだ。これ
が21世紀の絵描きの道だと思う。私のパトロンは私自身なのである。絵は描けば描
くほど溜まる。だから倉庫を借りている。毎月1万6千円。1年間なら20万円近く
なる。もうこれだけでも大変な負担なのだ。画材やモデル代、風景の取材費も馬鹿に
ならない。この不景気にこんなことをやっている奴はいない。商売だとしたら気が
狂っている。工業製品? ふざけるなと言いたい。われわれは真剣であり、命を掛け
ているのだ。
最後に木原さんの選んだシャガール、クレー、ミロについて一言。ピカソに比べると
スケールは小さいが、頑丈な画面、大きな空間を有した立派な絵画だと思う。もちろ
ん木原さんがどこまでわかっていてその3人を選んだのかはたいへん怪しい。
おそらくマグレだと思う。
左:シャガール「平安」油彩 キャンバス 1969〜71年 116×89cm 右:クレー「船出」油彩 キャンバス
1927年 50×60cm 下:ミロ「闘牛」油彩 キャンバス 1945年 114×144cm