唇 寒(しんかん)集47<15/4/4〜8/29>
15年8月29日
おしゃべりジジイだから書くことはいっぱいある。でも、8月25日付のブログで広い畑で絵を描いたときの心持を述べると書いちゃったから、約束を果た
す。
ま、実際には忘れてしまった。
絵を描いていると、いろいろな妄想が湧いてくる。下手な坐禅みたいか? 実際には凄く忙しい。風景なら、大地を平らに描こうとか、この絵具はどうだ、
こっちの色を付けてみようなど、実務も忙しい。筆の太さの選択もある。
そういうなかでまた、別な妄想が湧きあがる。まったく人間の頭の中はどうなっているんだろう。その妄想は瞬時に数十時間、数千キロを駆け巡る。
で、「絵っておもしれぇなぁ〜〜」といつも思ってしまう。
絵を描いていると、仏教も哲学もすっ飛ぶ。どーでもいい。
私にとっては絵を描いていれば勝ち。極楽。天国。涅槃寂静。文句なし。
それならもっと描けばいいのに。
いやいや、食傷気味になってはいけない。少し溜めて、「描きてぇ〜〜〜」という気持ちを醸造するのだ。そのへんのセルフコントロールは、私はとても
上手い。熟練の業だ。
ま、油断すると、この8月みたく月間30枚を切ってしまうけどね。やっぱり月間50点の油絵は描きたい。それなら十分清新な気持ちで描ける。
あんまり齷齪(あくせく)しても、いい結果にはならない。たかが絵である。ゆったりした気分で、じっくり続けたい。今のペースで十分だと思う。この
歳で焦っても致し方ない。でも油断禁物。
15年8月22日
一般的に、絵の描き方には下絵があり、下描きがあり、本描きがあり、仕上げがある。この下絵、下描き、仕上げを端折ってしまったのがイッキ描きだ。
いや、むしろ、下絵だけ? それを油絵で描いちゃった、みたいな? でも、仕上げはしているような気もする。その場でいっぺんに仕上げないと、まず
失敗するけどね。
イッキ描きでは、自分自身が作画モードになっている。それは描く対象(=モチーフ)も含めてのことだ。自分もモチーフもその場の空気も、すべて別世
界に入っている。「作画」ではなく「行画」だったっけ? 行画モードということになるか。
そのモードのなかで最後まで仕上げなければならない。ま、仕上げる必要もないけどね。そのモードのなかにいることが大切なのだ、から。筆を持って絵
を描く勢いがないとそのモードには入れない。だから、当然絵を描くことになる。絵を描く姿勢は自分を騙す方便かもしれない。絵なんかどうでもいい。
その態勢に入ることが重大だ。幸福だ。いやいや絵はとても重要。「どうでもよい」なんてとんでもない。絵がその態勢を作ってくれる。
だから、後日の加筆はありえない。違う人間の加筆になってしまう。左脳の作業になってしまう。お利口な修正だ。
それは出来ない。私はバカで絵も上手くないからだ。ま、私だけでなく、ほとんどみんなバカで絵が下手。そこは安心していい。
私もバカで未練がましいから、今まで何回も修復をやっているけど、上手くいったためしがない。たった今もやろうとして1枚別に分けてある(=バカだ
ねぇ〜〜)。
絵の神様が降りてこないんだよね。
驚きも発見もなくなっちゃう。
描けないし、描けても月並みなつまらない絵になる。
われわれは作画モード(正確には行画モード)を見てもらっているのだ。その集中度を判定してもらっている。どのぐらいのレベルで別世界に没入してい
るか。
そういう目で、牧谿の『瀟湘八景図』や雪舟の『破墨山水』やモネの『印象・日の出』を見てみると、それは桁違いの高レベルだ。
佐伯祐三もそのことを知っていたと思う。長谷川利行は考えてもいない。絵を描くとは初めからそういうものと思って描いている。疑っていない。
レンブラントのロンドンナショナルギャラリーの「沐浴する女」。素晴らしい集中度でいっぺんに仕上がっている。あの右手と太もも。まさに油絵の奇蹟
だ。いやいやもちろん顔もいい。頭で考えたって、あんな絵は出来ない。筆の躍動、喜びは頂点に達している。
わがイッキ描きの狙いもそこにあるけど、生涯一点か? 一点描ければ超ハッピー。
いや、行画モードに入ることが至福なのだ。そっちが本当の狙い、か? どっちもどっち。車の両輪だね。言えないよ。説明不可。
15年8月15日
8月11日のテレビ『なんでも鑑定団』に、亡くなった洋画家YIの相馬の馬追いの絵が出た。私は一目贋作だと思った。空間描写ができていないし、大地が
平に描けていない。色も濁っていた。紹介映像に出ていた代表作は、けっこう活き活きとしていた。色も冴えている。でも油彩画ではなくアクリルかもし
れない。ちょっとチャッチい。どうしてもアクリルだと油彩画の深みが出ない、ような気がする。で、全体的に空間表現が甘い。マルケなどとても厳しい。
しかし、出品作は真作との判定。15号ぐらいで250万円だっけ?
描き方は私にそっくりだ。まさにイッキ描き。
録画しておいたNHKの『ドラッガーコレクション展』の解説もわがイッキ描きを支持するものだった。いよいよイッキ描きの時代が来るか!?
でも、YIは芸大出で日展路線を生真面目に歩んだ杓子定規なつまらない絵描き人生。絵も、どうもイマイチな感じ。まちがいなくわがイッキ描きの同志な
んだけど、ちょっと頷けない。
私みたく徹底した現場主義だったかどうか、調べてみたいけど、そんな意欲も湧かない。どうでもいい。
筆の勢いとか色彩のマジックに迷い込むと、肝心な空間描写や人体の骨格表現がおろそかになる。われわれはあくまでもレオナルドやルーベンスの末裔で
ありたい。結果NGだらけだけどね。
また、絵を作ろうとする気持ちも危険。ドガみたいな才能がないわれわれは、とにかく現場に行って感動して、その感動をキャンバスにたたきつけなけれ
ばならない。それがイッキ描きだ。その一番厄介なところをいつも実行していなければならない。
ドガも晩年のパステルやデッサンはけっこう現場主義のように見える。
15年8月8日
7月25日に描いたクロッキー会の絵をまだ見ていない。自分で描いた絵なのに、けっこう冷淡。その後7月31日に真鶴で描いて、この水曜日(8月5日)に絵
画教室でも描いた。ロクに見ていない。今日これから見る予定。20枚以上ある。見るのも一苦労。
描いている自分と見る自分は別なほうがいい。時間が経っていたほうがより客観的になれる。だから、描いた絵は放っておく。そのうち、いつどこで描い
たのかも忘れてしまうようなこともある。酷いね。「この絵けっこういいじゃん」みたいな他人の絵を見るような感じ。これが大事かも。
自分の絵に愛着があり過ぎてもいけない。絵も迷惑だ。ま、絵に人格があるわけじゃないから、絵は迷惑がらない、か。
で、いま20枚以上の絵を見比べた。どうも大したことはない。真鶴港がよかったかも。裸婦は難しい。ポーズも決まり決まってしまう。つまらない。一応
少し写真にとっておいた。
スタイルに拘っていてはいけないのだけれど、この5月ごろからシダネルみたいな絵が出来た。心のなかで「これはいい」と思っていたけど、筆を持つと
シダネルもゴッホもなくなってしまう。そこが私のいいところか。
シダネル(1862〜1939)というのは、ご存じの方もいるかもしれないが、ポスト印象派の画家で、最近人気があるらしい。実は私はそんなにいいと思って
いない。もちろん悪くもない。ひそかに、人気者に似てきたならありがたいと感じていた。
ちょっと似ている風景が20号とか10号なので、買ってもらえるような大きさではない。偶然2点の絵が似てしまっただけだから、今後のことはわからない。
また、ただ似ていると私が思っているだけで、実際比べたら全然似ていないかも。
15年8月1日
中学時代はとても大事かもしれない。
私の両親は、私が中学2年生の終わりごろ、大喧嘩の末に別居した。ま、大喧嘩はそのずっと前からしょっちゅうやっていたけどね。
両親別居後に、私の学校の成績はガタガタに落ちた。中学生なんて、なりだけは立派でも両親に大きく依存している。
でも、中学のころに仏教にも興味があったし、絵も嫌いじゃなかった。私の教科書はいたずら書きだらけだから、授業中には絵ばかり描いていたわけだ。
さすがに、大学のときは、レオナルドやレンブラントの小さな画集を持ちこんで、ちゃんと(?)模写をしていた。
中学のころの仏教の最初の一冊は『出家とその弟子』(倉田百三)だったと思う。親鸞の話だ。おそらく旺文社文庫。われわれの中学生のころは何でもか
んでも旺文社だった。厭だね。
同じ中学のころにこの前豊橋で見たDVD映画『宮本武蔵』(内田吐夢監督・中村錦之助主演)を見ているかも。でも劇場であんなの見たのだろうか?
『宮本武蔵』には禅僧の沢庵和尚も出てくるし、水墨画の梁楷も登場する。
修学旅行で行った奈良で、仏像にのめり込んだのも中学のからときだ。
ギリシア彫刻を初めて知ったのも中学時代だと思う。
仏教もギリシアも人類の起源だものね。
15年7月25日
先週は豊橋美術博物館展でお休みしたので、2週間ぶりの更新だ。
とにかく豊橋美術博物館展は無事に終わった。656人の御来場があった。銀座で1週間やっても300人ぐらいだから、やっぱ美術館は凄い。それも台風1個付
きなのだから驚く。過去5回やっている町田の国際版画美術館の個展でも1000人ぐらい見える。
ま、ご来場者も人数だけが基準にはならない。
豊橋美術博物館展でも、夏休みに入った19日など中学生がけっこう入ってきた。裸婦ばかりなので、4〜5人の男子グループは入り口で踏みとどまっていた。
女の子たちは平気で入ってくる。3〜5歳の男の子もなんか恥ずかしそうな様子。「お風呂屋さんみたいだね」と言ったら、ニヤニヤ笑っていた。
そういう子たちもカウントした。ベビーカーの赤ちゃんも眠っていなければカウント。
赤ちゃんや中学生も大事なお客様だ。すぐ大きくなる。中学生なんて10年後には社会人なのだ。女の子ならお母さんになっている場合が普通、でもないか。
最近は少し遅いかも。とにかく、この歳になると、10年は短い。
私自身中学の教科書に載っていたギリシア彫刻クニドスのデメテルを見て人体画を描き続けることになったわけだし、中学の修学旅行のときの奈良の仏像
がわが生涯の師である。中学時代は大切なのだ。
ま、私の絵にギリシア彫刻や奈良の仏像みたいな価値があるわけないけど、心意気だけは同じ方向のはずなんだよね。多少は感じてくれたか。
15年7月11日
いよいよ豊橋市美術博物館展が始まる。とは言っても、ほとんど準備ができていない。でも、サッカーワールドカップも準備不足と言われながら、なんと
か無事終わった。今度の夏季オリンピック(リオだっけ?)も準備が間に合わないと言われている、というか次の東京五輪も揉めている真っ最中だ。そう
いうのに比べると、私の個展の準備は着々と進んでいるかも。
オリンピックも私の個展も英語で言えば同じイヴェント。それにしても規模がちがいすぎる。あっちは何百億円の世界。私の個展はせいぜい5万円。それ
もすべて持ち出しとなると大変な出費だ。何百億円のうちの1億円でもまわしてくれたら・・・
1億円あったら私はきっと何もしないで、ぶらぶら暮らし、すぐに死ぬと思う。
1億円かぁ・・・
ああ、宝くじでも当たらないかなぁ〜。買ってないから絶対に当たらないけどね。でも、当たると死ぬなら、ますます買わないな。
キャンバス張りと地塗りに追われているほうがいいか。
豊橋から帰ってくると、すぐにクロッキー会がある。地塗り済みキャンバスが13枚必要。全然用意してない。車で行くのだから、キャンバス張りの道具を
積んで行って、個展会場で張るか。それも珍しい作家として話題になるかも。ま、100号の絵を張り直すんだから、張る道具は持って行くけどね。そう言
えば、キャンバス釘が不足気味だった。また1000円すっ飛ぶ。シクシク。
というわけで、来週のホームページの更新はお休み。
金曜日にキャンバス釘を買い(750円ぐらいで済んだ)、キャンバスも張って地塗りも済ませた(34枚!)。とにかく、クロッキーに全生活をかけている。
それにしては、絵の出来がイマイチかも。いやいや、絵の出来はどうでもいいのだ、った。
そう言えば、豊橋市美術博物館のHPの作品集を作っていない。もう間に合わない。旧作、大作が中心。ゆっくりでもいいか。そのうち作るかも。
15年7月4日
新しい絵画ってなんだろう? どういう意味だろう? 今や、新しい絵画どころではない。新しいアートとか新しい表現などと言わなければならない。ど
うやったってまったく自由なんだから。
だから当然私みたく古臭い方法で描いていてもいいわけだ。
はっきり言って、私は新しさなんてクソだと思っている。みんなノイローゼだ。病気だ。新しさ症候群にやられている。
次に来るのが個性。
仏教の「諸行無常」も「諸法無我」も、今や量子力学や最新宇宙論で裏付けられようとしている。ま、お釈迦さまが量子論や宇宙の果てを解明していたわ
けじゃないだろう。多分偶然の一致だろうと思う。というか、お釈迦様はまったく別なアプローチをしたのかもしれない。不思議だけど、世界の哲学者も
血眼になって釈尊の思索を探究している。いやいや思索じゃダメなんだよね。行(ぎょう)なんだよね。最初に行があるんだよね。ま、行で終わっちゃう
人もいるのか? それはそれでいいのか?
お釈迦様は個性なんてないとはっきり言いきっている。だって「われ」がないんだから、個性があるわけない。世の中の関係性のなかで個が成り立ってお
り、それはとても流動的だと言っている。同じことがそのまま道元の『正法眼蔵』に書いてある。
美術界はまったく遅れている。新しさを追って、結局はなにもわかっていない古臭い観念論に縛られている。バカだねぇ〜。
誰もみんな飯を食って排便しているだけだ。大昔から同じ。その途中で恋をし、悩み、考え、喘いでいる。人の営みなんて、そんなに変わるものじゃない。
新しさなんて妄想なのだ。
われわれは描きたいものを描きたいように描けばいい。熱烈な筆への欲求を満たせばいい。ゆめゆめ新しさシンドロームに陥ってはならない。
15年6月27日
7月3日(金)からクロッキー会が再開される。4か月も裸婦を描いていない。
ま、昔は全然描いていなかった。何年間も裸婦を描いていない時期があった。何を描いていたのだろう? 私はとにかく絵を続けて描いてきた。絵画活動
の断絶がなかった。素晴らしい人生だったのだ。でも、父親が絵描きで「お前に裸婦なんて描けっこない!」という宣告を受け、父の存命中はそれほど描
いていない。ま、美術研究所では3年半裸婦を描きまくった。その後、父の宣告もあり、裸婦の長いお休みがあった。この間は動物をいっぱい描いた。ヤ
ギや犬、馬なども描いた。自分の子どもも描いた。私は人体を描くことが好きだと、自分で思う。中学生のころ、ギリシア彫刻のクニドスのデメテル(大
英博物館)に魅せられて以来、人体表現をやりたいぃ〜〜、と思い続けていたのかも。ま、この世に生れて、ギリシア彫刻に出会い、手と目がある以上、
絵か彫刻に進むでしょう。
25歳のときにロンドンで本物のデメテルを見た。・・・凄かったぁ〜〜。息を飲んだね。けっこうでかい彫像だ。坐像なのに1.53mもある。等身大より少
し大きいような感じ。見たときのイメージはもっと大きいように思った。
クニドスのデメテルはギリシア盛期の作品ではない。少し時代が下る。澤柳大五郎の『ギリシアの美術』(岩波新書)では紀元前340〜330となっている。
ギリシア盛期より100年下る。でも顔が付いている立派な像だ。顔が付いているのは凄いよ。ミロのヴィーナスも顔が付いているから人気が高い。ああ、
サモトラケのニケに顔があったらどんなに素晴らしかったか!
盛期ギリシア彫刻の顔はルーブルにあるラボルト。2012年8月3日の私の『イッキ描きブログ』に写真付きで説明してあった。3年前の7月にパリのルーブル
で撮りまくってきた写真の一部だ。おそらくフィーディアスの作。
でもニケの顔のイメージはもっと古いアルカイク期の少女の顔か? いや、もちろんサモトラケのニケはヘレニズム期の彫刻だから、顔も違うだろうけど、
イメージは古期の顔だ。
ああ、ギリシアぁ〜〜〜〜〜。
古くはプッサンが憧れ、最近ではドガが慕った古代の造形。いいねの100連発だよ。彫刻家のブールデルもギリシアをよく見ているね。まったく、プッサ
ン、ドガ、ブールデルには全面的に同意できる。
中国南宋絵画からの流れもいいけど、古代ギリシア彫刻から始まった西洋絵画の流れにも大いに頷ける、同意できる、賛同できる。そりゃ、なんてったっ
てルネサンスは文芸復興、古代ギリシアへの回帰なんだから、レオナルドもミケランジェロもラファエロもいいに決まっている。私はティツィアーノこそ
特上ランクだと思っている。
ギリシア精神で裸婦のクロッキーを描こう!
・・・無理か!
15年6月20日
豊橋市美術博物館展で、自分の主張の全貌を見て頂くのはとても困難だ。できるだけ、文字でも表現したくて、絵と絵の合間にでかい文字でいろいろな自
己紹介文を考えている。ま、若いころからの自分史みたいなことになる。いや、美術研究所のころの話を書いていたら、だんだん増えてしまった。例えば、
46歳のときに銀座で個展をしたときのことなどは、けっこう面白い。とにかく50万円の金を掛けて銀座でやったのだ。もちろんなけなしの金だ。優しい方々
が絵を買ってくださったから助かっただけ。
その後、まちだ小田急(デパート)でやったときの話も面白い。最終日直前に血の気が失せて倒れそうになった。
そういう話はエピソードだからすらすら書ける。しかし、南宋水墨画の話から禅の話になると、簡単には描けない。お釈迦様の悟りなんて話はA4一枚には
収まらない。第一、なんか抹香臭くなって粋でオシャレな(?)油彩画に合わない。
私は大学で東洋哲学を学び、それが南宋水墨画と繋がって生涯無駄にならなかった。偶然の幸運だ。こんな話をどうやって書き表せばいいのだろう。
本気で素直にそのまま書けばいいようにも思うけどね。
少なくとも、「諸法無我」とか「諸行無常」のめんどくさい悟りの話より「絵を描いているときが一番。できた作品より集中して描いているそのことが大
切」という道元原理を述べればいいのではないか。生命賛歌はドガ理論「イタリアからスペインまで、ギリシアから日本まで、絵の描き方にそれほど違っ
たところがあるわけではない。どこでも、大切なことは生命をその本質的な特殊性において要約することだ」でゆくか。そういうアプローチなら抹香くさ
くはならないかもしれない。
15年6月13日
豊橋に行っていたので更新が夜になってしまった。
どうして、現代の美術が最先端だと思うのだろうか?
いいわけないのだ。
仏教は最高が2500年前のお釈迦様。キリスト教だって2000年前のイエスの教えが最高。
私にとっては、ギリシア彫刻(2500年ぐらい前)が最高の美術だ。
古ければいいというものじゃない、という人もいるけど、私は古いほうがいいに決まっていると思っている。だって生活が不便だもの。不便なほうが人間
に粘りが出るのだ。美術作品も粘りのあるいいものができる。
トイレはウオッシュレットじゃない。新幹線もない。ジェット機もない。天気予報もない。電話もない。テレビもない。吉幾三なのだ。印刷物も不十分。
何にもないのだ。インスタント食品もない。農薬もないから全部無農薬野菜。電気もない。夜は満天の星空。凄いよ。もちろんパソコンもない。
前にも書いたかもしれないけど、若い美術史家が二人新幹線でサントリーリザーブをやりながら雪舟を語った、と自ら書いている。ま、いいけどね。で、
雪舟は禅僧というより専門の画家だった、だって。自分の暮らしが物差しになるのだ。禅僧の覚悟というものを知らない。情けない。雪舟は夏珪を尊敬し、
牧谿を慕っていたのだ。絵を見れば一目でわかる。で、宗派は違うけど道元の『正法眼蔵』もちゃんと読んでいたと思う。
ああいう本はハッタリではない。ちゃんと中身のある書物だ。よく読めば感動もする。雪舟にそういう知見がない
わけがない。そんなインチキな禅僧では
ないはずだ。絵を見ればわかる。
現代は最低である。人の生死を見ないようにしている。考えないようにしている。ダメだぁ〜〜〜。
もちろん私も最低の現代人の一人だ。だけど、方向性だけは見失わないように努力しているつもり。それでも、いつも迷っているけどね。情けないよ。
現代はクソである。便利はとってもありがたいけどねぇ〜〜。
15年6月6日
問題は分量ではない、方向である。高校数学風に言えば、スカラーではなくベクトルなのだ。テニスなどのスポーツなら、そのときの力量より勢いが肝心、
ということ。
人の健康も、心配ばかりして健康診断を受けまくっているより、積極的にジジイ体操に励んだ方がいいと思う。71歳の椎名誠はいまでも腕立て伏せや腹筋
を何百回もやっているらしい。体脂肪10以下とのこと。ちなみに私の体脂肪は20前後だ。腕立て伏せは楽な斜め方式で50回。それでも死にそうに苦しい。
膝立て腹筋は24回。こっちも24回でヒーヒー言っている。時間を空けてやるけど、それぞれ2分もかからない。しかも毎日じゃない。マンション勤務の日
(週に4回)だけだ。
健康診断も管理会社のと町田市ので年に2回受けている。1回にしたい。
とにかく、前向きに実行しないと病魔はいつも狙っている、というか、やっていたって病魔が来たらおしまいだと思う。そういう問題じゃない。健康に生
きるということだ。この健康というのは精神の健康だ。気持ちの問題。楽しようとばかり思っていたら、精神も不健康になる。行けるうちはガンガン行か
ないと暮らし自体がつまらない。
ガンガン進むという方向性が大事だと思う。
先人の行動を思えば、私のウォーキングや水泳やジジイ体操は超低レベルだ。椎名誠にも及ばないのは、お分かりだと思うけど、葛飾北斎なんて80歳を過
ぎてから4回も小布施に行っている。最後の旅は88歳に出かけたという。どうやって行ったか分からないけど、駕籠や馬を使ったとしても、重労働のレベ
ルを超えている。山岳地帯を進むのだ。
無謀とも言えるアンチエージング。超人のレベルに達している。
とても真似はできないけど、高齢を生きる指針として知っておきたい。
ああいう人に引退(=リタイヤ=隠居)の思想はない。やれるだけやっていてやってる最中に死んじゃう、みたいな過酷な人生観だ。ま、好きなことやっ
てんだから過酷という意識もないかも。
15年5月30日
父の言ったことで「自分が買ったものが一番」というのがある。
テレビなんかを買うと、もっと別なメーカーのほうが良かったかとか、大きさもいろいろあり、買った後後悔するようなこともある。そういうとき、父は
「自分が買ったものが一番」と言った。
なかなかの名言だったと思う。
だって、自分のテレビは目の前にあり、ちゃんと映っているんだもん。それが一番に決まっている。他のテレビはどんなか、わからない。いや、もちろん
よりいいかもしれない。だけど悪いかもしれないのだ。それは、わからない。
連れ合いの選択だって同じ。自分の奥さんが一番なのだ。望めば切りがない。夜中に寝首をかかれなければみんないい奥さんである。
学校もそう。偏差値なんて関係ないのだ。自分の行った学校が一番。そこの先生に教えてもらい、そこで知り合った友達と付き合うのだ。それ以外の道は
ない。
もちろん、職業も人生もみんなそういう道理だ。
これは一つの悟りかもしれない。
少なくとも、受験ノイローゼなんかにはならない。
私は高校1年のとき、志望校を東京大学と書いて、職員室に呼び出された覚えがある。志望調査書にふざけたことを書くな、と怒られた。むろん、私はふ
ざけていない。高校1年で東大を目指して行けないはずもない。いくら偏差値40の高校だって、大学を目指す以上最高を目指すべきではないのか。
結果はどうだっていいと思う。目指して頑張ることが重大だ。
だから今も絵描きは富岡鉄斎を目指している。明治以降の最高の画家だ。私が富岡鉄斎を目指したって誰の迷惑にもならない。結果は、本人のあずかり知
らぬことだ。どうせ死ぬまでしか生きない。好きなようにやらせていただきます。
自分の人生が一番なんだから・・・
もしかすると、私の父はいい親父だったかもしれない。
等迦会も偏差値40ぐらいの美術団体かもしれないけど、いやな団体じゃない。もちろん、いろいろ文句もある。だけど、そんなもん、言ったら切りがない。
私は腐りきった日展なんかより100倍いいと思っている。自分を受け入れてくれた団体が一番いいのだ。国立新美術館でやるんだから、どこでも同じだ。
あの建物は、黒川紀章が建ててくれた私の絵のでっかい額縁だと思っている。
みなさんどんどん出品してください。入選請け合いです。
15年5月23日
バラ園で一人描いていると、後ろから年配の男性が
「これが本当の油絵ってもんだ!」とお声がかかった。
朝のバラ園は立派なカメラを持った男性が多く、写真を撮る方は絵心もあるとみえ、けっこう興味を示される。
本当の油絵ねぇ。
どうなんですかね。
何が本当で正当で由緒正しいのか?
それぞれの流派、系統があって、あまりにも多様でわけがわからない。目くじら立てて自分こそ本物と言い張ること自体、バカバカしい感じ。
私が描いている絵は『本当の油絵』(=グチャグチャ塗ったくり描法)かもしれないけど、読んでいる小説『序の舞』は、それこそ由緒正しい京流日本画。
円山四条派の本流、上村松園の生涯だ。
そのとき私が描いていたのは濃い朱色の大輪のバラ。花も見事だが、葉も大きく立派。枝ぶりもすーっとスマートだった。その一株が風になびいてゆった
りと左右に動く。惚れ惚れするね。バラならではの風光だ。
これを太い筆でイッキにやっつける。
地塗り済みの8号にさらに大雑把にバックの調子を付け、息を止めて、太い枝を下から上へ描き上げる。2本、3本と小枝をくわえておいて、別の太い筆で
大きな葉っぱをバンバンと置いて行く。一番気持ちのいいところ。いい空気をいっぱいに吸い込む。後ろの森から鶯の鳴き声。のどかだねぇ。
葉っぱは緑だけじゃない。オレンジもエンジもある。
最後に花を描く。濁らないように花のところの絵具を拭きとっておいて、一気呵成に仕上げてしまう。
画面全体にアクセントを置いておしまい。
風に揺れる大輪のバラを見た感動を、その思いが冷めきらぬうちにキャンバスに焼き付ける、これがイッキ描きだ。その現場で最後の一筆まで描き上げて
しまうのだ。もちろんサインも入れちゃう。
この花を見て、花と同じ風に吹かれている自分が描いた絵だ、それが私の絵だ。私のやり方だ。デッサンも下絵も蜂の頭もない。デッサン=タブローなの
だ。
目の前の対象に感動しているそのときの状況をキャンバスにたたきつけるのだ。
出来あがった絵がどうなのかはまったくの別問題。
そのことは考えていない。数日後に見直してみてダメならパーである。
しかし、その判定も人によって異なり、私自身どうにもわからない。
いやいや最終責任は私にあります!
15年5月16日
素朴な疑問がある。どうしてアートの人たちは素晴らしいアートの後ろには仏教とかキリスト教などがある、と言わないんだろうか?
私はむしろアートなんてない。仏教やキリスト教があるだけだ、と思っている。
ギリシア彫刻は古代ギリシアの宗教だけど、あの彫刻だって神殿を飾っていたのだ。
私の知る限り、素晴らしい芸術はすべて後ろに宗教がある。
特に禅宗の美術は、教義や神話の図解ではなく、そのときの画人自身の境地を直截にぶつけた、一種の表現主義と言える、のか? もちろん、そういう分
類はナンセンスで、禅の水墨画はそれで独立したモノである。ヨーロッパ式のどこかのジャンルに分類することはできない。もともと禅はヨーロッパには
なかった。
前にも書いたが、明治期に洋画を修得しようとした若い日本人はキリスト教に入信している。中村彜も藤田嗣治も岸田劉生も。生涯をかけて油絵を咀嚼し
ようとした。真摯な姿勢である。
物凄く納得できる行動だ。
最近のアーティストだか芸術家だか、なんだか知らないけど、ちょっと達者に筆が使えるからと言って、オツに気取られても、チャンチャラおかしいって
言うの。絵が上手いだけのヘボ野郎に過ぎない。
全人生を絵画に捧げた明治・大正期の画家たちのほうがずっと同意できる。納得できる。尊敬できる。身を捨てて、地べたを這いずってでもヨーロッパ絵
画をものにしようとしているもの。彼らはヨーロッパ絵画を、キリスト教も含めてちゃんと敬っている。
もちろん私はそんなに立派じゃないけど、方向性は知っているつもりだ。ヨーロッパ絵画の偉大性もよく承知している。また、いつも再確認しようと美術
館に行っている。家で画集はしょっちゅう見ている。絵描きなんだから当り前だけどね。
15年5月9日
絵描きの生涯の目標は何だろう?
政治家なら総理大臣、将棋の棋士なら名人、スポーツ選手なら金メダルなど、とてもはっきりしている。
絵描きだったら、一般的には文化勲章というのがある。
だけど、私の尊敬する画家はほとんどもらっていない。富岡鉄斎は、勤皇の志士だったこともあり、明治政府から厚遇される立場だったけど、文化勲章は
まだなかった。死後に位1級をもらい、従4位に叙されている。生前、今の芸術院会員の前身・帝国美術院会員に選ばれ、それを受けたが、会議にも出席し
ないし、絵も出展していない。
長谷川利行は乞食の飲んだくれなんだから貰えるわけがない。
わたしの目標は富岡鉄斎みたいな絵を描くこと。または長谷川利行みたいな絵を描くことだけど、そっくりに描いてもつまらない。ああいう気持ちで絵を
描くことだ。
利行や鉄斎に限らない、ドガとかモネとかレオナルドとかレンブラントとか牧谿とか八大山人とか浦上玉堂とか切りなくいる。
でも、そういう目標って漠然としていてさっぱりわからない。
一般的に職業の目的は生計が立つことと、さらに名を成すことかもしれないけど、本物の絵描きはいい絵を描くことが目的になる。
『近代日本画の人脈』(田中穣・新潮社)によれば鉄斎の絵は
「鉄斎を見るかぎり、明治以後の日本画の異才たちが血みどろな苦闘をつづけた末に、まがりなりにも近代化しえた近代の日本画も、もしかするとまった
く間違えだらけのものではないかとさえ、私には疑われてきた」(p262)
と、岡倉天心以降の日本画をばっさり切り捨て、
「鉄斎芸術の持つ偉大さ、その身近な味わいは、どこまでも純粋種の持つ魅力にある。ひとり鉄斎を除くその他すべてが日本画に近代をもたらすためにつ
ねにヨーロッパをとり入れ、東洋でもない西洋でもないどちらつかずのアイノコを生みつづけたのに対し、鉄斎は明治以前までともかく命脈を保っていた、
日本をふくむ東洋の画法をむさぼり食らうがごとく自分の中にとり入れ、それを集大成し、徹底して東洋の純粋種を生みだしていたからこそ、鉄斎芸術に
は、日本人の誰にでもすなおに親しめる身近さも、作品としても独自性も、永遠性も備わっていた」
と文句なしの大絶賛なのだ。
この鉄斎の道にしたがうためには、千里の道を行き万巻の書を読まなければならないのだけど、それってまさしく修行でしょ。絵画修業ではなく人間修行
だと思う。萬鉄五郎の言うように、一筆一筆のうちに練るしかないのである。
食うとか名を成すとかじゃなく、ただひたすら描く、みたいな。
自分の絵の良し悪しにも頓着せずどんどん描く、みたいな。
そして、先人の画業をよく見る。
いつも結論は同じ。申し訳ありません。
15年5月2日
わが毒舌のなかに「絵描きはみんなバカ」というのがある。
ここのところ読んできた『近代日本画の人脈』と『日本洋画の人脈』(両方とも田中穣・新潮社)を読了した感想も、やっぱり「絵描きはみんなバカ」と
いうものだった。
本当だろうか?
例えば、東海地方の最高の公立高校は名古屋の県立旭丘高校だと思う。東京の日比谷高校、大阪の北野高校に匹敵する。オール5でも合格できない人
がいるのか? よく知らない。
その美術部は歴代の巨匠を輩出している。県立千葉高校も美術で有名。
そういう高校を出ている大画家を、偏差値50にも満たない高校の出身者が「バカ」と呼んでも、誰も信用してくれないだろうが、でもやっぱりバカである。
『日本洋画の人脈』の「あとがき」には物凄いことが書いてあった。
「黒田(清輝)とそれ以後の主流のようなまちがいを犯さなかった浅井忠、青木繁、関根正二、岸田劉生、萬鉄五郎、佐伯祐三から藤田嗣治までが、当時
の洋画界一般のようなまちがったスタイルを踏んでいないということで邪道の扱いを受けた事例がつぎつぎにわかってきたのですから、わたしはもはや黙
っていられなくなりました」
この「邪道の扱いを受けながら」「まちがいを犯さなかった」立派な画人のなかに中村彜と長谷川利行の名が入っていなかったのは残念だが、本文ではま
ちがい主流に流されなかった画人として取り上げられていた。
成績優秀者でもバカは少なくない。どうにもならないのかもしれない。太平洋戦争に突き進んだときだって、成績優秀者が国の舵取りをしたのだと思う。
絵描きがバカなのは大前提である、のかも。
私にはどうでもいいけど、知り合いの方が道に迷い込んでいる場合、一言ご注意したくなるね。しかし、それも無理。まさか「日展が腐りきっている」と
か「芸大を筆頭に、他の美大もトンチンカンなのだ」などと言っても誰もすぐには納得できないだろう。
とにかく、是非とも『日本洋画の人脈』と『近代日本画の人脈』を読んで頂きたい。出来れば小学館の『原色日本の美術』の『近代の洋画』と『近代の日
本画』ぐらいは脇に置いて実作を確かめながら読み進めて頂きたい。竹橋の近代美術館に足を運んで本物を見てもらえばさらに確かだ。でも、黒田清輝に
だっていい絵はある。筆の人だ。一律に○×式に判定は出来ない。
15年4月25日
前にも書いたけど、「芸術━芸術こそ至上である。それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、生への偉大な誘惑者、生の大きな刺戟である(権力意
志853)」とニーチェも言っている。
ミケランジェロのどの彫刻も絵画も生命賛歌そのもの。
この生命賛歌の前に東洋も西洋もない。キリスト教も仏教もイスラム教もない。誰もが納得できる人類共通の目標である。
生命賛歌は人生の応援団ではない。応援そのものが生命である。スポーツ選手の動きそのものが生命賛歌なのだ。そのスポーツ選手を応援しているわけじ
ゃない。スポーツ選手自身が応援団長だ。
だからそれはスポーツに限らない。芸術も同じこと。そういうスポーツや芸術の応援をしてくれる人は二重応援ということになってしまうけど、そういう
応援もないと困る。スポーツや芸術は応援してもらわないことには何もできない。一見何の役にも立たなそうだけど、スポーツや芸術は人類に欠くことの
できないカンフル剤だ。
いやいや、大自然も偉大な生命賛歌だよね。
生命そのものが生命賛歌なのだ。そういう好循環でできている。生命賛歌は実際にも生命維持循環であるわけだ。
人間の贅沢がそういう循環を破壊している。
ま、だけど、人間もそこまでバカじゃないでしょ。大丈夫だと思う。原則、私は人を信じている。
とは言ってもこうしている間にもテロや殺戮があるんだよね。おかしい。甘くないかも。
でも、とにかく、私は絵を描くしかないよ。
もう64歳でこうなっちゃってんだからどうにもならない。進むしかない。
15年4月18日
やっぱり、生命力に気が付いていない。生命賛歌だけがあらゆる芸術の存在価値である。他には何もない。斬新さとか「自分の精神をうたいあげる」など
というのは妄想である。もともと自分というものがないのに、その自分の精神をうたいあげられるわけがない。
富岡鉄斎の最晩年の山水画は生命に満ち溢れているもの。
牧谿の瀟湘八景図だって、大自然を賛美し、人の営みを讃え、巨大な生命の動きを謳歌している。
ギリシア彫刻の女神たちの衣紋、そのなかに潜む肉体の躍動。むろん完璧な人体表現なのだが、目的は生命賛歌以外の何物でもない。筋肉や骨格の表現、
それらが有機的に関連しあって生み出される複雑な肉付け。そういうことはムチャクチャ大切である。だけど、あくまでも目的は生命賛歌にある。
インドの古代彫刻はもっとはっきり生命の喜びを彫り出している。古代ギリシアから学んだ彫刻だけど、その古代ギリシアの彫刻家の意図にまっしぐらに
向かっている。ぶれがない。聡明なる情熱である。
それはアンコールワットの彫刻にも繋がる。
もちろん、中国の仏像から日本の奈良の仏像にも伝わってきている。鎌倉の運慶も正確に受け継いだと思う。
ヨーロッパのティツィアーノはギリシアのそこのところ(=生命賛歌)をきっちり油絵で再生した。ミケランジェロのフレスコも凄い生命賛歌だけどね。
それが芸術家の仕事というものだ。それ以外に仕事はない。
知を持ったホモサピエンスの自滅を救えるのは芸術だけなのだ。
知は、極めれば極めるほど自殺を招来する。閉じこもりたくなる。どんどん消極的になってしまう。知の病だ。
太古のエネルギーを喚起するのは芸術である。ここをしっかり押さえておかないと、とんでもないバケモノ芸術が闊歩してしまう。また、芸術アカデミズ
ムがはびこってしまう。絵描きはたった独りで生命賛歌を繰り返していればいいのだ。
審査、入選、受賞。すべてナンセンス!
だけど、威張った大家に負けないだけの画力は持っていたい。圧倒的な修練を積んでおきたい。負け犬の遠吠えでは困る。徹底的に腕を磨かなくては、生
命賛歌も蜂の頭もない。
とにかくクラシックに学ぶこと。どんどん描くこと。
15年4月11日
『日本洋画の人脈』(田中穣・新潮社)には日展アカデミズムの欠陥がはっきり書いてある。
「こうして全体的にみて、まさしく抵抗感のない、うわべだけ小器用でうまい絵のスタイルが、以後文展洋画の趣味性を代表してゆく。文展から、帝展、
第二次大戦後の日展洋画へと、名称は変わり、組織上の改変はほどこされたにせよ、早くも明治時代に受賞のための条件とされた文展洋画のアカデミック・
スタイルは、いまもって本質的にはなんの変化も見せていない。主流となった黒田外光派の感覚至上主義が、文部省主催の美術展という権威のなかに確立
されてしまったからだ」(p100)
同じようなことは日本画にも言え、それは『近代日本画の人脈』(田中穣・新潮社)に詳しく述べてある。
では、どういう絵がいいのか?
このへんのところは、私も全面的に田中に同意できないけど、著書のなかには、田中の理想とする絵画論がちらほら見える。
上の引用文のすぐ後にも
「先行の様式や流派とたたかいながら自分のスタイルを生みだし、そのうえでなお自分の精神をうたいあげる絵画本来の意味」というような記述がある。
描く立場から言えば、絵画の意味としてはまったく弱い。そんな理想で絵を続けられるのだろうか?
田中の説は見る側の立場。上記のような絵が見たいのだろう。
描いているほうはもっと泥沼である。泥沼を進むように喘いでいる。油絵の場合、まさに絵具と油で、淡水の泥沼よりも始末が悪い。とにかく描く側は描
くこと、それを続けること、この一点が大問題。原則、人は絵なんて描かない、のだ。
ま、日展とか文化勲章などの華麗な絵画ワールドとは程遠いところ、というかまったくの別世界に住んでいるわれわれには関係ない話だ。
田中が『近代日本画の人脈』でも言っている富岡鉄斎の世界こそ私の理想である。鉄斎から拒絶されようが、無視されようが、私は鉄斎世界の末席にぶら
下がっているつもりだ。そっちで絵を描いている。描いていたい。
15年4月4日
個展では毎年、金井さんの展示から学ぶことが多い。
自分でいいと思った絵がイマイチということも多い。
本日の掲載図版『風渡る』(p12)はかなり以前にデジカメに撮ってあったけど、自分ではそれほどいいと思っていなかったから、画像処理もしていなか
った。金井画廊で毎日見ているとよく見えてしまう。金井さんもいいと思ったから特等席に飾ってくれた。
そうなると、次に絵を描くとき、そういう絵みたく描こうとしてしまう。前に上手く行った絵を目指してしまう。これがいけない。
いけないけど、つい心のどこかで狙っている。ダメだぁ〜〜〜。
でも、そういう絵描きの悪例は限りなくある。私はこれが絵画アカデミズムの根源だと思っている。
特に達者な絵描きは、先人の絵だって器用に真似てしまう。その積みかさねがでっかい絵画アカデミズムになる。
学問ならアカデミズムは必要不可欠だ。しかし、絵画ではいけない。新鮮な感動をキャンバスにぶつけるのが本筋。絵の出来は結果論である。決して目的
ではない。
そういうお手本になるような絵画(=古典絵画)を追っていると、古典絵画のエッセンスだけを求めてしまう。そのエッセンスを「美」と思い、それを再
現する技が「美術」と言われるようになる。
だから私は美はないと言い張るのだ。
古典絵画を見ることは不可欠。絶対必要である。しかし、故人の跡を求めてはならない。故人の求めるところを求めるべきだ、とは芭蕉も言っている。ま
ことに至言である。