唇 寒(しんかん)集66<23/4/1〜>

23年6月3日(土)

世評は無視でいい

20世紀から21世紀にかけてアートは大きく変わった。

ピカソ(1881〜1973)がそのターニングポイントとも言えるか。

私はピカソをいいと思う。アグリーだ。

ピカソ以降もアートの世界はどんどん進化した。現代アートとかコンテンポラ

リー・アートなど呼ばれ、世界のコレクターたちが高価格で取引をし、国立レ

ベルの美術館が積極的に買い上げている。美術大学はその活動拠点となってい

る。

私から見ると、そういう現代アートのほとんどがわけがわからない。もちろん

まったく感動もない。

現代の美術界は暗黒時代だという評価もある。

私は19世紀フランスアカデミズムと同じ道に迷い込んでいるような気もする。

ま、私にとってブグロー(1825〜1905)は現代アートよりずっと理解できるけ

どね。

美術の暗黒時代と言えばルネサンス前の中世。古代ギリシア・ローマ美術から

ルネサンスまでの1500年にもわたる長いトンネルだ。われわれのヨーロッパ感

覚だと『ロビンフッドの冒険』のころ。映画だったら『ブレイブハート』(メ

ル・ギブソン主演監督)の時代のアートか。イヤだね。

具体的にはノートルダム寺院とか。そのなかに飾られる絵や彫刻もコチコチに

硬くつまらない。ルネサンスの柔らかい人間味はない。でも、ロダン(1840〜

1917)は中世の彫刻も高く評価している。一般的には暗黒時代だ。

現代アートの暗黒のトンネルはピカソ以降としてもまだ50年ぐらいだからとて

も短い。

日本で認められている現代アートにはマンガから影響を受けたのもある。国立

の芸術大学を出た鬼才がマンガもどきのタブローを大画面に展開する。私とし

ては元のマンガ「アラレちゃん」とかのほうが100倍楽しい。だいたい鳥山明は

かなり絵が巧いよね。

美術館の芸術作品のほうは「なんだ、これ?」って感じ。

ま、世間はアホだ。メジャーになることを目的とする必要もない。大多数の人

は悪趣味。テレビやヤフーニュースを見ればわかる。

そういうのに目もくれずに大谷翔平とか藤井聡太は自分の道を進んでいる。大

谷は12時間も寝ているという。あとは筋トレと野球。マスコミなんかに目もく

れていない。ニューヨークに行ったって街に出ないんだから浮世離れの世捨て

人だよ。

素晴らしい!

私もせめて方向だけでも真似たい。

 

23年5月27日(土)

本質をバンと描く

牧谿(1280頃活躍)の水墨画は禅画である。宗教画と言える。宗教画とは言っ

ても禅画はとても独特。一般的な宗教画は聖書を絵解きしたものだったり、仏

像や神像、高僧の像などだ。曼荼羅というのもある。

禅画は禅画僧の心の中身を表現した絵だ。その時々の心境を墨で表している。

近現代のヨーロッパ絵画にも似ている。だから、一般的な宗教画とは違う。

でも、ルネサンス美術でもミケランジェロ(1475〜1564)の《ロンダニーニの

ピエタ》など、老境に入ったミケランジェロの境地をそのまま表現したように

も見える。それはティツィアーノ(1488/90〜1576)の晩年の《荊冠》とか《受

胎告知》などにも感じられる。ゴッホ(1853〜1890)の絵など、すべてが禅画

に近い心意気で描いてある。

禅画というと、私はまっさきに因陀羅(元代末)を思い出す。素晴らしい筆の

跡。墨が美しい。いやいやその他の中国宋元の水墨画はどれも墨がしっかり紙

に馴染んでいて透き通って見える。

本質をそのままバンと描き出すのが禅画だ。

私は父親が絵描きだったから子供のころから近代ヨーロッパの画家を知ってい

た。成長するにしたがってルネサンスやバロック美術に驚嘆した。牧谿の《煙

寺晩鐘》に感動できたのもターナー(1775〜1851)の油彩画に心酔していたか

らだと思う。

牧谿を知ったのも20歳ぐらいのとき。けっこう早かった。大学生だったことも

あり、大学の図書館で画集を見まくった。実際の美術展にも何度も行った。ド

ガ展とかヴュイヤール展などがあると3回は行ったはず。水墨画の画集も見たし、

本物も美術館で何度も見た。そう言えば、東京国立博物館には牧谿がないんだ

よね。

現代美術などと言うが、私は美術も本質は大昔から変わっていないと思う。そ

して、その本質から外れてしまうのも人の常。でも軌道修正もされてきた。

で、今回は牧谿をちゃんとしっかり継承したのは雪舟等楊(1420〜1506)であ

り、同時代の能阿弥(1397〜1471)や狩野正信(1434〜1530)、狩野元信

(1476〜1559)は本質から外れたと思う。その参考図版をアップしておく。

見比べてください。

上)雪舟等楊(1420〜1506)《天橋立図》国宝 1501年以降(異説あり) 

紙本墨画淡彩 90.2×169.5p 京都国立博物館

中)狩野元信(1476〜1559)《雪中山水図》重要文化財 制作年不詳

紙本墨画 177.5×91.0pが8幅  京都 霊雲院

下)伝・能阿弥(1397〜1471)《三保松原図》室町末期 紙本墨画

155.3×59.2p×3副 兵庫 頴(え)川家

 

23年5月20日(土)

牧谿の方向

今週はNHK・Eテレ『こころの時代』「心とは何か 脳科学が解き明かすブッダ

の世界観」にはまってしまい、仏教哲学へのあこがれが目覚めかけたが、むず

かしい書物はお手上げ。読めない。無理。

具体的に言えば、仏教かキリスト教かって話。昔そういう本も読んだ。

でも、今の私にとってはどうでもいい。私自身はお釈迦様の教えが素晴らしい

と思うけど、キリスト教の信者に尊敬すべき人はいっぱいいる。

絵描きの中村彝(1887〜1924)、岸田劉生(1891〜1929)、藤田嗣治(1886〜

1968)などはみんな洗礼を受けている。

砂漠を緑にした中村哲、看護師さんを尊重した日野原重明。日野原先生の一段

おき階段昇りを私は今も実践している。この人たちも確かキリスト教徒だ。

ま、私が尊敬する昔のヨーロッパの画家はほとんど全員キリスト教徒だろう。

それできっと彝も劉生も藤田もキリスト教に入信したのだと思う。

でも、私の場合は若いころから仏教に興味を持ってしまった。入門書レベルだ

けど仏教哲学の本も100冊以上読んだと思う。

そして中国の牧谿(1280頃活躍)の絵を見て、他の多くの中国宋元の水墨画に

出会い、日本の雪舟、雪村、白隠、仙高フ絵に強く惹かれた。

画僧じゃない日本のお坊さんの事績を読んで、たとえば道元(1200〜1253)と

か良寛(1758〜1831)とか、他にもたくさん偉いお坊さんがいて、東洋には書

があり、造形としても尊敬できる。

そういう僧や画僧たちはお釈迦様の教えを深く理解しているとも知った。仏教

哲学に精通している。ちゃんとわかっている。そのうえで実践している。

というわけで、私は牧谿みたいな絵が描きたい。油絵だけどね。そうすると自

分自身がいかに未熟か、身に沁みるほどわかる。

未熟のままボケてしまいそうな気配だ。17日も野津田のバラ広場へ行く道を間

違え、ついいつも行く50mプールのほうに向かってしまった。5分以上のロス。

アホだった。

牧谿みたいな絵?

それってどういう意味だろう?

雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)や長谷川等伯(1539〜1610)のように牧谿

を模写するのだろうか? 倣うのだろうか? 牧谿の模写は江戸狩野の画人た

ちもいっぱいやっている。

わかりやすく言えば私が倣いたいのは牧谿の心意気だ。造形的に言えばヴァルー

ル。絵の厚み。その方法はとにかくたくさん描くしかない。何でもいいからた

くさん描く。所詮はそこに行きつく。気持ちの片隅に牧谿を置いてそっちに向

かうしかない。

江戸狩野見たくトンチンカンナことにならないように牧谿の核心に迫りたい。

いや「核心に迫る」のは無理。核心のほうを向いて生きていたい。そのまま死

にたい。

 

23年5月13日(土)

世間とは無関係

負け惜しみでいうわけじゃないけど、絵などでメジャーになっても幸福という

わけじゃない。ま、ある程度の金は入るだろうからそういう意味では幸福だ。

画家として幸福かどうかは疑問。

だって、メジャーということは世間に認められたということだろうが、世間に

認められたいか? このホームページも世間に発信しているのに世間の悪口を

言うのも矛盾しているが、世間の評価ってほんと当てにならない。

世間ということはテレビなどのマスコミやホームページ、ブログなどのアクセ

ス数も含まれる。

 

絵って巧く描けない。楽しくも描けない。作品の出来はだいたいが不満で終わ

る。昔の偉大な画の絵を想うと、本当にイヤになる。ま、描きたいから描いて

いるだけだからいいけどね。作品の出来なんてどうでもいい。

とは言いつつ、いろいろ試行錯誤をしている。

私が立て続けに同じモチーフを描くのも一つの作戦だ。同じモチーフを5〜6枚

描けば1枚ぐらい見られるものが生まれるだろうという戦法。

1枚の絵をグチャグチャ直すのはダメ。「家に帰ってから」というのは全然話に

ならない。

というのは、絵っていうのはその場の感動を描いているからだ。それは静物画

でも同じ。

風景はどんどん変わる。ジャンジャン描かないと間に合わない。

バラ園に行ってバラの香りに包まれて「うわぁ、咲いているぅ〜〜」と感嘆し

て描くものだ。その幸福感は言葉では言えない。ま、構図とか足場とか現実的

な問題もある。他の観賞者に邪魔にならない場所を確保しなければならない。

さらにいい構図? けっこういろいろ気を使う。

ここのところ裸婦を描いていないけど、裸婦はもっと瞬間的。次々とポーズが

変わり、そのたびに「わぉ!」と作画意欲が湧く。がっかりするポーズもたま

にあるけどね。

その「うわぁ〜」とか「わぉ!」をキャンバスに叩きつけるのがわがイッキ描

きだ。

「あとで直す」はあり得ない。だいたい観念的になってしまい、絵をダメにす

る。

「うわぁ〜」や「わぉ!」はモネの絵からも聞こえる。ゴッホからも。浦上玉

堂からも聞こえてくる。

そういうのって世間の評価とはまったく関係ないんだよね。

 

 

23年5月6日(土)

世間に合わせる気はない

何が幸福で何が不幸なのか? 誰が人生の成功者で誰が敗者なのか?

人生も後半に入って来るとわけがわからなくなる。一般的には私は人生の敗者

だ。金がまったくない。家賃の支払いもままならない。

絵描きとしてもほとんど認められず無名のままだ。

でも生きている。一応ギリギリホームレスでもない。足腰が快調というわけで

はないけど一目健康と言える。

中学生になった孫と釣りをしていると、こういうのこそ幸福ってもんなんじゃ

ないか、とつくづく思ってしまう。魚はまったく釣れないけどね。

2歳の孫娘ともよく遊ぶ。

ま、孫との付き合いは自己完結(できるだけ他の人に迷惑をかけない)じゃな

いから要注意だけどね。

絵は自己完結と言えるかも。描き続けている。描いた枚数では日本有数だと思

う。

絵についての今後の希望はとりあえず二つある。100号が描きたい。裸婦のクロッ

キー会を再開したい。

ま、もう一つ。もっと絵を買ってもらいたいが、それは無理。買う方の意に沿

う絵は描けない。どうにもならない。

昔の絵描きもメジャーじゃなかった人はいっぱいいる。100人ぐらいの支持者が

いただけだ。もちろん私はそんな偉大な画家じゃない。ムチャクチャな爺。や

りたいことをやって自分を幸福だと勘違いしているノーテンキなクソ老人。世

間の意に合わせる気は毛頭ない。だからプロとも言えない。言われたくもない。

死ぬまでの命。自己完結の範囲で勝手にやらせてもらう。本当にゴメン。

 

23年4月29日(土)

勝った!

ある夜の9時前にフラフラになってウーバーから帰ってきたら、テレビで池上

彰が何かしゃべっていた。いい声でとても流暢な語り。私とほとんど同じ歳だ

ろう。その口角泡を飛ばすしゃべりを見て、私はなんの根拠もなく「勝った!」

と思った。私の自転車こぎのウーバー暮らしは物凄くまともだなと感じた。フィ

ジカル(身体的)。フィジカル人生こそ勝利者なのでは?

同じようなことは大学時代にもあった。

大学のキャンパスに聞き覚えのある声が響き渡っていた。中学のころ生徒会長

をやっていたN君の声だ。彼は付属高校からストレートで入学した優等生。こっ

ちは住み込み新聞配達などを経て2浪の末に夜間部にやっと合格した底辺学生だ。

しかし、私は半年足らずの住み込み新聞配達で大きく成長していた。

中学生のころは圧倒的に凄かったN。全校生徒集会でも大人みたいな口調で大勢

の前で演説をしていた。こっちは洟垂れ小僧。学生服で遊び回り、学生服は埃だ

らけで黒が白っぽく見えるような暮らしだった。

そんな中学時代から5年以上経っていた。「あ、同じ声がする」と思って見てみ

るとNが演説している。中学のときと変わらない感じ。演説口調も、もう大人だ

から大人びているとも言えない。

そのときも「勝った」と思った。なにがどう勝ったのかわけがわからないけど、

私の勝ちだと思った。20歳で逆転したな、と感じた。

で、今72歳。私はありとあらゆる人たちに敗北している。人生の惨敗者。でも池

上彰には勝ったと思ったんだからいいか。

勝ったと言っても勝手な思い込み。一般的には敗者だよね。

しかし、人は死ぬまでしか生きない。わけのわからない言説をしゃべり捲って楽

しいのだろうか? そのオシャベリでウクライナに平和が来るなら文句はないけ

どね。

 

23年4月22日(土)

清貧なるウーバー

ウーバーイーツの配達員を始めてもうそろそろ半年になる。18歳のときにやっ

た新聞配達(新宿住み込み)は5か月ぐらいだったから、新聞配達より長く頑

張っている。

しかし、住み込みの新聞配達とは比較にならないかも。

私は高校卒業後、すべての大学に不合格を喰らい、新宿三丁目の朝日新聞販売

所に住み込みで雇ってもらった。初めて世間というものを知ったわけだ。世間

の荒波? 生きていくというのはこれほど大変なものかと、始まってもいない

人生がイヤになった。

しかし、私はその住み込み新聞配達の5か月間ですっかり大人になったらしい。

ま、今のウーバーとは比較にならない苦労だった。

私より年下の老人たちが天下りなどと言ってセコイことをやっているのに比べ

ると、私はまさに清貧? 内実は腹黒(エロ)爺だけど見かけは清く正しく美

しいかもしれない。どうも最近歳のせいか、エロはカッコつきになってしまっ

た。

新聞配達は朝の4時起きだったけど、ウーバーは昼前に出発。かなりのんびりし

ている。合計労働時間も正味5時間ぐらい。自転車こぎは楽じゃないけど、健康

にいい感じがする。死ぬほど大変じゃない。多分蓄積疲労もないと思う。家にい

るときは寝てばかりいる。午前中なら絵も描ける。週休2日でもなんとか家賃が払

える。

たまに絵を買ってもらったり、ロールキャンバスが売れたりしないと続かないけど

ね。

交通事故さえ気をつければまだ当分続けられる。もっともこのごろ陽気がいいせい

か受注が半減してしまっている。春の閑散期というらしい。

絵についてはわがイッキ描きはチョーまともでとても正しい方向性を持っていると

思う。世の中は狂っている。なんてたってこっちは清貧の純粋絵描きだもんね。本

物だよ。

多分私しかいないでしょ。もちろんいろいろ未熟で、上には上があることも承知のう

え。でも、最近の美術界を見てみるとやっぱりだぁ〜れもいない。現存有名画人はト

ンチンカンなアホばかり。寂しくて悲しい。

 

23年4月15日(土)

才能か?

将棋の渡辺明名人が「将棋は才能だ」と言い切った。渡辺自身の才能を自慢

するのではなく藤井聡太六冠の才能を讃えて言ったのだ。

やっぱ才能なのかなぁ〜、とがっかりした。

絵も才能なのか?

ちがう!

近代美術館に行って「東京国立美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」と

「所蔵作品展『MOMATコレクション』」を見て、意を強くした。

私が行ったのは4月11日。富岡鉄斎(1837〜1924)は展示されていなかった。

長谷川利行(1891〜1940)もなかったと思う。そんななかで、一番いいと思っ

た絵はセザンヌ(1839〜1906)《大きな花束》だ。クレー(1879〜1940)も

いっぱいあってクレーもいいと思った。

ヨーロッパ人の絵描きは「絵は枚数だ」と思っている。そこに同意できる。

描かなければ話にならない。腕の運動なのだ。

それじゃあマンガ家は? と来る。マンガは説明のための絵だ。セザンヌな

どの絵は絵のための絵。描きたいから描いた絵。感動して描いた絵だ。当た

り前過ぎて解説するのもバカバカしい。そういうのが「絵」だ。

では、ほんの一部鉄斎や利行を除いた日本の画家たちは何を考えているのか?

何を想って描いているのか?

絵って描きたいから描くもの。楽しいものだと思う。

野球の大谷翔平が教えてくれている。根性とか特訓とかシゴキ、体罰などと

は真逆のものだ。現代のある世界的な日本画家が若い人を怒鳴って、自作を

手伝わせていた。工房? アホらしい。威張りたいだけだ。

日本の腐りアカデミズム絵画の一端を見た思いがした。あれは氷山の一角。

ああいう腐り体質が150年以上も続いているのだ。そういうところから出た

クソ絵がいっぱい並んでいた。いいわけがない。目を覚ませよ。

絵と将棋はちがう? でも、藤井さんは将棋を楽しんでいるよね。タイトル

なんか屁とも思っていない。だから、どんどんタイトルが取れちゃう。

私がずっと前から主張している絵に対する姿勢だ。絵は楽しいもの。作品の

出来なんかどうでもいいのだ。描くことが幸福なのだ。私はきっとものすご

く正しい。

でも、私みたいな考えの絵描きは昔からいた。浦上玉堂(1745〜1820)など

だ。きっと雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)も。仏像の木喰上人(1718〜

1810)も禅画僧の白隠(1686〜1769)や仙香i1750〜1837)も同じような思

考だろう。

ほんと最近のスポーツ界も根性主義から脱却している。

水泳選手も口をそろえて「楽しく泳ぎたい」という。北島が「気持ちいいぃ〜

〜〜」と言ったのがキッカケか? 平井コーチの賜物か? 

ゴルフも渋野日南子はいつもニコニコ笑っている。

野球は大谷翔平が世界革命を起こしている。

将棋は言わずと知れた藤井聡太。威張りゼロ。ただ謙虚に低姿勢に容赦なく

勝ちまくる。

絵の世界はウーバー絵画だけが希望の細い綱か。ま、絵の場合はいつの世も

そうだった。評価には100年かかる。どうでもいい。自転車こぎはかなり楽し

い。

 

23年4月8日(土)

私の立ち位置

私は図々しく絵画教室をやっている。思えば長くやってきた。

ま、学習塾だって図々しい。なんの資格もない。ただ大学を卒業したという

だけ。それも文学部なのに理科も数学も教えた。子供の成績が上がればなん

だっていい。それが塾かもしれない。

絵画教室に到っては美大も卒業していないし、コンテストで大賞をとったわ

けでもない。弱小美術団体なのかで何回か受賞しただけだ。

画歴にはフランス留学などと書いてある。ボルドー美術大学で学んだと書い

た。嘘ではない。本当にボルドー美術大学の先生に絵を見てもらったし、裸

婦もいっぱい描いた。同時に石膏デッサンもやった。日本の美術研究所のよ

うな石膏像ではない。本当にでかい《サモトラケのニケ》とかパルテノンの

《カリアティード(女人像柱)》などを木炭デッサンした。石膏室に一人。

贅沢な時間だった。

ま、私が絶対的な自信を持っているのは帰国後にキャンバスメーカーに勤め

ながら3年半通った美術研究所での成果だけどね。毎日3時間の裸婦固定ポー

ズ、土日はクロッキーと展覧会巡り。おそらくどんな美術大学生にも負けな

い分量の裸婦を描いたと思っている。画材についても精通した。

合間には風景や静物も描いた。画家である父親に見てもらっていた。

ま、その父親も小学校しか出ていない在野の絵描きだけどね。国画会という

でっかい美術団体の会員だったから私よりずっと画壇の社会的な地位は上か

もしれない。

でも、私は画廊企画の個展を20年間やった。これは父親にも負けない。

だから、絵画教室をやってもそれほど図々しくもない、のだ。実質的には美

術大学の先生より本格的な画家と言えるかも。貸画廊の個展を合わせると90

回近く個展もやっている。

何度も言うが、絵を描いた枚数はギネス並。5万枚は下らないと思う。油彩画

も何万枚も描いている。今日も6枚描いた。

美術史の知識も絵描きのなかではトップクラスだろう。ほとんどの絵描きは

何も知らない。美術展にもロクに行っていないと思う。

ま、世間は広いから私以上の絵描きはいるかもしれない。それはむしろ嬉し

いことだ。

本心、描きたいから描いている。絵を描いているときが一番いい。最高の時

間だ。

私が絵描きになると言ったら、少し考えて父が言った。「歳とってからやる

ことがないよりいい」。本当にそうなったみたいだ。絵だったら何歳になっ

ても描ける。

 

23年4月1日(土)

画歴&今後

わたし自身の画歴を想うと、30歳までは修業時代と言える。キャンバスメー

カーに4年半勤めた。その会社はオランダのターレンスの輸入元もやってい

た。レンブラント絵具をほぼ自由に使えた。習作用のヴァン・ゴッホ絵具の

ほうが多かったかも。キャンバスはベルギーのクレサンキャンバスの輸入も

始め、私もクレサンキャンバスを使っていた。こっちも習作用の安物だけど、

シルバーホワイトで地塗りがしてある本格的な油性キャンバスだ。キャンバ

ス屋だからC時代?

その後学習塾を23年間やった。学習塾は自由時間が多くたっぷり絵が描けた。

G時代か。

60歳前から14年間余りマンションの管理人を務めた。家計はギリギリだった

が絵だけはしこたま描いた。M時代とでも言えるか。

そして今ウーバーイーツの配達員をやっているU時代だ。まだ半年にもなら

ないけど、いろいろ慣れてきた。何とか絵を描くように努めている。相変わ

らずギリギリの暮らしだがホームレスにならないように頑張っている。

物凄い運動量。一般の72歳では考えられないような消費エネルギーだと思う。

でも、体調はとても良好だ。マンション管理人のときも見回りでけっこう歩

いていたが、今の運動量のほうがはるかに多いと思う。歩数は減っているが、

自転車こぎは1日30キロ以上だろう。自転車修理代もバカにならないが、と

にかくガソリン代がかからないから安い。

C、G、M、Uと生きてきた。いっぱい絵を描いてきたなぁ〜。

今後の課題はクロッキー会を復活させること。100号を描くこと。個展もや

りたい。

まだ当分絵を続ける、予定。ここまで来たんだから生きてる限り続けるだろ

う。交通事故に気を付けよう!

 

 

 

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