唇 寒(しんかん)集61<21/1/2〜7/31>

21年7月31日(土)

このホームページはレンタルサーバーが変わった。ソネットがレンタルサー

バー業務を辞めてしまったので、今はロリポップというサーバーだと思う。記

憶ちがいかもしれない。

それで、使用容量が無限みたく増えた。絵(=画像)をどんどんアップできる。

私の計画では500点アップを狙っている。500点でも5万枚描いているのだから

1%に過ぎない。でも、500点もアップしてある個人のホームページはないかも

しれない。

いっぺんに500点アップするのは無理なので、少しずつやる。今は水墨裸婦の

準備中。次に水彩画をやって、その後油絵をアップする。鉛筆デッサンもアッ

プする予定。油絵は裸婦、風景、花、静物と分ける。各ページで50点ずつだと

350点になる。ページによって増減があるから500点ぐらいにはなるかもしれな

い。油絵の裸婦や風景は100点ぐらいあるようにも思う。花も多か。

この作業は絵画小説の開拓と同じレベル。いろいろな雑用のなかで達成するのは

簡単じゃない。でも、マンション勤務が時短になっているので、かなり時間はあ

る、はず。赤ちゃんの孫娘もいなくなったし、小学生の孫男児もしばらく来ない

はず。8月中に終わらせたいけど、きっと無理。7月もあっという間に終わった。

8月も瞬間的に通過するにちがいない。

でも、出来るだけ頑張る。

いま数えたら水彩画も50点以上あった。鉛筆デッサンも50点はある感じ。そうす

ると、油絵の各ページは100点ずつなんてすぐオーバーしてしまう。このパソコン

の容量が持たない可能性がある。

本日エントランスをアップしたが、スマホ画面でどう映るか実験中。ご迷惑おかけ

します。

 

21年7月24日(土)

画集で絵を見ると同時に美術館や博物館にも行って、本物も数多く見た。一人

でも行ったし、父とも行った。

中国水墨画関係は、画集も高額だし、美術館なども絵をなかなか見せてくれな

い。油絵のように頑丈じゃないから5年に1度の展示などの場合も多い。

上野の東京国立博物館には牧谿がない。梁楷(1200年前半活躍)はいっぱいあ

る。夏珪(南宋画院)もある。牧谿は昔の財閥が開いた美術館にあるので、見

て回らなければならない。しかも、滅多に展示しない。極たまに東京国立博物

館などで『中国名品展』などをやる場合はいっぺんに見られる。

夏珪などになると台湾に名品がある。台湾の故宮博物院には中国の北宋時代の

傑作がゾロゾロある。しかも驚くほど大きな絵だ。

二玄社がその精密な複製画を売り出したことがあった。私も6万円出して巨然

(10世紀ごろ)の《層厳叢樹図》を買った。徐渭(1521〜1593)の石榴の絵も

買った。実物大の複製画だ。

と言うわけで、私はほとんどの実物を見ている。

ただし、台湾の故宮博物院にはまだ行っていない。また、アメリカの美術館に

もほとんど行っていない。アメリカにも宋の水墨画の名品が多く所蔵されてい

る。もちろん印象派の傑作も多い。日本に来た場合は出来るだけ見に行く。

実物を見てカタログや画集を所蔵して繰り返し見る。ポスターになっている場

合は壁に貼ってしょっちゅう見るようにする。

父は家具や調度、茶わんや湯飲みなどもいいものを使えと言っていたが、私は

貧乏人なので、そんな余裕はない。コーヒーカップだけは数千円のものを使っ

ている。以前は大倉ローズばかり使ったけど、今はもっと安いカップだ。でも、

4000円ぐらいする感じ。

そういうのって、ヴァルールが身に付くンだよね。ヴァルールって本当にむず

かしい。子供のころから目にし、出来れば耳も鍛えたい。いやいや実際のコン

サートに行くのは至難。歌舞伎にも簡単には行けない。ヴァルール修得には金

がかかる。

 

21年7月17日(土)

私が中学生のころは父母はまだ別居していなかった。私が14歳だから母は34歳、

父は42歳だった。このころの父はまだヨーロッパ絵画に熱中していた。それも

ルオー(1871〜1958)などを慕っていた。父がルネサンスを本当に知るのはこ

の後だ。

それは私からの影響も大きい。私がルネサンスやバロックの絵画にのめり込ん

でいくのと並行して、父もどんどんルネサンスに熱中する。その後、私が東洋

哲学を学び、仏教を知り始めると、父もそれ以上に仏教の本を読み、同時に牧

谿(1280頃活躍)や梁楷(1200年前半活躍)などの水墨画にも目覚める。

このころ、カラー図版の画集が比較的廉価で買える時代になる。中国水墨画の

画集も出版社が競うように出していた。

そして、ブログでも述べた「石のような画肌」「鉄板のようなマチエール」は

水墨画でも同じだとわかる。さらに、古典絵画がキリスト教や仏教と密接に係

わっていると知るようになる。

この辺りから父は、ヨーロッパ絵画からどんどん離れて行き、ヨーロッパ絵画

を嫌悪するようになる。もともと戦争世代だからヨーロッパは嫌いだよね。そ

こらは私とはちがう。

父は60歳を過ぎて一人で台湾の故宮博物院に行っている。梁楷の《撥墨仙人図》

が見たいと言っていた。

だからこのころは当然食べ物も肉はダメと言うようになっていた。父の父。す

なわち私の祖父だけど、私はこの人に会っていない。私が生まれる前に死んで

しまった。この祖父は日蓮宗の僧籍を持っていた。残っている写真は僧形であ

る。関東大震災で没落して僧になったという話。震災前は蒔絵師だった。

 

21年7月10日(土)

父は死ぬときに私に「あとは頼む」と言った。この意味がわからない。

まさか、いろいろな身近な人の面倒を見てくれという意味ではないだろう。私が

甲斐性なしだということを父はよく知っていたはずだ。

私自身は絵のことだと思っている。それも、「父の絵を世に広めろ」みたいな狭

い話ではなく、「俺がお前に伝えた絵の本質を世間に広めろ」と言っていたのだ

と解釈している。

そんなこと言われても、私自身「絵の本質」を掴み切っていない。とりあえずいっ

ぱい描いたけどね。

もう70歳。もうじき71歳だ。多分ボケていないと思う。身体も今のところ健康み

たいだ。

でも、絵の本質ってどうやって伝えるんだろう。もちろん自分自身描き続けなけ

ればダメだ。それは最低条件。そのうえで、世間に伝えるのに、小説を思いつい

た。今はネット小説があり、カラー図版を自由に挿める。もっとも、私はブログ

やホームページでさんざん述べてきた。また、『翼の王国』にも2年間以上執筆さ

せていただいた。もちろんカラー図版付きだ。

少しはご理解いただいているけど、私の文章力ではなかなか難しい。私の絵に対

する世間の評価はイマイチ。気にせずに死ぬまで描くけどね。

ま、いろいろやるきゃない。

父親があの世で「お前はバカだな」と哂っているだろう。

「バカじゃない息子がいたら連れてこい」と言いたい。大谷翔平と藤井聡太か?

 

21年7月3日(土)

私は5万枚の絵を描いた。と言っているが、「モネでも8千枚なのにおかしいだろ」

と思われる方がいると思う。私の推測ではモネ(1840〜1926)は8万枚は描いてい

ると思う。私の作画計算は失敗作も含んでいる。美術史家の方々の言う枚数は残っ

ている絵を正確に数えているのだ。もちろん、それが厳密な学問だ。しかし、絵っ

てどんどん捨てちゃうし、どっか行っちゃう。油絵は失敗作の上から被せて描い

ちゃう。私なんか一枚のキャンバスに何点描いたかわからない。

私から言わせれば、絵の枚数は絵を見ればわかる。モネの線描が8千のわけがない。

また、枚数というより作画面積という計算方法もある。私の5万枚にはハガキも

入っているし、手帳の端に描いたスケッチも入っている。2分間の裸婦クロッキー

はもちろん枚数に含まれる。そういうのを入れても生涯5万枚描いた人ははなかな

かいないと思う。私は年賀状も手描きだが、最盛期には年賀状を毎年200枚描いた。

年間1000枚の絵を描けば、10年で1万枚、50年で5万枚なのだ。だけど続けるのは

至難の業。なかなか続けた人はいないと思う。だから私は人間国宝だと言ってい

る。

これだけ描いても絵では飯が食えない。

でも「そんなの関係ねぇ」んだけどね。

描くだけ描いて死ぬ。それが絵描きというものだろう。これってかなりの幸福者

なんじゃないか?

ま、私の5万枚豪語が間違っていて5万が3万でも凄い。6万枚ならもっと凄い。い

い加減な計算だがとにかくいっぱい描いてきた。これからも描く予定だけど、こ

このところ孫の子守りでイマイチ描けない。紫陽花も終わってしまいそうだ。あ

あ、紫陽花を水彩で描きたかった。そのかわり、鉛筆で孫をいっぱい描いた。状

況の絵画としてはそういうことになるよね。今は子守り状況なんだから孫の絵で

いい、のだ。嬉しいのか悲しいのか、それももう終わる。

 

21年6月26日(土)

ロートレック(1864〜1901)も苦しいなかで絵を描いた。フランスのトゥールー

ズ地方の貴族の出。近親婚が重なり、ロートレックは生まれたときから骨が弱

かった。

ヨーロッパの貴族って本当にバカだ。いやいや全世界同じかも。貴族はバカであ

る。近親婚がいいわけないのに、近親婚を頑固に続ける。もちろん極たまにすご

い人材が生まれることもある。ロートレックだって絵については並はずれている。

ま、若いころの絵は才能の塊みたいな? まさに天才?

パリに出てからは、凄い絵描きがいっぱいいてさらに腕を磨いた。

ロートレックは障碍者と言えるのだろう。「状況の絵画」で言えば、まさにギリ

ギリの状況で描いている。娼婦たちの生態を繰り返し描いた。油絵の傑作も多い。

ロートレックは37歳で死んでしまう。身体が弱いうえに酒浸りだった。

淡いピンクと淡い緑の取り合わせはが巧い。そこに絶妙な黒が配置される。見事

な色彩世界を創りあげた。今の私は70歳で、37歳と言えば私の子供の年齢だけど、

ロートレックの絵は今でも繰り返し見ている。そんなこと言ったら同じ37歳で死

んだゴッホ(1853〜1890)の絵だっていつも見ている。ヴュイヤール(1868〜1940)

の絵もヴュイヤールが40歳のころまでの絵ばかり見る。

90歳絵画も凄いけど、若い人の絵(?)もムチャクチャ楽しい。

6月25日付けのブログに《ル・アーブルの「スター」のイギリス女》をアップした。

 

21年6月19日(土)

むかし習った「生物は個体維持と生殖(=種の維持)を目的としている」という

話。これはやっぱ本当だよね。

わが「状況の絵画」でも、自分の子供の死、連れ合いの死という最悪の状況下で

絵筆を執った偉大なる画家、まさに本当の絵描きの話をした。先週は恋の苦しみ

を絵にした画家の話。これらは「種の維持(=生殖)」に関連した「状況の絵画」

だ。

そうすると「個体維持」に係わる「状況の絵画」もあるのだろうか。いっぱいあ

る。私はそういう絵こそ素晴らしいと言い続けている。それがつまり最晩年絵画

だ。ティツィアーノ(1488/90~1576)、富岡鉄斎(1837~1924)などを

代表とする90歳絵画。自分の死の直前まで描き続け、その絵が生涯最高の作品と

なっている。

まさに絵画的昇華。

私も90歳にはまだだいぶ先がある。何回も言うけど、その前に死んじゃうことも

ある。それはチンチロリンのカックン、なのだ。致し方ない。

で、結論だけど、状況の絵画はどうにもならない。そういう状況はできれば御免

こうむりたい。そんな状況は要らない。ただ、われわれが本当の絵描きを目指す

なら、そういう状況下でも描けるように普段から腕を養っておくこと、ぐらいな

のだ。

2日前には、目の前で孫娘が寝ていて、紙と鉛筆があったから速写した。「描き

てぇ〜〜〜」と思った。これも状況かも。そういうときに腕が動かないと困るん

だよね。いや、実際けっこう動かなかったけどね。本日このページにアップした。

16日付けブログにもアップ済。

 

21年6月12日(土)

ここ数日ブログで取り上げているヴュイヤール(1868〜1940)は生涯未婚。16歳

のときに父親を亡くしているが、やり手の母親が裁縫業を営み、その母と豊かで

穏やかな暮らしをした。「状況の絵画」というなら、切迫した状況はない。

ただ、少なくとも2回は大きな失恋をしている、と思う。一人の相手の女性は他の

人の奥さんだから初めから失恋。ミシアというロシア美人。ピアニスト。ロシア

女性は美人だよねぇ〜〜。フィギアスケートの選手なんか妖精のように見える。

ヴュイヤールが描いたミシアの絵を見ると、本当に惚れていたんだなぁ〜とわか

る。ミシアが妖精のような女性だったかどうか、その中身はわからない。本心、

私はけっこうしたたかな感じを受ける。しかし、ヴュイヤールはぞっこん、みた

い。まったく「惚れる」というのは幻想かもしれない。勘違い? しかし、恋と

いうのも一つの、人生においては最大級の大事件だ。勘違いでも何でも惚れてい

る本人にとっては命懸けの状況。

その気持ちを絵にした傑作は絵画史上にはたくさんある。ムンク(1863〜1944)

の版画も美しいし、ゴヤ(1746〜1828)の肖像にも「これは惚れてなきゃ描けねぇ

べ」という絵がある。

美人画もやっぱり「状況の絵画」ということか。このホームページの『絵の話』

にも「真正なる美人画」として小さい画像だが、画像付きで述べてある。

 

21年6月4日(土)

「状況の絵画」の傑作としてモネ(1840〜1926)の《死の床のモネ夫人》

(1879年)がある。この絵は30号ほどもある。今から45年ほど前に印象派美術館

(現在はオルセーに移動)で初めて見たとき、「うわぁ〜、こんな絵があるの

かぁ〜〜」と絵の前から動けなくなった。

確か日本にも来たことがあると思う。私もカラー図版を持っているはずだが、ど

のカタログはわからなくなってしまった。歳のせいか。以前はどの絵がどの画集

に掲載されているか一発で探し当てたものだが……。致し方ない。

この能力がさらに衰える前に、早く絵画小説をどんどん仕上げないと、ますます

困ったことになる。ま、のんびり探せばいいんだけどね。別に上役から命じられ

ているわけでもないし、締め切りがあるわけでもない。

モネは風景画家として知られているけど、もちろん人物も巧みに描く。《日傘を

さす婦人》などが有名だが、若いころからいっぱい描いている。自分の子供の肖

像も多い。

普段から鍛練している筆触で、死んでしまった奥さんを描いた。激情のなかで、

死んでゆくご婦人を冷静に観察する自分自身に驚いたと回想している。

まったくモネは実に見事な「本物の絵描き」。私が理想とする画家人生だ。なか

なかモネの画境には達せられない。

ブログにこの《死の床のモネ夫人》を掲載したいが、カラー図版が見つからない。

ネット上で「モネ」と検索すれば見られると思う。縦長の絵である。

 

21年5月29日(土)

人の価値は行動で決まる、と思う。いくらうまいことを言っても行いがなってい

なければ全然ダメ。けっこう酷い国会議員や市長、町長いるけど、どうやって選

挙に勝ったのだろう。投票した人はみんな騙されたわけだろうか。嘘つきってけっ

こういるんだよね。

一般的には「私は○○です」と言われれば信じてしまう。信じないと話が進まない。

だけど、その根本が嘘だったらすべてガタガタだ。ま、世間話の段階ならいい。

だけど利害がからまって来ると、嘘はダメだよね。もちろん基本なんでも嘘はダ

メだけど、人殺しに追われている人が逃げ込んで来たら、嘘をついて匿うのが道

義。そういう嘘はまったく問題ない。そういう意味なら私だって稀代の嘘つきだ。

でも、学歴詐称とかは情けない。恥ずかしい。「みっともない」の極致だ。大学

とかに合格するのはけっこう骨が折れるもの。それを一言で「私、○○大出です」

というのはあまりにも理不尽。ダメだよ。

だから言葉はむなしい。

大切なのは行動だ。行いだ。絵描きだったら絵を描くことだ。これに尽きる。ど

んな素晴らしい美大を出ても描かなければ話にならないではないか。4年間美大に

通ったことが何だっていうの? となっちゃう。

こっちは40年以上描き続けているんだ、と言いたい。

そういう意味では、偉い人はみんな旅の人だった。お釈迦様、キリスト、空海、

親鸞、道元、木喰、良寛、北斎、ターナー……。みんな歩いて、きっと丹田呼吸

もやっていたと思う。木喰は無数の仏像を彫り、北斎やターナーは山ほど絵を描

いた。誰もみんな行動の人だ。

本日は「状況の絵画」というテーマからは外れたかも。

 

21年5月22日(土)

レンブラント(1606〜1669)や富岡鉄斎(1837〜1924)、熊谷守一(1880〜1977)

の子を失うという不幸、もしそれが現実に私自身に襲い掛かってきたら耐えられる

かどうかもわからない。出来ればそんな経験はしたくない。上記の画家たちはその

不幸を絵画に変貌させた。その偉大な作業はいくら讃えても讃えられるものではな

い。

まったく傑作絵画をモノにする絵画ということがそれほど苛酷なものならば、誰も

絵描きなんかにはならないだろう。

もちろん私だってそんなことを知ったのはずっと後のことだ。

では、どうするか。凡庸なる人生(実際にはそんなものは存在しない。ほとんどの

人の人生は苦しみであり、家庭内は複雑だ)に浸っているわれわれ凡なる人間たち

はどうやって自分を追い詰めるか。とりあえず、私は個展をすることで、絵を描き

続けてきた。公募展に出したのも大きな絵を描くためだ。凡でグータラな私みたい

なダメ人間は個展や公募展がなければ絵なんて描かない、と思う。で、結果として

何万点もの絵を描くことになってしまった。

だいたいすべて結果なんだよね。

私は酒も飲まないし煙草も吸わないと偉そうに言うけど、20歳代には酒はけっこう

飲んだし、肉はしこたま食った。タバコもカッコつけて一時期(数か月)吸ってい

た。70歳で歯は27本あるけど、それもO先生という名歯科医が近所においでだったか

ら。これも偶然と言えば偶然だ。

いま足腰が普通なのも管理人の仕事をしたから。特に58歳時の膝は絶望的だった。

今は完全回復していると言える。

というわけで、ブログにも述べているように絵に描き方はない。絵は描けない、の

だ。特に傑作や名画、名品は、計算して出来上がるものではない。ま、努力するの

はチョー当たり前。大前提だけどね。本当の傑作は努力なんていうチャチィもので

描けるはずもないのだ。

だから、市民展示室のアマチュア絵画は無理。それで絵描きぶっている方々はピコ

ピコハンマーで殴るしかない。とっても可愛いんだけどね。自分が心底巧いと思い

込んでいる方もいる。きっと本当の絵を知らないのだ。TBS「プレバト」の絵画部門

も早送りで飛ばすしかない。絵に描き方なんてない。

 

21年5月15日(土)

中央公論社の『カンバス日本の名画 富岡鉄斎』の年譜には鉄斎の息子・謙蔵の死去

の項目がない。鉄斎は83歳のときに愛息・謙蔵を失っている。謙蔵は46歳だった。こ

の大事件がいかに鉄斎の絵を伸長させたことか! 謙蔵の死がなければわれわれは富

岡鉄斎を獲得できなかっただろう。われわれの前に鉄斎の絵は登場しなかったかもし

れない。83歳からの鉄斎の絵はまさに神域に入っている。格段によくなっている。何

年何月に鉄斎が帝国技芸員になったことは大切かも知れないけど、鉄斎の年譜でもっ

とも重大なのは息子の死なのだ。

ここが私が一番言いたいこと。「状況の絵画」と力説するポイントだ。状況はあまり

にも惨く苛酷だけど、その状況を生きなければならない。そして絵描きなら絵を描く。

それが絵描きだ。

だから、熊谷守一(1880〜1977)の最高傑作は《陽の死んだ日》だと言いたい。そう

いう状況に関係なく結果としてあの絵はいいんだけどね。絵具がしっかり付いている

し、絵の隅々まで勘が働いている。激情をもって瞬間的に完成した絵だと思う。

私の主張は萬鉄五郎(1885〜1927)にも共通している。《鉄人アヴァンギャルド》

(二玄社)に散りばめられた萬の言葉には大いに共感できる。ここで何度も言ってい

るが、萬は私の父の油彩画の師・原精一(1906〜1986)の師なのだ。わがイッキ描き

の伝統は脈々と続いているのかも。そういうのってかなりバカバカしいけどね。多分

ただの偶然、だと思う。

 

21年5月8日(土)

絵が描ける人もいる、のか? ま、ブグロー(1825〜1905)とか小磯良平(1903〜1988)

は思うように描けるのかもしれない。また、アマチュアの方のなかには思うように描け

ると思い込んでいる人も多い。

パスカルの『パンセ』のなかの「原物には誰も感心しないのに、絵になると、事物の相

似によって人を感心させる。絵というものは何とむなしいものであろう!」(R40)とい

う一句に対してドガ(1834〜1917)が「このむなしさそのものが芸術の偉大さなのだ」

(1890年8月1日)と言ったとある(『現代世界美術全集 ドガ』p107 集英社)。

この問答で最近思うのは将棋の対局だ。最近のプロの対局はコンピュータで優劣が表示

されてしまう。次の一手も「BEST」と予告が表示されてしまい、その後の読み筋まで明

らかにされる。むなしいと言えばむなしい。しかし、「このむなしさがプロ将棋の偉大

さ」なのかもしれない。日本将棋連盟はそこに気がついている。つまり、次の一手に苦

しむ棋士(=人間)の姿が偉大なのだ。

機械と人間で言えば、ヒトは全速力で走っても時速36q(100m10秒)ほど。自動車なら

ノロノロ運転かも。それでも、陸上競技の短距離走は大人気。100分の1秒に全青春を懸

ける人の姿が偉大だからだ。

絵も同じ。いくら原物に近づけても原物ではない。ドガがこうも言っている。「デッサ

ンとは形(フォルム)と同じ意味ではない。それは形(フォルム)の見方なのだ」と。

私は「絵とはフォルムに向かう行為だ」と言いたい。絵画とは行為なのだ。行動なのだ。

それ以外のものではない。当たり前過ぎるけどね。行為に決まってるだろうが! と言

いたいよね。そんなこと言ったら、なんだって行為だよ。犯罪だって行為だ。

ま、善行とは言わないけど、絵を描くとは罪のない行為だと思う。でも、それだけのこ

と。大して偉大とも思えない。ゴメン。

 

21年5月1日(土)

私の話はいつも脇にそれてしまう。

先週も先々週も脇にそれた。で、今週こそ修正しようとする、が、またきっとそれるだろう。

致し方ない。

「絵が描けない」とは、絵というのは身勝手なもの。たとえば建造物みたく設計図があって、

それに向かってコツコツと計画的に描いて行くものではないからだ。いやいや、そういう絵

もあるかもしれない。でも私が「絵画」と想うものはそういう計画的な産物ではない。私が

尊敬しているクラシックの絵画や彫刻も計画的な作品ではないように思う。

だから、たとえば風景を写真に撮って家に帰ってからアトリエで描く、なんてことは私には

絶対にありえない。それは肖像でも花でも同じ。私のバラの花はバラに囲まれてバラの香に

包まれて描いている。考えてみれば贅沢な話だ。

だから、絵に気にくわないところがあって後で修正するということもない。原則一回限りだ。

ここでは何度も述べているが、絵について、作品は結果である。ま、結果オーライならオー

ライなんだけどね。でも、もっと重大なのは、というかどっちが重大かは知らないけど、私

にとって重大なのは絵を描く行為なのである。

私は行為こそすべてだと思っている。これは若いころからずっと同じ。だから道元禅師を尊

敬している。西洋哲学とか仏教哲理なども素晴らしいのだろうが、私にはどうでもいい。歩

いて泳いで描く。これがわが人生の基本である。描けば結果として作品ができるけどね。そ

れは二義的な問題。

競泳選手だって、「自分の泳ぎをする」といつも言っている。競争だけど、あまりに力んだ

ら脚の筋肉が攣ってしまうと思う。相撲の力士も「自分の相撲をとる」と言っている。勝ち

負けは二義的な問題なのだ。そこがとても難しい。

本日はけっこう脱線しなかった、と思う。

 

21年4月24日(土)

「絵は描けない」というのは「絵は思うように描けない」ということだ。もっと言えば「ウィリア

ム・ブグロー(1825~1905)のようには描けない」ということ。別な言い方をすれば「小磯良平

(1903~1988)のようには描けない」のだ。

描けないからゴッホ(1853〜1890)が生まれた、とも言える。ゴッホはブグローを尊敬していた。

また、ルソー(1844〜1910)もブグローのように描きたいと思っていた。

そこのところを考えると、ブグローを嫌っていたドガ(1834〜1917)は一味違う。モネ(1840〜

1926)やルノワール(1841〜1919)もブグローを敵対視していたけど、ドガの造形的な嫌悪とモネ

やルノワールの画壇のなかでの政治的嫌悪とはちがうようにも思う。ここのところは一概に言い切

れないけど、ドガはかなり絵のことがわかっていたようにも思う。

ドガと言えば、状況の絵画の代表格だ。ドガは晩年ほとんど目が見えず、それでもけっこう描いて

いた。で、目がよく見えなくなってからの絵が抜群にいい。目がよく見えないという状況があのド

ガの傑作群を生んだとも言える。ベートーベンの《田園》も耳が聞こえなくなってから作曲したと

言われている。《田園》も状況の音楽か?

切羽詰ったどうにもならない状況が名作を生む、可能性はとても大きい。

安定した状況の作品はつまらない。

4月22日にブログ「育児狂想曲」にアップした円爾(1202〜1280)の遺偈も同じような「状況の書」

と言えなくもない、か?

これは作家にとってはとても苦しい構造だ。苦しすぎる。

 

21年4月17日(土)

たとえば、カナダのプリンスエドワード島のヨットハーバーで絵を描く、というようなことはおそ

らく生涯に一度しかない。その場に立ち、描きたいと思い、絵の道具がある幸福はなにものにも替

えがたい。しかし、そのときは時間がなく、それでもF6とF4を描いた。もうF4のときはまっ

たく時間がなかった。5分で描いたかもしれない。ま、裸婦のF4はいつも5分だけどね。そういう

鍛えだけは十分してある、つもり。

いやいや私は自慢話がしたいのではない。

私が語りたいのは状況の絵画ということ。われわれの状況は刻一刻と変化している。それは季節の

変化とか、天候の変化とか、朝昼夕の変化などを言っているわけじゃない。それはモネ(1840〜

1926)が《積藁》や《ルーアン大聖堂》で描き残した。私はそういう話をしているわけではない。

もちろんモネの偉業を否定するつもりは毛頭ない。というか、あのモネの絵だって状況の絵画だと

思う。

古代ギリシアの神殿彫刻から印象派まで、いやその後のフォーヴもピカソもどれもみんな「状況の

作品」なのだ。ただ私が偉いのは(また自慢が入った、か?)、というか私の主張はそういう立派

な芸術作品がすべて状況の芸術であることを意識している。そういうことに気がついたという点な

のである。

「それは当たり前だろ!」という人がいるかもしれないけど、当たり前のことに気がつくのは偉い

のだ。

この話はややこしい。だからイッキ描きなのだ、と言いたい。

むしろ、絵というものは、空調の調ったアトリエでクラシックを聴きながら、コーヒーを片手に、

腰を据えてじっくり描くものではない。というか、絵は描けない、のだ。

なんか禅問答みたくなってきた。この話は長いよぉ〜〜。本一冊分ぐらいあるかも。

 

21年4月14日(水・特例)

絵の大きさって大事だ。私は2年以上100号を描いていない。富岡鉄斎(1837〜1924)もティツィアーノ

(1488/90〜1576)もモネ(1840〜1926)も80歳を過ぎても100号以上の絵を描いている。150号ぐらい

をいっぱい描いている。でも、私の場合、経済的な理由もあり描けないよね。100号は足腰で描くから

身体的な制作意欲から言えば、無性に描きたい。手首だけの絵ばかりではつまんない。ま、私の場合、

現場に行って描くわけだから脚は使うけどね。

絵の大きさはある意味重大。本当の絵描きはみんな大きな絵に挑戦する。浦上玉堂(1745〜1820)だっ

て、国宝の《凍雲篩雪図》は大きい(133.2×50.6p)。「大きな絵を描かねば」といつも思っている

感じ。で、実際にも描いている(《凍雲篩雪図》は1月28日付けブログにアップした)。

私も地塗り済みの100号(162.1×130.3p)を3枚ぐらいは用意してある。

でも、自分の環境ってある。特に今はコロナ禍でなかなか活動できない。こういう状況ではとにかく水

彩でも何でも描けるものを描くようにするしかない。絵は描き続けていないとヴァルール感覚が狂って

しまう。それは理屈ではない。環境とか状況とか言ってられない。コロナもハチの頭もない、のだ。

この前三浦半島で20号(72.7×60.6p)を描いたけど、A3判の水彩紙よりはるかに大きく、けっこう気

持ちよかった。

 

21年1月23日

20日(水)に八王子夢美術館の企画展『笠間日動美術館コレクション 近代西洋絵画名作展 印象派からエ

コール・ド・パリまで』(24日まで・紹介が遅くてゴメン)を見に行った。本物のヨーロッパの絵画が見た

かった。笠間日動美術館は茨城県の笠間市にある。私はむかし一度行ったことがある。ある意味ヨーロッパ

より遠いかも。

前半はルノワール(1841〜1919)、モネ(1840〜1926)、セザンヌ(1839〜1906)などの油彩画。ピカソ

(1881〜1973)とマルケ(1875〜1947)がよかった。

後半の展示はシャガール(1887〜1985)とマティス(1869〜1954)の版画。シャガールもマティスもとても

カラフルな版画だった。カラフルだけど、色がなんか渋いんだよね。本物は地味だ。

だいたい私はヨーロッパの絵具を使っているけど、ミックスドグリーンライトなんてホント不思議に魅力的。

早い話が緑に白を混ぜただけの色だけどね。絵具の会社によって微妙に違う。日本製ではホルベインがいい

と思った。クサカベもマツダも使った。私はうんと描くのでいろいろ詳しい。

水彩もオランダ製のレンブラント水彩を使っている。私の水彩画の実物はとても渋い。

他の人の絵の悪口は言いたくないけど、ネット上のいろいろな水彩画の色はどぎつ過ぎると思う。実際の古

典絵画は源氏物語絵巻や浮世絵も含めてかなり渋いものだ。美術館に行ってよく見ていないとそういう色彩

感覚は身につかないと思う。私自身、そういう意味でも古典絵画をいつも見るようにしている。

ネット上には石膏デッサンもいっぱい載っている。木炭の使い方は合格だろうが、頭が重すぎたりして絵は

イマイチが多い。抜群に巧い絵もあるにはある。「これで芸大合格かぁ〜〜」と思ってしまうデッサンもあ

る。

 

21年1月16日

将棋は王様を詰ませるゲーム。野球はホームベースを踏む。相撲は押し出すか投げ倒す。競泳は100分の1秒を競う。

絵は何だろう? きっとおそらくヴァルールが出来ているどうかの問題だと思う。ヴァルールは色価と訳されるが、

色だけの問題じゃないようにも思う。

青木繁(1882~1911)の晩年、と言っても20歳代後半だけど、その晩年の絵はヴァルールが狂っている。黒田清輝

(1866~1970)の絵にもおかしな絵がある。クールベ(1819〜1877)にもヘンな絵がある。

ヴァルールとデッサンは密接に係わっていると思う。ミケランジェロ(1475~1564)はティツィアーノ(1488/90〜1576)

のデッサンを批判した。私も同意できる点はある。しかし、ティツィアーノの絵のヴァルールは完璧とも言える。

油彩画家の一つの大きな目標である。

NHKアートシーンのポーラ美術館の展覧会紹介で黒田清輝の《野辺》とラファエロ・コランの同じような絵が並んで

映った。一目、コランのほうが巧い。官能的でもある。ヴァルールも勝っていた。セザンヌ(1839〜1906)やルノワー

ル(1841〜1919)の構図を真似た安井曾太郎(1888〜1955)の裸婦は陰が裸体の痣のように見える。絵具が付いてい

ない。酷いね。あのフランスで描いた裸婦の木炭デッサンの名手とも思えない。木炭デッサンで何を学んだんだろう?

ヴァルールがメチャクチャなのだ。話にならない。おそらく優秀な帰国画家として腐った日本画壇からチヤホヤされ

て自惚れて急落したのだと思う。長谷川利行(1891〜1940)の油絵がどれほど素晴らしいのか見抜けなかったはずだ。

哀れと言えば哀れだけど、安井の日本画壇での地位は不動だ。孫娘の絵などにいいものもある。

このごろブログにアップしているティツィアーノ(1488/90〜1576)の晩年の裸婦群像大作を見ると、絵ってつくづく

ヴァルールだと思う。それは描きに描かないと身につかない熟練の技だと思い知る。

 

21年1月9日

絵画の造形的本質ってあると思う。それがなければあまりにも悲しい。そういう本質に肉薄した作品は過去にいっぱいある。

その本質とは何なのか?

どうやったらその本質に到達できるのか?

まず、具体的な本質的作品としてはこのごろ一日おきにブログにアップしている古典絵画だ。私の尊敬する古典絵画はだいた

い宗教に関係している。キリスト教とか仏教だ。富岡鉄斎(1837〜1924)の絵は神道(日本古来の神の教え)に関係している、

らしい。

しかし、造形的本質の立場から言えばそういう信仰心みたいなものはキッカケに過ぎない。私みたいな無神論者の絵描きには

そういう宗教的情熱が導く絵の厚みみたいなものに興味がある。モネ(1840〜1926)も無神論者ではないだろうが、モネの立

場は現在のわれわれに近いかもしれない。

で、私自身は低レベルと言われるかも知れないが、とにかく自然を見て、感嘆して描く、という姿勢。若いころから同じ。裸

婦も花も海も山もみんな同じ。とにかくたくさん描く。自然を見て感嘆して、山ほど描かないとクラシックレベルにはならな

い。勿論もともとクラシックレベルにはなれっこないんだけど、この方法しかないように思う。だからこの方法を続ける。こ

の歳ではもうどうしようもない。でもたぶんきっと正しいと思う。絵については正邪なんてどうでもいいけどね。

 

21年1月2日

新年、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

私は自分がグータラであることを自覚している。何時間もスパイダーソリティアをやり狂う爺だ。その姿はむしろ勤勉か? まさに一銭にもなら

ない無為の努力?

グータラだけど、本当にいっぱい仏教入門を読んできた。70歳だから、ダラダラ読んでいても驚くほどの分量になる。入門とは言っても『正法眼

蔵』などは原文でも読む。長い人生だからいろいろやった。中国の『寒山詩』は漢文でも一通り目をとおす。漢詩は漢音で読むと別の味わいがあ

る。かなり前にNHKテレビで風景とともに中国語(?)で流れていた(唐詩などで『寒山詩』ではない)。『漢詩紀行』だっけ?

仏教にはインド、中国、日本ととても多くの偉い僧侶がいる。命がけで仏教を追い求めた人たちだ。誰も偉くて、その僧自体を尊敬してしまうけ

ど、仏教の大元はお釈迦様。どんな偉い僧侶だってお釈迦様を尊敬している。全員がお釈迦様の教えを理解しようとしている。

もちろん私だってお釈迦様を追う。

で、お釈迦様の狙いって何だろう? おそらくカースト制の打破だったのではないか。

根本的な徹底的な平等思想。もちろんそのことは多くの偉いお坊さんもわかっていたはず。

そして、仏教は身体を伴う修行を推奨する。文武両道だ。行動を最重要視する。その行動とは歩くことと丹田呼吸。つまり、仏教思想はみんな仲良

く、よく歩き、ゆっくり呼吸。これだけだと思う。多くの人が信仰するから、インチキ坊主も横行する。イヤだね。

 

 

 

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