唇 寒(しんかん)集53<17/9/9〜>

18年1月27日

私の父は教育熱心で、手提げの紙袋いっぱいのポルノフィルムを私に手渡し、自分はさっさと寝てしまった。私は映写機で夜中に全部見た。実際の夫婦が演じたリアル映像だったらしい。

もう50年近くむかしの話。どんな映像シーンも思い出せない。数日前にも書いたとおり、エロ通俗チャンバラ小説もごっそり貸してくれた。そっちも私は全部読んだ。でも覚えているの

は新宿での乱闘チャンバラシーン。新宿は私が住み込みで新聞配達をしたところ。細かい路地裏まで熟知している。そのせいか、新宿のシーンだけ覚えている。濡れ場はほぼ忘れた。

で、裸婦だけど、裸婦を描くときもやっぱりオッパイと股間に惑わされる。それは普通の男なら致し方ない現実。サザンオールスターの桑田佳祐の歌にはオッパイがいっぱい出てくる。

一般的にどの男性もオッパイは好きだと思う。

これを絵にするとなると、どうしたらいいのだろう? 

父はオッパイなんて描かなくてもいいんだ、と言っていた。ボロでさっと拭いておけば済む。実際に父の絵のオッパイはそういう感じ。特に乳首は一切描かいていない。私も同じように

描いている、というか描いていない。オッパイには骨がないから人体骨格には無関係。叶姉妹には申し訳ないけど、オッパイなんてどうでもいいのだ。

いっぽう、股間は絶対大切。手を抜いてはダメ、と教えられた。腰骨に守られる股間には骨もある。両脚の大腿骨とも密接に関係している。「大事なところは絵でも大事なところ」と言っ

ていたような気がする。何度も言うが、肩、腰、背骨は絶対だ。顔や手はさらに大切。顎(あご)から首の関係に手を抜いてはいけない。などなどけっこういろいろ教えてもらっている。

それを実際のロダンの彫刻などで確認する。ドガの裸婦もどこで手を抜きどこを描き込むかよくわかる。もちろん、ルーベンスやレンブラントの裸婦は一級の参考資料だ。父は臍(へそ)

が大事とも言っていた。レンブラントの裸婦の臍はとてもでかい。もちろん仏像の人体骨格の意識も素晴らしい。それは水墨画の道釈人物画だってきっちり描けている。『伴大納言絵巻』

などの武者も当然ちゃんとしている。とにかく古典は素晴らしいのだ。洋の東西は関係ない。

 

18年1月20日

三浦しをんの小説『まほろ駅前』シリーズは三部作。町田駅前をモデルにしている。駅はもちろん、市民病院とか版画美術館なども登場し、40年来の町田市民の私としては手に取るよう

に舞台が見える。第1作『多田便利軒』と第3作『狂騒曲』が映画化され、第2作『番外地』は連続テレビドラマになった。町田でロケもたくさんやったらしい。

でも小説の美術館は実際の美術館とは少しちがう。美術館の駐車場にはトイレはない。小説では大型バスで乗り付けてトイレ休憩をする。もっとも、実際の美術館の駐車場にトイレはな

いけど館内のトイレが自由に使える。

主人公は多田と相方の行天(ぎょうてん)。映画やテレビでは瑛太と松田龍平が演じた。ぴったりだったと思う。第3作『狂騒曲』は単行本で読んだ。中の挿絵はイマイチ。お上手だけど

イメージが狂う。映画やドラマのほうが小説の雰囲気をよく伝えていた。特に松田龍平は行天そのものだった。原作者の三浦も松田を気に入っているのだと思う。その後の三浦しをん原

作の映画『舟を編む』でも主人公を松田が好演した。原作は読んでいない。

行天は不幸な生い立ち。母親が異常な育て方をした。行天はほとんどホームレスになってしまったが、高校の同級生の多田が一人でやっていた便利屋に転がり込む。多田と行天は親しかっ

たわけではないが、多田には行天にちょっとした負い目があった。

二人とも35〜6歳。ちょうど私の子ぐらいの世代だ。

上記、美術館の駐車場で行天は小6の男の子に人生観を語る。この男の子も母親に困っていた。母親は無農薬野菜を作り、子供にも農作業をやらせる宗教団体みたいな集団にはまってしまっ

ている。この集団のモデルは実際にもある。たぶん今もある。名前はまったく変えてあるけど、町田市民の私にはすぐわかっちゃう。ナイショ、ナイショ。

美術館の駐車場で行天は語る(p366)。

「大事なのはさ、正気でいるってことだ。おかしいと思ったら引きずられず、期待しすぎず、常に自分の正気を疑うってことだ」

「正しいと感じることをする。でも、正しいと感じる自分が本当に正しいのか疑う」

このあたりが『まほろ』三部作のメインテーマなのかもしれない。

本当に自分の描きたいものを描くべきだというわがイッキ描きの理念と一致するかも。

とにかく、主人公の二人には金が全然ない。いつも貧しい。貧しいけどけっこう頑張っている。こういう設定ってたまらなく同意できるんだよね。テレビドラマの『三匹が斬る』の役所

広司もいつも金がなくて腹が減っていた。ああいうのがいい。金に困らない『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』より同意できる。そう言えば、行天は筋トレに励む人なのだ。そこも同意で

きる。もちろん私の筋トレはジジイ筋トレだから行天みたく凄まじくないけどね。

 

18年1月13日

松の内も鏡開きも終わった。東側の窓ガラスを洗わなかったけど、このパソコン画面はしっかり掃除した(=とても見易い)。

ブロックスのスタンドリンシードオイルがなくなる。とてもヤバい。大量に買ったのは何年前だったか? 今は地塗りだけは日本製にしている。日本製のほうが高価だ。2倍ぐらいする。

だが、ベルギーのブロックスのほうがいいような気がする。チタニウムホワイトは200tだからとても太いけどブロックスは最後の1本になってしまった。これはかなり上等な絵具、のよ

うな気がする。なんかしっかりしている。値段も高い。

早く金を稼いでヨーロッパに画材を買い付けに行かなければならない。ついでにナポリとギリシアに寄りたい。

言うことはデカいけど、いま財布のなかには1千円しかない。フランスパンが5本買えない状況。とても危うい。

パリの風景を20〜30枚描いてくれば採算は取れるか? 5年前パリに泊まったときは水彩で2枚ぐらい描いただけ。描きはじめたら雨になってしまった。そのときは1泊だったけど、ルーブ

ルも行ったし、パリの画廊も見たし、オルセーでは飛行機に乗り遅れるぐらい長居した。1週間いれば30枚は描ける。パリには描きたい場所がいっぱいある。

でも、そうやって考えてみると、東京はどうなんだろう? 大空襲でほとんどなくなっている。長谷川利行(1891〜1940)は東京をいっぱい描いた。あの東京は戦前だった。でも隅田川

とか荒川は変わらないかも。利行みたく東京にワクワクしないものね。無理だよ。

いやいや、風景は空気の層とか盤石の大地を描くものだからこの近所でも十分、というかこの近所が描きたいね。この近所と言っても三浦半島ぐらいまで含めたい。散歩コースに2か所ほ

どスケッチポイントがある。絵画教室は無理だが、私一人なら足場もある。

空気の層と言えば、静物だって同じ理屈だ。暮れにリンゴをいっぱいもらったから、描こう描こうと思っているうちにどんどん食べてしまった。

 

18年1月6日

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

きっと私は今年金持ちになる。いやいや金持ちと言っても大したことはない。家賃や画材費、風景取材費、モデル代に追い回されることがなくなる程度。それだけでも嬉しい。もちろん、

この1月初めはまだ追い回されている。春になるころには追い回されることはなくなる、予定。とは言っても、泥棒をしたり詐欺をするわけではない。普通に働くだけ。だから仕事に追い

回されるけど、それは致し方ない。それぐらいの覚悟はできている。

それで自分の絵がどうなるのかちょっと心配だけど、ジタバタしても致し方ない。今の金に追い回される暮らしは頂けない。この暮らしがあるから多少は絵もましだというなら、絵なん

てどうでもいい。キャンバスが買えないような暮らしは困る。いいも悪いもキャンバスが買えなくては油絵が描けないではないか!

ま、ヴュイヤール(1868〜1940)は厚紙に油絵を描いてあの発色を獲得している。いざとなれば厚紙にでも描ける。段ボールだったら近所のスーパーの裏手でいくらでももらえる。

暮らしのレベルが絵を左右するはずもない。確かに長谷川利行(1891〜1940)はホームレスだったからあの絵が描けたのかもしれない。しかしいっぽう、富岡鉄斎(1837〜1924)にはちゃ

んと家もあり、家族もいたけど、立派な大作を大量に描き残した。

画家の暮らしが絵を変える、という思想は否定しないけど、だから進んで泥沼に入るとか、不遇を受け入れるなんてバカな考えはまったくない。それは不健康だと思う。健全な思考では

ない。

 

17年12月30日

『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)の第三章「生命の表現━芸術━」には、西田(1870〜1945)の芸術観が述べてある。取り上げている具体的な作品はイタリア

の画家ジョット(1267〜1337)や短歌の島木赤彦(1876〜1926)、クレー(1879〜1940)などだ。画家を多く取り上げている。

制作活動にとても好意的な発言をしてくれる。

「行為そのものに没入した境地において究極の芸術が成立する(p65)」とか「芸術は(が)『一種の解脱』として、宗教と同一の性格を有する(p65)」とか。わがイッキ描きに非常に

近い主張。

さらに「『生命の躍動』を直接に、そして具体的な形で表現する点に、芸術の独自の価値が見られていた」と藤田は捉えている。「躍動」が出ちまったら私の勝ちっしょ。

まだ全部読み終わっていないけど、西田は宗教への言及も多いし、禅への関心は大きいらしい。牧谿の絵とかは見ていたのだろうか? 牧谿はともかく雪舟なら知らないはずもない。

どのみち、この本買いかもしれない。明日町田のブックオフまで歩いて行って100円で売っていないか探してみよう。当分西田哲学から教えを乞えるか。でも、西田は絶筆で「私の論理と

云うのは学界からは理解せられない、否未だ一顧も与えられないと云ってよい」と書いているけど、文化勲章をもらっているんだよね。どういうこと? 西田が文化勲章ならイッキ描き

も西田哲学実践版として同じ文化勲章だべ。くれっこないけど、くれるならもらう。たしか年間200〜300万円の年金も付くはず。それはあまりにも大きい魅力。

ハイ、今年もバカでした。

 

17年12月23日

中村彝(つね・1887〜1924)は結核だったこともあり健康人のように身体が動かせないため、絵を始めたとの話だが、その絵に対する姿勢はたいへん本格的だ。真剣さは明治期の誰にも

負けない感じ。それが俊子と出会ってさらに傑作を生むことになった。名作が出来上がる奇蹟の物語があった。

 

『鑑賞ガイド』では筆のタッチをテーマに書いた(彝のことは書いてない)が、21日のブログでは絵具の発色が一番大事みたいに書いてある。ま、自分で書いたんだけどね。

タッチは熱意か。発色は結果か。

で、少し前のブログに「しょせん発色レベル」というようなことを書いた気がする。どこに書いたか、9月ごろまで遡って探したが出てこなかった。発色レベルでいいではないか、と思っ

てしまう。きっと絵の厚み、ヴァルールみたいなことが最終目標だと言いたかったのだと思う。

府中市美術館の『明治・大正・昭和の洋画 描き出された100年の夢』展みたく小品がずらずら並ぶと発色がいい絵は一目でわかる。とりあえずは発色だと思う。それは色が形に添ってきっ

ちりくっ付いていることにほかならない。

それはデッサン力なんだろうけど、彝の絵を見ているとほんと一瞬の感動を焼き付けているように見える。それは大作『海辺の村(白壁の家)』があったから小品も描けたわけか。検証

できないけど、私は「大作を描いていれば小品もよくなる」をかたく信じている。だって筆の度胸が付くもの。ビビり筆触の絵はとても多い。たくさん描いて大作も描けばビビりなんて

すっ飛ぶ、と思う。ずっとそう信じてきたし、これからもその方針は変わらない。才能なんかじゃない。分量と大きさで勝負するのだ。

ま、中村彝は短い生涯を予知して濃密な時間を過ごしたのだと思う。意欲と真剣さがずば抜けて素晴らしい。

 

17年12月16日

13日のクロッキー会のときにいろいろなことを考えた。

同じ日のブログにも少し書いたけど、絵ってパフォーマンスだなとつくづく思った。

絵を描くというのは行動なのだ。当たり前すぎる。

私が言いたいのは、絵は構築してゆくものじゃないということ。なにか巨大な構想があって、それに向かって一つずつ築いて行くというようなものじゃない。だから小説なんかとは根本

的にちがう。もっと即興的だ。いやいや構築してゆく絵画もある。それはそれでいいと思う。

私の思う作画はなんか格闘技みたいな感じもある。ほとんど負け試合だけどね。

モデルの肌とか、綺麗だなぁ〜と感嘆して描いている。

そう思ったら、13日の夕方のつくし野の丘は凄いことになっていた。夕日が当たって輝いていた。何だ、あれ? まったくこの世のものとも思えない。「秋の夕日に照山もみじ」って童

謡があるけど、まさにその光景、なのか。「秋の夕日に照山もみじ」って子供のころから歌ってきたけど、こんなに劇的なものか。いやいや裸婦も美しいけど、風景も凄まじいね。

裸婦をいっぱい描いてきたばかりだったので、とても作画意欲はわかなかったけど、いつかものにしたい景色だ。長谷川利行(1891〜1940)の火事の絵とか、ターナー(1775〜1851)の

夕焼けの絵とか、バルビゾン派の森の絵なんかを思い出す。明治期に日本人に絵を教えてくれたイタリア人のフォンタネージの牛の絵も思い出す。

でも、実際のつくし野夕景はベツモノだ。自分の筆で描いてなんとか絵にしたい。

繰り返すけど、絵って行動なんだよね。行いなんだよ。そこがとてもいい、と思う。

私は行動がすべてだと思っている。理屈じゃないということ。理屈では救われない。何も生み出さない。理屈はクソである。

人それぞれ事情が違うもの。万人に通用する理屈なんかないよ。無理だよ。よく歩いてゆっくり呼吸すること。これが行為の根本だ。絵を描くことも悪くない、と思う。出来た作品に汲

々とするのはいただけない。たくさん描けばよくなるに決まっている。自動的にましな絵が出来る。気に病むことはない。ガンガン描けばいいのだ。

ま、とは言っても若いころは西洋哲学とか東洋思想に一度はのめり込む。いいんじゃないの。人生は長いもの。私だって道元やパスカルからいっぱい学んだ。いやいや今後も読むと思う、

たぶん。

 

17年12月9日

自分の作品集の完成はとても遠い。当てにしていた入金もない。12月完成はとても無理。カラリオ版だけでも作ろうと、やっているけどけっこう面倒だ。とにかく古い絵が収録してあっ

たHDが壊れてしまったから、古い原画を探し出して写真に撮るところから始めなければならない。ある程度ちゃんとしたものを作るのはたいへんだ。制作意識を保持し続けなければなら

ない。妥協したらずるずるだらしないものになってしまう。特に私みたいなグータラ人間はどんどん安易な方向に引きずり込まれる。

とにかく印象派の絵画革命以来の世界規模の印刷絵画革命を目指しているのだから、その第一歩ともなるべき作品集がいい加減ではまずい。ま、中味は致し方ない。どうしようもない。

それは先週述べた。

作品集の中味がいいかどうかとか、その作品集が売れるかどうかなどは私の知るところではない。私は自分の絵をサンプルにして新しい作品発表の方法を提示しているだけだ。

サブカルチャーではなく既存絵画(今まであったような絵)の生きる道を何とかして残したい。もちろんダメ元。でもやってみなければわからない。そんなにお金がかかる大事業ではな

い。いやいや世界規模の絵画革命なんだから大事業なんだけど、行くつくところまで行けばそういう可能性もあるという夢のような話。そういう夢をはらんだ作業ではある、ということ

だ。

本当に既存絵画の命脈は断たれようとしている。風前の灯。とってもヤバい。私自身、古典絵画があれば新しい油彩画は要らないとさえ思っている。

だけど描きたいんだよね。

そりゃそうだよ。人が絵を描きたい気持ちは走りたいとか踊りたいとか歌いたいとか、そういう身体的な本能だもの。なくなる道理がない。

でも、今のような画壇のあり方、絵画市場の現状などを冷静に見つめるととっても危ない。若い人が魅力を感じないもの。印象派も明治期の日本の洋画壇もみんな若かった。若いエネル

ギーが必死になって頑張った。そういう土俵があった。だから私は、描く本能が思いっきり花開けるような新しい土俵を提案したいのだ。先がないから、とりあえず死ぬまでの大事業だ

ね。

 

17年12月2日

『鑑賞ガイド』が体をなして1週間になる。身近な人に見てもらったが反応はイマイチ。自分が思っているほど立派なもんじゃない。だけど、自分としては気に入った古典絵画ばかり収録

してあるのだから実に楽しい冊子だ。持ち歩くには最高。今回は西洋絵画編だけど、中国水墨画編とかギリシア彫刻や仏像などの彫刻編、日本絵画編なども作りたい。近代日本絵画編も

悪くない。先週も同じようなことを言った。ボケ始めているかも。

ボケる前に作っておきたいけど、その前に自分の作品集を完成させなければ。

とうとう期限の12月になってしまった。

なんとしても完成させる。

新しい絵画ワールドを作るのだ。というかその先鞭になれれば十分満足。でも「こういう奴がいたんだ」レベルに終わるかも。それはどうでもいい。とにかく1冊作り上げなければ始まら

ない。実行の人になりたいけど、グータラなうえに資金がないからどうしても燃え上がらない。プリントアウトで1冊作ることはできるんだよね。

ちゃんと印刷できる程度のものをしっかり作り上げておきたい。資金はどこかから入るかもしれないのだ。

実を言うと、こういう作品集って厳しいものがある。こうやってまとめてみると、「俺の絵ってこの程度か」「こういう絵ね」みたいな限界みたいなものを見せつけられる。

いやいやどんな立派な画家にだって文句を言えば言えないことはない。誰にだって欠点や弱点はある。そんなことあげつらっていたら何も始まらない。ガンガン行くしかない。考えてみ

れば恥ずかしい話だけど、完成させて世間にさらすしかない。世間の現代絵画はもっと遥かに酷いもの。私は自分の絵を古典絵画と比べて情けないと思っているだけだ。それは致し方な

いよ。苦しい生活だけど、昔の人の苦しみや不安に比べたら屁でもない。

B29の空襲警報と北朝鮮のミサイル発射じゃあ、比べるのもバカバカしいほど恐怖感はない。もちろん私は空襲警報は未体験だけどね。その恐ろしさは頭では理解できなくもない。

「こういう時代のこういう絵です」と申し上げるしかない。ゴメン。

 

17年11月25日

『鑑賞ガイド』は完成した。読みなおすと校正するところは次々に出てくる。まったく人間て間違いだらけだよね(「間違いだらけはお前だけだ」と言われそう)。だけど、間違えるよ。

もちろん間違えないようにしている。間違えると2倍3倍の手間がかかる。それはわかっているがついつい「こんなもんだろう」と進めてしまう。あんまり心配していたらものごと進まな

いもの。

そう言えば、絵だって同じ。完璧には描けないよ。ブグロー(1825〜1905)の絵は完全絵画だけど、あんな絵面白くもなんともない。完全に描こうと思ったら筆が動かない。でも筆は定

期的に動かしていないとますます動かなくなる。下手でもムチャクチャでもどんどん描かないともっと下手になる。

というわけで、とにかく『鑑賞ガイド』を8冊作った。でっち上げた。とは言っても苦労した。私自身はとても満足。書きたいことはまだまだ山ほどある。どっかの出版社で取り扱ってく

れたら、今の5倍でも書く。題名にも苦労したけど正式名は『西洋絵画鑑賞ガイド』となった。上の副題が『ずっと見ていたい何度も味わいたい』、下の副題は『〜筆の喜びとは?〜』。

だけど、この回の7冊の副題は旧版「ずっと見ていたい何度も見たい」「筆のタッチで味わう世界の名画」になってしまった。

いつも「筆の喜び」がテーマになっちゃう。数年前の『翼の王国』も筆の喜びを述べていた。同じ人間が書いているんだから致し方ない。

とにかく、父親から教えてもらい、自分の目と手でずっと確認してきた絵の世界を広くお伝えすべく冊子を完成させたことはでかい。父が死ぬ時に「あとを頼むぞ」と言ったけど、その

意味はよくわからない。まさか父の新しい家族の面倒を見ろという意味ではないと思う。父の新家族は盤石の経済体制だった。きっと絵の心意気を絶やすなという意味に取った。それで

ヒーヒー言って絵も描きながら、なんとか冊子も作った。晩年父が嫌った西洋絵画だけどね。中国水墨画シリーズも作る予定。67歳だけどたぶんまだエネルギーはある。出来ると思う。

ギリシア彫刻のことや日本美術についても書きたい。

 

17年11月18日

『鑑賞入門』で昔の画家の絵をたくさん見ていると、もちろん印刷物で見ているのだけれど、ほんとうによく描いているなぁ〜、と感嘆する。ルーベンス(1577〜1640)とレンブラント

(1606〜1669)なんてほぼ同時代(70年差。だいたい2世代違い)なのに、絵は全然ちがう。いや私から見れば似たようなものだけど、毎日比べて見ていると「こんなにも違うものか」と

感じる。物の見方や表現が違うのだ。ルーベンスが滑らかで流麗なのに、レンブラントはカクカクしている感じ。それにずっと新しい。新感覚って感じ。大昔なのに新感覚だ。二人の絵

ばかり見ていると17世紀にタイムスリップしている気分になる。

そういうでっかい西洋美術史の主流はイタリアからフランドルに行ったりスペインやフランスに流れたりする。時代も場所も変わる。絵画史はフランスのアカデミズムに流れ込んだと思っ

ていたら、とんでもない間違いだったわけだ。フランスアカデミズムの本流画家はすべて消えてなくなった。現代なら人間国宝、文化勲章レベルの大巨匠としてフランス画壇に君臨して

いたのに、である。

フランスアカデミズムの画家として残ったのはアングル(1780〜1867)だけ。アングルはサロンで悪評ばかり喰らって、フランス画壇が面白くないからかほとんどイタリアに暮らした。

晩年はフランスにいたが、フランスアカデミズムを支配していたのは子や孫の世代のブグロー(1825〜1905)やカバネル(1823〜1889)だった。

頭を真っ白にして見直してもブグローの絵は巧い。巧いが印象派の大胆でのびのびと躍動する画面を見ると魅力半減だ。絵って巧さじゃないね。勢いかな? やっぱり印象派は見ていて

気持ちいい。胸がスーッとする。

もちろん印象派以降も美術史は続いているけど、印象派は巨大な頂点だと思う。超巨大。

素晴らしい!

 

17年11月11日

切羽詰まってギリギリでジリ貧。それなのに絵だけはよく描く。キャンバスも少ないし、絵具もヤバい。それなのに買えない。大丈夫かぁ〜〜。

で、絵も描いて、『鑑賞入門』みたいなのも作っている。これしか能がないから致し方ない。現世の絵にも美術書にも不満だらけ。だから自分で描いて自分で美術書も作る。世に認めら

れようが無視されようが知ったこっちゃない。どうでもいい。どうせ先はない。

家族には申し訳ないけど、家族と言ってももう連れ合いしかいない。二人だけ。一蓮托生だ。

小説を読んでいると、頭がいいかどうかという話が出てくる。頭がいいってどういう人間だろう? 学歴を基準にするのはとても怪しい。クイズ番組を見ていると東大出でも中高生レベ

ルの常識問題が出来ない。特に美術の問題のレベルの低さには驚嘆する。セザンヌとゴッホの区別もできないのだ。絵に対する世間の興味ってそんなところなのかも。とても参考になる。

人は死ぬまでしか生きない。頭のいい人間はやりたいことをやった人間なんだと思う。思い切り本格的に最高レベルでやりたいことをやるべきだと思う。そういう意味でもゴッホは凄い。

いやいやブログにも書いたけど銭は要るよね。要るけど金ばかり集めて大金持ちになったときにはあの世逝きじゃあ、なんのための人生かわからなくなる。でも、自分の子供や孫が私み

たいなビンボー爺になったらとても困る。気の毒だ。絶対に真似して欲しくない。

 

17年11月4日

いったい私は何を伝えたいのだろう?

『美術鑑賞入門』の話だ。一番言いたいことはなんなのだろうか?

絵が好きな中高生に向けた健全な入門書にしたい。だけど、あまりにも簡単な話はしたくない。つまらない。

やっぱり造形の話がしたい。絵の見方だ。厚みとかヴァルール、線描の妙。技術的にはそういうことだけど、芸術作品が生まれる時代背景もとても大切だ。芸術家個人の生い立ちとか生

活環境、他の画家からの影響関係も忘れてはならない。

でも楽しいことが基本だ。

『スターウォーズ』のヨーダとか『ロッキー』の鶏を追わせるコーチとか、ああいう実質的でなんか興味をそそる師匠のような入門書にしたい。

それには私の実力が並はずれていなければならない。

この点があまりにも頼りない。情けない。申し訳ない。

でも、私が望むような絵の入門書は世にないんだよね。わたし自身が作るしか方法がない。私も67歳だからあまり先もない。自分自身修行中の未熟なヘボ絵描きだもんね。困るよ。

この世のどこかにいるお利口で絵が好きで素直でちゃんと頑張りたいと思っている少年少女にまともな入門書を残したい。

美術史上にはお手本となる素晴らしい絵が山ほどある。そういう絵をしっかりご紹介したい。造形的な紹介だ。

 

17年10月28日

10月23日のブログで東京国立博物館の絵や彫刻や陶芸を見て「長い年月にわたる人の業だ。温かみと言うか、厳しさと言うか、それぞれの時代の工人の息遣いを超えて心臓の鼓動まで伝

わってくる感じ? なんかとても嬉しいんだよね」と書いた。

これが大事なんだよ。現代でも音楽では本当にギターやトランペットから人の吐息が伝わる。温かい血のかよった人間の表現だ。厳しい修業に耐えて鍛えられた人の鼓動だ。それは美術

にもある。当たり前。音楽とはちがって瞬間的に伝わる。一目瞭然だ。

サブカルチャーやCGなどにもないこともないけど、なんか乏しいんだよね。見事なブグローの裸婦よりモランディの小品に惹かれるのもそういうことかも。

われわれもそこん所を狙いたいけど、なかなか人間が未熟でむずかしい。やっぱり修業より修行かな? まだまだ修行が足りない。生まれつきの性格が悪いし心がセコイからどうにもな

らない。でも方向性としてはそっちを向いていたい。

10月25日には、八王子夢美術館に『昭和の洋画を切り拓いた若き情熱』展(11月5日まで)を見に行った。西洋に憧れ、フランスに渡った戦前の若い洋画家たちの筆の叫びだ。それも悪く

はない。だけど、もう一つ物足りない。なんか勘違いしているところがある。しょせん物まね? 二番煎じ? 大きなエネルギーは感じるけどもう一つ食い足りない。

 

17年10月21日

いつも追い詰められているけど、今も作品集と『鑑賞ガイド』に追われている。追われていても絵を描くことを休むわけにはいかない。絵は腕や手首の動きだからその感覚を忘れたらパー。

となると地塗り済みキャンバスも用意しておかなければならないし、キャンバス張りも欠かせない、というかその前にロールキャンバスを購入しなければならない。画材とモデル代、風

景の取材費にも追われている。

『鑑賞ガイド』は『美術鑑賞入門』に題名を替えようかとも考えている。ここに来てまだ題名が決まらない。苦しいねぇ〜〜。

この『鑑賞ガイド』だか『美術鑑賞入門』だかにはやっぱりブグロー(1825〜1905)を取り上げたい。そこで、昨日もいろいろなブグローの画像を確認してみたけど、やっぱり巧いね。

でもなんか嫌だね。なにが気に入らないんだろうか? やたら若い美女ばかり描いているところか? 足がでかすぎるとか、絵にケチをつければ切りがない。隅から隅まで描いてある。

塗残しなんてもってのほか。

絵画としての質も素晴らしい。質感、量感、絵の厚み、色彩も抑えた見事なもの。画面の大きさも十分。ほとんどが等身大の裸婦だ。凄いね。

でもなんか品がないんだよね。ネット上には上品な絵との評価もあるけど、私には気品が感じられない。私みたいな貧乏人に気品なんて言われたくないだろうけど、どうも絵が貧乏くさ

い。筆一本でフレンチドリームを掴み取った画家なんだから、そのガムシャラな精進と成果には目を見張る。非の打ちどころがない。

そのブグローの本物に初めて出会ったときの衝撃は『鑑賞ガイド』だか『美術鑑賞入門』だかに詳しく述べたい。

 

17年10月14日

いま印刷業者のホームページを見たら、11月1日までセール中らしい。10月中に作品集だけでも印刷したい。

昨日は『鑑賞ガイド』の「はじめに」を書いていた。「絵は競争じゃない」という趣旨を述べたいが、なかなかそこまでたどり着かない。仏教の悟りも競争ではない。極端な話、人類全

員が悟りを開いても何の不都合もない、というか、きっとおそらく理想的な世界が生まれることだろう。油絵だと、誰が描いてもゴッホのような絵が出来上がるとなると、絵で生活でき

なくなる。ま、今もできてないけどね。別な堅気の商売をするしかない。そこらのアマチュアの美術展がすべてゴッホクラスの油絵で埋まっていたら、どれほど楽しいだろうか。ありえ

ない。

ゴッホの絵はゴッホの状況、時代と環境が生み出した奇蹟だ。あれだけの高度な美意識も偶然。オランダの片田舎から印象派が花咲くパリに出て来た。ロートレックもいて友達になって

いる。その側面だけ見るととても羨ましいけど、あんな戦争だらけのヨーロッパに暮らしたくはない。ああいう状況が素晴らしい画家を次々と生み出したのか。

いや絵は単なる技術と頭脳の集積なのか。そう言えばコンピュータがレンブラントの新作を描いた。22歳で工房の親方(=社長)になり、49歳で破産。裁判沙汰もあった。最初の奥さん

にもさきだたたれ、次々と子供たちも失った。そういう不幸な人間が描いた絵を画面の上っ面だけ観察して「新作」が出来るのだろうか? 絵画芸術そのものを否定している。人間を否

定している。

いやいや、私も精神論をぶち上げたくはない。でも、コンピュータが描いたレンブラント風の油彩画は願い下げだ。一番肝心なものが抜け落ちている。

 

17年10月10日

豊橋展に行っていたので、10月7日分として更新します。

 

『いちまいの絵━生きているうちに見るべき名画』(原田マハ・集英社新書)を読み終わった。原田が世界の美術館での名画との出会いをけっこうな新鮮な文章で綴っている。買うほど

じゃないけど一読して損はない。名画に恋い焦がれる乙女になっている。アイドルを追うおばさん感覚か。新感覚の美術紹介だなと感じた。

いやいや、私も描く人間の立場で美術紹介をしたい。それはほとんどが父から授かったものかもしれないけど、それもまた新鮮だと思う。父親が息子に本音で語った絵画論だ。こういう

のって滅多にないような気がする。いやあるわけがない。私と父だけの時代、状況、関係だ。それは唯一無二だろう。それはどの父子も唯一無二だけど、われわれの場合は絵画という一

般共通項が横たわる。これを広くお伝えしたい。

もちろん、文責は私自身にある。言ってみれば私の独断と偏見だ。ヨーロッパを見歩いたのも父と一緒だったわけではない。絵も長く描いているけど私の画法は父とはかなり違う。

というわけで、豊橋個展の暇な時間にいろいろ構想を練った。資金の問題もあるけど、年内に作品集とともに2冊いっぺんに上梓したい。

無理かぁ〜〜。

見たい絵は何度も繰り返し見たい。そりゃ本物が見たいけど画集でもないより100倍ましだ。今はとてもいい世の中になっている。好き勝手に見られるし、精密コピーして100均ファイル

に入れておけば自分だけの画集も作れちゃう。この考えを延長したのが私の美術紹介本『鑑賞ガイド』だ。新書版や文庫とは一味違う鑑賞にも耐えうるA4版の造形重視の案内書だ。図象

学やテーマの解説はその道の専門家にお任せしたい。

 

17年9月30日

ホームページの修理はとりあえずなんとか見られるものにした。

 

いよいよ明日豊橋に出発する。毎年よくやるね。われながら驚くよ。

驚くというのはよく絵を描き続けているということだ。凄いね。年間600枚の油絵、その他水墨裸婦、年賀状、デッサンなど合計1000枚と公言しているけど、これが700枚とか800枚でもぶっ

たまげる。年間1000枚とすれば10年で1万枚だ。私が絵描きになろうと思ったのは17歳だから50年間やっている。いまの作画スピードに開眼したのは27歳としても4万枚は描いている計算。

少なく見積もっても3万枚。

それより、67歳で続けているのに驚く。本当のバカだ。

で、67歳になっちゃっているのに、作画枚数の目標が10万枚。これは無理でしょ。100歳まで生きても5万がいいところだ。最近でもたくさん描いているけど枚数に拘らなくなっている。

量より質か? いやいや絶対量が運筆を決める。ヴァルールをキャンバスの下の方から滲み出させる。理屈や巧拙ではないと、かたく思い込んでいる。これは父の教えでもあるけど、父

は自分がかなり巧いと思っていた節がある。私は心底自分が巧みな画工だとは考えていない。巧みさなんてチャッチいと思っている。絵画理論もくだらない。描かなきゃ始まらないのだ。

負け惜しみもあるけど、画業50年の本音だ。

90歳前後まで描きまくり作りまくったミケランジェロ(1475〜1564)、ティツィアーノ(1488/90〜1576)、モネ(1840〜1926)、富岡鉄斎(1837〜1924)などが私の尊敬、崇拝、信仰の

対象である。とにかく作品という証拠が残っているもの。素晴らしいよ。嬉しいよ。ありがたいよ。

美術論、コンテンポラリー、アート。すべてくだらねぇ!

10月7日付の『唇寒』はお休みします。11日ごろアップする予定。ブログも10月2日から10日ごろまでお休みです。

 

17年9月23日

依然として、ホームページの修理は進んでいない。申し訳ありません。

 

わが家の酔芙蓉は3mにも及ぼうかという大木になった。広がった枝に大きな葉っぱが見事な緑を見せている。枝や葉っぱの合間に見える隙間も美しい。大輪の白い花をつける。前日の花

は濃いピンクになってあちこちに色を添える。明日咲く蕾も若々しい力に満ちている。

全体から妖気が漂っている。まったく素晴らしい世界を作り出している。酔芙蓉ワールドが出来上がっている。

これを描こうという。

いや実際大昔から東洋の多くの傑作が生みだされてきた。東京国立博物館の宋画は目を見張る名品。誰が見たって息を飲む。

いやいや実際の酔芙蓉はもっと淡いんだよね。ふわっとしている。あれが描けねぇかなぁ〜。あの淡くてふわっとした感じ。まるで1〜2か月の盛りだけと知っているかのような悲しい弱

さがある。むろん雑草のように逞しいのだけれど、同時に短い命を惜しむようなはかなさがある。

描けないんだよねぇ〜〜。

もう何年描いてきたことか。

第一その前に葉っぱが描けない。あの手のような形が取れない。ま、気にしないけどね。

東京国立博物館のお手本を見て幾多の日本人画家も挑戦してきた。『おんな城主・直虎』の舞台となっている浜松の三ケ日の奥のお寺にも力作があった。何気なく玄関に置いてあった屏

風に苦心の酔芙蓉。「ああ、頑張っていたんだな」ととても同意しちゃう。

いやいや、ああやって咲けば描きたくなるもの。いいの、いいの。絵の出来なんて問題じゃない。咲いたら描く、それだけのこと。ほんと綺麗だもんね。

 

先週は新画法の絵を疑ったけど、悠遊展に絵を出すので部屋に並べて実際に見直してみるとそんなに悪くもない。ダイジョブ、ダイジョブ。

必死で描いているものね。いやいや張ったキャンバスに地塗りして何日も乾かして作った下地だ。結果は失敗ばかりでも、描くときはいつも世紀の傑作を目指すのは当たり前。

もともと新画法はバラの葉っぱを描くのに好都合だった。この夏にはわが酔芙蓉で活かそうと待っているが、わが家の酔芙蓉は蕾があるのにちっとも咲かない。情けない。

立木の花の絵は枝と葉っぱが命だと思う。ま、枝はまっすぐな直線を描けばよい。もちろん牡丹なんかだとグニャグニャ曲がっているけどね。だいたいの茎はまっすぐだ。難しいのは葉っ

ぱ。バラの葉っぱは丸いからまだ楽だけど、芙蓉の葉っぱは赤ちゃんの手みたいでホント難しい。毎年泣きが入っている。今年は新画法があるからと期待しているが、肝心の花が咲かな

い。もちろん茎も葉っぱも描こうと思えば描ける。だけどやっぱ花がなければ始まらないのだ。大切なのは茎と葉っぱだけど、最後に描きたいのは花。

そこのところの矛盾はなかなか言葉では説明しきれない。

そう言えば、茄子は2本植えたけど、1本は枯れてしまった。もう1本は元気だが、ついつい食べてしまい、もうおしまいかと思っていたら、またたくさん花が咲き実も付けている。おそら

くこれは描ける。新画法で近日中に描いてみる。自家製茄子も描き始めて3年ぐらいになる。その絵を買ってもらったことはない。なかなかものにならない。まったく絵ってのんびりした

作業だね。

 

17年9月16日

ホームページの修理は進んでいない。申し訳ありません。

 

9月1日(金)に三菱1号館の『レオナルド×ミケランジェロ』展に行って二度目の鑑賞が出来た。1回見ているから見たいデッサンや彫刻を再確認しただけ。いいものは何度見ても楽しい。

最後の部屋の3mぐらいのミケランジェロのキリスト像の顔も確認してきた。やっぱり大きな傷がある。もともとの大理石の傷だろう。

最初の部屋の紹介文に巨匠のデッサンをたたえて「みずみずしい形、活き活きとした線」と書いてあった。これは8月5日の「唇寒」でも述べた巨大作品に向かう巨匠の最初の一歩。どう

いう作品にするのかと芸術家が想を練る、その最初の瞬間だ。情熱と意欲の塊と言ってもいい。

この清新な作画意欲をそのままタブローにぶつけようと企んだのがわがイッキ描き。

しかし、これは別に新しい画法ではない。古くはドーミエ(1807〜1879)がやっているし、モネ(1840〜1926)、ゴッホ(1853〜1890)、ロートレック(1864〜1901)など多くの画家が

実践してきている。さらに古い中国宋元(1200〜1300年ぐらい)の水墨画の傑作はほとんどイッキ描きだ。

上記の話は何度も繰り返している。

古典絵画のどこを見るか、何に注目するか。ここが画道の分かれ目だ。私は他の画道を排斥する気はまったくない。精密描写に情熱を注ぐのも悪くない。自分の絵描き人生、どうやって

描こうがその人の勝手だ。

でも、イッキ描きはスポーツにも通じる人間がなしうる究極の能力を造形に発現できる方法ではあると信じている。この歳では信じるしかないけどね。きっとおそらく大正解だと思う。

念のために申しあげておくけど、私のイッキ描きは何十年にもわたって実践しているライフワークだ。ここ数年の思い付きではない。

 

17年9月9日

先週はホームページの転送に失敗してお休みになった。失敗の原因ははっきりしており、いま修理に励んでいる。

 

9月3日(日)に藤井四段の将棋の生放送を見た。もっとも新しいメガネを取りにメガネ店に行ったりして見てない部分もあった。新しいメガネは8割引きの特価品だった。

この生放送の前に『名棋士が読み解く 藤井聡太 “強さ”の秘密』という番組があった。録画を見ると谷川9段とアマチュア3段のつるの剛士が将棋盤に向かい合って藤井将棋を解説し

ていた。その駒を持つ手つきと駒を指したり打ったりする手つきを見ていると、谷川とつるのではまるでちがう。

将棋はいい棋譜を作り上げる作業であり、駒を持つ手つきなんかどうでもいい、とお思いだろうが、実は名棋士の手つきは見事なのだ。テレビの時代なのでわれわれも棋士の指し手をテ

レビ将棋で堪能することができる。私も若いころ中原名人の指し手の美しさに魅了された一人だ。

この指し手も年季が入っていればいいというものではなく、藤井4段などまだ中学生なのに素晴らしい手つきを見せてくれる。もちろん藤井は幼いころから駒を持っているのだから当然で

もあるのだが、一手に込める思いという点ではどのプロ棋士もそれほど変わるものではない。名人でも四段でもみんな必死だ。

ところで、絵画や彫刻は手の跡をお見せするメディアである。中国の書も同様。そこのところを重々ご理解いただきたい。描く身としてはしっかり自覚しなければならない。筆を持った

ときの覚悟を反芻すべきだ。その第一の方法はとにかく真剣にたくさん描くこと。これに尽きると思う。たくさん描く覚悟がなければ絵描きとは言えない。

手つきの話で言えば、ピアニストの指もそうだし、パソコンで飯を食っている人がキーボードに触れる指先にも思いがこもっている。プロのカメラマンがカメラを持つ手つきも味わい深

い。そりゃ、農家の人が鍬を握る手つきだって見事なものだ。

ただ、絵描きは指先、手首、腕が筆と連動してキャンバスに直接訴えかける。ここが面白い。そして何百年も筆跡は残る。

 

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