唇 寒(しんかん)集70<24/12/7〜>
25年3月22日(土)
理想の造形
絵描きだった父と私の大きな違いは、私が写生の絵描きだとい
う点。父は記憶や想像で描いていた。また、私は父より古典絵
画に惹かれていると思う。父は、いくら古典の名作でも他人の
絵なんて見ている暇に自分が描かなきゃダメという思想なのか
も。
ま、私も描くほうもじゅうぶん描いているけどね。
しかし、私は父の忠実な弟子であることも確か。朝晩の冷水浴
も続けている。今ではかぶらないと気持ち悪くなってしまった。
そういう体質になっちゃった。もちろん真冬の朝はチョー辛い。
辛いけど気持ちいい。イヤだね。ちなみに、私は自分の子や孫
に冷水浴をすすめていない。
父は「安定した暮らしからいい絵は生まれない」という主張だっ
た。私に正業に就けと言いつつ、適当なところで辞めろとも言っ
ていた。会社のなかで不可欠な存在になっては絵が描けないと
思っていたのかもしれない。
また、美術大学に進むこともダメと言っていた。学校の先生に
なったらいい絵が描けないと考えていたみたいだ。
しかし、イタリアのモランディ(1890〜1964)はずっと学校の
先生だったし、オスロの彫刻家ヴィーゲラン(1869〜1943)も
国家公務員だった。古代ギリシアの彫刻家も奈良の仏師もみん
な国家公務員みたいな立場だったのでは?
かなり安定した暮らしだったのではないだろうか。
ま、父が生きていたら「お前はバカだな」と言われそうな気も
する。「ギリシアや奈良の彫刻家は失敗したら首が飛んだんだ
ぞ」と言われたかも。そんなこともないと思うけどね。
で、父が絶賛したのは宋元の禅宗絵画だ。
禅寺は国家から保護され、安定していたのでは、と思いたいけ
ど、そうじゃないのか?
よくわからない。
確かに因陀羅(元代末)などの線描は魅力いっぱい。もちろん
牧谿(1280頃活躍)となれば理想の禅宗絵画だ。
私はピカソ(1881〜1973)の闘牛シリーズの線描も禅宗絵画に
近いように思える。
いやいやモネ(1840〜1926)の晩年の睡蓮やバラも同質かも。
そこのところは、みんな同じ人間なのだから、到達点も一致す
るのだろうか?
私の理想とする絵画もきっとそんなところなのだろうか?
今のところ、女性の裸や桜やバラに魅了され、そういう「ああ、
綺麗だなぁ〜〜〜」で描いているんだけどね。そのレベルを脱
していない。
「今のところ」というけど、もう後期高齢者寸前なのだ。こん
な低レベルで終わるのだろうか? 情けない。
自分が気付かずに、高いレベルに達していてくれることも期待
したいが、それはまずありえない。正直、無理。ま、やるだけ
やるしかない。当たり前か!
とにかく、ウーバー配達をしながら絵を描いているこのスタイ
ルは安定からはほど遠い。その点では父の教えに忠実である。
父が見たら「お前はバカだな。いい歳なんだからいい加減にし
ておけ」と言うかもしれない。
午前11時すぎから配達を始めて午後3時ごろになるとかなり顎が
上がってくる。しかし、「まだもう少し行ける」とペダルに足
が掛かる。自分でも「けっこう出来るもんだなぁ〜」と感心し
てしまう。いやいや92歳トライアスロン・アイアンマンの稲田
弘さんに比べたらウーバー配達ぐらい出来るに決まっている。
なんでもない。
25年3月15日(土)
ぎりクリアか?
ドラマ『御上(みかみ)先生』(TBS)で30歳までの知識や修業
が人生を決める、みたいなことを言っていた。
私はギリギリ27歳から美術研究所でイヤというほど裸婦の習作
を繰り返した。3年半だから30歳を少し過ぎていたか。
4月にわが家のすぐ近所のギャルリー成瀬17(東京都町田市)の
画廊企画のグループ展『弥生の会』にお誘いいただいた。もち
ろんすぐにOK。とにかく絵だけはいっぱいある。ここ5年ほど個
展をやっていないから、しこたま溜まっている。
その後、同じ場所で個展もやりたいけど、資金などいろいろ心
配もあり、いまだに未確定だ。もちろんやる方向で頑張ってい
る。
とりあえず『弥生の会』には100号を出展すべく、準備を進めて
いる。
100号は162.1×130.3pの大きさ。ほぼ等身大の裸婦が描ける。
等身大人体はルネサンス絵画の時代からの絵描きの一つの課題
だ。私も何十年間も等身大裸婦を描いてきた。もっともここ5年
ぐらい開店休業中(準備してあるけど描かない)だった。
実際には私は写生作家。実際の風景などを見て描く。人体もモ
デルさんを見て描いている。
100号は水墨裸婦を参考にして記憶や想像で描く。写生ではない。
だが、100号を描くと、写生画にも好影響が出る。ま、絵は描い
てマイナスということはない。描けば描くほど筆が馴染む。特に
100号を描くと20号以下の小さい絵の成功確率が上がる。早い話
が100号の出来なんてどうでもいい。大切なのは小さい絵なのか
も。
モネ展を見てもおわかりのように、描いて描いて描きまくって
いなければ真なる油彩画は生まれない。天分で絵ができると思っ
ているのはド素人だけだ。
もちろん描くのは最低必要条件だけどね。その最低必要条件を
満たしている油絵描きなんて世界に数人しかいない。私もぎり
ぎりクリアというところ。でもせっかくこの歳まで描いてきた
のだから、ここで終わるのももったいない。もう少しやってみ
る。
だからきっと5年ぶりの個展もやると思う。
25年3月8日(土)
あゝ筆の跡
やっぱり絵の良し悪しは筆触で決まると思う。
絵描きの筆への愛着、慈しみだ。
私がまだ20歳代の前半のころ、父に「お前の絵には粘りがない
んだよ」と言われた。
それ以降、私にとっては「粘り」というのが当面のテーマとなっ
た。
その後、私はヨーロッパに留学し、帰国後は美術研究所で裸婦
の固定ポーズを3年半やった。その時の画友N氏から粘り強い絵
画精神を学んだ。
N氏は土日のクロッキー会も合計8回全部参加するというツワモ
ノ。私は半分の4回で音を上げていた。ま、私の場合は土日に美
術展を見て歩くという課題もあったことはあった。
ちなみに今私が月1でやっているクロッキー会は美術研究所の8
回のうちの1回分に過ぎない。
その美術研究所も私は3年半で退所したがN氏は10年以上在籍し
ていた。
で、「粘り」というのは筆触への執着のことなんだと最近やっ
とわかってきた。
筆は線を引いたり色を塗る道具ではない。
画人の腕から筆を伝わり画面に届く「描きたい」の表出なのだ。
描く喜びの叫びなのだ。叫ばなくてもジワリと広がる歓喜の染
みでもいい。
わかるかなぁ〜?
ヴュイヤールの筆跡をよく味わっていただきたい。筆はモノを
精密に写し取る技巧を誇示するための道具ではないのだ。
筆触主義で考えると、昔の中国や日本の書道の筆跡も理解でき
る。
あの東福寺の《方丈》(張即之(ちょうそくし・1186〜1263)
筆)。堂々たる筆触の大歓喜に満ち満ちているではないか!
良寛(1758〜1831)の《天上大風》もすばらしいバネのような
筆触。
一休宗純(1394〜1481)の《諸悪幕作》も喜びの筆の跡だ。
牧谿(1280頃活躍)の《羅ふく蕪せい図》(青菜と蕪の絵・蔵)
にも同じ見方ができる。
筆触の理論に書も絵もない。東洋も西洋もない。絵画も彫刻も
ない。彫刻だと鑿の跡だけどね。
ここでどうしても印象派のピサロ(1830〜1903)の筆跡(ふで
あと)を例示しておきたい。ピサロの魅力は描きたくて描いて
いるピサロの身体の奥底から滲み出る筆への歓喜なのだ。光と
か筆触分割なんて二の次の屁理屈だ。
そういう意味で長谷川利行(1891〜1940)の絵もとても優れて
いる、と思う。
で、私自身はどうか? 本心を言うとかなり自信がない。自信
はないけど方向性は正しいと思っている。基本的な方向は大き
く間違ってはいないだろう。
では、私の父の絵はどうか? かなり疑問もある。父は自分が
ムチャクチャ巧いと思っていた。そこに酔っている感がないで
もない。ま、ギリ合格か?
私は天才なんて信じていない。もちろん私自身の才能は知れた
もの。ただ絵が好きだっただけだ。描くのも見るのも果てしな
く好きだ。絵の世界にのめり込むのは至福のとき。こんなにあ
りがたいことはない。感謝でいっぱい。
その着眼点は筆の跡、なのである。
繰り返し言うが、アートは新しさではない。新奇ではない。美
術史なんてクソだ。また、技巧でもない。
絵画の真髄は、3万年前の洞窟壁画から連綿と受け継がれたアー
トの真髄を掴みとり画面で踊り暴れ、または静かに楽しむこと。
その真髄とは筆の喜びなのだ。描くことの歓喜だ。
それが私の到達点。だけど、その主張を実際にキャンバスで示
さなければ「絵描き」ではない。そこが渡世人の辛いところだ。
25年3月1日(土)
『容疑者Xの献身』の感想
『容疑者Xの献身』(東野圭吾・文春文庫)を読み終った。確
かに映画版をテレビ放映のときに見ているはずだがまったく
覚えていなかった。最後まで真相に気が付かなかった。
武骨な数学者が女性の美に目覚める話?
そのシーンは最終のp385にある。全部で394ページの文庫本の
最後の最後に、数学だけにしか興味のなかった男が美や芸術
を知る。この数行がなければ、この小説は「こんなことある
わけねぇだろ!」で終わってしまう。私も最後までアホ臭い
と思っていた。350ページあたりでは「これはないよな」と
哂っていた。
それにしてもよくこんな話を思いつくものだ。
小説家だねぇ〜〜〜。
385ページは圧巻。そして最後のシーンに数学者の咆哮があ
る。
まったく無関係な男が殺されるシーンもよく書けている。こ
こも最後の最後。「なぜ自分が死なねばならないのか」
ありえないよね。
数学者は刑務所で研究を続ける覚悟だった。
「誰かに認められる必要はないのだ、と彼は改めて思った。
論文を発表し、評価されたいという欲望はある。だがそれ
は数学者の本質ではない。誰が最初にその山に登ったかは
重要だが、それは本人だけがわかっていればいいことだ」
(p384)
そのとおりなんだよね。
テレビドラマ『クジャクのダンス、誰が見た』も同じよう
なテーマ?
誰が見ていなくてもクジャクは森の奥でダンスをしている。
絵描きは自分がいいと思う絵を描き続ければいいわけか。
世間の評価はまったくどうでもいい、ということ?
とは言いつつ、この4月から『弥生の会』があり、その後個
展もやろうかというので、ここ4年間の絵を額装していると、
世間の評価が二の次とも言っていられない。
いったいどういう判定基準で絵を選ぶんだろうか?
厚みかなぁ〜?
線描だろうか?
色合いか?
構図?
いったいどうやって選んでいるのだろう?
所詮は私の好き嫌い、好みなんだろうか?
さっぱりわからない。
ま、だいたい「この絵は捨てがたい」という絵を取ってあ
る。
「これは外せない」という絵は別格。
でも「これ案外いいじゃん」という絵もある。
結局よくわからないんだよね。
ああ、めんどくせぇ〜〜〜。
25年2月22日(土)
どうでもいい
筆を持って白い紙に線を引くことは無上の喜びである。もし
かすると人間の根源的な歓喜なのかもしれない。
ネットの動画などで見かけるが、幼児が大きな紙に向かって
筆を揮う姿は身体の底から喜んでいる感じがする。
その根本の欲求は爺でも同じ。
それが海とかに行ったら、筆の喜びは何倍にも増幅される。まっ
たく気が変になるぐらい楽しい。悦楽の極致?
いやいや、それはクロッキー会でもバラ園でも同じだ。
やっぱり私は自然のなかで実物の壮麗さに酔いながら描きたい。
自分がどうにもコントロールできない写生画家だと知る。
テレビドラマでは美術界が舞台となることが少なくない。つい
この前の『相棒』とかその前には『プライベートバンカー』で
も。ネットでもゴッホ(1853〜1890)の絵を新発見とか徳島の
美術館が贋作を買った、などというニュースがあった。
20日付けブログでも書いたが、『ますます加速! 壁にダクト
テープでバナナを貼りつけ9億6000万円の摩訶不思議な高額美術
「現代アート」の世界』(週プレNEWS)という記事があった。
そのときは、今のアート界は「美術史とお金に拘っている」と
述べた。
池田満寿夫(1934〜1997)と金田石城の対談『芸術家になる方
法』(現代書林)でも池田は美術史に拘っていた。くわしくは、
このHPの『絵の話』にアップしてある。
絵描きにとって、というか私にとって美術史なんてどうでもい
い。
絵は買ってもらいたいけど、大金持ちになる必要もない。自由
に絵が描ければそれで十分。今のウーバー配達でも、けっこう
描けている。ベルギー製クレサンキャンバスにヨーロッパの油
絵具で描いている。画材のレベルは下がっていない。
ゴッホだって極貧ではなかったが大金持ちでもなかった。ゴッ
ホの絵が何十億円の価値が出たのはゴッホの死後だ。ゴッホに
は関係ない。ま、一般的にはそんなに価値が出るることはない。
どうでもいい。(絵描きには)関係ない。
アート界はアホ臭い、というか別世界。でも、やっぱり多少興
味はある。ネットニュースになっていれば見てしまう。
でもそれは線を引く喜びとは無関係。
25年2月15日(土)
作画のとき
クロッキー会で裸婦を描くとき何を考えているのだろうか?
考えている暇がないほどポーズが次々に変わる。
だいたいモデルさんをキャンバスいっぱいに入れるように描
きたい。構図もハチの頭ない。しかし、やっぱりどこかで構
図のことを考えてしまう。頭が少し切れたり、立ポーズの膝
から下はほぼ毎回入らない。
形をとることで必死。バランスの問題もある。
主にバックにいろいろな色を置く。これも苦しいながら楽し
い作業だ。
「ああ、何色が足りねぇ〜んだぁ〜〜」と悩むけど、ポーズ
時間は決まっているので悩んでいる暇はない。直感で置くし
かない。
そういう切羽詰まったせめぎ合いが何回も続く。
それがわが油絵クロッキーだ。
こういう描画ってほとんどスポーツに近い。いろいろな作画
の葛藤がすっ飛ぶ。デッサンとか色とか線描とか、どうでも
よくなってくる。描きたいように描きまくるだけ。
目の前にヌードのモデルさんがいる。「ワオ」って状況。一
般的にはあり得ない環境だ。
ここでは何度も述べているが、ヨーロッパの大巨匠たちもヌー
ドモデルには苦労した。奥さんを描いた画家はとても多い。
19世紀の印象派以降の画家たちだって、とりあえず娼婦にモ
デルを頼んだのだ。
今の日本のモデル協会は夢のようなシステム。ダンサーとか
劇団の方々がアルバイトでやっている。アルバイトとは言っ
ても、ポーズなどとてもよく研究している。クラシック絵画
も見ている感じ。描いている人たちはアマチュアでもモデル
さんはプロ意識が高い。
とにかく私にとっては金では換えがたい貴重な時間。まさに
時空がすっ飛ぶ。無限空間と恒久の「とき」のなかに入り込
める。で、絵が巧くいくこともある。なんという図々しい話
だろう。
25年2月8日(土)
オンとオフ
2月6日(木)のドラマ『プライベートバンカー』(テレ朝)
は現代アートをちょっと皮肉ったような話。先週のわが『唇
寒』に呼応してくれたみたい。
ボナール(1867〜1947)は自分の絵を毎日見ていて少しず
つ筆を入れていたという。永遠に続く作画? 理性や知性
で絵を描いていたのかもしれない。
私は、自分の絵に後から絵に筆を入れることはほとんどな
い。絵を描いているときの自分と普段の自分は別人だと思っ
ている。いや、実際に全然ちがう感じ。
作画モードの私は別の人になっているのかも。外で風景を
描いているときもよく話しかけられる。人格が開放されて
いるのだろうか?
風景に溶け込んでしまうのか?
仕上げの色を置く感覚は、その場でなければ無理。家に帰っ
てから直そうと思っても、その風景のなかにいる自分では
ないから手が出ない。わからない。ボナールとは大違いだ。
私の作画にはきっとオンオフがあるのだと思う。
だから、しばらく経ってから自分の絵を見たときに「よく
ここにこの色が入ったなぁ〜」と感嘆することもある。ま、
がっかりすることもとても多いけどね。
もちろん風景だけではない。人物も静物も花も同じ。
そういう絵画境に入り込めることは、おそらくきっとハッ
ピーなんだと思う。
先週の「最期の願い」論で言えば、絵画境にはプライドも
意地もないわけか。あるわけがない。まったく何にもない
よね。
さっきスマホのヤフーニュースで贋作が話題になっていた。
贋作画家のコメントもいっぱい紹介されていた。とても絵
を描くことが好きだと語っていた。レベルの低い作画だな
ぁ〜、と思った。
25年2月1日(土)
最期の願い
『麒麟の翼』(東野圭吾・講談社文庫)のなかで、看護師さ
んが「死を間近に迎えた時、人間は本当の心を取り戻します。
プライドや意地といったものを捨て、自分の最後の願いと向
き合うんです」というセリフがあった。(p277)
絵を描くとき「本当に描きたいものを描く」というわがイッ
キ描きの信条はまさにこの「最後の願い」。それはまさに「最
期の願い」でもあるわけだ。
ここのところが一番肝心。
死を間近に迎えていなくたって、自分の本当の願いをギリギ
リのところでいつも選択しなければならない。
私の父はモデルを見て描くことをレベルが低いようにも言っ
ていた。父自身は空想や記憶で描く場合が多かった。
私もいつかはそういう描き方になるのだろうと思っていたが、
どうもそうはならない感じ。おそらく死ぬまでモデルを見て
描くだろう。風景も現場、花も実際のバラ園などで描くと思
う。
モデルや実際の風景や現実の花は無限に魅力的だからだ。絵
なんてどうでもいいぐらい。だけど、無性に描きたくなるん
だよね。目から腕に連動している。
さっきも、隅田川を描いた。
昨日、孫と散歩したとき黒々とした川の深さに痺れた。それ
が蔵前橋の下で怖いように波打っている。ムチャクチャ描き
たくなる。で、今日鉛筆で描いた。
そういうのって、美術史とかアートとか美学とか、そういう
のと関係ないの。
私の芯からの希求なんだよね。
時間が経って、自分の絵を見ると、何か根本的な迷路に入り
込んでいるような気もする。
実際のものを見て描くって、あまりにも古臭いとか、ややこ
しいアート哲学に惑わされてしまう。
ま、この歳でジタバタしても始まらないけどね。
……そういうことじゃなくて、ゴチャゴチャしたアート論は
「最期の願い」からは遠いような気がする。
こういうことは言いたくないけど、《モナリザ》の延長線上
に《壁にガムテープのバナナ》があるのか?
無知で無能なアホ絵描きには永遠にわからないアートの神秘
なんだろうか?
どうでもいい。
人は死ぬまでしか生きない。でも、死ぬまでは生きている。
25年1月25日(土)
サイレントワールド
モネ(1840〜1926)の晩年の圧倒的な絵画活動を想うと私の
作画時間はとても不満だ。
「こんな描きっぷりじゃぁダメだぁ〜」と思いつつ、1月23日
のクロッキー会に臨んだ。
でも、描き始めるとモネもハチの頭もなくなるね。キャンバ
スとモデルと自分だけの世界に入り込んでしまう。もちろん
その世界にはモネも牧谿もいない。私の父もいない。
埋没?
ああいう体験(=絵を描くこと)て、もうそれですべてが完
結しているんだよね。
もちろん、絵の出来なんてどうでもいい。
モデルさんを見ていると、あまりの美しさにフランスアカデ
ミズムのジェローム(1824〜1904)なんかの裸婦を思い出す
こともある。
でも、ジェロームの裸婦は「造りもの」だという感じもする。
実際の裸婦はもっと生々しい。
クールベ(1819〜1877)の主張が理解できるが、それもまた
クールベの主張。私の体験とは別だ。
少なくとも、絵を認めてもらうとか、買ってもらうなんてい
う気は消えている。
キャンバスとモデルと自分だけの世界しかない。それはまさ
にサイレントワールドなのかも。
生死も超えている。『般若心経』で言ったら、増減も汚れや
清潔も超越していることになる。で、そういう世界こそが本
当の世界なのかもしれない。
絵を描くことって、般若波羅密多を深く行じていることなん
だろうか?
そんな高級な境地とも思えないけどね。
般若波羅密って智慧のこと? 智慧の世界? 叡智?
ドラマ『御上先生』(TBS)だったら、本当の意味のエリート
か?
そんな大仰なものではない。他の人を救おうなんて考えても
いない。自分が生きるだけで精一杯だもんね。
ま、しかし、勘違いでもとにかくそういう世界に入り込める
のは幸福というべきか?
でっかい勘違いである可能性は大いにありうる。それもどう
でもいい。
25年1月18日(土)
修行と修業
木喰上人(1718〜1810)は92歳まで旅をしていた。
私は74歳でウーバー配達をやっていると威張っているが、私
なんか問題じゃない。江戸時代の歩行の旅はムチャクチャ苦
難の連続だったと思う。
私も若いころに5〜6回自転車旅行をした。とても苦しかった。
むろん言語を絶する楽しさもいっぱいあったけどね。
人は出来れば衣食住が安定した暮らしをしたい。
今の私も借家暮らしで、とても安定しているとは言えないが、
旅の空ではない。毎晩の風呂や寝床は確保できる。
しかし、よく考えてみると、実際の人間の状況はまったく安
定していない。どんな富裕長者でも大地震の恐怖はある。病
魔には突然襲われる。事故は予想できない。
今もアメリカの高級住宅街が山火事の大被害を受けている。
自分自身の不幸も心配だけど、幼い孫たちが怪我や病気に罹
るのはもっと辛い。
本当に人の安住ってあるのだろうか?
そういう人間の根本的な不安な状況を繰り返し訴えたのが実
存主義だと思う。前にも述べたが、実存主義は「だからどう
生きる」がない。そこが最大の欠点だけど、実存主義の主張
は戦後世界の思想界に大きく広まった。その悲観主義は魅力
いっぱいだった。
仏教思想は人間の悲惨な状況から始まるが、「だからどう生
きる」が明確に示されている。そっちが主眼。そこに完成さ
れた哲学を感じる。
仏教は宗教ではない、修行である。と文庫クセジュの『仏教』
(アンリ・アルヴォン)の33ページに書いてあったが、まさ
にそのとおりだと思う。
修行には目的がない。修業はなにかの技能を身につけるため
に行うが、本当の「修行」には目的がない。修行そのものが
目的だからだ。
お釈迦様(2500年前)も道元(1200〜1253)禅師も同じよう
に語っておられる。
で、私の自転車配達業だが、これは目的があるから修行とは
言えない。でも、けっこうカッコいいと思っている。お釈迦
様に怒られることもないだろう。葬式仏教の生臭坊主よりずっ
と仏教的かもしれない。違うか!
うん、自転車こぎはとても身体的で思うより楽しいんだよね。
ゴメン。
25年1月11日(土)
大いなる勘違い?
1月7日に上野の西洋美術館にモネ展を見に行った。2回目。
フランスから大量のモネ(1840〜1926)が来ているのだから
行かない手はない。出来ればもう1回行きたいぐらいだ(多分
無理)。
それも、私が最高のモネと讃える最晩年のモネばかり。パリ
のマルモッタン美術館に行っても展示していないかもしれな
い。ま、私が見たかった《ばら》は来てなかった。何度も見
ているから致し方ない。そのかわり初めて見る絵もいっぱい
あった。
美術史に残る古典絵画(マスターピース)の共通した特質は
「筆への愛着」だ。粘り強さとも言える。もちろん筆の喜び
に満ち満ちている。それは彫刻でも同じ。7日に行ったときも
モネの筆の跡をじっくり検証した。確かめるまでもなくやっ
ぱりモネの筆は喜びの筆だった。
素晴らしい絵画の条件は「筆への愛着」に尽きると言っても
いいかもしれない。それがすべてだ。
将棋のプロ棋士でも駒を持って盤に置くときの手つきは慈し
みさえ感じる。プロ棋士でも乱暴な指し手の棋士は一流になっ
ていない。
大谷翔平もバットを丁寧に扱い、ゆっくりホームベースとの
寸法を測っている。ピッチャーを見る横顔はとても美しい。
目が輝いている。
私みたいな短時間で絵を描いてしまう乱暴絵描きに「筆の愛
着」とか言われたくないよね。
でも、私もムチャクチャ喜んで絵を描いている、のだ。その
瞬間はいろいろな古典画家たちと同じ地平に立ち、楽しく会
話している。むろん私の勘違いかもしれない。それはどうで
もいいことだ。私にはそういう諸法無我の涅槃寂静のときが
ある。永遠のときのなかにいる(諸行無常?)。
大いなる勘違いでも他の人に迷惑にはなっていないから、い
いの、いいの。
25年1月4日(土)
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年末に「素晴らしい古典絵画には『そっくり』とか『巧い』
を超えた別の何かがある」と書いた。
その「別の何か」って何だろう?
「そっくり」というのは細密描写とかド写実のこと。または
写真のような絵。実際に写真を見て描いている人は多い。
巧い画家は写真を見て描いても実物からの写生かと思わせる。
また「素晴らしい古典絵画」というのも、古典じゃなくても
いいわけで「本当の絵画」とか「真に魅力ある絵」ってこと
だ。
具体的にはゴッホ(1853〜1890)の絵か? もちろん浦上玉
堂(1745〜1820)の絵でもいい。
そういう絵は絵を道具にしていない。名を成したり金を稼い
だりするための絵ではない、ということ。私自身が名も成さ
なかったし金も稼げなかった(過去形になってしまうところ
が情けない)から、負け惜しみみたいに聞こえる。そこが心
もとない。ゴメン。
しかし、本物の絵描きにとっては名声や富貴はどうでもいい、
はず。ついて来ればありがたいが、なくてもどうということ
はない。
ご存じのように、私は稀代の貧乏人だが、この元旦も最高に
旨い蒲鉾を食ったのだ。いただく手作りのカステラは日本橋
のデパートの最高級品より美味いらしい(他の人の感想=私
は日本橋のデパートの最高級品カステラを食ったことがない
=別に食いたくもない)。私の感じでは洋風玉子焼きってと
ころか? 玉子感いっぱいだ。
預金なんてなくても美味いものを食っちまえばこっちの勝ち。
食ったもんの勝ちだ。それが先のない年寄りの思想だ。
富貴栄達は要らない。
絵を描きたいのだ。描きたいものを描きたいように描きたい
のだ。先がないからなおさら自分が一番やりたいことをする。
当たり前である。
クレサンキャンバス29番(荒目双糸)にブロックス絵具とレ
ンブラント絵具でムチャクチャ描きまくる幸福感は言語を絶
する。その瞬間にすべてがある。
もちろん、裸婦はありがたい。でも、風景もいいんだよね。
テーブルの上のリンゴ一つでも、じっと見ていると、ほんと
うに綺麗だ。空間のなかの物体? ……この世はまことに美
しい。
さらに、バラの花。春バラの生命力には圧倒される。まさに
春を喜んでいる。その嬉々たる植物の姿を、こっちも喜びの
なかで描きたいよね。
桜も芙蓉も無限に楽しい。
ま、華麗なる画家人生からは何万光年も遠い地平にいるけど、
自分勝手にガンガン描く。さらに、風景に溶け込んじゃう。
さらにさらに自分自身がバラの花になっちゃう。
もしかすると、稀に見る果報者かもしれない。本当にゴメン。
24年12月28日(土)
華やかな画家人生
華やかな画家人生を歩んだ画家と言えば、思い出すのは、小
磯良平(1903〜1988)だろうか(24日付けブログに画像アッ
プ)。
東京美術学校(=芸大)時代からムチャクチャ絵が巧かった。
細密描写ではない。むしろイッキ描きに近い。しかし抜群に
巧い。巧すぎるぐらい巧い。
在学中に帝展(=日展)の特選をとり、フランスに給費留学
をしたのではないか? 多くの画商から声が掛かった。官展
を嫌い新制作派協会(=新制作協会)の創立会員となった。
日展からは離れたが芸大の教授になっている。85歳までの長
寿を全うした。もちろん文化勲章も貰った。
素晴らしい画家人生だ、と言える。
熱烈なファンも多い。大企業も支援している。
しかし、戦争に巻き込まれ、不本意ながら従軍画家をやった。
どちらかというとプロレタリア画家みたいな時期もあったほ
どだから、戦意高揚の絵画は描きたくなかったと思う。
私の感想。
だいぶ前に、静岡のある美術館に小磯の学生時代に日展特選
をとった婦人像のポスターとムンク(1863〜1944)の《思春
期》(少女裸婦像)のポスターが並んで貼ってあった。
そのとき、「絵具の付き」の違いを知った。ポスターながら、
ムンクの絵はしっとり飴色に輝いていた。小磯の絵の白っぽ
い着物はパサパサ。油彩画の一つの真諦を見た思いがした。
また、私が50歳ぐらいのころ、古本屋で小磯の画集を買おう
としたら、隣にドガ(1834〜1917)のパステル画集があった。
見比べるとあまりの画力の差に驚いた。ドガは素晴らしい。
本物!
もちろん、小磯の画集は買わなかった。
とは言え、おおむね小磯の絵画人生は大成功だと言えるだろ
う。晩年には大壁画の制作もした。絵の良し悪しはともかく、
小磯自身は楽しい制作時間を過ごしたのではないだろうか?
羨ましいと言えば羨ましい。
でも、大いなる勘違いだったかもしれない。
ややこしい世間の絆に縛られていたかも。日展からは離れた
がアカデミズムのなかにいたとしか言いようがない。ある意
味、気の毒なような気もする。
はっきり言って、私にはあまり関心がない。でも、小磯の絵
は名のある洋画家のなかでは巧さナンバーワンといつも思っ
ている。
だからなんだつーの、て気もある。巧いけど、私は強い魅力
を感じない。ゴメン。
素晴らしい古典絵画には「そっくり」とか「巧い」を超えた
別の何かがある。
よいお年をお迎えください。
24年12月21日(土)
絵描きになる!
日本の仏教と同じように、絵描きにも地下水みたく絵画の本
道を守ってきた人々がいた。
雪舟等楊(1420〜1506)もけっして恵まれた画僧人生ではな
かった。明(中国)に留学したのも当時としては老境に入る
ころの年齢だ。そのことは小説『悠久のヴァルール』に書い
た。画像付きでノベルアッププラスにアップしてある。
浦上玉堂(1745〜1820)は、息子は著名な画家だったが、玉
堂自身はまったく無名だった。
ま、有名無名はあまり関係ないのかも。世間の絵の評価は当
てにならない。気にしなくていいのでは。
われわれは描きたいように描けばいいのだ。
で、見たい絵を見る。
画家と呼ばれる必要もないし、絵描きと言われる必要もない。
人がなんと言おうが関係ない。
私が子供のころ、若い画家志望の男性が、年配の女性の画家
に「あんたは看板屋。画家ではない」と言われ、泣いていた。
私の父が絵描きだったから、私はそういうエピソードをいろ
いろ見聞きしている。
バカバカしい。
絵は、集中して作画に取り組んでいるときが最高のとき。そ
れは他の誰にも立ち入ることのできない、その人だけの喜び
の瞬間なのだ。その「とき」こそがすべてである。出来た絵
がどうかなんて二の次の話だ。どうでもいい。
絵を描いていれば絵描きだ。
われわれは必ずいつかは死ぬ。一時一時死に向かって進んで
いる。それは恐怖の妄想でもある。妄想だ。
われわれは死に向かって進んでいるかもしれないが、同時に
一時一時をこの瞬間を生きている。今は確かに生きている。
これこそが真実だ。それは若者でもジジイでも一緒。
で、この瞬間に何をするのか? どう生きるのか? ここに
すべての課題がある。
そりゃ、華やかな画家人生を歩んだ人もいる。名声を勝ち得
た人もいる。
羨ましいか?
本当に羨ましいだろうか?
他の奴がどういう人生だって、どうでもいい、のでは?
24年12月14日(土)
地下水のように
NHK大河ドラマ『光る君へ』で、藤原道長が極楽往生するため
に素晴らしいお寺を建立したと解説していた。仏像も当時の
一流の仏師が彫ったという。仏教も権力者に信仰されるとど
んどん豪華になる。
町田にはお寺も多く、今は紅葉の季節で伽藍の屋根と調和し
目を見張る美しさ。また、奈良や京都や鎌倉の仏像を美術品
として見たとき、驚きと尊敬しかない。
それも権力者が後ろ盾になってくれたおかげなのだろう。
しかし、お釈迦様の教え、たとえば死者の着物を再利用して
袈裟を作るなどという思想とは真逆。お釈迦様は死にぎわに
葬式も拒否したという。
権力者に信仰されることはいい点も多々あったが、仏教が堕
落したことは否めない。それでも一部の真なる仏教徒はお釈
迦様の真実に迫ろうとして日夜格闘した。江戸時代にサンス
クリット語を修得しようと頑張った慈雲飲光(じうんおんこ
う1718〜1804)という僧もいた。鎌倉時代の、『夢の記』で
有名な明恵上人(1173〜1232)は本気でインドまで行こうと
したらしい。また江戸時代の桃水雲渓(1613?〜83)は乞食
の群れに入って修行をした。乞食の群れと言えば鎌倉時代の
大燈国師・宗峰妙超(1283〜1338)もいた。
私は100冊以上の仏教入門者を読んでいるから、いろいろな雑
学がある。暗記しているわけではない。ゴチャゴチャだ。私
自身が勝手に仏教を理解しようとしただけ。他の人に説明す
る気はゼロ。入信を進めるわけもない。私自身が信者ではな
い。既成教団はすべて腐っていると思っている。いやいや実
際にはよくやっているのかもしれない。実態を調べる気もな
い。
仏教建築や仏像、書画、水墨画などを美術として尊敬するこ
とはあっても、それらがお釈迦様の本意に従っているのかど
うか、とても疑わしい。
しかし、仏教は伝わっている。豪華な伽藍の下を流れる地下
水のように、本当の仏の意図を探り、修行に生きる人々の人
脈も連綿と続いている(と思う。信じたい)。
で、私の絵と仏教が関係あるのだろうか? 関係があって欲
しいけど、どうもほとんど関係ありそうもない。残念!
24年12月7日(土)
新三法印
仏教の入門書には四苦八苦の解説があり、次に十二縁起の話
が来る。『般若心経』の解説が続く。八正道とか四聖諦とか
いろいろ面倒くさい。
おそらくお釈迦様もここらあたりまでは実際に説いていたと
思う。
先週述べた「三法印」の話もお釈迦様は語っていただろう。
口で伝えた仏の教えってこの辺までではないか。
後は実践ばかり。と言ってもお釈迦様がご自身で身をもって
示された。というかお釈迦様自身も修行をしなくては意味が
ない。それは旅と坐禅。歩行と丹田呼吸でもいいと思う。だ
から肥っている教祖は信用できない。イエス・キリストだっ
て痩せているもんね。で、イエスも旅の人だった(イエスは
呼び捨てではなく、「イエス」というときにすでに尊称が含
まれると聞く)。
どうして旅をするのか? そこに涅槃寂静があるからだ。松
尾芭蕉(1644〜1694)の俳文『奥の細道』だったら「古人も
多く旅に死せるあり」と来る。痺れるね。
で、一部の人(というか大多数の人)が考えている幸福は広
い家、豪華な車、素晴らしい腕時計などなどではないか。「そ
ういうものを獲得できる人はごく一部で、多くの人が汗水た
らして働き、その上層部の人の幸福を支えている」という思
想。これはとても一般的だが、私は正しくないと思う。
真の幸福は家や車や腕時計にはない。衣服や食事でもないだ
ろう。
ま、私も超贅沢な経験をしたことがないので断言はできない。
そこは説得力に欠ける。
おそらく本当の幸福は、運動の最中にある。苦しいけど楽し
い。また絵を描いていると時空が飛ぶ。きっとそれが涅槃寂
静だろう。このごろ初めてそのことを知った。
You Tubeの筋トレの先生が「いた気持ちいい」と言っていた。
「いた」というのは痛いということ。「痛いけれども気持ち
いい」ということらしい。「ああ、そうなのか」と私も納得
した。以降、少しぐらい痛いのは気持ちいいと思うようにし
ている。
で「くる気持ちいい」というのを思いついた。「苦しいけど
気持ちいい」だ。続いて「めど気持ちいい」もあると思った。
「めんどくさいけど気持ちいい」だ。
「くる気持ちいい」は水泳やサイクリング。
「めど気持ちいい」は絵を描くときの気分だ。特に油彩画は
準備がいろいろめんどくさい。地塗りなどを含めれば10日前
から準備が必要だ。後片付けもけっこう手間取る。
しかし、これは仏の教えでもある。新三法印は「いた気持ち
いい」「くる気持ちいい」「めど気持ちいい」かもしれない。
時空がすっ飛び、我を忘れる最短ハッピー路線だ。すなわち
「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」ということだ。