唇 寒(しんかん)集68<24/2/3〜>

24年5月25日(土)

クロッキー会は楽しい

5月22日に再生クロッキー会の3回目を終えた。

もう4年前のように裸婦は描けないかもしれないと恐れていたが、

けっこう描けるものだ。いやいや出来た絵がどうかではない。描

く喜びがあるか、描きたいという欲求があるか、少し心配だった。

69歳と73歳では肉体的な衰えは小さくない。

偶然私は1年半ほど前から自転車ウーバー配達をやる羽目になり、

身体的にはむしろ鍛えが入ってしまった。もともと肥えてはいな

かったけど、さらに贅肉が取れた感じ。

だからと言って裸婦への意欲が増大するとも言えない。

でも花が美しいように裸婦も美しいんだよね。

ダイジョブ、ダイジョブ。まだ当分描ける、感じ。

モデルさんは初めのうちは緊張しているけど時間が経つにつれて

気が楽になり、2分ポーズなどでいろいろ動くとますます自由にな

る。後半は血色もよくなる、のか。

しかし、描くほうが疲れ果ててしまう。その微妙な境目にましな

絵ができる瞬間があるんだけど、それもなかなか難しい。

難しいから面白い。

大谷だって毎回ホームランが打てるわけじゃない。

クロッキー会にはそういう葛藤がある。

それも案外楽しい。

ま、とにかくクロッキー会は復活した。とてもよかった。

どこまで続くかわからないけど、やれるだけやるしかない。

当たり前か。

 

24年5月18日(土)

悠久のなかで

ギリシアやローマの彫刻、またはルネサンスなどの彫刻の石膏像

をデッサンするのは美術大学に合格するための手段だ。多くの人

は合格してしまえば古代彫刻との付き合いはなくなる。

ま、私は美大受験のために石膏デッサンを描いたわけではないけ

ど、けっこうな枚数を描いた。若いころ(と言うか、父が絵描き

だったから幼いころから知っていた)石膏像に魅せられ、73歳の

今でも古代彫刻への思いは変わらない。今だに古代彫刻に惹かれ

ている。また、奈良の仏像や古い中国の仏像にも強く惹かれる。

ルネサンス期のミケランジェロ(1475〜1564)や、その後のルー

ベンス(1577〜1640)、プッサン(1594〜1665)なども同じ。生

涯にわたって古代彫刻を敬愛した、のだ。

一般にはアートの独創性を最重要視するが、どの画家(または彫

刻家)が誰を尊敬していたかは最大の興味だ。

美術出版社の『世界の巨匠』シリーズの『ミケランジェロ(素描

U)』には詳細な年譜が掲載されているが、1506年1月14日の項に

「ラオコーン群像、ローマで発見」と1行記してあるだけ。この群

像にミケランジェロがどれほど熱中したかはいっさい記述がない。

それより助手ともめたことやローマ教皇との契約のことなどが克

明に記されている。もちろんそういうのも大切なんだろうけどね。

《ベルヴェデーレのトルソ》については記述すらない。

私たちは古代ギリシアから続く2500年レベルの悠久のときのなか

で絵を描いている。

受賞とか売れるなどと言うことはほんの一時的な事件に過ぎない。

もちろん、生きている限り金は必要だから一時的でもなんでも売

れればありがたい。でも、それはやっぱり一時的なことなんだよ

ね。

重大なのは昔の偉大な芸術を敬愛しながら自分も描くということ

だと思う。

われわれは悠久のときのなかで絵を描いている。巨大なリスペク

ト連鎖のなかにいる。それこそが大きな喜びである。

 

24年5月11日(土)

友だちに感謝

私の父は「友だちなんて要らない」といつも言っていた。子供の

ころ学校で嫌な思いをしたらしく、「友だち」を頭から否定して

いる様子。

パスカル(1623〜1662)も友人との語らいを無駄だと言っている。

一人で真理を追求すべきだと言い残した。(『パンセ』断章151)

しかし、私にとって友だちには感謝しかない。

実際に絵を買ってくれることも多い。私の絵は決して安くない。

申し訳ない。

若いころはアルバイトを紹介してくれる友もいた。私の家庭の不

遇を泣いてくれた友もいた。

今でもYou Tubeで私を立ててくれるクマサク氏は、50年ほど前に

一緒にヨーロッパの美術館をめぐった。考えてみると、ほとんど

クマサク氏が下調べをしてくれて私なんかついて行っただけ。一

応私もぼんやりとは知っていたが、観光ガイド付きの団体旅行で

はなく、個人で実際に美術館やお寺に行きつくのは簡単じゃない。

パリやローマ、フィレンツェなどの裏道まで調べてくれてあった。

近年は、医師になった友人が家内の心臓病を救ってくれた。少し

遅ければ妻を亡くしていたかもしれない。

今のウーバー配達を紹介してくれたのも大学の友だ。怠け者の私

が張り切って働けるバイトだ。

まったく感謝しかない。

 

ところが、私の友人を含め、私の絵を買ってくれた方々には申し

訳ないが、どうも私の絵は認められそうもない。ダメかもしれな

い。というか、どうでもいいと思うようになってしまっている。

ほんとうにごめんなさい。

もちろん絵を描くのをやめる気はない。多少ペースは落ちるが、

かなりの分量を描き続ける所存。がんばる。

でも、世間の評価はどうでもよくなってしまった。古典の絵画や

彫刻を見て楽しみ、自分も描く。忘我の世界、時空を超えた絵画

ワールドに浸る。それが最高のときになってしまった。ただそう

いうなかにいたいから絵を描く、みたいな感じになっている。

ほんとうに申し訳ない。

出来た絵を見て、私自身はけっこういいと思うけど、世間には通

用しないみたいだ。ま、勝手にしやがれ、という気分。とりあえ

ずは脚腰が利かなくなるまではウーバー配達をしながら描き続け

る所存。ま、数年は持つだろう。

絵画教室もクロッキー会も復活できた。きっと必ず個展も再開す

る!

 

24年5月4日(土)

方向性だけでも

特殊な例とは言っても、美術史上に20人ぐらい超老画人がいる。

絵を描かない禅僧なども超老人に入れたら100人以上だ。特殊な

例とは言ってもそういう凄い高齢者がいたことは事実。画家の場

合、絵が証拠として残っている。

私の見立てでは若いころより死ぬ間際の作品のほうがずっといい。

 

で、私自身の絵を見るかぎり、なかなか難しい、と思う。

もっと描けばいいのだろうか?

超老画人は長い歴史上に多く見積もってもたったの100人。パッと

言えるのは10人ぐらいだ。

でも、それが人類史上最高の美術ならできるだけ近づくしかない。

とにかく死ぬ間際に最高に達するなんていうのはホモサピエンスだ

けなのだから、せっかくホモサピエンスに生まれた以上、そういう

老人力を知った以上やるだけやってみるしかない。

少なくとも方向だけでもそっちを向いていたい。だから、筋トレな

ども続ける。ま、孫を抱っこするという現実的な問題もある。脚腰

がしっかりしていなければ嬰児は抱けない。躓くこともできない。

毎日の体操は必須である。それが超高齢画人への方向と並行してく

れるなら、そんな好都合はない。

本心、体操や筋トレにはうんざり。老人アートというより孫の顔を

思い浮かべて頑張っている。

水泳のスピードも年々遅くなっている。自転車もゆっくり。絵だっ

て普通に衰えていると思う。

でも、わからないんだよね〜〜。絵は特にわからない。たくさん描

き続けていれば、よくなる可能性もある。というか出来た絵の良し

悪しなんて問題じゃない。

モネ(1840〜1926)のようにガンガン筆を揮うのだ。そこに涅槃寂

静がある。きっと。

その可能性を知ってしまった以上、やらないわけにもいかない。ま、

元気なうちはやるだけやるしかない。当たり前、かぁ〜〜。

 

24年4月27日(土)

いいの、いいの

当たり前だが、ボーヴォワールの『老い』(訳:朝吹三吉・人文

書院)も「老いは悲惨なもの」という前提に立って述べられてい

る。

老いは個人的な問題だが社会問題でもある。

それは『楢山節考』(ならやまぶしこう・深沢七郎の小説:姥捨

て伝説の話)を待つまでもない。ついこの前の「老人集団自殺」

発言や石原慎太郎の「ババア発言」(更年期女性不要論)なども

あった。その石原慎太郎が出典とした東大の松井孝典の主張は真

逆だと思う。松井は更年期女性が現生人類の繁栄をもたらしたと

言っていた(つまり、お婆ちゃんの子育て支援)。ヒト以外の霊

長類のメスは更年期になるとすぐ死んでしまうらしい。

ま、とにかく、一般的には老人は社会に要らないもの、悲惨な存

在、邪魔、という思想だ。

しかし、私が知っているクラシック絵画の世界では老人こそがダ

ントツ一番なのだ。父親が葛飾北斎(1760〜1849)や富岡鉄斎

(1837〜1924)をべた褒めしていたこともあり、私は子供のころ

から老人画家の力を知っていた。

その後私が25歳のとき、ヨーロッパの美術館などをめぐって老人

画家がどれほど素晴らしいか、ますます確信することになった。

ミラノの2m以上もある《ロンダニーニのピエタ》という大理石像

の前で立ち尽くした。動けなかった。おそらく口も空いていたと

思う。

《ロンダニーニのピエタ》はミケランジェロ(1475〜1564)が死

の直前まで鑿を入れていた最晩年の大理石像。88歳の老人が手掛

けた等身大のキリストとマリアの像だ。この彫像こそがミケラン

ジェロを無限に偉大な彫刻家にしている。鑿を持ってそのまま昇

天したとも言える巨人である。

他にも、ティツィアーノ(1488/90〜1576)やモネ(1840〜1926)、

ピカソ(1881〜1973)などなど驚嘆に値する老画家がヨーロッパ

にはいる。

いっぽう、東洋にも驚くべき老芸術家が残っている。

雪舟等楊(1420〜1506)、雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)、

白隠(1686〜1769)、仙香i1750〜1837)などは以前から知って

いた。

絵ではないが、ブログでなんども述べている『遺偈の書』も東洋

の遺産。

さらに、仏像の木喰上人(1718〜1810)は92歳まで旅を続けてい

た。

しかし、実際に自分自身が73歳になってみると、老齢の辛さが身

に沁みる。

た・い・へ・ん!

脚腰は痛いし、病気も怖い。排泄も不安定。いろいろ不便だ。夜

中のオシッコは最悪。朝起きると、歩けないほど筋肉がしぼんで

いる。驚くね。

でも、まあ、動き始めれば普通にいろいろできる。自転車も乗れ

るし、プールにも行く。

自転車は遅いし、水泳の力もガタ落ちだけど、いいの、いいの。

一つ一つゆっくりやればいいの。自転車こぎも水泳も気持ちいい

からいいの。ダイジョブ、ダイジョブ。

 

24年4月20日(土)

赤ちゃんor老僧

「遺偈の書」ってアートだろうか?

どう見ても衝撃的な造形だ。造形美と言える。作ろうと思って作

れれるようなものじゃない。引こうと思って引けるような線じゃ

ない。

でも「遺偈の書」がアートじゃなかったらアートってつまらない

ものになってしまう。要らない。まさにAIにでも創作できるんじゃ

ないだろうか?

よく「ニワトリが先か玉子が先か?」という課題がある。アート

の問題なら「造形が先か人間が先か?」って話だ。

速く移動するんだったら自動車を使えばいい。ウサイン・ボルト

も高橋尚子も要らない。水泳だってモーターボートがある。病魔

に打ち勝った池江璃花子のゴール直前の頑張りもバカバカしいの

か?

バカバカしいなら何であんなに感動するんだ?

将棋も同じ。どうやれば勝つかAIが示している。どんな棋士もAI

には勝てない。藤井聡太のレーティングは2000を超えている(一

般のトップ棋士は1800前後)けどAIは5000を超えているという。

しかし、われわれは将棋棋士の姿が見たい。人間同士の生の頭脳

戦が、またはハラハラドキドキを凌駕する精神力が見たい。正解

の見えないギリギリ勝負の思い切った指し手が見たい。

われわれは技術の向上を目指す。最新技術の獲得が目的だ。しか

し、実際に素晴らしいのは目指す姿、目指している過程、そうい

う人間の姿勢が最重要なんじゃないだろうか?

早い話が結果なんてどうでもいい、のでは?

そう考えると、機械やAIは虚しいものになってしまう。

少なくともアートの世界では、結果より過程だと思う。道元は悟

ろうと思い坐禅を組めばそれがすでに悟りだ、と説いた。私はこ

れを道元理論と呼んでいる。機械やAIには永遠に理解できない思

想だ。

赤ちゃんは寸暇を惜しまず成長しようとしている。そこのところ

が、木偶の棒みたいな赤ちゃんの無限の魅力だと思う。もっとも

愛おしく感動的な姿なんじゃないか? 見知らぬ赤ちゃんが公園

で寝ているだけなのに、なんかとても惹きつけられ、「よく寝て

いるねぇ〜」と嬉しくなってしまう。

遺偈を書く過程、そのときは老僧たちは確かに生きている。書こ

うとしている。それが素晴らしい、のだと思う。

 

24年4月13日(土)

老境の教え

『老い』(ボーヴォワール・人文書院)には当然「遺偈の書」の

ことは書いてない。

遺偈の書ってド凄いよね。

禅宗などのお坊さんが死ぬ間際に短い偈をしたためる。本当かど

うか、なんかいったん死んでもう一度起き上がる、みたいなこと

が書いてある。その書を見ると確かにそういう鬼気迫るものがあ

る。

私は毎日新聞社が出した『遺偈の書』という豪華本を持っている

が、東京国立博物館の展覧会で本物も見た。一番有名なのは円爾

(1202〜1280)と癡兀大慧(ちこつ だいえ、1229〜 1312)の遺

偈だ。一休宗純(1394〜1481)の遺偈も見た。

死ぬ間際に最期の力を振り絞って書く。

遺偈については『書と人物 第二巻僧侶』(毎日新聞社)で知っ

た。『道元』(NHKブックス)を著した今枝愛心(1923〜2010)の

解説は感動的。

どうしてこんな風習があるのか? 東洋の知恵、禅の知恵だろう

か?

東洋は昔から老人を尊ぶ。

いやいや、西洋の老人も素晴らしいけどね。『スターウォーズ』で

は900歳のヨーダが大活躍した。ヨーダとルークの出会いのシーン

は圧巻。ヨーダもオビ=ワンも最初は山に籠っているんだよね。世

間に出ていない。ああいう設定も楽しい。『水戸黄門』は毎回「越

後のちりめん問屋の隠居」として登場する。ああ毎回だとアホらし

くなる。

私がウーバー配達などをやっているのは酢屋道全という禅僧の逸話

を知っていることもある。酢屋道全の正体は雲渓桃水という禅の高

僧なのだ。晩年は酢を売って暮らしたらしい。『日本の仏教』(渡

辺照宏・岩波新書p45)に書いてあった。高僧が市井に暮らすのはカッ

コいい。もちろん私は単なる貧乏怒鳴り爺、悟りにははるかに遠く

桃水禅師と同列に語るのもおこがましいが、お手本として慕うのは

勝手だと思う。

東洋には老境の教えが多い。

 

24年4月6日(土)

僧侶ならばこそ

絵はモノだ。《モナリザ》も《煙寺晩鐘》も世界に一つしかない

けど、所詮モノに過ぎない。

中村哲とかシュバイツァーなど真なる偉人は尊敬に値するけど、

偉大なモノって尊敬に値するのだろうか?

尊敬しなくても大切に扱えばいいだけ?

だけど偉大な絵ってモノなのに尊敬しちゃうよね。そこが不思議

だ。そこが絵の最大の特性かも。そりゃ、彫刻も同じ。

だけど、実際には絵を尊敬しているんじゃない。絵を描いた人を

尊敬している。当たり前。レオナルド(1452〜1519)とか牧谿

(1280頃活躍)を尊敬している。

こう考えると、AIが描いたレンブラント風肖像画はどうなるんだ

ろうか?

『レンブラントの身震い』(新潮クレスト・ブックス)でマーカ

スデュ・ソートイが詳しく語っている。

私も、翻訳文なのによくわからないながらなんとか読みとおし、

もちろん、AIが描いたカラー図版も見たけど、一目いいとは思わ

なかった。いいというのは欲しいという意味。飾っておきたいか

というと、要らない。全然魅力がない。

で、例の日本美術史家の牧谿評が出てくる。

「(牧谿の絵は禅の余技としての域を出て)絵が本職と言ってい

いでしょう」

「牧谿の絵は、余分な哲学や精神性をくっつける必要のない、き

わめて高いクオリティを持ったものです」

「そろそろ、精神性とか、禅とか難しいことを言うのはやめて、

素直に絵を見ればもっと楽しいと思います」

どういう意味だろう?

絵の魅力って何なんだろう?

牧谿は本当に絵を本職としていたのだろうか? 職業画家ってそ

んなに価値があるのか?

富岡鉄斎(1837〜1924)は自分を画家とは言わなかった。自分は

神官であると言いとおした。

村上華岳(1888〜1939)は私は画家でなければ宗教家になってい

ただろうと言った。

ゴッホ(1853〜1890)は画家だろうか? 絵で伝道した牧師なの

ではないのか?

ニーチェ(1844〜1900)は、ルターを批判した。宗教改革は不要。

ルネサンス芸術が宗教改革をしていたのだという歴史観を述べて

いる。ま、ニーチェの言うルネサンスは美術よりも音楽だったか

もしれない。

牧谿は僧侶だからこそ素晴らしいのではないのか?

それは、日本の鉄舟徳斎(?〜1366)も雪舟等楊(1420〜1506)も

雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)も同じ。

ここのところをよく考えていただきたい。

専門バカは大学内だけでとどめておいてもらいたい。

 

24年3月30日(土)

印象派・奇蹟の友好

150年前の印象派の画家たちは不思議な人たちだった。

『老い』でボーヴォワールも語っているルノワール(1841〜1919)、

モネ(1840〜1926)、セザンヌ(1839〜1906)は特に素晴らしい。

滅多にいない奇蹟の人。そういう人が20歳代に出会いグループを作っ

た。

当時のフランスアカデミズムの画家たちから見れば取るに足らない

素人集団だったと思う。いきがっている若い無能な絵描きたちだ。

何にも描けない、修業も足りないと考えていた。気にもしていなかっ

ただろう。まさかあのヒッピーみたいな若い絵描きたちが自分たち

を美術史から消し去ってしまうとは夢にも思わなかったにちがいな

い。

しかし、印象派の画家たちは「いきがった一時的な狂気の画家集団」

ではなかった。深い絵画哲学を持ったずば抜けた画人の卵だった。

私が若いころから尊敬したドガ(1834〜1917)もいた。印象派展に

は出品しなかったがマネ(1832〜1883)も心優しい新勢力のリーダー

だった。

彼らの交流は最晩年まで続いた。

とても聡明で精神的にも豊かな人たちだったのだと思う。IQもEQも

高かったに違いない。その全能力を絵画に傾ける術を知っていた。

だから、印象派の絵は無限に素晴らしい。ずっと見ていたいし、繰

り返し何度も見たくなる。

ボーヴォワールが名を挙げたルノワール、モネ、セザンヌなどは最

晩年まで友好が断えなかった素晴らしい特上の仲間だ。

世間的評価をまったく得られなかったセザンヌが絵を描き続けられ

たのもルノワールなどの理解があったからかもしれない。バカな世

間の評価なんかよりルノワールの「いい」の一言が100倍の励みになっ

たのではないか。で、結果においてルノワールの評価はムチャクチャ

正しかったわけだ。

 

24年3月23日(土)

絵だけは別?

いつ病気になるかわからないし、いつ死ぬかもわからない。高齢だ

とその恐怖は小さくない。

とりあえず絵を描いてさえいればいいと私は思っている。だけどやっ

ぱり言葉で言っておきたいこともある。ま、このホームページやブ

ログで言い尽くしているようにも思うけどね。でも先週みたく「新

しい気づき」も出てくる。

最近思っていることは、牧谿のような悟りの絵画を画像付きで詳し

く述べること。実際に描く立場として対象との一体化を目指す。一

体化した昔の絵画を画像で細密にご紹介する。超高齢の画家たちの

摩訶不思議な画力を紹介する。

今も実際にブログではモネの最晩年の絵を繰り返しアップしている。

晩年のセザンヌ(1839〜1906)の作画姿勢も不思議だ。

世間一般では20〜50歳ぐらいが人生の最盛期と思われているが、昔

の一部の画家の絵を見るかぎり、最盛期は80歳からだ。こんな能力

があるのは人間だけ。

相撲や野球なら80歳が25歳に勝てるわけがない。北の富士が大の里

に勝てるなどと思えるだろうか?

王が佐々木朗希の球を打てるだろうか? 打てるとは思えない。

将棋だって、羽生善治は藤井聡太になかなか勝てない。

でも、絵だけは別なんだよね。

富岡鉄斎(1837〜1924)の最期の絵《瀛洲遷境図(えいしゅうせん

きょうず)》は88歳ごろ。その絵は鉄斎の絵のなかで一番美しい。

分厚い。大きさも十分ある(142.7×40.1p)。

世間の頭がいいと言われている人のレベルはとても低い。何も知ら

ない。見ていない。美術界でさえ同質。おかしい。「高齢者の集団

自殺のすすめ」などは話にならない無知。バカ。間抜け。

この話も前に書いたが、東大出の美術史家は先輩美術史家と新幹線

のなかで高級ウィスキーを飲みながら新幹線で旅をしている自分た

ちと雪舟等楊(1420〜1506)の旅を同じ旅として語っていた。80歳

を過ぎた雪舟の歩行の旅と新幹線の移動が同じわけがない。「たび」

という言葉で同列に語るなどあまりの見識のなさ、想像力の欠如に

あいた口が塞がらない。語学が達者というだけで学術界に君臨でき

る現在の学術界は本当にバカバカしい。あまりにも愚か。それが自

他ともに認める現代のインテリなんだからイヤになる。見識がなさ

すぎる。

ま、どうでもいいけどね。そんな「業界」はいつの時代にもある。

戦争を始めたヤツ等より100倍ましだ。

You Tubeにフランスの女性哲学者ボーヴォワール(1908〜1986)の

『老い』を解説した動画『悲惨な老後か幸せな老後か』があった。

私とほぼ同意見。でも、その動画でルノワール(1841〜1919)を取

り上げていたが、没年を73歳と言っていた。ルノワールの没年は78

歳である。

 

24年3月16日(土)

新しい気づき

3月10日付けの『イッキ描きブログ』で対象と画人の一体化の話を

した。こういう思考は、ま、世間にはよくあるのだが、私自身の

実感として湧き出してきたことはない。

私の今までの絵画論理は「仕上がった絵なんてどうだっていい。大

事なことは花や風景(もちろん裸婦も)の前に数時間いること。さ

らに大きな幸福は絵筆が揮えること」だった。

しかし、この論理をもう一歩進めると花や風景と一体化できるので

はないか。少なくともそういう絵画が美術史上にはちゃんとある。

八大山人(1626〜1705以降)の《木蓮》がその気づきを導いてくれ

た。それは実際のモクレンの蕾を見たことにも関係する。

「モチーフ」という言い方はセザンヌ(1839〜1906)の発案だと聞

く。モチーフ(motif)はフランス語。英語だとモーティヴ(motive)。

モチベーション(motivation)も似たようなものか。絵の世界では

作画動機と訳される。

描く対象を作画動機と名付けた発想はとても素晴らしい。

しかし、そこにはまだ描く対象と描く人という二つの次元がある。

牧谿(1280頃活躍)などの古い中国の名画には対象と画人。すなわ

ち客体と主体、客観と主観という対局がない。渾然一体となってい

るように見える。風景のなかに画人が溶け込んでいる、感じ。八大

山人の《木蓮》なら、山人自身が木蓮になちゃっている、感じ。哲

学や宗教学で言えば一元論てこと? その実践の筆跡?

まったく絵って素晴らしいメディアだ。1000年も前の画人の境地が

目の前にある。こっちのレベルは低くてもその素晴らしさはわかる。

私なんてなんにも知らない20歳のころに牧谿《煙寺晩鐘》を見て腰

を抜かしたんだからありがたい。私には28歳年長の絵描きの父親が

そばにいて、すぐ父に確認できる。48歳の父も即座に《煙寺晩鐘》

に驚嘆していた。

ま、一体化理論は私自身には到底及ばない画境だけど、蕾から花に

なろうとするモクレンを見ていて突然そういう思考が生まれてきた。

いやいや悟りではない。そんな大仰なものではない。

でも、今までの「花や風景のなかに数時間いるだけで幸福。描けれ

ばさらにハッピー」という理論より一歩進んでいる感じはある。だ

からと言って絵がましになるわけでもないと思う。

でも、主観と客観という矛盾は西洋思想の巨大な壁である。脳科学

の壁でもある。人間の意識とは何か、どうしてもいまだに解明でき

ないのだ。いい線行っていた茂木健一郎センセイはとてもおかしな

人になってしまった。

牧谿の《煙寺晩鐘》や八大山人の《木蓮》には解明のヒントが見え

る。現存しているということが嬉しい。

本当は牧谿も日本の阿弥派や狩野派によってかなりズレてしまいそ

うになったが、雪舟等楊(1420〜1506)や雪村周継(1504〜1585/

1492〜1573)、浦上玉堂(1745〜1820)や白隠(1686〜1769)、仙

香i1750〜1837)などによって軌道修正されてきた。

私の父は晩年に西洋絵画を否定していたけど、私はモネ(1840〜1926)

の最晩年のバラや睡蓮に一体化の様相が見えると思う。また、ティ

ツィアーノ(1488/90〜1576)の最晩年の絵にもミケランジェロ

(1475〜1564)の最期の彫刻《ロンダニーニのピエタ》にも主客融

合の造形が感じられる。

 

24年3月9日(土)

100回、10万枚

今月末にはクロッキー会を再開する方向だ。町田市立国際版画美

術館のアトリエを予約して、モデル協会にモデルさんを依頼し、

会員諸氏にハガキでお知らせする。しばらくは月1回ペースで始め

て、軌道に乗りそうなら月2回にしたい。

クロッキー会と絵画教室を月2回やって、自分でもそこらをスケッ

チすれば、年間1000枚の絵が描ける。それを10年やると1万枚にな

る。私の今まで描いてきた絵の枚数は5万枚と公表しているが、実

際は7万枚ぐらいに達しているはず。死ぬまでに10万枚描きたい(た

ぶん無理)。

私の知っている有名画人の枚数は葛飾北斎(1760〜1849)とピカソ

(1881〜1973)が10万枚、ターナー(1775〜1851)が2万枚、モネ

が8千枚と言われている。それは残っている絵で計算したのだろう。

私の見立てではターナー(1775〜1851)やモネ(1840〜1926)も5

万枚は軽く超えている感じ。

で、私の個展の回数だが、今のところ90回ぐらい。最低でもあと10

回はやりたい。

出来るだろうか?

「10万枚描く」より現実味がある。

本心、100回は簡単に超えると思っていたけどね。コロナ禍の痛手は

小さくなかった。

残り少ない人生、なんとか100回超えは成し遂げたいと思う。

こういう目標なら完売とか受賞とかよりずっと健全だと思う。自分

勝手な目標いわば自己記録の更新なんだから競争ではない。

競争はバカバカしい。

 

24年3月2日(土)

埋没できる時空

2月26日に茅ヶ崎の海で絵を描いた。キャンバスが不足気味なの

で油絵はF8とSMとF0の3枚だけ。あとはA3の水彩紙に鉛筆で4枚

描いた。

絵って自分だけの世界だと思う。そういう意味では絶対的な自

分の時間が過ごせる。唯一無二の時間を経験できることは幸福

なことだ。

 

私が父に「絵描きになりたい」と言ったとき、父は「歳をとっ

てやることがなくて困るから絵でも描いておけ」と答えた。巧

い回答だ。父は相当の境地にいたのかもしれない。

少なくとも父も絵の世界に埋没する楽しみを知っていたにちが

いない。ま、父の絵は最晩年(とは言っても今の私の歳)まで

売れていたから、けっこう娑婆っ気があったかも。ウーバー配

達の合間に絵を描いている今の私のほうが自由で気楽か。

 

本当に絵は苦しくて楽しい。

(思うように)描けないんだよねぇ〜。

それがまた至福のとき。そのパラドックスは本人しかわからない。

出来上がった絵がいいのかつまらないのか、そういうのは二義的

な問題。描いている最中はどうでもいい。

たとえば、茅ヶ崎海岸だったら、太古からの雄大な風景のなかに

いる。海上に大島が浮かびその右手から伊豆半島が続く。複雑な

山容の箱根があって富士がドンと構えている。上空には雲が好き

勝手に暴れる。ものすごく広い大舞台での大舞踏会だ。海も波が

うねっている。広大な世界のなかで「描けねぇ〜」と奮闘するハ

ゲ爺がいる。楽しいねぇ。

これがブグロー(1825〜1905)だったらスイスイ描けてしまって、

その絵もどんどん売れちまう。きっと面白くもない作業なんじゃ

ないか。

下手っぴぃは下手っぴぃの格闘があり苦闘があり歓喜がある。い

い絵が完成する歓喜ではない。そっちは偶然。クジみたいなもの。

絵を描くこと自体に歓喜があるのだ。苦闘との交錯のなかに喜び

が忍び込んでいる。

こういうのは水泳でも自転車こぎでも同じ。苦しみながら喜んじゃ

うんだよね。しかし、絵を描くときの苦楽はまったく格別で、不

思議な時空のなかに入れる、のだ。

手を動かすから確かに身体的だけど、水泳なんかよりずっとメン

タル面が強い。当たり前か。瞑想世界と気取るつもりはないけど

ね。現実は絵具まみれでムチャクチャだ。

 

24年2月24日(土)

ヴォラールのルノワール

ここのところブログにアップしているルノワール(1841〜1919)

の絵はヴォラール・コレクションだ。ヴォラール(1866〜1939)

はルノワールと同時代のパリの有名な画商。

一見贋作かと疑りたくなるあやしげなルノワールだけど、ヴォラー

ル・コレクションなんだから贋作のはずはない。そう思って見る

せいか、なんか味わい深いような気もする。「あやしげ」と言っ

たのはあまりにも下手だからだ。いやいやヘタと言ってもモネ(18

40〜1926)やドガ(1834〜1917)などに比べての話。

ヤケクソで描いている。ルノワールの晩年は中風のせいで筆も持

てなかったという。そういう感じもする。でも描くんだ、自分は

絵描きなんだ、という信念のもとに筆を持ち続けた。そういう迫

力がガンガン伝わってくる。

私も若いころはルノワールをイマイチ認めていなかったが、この

ごろは立派な画家だったと思うようになった。

ヴォラール・コレクションのルノワールを見ていると、表現主義

的な筆の勢いを感じる。形や空間よりも筆の躍動、みたいな?

それは中国の書にも通じる造形的魅力だ。

中村彝(1887〜1924)や梅原龍三郎(1888〜1986)をはじめ、ル

ノワールに影響を受けた日本人洋画家は多い。なかには、首をか

しげざるを得ない絵も少なくない。日本人画家のルノワール風絵

画に比べると本物のルノワールがいかにたくさんの絵を描いたか、

筆のこなれが一目でわかる。それは筆の乱れとはちがう。一筆一

筆に喜びが溢れている。

われわれはつい巧い絵に目を奪われてしまう。しかし、巧さは絵

画の本質ではない。

 

24年2月17日(土)

天風会館に行く

14日にやっと『運命を拓く 天風瞑想録』(中村天風・講談社)

を読み終った。私の学生時代の国語読解力は抜群だったのだけれ

ど、あんまりよくわからなかった。

宇宙霊というのがあって人間にはそれを受け入れる能力がある。

受け入れさえすれば何も怖くない。という理論、らしい。

でもそのためには宇宙霊自体を信じなければならない。これがと

ても困難。

さらに、人間だけが全生物の霊長であり、宇宙霊を受容できると

いう説も簡単には頷けない。

たとえば、森の古木など人間なんか問題にならないほど荘厳だ。

山もまた毅然と存在している。ま、富士山なんかは特別だよね。

海もまた素晴らしい。いくら見ていても飽きない。

いろいろな野生動物もそれぞれに悠然としていて、堂々たるもの

だ。

人間はけっこうセコイ。威張りンぼでアホ。

私にはなかなか納得できないところもある。大谷翔平みたく素直

じゃないもんね。

 

で、15日に天風会館を訪ね天風の実際の墨跡を鑑賞してきた。東

京都文京区の護国寺の境内にある。入館料は無料。

天風の書画や彫刻などは画像で見るのとは全然ちがった。もちろ

ん専門家の筆跡とは言い難いが、すべて立派な造形だった。専門

家(=プロ)の墨跡よりずっといい。

よかった。

悪性の結核を乗り越えた。そこに嘘はないと思う。それはふつう

考えられない奇蹟だ。そう言えば、私の父も胸骨カリエスという

死病を患っていた。何度も入院し、15回胸を開いたと言っていた。

胸には大きな傷があった。私は子供のことから見ていたのでキモ

いとも思わなかった。私の子供のころの父は病弱だったが、途中

からムチャクチャ元気になった。完治したのかもしれない。不思

議だ。

そういうことってあるんだね。

天風会館のギャラリーには達磨の絵がなかったのが心残り。

 

24年2月10日(土)

ゴッホの伝道

『運命を拓く 天風瞑想録』(中村天風・講談社)で、天風師は

世のため人のために働かなければならないと言っている。私なん

か「自分が楽しければいい」レベル。世のためを思いやれる余裕

なんてない。

ゴッホ(1853〜1890)もとても余裕のある心情とも思えない。画

商だった弟テオの手紙には苦しい暮らしぶりをアピールしている。

しかし、結果としてゴッホの絵は世界中の多くの人々を魅了し続

けている。私もしっかり魅了されてしまっている。ゴッホの絵っ

てまさに宗教絵画、キリスト教絵画とも言えるのではないか?

ゴッホは牧師を目指していたが、ゴッホは自分の絵で何十人分の

牧師の仕事をやってのけた。死んでなお現在も伝道し続けている。

おそらく今後もずっとゴッホ絵画による伝道活動は続くだろう。

絵画のちからを思い知る。

もちろん、私の絵はそんな大それたもんじゃない。当たり前。そ

んな野望はない。だけど、絵にそういうちからがあることを私は

知ってはいる。美術って偉大なのだ。

私自身がそういう偉大な美術に携わっているのだ、と主張するつ

もりは毛頭ない(丸坊主のシャレではない)。

しかし、美術(アートと言ってもいい)は永遠である。アートは

ムチャクチャ楽しいもの。真なるアートはギスギスしていない。

競争じゃない。(美大)合格とか入選とか受賞とか完売とか、そ

ういうのは真なるアートとは無縁。関係ない。絵は描きたいから

描くものであり、描いているときはまったくひとりの世界であり、

中村天風流に言うならまさに宇宙霊と一体化している、のだ。そ

の瞬間は永遠であり広大無辺だ。

それは誰もが経験していること。子供のころの遊びは宇宙霊と溶

け合っている。

もちろんそれは大人になっても味わえる。

世のため人のためになっているかどうかは知らない。

 

24年2月3日(土)

絵画の真実

『運命を拓く 天風瞑想録』(中村天風・講談社)は講演を書籍

化してある。通読しなくても章ごとに独立している。

読み進めると、わがイッキ描きを支援してくれている感じ。小気

味いい。

第5章『大いなる悟り』では物事を積極的に考えるよう主張してい

る。私にはぴったりの論述。ま、私の場合はノーテンキなだけだ

けどね。

この本にはヒトの悪口も容赦なく書いてある。第6章『人生と運命』

では占い、干支、八卦などをボロクソに貶している。天風は完全

なる無神論者だ。神や仏とよく言うけど、祈りなどをまったく信

じていない。酷いね。祈りは静かで深い呼吸になるからいいよう

にも思う。私自身、黙祷を8月に3回やるだけで普段祈ったりはし

ないけどね。丹田呼吸はしょっちゅうやっている。

第7章『人間の生命の本来の面目』では、な、なんと“創造の生活”

こそが本来の面目と来た(p183)。「えっ?えっ?えっ? それっ

て絵を描くとか?」と喜んだけど、ちょっと違うみたいだ。もう

1回よく読んでみる。

で、今日トイレでとても大事なことに気が付いた。それも天風師

のおかげかも。それは、ここでも何度も言っていることだけど、

「絵っていうのは描きたいものを描きたいように描けばいい」の

だ。イッキ描きでは当たり前過ぎるこの「描きたい」セオリーが

徹底的に正しいと腹の底から自覚した。悟りみたいな感じかも。

わかりやすく言えば、人気とか世間の評価なんて関係ないのだ。

これもここでは何度も言っている。

言っていたけど、大悟徹底していなかったかも。

本当に世間なんて関係ない。描きたいものを描きたいように描け

ばいい、それがイッキ描きの真諦であり、絵画の真実である!

 

 

 

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