唇 寒(しんかん)集51<16/12/3〜17/4/29>

17年4月29日

一番下の孫は生後8か月の赤ん坊だ。6歳の兄、3歳の姉がいる。母ちゃんにおんぶされながらキョロキョロ兄や姉を見ている。一瞬も見逃すまいとする好奇心、向学心。歩きたい、しゃべ

りたいという欲求で目が輝いている。

それは兄や姉も同様。少しでも大きくなりたい。6歳の兄は小学1年生だから、3年生や4年生の遊びが羨ましい。走るスピードも段違い。3歳児は3歳児でまた必死だ。

それぞれが自分の成長を願っている。

だから面白い。いろいろうまくゆかない。何度も挑戦する。その姿はもちろんけなげでかわいいけど、申し訳ないが思わず笑っちゃう。本人たちは必死だから笑いも本物だ。

新人はいつもおかしい。

いっぽう、爺は最悪。町のあちこちで大声で怒鳴っている。威張っている。厭だね。

最晩年のティツィアーノや富岡鉄斎(1837〜1924)を尊敬する私はましなほうかもしれない。いつまで経っても徒弟だものね。新人だよ。66歳と言えば70歳もすぐそこに見えている爺だ

けど、それでもまだ70歳なのだ。ティツィアーノや鉄斎は90歳レベル。葛飾北斎(1760〜1849)は84歳から江戸と長野の小布施の間を4回往復した。モネ(1840〜1926)も80歳を過ぎても

横2mクラスの睡蓮、藤、バラなどの花の絵をバンバン描いた。絵は描いたモンの勝ち。凄いね。

赤ん坊の精神で頑張らなくては。

 

17年4月22日

『美しき姫君』(マーティン・ケンプ/パスカル・コット/楡井浩一=訳・草思社)を読んだ。最近発見されたレオナルド(1452〜1519)の真筆とされる彩色肖像画の話。部分拡大画像が

多くてそれだけ見ていてもかなり楽しい。

ハードカバーの厚めの本。価格も2200円と一般の単行本より高額。しかし、図版が多いのでページがどんどん進む。私の場合は図版に見入ってしまうから読書時間は普通の本と変わらな

いかも。ま、どっちみちのんびり読書だ。

私は単純なバカだから、読むとすぐ筆者の意見に同調する。心の片隅に「本当にレオナルド(1452〜1519)の真筆なのか?」という思いもあるけど90%以上真筆と信じ込んで読んでいる。

そのうち日本でも展示があるとの情報も書いてあった。

自分の絵に役立つことは多くはないけど、自分の絵を写真に撮るとき太陽光に直接当てたほうがよく撮れるかも、と思ったりしている。光は多ければ多いほどいいようなことが書いてあっ

た。私の読み間違えかもしれない。

とにかく、レオナルドの絵は写真のような写実ではなく、かなり自身で創作しているということがわかった。レオナルドの他の多くの絵も一見写真のように見えるけどものすごく作って

ある。当たり前だけどね。もちろんレオナルドの時代に写真機はない。

美術の本をよく読むけど、画家の書いたものは多くない。ほとんどが美術史家の文章だ。だから根本的なところで意見が合わない。フェルメールが写真機みたいなものを使っていたとい

うのが定説みたくなっているけど、私はほとんど信じていない。あんなものを覗き込んで絵が描けるか? 画家の眼というのは桁外れに素晴らしいのだ。腕の鍛練もハンパない。ネット

ではブグロー(1825〜1905)が宇宙人から海の描き方を習った(=写真を見た)と主張している人もいる。それぐらい正確な描写だ。宇宙人なわけないだろ。ターナーだってロシアのア

イヴァゾフスキーだってみんな宇宙人と知り合いということになってしまう。葛飾北斎(1760〜1849)の波の習作もハンパない観察力だ。

写真、写真と本当に五月蠅い。頭を冷やしてたくさんの古典絵画をじっくり見直すべきだ。

牧谿のツバメの絵。どうやって描いたの? 梁楷(1200年前半活躍)の鷺の絵だってド凄い。古典絵画には人知を超えた観察と筆の喜びが満ち溢れている。

 

17年4月15日

中村彝(1887〜1924)は37歳で死んじゃったけど油絵の立体構造を掴み取っていた。知っていた。油彩の透明性を熟知していた。それを画面に活かしていた。

長谷川利行(1891〜1940)もよくわかっていた。

一般には、油絵の透明性は色使いだと理解されている。「色が綺麗だ」と言われている。しかし、私は形だと思う。つまりデッサンなのだ。すべてはモノクロのデッサンである。形に即

していなければ絵具は付かない。透明性も確保できない。

もし、10代の若者が画家になりたいと言うなら、私はデッサンすることを勧める。デッサンだけをしていればいい。最近のことは知らないけど、昔の美大受験の石膏デッサンはとても有

効である。そして、見ること。古典絵画を見ることをお勧めしたい。模写をすればさらに理解が深まる。模写は絶対お勧め。これもモノクロでいい。

立体を平面に描く方法を身に付けるということだ。模写は古典の巨匠がどうやって立体を平面に焼き付けたかを知るのに手っ取り早いし、そのほか、いろいろなことが学べる。画集から

輪郭を薄くトレースしてあとは全力でそっくりに描いて行けばよいのだ。ルーベンスとかレンブラントとかをそっくり真似ればいい。私は輪郭トレース方式ではなく升目を使って描いた。

もちろん画集から写せばいいのだ。

さらに、実際のモデルを描くこと。これも並行して行わなければならない。そうすると、昔の画家がどれだけ偉大か更によくわかる。若いときはモデルがいないから大きな鏡で自画像を

描く。致し方ない。花や風景は外に出ればいくらでも描ける。そういうのも木炭や鉛筆のデッサンでいい。みかんやリンゴを買っていたら食う前に描く。胃薬の宣伝「食う前に飲む」み

たいだけど、画家を目指すなら「食う前に描く」のだ。

たっぷり鉛筆や木炭を修得したあと(10年間?)で油絵を使い始めればいいと思う。まったく絵ほど世に役立たないものはないけど絵ほどのんびりした修業もない。修業開始の年齢は何

歳でも関係ないが、十代なら文句なく素晴らしい。ま、人生は長いからどこでどうなるかわからない。スッポンみたいに画業にしがみつくのは至難の業かも。運もある、か?

 

17年4月8日

地塗り済みキャンバスが足りないから、紙に鉛筆でデッサンでもするかと思ったけど、私の絵ってキャンバスに油絵具でデッサンしているようなものだ。で、油絵具はいろいろな表現が

できる。楽しい。絵の具の物質としての主張も利用できる。

面倒でもやっぱりキャンバス張って早目に地塗りしてしっかり乾かしてから絵具と筆でやっつけたい。

今年の金井画廊展では思ったより絵を買っていただいた。その売上げが私の財布に届くのはまだ先だが、これでキャンバスも絵具も買える。モデル代も払える。もうしばらく絵を描いて

暮らしてよいと皆様からお許しを頂いた、と思って、これからも精進いたします。

油絵具でデッサン。

これが永遠のテーマなのだ。500年も前にティツィアーノは油絵デッサンをやってのけた。でっかいキャンバスにガンガン描いた。その技は多くの画人に受け継がれた。ルーベンスもレン

ブラントも見事な筆の跡を残している。上野の西洋美術館にある『眠る二人の子供』という絵。赤子のほっぺ、髪の毛、毛布の質感などを一発で決めている。奇蹟の筆触と言うしかない。

それをいつでも見ることができる。まったくありがたい。

マドリードのベラスケスもド凄い。

誰もがその技を願っている、慕っている。モネの『印象・日の出』は風景で再現した。ロートレックも紙に油絵を使って描いた。

その線描の歴史はこの前上野の科学博物館でやっていたラスコー展の洞窟壁画(2万年前)にまで遡れる。私は行ってないけど、人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で紹介されていた。

世に美術論が氾濫してるけど、ほんと五月蠅いよ。われわれは線描を磨きあげなければならない。時間がないのだ。忙しいのだ。線描だけは誤魔化しがきかない。どうしても修練を積ま

なければ会得できない。

全神経を集中させて10万枚描きたい。

 

17年4月2日

娘の結婚式の関係でホームページのアップが1日ずれてしまった。申し訳ない。

都心に行きたくないから金井画廊の個展の合間に美術展を見てしまう作戦。電車賃も助かる。

計画では『マチスとルオー』『オルセーのナビ派』『ティツィアーノ』だった。よく見たら『マチスとルオー』は終わっていた(家内にこっぴどくののしられた)。でも『ティツィアー

ノ』と『ナビ派』は見られた。『ティツィアーノ』については3月30日のブログで述べた。

《オルセーのナビ派展》は三菱1号館美術館で5月21日までやっている。

イチオシはヴュイヤール(1868〜1940)の『エッセル家旧蔵の昼食』。綺麗だったぁ〜。ヴュイヤールが31歳のときの色彩画だ。ルーセル(1867〜1944)の『人生の季節』(不確か)と

いう横長の絵は抑えられた色彩が美しかった。25歳から28歳ぐらいのときの絵。ボナール(1867〜1947)の代表作も数点来ていた。行く価値のあるちゃんとした展覧会だ。やっぱりオル

セーのコレクションは見ごたえがある。

ただ、ほとんどの絵が20歳代から30歳代の絵ばかりで、そこが多少不満か。いやいや67歳の爺絵描きもじゅうぶん楽しめる素晴らしい展示だ。「ホ・ン・モ・ノ」の筆致は見逃せない。

「ホ・ン・モ・ノ」というのは絵に人生のその瞬間を懸けているということだ。おざなりな筆遣いではない。画面を慈しんでいる。絵は一目見ればわかる。そういう意味ではティツィアー

ノもヴュイヤールも牧谿も利行も同じである。

長谷川利行(1891〜1940)は不思議な男だ。ティツィアーノの油彩画の立体構造(油彩は完全な透明色で下の色はすべて死んでいないということ)をちゃんと理解していた。頭で理解し

ているのではなく、ちゃんと油彩画の画面に生かしている。うーん、ほんと不思議だ。

 

17年3月25日

現在、金井画廊個展の真っ最中。

世間の全体的な絵の売り上げは低迷しているらしい。『近代日本画の人脈』(田中譲・新潮社)によると明治期の日本画家は庭に小川が流れているような大邸宅に暮らしていたとある。

この前行った平櫛田中彫刻美術館も平櫛の最晩年の屋敷を開放してあったのだけど、広くてけっこう立派な造りだった。

むかしの絵描きや彫刻家は名を成すと大邸宅に住めるのか? 戦前の資産家は桁違いの金持ちで、いまの日本にはいないらしい。そういう資産家が絵を買うシステム、つまりパトロンに

なるわけだ。パトロンが付けば絵描きは飯が食える、どころか大邸宅に住めちゃう仕組みだった。

現在はちょっと余裕のあるサラリーマンの方に買っていただくシステムだと思う。絵描きは、ひとつのでっかい支えではなく小さなたくさんの支持によって生きてい行く。小さな支えが

多いほうが嬉しいような気もする。私の場合は小さな支えが少ないからとても苦しい。66歳でバイトもやっている。おかげでよく歩から元気になったけどね。

でも、民主主義なら小さなたくさんの支持で絵を描かせてもらうほうがいい。最後はそっちのが強いと思う。

絵を描いて生きてゆくのは至難の業だ。ふつう無理。私自身、奇蹟の人生だったと思う。完全に過去形にできないのが渡世人の辛いところだ。ハイ、これからも頑張ります。葛飾北斎

(1760〜1849)が『富嶽三十六景』で成功したのは70歳を過ぎてからなのだ。66歳なんてまだまだペーペーだ。

 

17年3月18日

「描きたいものを描く」と言っても「なるようにしかならない」とも言える。もちろん努力は要るけど、あまり向きになってもどうにもならない。厳密になりすぎると何もできないうち

に終わってしまう。テキトーもときには必要。どんどん描かなければ、絵というのは運筆といって欠かさずに筆を動かす修練的な面も不可欠なんだから、描いていなければ手首が動かな

くなる。考えてばかりいたのでは自由な絵は描けなくなる。

だから裸婦が描ける環境があるならどんどん利用するし、バラが咲いたらバラ園に行く。チャンスがあれば海でも山でもどんどん描きに行く。それだけのことだ。

現場主義というのは行き当たりばったりという意味でもある。

ミュシャなんてたくさんの写真をもとにアトリエで描きまくった。ああいう描き方がいいと思うならあれはあれでいい。ま、あれだけ描ければ誰も文句はない。5×8mの大画面が20枚。凄

いね。草間弥生は88歳間際で2m四方の絵を3日に1枚描くという。こっちも凄い。アクリルで点々を描くだけだろ、というが、そういう2m四方の絵が500枚もあると聞けば、黙るしかない。

2m10p×10mのロールキャンバス10本分あまりだ。俺から買ってくれぇ〜〜〜。

モネもゴッホも現場主義だから私も現場ばかり。尊敬するドガや尾形光琳などはアトリエ主義だと思う。ま、ドガは現場のデッサンも少なくない。光琳だって驚くべき分量の写生を繰り

返している。ドガの絵の中で私がもっとも素晴らしいと思う晩年の人体パステル画は写生が多いようにも思う。

ま、もうこの歳だし、ジタバタしても始まらない。今の路線で描けるところまで描くしかない。いつもここに落ち着く。

 

17年3月11日

小平の平櫛田中彫刻美術館に『ロダンと近代日本彫刻』展を見に行った。もちろんカタログは買えないので、帰ってから『原色現代日本の美術13 彫刻』をじっくり見た(実際にはロダンの

本ばかり見てしまったけどね)。

すると、いわゆる現代彫刻が登場する。裸婦の具象作ではない、頭をぶつけるとかなり痛そうなでっかい四角い塊だ。その手の抽象彫刻は箱根彫刻の森美術館にもいっぱいある。この前

行ったときは急に雨になったので、彫刻の中で雨宿りしていたら、係りの若い女性が傘を持って走ってきた。もちろん芸術作品の下の雨宿りは厳禁だ。

非具象は絵にもあるけど彫刻にもあるのだ。そういう(いわゆる)現代美術展は入場者数がとても少ないらしい。『巨匠の失敗作』(岡澤浩太郎・東京書籍)という本に書いてあった。

印象派のころは新しい絵画(=印象派の絵)は大衆にバカにされ、大笑いされたが黒山の人だかりだったらしい。今はまったく無視されてしまう。これは恐ろしい。

で、ああいう「現代」(と言ってももう50年ぐらい前だけどね)を見せつけられると、古代ギリシアとかルネサンスとか中国の宋元画や仏像などにいつまでも熱中している私自身がとて

も古臭く置いてきぼりを喰らったような気にならないでもない。

ま、父親がいたら「お前はバカだな、あんな新しがりはいつの時代にもいるんだよ。ちゃんとしっかり形を追うに決まってるじゃねぇか。お前、女の裸が描きたくないのか?」と言われ

てしまう、だろう。

本当に描きたいものを描く。これが一番重大なのである。だからもちろん非具象でもいい。四角い塊が作りたいならそれはそれでもちろんいいに決まっている。創作はあくまでも自由だ。

しかし、本当にやりたいこと、本当に描きたいもの。これってかなり厳しい命題だよね。本当の本当に描きたいのだろうか? 本当に描きたいように描いているのだろうか?

非具象作家も含めて、全創作者が真剣に自問するべき課題だ。もちろん私自身への最大の警告である、というかしょっちゅう自問しているけどね。一度の人生、やりたいことをやるでしょ。

でも、本当にやっているのだろうか? 歳だけはしっかりとっている。これも喜びかも。「歳は天の恵みである。若さは生きる術である」

 

17年3月4日

ゴッホ(1853〜1890)がタイムマシンでわが家に転がり込んで来たら、私はゴッホを大歓迎する。あちこち写生にお連れする。いろいろな場所にご案内できる。

私にはゴッホを大喜びさせる絶大なる自信がある。

 

アルルでは1回しか行かなかった海にも、何度でもお供する。

三浦半島の光と色彩はきっとゴッホを裏切らない。

4月の桜、5月の牡丹、芍薬。5月の後半にはバラ園に何回でも行く。

毎月の裸婦のクロッキー会。ゴッホは鬼のように描きまくるだろう。

絵画教室では静物画も描ける。

夏から秋の立ち葵、酔芙蓉、コスモス。

富士山には狂喜するにちがいない。

小さなわがマーチでもゴッホがたくさん描いた30号は楽に積める。私も40号、50号を積んで写生に行くこともある。

ゴッホが30号を描いている間に、私は20号から0号まで何枚も描く。

楽しいよ。

ぐったり疲れて仮眠をとる。

目覚めはポットに入れた自家製コーヒー。

 

ゴッホが広重を模写した雨の隅田川にもお連れしたい。亀戸の梅屋敷(江戸の様相はないかも)も見てもらおう。

白隠や仙高フ絵も、浦上玉堂(1745〜1820)も富岡鉄斎(1837〜1924)も見て欲しい。

尾形光琳(1658〜1716)、俵屋宗達(17世紀前半)、雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)、雪舟等楊(1420〜1506)とさかのぼる。

中国の牧谿の絵も日本にいっぱいある。

それから、源氏物語絵巻。これにはゴッホは腰を抜かすかもしれない。800年以上昔の色彩絵巻だ。中国や日本の陶磁器にもびっくりしてもらいたい。京都や奈良にお連れしたらどんな顔

をするだろう。古いお寺と仏像に驚嘆の連続。奈良三月堂にある執金剛神に残る色彩は1250年以上の風雪に耐えたもの。ゴッホを十分満足させるだろう。

 

17年2月25日

先週述べた「ムチャクチャな絵」は実際にはもちろんムチャクチャじゃない。10万枚規模で描いた画人の筆の跡のことだ。初めからの生粋のムチャクチャでは話にならない。そこで困る

のがアンリ・ルソー。あの絵ってどっちなんだろう?

結論として、私は一見ムチャクチャだと踏んでいる。実際にはかなり描ける。と言うか、描けないんだけど、描けている。自分でも酷い絵だと思っていると思うけど、まったく酷くない。

悩むよねぇ〜〜〜。ルソー(1844〜1910)の大きなジャングルの絵の密度はとても濃い。あれはムチャクチャじゃないと思う。

自由に活き活きと描く、というけどデタラメでは頂けない。でも、規則ずくめに縛られた綺麗に整った破綻のない絵はさらにつまらない。そういう絵はとても多い。多くの人は整ったも

のが好きである。

綺麗にまとめあげる、ということ。人類はこれがとても得意だ。それが才能だと思っている。

日本人もやった。中国宋元の水墨画を綺麗にまとめあげた。日本の中世が「清雅なる情景」にしてしまった。2013年に根津美術館で開かれた『日本中世の水墨画』だ。『水墨画・墨跡の

魅力』(正木美術館編・吉川弘文館)にも詳しい。この本の主要執筆者は高橋範子。氏の見識は非常に高い。仏教や禅のこともよくご存知。で、日本水墨画の堕落も承知しておられる。

しょせん大名趣味の縮こまった、せせこましい絵に堕した。

そのなかにあって、雪舟等楊(1420〜1506)、雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)はとても頑張った。というか、世評なんて無視して描きまくっただけ。その後またダメになりかかって

も、白隠、仙高ネどが出た。

人が筆を揮う喜びを伝えてきた。小綺麗にまとめあげて、世評を得ても瞬間的なものだ。つまらない。でっかい本流(一見ムチャクチャだけどたっぷり描き込んでいる絵)にいつもしが

みついていなければならない、と思う。

 

17年2月18日

ドガ(1834〜1917)の言葉「絵というものがまだよく分かっていないときには、絵なんて別にむずかしいものじゃない。……しかしいったん分かると、もう話は別だ」(『リッツォーリ版

ドガ』集英社p82)

の「いったん分かると」の分岐点はどの辺だろう? 私はここを絵描きだったら1万枚と決めた(絵描き以外の美術関係者の「分かる」は不明)。この1万枚はスケッチでもデッサンでも

クロッキーでもOK。もちろんいい加減な気持ちで描いてはダメだが、ちゃんと描けば数十秒の1枚も1枚。画学生の石膏デッサンは1枚8時間かかる。年間500枚描くのは至難。そのペース

で1万枚は大変だが、それでも20年で達成できる。1枚8時間のペースで20年間描き続けるのはまず不可能だろう。クロッキーなら2時間半で20枚描けちゃう。若いころは週に4回やっていた

から毎週100枚。月に400枚。年間4800枚描くことになる。2年ちょっとで1万枚だ。

これでドガの言う「いったん分かる」境地に達せるとも思えないけど、甘く見ての1万枚。私みたいな勘の悪い人間なら3万枚必要かも。

 

富岡鉄斎(1837〜1924)の「万巻の書を読み、万里の道をゆき、以て画祖をなす」『富岡鉄斎』(小高根太郎・吉川弘文館p205)という言葉もある。

「万巻の書」は、私みたいな遅読人間には絶対不可能。ま、本は参考文献などから芋づる式に読む本が増えるから、とにかく「ずっと読む、死ぬまで読み続ける」という姿勢だけでご勘

弁願うしかない。西洋哲学の泥沼にはまり込んだら英語はもちろんドイツ語やフランス語、果ては古代ギリシア語とかラテン語までものにしなくてはならなくなる。いやいや、それぐら

いじゃないと本物じゃない。こちとら、入門書だけで手いっぱいだ。仏教だってサンスクリット語とかパーリ語とか切りがない。自分が尊敬する学者をある程度信用しなければ先に進ま

ない。ということで仏教も入門書レベル。わからなきゃ読んでも意味ないし。

「万里の道」と言われても、これまた具体性がない。毎日1万歩でいいのではないか。1万歩でも、続けるとなるとけっこう辛い。たいへんだ。

それにしても「以て画祖となす」はいい。画祖じゃなきゃね。絵を描く以上はそれぐらいの心意気が欲しいよ。

 

ま、わがイッキ描きの提唱する「1万枚、1万歩」はとりあえず妥当だと思う。そうすりゃあ、マティス(1869〜1954)やピカソ(1881〜1973)の絵を見て、

「こんな絵、俺でもすぐ描ける」

なんて台詞は口が裂けても出てこない。

あのムチャクチャな絵が描けないんだよねぇ〜〜〜。

絵描きはみんなビビッて綺麗にまとめあげたくなる。

だけど、マチスもピカソもムチャクチャが世界的に認められている。人類の眼力も捨てたもんじゃない、のだ。デュフィ(1877〜1953)もとてもいい。ムチャクチャだけどしっかり愛さ

れている。

 

17年2月11日

ブログでも述べたが、現代アートという分類はおかしい。饒舌な美術史家にしては実に怠惰な表現だ。一般に人々は「現代」という言葉に弱い。酔いしれちゃう。なんか不思議な魅力が

ある。最先端とか同時代なども夢と希望に満ち溢れている感じがある。「新しいぃ〜〜」って感じ。サラピンの先を行っている。

その「現代」にいろいろなものをくっつけると、くっつけただけでワクワクしてくる。

現代相撲というと、スピードと技のキレみたいな? いやいや初代若乃花のキレも素晴らしかった。スピードもあった。現代将棋ともいう。コンピューターにコテンパンにやられている

けどね。

許しがたいのが現代美術。そういうジャンルはない。あるような幻想を持っている。

なんでみんな「現代美術」とか「現代アート」みたいな言い方を許すのだろうか?

そう言う一塊のジャンルがあるみたいではないか? そんなジャンルがあるわけない。現代人のアートは全部現代アートに決まっているではないか。バカも休み休み言え、ての。

で、ヘンチョコリンな模様や立体やドでかい構造物、電気仕掛けのピカピカやグルグル回るセルロイドなどを現代美術とひとくくりにする。ちゃんと名前を付けてもらいたい。

第一、そういうのって大昔からある。ホモサピエンスの考えることなんてそんなに突拍子もないものじゃない。ま、最近では「マイナス100度の太陽」って表現が新鮮だったかな? サザ

ンオールスターズの歌の文句だ。現代歌謡? この言い方自体古臭い。

新しがりもいい加減にしておいたほうがいい。いや、もちろん止めはしません。自由です。だけど、古代ギリシア彫刻やミケランジェロの行き着く先とは思えない。違うだろが、と思っ

てしまう。本当に古代ギリシア彫刻を見ているのだろうか、と疑っちゃう。

 

17年2月4日

私の『イッキ描きブログ』の2014年5月5日の「いい子にしていた」のアクセス数が多くなっている(ブログを更新するとき、どの日のブログが読まれているかという情報が入る)。3年も

前のブログがなんで? と読んでみたら戸嶋靖昌(1934〜2006)の話題だった。ついこの前NHKの日曜美術館で取り上げられたからだ。どうしてわかるのだろうか? 「戸嶋靖昌」と検索

しても私のブログはヒットしない。私のブログでは戸嶋の絵に関する私のコメントがほとんどない。私は戸嶋靖昌記念館で実物をいっぱい見ている。ノーコメントということは同意もな

かったのだと思う。とにかく私はうんと描いていない絵描きには同意できない。絵は理屈じゃない。しこたま描かないと始まらないのだ。短命な画家の場合はその作画密度、絵画への真

剣さで判断できる。戸嶋はまだ描き足りない。

NHK『日曜美術館』のゲストがいけない。俳優の奥田瑛二だ。何しゃべっているのかちっともわからない。ムードだけ。厭だね。絵描きぶっても描かなければ絵描きじゃない。

で、肝心の戸嶋の絵だけど、あの時代の一つの方向だよね。特に独特とも思えない。私は、長谷川利行(1891〜1940)に感服したようには感服できない。絵画に対する思いのレベルが全

然ちがう。長谷川はずば抜けて素晴らしい。

画面勝負で言うなら問題にならない。戸嶋の絵には色がないもの。もっとも私は色なんて問題じゃないとも思っている。画家が色を意識すると悲惨なことになる、ように思う。

ま、よくわからない。日本にいる奥さんから仕送りしてもらってスペインのグラナダで酒飲んだり、フランス女性と暮らしたり? 芸術のためには致し方ないの? 同意できないという

か、羨ましいというか、承服できないというか、納得できないというか、我慢ならないというか。とにかく、無理っしょ、って感じ。

 

17年1月28日

絵をたくさん描いているからと言って威張れない。威張る気は毛頭ない。だけど、不機嫌に無口でいたくなる場合もある。それぐらいは許されると思う。

絵なんて世の役に立たない。道路とか橋とかトンネルとか、標識とか、そういうものではない。どっちかと言えば要らないものだ。だから、そんなものをたくさん描き、絵具や筆に慣れ

親しんでいたって威張れる道理がない。また、たくさんの古典絵画をよく見て、古典絵画に詳しくたってセンター試験の世界史もロクにできない。美術の、さらに絵画や彫刻の項目だけ

ができる程度。合格点からははるかに遠い。

でもなんか腹立つこともあるんだよね。こっちは毎月数十枚、年間数百枚の油絵を描いているんだ。たまに1枚2枚描いた人から、その絵の講釈を長々とされたのではたまったものではな

い。もうそうなると笑うしかない。だって相手の方は私が必死こいて絵を描きまくっているなんて全然知らないのだから、相手の方に罪はない。

油絵って色を塗りまくるとハチャメチャになるし、渋く抑えようとすると濁って汚くなる。本当に手におえない。まったく「相手にとって不足はない」と言える生涯をかけて闘える作業

だ。でも、ほとんど役に立たない。ニーチェは「生きることを可能ならしめる偉大なもの」と言っているけど、それはルネサンス芸術に対してだ。でも、われわれも多少は頑張らないと

途絶えてしまう。

 

17年1月21日

怠け者が絵をたくさん描くためには、公募展に出すとか個展を開くなど、自分を追い込まなければならない。出品が目的ではない。絵を描くことが目的なのだ。たくさんの絵を一生懸命

描く、これが最大の目的だ。たくさん描かなければ、クラシックの巨匠たちの同意は得られない。また、私自身も同意できなくなってしまう。尊敬する巨匠たちと同じ意志を持つ同志で

ありたければ、自分も描くしかない。描いていれば絵を描く仲間であり続けられる。もちろんレベルは同じじゃないだろう。でも、そういう問題ではない。必死で描いてさえいれば、最

低でも絵を描くという同じ邑(ムラ)に住む同志でいられる。もしかすると、トンチンカンな独り善がりかもしれない。ま、それは致し方ない。はっきり言って、そんなことどうでもい

い。それは神様しかわからない。手の打ちようがない。

たとえば、ドガ(1834〜1917)はピサロ(1830〜1903)がユダヤ人だと付き合いを拒み、ドガを慕ったロートレック(1864〜1901)の障害を揶揄したりした。最悪な男だ。だけど、美術

史を俯瞰すれば、ドガもピサロもロートレックもみんな同じ絵の人だ。尊敬できる筆の人だ。結果的には同じ邑人だ。そういう意味では時代も国もぜんぜん違う牧谿(1280頃活躍)だっ

て同じ仲間。同志である。

重大なのは絵の出来ではない。絵をちゃんと真面目に真剣に描き続けることだと思う。この理念を貫けば、具象も抽象も新しさも何もなくなる。技法も手法も表現でさえどうでもよくな

る。描きたいものを描きたいように描く。心の底から描きたいものを描く。これが最も重大である。

 

17年1月14日

『印象派の冒険』(山川健一・講談社)を読み進めている。

「ひとつだけ約束をしたい。偉大な画家とか、天才とか、そうした用語や発想をお互いにあらかじめ棄てようということだ」(p36)とあった。「おお、これはいいじゃないか」と思い、

読み始めた。山川(1953年〜)は千葉県の出身。千葉の名門・県立千葉高校を卒業して早稲田大学商学部を卒業している。この本を書いたとき山川は36歳。在学時代から文筆を認められ、

ロックシンガーとしても活躍、ポップアートにも言及する、若い人が憧れるアーティストだ。

うだつの上がらない66歳のクソバカ爺とは大違い。同じ早稲田の出身なんだけどねぇ〜〜。

この『印象派の冒険』も半年にもわたるフランス取材を経て書かれている。売れる人は羨ましいね。とにかくカッコいいんだ。プジョーに乗っちゃって。高速道路のことをオートルート

だって。フリーウェーを超えているもんね。ワインやシャンパン、粋なフランス料理もいっぱい登場する。まったく映画『男と女』の世界かよ。古っ。

ゴッホ、ゴーギャン、ルノワール、セザンヌ、モネ、ロートレックと辿ってゆく。

気に食わないところは山ほどある(学ぶべきところも多かったですぅ)。

特にp185のロートレックの項では「ぼくはロートレックにセザンヌ以上の才能を感じる」と言っちまったのには開いた口がふさがらない。この後にも「ここには、紛れもない才能の結晶

としての作品が存在する」と来た。もうちょっと引用したいけど、面倒なのでやめておく。とにかく、p36の約束はどうなったんだよ。

だから言いたい。まずは1万枚描いてから画才を語れや、と。私自身はどう少なく見積もっても3万枚は描いている。おそらく5万枚に達していると思う。で、現在の目標は10万枚だ。それ

が絵描きだと思う。上記のゴッホ、ゴーギャン、ルノワール、セザンヌ、モネ、ロートレックたちもとにかくうんと描く、たくさん描く、描きに描いて描きまくる。それがないとダメだ

と思っていたはず。途中で死んでしまった画家もいるけど、その作画密度はどろどろ、濃厚。カッコつけてたんじゃ、絵はできない、わからない。

 

17年1月7日

明けましておめでとうございます。

ホームページでは今日が年明けだ。でも、トップ画像は年賀状ではない。新年から裸婦。ここのところ、ブログもホームページも裸婦ばかり。これが私の本性である。本職とは言わない。

1月は100号制作の月。100号も裸婦。でもやっぱり100号はなかなか描けない。100号1枚1時間半と豪語する私でもヒーヒー言っている。描くのは1時間半でも下地が乾くには最低でも1週間

以上かかる。コツコツ毎日少しずつ描くわけではない。イッキ描きにはローテーションというものがある。心身共に乗ったときにイッキに描く。

外で描く。真冬だから寒いのは覚悟の上だけど、雨が降っていたらパー。風もダメ。けっこう難儀なのだ。

絵具と画溶液は涙が出るほどどんどんなくなる。減り方がハンパない。気にしていたら絵はできない。ガンガン行く。贅沢だねぇ〜〜。

等身大裸婦だ。足腰がしっかりしていなければ描けない。行ったり来たりして、太い刷毛でバンバンやる。ま、そのためのウォーキングであり水泳なのかも。足腰は今のところ十分大丈

夫。15キロの3歳孫娘を抱いて1キロは歩ける。死にそうだけどね。

 

16年12月31日

現代の陶工が中国の南宋時代の青磁や白磁を再現しようとしても絶対にできない、と訊いた。29日のブログにも書いたが、源氏物語絵巻の復元、古代ギリシアのパルテノン神殿の色彩復

元など、いくら挑んでもできっこない。その前の日のブログにも書いた。昔の人と現代人では性根が違うから無理なんだ、という途方もない精神論をぶった。いやいや荒唐無稽ではない。

一理あるかも。

古代の復元という点では私自身のイッキ描きだってそういう姿勢にちがいない。というか、古典に対して全身全霊の敬慕を持っていなければ始まらないだろうとも思っている。いやホン

ト古典主義だよ。でも、実際の裸婦を見、風景を現場で描いているのだから方法は自然主義かも。そういうのはごちゃ混ぜだ。

古代の何を復元するのか? 古代をそっくりそのまま復元するなんて、所詮できない。銀河の中心を座標の原点に置いたって、われわれは秒速何百キロというスピードで空間を移動して

いる。まったく未知の知らない空間に投げ出されている。秒単位で位置を変えているのだ。その銀河自体も凄いスピードで移動している。古代ギリシアの座標と現在の座標はまったくベ

ツモノ。まさに時空を超えている。元には戻れない。

古代への憧憬は、ロマンでしかない。今度はロマン主義か。

私は息吹だと思う。造形へのあくなき挑戦。表現への渇いたような欲求。古代造形には、それこそラスコーの洞窟壁画の時代、数万年前から、人類が持ち続けた線を引くことへの希求、

引いている悦び。これは不変だと思う。

その根本を忘れて、新しさに迷い、巧拙に戸惑う。まったく線描の開眼ははるかに遠い。いくら描いても塗っても満足できない。遠いねぇ〜〜〜。お若い人にはさらに遠い。迷いがいっ

ぱい。気の毒だ。

 

16年12月24日

23日は今年最後のクロッキー会だった。

23日もいろいろ考えた。

毎回思うのは「描けねぇ〜」ってこと。

いやいやまったく描けない。ヘタだ。悲しくなる。

だけど、現代の絵描きはほとんどみんな私よりさらにヘタ。

いいと思う裸婦に出会ったためしがない。

そんなこと言ったら、マルケだってヴュイヤールだって裸婦は大したことない。

描いている分量も少ない。私のほうがずっと多い。問題にならない。

この前も若い人が「絵を描いているんです」と言って話しかけてきたけど、返答のしようもない。私みたくたくさん描くのは無理だし、こんな暮らしとてもおすすめできない。

まったく絵の具まみれの最底辺の人生だ。

特に裸婦との格闘は凄まじい。格闘して、連戦連敗。涙が出る。

それでも、見ず知らずの人に買ってもらえることもあるんだから、私の裸婦も捨てたものでもないのだ。これだけ描き続けているんだから多少のご褒美もたまにはある。

それにしても、裸婦は難しい。

私は自分を器用な人間だとは思っていない。昔から絵だってそんなに上手いほうじゃない。でもムチャクチャ不器用でもない。技術家庭の成績は5段階で3だったけど、管理人のなかでは

器用なほうだ。4は十分評価できる、と思う。

裸婦の絵画修業では、けっこう頑張ってきたし、今でも頑張っていると思う。

だけど描けないね。まったく相手にとって不足はないよ。裸婦は生涯をかけて挑むには十分すぎる課題。ホントやりがいがある。しかし勝算はない。でもまだまだ頑張る。

 

16年12月17日

クロッキーをしていると、いろいろなことを考える。今日は、クロッキーは楽しい、と思っていた。前にも書いたかもしれないけど、私は裸婦のクロッキーをするために生きている、と

言っていいかも。それぐらい楽しい。

男なら誰でも同じかもしれないけど、私も女性の裸が好きである。それを絵に描くことはさらに幸福だ。至福のときだ。最高!

今日は思わなかったが、ときにどうして私の目の前に裸の女性がいるのだろうか、と不思議に思うことも多い。こんな状況は幸福すぎるだろう、と思ってしまう。さらに地塗り済みのキャ

ンバスがあって、筆があって絵具がある。ものすごく幸福な状況のなかにいる。これほどの幸せ者が世界にいるだろうか?

絵を取り巻く状況はいろいろある。絵を描く、出来上がった自分の絵を見る。自分の絵を選び展示する。あるいは展示していただく。額装され、部屋中が自分の絵で埋まる個展会場にい

る。褒めていただく。買ってもらう。夢のような瞬間を味わってきた。

だけど、それでも一番ハッピーなのは絵を描くときだ。描く瞬間、描いている時間。

さらに、尊敬する古典絵画を見る時間も含めて、やっぱり自分で描いているときが最高かも。

絵を描くために歩き泳いでいるとも言える。健康は絵を描くための最低条件だ。

今日のクロッキー会の帰りは一人だった。絵の道具を台車に積んでゆっくり駐車場に向かった。アトリエのある町田市立版画美術館は芹が谷公園内にある。紅葉した木々が午後の日差し

を浴び、真っ青な空に映えて美しい。「ああ、描きたいぃ〜〜」と思ってしまった。たった今裸婦を描いて幸福だと思っていたばかりなのに、裸婦を描くために生きているのだと自覚し

たばかりなのに、この美しい初冬の光景にもう心が奪われている。なんという浮気っぽい絵心。実に健全である。われながらとても立派だ。

描きたいものを描きたいように描く。

人生は一度きり。本当にやりたいことをやる。

ああ、次回のクロッキー会のキャンバスが足りない。

この文章は12月17日(土)にアップしたが記したのは12月16日(金)。

 

16年12月10日

美術論は多くの枝を伸ばし多岐にわたっている。アートと一言では言えないような状況。

そんな中で、油絵具(アクリルではない)で油性キャンバス(一般の張りキャンはほとんど水性)に筆で具象画を描いている爺は私ぐらいしかいないかもしれない。いやいや、お得意様

にクレサンキャンバスを買っていただいているから、ああいうお客様は油絵具をお使いのはず。ま、すごく少ないけどね。

しかも、私は古典絵画を最重要視している。古典絵画があるなら、自分の絵なんかどうでもいい、とさえ思っている。ただ同じ現生人類として描かずにはいられなくなる。古代ギリシア

の彫刻家が、ミケランジェロが、ティツィアーノが、何かを見て感動して鑿や筆を揮ったその瞬間が何百年、何千年の時を隔てて目の前に現れる。現実に鑿の跡、筆の跡をじっくり目で

追える。味わえる。感嘆できる。美術っていうのは凄いメディアだ。

そりゃ、本物の古代ギリシア彫刻を東京で味わうのは難しいけど、奈良の仏像ならけっこうある。いや、実際に奈良に行くのもムチャクチャ困難ではない。奈良には古代の息吹が今も生

きている。風景ごとタイムスリップしたみたいに古代なのだ。奈良は奇蹟の風土かも。大通りをちょっと入ると、土塀に沿った細道の向こうに千年の風雪に耐えた天平の甍が見えて、そ

のお堂のなかにこれまた千年いや千五百年に及ぶ年月を経た見事な仏像が安置されている。奈良の裏道はどこから宮本武蔵が出てきても不自然じゃないぐらい古風だ。宮本武蔵どころか、

衣冠束帯の藤原なにがしに出会ってもおかしくない。

いいね。まったくありがたい。

私はそういう世に生まれた。ギリシアもあり、奈良もあり、鎌倉もあり、フィレンツェもベニスもパリもある。行けば行ける。それぞれに目をみはるクラシック美術が展覧されている。

素晴らしい世の中だ。

そういう中で、自分も絵を描く。

このごろの町田の里山の秋景色もぜんぜん悪くない。ああ、浦上玉堂の絵もいいなぁ。

ほんと古色がなければ話にならないね。

 

16年12月3日

11月26日(土)のブログは絵の話が佳境に入った。続き(みたいなこと)をこちらに述べる。

『西洋哲学史・近代から現代へ』(熊野純彦・岩波新書)の244ページ、ハイデガーのところに「ハンマーがあり、作業台があり、作業場がある。樹が生え、河が流れ、山が聳える。森は

静まり、大地と蒼穹とが広がっている」とある。

わけのわからない記述だらけの『西洋哲学史・近代から現代へ』だけど、この数行は誰だってわかると思う。蒼穹というのは青空という意味。この次に

「存在するものの輝きと自明さのなかで、存在者の存在がむしろ忘れられている」と続く。こう「存在」が続くとちょっと腹が立ってくる。だけどわからないでもない。

ほんと、三浦半島の先っぽ、三戸の丘に登ると自分がどっかに行っちゃう。左には伊豆大島、大海原を見て、右に首を振って行くと伊豆半島。三戸の集落の向こうには富士山が浮かぶ。

もっと右に首を振ると箱根から甲斐の山々も見える。さらに右には三浦半島の西半分が全貌できる。複雑な入江から小さな船が出入りしている。

私は絵を描くのでかなり強い自意識のなかに入るけど、それでもすぐ自分を忘れてしまう。

風景は横線一本で決まる。それが大地と蒼穹を分けるのだ。で、でっかいまっ平らな地面や海を表わす。いいですか、風景というのは平らな地面を描くことなのだ。そこに空気がある。

ターナーでもモネでもマルケでも、みんなそこを描いている。北斎(11月26日放送のテレ東『美の巨人たち』<北斎のすべて>でもそのことは一切語っていなかった。ムードばかり)も

広重も同じ。もちろん牧谿は800年も前に同じテーマを描き切っている。われわれは古典絵画の共通点を探しているのだ。11月16日に見た梅原龍三郎の絵には大地がなかった。これが日本

の文化勲章かよ。情けないね。長谷川利行はちゃんと描いている。知っている。ゴッホももちろん描いている。

大地理論は静物画でも同じ。ルドンの花にはしっかりした土台(風景画の大地は静物画の土台)が見える。描いてなくてもちゃんと感じられる。

そして、たくさん描くこと。これが最後で最大の難関だ。とっても厳しい絵描きの掟だ。大巨匠と踏ん反り返っていては絵描きにはなれない。絵の具まみれ油まみれでキャンバスと格闘

し続けるのだ。死ぬまで描くのだ。梅原も描いてない。足りない。

描かなきゃ始まらないっしょ。これは至上命令。描いてなんぼの絵描きかな、なのだ。絶対にはずせない画家の条件。厳しいっす。でも、とっても楽しい。嬉しい。ありがたい。やるこ

とがあるっていいよね。

 

 

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