唇 寒(しんかん)集49<16/2/6〜16/6/25>

16年6月25日

先週「10万枚が絵画教の阿耨多羅三藐三菩提(仏教における最高の悟り)なのだ」と豪語したら、円空は12万体の仏像を彫った、とNHKの『日曜美術館』で言っていた。やっぱり絵描きよ

り坊さんか。どうも信仰の力には勝てない。私も絵画教の信者のつもりなんだけど、本物は凄いね。全国を旅しながら12万体! これが嘘じゃないみたいだ。そこらの木っ端にどんどん

彫っちゃうんだから、1日10体ペースも不可能じゃない。どんどん彫ると言っても、ちゃんと慈悲を持って、信仰の心で彫っているから、一体一体がおざなりじゃない。しっかりやさし

い仏様になっている。

私みたく、骨格がどうの、大地が大切、花は枝と葉っぱがちゃんと描けていないとダメ、みたいな屁理屈はない。そういうのは、やっぱ一種のアカデミックだ。アカデミックは素通りす

るわけにはいかないけど、こだわってはいけない。ハマったら最悪。写真でアカデミックもどきを狙うのはチョー最悪。考えないで自然にほとばしり出ないと意味がないのだ。

大切なのは何か?

円空仏なら仏の慈悲か?

われわれだったら、とりあえず生命力かなぁ。

現実には絵具の発色。発色の根幹はデッサンなんだけどね。偉そうに言いたくはない。私自身、修行中の徒弟だもの。

徒弟は楽しいね。下手にエバッたって碌でもない。小説『等伯』のなかの狩野永徳は狩野派の世帯を抱えて四苦八苦している。あれじゃあ、自由に絵が描けない。ま、実際に残っている

永徳の絵を見ると、かなり自由だし、大胆。小説を鵜呑みにはできない。

バカバカしい画壇に惑わされないで、古典をしたい、自分も描く。この姿勢で描いてゆくしかない。これはとても健全だと思う。これしかないと思う。

24日にルノワール展を見たけど、上記の思いはますます強くなった。

 

16年6月18日

方向性は大切だ。この6月4日にも述べた「狙いは阿耨多羅三藐三菩提(仏教で最高の悟り)なんだけどね。絶対無理だと思っているはるか彼方のアホらしい目標だけど、そういう方向を

向いてはいたい。方向性の問題、みたいな?」ということ。

絵だったらとにかくクラシックを尊敬する。よく見て模写をする。繰り返す。何度も見る。いいと思っているのと、実際に見て息を呑むのとでは大違い。ま、本物はそうたやすくは見ら

れないから印刷物でもじっくり見る。隅々まで見る。繰り返し見る。できるだけ本物を見るように美術館や美術展に行くように頑張る。

で、自分でも描く。

絵は描けば描くほどよくなる、という信仰を持たなくてはならない。才能なんかではないのだ。

とにかくとりあえず1万枚。

これは膨大な枚数だ。毎日1枚描くペースだと約30年かかる。15歳から初めても45歳になってしまう。途中から早描きをマスターしなければならない。毎日2枚のペースなら15年で済む。

デッサンや簡単なスケッチも1枚と数えれば、10年で1万枚に達する。これなら30歳ぐらいまでに1万枚描ける。私もなんとかここまでは到達した、と思う。

くれぐれも申し上げるが、1枚1枚はおろそかに描いてはならない。ちゃんと描いた1万枚だ。早描きは無気力画ではない。お手本は牧谿であり、雪舟であり、ラファエロのカルトンであり、

ルーベンス、レンブラント、ドーミエ、ドガ、モネなどなどいっぱいある。その1枚が生涯の傑作になるかもしれないと思っていつも描く。

1万枚の次は3万枚。通りがかりの赤の他人に自分の絵を買ってもらえるレベルだ。50歳までに到達できるか。私自身、現在65歳だけど、3万枚は描いたと思う。私の場合、4万は超えてい

ても5万には至っていないだろう。

6万枚描けばそうとうの画境にすすめる。10万枚で長大な絵画時空間に加盟できる。これは美術史に名が残るという意味ではない。そんなチャチイ話ではない。有名とか美術史とかの話で

はない。本当の本物になるということだ。

しかし、10万枚はほぼ不可能。だから、最初の話に戻る。方向性の問題なのだ。

そういう方向。そういう姿勢。これが大切。クラシックを尊び、10万を目指す。これなら、90歳の老人が今日から3日に1枚仕上げるペースで絵を始めても正しいわけだ。年齢の問題でも

ないし、現在の画力の問題でもない。ベクトルの問題なのだ。

そういう方向性を持っていれば、全員同志である。意志と方向性だけの問題。

才能、入選、受賞、地位、家柄、勲章など一切関係ない。これがイッキ描きのでっかい構想である。誰からも文句は出ないし、誰の迷惑にもならない。どんな美術組織も脅かさない。関

係ないもん。

10万枚が絵画教の阿耨多羅三藐三菩提(仏教における最高の悟り)なのだ。

 

16年6月11日

私は美術史という学問は、ここ150年ぐらいの間に出来上がった、と思っているし、ブログなどでは普通にそう述べている。本当だろうか?

文学者は昔から絵のことにいろいろ口を出す。ドガが怒っている。怒った挙句に「一筆のうちに、文学者が本一冊かかって叙述している以上のものをぼくたち(絵描き)は言いつくして

しまうのだ」(現代美術全集6『ドガ』集英社p108)と凄まじいことを言ってのけた。私が言ったんじゃありません。ドガが言ったのであります。そこのところ、くれぐれもお間違いなく。

日本で有名なのは1912年(大正元年)に夏目漱石が坂本繁二郎の牛の絵を絶賛した話。「この牛は考えている」とか言った。

ヨーロッパではゲーテ(1749〜1832)がギリシア彫刻などの美術について多くを語った。ロマン・ロラン(1866〜1944)もミレーとか多くの美術関係の本を書いた。私も若い頃けっこう

読んだけど、つまらない。ニーチェ(1844〜1900)もルネサンスなどの芸術を語るけど、ニーチェの芸術論は音楽を念頭に置いているような気がする。

このホームページを始めてすぐのころ、20年ぐらい前に、『大爆笑・巨匠の通知表』というのを書いた。そのうちアーカイブスでご紹介できるかも。そこでは1708年にフランスの美術の

理論家ロジェ・ド・ピルが最も有名な画家75人の絵を、構図、デッサン、色彩、表現の4項目で20点満点で採点したとある。1708年だと今から300年以上前になってしまう。大昔から美術

史はあるのかも。いま上野で展覧会をやっているカラヴァッジョ(1571〜1610)も名前が上がっていて、構図とデッサンが6点。なんと表現は0点。色彩だけが16点もとった。ムチャクチャ

な評価だ。ちなみに、75人と言っても現在名前が残っている画家は20人程度。そのなかの最高点は65点で、ラファエロ(1483〜1520)とルーベンス(1577〜1640)だった。

話がそれたが、つまり300年以上前から「美術の理論家」というのがいたのだ。そりゃ、いると考えるのが普通だ。いつも言うようにホモサピエンスの思いつくことなんて5万年前から変

わらない。ワンパターン。やることと言ったら戦争ばかり。厭だね。

ま、しかし、近代美術史はだいたい150年前からでいいようにも思う。そして、その美術史に振り回されたバカな絵描きが全世界に5万といる。池田満寿夫(1934〜1997)もやたらと美術

史を重要視する。池田先生をバカとは言えないけど、なんであんなに美術史、美術史と言うのか、お聞きしたい。絵描きは絵を描けばいいのだ。心底描きたいものを描きたいように描け

ばいいと思う。美術史なんてまったく関係ない。後付の屁理屈、とまでは言わないけどね。言っちゃった、か。

 

16年6月4日

モデルも花も海もキッカケなのだ。正確な形なんて問題じゃない。いやいや正確に描きたいけどね。そういう気持ちはあることはある。でも、それが主目的ではない。本筋ではない。描

けないし。空間を平面に表現するなんて土台無理な話。また、画面の発色も絵具の付きもないと困る。話にならない。だけど、それも結果だ。主たる目的ではない。

じゃあ、本当の目的は何なんだ?

先週も述べた「絵具を塗ったくりたい、筆でこね回したい、点々と置いてみたい。そういう腕や手首の運動。そっち」だ。

でも、それって何だ?

で、その直後に具体的な先人たち、デ・クーニング、モネ、鉄斎と並べた。で、「まさに、ああいう線描、筆の跡」と書いた。でもキッカケがないと熱烈な筆にはならない。そのキッカ

ケは目の前のモチーフだけど、もっと大きい目で言えば展覧会もキッカケだ。人様にお見せするとなれば、あまりみっともない絵は出せない。けっきょく体裁かい!

人間が浅いからね。

狙いは阿耨多羅三藐三菩提なんだけどね。絶対無理だと思っているはるか彼方のアホらしい目標だけど、そういう方向を向いてはいたい。方向性の問題、みたいな?

でっかい法螺を吐くなら、やっぱり、尊敬する先人に向かって描いているよね。そして、将来の、これまた尊敬できる若き画人たちに向かって描いている。大乗の心境? 図々しいね。

そんな大それたもんじゃない。だから、「法螺を吐く」と申し上げた。でも、繋げてゆかないと。ちゃんと尊敬したなら、その気持を何かにぶつけるべきである。真面目に人類の営みを

繋いでゆくべきだ。これは、絵具を塗ったくりたい本音の建前かもしれないけど、まったくデタラメじゃない。美術史というなら、これこそ本当の美術史だ、と宣言したい。でかく出た

ね。

ま、一度の人生だから、やるだけのことはやりたい。

「酒も飲まずにタバコも吸わず、女に全然手を出さず、百まで生きたバカがいる」

と、中学生のとき寄席で聴いた。ただ「百まで生きるバカ」は願い下げだ。せめて人類の筆を紡いでいると思い込んでいるバカでありたい。

ま、抽象表現主義のロスコがニーチェなら、こっちは道元だい!「時は経歴(きょうりゃく)する」のだ!

この前の5月14日のブログに続いて、また、いいこと言っちゃったか?

 

16年5月28日

「元気に120歳」というけど、元気な65歳を維持するのも大変なのだ。歩いて泳いで腕立て伏せ、腹筋。まさかこの歳までやるとは思いもよらなかった。20歳の頃はアホみたく200回とか

やっていたけど、その後ずっとやっていなかった。今は楽な腕立て伏せで50回。それでもヒーヒー言っている。腹筋は膝立で24回だけ。若いころの9割減だ。

私の身体の感じでは、こういう運動をやり続けないとヤバいという結論。逆にやっていれば、そうとう長持ちする気がする。あっさり死んじゃったらゴメン。

絵を描くってこんなに大変なのか。ティツィアーノもやっていたのかな? 何度も書くけど、北斎は85歳を過ぎて4回、江戸と長野県の北端・小布施を往復している。山岳地帯を、きっと

おそらく徒歩で行っている。どういう爺じゃ?

ミケランジェロは2mのでっかいピエタを88歳まで彫っていた(ミラノにあるロンダニーニのピエタ)。大理石の塊だ。それが最高傑作なんだから、人間の能力ってどうなっているんだろ

う? まったく、ミケランジェロ彫刻群の中にあって桁外れの傑作だよ。神がかっている作品。

本心、私は現代画壇なんか問題にしていない。新しさなんてクソだ。世の中バカばかり。全然気にすることはない。モネ、ティツィアーノ、ミケランジェロ、ピカソ、北斎、鉄斎、禅宗

絵画の偉大な先人たち。そういう人だけをリスペクトして、自分も絵を描いて生きればいいのだ。世間の評価など、まったく無視。世評なんてロクでもない。

ま、食えないと困るけどね。ごまかしながらやってゆくしかない。

で、今日はクロッキー会だった。

目の前に裸の若い女性がポーズをしている。その前でよく乾いた地塗り済みキャンバスを三脚に立て、たっぷり絵具を含ませた筆を持つ。パレットには好きな色が十分に用意してある。

私はとても元気で、力が漲っている。

これがクロッキー会だ。

この不思議な状況。誰にも経験できない幸福。充実。

20号のキャンバス(72.7×60.6p)に、バーンと筆をぶつける。最高の瞬間。

やっぱり、モデルはキッカケにすぎない。裸婦はもとより静物も花も海も、どれもみんな素晴らしいけど、それらはキッカケなのだ。絵具を塗ったくりたい、筆でこね回したい、点々と

置いてみたい。そういう腕や手首の運動。そっちがやりたいのだ。

デ・クーニングはとても同意できる。最晩年のモネに共感できる。死ぬ間際の鉄斎の筆に唱和できる。まさに、ああいう線描、筆の跡。

ああ、私もけっこういい線いくよ。いいところまで行く。だけど、すぐスケベ根性が出てしまう。下心で胸が張り裂けそうになる。ダメだぁ〜。なかなか吹っ切れない。65歳じゃ無理か。

けっこう生意気な爺だけどね。85歳の大巨匠たちにガンガン挑んでいる。図々しい。

もっと太い筆でがんがんやりたいね。まだまだ未熟。まだまだ行ける。もっともっと描ける。描きたい。描くよぉ〜〜〜〜〜。

 

16年5月21日

1960年にニューヨークの近代美術館で開かれた展覧会『クロード・モネ 季節と瞬間』で、私がいつも絶賛する晩年のモネを再発見したという。その立役者は、ジャクソン・ポロックを

はじめとした抽象表現主義の画家たちだったことは疑いない、とあった。(『印象派はこうして世界を征服した』(フィリップ・フック/中山ゆかり訳・白水社)のp220)

P221には、美術評論家のエミリー・グレナワーが『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』に以下のように述べているとある。

「乱れた筆のタッチと純粋な色彩を用いることで……」

ふむふむ。そういう見方ね。悪くはない。モネが抽象表現主義に多大な影響を与えたことは明白だ。

だけど、肝心なことは書いてない。

だから、今ここで私がその肝心なことを言おう。

モネの最晩年の絵は、熟達の筆がなせる業である。それまでのモネの絵はこの最晩年の筆を成就させるための準備運動にすぎない。『印象・日の出』も『ルーアン大聖堂』も、晩年の『睡

蓮』でさえ、さらに晩年の睡蓮、バラ、アガパンサス、藤を描くための下準備、つなぎ、仕込み、段取りなのである。

ジャクソン・ポロック(1912〜1956)ではモネの最晩年に遠く及ばない。だってポロックは44歳で死んじゃうんだもの(アル中のうえに交通事故)。無理だよ。私は理屈抜きで真剣に10

万描かなければモネの最晩年には到達できないと考えている。計算上、私自身かなり迫っているけど、元気で120歳ぐらいまで頑張らないと無理なのだ。難しい屁理屈じゃない。真剣にた

くさん描くというだけの話。こんなの2500年前の古代ギリシアから変わらない。あったりまえの絵描きの鉄則だ。

よく見て描く。たくさん描く。真剣に描く。

クラシックを繰り返し見る。

これだけのこと。美術大学なんて不要。いらねぇ〜〜〜。

とにかく、絵描きは美術史に惑わされてはいけない。抽象表現主義はあまりにもカッコいいけど、ゆめゆめ後を追わないことだ。

○◯主義なんて吹っ飛ばした方がいい。無視、無視。関係ない。

当然のことだけど、心身ともに健康で、冴えた頭でガンガン描けばいいのだ。冴えたと言っても生まれながらのIQなんて関係ない。

いい空気をいっぱい吸って最上の体調でキャンバスに向かう、ということ。

私に言わせれば、美術史もハチの頭もない。モネも鉄斎も同じだ。素晴らしい筆の跡。牧谿も雪舟も雪村も浦上玉堂もピカソもみんな同じ。誰だってみんな知っている。しっかり健全な

心身で描かなきゃ始まらない。話にならないのだ。あったりまえの話だ。

 

16年5月14日

この10日(火)にぼたん園、バラ園とスケッチのハシゴをした。

描いているときに想うのは、やっぱりモネだ。最晩年のモネ。大画面の睡蓮はもちろん、バラや藤を描きまくった。

花を前にするとどうしてもモネになちゃう。日本人なんだから、琳派とか等伯とか、そういう花の画人を想いそうなものだけど、やっぱり私は洋画家なのかね?

で、困ったときはのヴュイヤール。10日はとても困ったのにヴュイヤールのことはすっかり忘れていた。

この日の絵も見直してみると、2〜3枚は救える。勝率5割。凄いんじゃないの。

だけど、それにしても孤独だねぇ。

私みたく月に50枚の油絵、その他数十枚の絵を描いているバカはいない。そうすると、私の気持ちは誰にも通じないものね。寂しいよ。絵の話なんてしてたって悲しくなる。言葉じゃ説

明できないでしょ。

もう、画集でクラシックの大巨匠と語り合うしかないんだよね。語り合うというか、ほとんどすべて教えてもらうだけだけどね。

レンブラントの孤独なんて桁外れ。20歳代に大成功を収めたからなおさら悲惨かも。

奥さん(再婚した奥さんも)や子供もみんな前先に死んじゃう。同時代の画家にレンブラント級の描き手は一人もいない。社会からも村八分状態に置かれた。若いころは金と名誉にどっ

ぷりだったのに、50歳前から金も名誉もなくなった。それでも絵だけは構わずどんどん描いていた。晩年は絶体絶命状態。四面楚歌。それでも自画像を描き続けた。あの自画像はもう誰

にも描けない。最後まで生きていた息子も、レンブラント自身の死より2年ぐらい前に、28歳で死んじゃう。たった一人になってしまう。

(息子のティトレスは亡くなる半年前に結婚していて、レンブラントが死ぬ少し前に孫娘が生まれている。これだけが唯一の救いか)

絵筆だけは離さなかった。というか、絵筆だけが家族だった。ああ、レンブラント。見習いたいけど、あんな人生はご勘弁願いたい。

(下の『絵の話』の「絵画三銃士」と「永遠のレンブラント」に画像付きでレンブラントの話があります。ご参照ください)

アートっていうのはああやって生まれるんだね。まったく大芸術だよ。ま、われわれは必要条件だけは作っておくというスタイルか。すなわち、たくさん描く。描けるだけ描く。

 

16年5月7日

 

一般には歳を取ると画力は落ちる。大多数の画家は、他のいろいろな分野の活動と同じように力が弱まる。3日の『なんでも鑑定団』の谷文晁の話でも、壮年の作品が一番優れていたと言っ

ていた。みんなだいたいそういう風に思っているし、その通りかもしれない。

ただし、ほんの一部の長命な画家に、並外れた画人たちがいる。先週名を連ねたミケランジェロ(89歳直前)、ティツィアーノ(86〜88歳)、富岡鉄斎(87歳)、モネ(86歳)、雪舟(86歳)

などだ。他にも雪村(85歳)とか白隠(83歳直前)、仙香i87歳)などいっぱいいる。禅画僧に多いかも。悟りを開くと死ぬ寸前まで進歩するのか? やっぱりできれば悟りは開きたい

ね。無理だろうけど、でも、悟りというのは死ぬ寸前まで修行し続けるというライフスタイルだと仮定すると、禅僧が死ぬ間際まで成長し続ける謎が解明できる気がする。安住はないっ

てことらしい。

少なくても肉体的には安住はない。歩き続けないと歩けなくなる。辛いね。

精神的部分も同じなのかも。というか、精神と肉体って分離不能でしょ。一体化しているんだよね。

ま、たまには休んでもいいと思うけどね。息が切れちゃうもの。もちろん、私はムチャクチャ休んでいる、か? けっこう続けている気もする。休みも少なくないか。日割りなら続けて

いるけど、時間単位で見ると、かなり休んでいる。休みながら毎日やっているかも。絵や水泳は3〜4日単位か。続けているけどけっこう楽かも。楽だから続くのか、な。続けると膨大な

ことになるけどね。

しかし、基準がわからないから自分のやり方でいいのかどうか? ま、世間の最近の絵の美術展を見る限り、大過はないように思える。美術界はとても甘ちょろい世界だから、レベル低

いけどね。現代の美術界は低レベルだけど、美術史のレベルまで広げると、とても厳しい。私の場合、身体三分の二以上美術史のほうにハマっているから大丈夫かもしれない。

 

16年4月30日

やっぱり、わがイッキ描きは強靭かもしれない。行き詰まることがない。

今度読み始めた『印象はこうして世界を征服した』(フィリップ・フック/中山ゆかり訳・白水社)でも、たったの32ページでもう印象派の画家たちが行き詰まっている。私の個人的見

解だけど、ピカソも45歳の頃完全に行き詰っていたと思う。

わがイッキ描きが行き詰まらないのは「バカだから」と言われればそれまでだけど、バカはバカなりに理屈がないこともない。というか鉄壁なる絵画理論がある。

88歳のミケランジェロ、年齢不詳だけど90歳近いティツィアーノ、自称90歳の富岡鉄斎、85歳のモネ、80歳を過ぎていた雪舟など死の直前まで制作を続け、そういう作品が生涯最高レベ

ルに達している。この事実が、わがイッキ描きの大前提である。われわれホモ・サピエンスにはそういう能力がある。

昔の禅の坊さんはそのことをよく知っていて、死ぬ寸前に遺偈という書を残す。その筆跡の美しさは類を見ない。一休さんも禅僧だから遺偈が残っている(87歳)。

そうなると、美術とか美とか、そういう御託は要らなくなる。

われわれはまっしぐらに90歳に向かって筆を動かせばいいのだ。それがすべて。

私は20歳の前半からそのことを知っていた。歳を重ねるごとに自分の確信が正しいことをますます強くした。

ただし、人はいつ死ぬかわからない。それは致し方ない。どうにもならない。ただ、最高の90歳への途上であるということが重大なのである。

あらゆる絵画理論も哲学思考もくだらない。ま、頭の体操としてやってもいいけど、言い合いは際限なく続く。

それより手を動かし、腕を動かし、長く息をして、よく歩き、絵を描くべきである。

展覧会は絵を真剣に描くための口実でいい。このホームページもブログも個展も、みんな絵を描くための手段である。描かなければ始まらないのだ。怠け者が一生懸命に描くためには展

覧会が一番刺激になる。だけど、目的と手段を取り違えてはならない。

絵を描くために展覧会をやるのだ。展覧会をやるために絵を描くのではない。

イッキ描きでは、世間一般の目的と手段が逆転している。

この逆転はとても大事だ。大学受験だって、重大なのは真剣に勉強すること。そっちが財産になる。何々大学なんて屁みたいなものだ。

人は死ぬまでしか生きない。いかに生きるかが大切なのだ。

 

16年4月23日

仏教が涅槃寂静を最高の境地というなら、それは幸福主義であり、快楽主義とも言えるのか。

陶酔を人間最高の喜びとする人は少なくない。

自分が陶酔するためなら、他人なんてどうなってもよい。

一時的な性的陶酔の場合は、相手の幸せ、人生なんて踏みにじってもかまわないという場合もある。

さらにヒートアップして薬剤による陶酔。麻薬や覚醒剤にまで手を出すこともある。

陶酔至上主義。今さえよければ、先のことはどうでもいい。自分の身体でさえ、どうなってもいい。

そういう利己的というか刹那的陶酔が涅槃寂静からはるかに遠い、というか真逆であることは察しがつく。

しかし、現実に利己的陶酔に突き進む人がいるんだから世の中多様だよね。どんどんエスカレートして頭がおかしくなっちゃうのか? 

酒や煙草も陶酔か?

身体の外から刺激物を摂取するのは、かなり危険である。

水泳などのスポーツによる陶酔は物凄く健全なように思う。自分がやっているから宣伝するわけじゃないけどね。水泳じゃなくたって有酸素運動はかなり気持ちいい。

運動じゃないけど、絵を描くのも一種の陶酔である。

個展会場で絵を褒められるのも陶酔か? これはまったく種類がちがう。危険性もある。純粋な絵画的陶酔からは程遠い。そっちばかり狙っている人も少なくない。本当の絵画的陶酔を

知らないのだ。絵を描く喜びは、最低でも「出来た絵なんてどうでもいい」というレベルにならないと。これは入門クラスの画境だ。私自身の画境だけどね。

 

16年4月17日

「『ちゃんとした絵』が曲者」と先週言ったけど、その4日前の4月5日のブログに「絵画の絶対基準」を述べている。とは言っても、いつも中途半端で話がまとまっていない。そのブログ

も、基準絵画の話から最後は人が集まると碌でもないという別の話題になってお開き。いいけどね。そういう散漫な感じがブログの魅力だよ。

これからの絵画、新しい絵画、ルネサンスや印象派のような革新的な絵画。

そういうノイローゼから開放されたほうがいい。

バカバカしい。全部観念。頭のなかで追った妄想だ。

描きたいものを描きたいように描けばいいのだ。

私にとっての絵とは、絵筆の運動である。数千年前から続く、というかアルタミラの壁画を含めれば数万年続く現生人類ホモ・サピエンスの希求、手を動かしてものを描く。この営みだ。

最近はホモ・サピエンス・サピエンスと言うらしい。

父は「タッチのない絵はダメ」とよく言っていた。ま、絵描きの父が絵描きの息子に言うのだから、言い訳がましい解説はいらないわけだ。オフレコで言いたいことを言う。

それじゃあ、点描のスーラは? 岡鹿之助は?

父は岡鹿之助を否定してはいなかったと思う。

めんどくせぇ〜。

描きたいものを描きたいように描くのだ!

観念を否定というけど、頭悪いだけなんじゃない?

ご名答である。私の高校は偏差値42。これが私の真なる脳力だ。

でも描かなきゃ始まらないっしょ。

描きたいから描くだけ。桜、描きたいもん。新緑、描きたいよ。裸婦も描きたい。海も山もバラも。心底描きたいよ。それしか能がない。

これって、ただのワガママ?

どうでもいい。

 

16年4月9日

『13歳のハローワーク』(村上龍・幻冬舎)を数年前に金井画廊の金井さんが絶賛していた。この本はネットで読むことが出来る。「画家」の項目。終わりのところだけ引用すると「絵

が売れても、売れなくても、絵画表現の意欲と喜びとともに、何年も何十年も絵を描き続けることができれば、その人は画家である」という私のためのような記述。前の部分も全面的に

私を支援してくれる泣かせる内容である。

で、13歳の中学生が画家になろうとするなら、とりあえず、美大→公募展→画商取り扱いというようなルートが紹介されている。このルートに乗ったって絵で飯が食えるわけじゃない。

私は厳しい現実を「目の当たりにしている」のではなく「身を持って経験している」のである。もしかすると、私は凄い人なのだ。

ところが、ここ2〜3年、薄っすらと光明が見えてきた。いやいやご安心いただきたい。絵が売れているのではない。絵は依然としてほとんど買ってもらえない。

しかし、買ってくださる方が私のブログを読んでいる方々ばかりになってきた。

私のブログはムチャクチャ。「美はない」と主張し「絵は描いているときが最高で、絵の出来なんて知ったこっちゃない」と繰り返している。大丈夫かぁ〜〜〜???

で、ブログというのは不特定多数の方々に無制限に新作を発信できる。原則、読者は少しずつ増えている。これって、もしかするとまったく新しい絵画の道が拓けている、みたいな?

画壇なんていう腐った機関をパスして直接人々に絵を訴えかけられる方式、みたいな? 革命、みたいな? 21世紀、みたいな?

でも、ちゃんとした絵を描かなければならないという大原則は不動、なのだ。

この「ちゃんとした絵」が曲者だけどね。

 

16年4月2日

毎日の賑やかな画廊の話のなかで、日本に美術はないと言っている人がいるとのこと。

世に美術はない、と公言する私が日本の美術を擁護するのもおかしいけど、源氏物語絵巻の色彩は世界のどこにもない。世界最高だと思う。全世界の美術を見たわけじゃないけどね。

雪舟、雪村、宗達、北斎、鉄斎などなど凄いのがゴロゴロいる。禅僧の白隠、仙高熕「界に類を見ない筆の跡を残した。

そういうのを美術じゃないというなら、それはそれでいいけど、その同じ人がセザンヌやゴッホは美術だと主張しているとしたら、ちょっと譲れない。ま、誰が何を言おうと勝手である。

言論の自由だ。大いに語ってください。

本心、タイムマシンに乗ってセザンヌやゴッホを連れて来て、鉄斎、白隠を評価してもらいたいけどね。ゴッホは広重を高く評価していた。ゴッホが源氏物語絵巻を見たら腰を抜かすか

も。日本美術は素晴らしいよ。

とは言っても、私は美術自体がないと言っている。ムチャクチャだ。言論が自由すぎて、もうバカバカしいレベル。と言いながらもじゃんじゃん絵を描いている。

口は虚しいね。

で、個展を82回も開くいっぽう、絵は描くことに意味がある。出来た作品なんてどうでもいい、という逆説。申し訳ありません。

たくさんのみなさまにバカな絵描きの個展をご高覧いただき、誠にありがとうございました。今日もう一日あります。

 

16年3月26日

3月22日の午前中に隣家の椿を描いた(上の絵)。ここに越して来て10年ぐらいになる。10年間も毎年「綺麗だなぁ、見事だなぁ」と感嘆していて、22日の朝やっと重い腰を上げた。

モネのように描こう。ヴュイヤールのような見方とかモランディのような本当は上手いんだけど朴訥な表現。などなど野望を持って始めるが、結局はイッキ描きになってしまう。情けな

い。情けないけど、こっちには琳派も等伯も入っているんだ、と開き直る。

古くは牧谿だってこっちの血脈だ。

やっぱり絵は面白いね。

所詮ムチャクチャ。

バカで下手で貧乏。よく心得ている。本気でそう思っている。もうこれだけで悟っているかも。お釈迦様が言った中道も、どの程度が中道なのか意味不明。自分でこんなものかと推し量

るしかない。私の水泳だって、週2回40分弱で1550m。これって多いのか少ないのかさっぱりわからない。ときに過酷だと思うこともあるし、帰りがけにはもっと泳ぎてぇ〜と思うことも

しばしば。夜ぐっすり眠れるからちょうどいいようにも思う。

絵の分量、作画時間などもこれでいいのかと思うし、ウォーキングの必要にして十分な歩数もしっかり把握しているわけじゃない。

迷いながら続けている。

でも、モランディ展なんかを見ると、これでいいようにも思う。

確かに、この1年ぐらいの間に、三法印のうち、どうでもいいような涅槃寂静が一番重大だと知った。涅槃寂静とは自分を忘れ、時間を忘れてものに打ち込むことなのだ。ものに打ち込ん

でいるそのときが諸法無我であり諸行無常なのだ。で、その時こそが涅槃寂静。三つともいっぺんに揃って現前するのである。現前というか、その世界になる。そういう境地に入り込む。

一体化みたいな。

でも、それで他の人が迷惑になるような作業は願い下げ。おしゃべりも危険。絵だって気をつけないと危ないけど、ま、大丈夫だと思う。絵に打ち込むのは比較的安全。坐禅が一番いい

らしいけどね。

 

16年3月18日

「うだつがあがらない」とは、まさに私のことだ。

絵を描き始めて48年。描いた枚数はどう少なく見積もっても3万枚はくだらない。もしかすると5万枚ぐらい描いているかもしれない。

個展の回数は82回。われながらびっくりする。

銀座でやった個展は6回。それも銀座5丁目。ど真ん中の1階だ。

金井画廊でやってもらった企画個展は16回。銀座じゃないけど、京橋といえば、銀座圏内である。

東京の真ん中で22回もやっている。

もちろん、全然相手にされなかったわけじゃない。金井画廊で扱われ続けているだけでもすでに「成功」と言えなくもない。

金井さんも描きたいように描かせてくれる。私は完全に自由だ。

本心を言うと、私は車を持てる身分ではない。車さえなければ、なんとか生計も立つ。車って本当に金を喰う。だけど、車のおかげで絵

も描ける。風景やバラ園はもちろん、裸婦のクロッキー会も車がないと困る。車が私のアトリエだ、とも言える。

難しいね。

なかなか安楽には暮らせない。

騙し騙しやってゆくしかない。そのうちあの世へ逝く、と思う。それまで騙し続けられるだろうか?

 

16年3月12日

(パソコンのハードディスクが壊れたため、2月27日と3月5日はお休みでした)

困るのが「何を描くか?」という大問題。

昔なら「宗教画を描く」とか「歴史画を描く」など生涯の課題があった。最近言われるライフワークより重い響き。

だいたい美術研究所で人体を学ぶのも歴史画を描くための下準備みたいなもの。18〜19世紀のフランス画壇の伝統を受け継いでいる。

40年前はまだそうやって人体画を学んでいた。

それがいわゆる「基礎」だ。絵画の基礎。石膏デッサンをやって、油彩で人体画を修得する。人体を組み合わせた巨大な歴史画に挑む。

ところが、ドニは「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、本質的に、ある順序で集められた色彩で覆われた平坦な表面であ

ることを、思い起こすべきである」と言った。こ

こから話が変わってくる。

それじゃあ「何を描くのか?」という最初の問題に戻る。

イッキ描きは「描きたいものを描く」という結論。

何が描きたいのだろうか?

好きな女性か? 愛らしい幼児たちか? 花か? 広大な海か?

ま、だいたいそんなところ。

絵の大きさは?

いったいどういう絵を描けばいいのだろうか?

何が「いい絵」なのか?

私が絵描きを目指した20歳の頃の大問題は、現代の20歳にも大問題である。

しかし、描かなければ始まらない。例えばティツィアーノの造形に達したいなら、桁外れの枚数の絵画を描き続けなければならない。宗

教画だろうが歴史画だろうが肖像画だろうが、な

んでもどんどん描かなければ無理。ティツィアーノは時代が産んだ世紀の大画家なのだ。自力だけでああなるのは無理な話だ。なんてっ

たって、ティツィアーノには国家規模の後ろ盾がある。

もちろん、私だって人類史上最大級の平和と繁栄を誇る日本に生きている。かなりの分量の絵が描ける。描けるから描く。とにかく描か

ないとあるレベルには達しないのだ。手や腕の問題なのだ。スムーズに動かなくなっちゃうもの。それじゃあ描けない。ハードの問題。

これがけっこう厳しい。

手や腕を動かしてからの芸術論なのだ。ここが渡世人の辛いところだ。楽しいけどね。動かさない人にはわからないよ。

でも孤独じゃない。

絵の世界では昔の絵が見られる。むかしの偉い画家が絵で教えてくれる。示してくれる。

 

16年2月20日

お釈迦様の教えは、実はとても単純なものなのではないか。

我を忘れるほど集中して修行しなさいということだけなのでは。

私の場合、我を忘れるのは、絵を描いているときだ。

泳いでいるときもけっこう無我夢中かも。

歩いているときは気持ちいいこともあるけど、だいたい急いでいる。数を数えている。あと何歩で家に着くとか低レベルの心境だ。

朝晩の冷水浴は辛い。でも止めるとかったるくなってしまう。45年以上やっているからもうとまらない。続けるしかない。本心嫌だ。

腕立て伏せは苦手。数だけ数えている。苦しい。

腹筋のがましだけど、腹筋も苦しい。

いろいろなストレッチも面倒。身体が要求するからやっている。

ウォーキングも足腰が要求してくる。

私の脳は稀代の怠け者だ。だけどダラダラしているのも辛い。腰が痛くなってしまう。寝ていても座っていても腰に来る。

運動などいろいろやっているけど、これも現場で絵を描くための下準備だ。ある程度の体力がなければ海にもバラ園にも行けない。画材も運べない。1回

に何枚も描くから、私の画材はとても重い。腰は大切なのだ。「腰」は文字の構造も肉月に要だもんね。

歳に関係なくいきいきと暮らすには、積極的に身体を鍛える、とまでは行かなくても、ある程度保持していかないと無理だ。リタイヤとか隠居などは人が

考えた便宜上の思い込み。生きている以上、生体は活動を要求してくる。しかも、絵を描くとか、何かやろうというからには、身体の維持は必須だ。それ

が修行なのかも。

そこに涅槃寂静もある。

お釈迦様の教えって、すごく単純なのではないか。

「歳は天の恵みである。若さは生きる術である」という言葉の意味も、同じようなことだと思う。頑張り続けるのが生きてゆく方法なのだ。それしかない。

歳は、天の恵みなんだから、増えれば増えるほど自慢なのかも。

 

16年2月13日

イッキ描きブログでルーベンスを特集した。意図したわけではなく、なぜかルーベンスワールドに入ってしまった。私がルーベンスに一番熱中したのは20

歳の頃。まったく20歳の頃ってものすごく密度が濃い。パッと思い出すのは女の子に軒並み振られ続けている状況。その一方で、大学の転部を考えていた

から、けっこう英語とか勉強していた。何度も自慢するけど、私は転部試験で学科成績が一番だったのだ。国語なんて、「趨勢」の「趨」の字を間違えた

だけ。ほぼ満点。フランス語がイマイチだったと、面接のとき言われ、そういうわけじゃないけど、その後フランスのボルドーに行って、帰りには空港の

アナウンスなども余裕で聞き取れるまで上達した(=今ではすっかり忘れている)。

不思議なのが絵だ。たくさん描いていたし、美術史への興味は底知れなかった。大学の学部の図書室の画集コーナーにほとんど籠っていた、状態。自転車

で奈良に行ったのも20歳の頃だ。牧谿を発見したのも20歳。ということはターナーに心酔していたはず。おかしい。なんでもかんでも20歳だ。最近の時間

感覚で言うと10年分ぐらい頑張っていた。

よく若いころに戻りたいと訊く。家内なんて今でもしょっちゅう戻りたいと言っている。

でも、私はゴメンだ。若いころは失恋で気持ちが不安定だし、何も知らないからいろいろな勉強もする。20歳の頃『孟子』も漢文で読んでいた。対訳付き

だけど、とにかく一度は原文に目を通した。いくつ身体があっても足りない。おかしい。夏にはとてもよく泳いだ。

あんな頃に戻りたくはない。

で、今もルーベンスに近づくべくたくさんの絵を描いている。ルーベンスに限らず、全世界のちゃんとした画家は10万枚単位で絵を描いている。ピカソや

北斎だけではないのだ。それを知ったのはここ十年ぐらいだけどね。そういうちゃんとした画家を目指すなら、まずはどんどん描かなければならない。

私は運よくずーっと絵を描いてきた。3万枚以上描いているはず。まったく滅多にいない幸福者なのだ。このまま描き続けてどれぐらいの画境に達するか、

人体実験としても興味が湧く。ルーベンスは63歳になる直前、62歳で死んでいる。もう私は、年齢の上では、ルーベンスを超えてしまった。

もう歳なんてどうでもいい。このまま、描いて泳いで歩く。そうやって死んでゆく。生きていいたら100歳でも200歳でもやり続ける、予定。これって悟り

か? それさえももうどうでもいい。

 

16年2月6日

いったい、われわれは何をどうしたいのだろうか?

一番の望みは何か?

私が若いころお世話になったキャンバス会社の社長は「ぶっつわっていて(=座っていて)金が入ってくればこんないいことない」とよく言っていたけど、

ただずっと座っているのも苦しい。

女性にもてたいのか。多くの女性と仲良くなりたいか?

もちろん私はイケメンではない。十分ブサイクだけど、けっこう女性から人気はある。でもただそれだけ。それ以上はない。ロダンやクリムトみたくムチャ

クチャな女性関係は願い下げ。相手も不幸になる。もちろん、こっちから望んでもそんな関係にはなれっこないけどね。無理だよ。そこまでモテない。

何がしたいんだろう?

鉄道模型か?

あれは面白い。かなりのめり込める。いやいや、実際にけっこう遊んだ。息子を言い訳にして家中線路だらけにした。プラレールはもちろん、16ミリのト

ミックスでも遊んだ。ついこの前は孫と100均のレールを家中に張り巡らした。とっても面白い。今もどこかにしまいこんだトミックスのレールを探して

いる。孫とまたやるよぉ〜〜〜。

でも、やっぱり一番面白いのは絵だよね。

絵となると、体力を維持していなければならない。そうすると体操や運動が欠かせない。言ってみれば、今の生活。まったく私のキャッチコピー「躍動」

だ。人の生理は躍動を喜ぶ、いつも活性化していないと不健康になる、と思う。ぶっつわりはダメ。もっともそう言っていた今80歳代半ばの社長もたっぷ

り運動しているという話。

どんどん運動した方がいい。体重も減って、腹も引っ込む。食に気をつければ血圧も糖尿も尿酸値も平常になる。ふつうに考えて少し我慢すれば維持でき

る。体調に関して不摂生はまずダメ。ムチャクチャな絵が描き続けたかったら、体調はしっかり維持しなければならない。

けっこうな修行だよね。

 

 

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