唇 寒(しんかん)集60<20/8/1〜12/26>

20年12月26日

今年も終わりですね。御託を読んでいただき、ほとうにありがとうございました。

『M‐1』の審査員のコメントを聴いていると、大笑いしている自分が凄く低レベルな人間に思えてくる。お笑いってそんなに深いのかと感嘆してしまう。

あれじゃあ、お笑い学だ。「しゃべくり」というのが一つの鉄則みたくなっている、らしい。ああいうふうに「しゃべくり」と言われるとノートに書い

て暗記しなければいけないのかと思ってしまう。まるで学術用語だ。

また、『関ジャム完全燃SHOW』を見ていると、流行歌にも物凄く深い配慮がなされていることを知る。サザンオールスターズのエロい歌の裏にはあんな

にもいろいろな知識が盛り込まれていたのかぁ〜、と低頭する。最近流行っている『香水』なんてとても気楽に作られている感じがするけどね。

絵ももったいぶっていろいろな屁理屈をこねたい。絵には長い伝統があり、美学なんていう分野もある。ちゃんと大学で講義される。凄い、のだ!

でも、コチトラ何も知らないもんね。ただ風景見て「綺麗だなぁ〜」と思って描き捲るだけ。裸婦だってバラだってみんなそんな感じ。美の究極とか存

在とか。もっと具体的な絵画手法なんていちいち考えてない。「黄色には紫が合うよねぇ〜」ぐらい。補色関係とかいうと多少はカッコいい、か?

絵はとにかく描かないと始まらない。自分を描く方向に持って行くだけ精一杯だ。そういう意味でも長谷川利行(1891〜1940)は素晴らしい。

で、『M-1』だけど、あれって若いエネルギーを感じるね。ほとんどスポーツだよ。昔の『M-1』でも勢いがあるコンビがグランプリをとっていた。4分間

にエネルギーをぶつけている。こいつら死ぬ気か、と心配してしまう。ホントに死ぬ気でお笑いをやっている。よく声が枯れないね。何言っているかわか

らなくても、見ているだけで笑っちゃう。真剣な姿はもうそれだけでおかしい。

70歳の爺さんが必死こいて絵を描いてもああいうエネルギーはないよね。絵の世界は別なのか? どう見てもティツィアーノ(1488/90〜1576)の《荊冠》

は55歳のときの絵より80歳のときの絵のほうが優れている。不思議だ。25日付けのブログに《荊冠》の図版を2枚掲載しておいた。

 

20年12月19日

この町田のはずれの成瀬近辺に住んでもう40年以上になる。

いろいろな人と顔見知りだ。宅配便の人とか出前の人や米屋さんなどあいさつしなくても「あっ、あの人だ」とわかる人はいっぱいいる。何年も同じ仕事を

している。皺が増え、白髪になり、腰も曲がり気味。私自身そうなっているんだけど、他の人のことはよくわかる。

「あの人、まだ配達している」などと家内に言うと、職業差別みたいな言い方だと非難される。まことにそういう職業差別的な偏見が私に中にあるのかもし

れない。深く反省しなくてはいけない。道元だとか偉そうに言っても、本当のところはわかっていないということだ。ま、ほんとうにわかっちゃったら悟り

だけどね。

何度も言うように私は煩悩と執着の塊だ。妬みと羨望の渦のなかに生きている。

朝水をかぶる、泳ぐ、歩く、絵を描くなどの時だけ、そういうややこしい邪心から逃れられているのかもしれない。

それにしてもずっと貧乏だったなぁ〜。生まれたときから70年間豊かだった覚えがない。お相伴には預かってきたけどね。新橋の高級料亭に連れて行って

もらったこともある。去年の夏は贅沢カナダ旅行に連れて行ってもらった。

今日はテレビで吉兆のおせち料理を紹介していた。吉兆ってまだやってたの? インチキ料理だったんじゃなかったっけ? 20万円以上の重箱。

ふざけるなよ! 

(大坂の吉兆と東京の吉兆は別なのかも?)

スシロー200回分だよ。

どこのバカが買うんだぁ〜〜〜。

豊橋の三楽の天ぷらも安い。天盛り定食は700円(税込)。揚げたてだから後で胃がムカつくこともない。どっかのチェーン店の天ぷらより10倍いい。ホント

美味いよぉ〜。とても良心的。

悟りからは遠いガツガツ貧乏爺だけど、吉兆のおせちだけは食いたくない。意地でも食わない。東京吉兆でも食わない。

そう言えば、2年ほど前に宮崎で民宿を経営している知り合いにご招待された。凄い料理だった。あの伊勢海老の刺身、フライ、なんかグラタンみたいなやつ。

ふつう結婚式でしか食えないような料理の連続。分量もハンパない。だけどクエか? あの刺身の歯ごたえは伊勢海老がぶっ飛んだ。旨かったぁ〜〜〜。

何が吉兆だよ。バ・カ・ヤ・ロ・ウつーの。

本日、あまりにも地が出てしまいました。まことに申し訳ありませんでした。

 

20年12月12日

管理会社の月例会に参加した。年配の方々に混ざって、会社の説明を訊く。大学の授業みたいだ。50人ぐらいのなかの一人。そのとき「おれ、いったいこんなところで何

やってんだ???」と思ってしまった。こういう考えは尊大で最悪。与えられたことをちゃんとやるのが本筋。もちろん、暴れ出したりもせず、普通にちゃんと清聴して、

おとなしく電車で帰った。

こういう危険思考がときどき顔を出す。たいへん世俗的で不謹慎で執着と煩悩の悪鬼となっている。ダメだぁ〜〜〜。過去に戻れない恐怖も煩悩のなせる業。

白隠(1686〜1769)に「雲の教え」というのがあるけど、雲って同じようですべて違うんだよね。刻一刻と姿を変えている。この一瞬一瞬はすべて新しいということ。そ

れは地球の公転速度(おそらく秒速30q)、太陽系の移動速度(秒速250q)、天の川銀河全体の移動速度(秒速600q)を考えればよくわかる。われわれはそれらの速度

が相乗で重なり合ったスピードのなかにいるのだ。雲は目に見えてはっきり「変化」「新鮮」を教えてくれる。

で、一番大事なことは、たった今の動作をしっかり味わうことなんだよね。ゆっくり丁寧に行うこと。これって茶道の世界かも。茶道ってお釈迦様の教えを一般化したも

のかもしれない。わけがわからなくてもとにかくゆっくり丁寧に動作する。茶室はとても静か。お湯が沸く音だけ。客はただ待つだけ。じっと瞑想でもするしかない。

そういう味わい深い動作(所作?、挙措?)を歯磨きやトイレや風呂でもやらなければならない、のか。

私なんか何でもかんでも早いところ片づけて、スパイダーソリティアにのめり込みたいと思ってしまう。それで煩悩に悩む。絵が売れないことを嘆く。もっと酷いのは他

の人のヘタな絵が売れていること(=他人事)を羨む。過去のよかったことを追い求める。それでは全然ダメ。話にならない。

電動歯磨きだからあくせく磨いてもじっくり磨いても同じ3分間なんだよね。貧乏ゆすりしながら「3分長げぇ〜」と磨いても、歯の悪いところをイメージし、じっくり攻

撃しながら磨いても3分は3分。その簡単な理屈がわからない。悟りにはとても遠い。

 

20年12月5日

才能主義や天才主義はイヤだけど、人には向き不向きがると思う。好き嫌いもある。私は電車好きだけど、息子はバイクとか自動車が好きだ。私は中学生のころに囲碁を習っ

たが、どうしても将棋のほうに興味がわく。スポーツでも陸上とか水泳向きの人と球技向きの人がいる。人それぞれだ。誰でも練習すればある程度上達すると思うが、一定の

ところで頭打ちになる場合が多い。

もちろん、私は道元理論をおすすめする人間だから頭打ちなんて関係ない。やりたいことをやればいいのだ。やり続けることが大切なのだ。成果より過程が大事なのだ。そう

やって必死こいてやっているうちに死ぬときが来る。それはそれでチンチロリンのカックン、だ。致し方ない。

浦上玉堂(1745~1820)が大ブレイクするのは太平洋戦争後だという話だが、田能村竹田(1777~1835)も認めていたし、富岡鉄斎(1837~1924)も立派な画家だと

いうことをちゃんと知っていた。知っている人は知っているのだ。

で、わたしの小説の才能だけど、これはとてもあやしい。あやしいけど、とにかくもう少しやってみる予定

 

20年11月28日

たとえば浦上玉堂(1745~1820)だが、この人の伝記を読んでいると、その祖先をたどったりして平安時代までさかのぼる、なんてことまでやっている。それが学者の研究の方向

なんだと思う。つまり、玉堂の特殊性を探るわけだ。貴種流離談みたいな感じ。出がちがう、みたいな思考。

私なんかだと逆に、その一般性をたどりたい。誰でも旅をして山を分け入って脚が痛くなって、ひらけたところ出た瞬間「ああ、綺麗だ!」と感嘆すると思う。これはすべての人

に共通する身体を伴う心の叫びなんじゃないだろうか。家柄や門地は関係ない。貴種じゃなくたって感動は同じ。

だいたい人間なんて大元はみんな猿だ。アフリカから大旅行をして世界中に広まったと言われている。

特殊性より一般性を問いたい。

だけど、その山道での感動を紙に筆で表した人間は滅多にいない。これが偉大なのだ。血筋や生まれなんてどうでもいい。感動し、そこで筆を取り出し、実際に描く。これが素晴

らしいのだ。

いや、私も玉堂が山道で絵を描いていた姿を見たわけではない。タイムマシンに乗って実見したわけではない。だけど、玉堂の絵には物凄い臨場感がある。空気があって冷気があ

る。風がある。

それを印象派と比較する学者も多い。確かにモネ(1840~1926)の絵は写生の絵である。だから共通する点も多い。しかし、玉堂の一枚は玉堂の一枚。モネの一枚はモネの一枚。同

じ玉堂の絵でも一点一点独立したその瞬間の玉堂の画境を示している。それは見る側の状況とも密接に係わる。そのときそのときで見たい絵も変化する。

だいたいの人間は寝て起きて飯を食ってトイレに行く。そういう生理現象は誰でも変わらない。もとは猿なんだから、大雑把に言えば同じようなものだ。肝心なのはその人間がど

のように生き、どのように思い、どのように行動したかである。偉大な人に憧れるのも人情。出来るだけ真似をしたいと思うのも頷ける。しかし、怠け者でグータラ。欲の塊には

偉大な先人の真似はなかなか出来るものではない。その葛藤もまた味だけどね。

 

20年11月21日

TBSのクイズ番組『東大王』には、クラシック絵画の問題が出る。ほんの一部が映るだけだが、私は当然すぐ誰の絵かわかる。しかし、正確な題名を当てるのは至難。以前にターナーの蒸

気機関車の絵が出た。テレビ画面に向かって瞬時に「ターナーの蒸気機関車の絵」と叫んだが、それではピンポンを貰えない。最低でも《雨・蒸気・速度》と答えなければならない。テ

レビの東大生はもっと長い題名《雨、蒸気、スピード グレート・ウエスタン鉄道》と正確に答えていた。そんなの覚えきれるわけないよ。

18日の放送ではモネの睡蓮の庭の絵が出た、と思ったがなんかおかしい。「あれ?」と思っているうちに東大生が《ショー・ミー・ザ・モネ》と正解を答えた。バンクシーの絵だ。模写

みたいに描いてある。思わず「バンクシー、うめぇ〜〜」と声に出してしまった。10億3500万円だって。「ぶひゃ〜〜」とぶったまげた。モネの池に粗大ゴミが捨ててある絵。

絵画って何だろう?

どういう絵に価値があるんだろう?

さっぱりわからない。

ま、コチトラ金目的じゃないけどね。でも金は欲しいよね。10億3500万円は要らない。とりあえず10万円でいい。もちろん、10億3500万円でもいい。くれるなら貰いたい。貰ってもスパ

イダーソリティアをやり続けるだけだと思う。あっ、でっかいキャンバスに絵を描き捲るかも。ドでかいアトリエに中二階を作って鉄道模型を走りまわしながら絵を描くかもしれない。

バックグラウンドミュージックはサザンの『希望の轍』かな?

普段スポティファイで『希望の轍』は聴いていないけどね。

 

20年11月14日

『魅せられたる魂』という小説があった。ロマンロランだから読んだかもしれないと思ったが、全7巻というから、まず読んでいない。『ジャン・クリストフ』の続きだという。『ジャン・

クリストフ』は読んだ。凄くつまらなかった。こっちは全4巻だったと思う。もう50年ぐらい前に読んだのでまったく覚えていない。確かベートーベンが主人公のモデルだったような気が

する。

で、魂だけど、カッコいい言い方だよね。そういう魂があった。まさにゴッホ? みたいな?

ソウルとかスピリットなども同じような言葉? 精神とか心とか、魂というとレベルアップした感じ。この手の言葉は心身二元論になってしまうから、ちょっとダサいかも。そこで存在

という巧い言い回しが登場した。存在論! 存在なら心身ともにいっぺんに言い表し、しかもなんか魂みたいだ。実存主義以降流行ったような気もする。私自身実存主義以降の人間なの

で、その前のことはわからない。

「そういう魂があった」というとかなりカッコいい。

「そういう人がいた」というよりインパクトがある。「そういう存在があった」というと言葉が重複している感じがある。

とにかく、ゴッホみたいな感じ。あんなに激しくなくてもいいけど、少なくともそういう存在でありたいとは思う。いやいや、ゴッホみたいなのは願い下げだ。耳を切ったり自殺したり

はご勘弁。わざわざ自殺しなくてもどっちみち、そのうち自動的に死ぬ。死ぬよりどうやって生きるかが問題なんだよね。父親によく言われていた言葉だけど、この歳になって、やっと

少しわかって来たかな? 「なぜ生きるではない。いかに生きるかだ」

う〜ん、「いかに生きるか」と言われると生計のことばかり心配してしまう。そっち方面に行っちゃう。本当に来年から困るんだよね。1年半後はさらに困る。

困りつつ、秋の夕方を散歩したけど、いろんなことをすべて忘れる気持ちよさだった。

 

20年11月7日

4日(水)に武者小路実篤記念館に行った。<『白樺』創刊110年 美術への情熱>という企画展(11月29日まで)。武者小路は絵も描き、私の父が所属していた国画会に出していたとい

う。私は子供のころ何度も会場に連れて行かれたが、武者小路の絵の記憶はない。棟方志功(1903〜1975)も国画会で、棟方の版画はリアルに見たような気がする。この武者小路記念館

に展示されていた椿貞夫や横堀角次郎などには本人に直に会っている。梅原龍三郎や中川一政にも会ったはず。私はもうほとんど歩く近代日本洋画美術史かも。最後の生き残り? 

で、雑誌『白樺』が創刊された1910年から関東大震災までの12年間は日本文化の黄金期だったと思う。これはこのホームページなどで何度も述べている。

明治期からヨーロッパ文明に憧れた多くの日本人がそのヨーロッパを咀嚼し、なんとか自分のものとした時期か? 少なくともヨーロッパ文明に情熱をこめてのめり込んだエネルギーは

純粋で甚大なものだ。それは鎌倉期の禅僧が中国大陸に憧れたエネルギーにも共通する。

もちろん今回展示されてはいなかったが、私は富岡鉄斎(1837〜1924)や長谷川利行(1891〜1940)の作品に結実されたと考えている。でも、その後ろには白樺派の活躍なども影響して

いると思う。日本全体がヨーロッパに向いていた。そして実際、ヨーロッパにはそれだけの魅力があった。

 

20年10月31日

文化勲章から絵画部門が消えた。以前は日本画と洋画から一人ずつ選ばれていた。多くの(ダサい)画家の目標は文化勲章だった。画家が選ばれないなんて、ほんと時代の変化を感じる。

ま、文化勲章ともなると、貰うにはとにかく長生きしなければならない。90歳は常識。今回の脚本家・橋田壽賀子は95歳だ。

絵描きの芸大、日展、芸術院会員、文化功労者、文化勲章の出世コースが壊れてしまっている。いまや絵描きなんてなんの魅力もなくなった。

でも、絵を描くこと自体は楽しいから人々が描かなくなる心配はないと思う。絵を描くのは歌をうたうぐらい魅力的だと思う。

またきっとそのうち印象派みたいな大きな波が来るだろう。う〜ん、でも来ないかなぁ〜。あのころは国家規模で絵画を推奨していた。特にフランス政府の絵画への力の入れ方は凄かっ

た。それに応えた多くの画家がいた。信じられないぐらいの努力をした。今のスポーツ界みたいだった。ああいう土壌があって印象派という奇蹟の絵画が誕生したのだ。

今後はどうなるのだろう?

もちろん、私にはどうでもいい。描きたいものを描きたいように描くだけ。どのみち、ただ絵を描いているだけのことだ。立派なことをしているわけではない。

 

20年10月24日

コロナ禍で作画量が激減している。裸婦のクロッキー会がないのはほんとうに困る。クロッキー会では1回に油絵を13枚、水墨裸婦を10枚。合計23枚の絵を描く。絵画教室でも5~7枚描く。

これらを普通に毎月2回ずつやると、自動的に55枚ぐらい描いてしまう。油絵だけでも35枚。他に自分でそこらの花や風景を描くから、油絵だけで月間50枚描いていた。それが、今や10枚

程度。絵が下手になるのは明白だ。

ま、コロナ禍なんて100年に一度の惨事。致し方ない。我慢するしかない。もう少し我慢すれば、以前のペースに戻れると思う。とは言うが、世界規模ではコロナはますます猛威を振るっ

ている。来年のオリンピックも怪しい雰囲気だ。

とにかく、今は待つしかない。絵の腕が衰えないように鉛筆で運筆を続けるしかない。

余った時間は小説。

ほんとにそろそろスパイダーソリティアにも飽きてきた。将棋ゲームはかなり本気にならないと勝てないから、疲れるんだよね。AIはレベルが低くても終盤に容赦ない。間違えない。

そういう相手では最後まで気を抜けない。これってゲームだろうか? 疲れすぎる。

小説もとても厳しい世界だ。でも、マイペースで書くしかない。今の美術研究所ものがダメなら、絵画歴史小説に転向する。しかし、絵画歴史は資料をごっそり読まないと書けない。そ

れが恐ろしい。でも新人賞を貰えるなら頑張ってみる、予定。父から授かった絵画観を小説で訴えたいものね。

 

20年10月17日

NHK日曜美術館は神田日勝に続いて、田島征三も見た。私の絵に近い人たちが続いていた。細密描写とはちがう、言ってみれば乱暴な絵で、絵具と筆で描く。ま、絵ならごく当たり前の描

法だ。神田についてはブログで述べた。

田島は若いときに国際的な賞を獲った。絵本作家というのが本業だが、普通に大きな絵を描いている。油絵ではないと思う。絵本はコピー文化の一つだ。コピー文化というのは私が勝手

に名付けたのだが、一般にも通用している言葉なのかもしれない。コピー芸術と言えばもっとはっきりするだろうか。小説、映画、音楽、マンガなどほとんどはコピーされたものだ。複

製である。原画をそのまま売買するのは絵画だけかもしれない。大昔から画家は絵画もコピーにならないかと頑張ってきている。版画はその一つの名残文化だと思う。今や版画は独立し

た美術分野になっている。

NHKの田島を見ると、自由だがちょっと甘い感じがしないでもない。なんかクラシックを感じないんだよね。直後にスマホ画面でマルケ(1875〜1947)の風景画を見たが、短時間で仕上げ

てあるのに素晴らしいリアリズム。空間描写や水面の表現などが抜群。ああいう絵って一つの理想だと思う。私はマルケの故郷、ボルドーに1年間暮らし、ボルドー美術館に毎週行ってい

た(水曜日が無料の日だった)。マルケの本物をたっぷり見ている。ヨットの帆に透けて見える風景を瞬時に描き上げている。さっと描いてあるのに遠くから見ると帆に透ける風景なの

だ。

厳しい描写力と空間把握がある。絵は基本どう描いたって自由だけど、やっぱり技も欲しい。

 

20年10月10日

『現代アート、超入門!』(藤田令伊・集英社新書)を読み終わった。感想はブログに書いた。一言で言えば、いわゆる現代アートは私の絵とは別分野。他の人が何をやっても関係ない。

でも、現代アートが何十億円で売買されていることについては述べていない。しかし、これも私とは関係ない。そういう価値を見い出した人がそういう価格で買ったわけだから、それは

それでいいんじゃないか。本当はお金は価値がある。私は年収750万円ぐらいが価値の分地点だと思う。それ以上は必要ない。

家があって子育てが終わっていれば200万円でも十分。

私の場合は家がないから必死。たいへんだ。将来性もない。実際の寿命も少ないけど、現実困るんだよね。

私の知り合いでも多くの方には余裕がある。余裕があるとよく病院に行くみたいだ。役に立たないサプリメントを買う。そういう無駄遣いが多い、ように見える。

だから、現代アートが何十億円で売買されていても私には関係ない。

たとえば、千年後にデュシャンの便器を見て感動する人がいるのだろうか?

展覧会場で人々を驚かせる、うんざりさせる、著名な評論家を怒らせる。そういうことが目的になっていた時代があったと思う。おかしいよね。モネの《印象・日の出》、マティスの

《緑のすじのあるマティス婦人の肖像》、ピカソの《アビニヨンの娘たち》ぐらいまでが驚き、怒りの限界だったんじゃないだろうか? それから先はまさに驚き怒りのアカデミズム、ワ

ンパターン、マンネリだと思う。バカバカしい。

金は天下の回りもの。何十億なんて、私にはまったく関係ない。家賃払えて、車があって、たまにスシローに行ければ満足だ。画材は高額なので困るが、それはなんとか頑張る。ずっと

頑張ってきた。

 

20年10月3日

酔芙蓉は2度咲くらしい。今もけっこう咲いている。同じ木から咲いているのに、八重のものと一重のものがある。芯のところの黄色が8月のころより薄い気もする。

この『唇寒』に書くことは小説と重なってしまうので、けっこう困る。昨日から思っていることは、絵を直すこと。絵って直せるものだろうか? 私の場合はそのときの状況を描いてい

るので、後で直すことはできない。直すと観念になってしまう。リアルタイム絵画、実況絵画、現場絵画、臨場絵画が私のイッキ描きで、それは右脳絵画でもある。

それで、多くの過去の画家を思い出してみると、ほとんどの画家は自分の絵を直している。むしろイッキ描きは印象派の画家ぐらい。でも、印象派でも私が最も尊敬するドガはムチャク

チャ直している。モネの絵はすべて現場だと思う。最晩年まで現場主義。これは小説に書く予定だから言いたくないが、牧谿の《遠浦帰帆図》も写生ではないかと推測している。あんな

絵が画室で描けるだろうか? 水墨画なのに光がある。空気があり、風がある。本当に不思議だ。ボナールも記憶で描いたと言われる。ボナールは時代が近いから本当かも知れない。実

際に見ていた人の証言もあるのだろう。でも、牧谿は750年ぐらい前の人だ。牧谿がどうやって絵を描いたのか、誰にもわからない。こういうところは小説の一番自由なところ。作家の想

うように描写できる。

いま『現代アート、超入門!』(藤田令伊・集英社新書)を読んでいる。もう10年以上前の本だから、すでに「現代」ではない。一昔前だ。「現代アート」って名称には無理がある。ど

んどん古くなる。江戸時代に松尾芭蕉(1644~1694)が語った「不易流行」をよくよく知るべきだと思う。まだ四分の一ぐらいしか読んでいないので偉そうなことは言えない。

 

20年9月26日

今は7連休の真っ最中。家内とは殺人事件になることもなく平和に暮らしている。ウォーキングとプールでクタクタなので喧嘩にもならない。ほとんど居眠りばかり。合間に小説を書く。

いろいろ考えると、公募小説で受賞するのはチョー難しい。とにかく2000近くの応募があり、そのなかの1篇だけなのだ。倍率2000倍。東京芸大でも30倍ぐらい? 最近のことは知らない。

普通の大学は5〜6倍だと思う。都立高校の倍率は1.3倍でも高いほう。13人中10人が合格できる、はず。塾をやっていたときは、その小さな倍率も気にして進路指導をした。

計算上、公募小説で新人賞をもらうのは不可能。それは初めから分かっている。だけど、つい期待しちゃうよね。けっこう必死こいて書いてるもの。私が公募小説に出すのは、応募して

きたすべての小説を編集者が読んでくれるという話を信じたからだ。2000のうち100ぐらいに残れば複数の編集者が見てくれる可能性もある。

私も今まで世に出ているたくさんの小説を読んできたが、「えっ? これが受賞作?」と思えるような作品もあった。ああいうのに比べれば私の小説のほうがマシなような気もする。こ

のごろ画学生ものの小説も世に出ているが、私のはけっこう詳しい。絵画界の裏の裏まで書いてあると思う。小説だから書きたい放題だものね。そこが評価されるか? 応募者の年齢が

評価の対象となると、私の場合、将来性はとても小さい。

 

20年9月19日

今日は書くものがいっぱいある。小説も完成させたい。この『唇寒』もあるし、ブログもある。メールの返信も1本ある。来週は7連休あるので、そこでとりあえず最後の小説の目処を付

けたい。最後の小説は10月15日締め切りだ。それまでの間に休みも多めにとった。連休は家内との関係が大問題。私の小説なんて、海のものとも山のものとも知れないのだから、「小説

を書いてます」と言ったって趣味みたいな段階だ。だらだら考えているととても邪魔。今は少し涼しくなったので、別の部屋で寝っころがることもできるのが救い。立場が危うくなると

「ちょっと待ってて、きっと受賞するから」と甘言を繰り返す。

小説の主人公は20歳前後で、当然淡い恋もある。20歳だから淡くもない。そうするとあらぬ疑いをかけられる場合もある。小説は創作であり、実体験ではないと説明しても疑惑は残る。

しかし、実体験だっていいようにも思う。淡い恋だし、20歳の男が恋をしていなかったら、そっちのほうが病気だ。はっきり言って、私は恋だらけだった。やたらめったら好きになった。

小説の主人公はそんなメチャクチャな人間にはしていない。

もともと恋愛小説ではない。一般的には教養小説という分野だと思う。若い人が成長する物語、みたいな? 

でも、恋愛を描くのは面白い。映画『男はつらいよ』の寅さんみたいな感じ。映画やドラマは若い実際の俳優が演技をするから下手な場合が多い。小説はある意味リアルだ。小説の主人

公は演技をしているわけではない。読み手が現実に追体験できるみたいになっている。

しかし、最近売り出し中のキング&プリンスの平野紫耀が演じた『花のち晴れ』はとても上手かった、と思う。

 

20年9月12日

小説を読んでいたり、映画を見ていると、展開がある程度予想できる。自分の予想が当たっている安心できるが、当たり過ぎると面白くない。「いったいどうなるんだろう」とハラハラ

しながら見続けて、予想外だが「なるほど!」というような展開になるととても満足できる。それがあまりにも奇想天外な展開になってしまうとシラケるし、大多数の人はついて行けな

いと思う。

私が書いている小説は、私の絵画的主張が主題だし、それは一般的にはあまり受け入れられていない。しかし、私自身は絶対なる自信を持っている。多くの人に納得してもらえるはず。

だから「えっ、そうなのか!」とご満足いただけ、絵画芸術は高尚ということになっているから、知的満足度も低くないはずなんだけど、いったいどんな評価を受けるのか。

公募小説の最初の発表の日が近づいている。10月初旬だ。いま書いている小説の発表は

来年の5月。ずっと先。ここで一応一段落する。出来れば、もう一本書きたい。その発表も同じく来年の5月だ。

そのころに厳しい現実を知るか、けっこう行けるかも、と手ごたえを感じるか、約半年首の皮を洗って待つ。コロナが終息していれば絵画教室やクロッキー会が再開できる。若い人には

コロナなんてほとんど関係ないんだけど、われわれ年寄りには命にかかわる重大事だから簡単には再開できない。

 

20年9月5日

このまえ公募小説の選考委員のことばを読んでいたら、「丁寧に練り上げられた文章に期待する」みたいなことが書いてあった。「原稿稼ぎのダラダラ説明」との違いを問いたい。まっ

たく原稿用紙200枚ともなると、原稿用紙を稼ぎたくなる。しかし、いっぽう10枚とか30枚などだと言葉不足で意味不明になってしまう。そこのバランスが難しい。ある意味30枚とかのほ

うが難しい。100枚ぐらいだとのんびり書ける気がする。この「のんびり」が冗長になってしまってはいけない。まったく冗長と説明不足のバランスがなかんかうまく行かない。選考委員

に「丁寧な文体」と思わせなければならないのか? 山本周五郎だと、あんなに大量に書いているのに文章に粘りと喜びがある。ああいう文章が理想だ。喜びかぁ〜。絵と同じなのか?

いやいややった作業は絵だろうが小説だろうがどんな作品だって面白いはずもない。落語だってこれからじっくり語るぞ、という意欲が落語家から感じられるようでないとダメ。

 

20年8月29日

今は非番と有給休暇を組み合わせてマンション管理人の仕事は6連休中だ。これで金があれば小旅行にも行けるのだが、そんな余裕はまったくない。というか、今はコロナ禍で東京都民は

旅行禁止だ。ありがたいのやら悲しいのやら、という気持ち。ま、本心を言うと、暮らしのリズムが狂うから私は旅行はあまり好きじゃない。もちろん「暮らしのリズム」というほど立

派な暮らしをしているわけでもない。下着姿で寝っころがったりテレビを見たり。小説も書くし、多少は絵も描くけどね。世間がこんな状況じゃあ個展もできないし。絵のテンションも

下がるよね。

小説と言えば、池田満寿夫(1934〜1997)は野生時代小説新人賞を取っているんだね。やっぱり池田は頭いい。文字の力を知っていたんだよね。私は池田の小説を一つも読んでいないけ

ど、池田の書いたものは2〜3冊読んでいる。同意できるところもあるけど、いろいろ意見が合わない。それはこのホームページで『突然・池田満寿夫と金田石城の対談に割り込む』に詳

しく述べてある。だいぶ昔の文章なので今の私とは意見が違うかもしれないが、大筋では合っている。

家内が昨日まちがって自費出版の本を図書館から借りてきてしまい、それを読んでとても怒っていた。You Tubeのカバー曲を聴かされたような気分らしい。その本の文章に比べると私の

小説はかなりましだと言っていた。それって喜んでいいのだろうか?

 

20年8月22日

いよいよ8月末日締切りの公募小説の期限が迫ってきた。原稿用紙200枚以上の公募と30枚の公募がる。200枚以上のほうは絶対に間に合わない。30枚のほうなら、もうすでに30枚分ぐらい

仕上がっている。これを調整して読めるものに直す、予定。上手くやれば、今までの6本書いた小説を集大成したレベルの高いものになるはずだが、暑くてボヤッとした頭で出来るだろう

か? ま、出来ても出来なくてもとにかくやらないと始まらない。ま、私の人生観はいつもこれ。つまり「やらなければ始まらない」。で、いま70歳で始まっているのかいないのか? 

いまだに「やらなければ始まらない」と言っているのだから始まっていないのかもしれない。どうでもいい。今朝は酔芙蓉を7枚描いた。描かないと始まらないけど、なかなか思うように

はいかない。腕の運動だからどうでもいい。描かなきゃ始まらない。描いたもんの勝ち。何がどう勝ちなのか、人生の負け組にはよくわかんない。わかんないまま死ぬと思う。それはど

うでもいいし、自分ではどうにもならない。

 

20年8月15日

図書館の本の貸し出しは原則2週間。でも、他に予約などが入らなければさらに2週間借りられる。合計1か月ぐらい借りていられる。もっと借りたかったら2日ぐらい置いてまた借りに行

けばいい。どうせ誰も借りないんだから、半年かけて読んだっていいのだ。そうやってたくさんの本を読んできた。自分でも信じがたい。『居眠り磐音』の51巻も凄いけど、五木寛之の

『親鸞』全6巻とか、ずっと昔だけど『ガダラの豚』(中島らも)という分厚い本も読んだ。アフリカの話だった。百田尚樹の『幻庵』もとても長かった。江戸時代の囲碁の名人の話。誰

が一番強いのかよくわからないままに終わった、気がする。

私も小説で絵画の魅力を述べる意欲を持っている。文字でビジュアルを表すということ。こんなことは不可能だと思い込んでいた。今年の3月ごろに突然「可能かも」と思い直し始めた。

今の世の中は絵を確かめたかったらネットで見られるのだ。私の小説は現在新人賞に応募中なので発表できないが、小説の中に登場する絵を私自身がネットにアップしておくことだって

可能だ。そのことに気がついたのは『1Q84』(村上春樹)を読んでいたとき、小説に登場する未知のクラシック音楽をユーチューブで聴いたのがキッカケだ。そう言えば、『1Q8

4』も長い小説だったなぁ〜。ベッドシーンもあった。ベッドシーンと言えば村山由佳だ。村山の小説もほとんど読みつくしたかも。私にとって村山由佳は「村山先生」だ。70歳を前に

して性のテクニックをその根本精神から教えてくれた(=性は恋から始まる=サザンオールスターズも同じ思想=チューブはかなりちがう)。とにかく私の読書は遅いけど、いつも読ん

でいるから大量なのである。自分でもびっくりする。私が読書家だとは言わない。図書館で4週間も借りているジジイだから読書家とはとても言えない。言えっこない。

 

20年8月8日

私は本を読むのがとても遅い。『カエルの楽園』(百田尚樹・新潮文庫)は借りてきて一週間になるのに、まったく読んでいない。150ページ余りの『作家になるには』(永江朗・ペリカ

ン社)がやっと終わるところ。『作家になるには』を読むと、作家になるのはたいへんだし、なったからと言って幸福とは限らないと知る。

さすがにこのごろサザンオールスターズなどを聴きながらスパイダーソリティアをやる娯楽に飽きてきた。サザンも聴きすぎるとうるさくなる。ま、今までそれほど音楽を聴く暮らしで

はない。車の中だと聴くけど、それほど車にも乗らない。年間5000qを切っていると思う。若いころでも8000qぐらいだった。

でも、サザンオールスターズは今後も聴くと思う。井上陽水は消すかも。南佳孝は残す。サザンは人前でかけられない。車に家内以外の人が乗る場合はサザンはシモネタが多すぎてまず

いのでクラシックにしておく。今もブランデンブルグになっている。

まだ70歳になったばかりなので、「あゝ歳だなぁ〜」とは感じていない。この夏は去年よりだいぶ涼しいこともある。でも床板に寝転んでいて、起き上がるのは至難。膝などがかなり痛

い。ま、普通の暮らしでは膝も腰も今のところ大過ない。違和感はいつもある。

90歳を過ぎても旅をしていた木喰上人て、どういうスーパージジイだったんだろう。江戸時代の90歳の爺さんは令和の70歳なり立てをはるかに凌いでいる。そ・ん・け・い!

 

20年8月1日

図書館に行って『作家になるには』(永江朗・ペリカン社)などの本を数冊借りてきた。高橋源一郎の『ぼくらの文章読本』(朝日新聞出版)も借りた。私にとっては最後の百田尚樹『

カエルの楽園』(新潮文庫)も借りた。『カエルの楽園』が売り出されたころはマイ百田尚樹ブームの最終局面でスズメバチの活躍する『風の中のマリア』(講談社文庫)に入っていた。

ああ『カエルの楽園』も読みたいと思いつつ、図書館で借り手がいなくなる時期を待っていた。そのうち忘れてしまった。そしたら文庫版が書棚に並んでいたので、喜んで借りた。まだ

まったく読んでいない。書き出しだけ読んだかも。私はいま書き出しに凝っている。小説は書き出しが肝心。漫才だったら最初のツカミなのか。落語はなんでも「え〜〜」だ。次は「お

笑いを申し上げます」と言う。

小説家への道はとても遠い。だけど、多くの夢がある。特に若い人には夢いっぱい。絵画の道は暗く寂しい。それは文壇と画壇があまりにもちがうからだ。文壇にはしっかりした土台が

ある。マンガに押されて危ういとも言うが、マンガと共存しているとも言える。もとは同じ出版社なんだから、出版社が繁栄していれば問題はない。画壇には出版社みたいなバックボー

ンはない。Jポップの世界にも立派な音楽業界がある。

70歳の私が公平に見て、小説公募はとてもシンプルで平等でわかりやすいシステムだ。裏工作など一切ないと思う。日展などの審査はとてもあやしい。小説公募には誰でも受賞できるチ

ャンスが見える。まったくペン一本の世界。いや、現代ならキーボード一枚か。

私の絵画実践小説の可能性は小さくない。ご期待ください。70歳という年齢だけがキズだけど、今のところ元気だから大丈夫だろう。少なくともまだ2年ぐらいは持つと思う。

 

 

 

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