唇 寒(しんかん)集69<24/7/5〜>

24年7月20日(土)

成果や評価はどうでもいい

10年以上前のこの『唇寒』を読み返すと、だいたい同じような

ことが述べてある。同一人の記述だから当たり前。おおむね賛

同できる。

今はブログで11年前に行った南仏の思い出を綴っている。

10年前から進歩していない。

ブレないと言えも言える、のか?

人生は生きたいように生き、絵も描きたいように描く。それだ

けのことだ。

他の人のことはどうでもいいし、世間の評価も関係ない。

プールも苦しいけど、やめる予定はない。筋トレなどはもっと

苦しい。世間の爺さんたちはみんなやっているのだろうか?

やらないと腰や膝が痛くなるからきっとやっているのだと思う。

痛くないと忘れてしまう。

「なんで腹筋なんかやるんだっけ?」と自問する。腰痛予防だっ

た。それも確証があるわけじゃない。多分予防になっている、

きっと。

自転車をこいでいるから脚の筋力はアップしているはず。

ふくらはぎを鍛えると夜中のトイレはゼロになると聞くが、夜

中のトイレはしっかり健在。

太腿を鍛えれば頭脳明晰になるとも言われるが、頭がよくなっ

ている自覚もない。

不思議だ。

まだ鍛えが足りないのだろうか?

泳力も衰えるいっぽうだ。

画力はどうなんだろう?

どうでもいいけどね。

苦しくてめんどくさくて厄介だけど、絵を描いたり自転車をこい

だり泳いだりするとムチャクチャ楽しいから出来る限り続ける。

当たり前。

 

24年7月13日(土)

「描く」とは何か?

絵を描くってどういうことだろう?

クラシック絵画を見ていると、「描く」より「仕上げる」とか

「塗る」という部分が多いようにも思う。

『イッキ描きとは何か?』でも述べたように、レオナルド(1452

〜1519)にしてもハガキ程度の紙片にインクで走り描いたデッ

サンこそまさにレオナルドの描いた絵だと思う。あれこそ絵だ。

《モナリザ》や《聖母子像》は細密に仕上げてあるが、「描いた」

感はデッサンに比べればだいぶ減少している。

本当に油彩画で「描いた!」と感じられる絵はティツィアーノ

(1488/90〜1576)の晩年の油彩画だ。本当に油絵で描いてある、

感じ。筆を楽しんでいる。絵具を喜んでいる。(7月12日付けブ

ログに参考図版アップ)

その行為は人類だけが知っている恒久の喜びだ。時代に関係ない。

それこそ数万年前の洞窟壁画から連なる「描く喜び」の連鎖だ。

現代も近代も中世もハチの頭もない。

人間はメシ食って寝て排便して、あとはエロいだけ。それだけの

ことだ。太古の昔から変わっていない。

私は新規さや奇抜さばかり追う、いわゆる現代アートをまったく

認めない。新しがりノイローゼだと思っている。それに金を掛け

現代美術館を造ったり、テレビで紹介したりする方々の気がしれ

ない。本当にわかっているのだろうか?

いつも述べているが現代○○という言い方もおかしい。国語力ゼ

ロ。

現代の絵はすべて現代アートであり現代美術に決まっているでは

ないか!

コンテンポラリーアート(同時代美術?)もモダンアートなどと

いう区分ももちろん同様に誤っている。

美術史ノイローゼなんだと思う。古代美術とか中世美術、近代美

術という言い方は正しい。でも現代美術なんて分野はないと思う。

古代美術だって、その時代には現代美術だったんだよね。

「現代」は特別だと思う。

 

ま、どうでもいいけどね。

絵は描きたいように描けばいい、のだ。

描きたい、線が引きたい、点々を置きたい。丸く腕をまわしたい。

グンと太い線を引きたい。細い線でひっかきたい。

そういう筆の喜びがなければ話にならない、だろが!

でも、いわゆる現代アートも含めて、何をやっても自由だ。好き

勝手にやればいい。他所の国の街を爆撃しているわけではない。

 

24年7月5日(土)

Trio展に想う

「Trio展」(国立近代美術館・8月25日まで)に行った。

入り口の絵はマルケ(1875〜1947)《雪のノートルダム大聖堂、

パリ》という絵(7月7日付け『イッキ描きブログ』にアップ予定)。

61×81pの大きさ。日本寸法に換算するとP25号ほどの画面だ。

もちろん大作ではないが小品とも言えない。たっぷり大きい。

なんという筆捌きだろう!

1912年頃の作品とある。マルケが37歳のころか。手慣れた筆の跡

は決して粗雑ではない。速いが丁寧だ。筆を楽しんでいる感じが

伝わる。描く喜びにあふれている。

もうこの絵1点が見られただけで2200円の入場料は安と思ってしま

う。この絵はパリの市立近代美術館からやって来たのだ。

TrioというのはTokyoとParisとOsakaの文字を組み合わせてトリオ

に引っ掛けたシャレらしい。ウィットのつもりか。

インテリのダジャレは頂けない。笑いは己を捨てた命懸けの芸人

のなかから生まれる。一段高い安全地帯からシャレられてもシラ

ケるだけだ。まったくわかっていない。NHKの男性アナウンサーの

ダジャレレベル。殺意が湧く。ま、殺さなくてもテレビは消すか

チャンネルを変えれば済むけどね。

竹橋の近美はマルケを見せてくれたから下手なダジャレも赦しちゃ

う。

期待していたデュフィ(1877〜1953)もたくさん来ていた。特に

《家と庭》は圧巻(7月5日付け『イッキ描きブログ』にアップ)。

パリ市立近代美術館は素晴らしいデュフィをいっぱい持っている。

《家と庭》は私の記憶になかった。初めて見たと思う。

しかし、世界の美術もデュフィぐらいで終わりかも。ま、ピカソ

(1881〜1973)までかな?

その後はロクなものはない。

頭脳ばかりが先行して筆がおろそかなんだよね。描かなきゃ絵描

きじゃねぇベェ。

「拙速に過ぎる?」ってか。もともと「拙速」は褒め言葉らしい。

「巧緻より拙速」って使うらしい。まさにミケランジェロ(1475〜

1564)の天井画や壁画には驚くべきスピード感がある。

だけど世界美術の方向は急ぎ過ぎ。美術界はまさに暗黒時代に入っ

ている。世界の近現代美術館は、その暗黒時代を強情に推し進め

ている。

ま、いいけどね。

映像芸術なんかも展示してあったけど(鑑賞のあと孫と遊ぶ予定

だったのでよく見ていない=ゴメン)、ああいうのって映画文化

でいいように思う。クラシック音楽も映画音楽に引き継がれてい

るんじゃないだろうか? よくわからない。

ただ、油彩画の筆の魅力はイラストやコミックでは表現できない

んだよね。

 

 

 

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