唇 寒(しんかん)集40<13/1/3〜5/30>
13年5月30日
絵とは不思議だ。描いているときの精神状態で絵が全然ちがってしまう。もちろん精神主義ではない。精神状態というのは自分の状況とい
うことだ。絵画教室で描く絵は比較的成功率が高い。それは、いくら気楽な絵画教室と言っても、私は講師であり、ある程度の責任がある。
緊張もある。生徒のみなさんから見ると、緊張などまったく見えないと思うけど、一応私は仕事モードでやっている、つもり。だって、毎
回しっかり講師料を頂くのだから当たり前である。実体はともかく、そういう気持ちは持っている。
クロッキー会は教室ではない。ただモデルを描くだけ。
バラ園や海に行くときも、そのときの自分の状況で絵が変わる。体調や天候はもちろんだ。
いっぽう、絵は描けば描くほど上達する。これも間違いのない事実。普通に真面目に描いている限り、筆の動きはよくなる。結果として絵
が厚くなる。色の層を知る。筆も自由になる。売り絵を大量生産している場合は上達といえるかどうか、難しい。それでも大津絵みたく魅
力的な造形が生まれる場合もある。原則、描けば描くほど、自動的に上達すると思う。
それじゃあ、お前の絵は37歳で死んだ中村彝やラファエロやゴッホやロートレックより上手いというのか、と畳み掛けられると、グーの音
も出ない。だから状況だって言っているのだ。
時代や状況はどうにもならない。手の打ちようがない。
フィレンツェなんていう狭い場所に、レオナルドやミケランジェロ、ボッチチェリなどがいて、彫刻家もドナテルロやヴェロッキオなども
いた。
そのうえ、その前の時代にも、マンティーニャ、マサッチォ、ギルランダイオなど、うようよと素晴らしい芸術家が躍動していたのだ。時
代の層も分厚いのだ。いったいフィレンツェってどういう町だったんだろう。その坩堝の中に、才能と情熱の塊みたいなラファエロが飛び
込んで来た。時代も絵画を要求していた。どんなことになるか想像できる。想像力の乏しい方は上野のラファエロ展に行っていただけばわ
かる(私は本日行く予定)。
ま、違いをはっきり見極め、学ぶべきところは少しでも学ぶしかない。意気消沈して絵を止めたくなるよ。止めるのもひとつの道かも。そ
れでも止めないで描くのは、頭のネジが2〜3本足りないのかもしれない。ハイ、自分のことです。
13年5月23日
繰り返しになっちゃうけど、絵は描くことそのことに意味がある。絵の出来はどうでもいい。二の次だ。絵描きにとっては絵を描く行為そ
のものが喜びなのだ。
塾をやっているとき、女の子が「先生に私のバレーボールをやっているところを見てもらいたいよ。それが私の本当の姿だから」と言われ
たことがある。私だって絵を描いているときが本当の私だ、と思った。でも、私の姿は見てもつまらない。
いろいろなこと、マンションの管理人や水泳や腕立て伏せやジジイ体操なども全部、絵を描くためにやっている。私の人生はずっとそうだ
った。家族にはまことに申し訳ない。
キャンバスに向かって絵筆を持ったとき、最高のコンディションでいたい。何月何日のクロッキー会に合わせて体調を調える。絵画教室
(私は講師なのにいっぱい描くから)にも合わせる。バラ園や海に行くときも同じだ。でも、その日の朝に便通が悪かったりすることもある。
気にしないけどね。ま、だいたい快調だ。
絵の出来が二の次というと、絵を買ってくださる方に申し訳ないようにも思えるが、私の絵を買ってくださる方は、そういうことは十分ご
理解の上だと信じている。だいたい、私の絵の場合、買ってくださる方は誰も全員私より人間のレベルが高い。
絵の出来に汲々としているようではいいものは生まれない。
でも、今日も絵画教室でマリーナを描いたけど、なかなか上手く行かない。泣きたくなる。まさに格闘である。いったい私は何と格闘して
いるのだろうか? やっぱり絵の出来か?
それでも、この格闘は無性に楽しい。
13年5月16日
5月14日のブログで、「この話は水曜日のホームページでさらにくわしく述べたい」と書いてしまったので、ここで述べる。
小さいながらも絵画教室をやっている人間が言うのもヘンだけど、絵の描き方は、基本的にはないのだ。行き当たりばったりなのだ。そう
でなければ嘘だと思う。行き当たりばったりが本物の絵だ。
もちろん、われわれはいつも描き方を追っている。描き方というか、クラシック絵画に低通する何かだ。そういうものを追っている。私は
クラシック絵画を残した世界の画人たちの末裔でありたい。トンチンカンな現代絵画、個性の絵画を描きたいとは思わない。ブログで何度
も書いているように「個性」なんて妄想なのだ。そんなものはない。少なくとも「個性的な絵」は要らない。なんか気持ち悪い。「個性」
とか「今までにないもの」なんて言っているヤツはみんな不勉強。本当のギリシア彫刻を見ていないのだ。相手にしないほうがいい。
もしかしたら、空や雲も見ていないかも。ちょうど今ごろの空はまさに印象派の空だ。印象派の雲が浮いている。素晴らしい風光だ。「あ
あ、シスレーもこういう空を見て絵筆をとったんだなぁ」と感嘆する。同意する。そして自分も描くだけだ。それだけのこと。難しくもな
んともない。幼子が親の真似をするのと変わらない。
行き当たりばったりというと、なんか格好がつかないが、不確実性と言えばいいか、偶有性ならもっと格好いいかも。横文字だったらセレ
ンディピティ。茂木健一郎の「『脳』整理法」(ちくま新書)に詳しく書いてある。それがイッキ描きの正体だけど、もしかすると、これ
って最先端の知見かもしれない。
イッキ描きは古くて新しいのだ!
13年5月9日
絵は線だと思う。色や構図ではない。私が考えた絵画の三要素は一般的な「デッサン、色彩、構図」ではない。20歳代のころから私の絵画
の三要素は「線、調子、黒っぽい色のポイント」だ。
絵は、同じような図柄を続けて描いても、そのときの心境で絵が変わる。別な日に同じ場所を描いても全然ちがう絵になる。
絵というのは人間をそのまま表すものだ。上手い下手は別な次元の問題だ。
たとえば、中村彝の絵。5月7日に新宿の博物館で中村彝展を見た。展示数は少ないが、代表作がズラリと並んでいた。
彝は若いころから結核に罹り、病状のよいときを見計らって絵を描くという、まさに命懸けの制作をしていた。絵を描くことが身体に悪い
といって、寝てばかりいるのを嫌った。死んでもいいから、小康状態のときには絵筆をとった。
凄まじい気迫だ。絵ももちろんいい。
時代も大正デモクラシー。私が常々、近代日本の最高の10年(1910〜1921年)と言っている、そのまさに10年間に活躍した。私に限らず、
知っている人はほとんどみんな同じ意見だと思う。
このホームページの「絵の話」「ヨーロッパ美術への憧憬1・2」でも画像付で述べているように、飢えた狼のようにヨーロッパ文化に貪
りついた。当時の日本人にとってヨーロッパはまさに完璧だった。中村彝にとってヨーロッパ絵画は無限の豊穣で美味な宝石箱。その純粋
な探究心は誰にも真似ができない。彝の絵はわれわれのお手本以上の貴重な財産である。あの時代、あの精神、あの状況が生み出した唯一
無二の芸術である。
13年5月2日
釈尊の悟りを脳科学から解明できたら、ips細胞を上回る快挙だ。
だって、全人類が悟りを開くわけだから、まず戦争がなくなる。小さな言い争いもなくなるし、もちろん殺人事件もなくなってしまう。警
察も要らない。
まさに、未来社会。人類の究極の進化かも。
戦争反対も原発反対も必要ない。静かにしていていい。
富の偏りもなくなるかも。
釈尊は衣食住に拘らず、装飾を嫌ったから、金や宝石の価値もなくなる。
スポーツはどうなるのだろう?
絵や音楽は?
釈尊は歌舞音楽、偶像も嫌ったと聞く。絵や音楽もなくなるのか?
スポーツも争いだからダメか?
なんか、つまらない世界になる予感もある。
みんな旅人になるのだろうか? みんな修行者。
釈尊自身は結婚もしたし息子も一人いた。だけど修行者は恋愛禁止、性愛禁止だから人類が滅亡してしまう。
恋愛がなくなると、サザンの歌もなくなるのか。
ンなわけないか。
全人類のことはどうでもいい。私は今の路線で概ね間違っていないような感じだ。
でも、病気になったりすると、とても困る。「今ココ」路線で生きてゆくのも大バカなような気もする。ずっと大バカだったけどね。ここ
まで好き勝手に生きて来られたのも、運がよかっただけだ。老後が心配だねぇ〜。やっぱり悟りには遠い。
13年4月25日
悟りを開いた人の本読んで、一応は理解できたのに、何にも変化がない。風邪は抜けきらないし、コンクリートに膝を強打するし、碌なこ
とはない。もちろん、ギリギリの暮らしも続いている。
ま、大悟はしたけど、徹底していないということか。大悟徹底しなければ意味がない。もちろん、大悟のほうも仮説なんだから当てになら
ない。
地塗りキャンバスもイマイチ不足気味。今日の絵画教室でも10号ぐらい描きたかった。
ジャンジャンキャンバスを張ってどんどん地塗りして100枚ぐらいストックしたい。今までの最高記録は70枚ぐらい。100枚とか200枚溜めて
おけば、シルバーホワイトの地塗りも夢ではない。シルバーホワイトで地塗りが出来れば発色がさらに向上する。キャンバスの下から湧き
出るような発色が期待できる。
何度も言うように、絵は色彩よりも線だと思っている。本人はそう思っているけど、私を色彩画家だと言ってくれる人も多い。もうそれな
らそれでいい。何でもいい。色彩画家はマイナスイメージではない。ありがたい評価だ。文句はない。
私は本気で100枚以上の地塗りをするつもりだ。シルバーホワイトの地塗りも実現すると思う。去年フランスへ行ったエネルギーで取り組め
ば、簡単な作業だ。
13年4月18日
前野隆司は幸福学の研究も行っていて、アンケートなどもとっている。
で、「幸福の要因は大きく四つの因子に分けられることがわかった」と書いてある(『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』p221〜222)。
これを読むと、私は金が全然ないし、62歳で借家住まいなのに、とても幸福であることがわかった。
四つの因子の一つ目はあとまわし。二つ目は家族や友人と親しいか、三つ目は楽観的か、四つ目は他人と自分を比較しない。私はだいたい
当てはまる。特に「楽観的」には大いなる自信がある。
で、一つ目だけど、一つ目は「目標を持っているか、直近の目標と将来の目標に一貫性があるか」
これは、子育てに似ている。子育てをしている母親や少しの父親もまさに直近の目標と将来の目標があり、それに一貫性がある。すなわち、
元気に育って欲しい。直近では、怪我や病気をしない。将来だと、博士か大臣じゃなくとも、まともな社会人に成長して欲しい。出来れば
悟りを開いて欲しい(=これは無理)。
私の場合、子育てもしたし、塾をやっていたのでたくさんの中学生の充実した将来を願ったし、今も2歳半の孫と親しいので、同じような幸
福感を持っている(が、怪我や病気の心配もとても多い)。
しかし、私の場合は、絵がある幸福がある。ずっと絵を描き続けてこれたことは最上の人生だった。神に感謝するしかない(もちろん、前
野先生も私も神の存在には否定的だけど、私の場合は、適当に神が出てくる。別にどうということはない。大問題じゃない)。とにかく、
直近の目標と将来の目標が一致している。将来の目標はもちろん、芸術院会員でもないし文化勲章でもない。本当にいい絵が出来ること、
素晴らしい絵を描くこと。もちろんそれは常に目標にしており、毎日そのことばかり考えていて、昔のいい絵をたくさん見る。自分も描く。
何十年もそういう暮らしだった。これは最大の幸福なのだ。ゴメン。
13年4月11日
『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』(前野隆司・講談社)を読むと、細かいところで意見がちがう。しかし、大雑把にはほとんど私
と同じ考えだった。びっくりした。こんなに似ている人がいるのか思うほどだ。そのうえ、前野先生は東京工業大学を卒業して慶応大学の
システムデザイン・マネジメント研究科の大学院の教授である。物凄く学問的な研究成果なのだ。
細かいところは、キリスト教などの一神教批判や死刑論、人の命についての思いなどが、私の意見と少しちがう、というか言葉足らずなの
だと思う。若い人が読んだら勘違いしちゃいそうな危険な箇所もある。
また、風呂に入って「あ〜あ、きもちい〜」が悟りと同じだというくだりも、私とは多少ちがう感じ。もっとも、私はとても未熟だから前
野先生のほうが正しいと思う。
とにかく、もう少し前野先生の本を読んでみる。
私の経験はヨーロッパや中国、日本の古典絵画を通じてのキリスト教観だったり仏教観だったりする。また、仏教については多少坐禅など
も体験したけど、ほとんどが入門書の域を出ない。道元の『正法眼蔵』はけっこう読んでいるけど、はっきり言って、よく分からない。
ま、やるだけやって、死ぬときは死ぬ。それだけのことだ。「やるだけやる」というのは、私の場合は「少しでもましな絵を描く」という
ことだ。絵画について、人の修行として、とても劣等感があることも拭いきれていない。でも、私は絵を描くしかないもの。
13年4月4日
図らずも私は個性的な画家になっているかもしれない。その根本は2〜3日前からブログで述べている。一言で言えば、美術否定論者だ。絵
描きのクセに美や美術を否定しているのだから、これほどの個性はない。くわしくはブログをどうぞ。
他に、私は古典絵画をよく見歩く。これも個性的かも。絵描きが昔の偉い画家の絵を見歩くのは当然なのだが、実際に見歩いている画人は
意外と少ないのだ。私は古典絵画の展覧会にもよく行くし、画集は家中に充満している。溢れている。もちろん実際にもよく捲っている。
鉛筆で軽く模写もする。ただ見たくて見、模写もしてみたくてしているだけなのだが、よく言えば研究熱心である。
いっぽう、私は最近の絵をほとんど見ない。銀座や京橋の画廊めぐりなどしたことがない。たまには行くけど、ほとんど行かない。さらに、
日展や独立、国展などの公募展にもまず行かない。とても不勉強。こういう絵描きも珍しい。申し訳ないけど、現代絵画はろくでもないと
思っている。
博物館などに行くから、陶芸や書などもよく見る。一般の画家よりも禅僧などの書について、多少はくわしいかも。一時期(40歳過ぎだと
思う)、良寛の般若心経を何十枚も臨書したこともあった。
ま、そのほか、水泳なんかを続けている絵描きも少ないかも。
以上のようなことを総合して、結果として、私は個性的な画家になっているかもしれない。
しかし、私にとって、自分が個性的であるかないかはどうでもいい。
13年3月28日
いま金井画廊の個展の真っ最中だ。毎日いろいろな方とお話する。学ぶべきことがとても多い。
金井画廊のほかに、豊橋展とそのほかたまに展覧会がある。
しかし、だいたい私は一年中一人でやっている。いろいろな方と交渉はあるけれど、ほぼ独りだ。絵画教室とかクロッキー会が月にそれぞ
れ2回あり、管理人の仕事の引継ぎで毎日1時間ぐらい他の管理人さんと話をする。もちろん家族とは喧嘩腰の会話が毎日ある。だけど、一
年を通して一人時間のほうが圧倒的に多い。寂しい人生かも。
学校とか会社に行っている人に比べたら、私の暮らしはとても孤独だ。ちょっとニート気味なので、私としては悪い気分ではない。
むしろ、個展会期中のほうが辛いか、な?
絵画論も多い。反省すること仕切りだが、この歳ではどうにもならない。きっとこのままの路線で行く。
個展会期中にはいろいろな情報も入る。展覧会や美術館情報は貴重だ。東京国立博物館の東洋館が再開されたらしい。ゴールデンウィーク
には宋元の水墨画がズラリと並ぶかも。
おっと、ゴールデンウィークはマンションの仕事がぎっしり入っていた。ダメかも。
本日、ユーチューブに新作の動画をアップしました。上のリンクからご高覧ください。
13年3月21日
今日から金井画廊の個展が始まる。もう14回目だと思う。よく続いている。金井画廊が続く限り続くかも。
リーマンショックや東北の大震災以来、金井画廊も存続の危機に見舞われていたけど、これから景気もよくなりそうな気配だから、危機は
脱出できるような気もする。もっとも金井さんはいつも「景気なんて関係ない」と言っている。
私が絵を描いてこられたのも、金井さんのおかげだ。東京の真ん中で画商さんが個展を企画してくれるというのは大変な自慢である。私の
絵には、なんの保障もないけれど、金井さんの企画展だけが私の絵の信用にもなっている。私自身も大変励まされる。
ヘタな大賞よりでっかい受賞かもしれない。日展特選とか安井賞(今はない)より、草の根画家みたいで、逆にカッコいいかも。
ウン、確かにカッコいい!
「もし」では歴史が語れないように、私の画歴も「もし、金井さんがいなかったら」では語れない。いなかったら絵を止めていたかどうか
は分からない。きっと止めていなかったとは思う。でも、とても情けないことになっていただろう。
情けないのは悲しい。
でも、調子に乗ると碌なことにはならない。
もっとも、金井画廊だって、市場経済の中で生きている。完全実力制だ。絵が売れないと話にならない。そこもまたいい。気が引き締まる。
13年3月14日
やっと、このホームページの「唇寒集」を修理できた。作品集の修理もやらなければならない。絵の話の最初期の分は原資料が消えていた。
プリントアウトした小冊子から再入力しなければならない。印刷物から文字を判別するソフトもあるらしいけどね。ま、小冊子をスキャン
して画像として読んでもらう方法もあるか。何とかしようという気持ちはある。
とにかくスタッフが私一人だからなかなか進まない。絵を描いて、マンションの管理人をやって、プールに行って、ホームページやブログ
の管理となると大変だ。誰かに頼まれてやっているわけではないから偉そうなことはいえないけどね。
でも、そのうえ、個展の準備もある。パンフレットを作ったり、ネット上の新企画にも挑戦中だ。それでも一番よく頑張っているのはスパ
イダーソリティア。よく飽きないね。
ああ、探し物もある。8号の面白い絵が1枚紛失中。0号は数年前からないまま。「個展の記録」というファイルもない。あれは個展会場にお
いておくと、皆さんよく見てくれるのだ。
金井個展が終わった直後になるび会展がある。そのために40号を2枚張って地塗りをしておこうと考えていたのだけど、これはとても無理か
も。でも、やっぱり張りたい。描きたい。きっと描くなぁ〜。
そう言えば、裸婦の20分ポーズで描いた絵の最大記録はF60 だった。P40なら全然小さい。今度やっつけてみるか。
13年3月7日
昨日、町田の薬師池公園で梅を描いていると、私ぐらいのご年配の女性が「私たちも水彩画を描きに来たけど、恥ずかしくて広げられない」
と言うから、「絵が恥ずかしいのはお互い様。こんなによく晴れていて、梅が咲いている。絵の道具があったら、描かなきゃ損ですよ。こ
の歳じゃ、描けるときに描かないと、いつ病気になって描けなくなるか分からないですから」
まったく、恥ずかしいなんて言っていられない。人の目なんて気にしていられない。絵描きが人の目を気にしないというのもおかしな話だ
けど、描いているときは、自分と画材と梅の木があるだけだ。そういう世界に埋没できる。まったく不思議な時空に入り込んでしまう。そ
うならなければまともな絵にならない。たくさん描くということは不思議世界に容易に入り込める訓練なのかもしれない。一つの特技かも。
でも、それは絵に限らず、泳いでいるときでも不思議世界に入っている。ま、実際は息が苦しいからけっこう必死だけどね。とにかく水の
中は息が出来ないから不便だ。
そんなこと言ったら、絵を描いているときだって、空間のことや、色のことなどを考えている。いろいろ考えている。「右脳で描く」なん
て言っているけど、けっこう考えている。当たり前である。でも、イッキ描きは時間に追われているから、考えている暇もない。そこがイッ
キ描きの狙いどころでもある。
13年2月28日
何度か書いたが、「プロ」という言葉が流行っている。私も「先生はプロの画家だから」などと言われる。絵を描いていて「いいご趣味で
すねぇ〜」と言われるよりましか。一目見れば趣味かどうか分かるべ。趣味でこんなにたくさんのキャンバスに描き捲くるか。
「プロ」と言えばプロ野球だ。きっとプロ野球がこの流行のキッカケだと思う。あれは年俸ン億円だから本当のプロだ。
高校生のバイトで、時給750円でも、ちょっと失敗すると「お前、プロだろ!」などと怒鳴られたのではやりきれない。怒鳴る奴の頭が悪す
ぎる。
で、美術界では、プロの画家になることは一つの目標かもしれない。自分の絵が売れるようになるのは夢だ。
昔、あるお医者さんが「私も一時期、絵描きを目指しましてね。銀座で個展をやって、年間100万円ぐらい売れましたよ」と言っていた。そ
のころ、私はまだ30歳台で「羨ましいなぁ〜」と思ったものだ。でも、そのお医者さんは、その当時で、月収でも、もちろん100万円はくだ
らなかったと思う。
ま、絵では飯が食えない。
初めから、「絵を買ってもらう」なんて無理なアイテムなのだ。そんな項目は捨てたほうがいい。何度も言うけど、われわれはプロの絵描
きになりたいわけじゃない。「本物の絵描き」になりたいのだ。本物の絵描きというのは描きたいものを描きたいように描く人間のことだ。
そういう絵が、誰かの目に留まって買っていただくだけ。これが健全な美術市場のあり方だ。私の絵描き生活は実に健全である。
「富士山、ヨット、薔薇の絵描きの分際で!」と言われるかもしれない。だけど、私は心底富士山が好きだもの。描くよ。富士山、ヨット、
薔薇。大好きです。もちろん裸婦が一番好き。
好きなものを好きなように描いている。
13年2月21日
まったく、世間にはびこる週刊誌や漫画雑誌を信じ込むと危ないし、性犯罪者にもなりかねない。だけどみんな読んでいる。私も読む。豊
橋には喫茶店がいっぱいあり、その喫茶店には新聞や週刊誌が山のように置いてある。お客もいっぱいいる。朝の11時までなら、300円足ら
ずで「コーヒー」と頼むと、トーストとゆで卵とプチサラダとヤクルトみたいな乳酸飲料が付く。これじゃあ行かないほうがもったいない。
もちろん、コーヒーカップやお皿も洗わなくいい。店の扉を開けると「いらっしゃいませ」と言ってくれる。
豊橋市はそういう喫茶店に賞状を出すべきである。まさに市民朝食供給食堂なのだ。朝6時からやっているのだ。木曜休み。そのほかの日は
一切お休みなし。正月もだいたい開いている。正月サービスもある。毎日通っても飽きないように、サラダは少しずつ変わる。
雑誌も読み放題だ。いっぱいなので相席になる場合もある。欠点はタバコの煙。天井が高く、それほど煙くないけど、隣で吸われると15分
で帰りたくなる。
ここから今日の本題。家内と娘が西原(さいばら)理恵子に嵌ってしまった。当然マンガなんだから、私だって読んでしまう。まさにマン
ガの純文学だ。酒飲み。ダメ男と同棲して新宿の歌舞伎町の夜の店で働いて貢いでいた。62歳のしたたかジジイにもショックな場面がある。
私は酒を飲まず、もちろん飲み屋にも行かないから、夜の街の出来事は知らない。母がやっていた焼き鳥屋で手伝っていたから多少は知っ
ているけど、私みたいな無骨男が給仕する焼き鳥屋と若いオネイちゃんのいる歌舞伎町の飲み屋(=キャバクラ?)とは全然ちがうだろう。
精力旺盛な若い男が何のブレーキもなく、あの手の雑誌を読んだら、誰っておかしくなる。私みたく仏教入門が愛読書のジジイだって危な
いのだ。仏教入門がやっとブレーキになっているだけ。とにかく、目を三角にして風俗雑誌を検閲しているオバちゃんじゃないけど、あの
オバちゃんたちの功績を褒めたくなる。
でも、西原恵理子は面白い。エネルギーに満ちている。まだ2〜3日楽しめそう。
13年2月14日
陶酔と言っても、酒やタバコも含め、外から取り入れる薬物は危険だ。麻薬や覚醒剤などは言うに及ばない。
スポーツなどで得られる陶酔でなければならない。絵を描くこと、坐禅なども有効だと思う。坐禅も野狐禅は危ないらしい。悟りに拘りす
ぎると精神を病むと言われる。
いや、実際は絵も同様だ。作品に拘りすぎると精神に異常をきたす。危ない。絵は、描くことに意義があるのだ。
ここのところがなかなか理解されない。
私の父も間違っていたと思う。大部分の画家が間違っている。
このホームページの『絵の話』「萬鉄五郎の絵と言葉」でも述べたが、重大なのは作品ではなく「一筆一筆の間に練る」こと。「私の行為
は私にとって生を味わうべく唯一の方法であると信じている」「私の求めるものは真の生活なのである」「筆は人です。海の水は一滴でも
味がわかるように一つの筆触はすなわち全人であることを知らねばなりません」などの萬の言葉には、実に同意できる。
もっと言えば、絵は思うようには描けない。自由に筆を揮うなど出来ない。幻想だ。ここのところをよくよく心すべきである。
だから、『「ゴッホ」にいつまでだまされ続けるのか』(小林英樹・情報センター出版局)の小林先生も間違っている。もちろん、ゴッホ
の贋作説が間違っていると言っているのではない。絵に対する考え方、作品に対する思いが危険だと言いたいのだ。
ゴッホにもおかしなところがある。しかし、ゴッホは結果として素晴らしい作品を残した。だから合格だ。合格だけど、けっこう危うい。
しかし、一番危ういのは私自身。危なっかしくて見ていられない。どこで羽目を外すか分からない。偉そうなことは言えない。生身の人間
は実に困る。危ない。適当なところで『仏教入門』を読んで自分を軌道修正しないと、頭がおかしくなる。
13年2月7日
私は父親に絵を教えてもらったけど、私と父親では絵画に対する姿勢がまるでちがう。
父にとって絵は絶対であり、信仰と言ってもよいほど思い入れがあった。私にとって絵は手段だ。一つの方法だ。絵画に対する思いは父の
ほうが遥かに大きい。だけど、結果において、私も父も絵画で一生を終えた。まだ私の一生は終わっていないけど、まず間違いなく絵を描
きながら終わる、と思う。
絵の描き方も全然ちがう。父は記憶で描き、私は現場で描く。父はいろいろな技法を隠すけど、私は、父に教えてもらって、内緒にしろと
言われたのに申し訳ないけど、ほとんどオープンだ。
だって、誰もベルギー製のキャンバスなんて使わないし、ヨーロッパの絵具に拘る人もいない。キャンバスや絵具や画溶液は父と私が永年
かけて調べてよいものを使っているのに、誰も真似なんかしない。おそらく使い切れないのだと思う。私の勘違いかもしれない。
ま、オープンにしたって誰も盗まないから大丈夫だ。
その前に、寒風の中で絵を描くなんて誰も真似をしない。やらない。バカバカしい。寒風の中は思いのほか楽しいんだけどね。
私は絵の出来なんてどうでもいいと思っている。本気でそう思っていないといい絵は出来ない。ちょっとしたパラドックスだ。父は絵の出
来に拘っていたと思う。それは、責任ある絵描きとして当たり前だから私が未熟なのかもしれない。でも、おそらく私のほうが上等だと思
う。ま、どうでもいいけどね。
私が思う、人間にとって重大なことは気持ちのいいことだ。陶酔だ。脳内麻薬だ。エンドルフィンだ。これはある程度の負荷をかけないと
得られない。
その「ある程度」はけっこう骨が折れる。覚悟がいる。
絵画によって得られる陶酔はとてもでっかい。それは時空を超えた共鳴にもなる。牧谿、ゴッホ、ティツィアーノ、鉄斎というふうに、場
所や時間を選ばない自由な陶酔なのだ。
この前、ティツィアーノの晩年の裸婦を、鉛筆でちょっと模写してみた。
「ああ、なんと言う肉付けなんだろう!」私は心の中で叫んでしまった。
絵は、本当に楽しい。
13年1月31日
先週「レンブラントがルーベンスの後姿を見た」と書いたけど、その出典が見当たらない。私はタイムライフの『巨匠の世界』に載ってい
たと記憶していたけど、『レンブラント』にも『ルーベンス』にも載っていなかった。そうなってくると探すのが大変だ。あらゆる画集や
美術展のカタログの文章のところを読み返さなければならない。確かアントワープで、多くの人に囲まれた人気絶頂のルーベンスを、レン
ブラントが遠くから見ていた、というような記述だった。昨日探した『巨匠の世界』では、レンブラントはルーベンスに一度も会っていな
いと書いてあった。「後姿を見た」というのは「会った」のとはちがうようにも思う。
というように、本を書くとか、人にものを説明するのは、とても骨が折れる。馬鹿馬鹿しい。やってられない。
私が想定する読者は全世代だけれど、やっぱり中学生とか高校生が興味を持つような『絵の見方』を書きたい。中高生では私の絵は買えな
いけれど、そういう将来有望な人たちに分かってもらいたい。体罰をよりも、やっぱり感動だけは与えたい。
ちゃんと検証して出典を調べて、ものを言うのは面倒だけど、とにかくやるだけやってみる。ここ1〜2年のうちにものにしないと、記憶
がますます薄れてくる。62歳は体力も落ちるけど、脳の力もどんどん落ちている。上達しているのは絵だけ、のはずだけど、絵だって確
証はない。ほとんどの人は年とともに画力も落ちるのだ。油断大敵である。
13年1月24日
二つの絵を並べて見解を述べる「絵の見方」みたいな企画を若いころから持っていて、昔は画集から写真を撮って大学の後輩に優劣を訊い
てみたりした。今は、画集からスキャンしてA4版のファイルに出来る。
そうこうしているうちに、この企画のアプローチは二人の画家の出会いではどうだろうと思い始めた。『偉大な魂の邂逅』みたいな。私は
いろいろな画集の文章の部分も読んできたから、いろいろなエピソードを知っている。しかし、それが本当かどうかは検証できない。出典
を示すだけでご勘弁願うしかない。こっちはあくまでも絵描きであって、美術史家ではないんだから、そんな検証までは無理だ。
たとえば、ドガとルオーの出会いなど実に深い味わいがある。こういう話は以前にも書いた。また、レンブラントがルーベンスの後姿を見
た、という逸話もある。こういうのは切りがなくある。もちろん東洋美術にもいっぱいある。
しかし、これはあくまでもアプローチだ。お笑いで言うと「つかみ」だ。私の言いたいことは、あくまでも絵の見方である。お若い方々に、
そうやって興味を持って絵の見方を獲得してもらえば、これほどの幸せはない。
62歳というとそろそろ高齢者だ。もういい加減にちゃんと書き残さないと父親に申し訳ない。一般的な父子関係で言えば、私は父にそんな
に義理はないけど、父は絵の先生であり、そう考えると、父からの教えは無限にいっぱいある。それはもちろん、絵画への思いも含めてだ。
私はきっと人間国宝になるぐらい珍しいちゃんとした絵描きだと思う。でも、人間国宝は年間200万円しかもらえないと訊いた。それなら、
要らないかな? いや、くれるならもちろん貰いたいけど、1点ずつ絵を買ってくださる方の評価のほうがずっとありがたい。私は人間国宝
以上の幸福者だ。
もう世俗的満足は充満している。あとは死ぬまで描けるだけ描くだけだ。おっと、その前に「絵の見方」だけは何とかしたい。
13年1月17日
100号を描いている合間に4号に雪景色を描いた。そのとき、臨済録の「仏に逢いては仏を殺し、達磨に逢いては達磨を殺す」を思い出
していた。
この意味はなかなか難しいらしい。私の場合は、仏を殺し、達磨を殺さなければ絵が描けない。
つまり、ティツィアーノ、牧谿などが私にとっての仏であり、達磨であるわけだけど、尊敬ばかりしていたのでは絵が描けない。
はっきり言って、ティツィアーノの絵はヨーロッパにたくさん存在し、厳然と輝きを放っているのだ。牧谿の絵も日本のあちこちの美術館
やお寺が所蔵している。需要供給の原理から言えばもう絵は要らない。いい絵はたくさんある。
新しく、私みたいな下手な絵描きが描くことはないのだ。それより、ティツィアーノなり牧谿なりをもっと広く世間に紹介したほうがいい。
だけど、修行としての絵画を考えたとき、また、自分も描きたいという人間が本来持っている手や腕や手首の欲求を思うと、描かないわけ
にはいかない。描いたって禄でもない、そんなことは百も承知だ。だけど描きたいから描くのである。
描く以上は、最高の絵を描く。そのとき、ティツィアーノも牧谿も関係ない。俺がいて、雪景色がある。筆を持ってキャンバスに向かう。
それは現実である。営みである。行いである。今、この雪景色のなかにいて、この空気を吸っている。これが本当なのだ。真実なのだ。
絵の出来なんてどうでもいいのだ。描くことが重大なのだ。
禅の修行僧が「仏に逢いては仏を殺し、達磨に逢いては達磨を殺す」と言ったのは、苦しい修行を耐える自分を励ます言葉である。その修
行僧しかいない。自分が仏であり、達磨なのだ。それが現実だ。
13年1月10日
マンションに勤めに行く道を歩いていて、何だかとても幸福な気分になった。確かに今の私は幸福なのだ。とにかく4月ぐらいまで金の心配
なく生活できる。これがありがたい。真冬だけど、陽の力は日ごとに増している。住宅街を眼をつぶって歩く。5歩ぐらい。あまり長くつぶ
っていると危ない(=当たり前)。
絵もたくさん描いている。キャンバスも張ってある。地塗りもいっぱいした。4月ごろまでは生きられる。ああ、何という幸福だろうか。
等迦会の6万円もちゃんと払った。ありがたい。
もちろん、心配はいっぱいある。私の歳だと、いつ癌になってもおかしくない。ノロウイルスも盛んだ。南海トラフも危うい。でも、こう
いう心配はいつの時代にもあり、何歳だって関係ないのだ。癌やノロウイルス以外にも病魔は無限にある。どうにもならない。
いま生きていて、小春日和の午後の道を歩く。これが幸福でなくて何が幸福なんだろう。
もちろん、私は稀代のノーテンキだ。でも、ノーテンキはいいよ。
「馬鹿は楽だよ、心の中に悩みがないから気が軽い」
ああ、暢気だねぇ〜。
13年1月1日
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
きっと、おそらく今年もたくさんの絵を描く。
自分の絵、それはもう自分の人生になってしまったけど、そういう自分の、絵を描く行為を文章に残そうとも思ったけど、というか、もう
このホームページやブログで残しているし、同時に公表しているけどね。ま、さらにちゃんと体系立てて述べようとも思ったけれど、そん
な言い訳をくどくど書くより絵を描いたほうがいいだろうと考え直したりもしている。
また、絵の見方の決定版、中学生にもよく理解できる絵や彫刻を紹介しよう、古典美術をわかってもらおう、などとも考えたけど、という
か、若いころからずっと考えていて、このホームページの『絵の話』では相当実現しているけど、さらにもっとちゃんとした決定版を作り
たいとも思っている。父親から教えてもらって、自分で実際に見て歩いて確認した絵や彫刻の魅力だ。
私はそういうリスペクトの元に絵を描いている。もちろん、絵具をこね回すのが好きで、キャンバスを筆で汚すのが楽しい、というのが本
音だけど、いろいろな建前がないこともない。
偉そうに、立派に、自分の立場を述べたい。
だけど、実体は能なしの貧乏絵描き。実に申し訳ない。
ああ、死ぬまでに「絵の見方」が書けるかなぁ? そういうファイルは作ってあり、原稿をいっぱい挟んである。画像もカラーでプリント
アウトして挟んである。それをいつも持ち歩いている。自分画集みたくなっていて、とても楽しい。書くよりもクラシック画像ばかり見て
感心して、ちっとも文章が進まない。古典の絵や彫刻は本当に楽しいね。