唇 寒(しんかん)集57<19/5/4〜>

19年9月27日

プリンスエドワード島の中心都市・キャベンディッシュでマリーナ風景を描いた。この絵を今回の個展のメインにしている。

絵具がキャンバスに密着して透き通っているからだ。これは印刷物ではわからない。本物を見ないと無理。

このマリーナに着いたのは夕方6時過ぎ。いい場所を探すのに30分近くかかってしまった。7時半からレストランが予約してある。ホテルに戻って着替えてレストランに行くためには、絵

を描く時間は30分もない。何枚描けるか? これこそ本当のイッキ描きだ。腕の見せ所、と思っている暇もない。

で、結局2枚しか描けなかった。

こういう状況は絵画教室でもよくある。最後のSM(22.7×15.8p)なんて毎回時間切れのなかで描く。

でも、そういう絵はけっこう悪くないのだ。

イッキ描きとは言っても、たとえばバラ園に着いて最初に描く15号(65.2×53.0p)とかはかなりのんびりしている。別に時間制限はない。1時間ぐらいかけているかもしれない。それは

それでいわゆるイッキ描きとは別な絵になる。そういう絵を評価してくださる方もいる。ゆったり描いたイッキ描き?

しかし、イッキ描きの真骨頂はやっぱり数分で仕上げる現場主義。いろいろな理屈が全部すっ飛ぶ絵の具まみれの数分だ。

「絵って面白いな」と思う間もない。

誰もいない個展会場で、額装されたそういう自分の絵と何時間も向き合うのは本当に贅沢な時間だ。絵の制作過程を隅々まで知っているのは私だけなんだよね。

 

中尾さんが新しく私の絵のページ「菊地理作品専用サイト」を作ってくれたので、リンクを張った。ご一見ください。

 

19年9月21日

映画『あん』の桜映像はとても見事だ。映画館に閉じ込められてあんなにゆっくり桜を映されたのでは客はグーの音も出ない。とにかく映画は料金前払いで劇場の椅子に縛られてしまう。

逃れられない状況。見ないと損なのだ。酷い映画のときは泣いても泣ききれない。「金返せ、時間返せ、頭に焼きついた貧乏くさいカメラワークを何とかしろ」と言いたくなる。

その点、何度も言っているけど、外の写生はまさに極楽。桜の下やバラ園に3時間も居座るのだ。イッキ描きでも5枚ぐらい描くから3時間にはなってしまう。いい場所を探すだけで1時間

はかかる。カナダのアンの村でも私ぐらい長く「かがやく湖水」を見ていた観光客はない、と思う。最低でも2時間ぐらい見ていた計算だ。

現在でも野外スケッチの画家はいるのだろうが、私は正真正銘現場主義。自分では生粋のモネ(1840〜1926)の後継者だと思い込んでいる。モネ展に行くといろいろな後継者の名作が並

んでいる。ポロック(1912~1956)を後継者とする説は根強い。

でも実践なら私だと思う。まさにお釈迦様の行為を真似た禅宗みたいな位置付けだ。理屈じゃないんだよね。野外で描く喜びや苦しみは野外に出なきゃわからない。筆触分割とか色彩の

組み合わせなんて、でっかい景色を前にして外で筆を持ったらすっ飛ぶもん。私は絵画教室でも、そういう外の喜び(苦しみもある)を味わってもらいたい。それだけだ。絵なんてどう

でもいい(……そうでもありません)。

実際の桜の下に3時間いる経験は口では説明できない。ま、私の場合は絵で表現しているつもりだけど、絵は魔物だから、全然別な主張になってしまったりする。若いころの失恋の悔しさ

だったりして……。 

小説『アルジャントゥイユの夜明け』では野外画家モネの姿を、けっこうえがけたと思っている。小説も楽しい。しかし、冊子化は思った以上の労力が要る。われながらうんざりしてい

る。原稿はあるのにねぇ。原稿なんて10%。世の出版社、印刷業の方々の労苦を、この歳で知りました。

いよいよ成瀬個展が始まる。もしかすると100回目の個展かも。まだかな?

……まだ89回目だった。

 

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19年9月14日

9月13日(金)付けのブログは映画『あん』の感想。餡子作りのおばあちゃん(樹木希林)は50年の実績だ。私の油彩画歴はそれ以上。17歳からだから52年を超える。

その油彩画歴を引っ提げて本当にカナダに行って油彩画を描いてきた。油彩画材を持って行くのはけっこう難しいらしい。でも、私は7年前には南フランスに行き1か月で70枚の油彩画を

描き、今回も1週間で16枚描いた。

金井画廊の金井さんが小声で「水彩でしょ」と訊いた。いやいや実際に油彩である!

でっかいトランクの中にいっぱい詰め込んで、そのまま送った。

だから、今回の成瀬展(9月24日〜30日)のカナダ作品にかかっている金と労力はハンパない。

13日のブログでも述べたけど、映画はカメラワーク、絵画は筆致なんだよね。「筆の喜び」とか「粘りの筆致」などと言ってきた。これは源氏物語絵巻でも牧谿(1280頃活躍)でもティ

ツィアーノ(1488/90〜1576)でも一緒。ヴュイヤール(1868〜1940)もモランディ(1890〜1964)も知っていた。

はたして私の絵ではそういう筆致の継承は成功しているのだろうか?

どうぞ、個展会場でご確認ください。

 

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19年9月7日

カナダから帰国すると悠遊展はもう始まっていた。今年は私の金井画廊の個展がなかったので久しぶりの京橋となった。いろいろな展覧会を覗き、悠遊展にご来場の方ともお話した。ま

だ時差ボケの真っ最中で失礼もあったかと思う。

金井画廊の前のギャラリーくぼたでやっていた『くしぶちQぶ うさぎ展』はアクリルなどの混合画材で120点の真四角な絵が並ぶ。三段掛けでびっちり並んでいる。ドガ(1834〜1917)

のサロン展への要求は「二段掛けまで。絵と絵の間隔は30p少なくとも20pまで」とのことなので、『うさぎ展』は完全違反だ。でも個展だから自由。誰からの文句もない。すべて非売

品。英語の先生をやりながら絵を描いているとおっしゃっていた。どういう人なのかさっぱりわからない。個展は7回目で自分へのご褒美とのこと。Qぶ氏は60歳前後の男性。現役の英語

教師なら60歳以下か? ネットで調べても何にも出てこない。絵ははっきりした具象ではない。うさぎみたいな象形はある。でも、たくさん描いている感じは十分伝わる。「たくさん描

いている感じ」はたくさん描かなければ出てこない。インチキで出せる感じではない。たくさん描いている振りをしても一目で見破られる。少なくとも私には一目でわかる。「たくさん

描いている感じ」は才能とも関係ない。ただたくさん描けばいいのだ。だけどなかなか描けるものではない。

また悠遊展ご出展S氏の知り合いの若い女性にも興味を引いた。中学高校と美術部にいたというから、好きな画家は誰ですかと訊いたら、なかなか答えない。「セザンヌとかゴッホとかル

ノワールとか?」と絞ってみても答えがない。やっと出た答えがティツィアーノ。ぶへぇ〜〜〜、ティツィアーノかよぉ〜〜〜。よくお話を聴いたら1年間もヴェネチアに留学していたと

のこと(絵画留学ではない)。こういうお若い人がいるんだねぇ〜〜。日本は変わったのかも。まさに国際化。好きな絵は《聖母被昇天》(画像はウキペディにあります)だって。う〜〜

ん、名画だわなぁ〜〜〜。ぶったまげた。

 

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19年8月30日

29日(木)の午後にカナダの『赤毛のアン』の村から帰国した。この旅行は私が望んだものではなく、もともとの企画は家内と娘の二人旅だった。娘の連れ合いが参加希望して、人数バ

ランスの関係で最後に私にも参加のチャンスが来た。参加が決まってから急いで『赤毛のアン』を読み、10年ぐらい前の3時間に及ぶ映画『赤毛のアン』をレンタルして見た。旅行のいろ

いろなエピソードはブログでする。

カナダは建国150年ほどの国。日本の明治維新ぐらいのころに出来た。新しい国だ。だから、文化と言えるものはほとんどない。魅力的な絵や彫刻、建物もない。もちろん少しはあるがヨー

ロッパの比ではない。

12〜3時間かけて狭い機内に閉じ込められ苦しみながら行くようなところではない、と思う。時差ボケも苦しい。

私はアテネだったら喜んで行きたい。13時間ジェットも時差ボケも我慢する。死ぬ前にパルテノン神殿が見たい。もちろん、これは諦めている。きっと見ないで死ぬ。

今回のカナダ旅行の最後の日にはモントリオールで3時間ほど過ごした。古い教会にも行った。絵や彫刻もたくさんあった。しかし、ヨーロッパの教会のようにティツィアーノ(1488/90〜

1576)が飾られていることはない。多分職人のような画家が描いたものだと思う。実にうまいけどね。こういう人っていっぱいいるんだよね。そりゃいるよ、需要があるんだから当然だ。

ティツィアーノだってベラスケス(1599〜1660)だってムリリョだって、そういう職人的な意識はあったと思う。でも、古ぼけた教会の上のほう、薄暗いところにティツィアーノがある

と、それは輝いているんだよね。「あれ? この絵、ほかとちがう!」ってすぐわかる。ああいう醍醐味はカナダでは期待できない。イタリアだとそういう「発見」ばかり。

ま、今回の旅行は絵を描くのが目的。油絵を16枚、デッサンも10枚以上描いてきた。私の風景は写真を撮ってきて家で描くわけじゃない。その現場で直に描く。これは贅沢でとても骨の

折れる決意だ。アンの村の風の中で描かなければ「イッキ描き」じゃない。ここが渡世人の辛いところ。

 

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19年8月24日

このごろ思うのは、絵はやっぱり自分の描きたいように描くべきだということ。ここでは何度も言っているが、ここのところ印象派の画家たちの若い頃を調べたり再確認していてつくづ

く思う。

いや実際の世の中に生きていると迷うよ。私でも迷う。迷いながらも惑わされずにここまで生きてきた。

わが絵画道は正しいと思う。でも、正しいとか邪道とか、そんなことどうでもいいのだ。

セザンヌ(1839〜1906)は凄い。迷いながらも頑張りとおしたもの。

世の中の評価は海面の波。われわれの行いは深い海底の冷たい水であるべきだ。動かない。ぶれない。現生人類の歴史は5万年。歴史時代以前の4万8千年のなかにはセザンヌクラスの画人

が何人もいたと思う。地面に棒切れで描いていたのか? それじゃあ、評価されっこない。歴史に名も残らない。悠久の人類史を想いながら絵を描きたいね。

ま、セザンヌは生活面では困らなかった。ここが私とは全然ちがうが、私は21世紀の日本に生きている。今の日本は世界で一番豊かな国だと思う。ここで生きられないわけがない。もし

かすると全人類の歴史上で一番豊かかも。そして平和だ。いろいろ客観的に見て今の日本は並はずれている。そういうところで長年暮らしてきた。チョーありがたい話だ。

こんな貧乏人が海外旅行? 本当にここはおかしな国だ。

というわけで、小さいキャンバス十数枚を担いでカナダに行く。

この前『芸術新潮』「原田マハの泣ける印象派物語」(2018年6月号)の第2部で原田がル・アーブルの美術館にいる写真があったが、モネ(1840〜1926)もブーダン(1824〜98)も小品

をいっぱい描いている。ル・アーブルの美術館の壁は小品だらけだった。

描く立場で言えば、小品もかなり楽しい、のだ。

それでは、ごきげんよう。ボン、ボワイヤージュ!

 

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19年8月17日

世界最高の風景画は牧谿(1280頃活躍)の《遠浦帰帆図》か《煙寺晩鐘》だと思う。世界最高の絵は? そうなって来るとわからない。20歳頃に次々に絵画初体験をしたころを懐かしく

思い出す。《煙寺晩鐘》を見たのは高田馬場の芳林堂だった。『原色日本の美術』の「請来美術(絵画・書)」に出会った。今から50年も前の話なのだ。その後芋づる式に中国の水墨画

を「新」発見した。

牧谿は禅僧だった。

同じころ大学の専攻科で仏教を学んでいた。私より父の読書量のほうが多かったかもしれない。私からの情報をもとにどんどん本を読んでいた。私はバイトも忙しいし、パチンコや麻雀

も真面目に(?)やっていたし、たっぷり失恋にも苦しんでもいた。物凄い忙しさだった。女子にモテるためにはクラシック音楽にも精通しておかなければならない。ま、クラシック音

楽はそんなに嫌いではない。

で、父からの逆輸入で道元(1200〜1253)に至り着いた。

西洋哲学も一通り目を通さなければならない。

まったく20歳代の前半てどういう暮らしだったのだろうか?

そのころは自転車野郎でもあった。自転車で旅をするバカだ。何度も大怪我もした。水泳に目覚めたのも20歳の初め。もう50年も泳いでいるわけか。今は自転車は乗っていない。ほんと、

自転車は危ないもの。死ぬよ。

私は鉄道もそこそこ好き。いやいや撮り鉄など、世の中には正気とも思えない鉄道狂がいるから、私などその末席も汚せないレベル。散歩中に横浜線が来ると口を開けて通過するのを見

ている程度。一応、トミックス(Nゲージ)も持っている。6畳間がいっぱいになるぐらいのレールもある。そのころ3歳だった孫娘はキングコングみたいに車両をむんずと掴み取った。そ

れから模型電車は出していない。

ま、とにかく70年の人生は長い。上記以外に絵をしこたま描いているんだから、どこに暇があったのか訊きたくなる。そのうえ根本的にはグータラだ。

中国宋元水墨画の話をしようとしたら、思い出話に終わってしまった。これだから年寄りは嫌だ。

 

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19年8月10日

自分の絵がどの程度のレベルなのか、いつもわからなくなり恐ろしくなる。金の評価(売れ具合)で計算すれば私の絵のレベルはとても低い。また、世間的な受賞歴などから見てもまっ

たく取るに足りないものだ。

私自身はそういうのってくだらないと思っている。実際にくだらない。くだらなくてもこの世間で生きて行くかぎり、ある程度そっち方面(=世俗の評価)にも頑張らなければならない。

この前も書いたように、絵の真価と絵の売れ具合はシンクロしないのだ。

われわれはただ少しでもいい絵を描き続ければいいだけ。それだけのことだ。

しかし、実際に絵を描くとなるといろいろと金がかかる。その前に自分自身が生きて行かなくてはならない。衣食住は絶対避けられない深刻な問題だ。

ゴッホ(1853〜1890)は弟テオに月間50万円ぐらいもらっていたらしい。年収600万円だ。一人暮らしで年収600万は少なくない。ま、ゴッホの30号(約90×70p)なら一枚50億円は下ら

ない評価だけどね。ゴッホは30号を約2時間で仕上げてしまう。おそらく加筆はしていない、はず。時給25億円という計算か。凄いね。プロテニス選手も真っ青だ。

が、これはゴッホのフトコロにはわたっていないお金。

こういうことはどうにもならない。現在のスポーツ界はよく出来ているかもしれない。それでも、ゴルフの渋野選手もプロ選手になるために一浪したし、来年のオリンピックに必ず出ら

れるという資格もまだない。

でも、スポーツ界は絵の世界より頑張りで評価格が手に入る可能性が高い。絵ではどう見てもいいと思えない絵の描き手が高い評価を受けている場合も少なくない。絵の評価は当てにな

らない。

ま、評価はどうでもいいわけだ。自分の信じる道を進むしかない。家族はそうも言っていられないが、今の私の家族は家内だけだからなんとか誤魔化すしかない。

 

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19年8月2日

7月30日付のブログで「しっかりした描写力を身につけるべきだ」と述べた。「しっかりした描写力」って何だろう? まずはものをよく見る習慣だ。模写をすると昔の画家がどれほどよ

くものを見ているかわかる。その「ものをよく見る」という人類の底に流れる巨大な喜びを知るべきである。それは洋の東西を問わない。西洋人も東洋人もホントよく見ている。これは

基本中の基本だ。絵は見なけりゃ始まらない。視覚芸術なんだから当たり前。そう言えばドガも言っていたな。

「デッサンとはものの見方である」と。

(ここで小休)

偉そうなことを言っているが、私は朝からトランプばかりやっている。一人遊びのソリテァ。今やトランプは100円均一で2セット買える時代。というわけでもないが、この前からわが家

にはトランプがある。で、ソリテァばかり。パソコンゲームのスパイダーソリテァができればそれをやるが、いま使っている中古パソコンは業務用なのでゲームのオマケがない。私はす

ぐゲームに嵌るが買うほどの情熱もないし金ももちろんない。こういうところは金がないことは実に喜ばしい。

外は暑くて出られない。仕事をする気力もない。グータラな暮らしだ。偉そうなことは述べにくい、状況。私自身としてはもうすぐ70歳だし、グータラは大いにけっこうだと思っている。

ゴメン。

(閑話休題=話を本題に戻す)

何度も言うけど、われわれ現生人類が約5万年前から伝えてきた絵心、これを受け継ぐだけのことだ。トンチンカンナことをやってはダメだ。私が思うにこの「絵心」とは「本当に描きた

いものを描くこと」だ。違うかもしれない。父はよく「長谷川利行(1891〜1940)じゃ、まだダメだ」と言っていた。69歳になった今も長谷川利行じゃ、何がどうダメなのかわからない。

ムチャクチャいいと思う。

描写力とは目の前のものをよく見ること、そして昔の尊敬できる画家たちがどのように物を見てきたかじっくり探究することだと思う。それ以外にない。で、出来上がった絵がどうなの

かは二の次の問題だ。しかし、上記のような方法以外に「いい絵」を獲得する手段はないように思う。とりあえず1万枚描いてみないと始まらない。少なくとも理屈ではないのだ。

 

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19年7月27日

昨日テレビに葛飾北斎(1760〜1849)の波《神奈川沖浪裏》が映った。72歳のころの絵だ。隣に40歳代の波の絵が並んで映っていた。北斎はずっと波を研究していたのだ。80歳過ぎの波

の肉筆画も長野県の小布施にある。

ドガ(1834〜1917)が「芸術においては、同じ対象を何十回、何百回となく繰り返して制作しなければならない」(集英社『現代世界美術全集ドガ』高階秀爾「作家論」p98)と言ってい

るが、この言葉を実践しているのが北斎の波だ。

だからってわけでもないけど、私もいつも三浦半島の三戸に繰り返し行く。何十回は行っていると思うけど、まだ何百回には達していない。モデルのポーズも同じようなものが多い。バ

ラの花だって毎年同じだよね。

アマの方で同じ公園には写生に行きたがらない人も多いが、とんでもない間違いだ。

深く反省していただきたい。

 

それにしても、絵って本当に特別な創作分野だ。相撲などによく似ている。瞬間的に勝負がつく。理屈じゃないんだよね。絵はスポーツに近い。チャンバラ小説『居眠り磐音』に嵌って

いるけど、剣道も瞬間的な勝負だ。ボクシングもちょっと似ている。絵は格闘技かな? いやいや競泳も最後の5mでかわす場合が多い。興奮するね。

いっぽう、音楽のことは知らないけど、小説なんかは繰り返し推敲する。物語を構築してゆく。じっくり攻める。

絵だって大作となればそうやって描くし、現実にそうやって描いている人がほとんどだ。

しかし、私は世界中の大傑作は瞬時に生まれていると確信している。絵画芸術はスポーツなのだ。

そのときの画家の生理状態、体調、思考、環境、家族、暮らしなどがすべて一筆のうちに現れる。まったく油断ならない分野だ。

「グジュグジュ描いてるヤツはみんなアホだよ」とは言わないけどね。絵は描きたいものを描きたいように描けばいいのである。でも、描かない(=腕を動かしていない)とすぐダメに

なる。

画歴を少し変更した。

 

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19年7月20日

印象派の画家たちは当時前衛画家と呼ばれた。この「前衛」という言葉が独り歩きして、世にとんでもない絵が続出した。しかし、いっぽう、いつの時代にもアカデミズムはあり、目を

凝らしても筆の跡が見えないような細密描写も存在する。

システムの問題、新しがり屋の問題、心の病かと思われるほどの細密描写。

ちょうどいいのが俺の絵、と言いたいわけでもない。

アカデミズム芸術は破綻している。システムに無理がある。絵や詩などというものは大学で学ぶものではないからだ。はっきり言って、絵で飯を食うシステムは無理。絵はお金にならな

い。暮らせない。衣食住に関係のない「仕事」なんてこの世にはないのである。人間は野生動物なんだから当たり前だ。

また、前衛ノイローゼもイカレテいる。ピカソは10歳代に徹底的にデッサンを修得していた。印象派の画家たちも、フォーヴの画家たちも、ナビ派もみんなデッサン修業をしている。パ

スキン(1885〜1930)は18歳頃イラスト的な絵で売れたが、その後画学生だった恋人の影響もあり20歳代に一生懸命デッサンや模写をやり直している。

細密もいくら追及しても所詮は絵具なのだ。リアリティは絵画における一つの手段に過ぎない。19世紀フランスで叫ばれたレアリスムとはちがう、と思う。レアリスム絵画はアカデミズ

ム絵画に対抗して出てきた主張だ。大きい意味では印象派もレアリスムだと思う。

でも、所詮は絵なんて趣味の問題。好きなものを求めればいいのだ。ブグローがいいならそれもいいと思う。ドガはブグローを嫌ったらしいがジェローム(1824〜1904)とは生涯の友だ

ちだったと書いてあった(「フランス絵画の巨匠たち ボストン美術館秘蔵展」1997年池袋・西武美術館のカタログの作品63の解説)。どうなってんだ? 友だちなんて、気が合うか

どうかのこと。男女の仲も同じ、か? 絵の好みも同じかもしれない。もちろん、私はそう思っていない、けどね。絵画には現生人類誕生と同時に累々と流れる一本の本流がある、と信

じている。絵画の真実がある。

この「絵画の真実」の話は19日付けブログに少し書いた。

 

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19年7月13日

渋谷のBunkamuraでやった『印象派への旅 海運王の夢』展のポスターをゲットした。今も目の前に飾ってある。ドガ(1834〜1917)の《リハーサル》(1874年頃 油彩 キャンバス 大

きさは不明だが20〜30号ぐらいだと思う)。

ドガが40歳ぐらいの絵で第1回印象派展ごろに描かれている。

わがイッキ描きとは真逆の描法である。

それはボナール(1867〜1947)やヴュイヤール(1868〜1940)もおそらく同じで、作品に何度も加筆訂正を加え、絵を作ってゆく描き方。

これに対して、モネなどはおそらくイッキ描き。特に《印象━日の出》はもちろん、同時期の作品はイッキ描きで仕上げている感じ。最晩年の藤やバラもイッキ描きだと思う。

モネが名声を確固たるものにしたルーアン大聖堂や積わらの連作のころには加筆している可能性が高い。欧米人はああいう実験的で科学的方法が大好き。あの連作作画姿勢を全面的に支

持したのだ。私ももちろん否定はしない。あの時代があったから最晩年の睡蓮から藤、バラへの名作が生まれたのだと思う。休むことのない筆の鍛練だ。でも、私にモネの絵をくれると

いうのなら、横2mもあって大きくて邪魔だけど最晩年の藤とかバラをいただきたい。

それはドガの場合も一緒。晩年のパステル裸婦が欲しい。上野の《化粧する女》(71歳頃)やミュンヘンの《髪をふく女》(54〜58歳頃)。これらは目の事情もあり、ほとんどイッキ描

きだと推測できる。ドガのパステル画はそんなに大きくない。

で、加筆訂正描法とイッキ描きの違いというか優劣を述べてみる。

絵を作ってゆく方法には無理がある。左脳か右脳か、という話でもある。だけど画家の性情もあるから一概には言えない。特に欧米人は考えるのが好き。

私はもともと考えたって無理だと思っている。いやいやそういう能力のある人もいる。ブグロー(1825〜1905)なんて本当に巧いもん。ああいう人なら加筆訂正も可能だろう。われわれ

の場合ほとんど「下手の考え休むに似たり」になっちゃうわけ。

でも、私はブグローの絵は要らない。欲しくない。イッキ描きのドガやモネ。中国宋元時代の水墨画が欲しい。ルネサンス期の絵ならミケランジェロ(1475〜1564)やティツィアーノ

(1488/90〜1576)のタブロー(本画)よりむしろデッサンが欲しい。

人が切羽詰ってヤケクソで引く線描は絶対的な魅力がある。それこそ小説『居眠り磐音(いわね)』のチャンバラシーンと同じだ。一瞬の差で生死が分かれる。もちろん磐音はヒーロー

だから絶対負けないけどね。わがイッキ描きは負けっぱなし。絵だから負けても死なない。

勝ったときの絵だけ発表していればいい、とは言ってもブログで1日おきにアップするので、これもけっこう苦しい。そんなに勝てない。でもアップしないと描かないしね。アップや個展

は絵を描き続けるための方策でもあるわけだ。絵描きは描かないことには始まらない、のだ。

 

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19年7月6日

7月2日(火)の『なんでも鑑定団』の東山魁夷の水彩風景画は本物との鑑定で400万円の値がついた。その下絵をもとに書いた本画なら4千万円と言っていた。本画の図版も映ったが、下

絵のほうがはるかに良かった。この話は7月4日付ブログで詳しく述べた。

魁夷の下絵を見ても現物を見て描くということがいかに大切か、よくわかる。しかし、現物はキッカケに過ぎない。現物のとおり、そっくりそのままに描いてもつまらない。ま、描けと

言われてもなかなか描けないけどね。

風景でも裸婦でも花でも「描きたいぃ〜〜」という欲望を筆に託すのだ。「描きたいぃ〜〜」と思う心がキッカケだ。心とか言うとすぐ精神主義などと反論される。絵は精神主義ではな

い。だって絵を描くことは行為だもの。実行だ。そして絵は原物だ。物だ。だから唯心論でもないし唯物論でもないんだよね。

私はこの描きたい欲求にしたがってずっと生きてきた。だから家じゅう絵だらけになっている。もうそろそろ終活だから処分しなければならない、か? いやいや描きたい欲求が続く限

り10年でも100年でも1000年でも描き続ける、予定。自分の死なんて知ったこっちゃない。ご家族のみなさま、まことに申し訳ございません。

でも、そういう人間て滅多にいないからそのうち希少価値が出るかもしれない。

家族の生計も顧みずにここまで絵を描いて来て、ここで突然終活なんて言い出すはずないよね。ああ、絵がどんどん増え続ける。恐ろしい。

気にしない、気にしない。ムチャクチャじゃぁ〜〜〜。

でも、絵を描いているときってチョー本気だよね。それはとても気持ちいい。

で、描きたくて描いて、どんな画面になるのか、鬼が出るか蛇が出るか? これは作者にもわからない。でも最低でも出来るだけクラシック絵画や彫刻を見るようにしている。お手本は

大事。しかし、それがこっちの歯車まで影響するかどうか? クラシックも見たいから見ているだけだけどね。

 

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19年6月29日

昔の巨匠の美術展を見て歩いていると、やっぱり絵は枚数だと思ってしまう。たとえばモネは生涯に8000点の絵を描いたと言われる。私の推測では8万点は描いていると思う。残った絵が

8000点であり、描いた絵は優に10倍は超えている、はず。私も私自身の作画量を5万点と言っているが、残っている絵は5000点にも満たないだろう。ただ、私の描き方は実用新案を出した

いような方法で、すべて本気で描いている。そこが今までの画家とちがう。モネでさえも下絵をたくさん描く。イッキ描きでは下絵はない。結果として下絵になってしまうだけのこと。

描くときはすべて本気の本画、一発勝負で筆を置く。100号の裸婦を描くときだけは下絵を何枚も描く。だけどその絵を引き伸ばしているわけではない。イッキ描きでは100号等身大でさ

えもぶっつけ本番だ。ぶっつけ本番の連続なのだ。疲れると言えば疲れるけど、絵を作ろうとして出来る絵には限界がある、と思う。ドガ(1834〜1917)やボナール(1867〜1947)がこ

の画法を訊いたらあきれ返るだろう。だが、モネ(1840〜1926)やルノワール(1841〜1919)、ゴッホ(1853〜1890)、セザンヌ(1839〜1906)などはほとんどみんなイッキ描きだ。中

国宋元の水墨画もイッキ描きだと察せられる。

ところで、絵を買うということはたいへんなことである。ある程度のお金持ちでもなかなか買ってくれない。何年間も私の個展にいらっしゃっていたのに、最後まで買わずじまい、とい

う方はいっぱいおいでだ。もちろん相当のお金持ちだ。ふつう絵なんて簡単にはお買いにならない。絵の世界のことを知っている方ならなおさらなかなか買ってくれない。その当時有名

画家でも死んでしまうと消えるような画家がほとんど。名が残るなんて奇蹟に近い。

いっぽう、われわれが若いころ、ドガの画集を見て「ああ、この程度の絵を100枚描けばいいのか」と勝手な基準を持ってしまう。だいたい1冊の画集には100枚ぐらいの絵が並んでいるか

らだ。その裏に何万枚の絵があることが想像できない。若いころのものの見方はとても狭い。

そういう若いころからずっと絵を描きつづけ、もうすぐ69歳になってみると、買ってもらおうがもらうまいが、とにかく絵描きは絵を描かなければならない。69歳とか70歳を過ぎるなら、

それまでずっと描いているのなら、なおさらだ。そういう人は滅多にいないのだから希少価値はムチャクチャ高いわけだ。

 

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19年6月22日

クロッキーをしていると、「ちゃんと描こう」とか「正確に描こう」などと思ってしまう。もう何年も何十年もクロッキーを続けているのに一番肝心なことがわかっていない。頭ではわ

かっていてもいざ描き始めると忘れてしまう。

「ちゃんと描く」なんて幻想なのである。ちゃんとなんて描けないのだ。永遠に描けない。そのことを知るためにたくさん描くのだ。たくさん描いていない人はそこのところがわからな

い。幻想のなかで描いている。

わがクロッキー会は1日に23ポーズ描く。これだけ描くと意識が飛ぶ。そういうときに「この絵、ホントに俺が描いたのか?」みたいな絵が出来ることもある。そういう絵のときは「ちゃ

んと」や「正確に」もすっ飛んでいる。

目の前の魅力的な現実の裸婦はキッカケなんだよね。絵具であの肌が再現できるわけないんだよ。肌の下には筋肉があり血管がある。どくどくと血が流れ筋肉も働いている。そういうも

の全部を描ききることはできない。

写実も細密も精密も、すべて嘘なのである。

絵というのは造形なのだ。虚構なのだ。叫びなのだ。当たり前すぎて、最近では誰も言わないけど、このことを腕や筆でわかるのは至難の業。うんざりするほど描いても忘れてしまう。

描き続けていないとすぐ幻想に走る。

チョー当たり前だけど、絵って表現なんだよね。

 

中尾さんが新しく私の絵のページ「菊地理作品専用サイト」を作ってくれたので、リンクを張った。ご一見ください。

 

19年6月15日

残り1か月ちょっとで私は69歳になる。ま、だいたい一般的には人生は終わっている。私としてはこれからが正念場なんだけどね。なんて言ったって、葛飾北斎(1760〜1849)は72歳で富

嶽三十六景を出したのだし、富岡鉄斎(1837〜1924)に至っては70歳代の絵でさえもイマイチ。85歳を過ぎてから輝きだす。だからイッキ描き基準では69歳なんて超ペーペーなんだけど、

世間の基準だとオワ(終わり)だ。

で、私の人生ってどうだったのだろう?

けっこう心配なのは自分の絵画レベルだ。

現代の美術雑誌などを見るとけっこう楽観できるけどね。この人いいかも、と思える画家も少しいる。調べれば名前も出せるけど、めんどくさい。新聞にカラー図版が載るような有名人

だ。美術展には行かなかったがスペイン在住の女性画家だっけ? その人もいいかもと思っている。実物を見ないと何とも言えない。

そういう人と比べた場合、私自身の絵はどうなんだろう?

わからないけど、それはどうでもいいことのような気もする。他の人はどうでもいい。

私の人生がどうであってもいいわけだ。問題はこれからであり、今日であり、今である。

で、今日は地塗りをやった。それでいい。

69歳も70歳代も85歳も、そういうのもどうでもいい。問題は今日であり、今である。

今は腰も痛いし、なんかカッタルい。不調。それも仕方ない。この状況なんだからこの状況で暮らすしかない。致し方ない。どういう方向かが重大であり、方向は悪くないような気がす

る。

人生がどうだったか、という最初の問題もバカバカしい。どうでもいい。どうにもならないもの。「一般的」なんて意味ない。「個別的」な問題なのだ。で、生きている限り何の問題も

ない。

録画しておいた映画『マトリックス』を見たせいでおかしくなってしまったのかもしれない。あの映画を見るとみんな救世主になっちゃう、か、または、悟りを開いちゃう。

 

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19年6月8日

このごろひきこもり関係の事件が多い。けっこう凄まじいことになっている。あまりニュースやワイドショーを見ないから偉そうなことは言えないけど、道元(1200〜1253)の教えを守

れば、あんなことにはならない気もする。

道元の教えって理に適っている。道元の教えはお釈迦様の教えときっと同じだと思う。

子供の教育にしても親があまり有名進学校ノイローゼになるととても危険だ。ああいうのって児童虐待だ、と思う。そういう親は自分自身本などをあまり読まない人が多い。早い話がバ

カ。バカが親だと子はやりきれない。挙句の果てに殺人事件になる。

私は、人はやりたいことをやるべきなのだと思う。ほんとうに自分がやりたいことを探すのが子供のときのテーマだ。だからムチャクチャ遊ばないと見つからない。

第一、 勉強ってそんなに毎日何十時間もやらないと効果が上がらないものだろうか?

私が塾をやっていたころのわが塾の方針は早いところ勉強を片付けてどんどん遊ぶ、または部活をやる、というものだった。中学英単語って1000語覚えれば公立ならかなりの難関校にも

合格できる。3年間で1000語だから1年間333語、1日1語にもならない。数学の方程式とか関数、図形の証明など、難しい問題はいくらでもある。でも、そんなの出来なくても合格できるの

だ。基本的な計算問題を間違えなければかなりの点数になる。

ほとんどの親御さんは入試問題なんて分析していない。英語、数学、国語をしっかりやっておけば、理科や社会は2か月もあれば十分出来るようになる。英数国だけは早くから毎日少しず

つやったほうがいい。ま、国語と言っても読みたい本を読みまくるだけで十分なんだけどね。読書習慣のある子はもうそれだけで絶対的な優位に立っている。

わがイッキ描きも、本当に描きたいものを描く。これがテーマだ。ほんとうに描きたいもの、本当に描きたい方法。これを自問すると、けっこう苦しい。で、描きたいものを描くんだけ

ど、それってキッカケに過ぎないんだよね。キッカケ。これがすなわちセザンヌ(1839〜1906)の言うモチーフなんだよね。ここのところは永遠のテーマでしょ。外せない。宗教画のキッ

カケは信仰なんだから物凄く強い。ルネサンス絵画は素晴らしいはずだよ。宋元の水墨画なんて、信仰が行動に直結している。筆の一刷けがそのまま修行なんだから、合理的。いい絵の

はずだよ。何度見てもまた見たくなるものね。

 

19年6月1日

先週は忘れていたけどゴッホ(1853〜1890)の話だけでも1冊書ける。

だけど、小説は楽しいけど苦しい。資料を読むのはハンパない大作業。暗記するぐらい読みこまないと書けない。それだけ読んでも間違える。また、資料によって年代がまちまちだった

りする。そういう場合は検証しても切りがないから自分の小説に都合のよいほうを取る。さらに、美術史家が調べられない空白がある。「ドガのこの期間の行動は不明」などと書いてあっ

たらこっちのもの。そういう期間には自由自在にドガ氏にご活躍していただく。

資料は図書館の本だからブックイヤーや書き込みは出来ない。フセンをつけておく。返却のときは忘れないようにすべて取り外す。けっこう面倒だ。いや、自分の本でもフセンのほうが

いいかもしれない。ブックイヤーだらけになると訳がわからなくなる。

とにかく大変なのだ。やっと書き上がって、家内とかに読んでもらうと冷酷な批判。何度も書き直す。剣道の打ち込み稽古を思い出す。何回打ち込んでも許してもらえず、ヒーヒー言っ

て泣きながら打ち込んだものだ。相撲のぶつかり稽古と同じ。きっと相撲のほうがさらに厳しいと思う。そう言えば、いっぺんに何枚も描くわがイッキ描き描法も打ち込み稽古に似てい

るかも。描いても描いてもうまく行かない。ま、十枚に一枚ぐらい「この絵、本当に俺が描いたのか」と思えるようなマシな絵が出来るけどね。確率悪いよ。

とにかく、印象派展前夜の10年間の小説は書き上がった。何でもとにかく書かないと始まらない。文章だって上達しない。68歳だけど歳は関係ないと思う。私みたく若いころからたくさ

んの絵を見続けているジジイも滅多にいない。ま、一通りの美術史も頭に入っている。絵を描くという実戦経験ならムチャムチャ豊富だ。こんな小説、俺しか描けないんじゃないか、と

勝手に思い込んだ、次第。

 

19年5月25日

第1回印象派展開催までの若きモネ(1840〜1926)、ルノワール(1841〜1919)たちの青春群像。史実に基づいて書いた。

大改造が進み、人口が急増しつつあるパリの片隅で彼らは絵を描いた。フランス唯一の政府主催の公募美術団体サロン・ド・パリに挑んでゆく。

普仏戦争、パリコミューンなどを乗り越え、貧困のなか、恋をしあるいは失恋もし、彼らはどうやって自らの画業を成し遂げて行くのだろうか?

実際の印象派の絵をカラー図版でふんだんに掲載。小説というより生きた美術史案内ともなっている。

 

というような宣伝文句かなぁ? 

こういう小説が市民権を得たなら、印象派展開催の10年間の話。印象派展が終わった後の巨匠たちの晩年の話。印象派に拘らずにナビ派の話、フォーヴの話、ピカソのこと、エコール・

ド・パリのこと、いくらでも書ける。あまり時代が近くなると絵画の著作権の問題があるので画像をふんだんに使えなくなる。戻ってルネサンスとかバロックとか描くことは無限にある。

私はもともと中国水墨画のビジュアル小説が書きたかったのだから、そっちに向かえば、これまた切りがない。

しかし、実際に書くとなると、美術史を調べるのもハンパない大作業。今もヒーヒー言っている。調べ始めると自分が何も知らなかったと思い知る。ま、しかし、大筋では間違っていな

い。印象派の面々は絵が上手くて性格がよく頭も切れる。素晴らしい人材が偶然集まったのだと思う。何度も言うけど美術史の奇蹟だ。

 

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19年5月18日

5月の上旬には終わっているはずの小説がいまだに続いている。31回になってしまった。1か月以上の連載。平均すれば新聞小説レベルのペースだ。よく知らないけど、新聞小説って半年

ぐらいは続くものだと思う。そうなると1か月程度ではまだまだなのか? でも、画像が入っているので、分量的にはけっこう多い感じ。で、いま31回だけど、このペースで進むと残り

10〜15回というところか? 

ロンドンで画商のデュラン=リュエルに会う話。バジールが戦死しちゃう話。女性画家のこと。マネの立場。ドガの気持ち。ポスト・バジールでカイユボットが登場する。もうこれだけ

で6回分? 6回でおさまるだろうか? 実際に書き始めると、どんどん長くなってしまう。忘れていたが、ドービニー(1817〜78)の存在も大きい。ドービニーはサロンの審査員という

立場からどれほどモネたちを助けたかしれない。それはコロー(1796〜1875)以上かもしれない。ドービニーも是非取り上げたい。

今の小説で取り上げているのは印象派展開催寸前のモネが33歳ぐらいまでの話。モネは86歳まで生きた。この小説の後53年も生きるのだ。気が遠くなるような人生。本心、私自身のモネ

に対する評価は80歳以降が最高。最晩年の藤やバラ、もちろん睡蓮もだけど、ああいう絵って何十年の絵筆の訓練がなければ生まれないような気もする。訓練があってもダメな人がほと

んどなんだろうけどね。とにかく訓練はなければ始まらない。だから、私自身も絵筆をいつも放さないわけだ。これは最低条件。

それにしても印象派の仲間って素晴らしい。

 

ところで、テレビ番組の『プレバト』でタレントが1か月かけて1枚の油絵(F8〜F10)を描いて競い合う企画があった。私がご指名を受けたらキャンバスを50枚用意してもらい、6日に1回

ずついっぺんに5枚描く(中5日はお休み)。もちろん同じモチーフ。1か月で50枚。その中から一番いい絵を選ぶ。この方法なら相当いい絵が完成するはず。これこそまさに現在の私の画

法だけどね。

 

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19年5月11日

先週はカフェ・ゲルボワの場所を間違えたが、今週は明治維新を1864年と思い込んでいた。記憶は恐ろしい。正解は1868年。1867年のパリ万博のときにはまだギリギリ江戸時代だったの

だ。こういうのがブログだから簡単に訂正できる(=訂正済み)。

私の小説がアントワーヌ以外はすべて実在の人物であり、年代関係もちゃんと調べているということを強調したい。

で、私はなんでブグロー(1825〜1905)がいけないのかご説明申し上げたいのである。

私自身半信半疑というほどではないけど、10%ぐらいの未解消部分がある。若い頃に油絵でブグローの同寸模写を途中まで頑張り、さらにボルドー美術館で毎週ブグローを見続けた私と

してはどうしてもブグロー問題を完全解決したい。

どこに書いてあったか忘れたが、ドガはアンチ・ブグローの最先鋒だったという話。これは強い味方だ。

また、『印象派の歴史』(ジョン・リウォルド/三浦篤+坂上桂 共訳・角川書店)に描写してあるグレールの画塾の様子は私が若いころ通っていた目黒の美術研究所にそっくり。びっ

くりした。何十人も画学生がいるなかで、モネ、ルノワール、シスレー、バジールの4人は光っていたらしい。で、もう一つの画塾スイスにはピサロとセザンヌがいたのだ。モネは両方を

渡り歩いた。

また、ベルト・モリゾの心意気が素晴らしい。ちょっとマネとエヴァ・ゴンザレスへの焼きもちがあったのかもしれないけど、サロンをスパッと辞めた。潔いねぇ。女のなかの女!

 

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19年5月4日

一番不思議なのはカバネル(1823〜1889)とブグロー(1825〜1905)が美術史から消えたということだ。他にもジェローム(1824〜1904)なんかもいる。いっぱいいるのだ。いやいや、

モネやルノワールの画塾の先生のグレール(1806〜1874)の絵だって代表作《失われた幻影》を目の前にもって来られたら声も出ないほど驚嘆する。

今も美術史家はけっこう本気で掘り起こしている。いや、まったく実物を見たら掘り起こしたくなるよ。「ど、どうしてこの絵が???」と思えるぐらい魅力的なのだ。

だけど、世間の評価はモネ(1840〜1926)やルノワール(1841〜1919)には遠く及ばない。

私は自分では「モネが世界的大画家でブグローは三流」ということを知っているつもり。わかっているつもりだ。いまブログで書いている小説だってそこのところが一番のテーマ。いろ

いろな参考文献をいっぱい読みこんでいるが、私の思い込みはかなり正しい、という結論だ。

だけど、これを本当に納得する、または納得していただくのは容易じゃない。

いま私が格闘している資料は『印象派の歴史』(ジョン・リウォルド/三浦篤+坂上桂 共訳・角川書店)という分厚い本。これは読むのもたいへんだけど重いので持ち歩くもハンパな

い労力。で、読んでみると、もちろん知らないことがいっぱいなんだけど、結局は私の認識は妥当という確認に終わる。まだ全部読んでないけどね。

ドガ(1834〜1917)の位置付けはとても厄介。だけど、これも私の認識が妥当のようだ。私自身は印象派についてはドガから入ったと言える。滅多にいないドガ派なのだ。でもほとんど

同時に渋谷の西武百貨店でモネ展を見ている。1973年の春だからこれは私が22歳のころだ。いっぽう集英社の『現代世界美術全集ドガ』(高階秀爾)に感動したのは18歳か19歳のころだ

と思う。だからやっぱり原点はドガだったんだよね。

で、小説でも書いたようにドガはアンチ・ブグローの最先鋒だったのだ。ドガのここのところの資料をもっと読みたい。

 

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