唇 寒(しんかん)集38<12/2/2〜7/26>
12年7月26日
私は南フランスに着いたときからコローの絵が見たかった。画集でもいいから、コローが見たかった。しかし、コローのいい画集には出会
えなかった。ところが、オルセーに入って、ドガ展のでっかい看板に引き寄せられて、そっちに進むと、な、なんとコローだらけだった。
もちろん、現物だ。印刷ではない。コレーがその手で描いた絵だ。その実物が目の前にずらずら並んでいる。まったく、物凄いスケール。
美術館の規模がちがう。このコローはほんのプロローグに過ぎない。
ちなみに、ドガ展は7月1日で終わっていた。私がオルセーに行ったのは7月7日だ。フランスを発つ日の午前中だ。
コローはいっぱいあったし、ミレーもたくさん見られたけど、ドーミエは見つからなかった。
彫刻はロダンではなくカルポー。美術館の真ん中の大広間(とは言っても、オルセーは駅舎を美術館にしたわけだから、きっと線路があっ
たところかな?)にカルポーの傑作がゴロゴロ転がっている。凄いよ。驚くね。
さらに驚いたのがクールベ。ブグローなどのフランスアカデミズムの美しい裸婦像に驚嘆して、薄暗いけど、でっかい部屋(改札口辺りか
も)に入ると、クールベの巨大な画面がびっしり並んでいる。黒くて薄汚い。だけど、物凄い腕力で見るものを納得させてしまう。
「これが俺の絵だ。文句あるか」
と言っているようだ。
印象派が登場する布石のような感じもある。
12年7月19日
オルセーにも飛行機の出発時間すれすれまでいた。
ヴュイヤールの部屋が終わりのころ見つかったからだ。ヴュイヤールを中心としたナビ派の特集をやっていた。まったく、ルーブルもオル
セーもドでかい。日本でやる美術展の20倍規模。広い展示スペースと豊富な所蔵品を利用して、色々な企画を見せている。ディズニーラン
ドのテーマパークみたく楽しませてくれる。12ユーロだっけ、とてもお安い感じ。
その展示のテーマはヴュイヤールよりもミジアにあったようだ。当時のパリの社交界の花形女性。マドンナ。15歳で結婚していたけど、多
くの画家が憧れた美しいモデルだった。もちろんヴュイヤールもたくさんのミジアを描いている。このホームページの「絵の話」「ノンジ
ャンル」「真正なる美人画」の冒頭の画像が、ヴュイヤールによるミジアの傑作だ。
で、オルセーではヴュイヤールではなく、ミジアを特集していた。ミジアは美しいだけでなく、ピアニストとしても有名だったらしい。既
婚のクセに、自分に惚れていることを十分承知のうえで、初心なヴュイヤールを誘う目付きが、私には
我慢ならない。嫌な女だ。美人なだ
けでエばるな! もちろん、目の前に年若き美女がいたら、私もメロメロになちゃうけどね・・・
12年7月12日
すごく久しぶりだが、ホームページを再開する。
書きたいことは色々あるけど、諸般の事情により、ここではパリのルーブルとオルセー美術館について記す。ブログでは、140枚の作画活動
など、くわしく述べてゆく。
36年ぶりにルーブルに行った。もちろん展示品は昔と同じだ。建物だって間違えなくルーブル宮。だけど、造りが全然違っていてなんか息
苦しい。昔のほうがずっといい。宮殿に入る感じがしたもの。入ってすぐ左側にサモトラケのニケが両翼を大きく広げていた。今も同じ場
所にサモトラケのニケはあったけど、何だかとても奥まった感じになってしまった。
私は、とにかくラボルトを探した。私の寝室に置いてある石膏像だ。古代ギリシアのパルテノン神殿の破風彫刻の女性頭部。破風彫刻の貴
重な顔だ。おそらくフィーディアスの作った女神の顔なのだ。この本物に逢える。逢いたい。
ルーブルに着いたのは夜の7時前。もう時間がない。9時45分まで。私に与えられたルーブル時間は3時間弱だけなのだ。
しかし、私はこの3時間弱で、自分の目指した美術品のほとんどに再会することに成功した。私はけっこう狡猾なジジイかもしれない。
12年6月7日
本日、フランスに出発する。パリに行くわけではない。南仏に2週間、もう少し北のロト川付近に1週間、さらに北のドルドーニュという渓
谷に1週間。それぞれの地で絵を描いてくる。泊まるところはある、らしい。プールもあると聞いている。食事の有無はあやしい。
今、パリではドガの裸婦展をやっている。是非見たいけど、なかなか難しい。パリまでは東京から大阪ぐらい離れている。海や川や渓谷に
いるから、パリへの直行便はない、と思う。フランスには新幹線もあるけど、新幹線の駅まで辿り着くのが一苦労。もちろん言葉もわから
ない。
また、パリの画廊に絵を売り込みに行きたいけど、その方法もわからない。何もわからない。
もちろんお金はない。無銭旅行みたいなものだ。『電波少年』なのだ。
61歳。もうすぐ62歳だ。こんなジジイがムチャクチャな旅に出る。
果たして生きて帰って来られるか?
1ヵ月後のホームページにご期待ください。
12年5月31日
等迦会の東京多摩支部が来年から発足する。私が支部長になる。
しかし、支部員がゼロになる可能性もある。上層部の先生にそうお伝えしたら支部長一人でもいいとのこと。それなら、私はいっこうに構
わない。私としては会費を支払える予算が家計にあるなら、等迦会を辞める気持ちはまったくない。100号を数枚描いて、そのうちのましな
ものを2点、天下の国立新美術館に飾ってもらう。公募展と言ってもそれだけのことだ。損得では考えていない。お祭みたいなものである。
お祭と言っても、私は酒は飲まない。宴会に出る金もない。とても付き合いの悪い同人だけどね。ま、絵だけは一生懸命描いてます。
このホームページをお読みの方で、絵を描いている方。私の絵画観にご賛同いただけるなら、是非わが東京多摩支部にお入りください。よ
ろしくお願いいたします。わが等迦会東京多摩支部は、というか私は、既成のどんな美術団体にも負けないぐらい絵画への愛情を持ってお
ります。
一番上のステータスの委員になると100号の画材費や搬入搬出の代金も含めて年間10万円(委員会費は6万円。)ぐらい掛かる。これが最高
に掛かる費用だ。
初めの数年はとても安い。100号の画材費や搬入搬出の代金も含めて年間3〜4万円ぐらい。
会友、会員とステータスがあがると会費も少しずつ高くなる。もちろんまったく儲からない。美術団体は金儲けの組織ではない。むしろ浪
費する組織だ。
支部展もやるけど、これは現在やっている「なるびクロッキー会展」とか「悠遊展」に便乗させてもらえば済む。そうなれば、とても活発
な支部になってしまう。地元の町田と都心の京橋で年に2回も支部展を行うんだから、こんな活動的な支部は滅多にない。
東京多摩支部は、そのうち等迦会の中枢になるかもしれない。そして東京多摩支部が引っ張る等迦会は日本の美術団体の最高峰に躍り出る
かも。さらにフランスのサロン・ドートンヌに劣らない絵画活動を繰り広げ、世界のTOKA展になっちゃうかも。
ま、今のところ、支部長ひとりの可能性もあるけどね。
思いを巡らすのは勝手だから・・・
12年5月24日
25歳でフランスに行ったときは何も知らなかった。何も出来なかった。もちろん根本的な考えはそんなに変わっていない。ロダンの言葉も
知っていたし、ドガやモネにも心酔していた。今も変わらない。水墨画にものめり込んでいた。もちろんギリシア彫刻が素晴らしいことも
十分認識していた。そういう素地は今とまったく変わらない。
そして、若かった。フランス語もよく吸収できた。
今は61歳。
新しいことを吸収するのはとても難しい。
しかし、筆に習熟している。墨も使える。25歳のときの自分と比べると問題にならないぐらいたくさんの絵を描いている。根本は同じでも
まったくちがう。
私の絵は世間一般ではほとんど認められていないけど、ごく一部の方には認めていただいている。自分自身、25歳から考えるとよく絵を描
いてきたな、と感心してしまう。
ただ「ギリシア・牧谿・印象派」とお題目のように、頭の中で繰り返しながら描いてきた。もちろん、ターナーやティツィアーノもいるし、
鉄斎や長谷川利行とかもいるけど、大雑把に語呂よく言えば「ギリシア・牧谿・印象派」だ。
塾もやったし、子供も育てたし、よく泳いだけど、やっぱりずっと絵だけは描いてきた。毎年100号も描いた。
そう言えば、仏教の本もたくさん読んだなぁ〜。
25歳のときよりは少しはましかもしれない。
12年5月17日
なるびクロッキー会展が終わった。来年は4月になる見込み。金井画廊の直後に来る。たぶん、どうということはなくクリアできると思う。
それより、フランス行きが含まれるここ数ヶ月がクリア出来るか心配だ。今年は家賃の更新もある。物凄くヤバイ。
なるびクロッキー会展は裸婦の展覧会なのに、金井画廊のあとなのでいい裸婦が少ない。やっぱり金井さんは裸婦のいいのを選ぶ。むろん
私と同意見になる。風景や花や静物は「あれ? この絵落選か?」と思う絵もけっこうある。だから、今年のなるびクロッキー会展は落選
展になった。
裸婦は4月に描いたものも出したけど、1ヶ月で「これなら、いいだろ」と思える絵は出来ない。やっぱり半年は掛かる。絵自体は5分で仕上
がっても、いい絵が出来るには半年も掛かるのだ。ここのところの計算はイッキ描きの複雑なところ。5分で描いて毎回傑作が出来るわけが
ない。
一般の方に説明するのはとても難しい。
平幕力士が横綱に勝つには何十回も挑戦しなければ難しいのと一緒だ。もっとも今場所の白鵬はちょっと弱いかな? とは言ってもギリギ
リの勝負。横綱は強いね。昨日も勝った。
絵画では、目に見えない横綱がいる。イッキ描きは、毎回、その巨大な身体にぶつかってゆくようなものだ。たまにいいところまで押し込
むけど、なかなか寄りきれない。
「ああ、上手くいった」と思っても、最後にうっちゃりを喰らうことも少なくない。
とても強敵だ。
だけど、武者震いするほどやりがいのある作業だ。とても面白い。
描くたびに満足できる絵が出来たなら、自分自身が横綱、ということか? そんな日が来るのだろうか? 夢のような話だ。
12年5月10日
だけど、絵の判定は難しい。
本当にわからない。鑑定はさらに困難。
画材店などに掛かっているバラや風景は本当に酷い絵だ。値段も安いから仕方ないかもしれない。プロの絵? ああいうのは誰が描いてい
るのだろうか? 絵描きになると言っても、ああいう絵描きじゃつまらないと思う。買う人もいるんだろうな? 不思議だ。
良くない絵のひとつの基準になる。
アマチュアの絵は画材店の絵よりも可愛い。好感が持てる。確かに稚拙だし、トンチンカンだけど、嫌味はない。もちろん、人間が描いて
いるから嫌な面が出ることもある。だけど、筆の不安感が嫌味を消す。「こういう描き方でいいんだろうか?」という心配が好感を生む。
絵画に描き方はないと思う。そこが絵画の無限性でもある。
では、世界で最高にいい絵はどれだろう? これもとても難しい。いい絵だったらいっぱいある。その基準はないように思う。ないから絵
画は無限なのだ。
一般的にレオナルド・ダ・ヴィンチは凄い。素晴らしい。ひとつの基準か?
中国の牧谿もいっぽうの基準かも。
いい絵がいっぱい浮かんできて、収拾がつかない。わからない。
でも、私の方向性は牧谿にある。油絵だけど牧谿だ。もちろん、基準として言っている。中国だったら范寛だろ、と言う人も多いと思う。
私の父は梁楷をかっていた。
わからない。
絵画の修行者として不安定の中で絵を描きながら生きて行く。それしかない。それは仏教の禅に近い考えだ。だけど、現在の曹洞宗とか臨
済宗とかのでっかい宗門にはあまり関係ない。ああいう宗門もあっても悪くはないのだろうけど、私が思っているのは良寛とか桃水など、
野に咲いた小さくでも偉大な禅の修行者たちだ。そういう意味でも雪村の存在は嬉しい。牧谿も臨済宗の禅僧だ。そこが桁外れに私からの
信用を生む。
12年5月4日
豊橋に行っていたため、1日遅れました。
いよいよ5月になってしまった。フランス用のキャンバスを張らなければ・・・
ホームページも豊橋に行っていたので2日ほど遅れた。
イッキ描きでは描く行為そのものを最も重要だと考えている。もちろん絵を描いているのだから絵の出来はとても大事だけど、それは目的
ではない。描く行為そのものが目的なのだ。だったら、もっとたくさん描け、とか長時間描くべきだ、という意見もあるだろうけど、人は
そんなに集中できるものではない。第一キャンバスの準備が間に合わない。私はギリギリ頑張っていると思う。
ちゃんと感動して描くには4〜5日のローテーションが必要である。
とにかく、対象に感動して描く。ま、富士山を見たら誰だって感動する。あの田貫湖から間近に見てみなよ。誰だってぶったまげる。大き
さ、山塊、広大な裾野。凄いよ。バラだってこの世のものとは思えないほど美しい。どうしてこんな綺麗な花が、この世にあるんだろうと、
わが目を疑うもの。それから海。海は広いね。この前見た浜名湖も広いけど、海はもっと広い。広すぎて話にならない。こんなものよく絵
に描くな、と自分で自分を褒めちゃう。だって、広いだけで水ばかり。遠くに水平線があるだけだよ。これが描きたくなるから不思議だ。
まったく母なる海だよ。
絵のことをいろいろ考えていると、具象絵画の限界も感じることもあるけど、やっぱり描きたいものを描かなきゃ嘘だと思う。絵の前のも
のに感動して描かなきゃ面白くない。
そういえば、今日はこれから裸婦のクロッキーだ。女性の人体は男だったら誰だって一番描きたいっしょ。
あたしゃ、この路線で行くね。好きなことして死にたいもの。美術論なんてクソクラエである。ゴメン。
12年4月26日
いまだに「最近の絵」を作っていない。実は「最近の絵」ではなく「最新作」だった。
上からどんどん重ねてゆけばいいんだけどね。
絵は巧拙ではない。もっと別なものだ。巧拙も一つの絵画条件かもしれないけど根本ではない、と思う。自分が下手だから言っているわけ
ではない。私だって上手いこともある。自分で自分が信じられないくらい上手いこともある。しかし、それも、もちろん根本ではない。自
分では上手く行った絵を贔屓してしまうが、それは本質ではない、らしい。
ゴッホはどう見ても巧みな画家ではない。でも無限に魅力的だ。絵が深くて厚い。地中の岩盤のように頑丈だ。まったく、ゴッホの絵の隣
に自分の絵を並べたくないもの。
フォーヴの画家たちはゴッホの強さに挑戦したけど誰も勝てなかった。日本のフォーヴィストたちも全戦全敗だ。歯が立たない。
こういう比較は水墨画でも成り立つ。
蘭竹図で、中国の雪窓と日本の鉄舟や梵芳、玉蘭を比べると、雪窓の画面は鉄板のようにしっかり頑丈に見える。
こういうのをマチエールというのかどうか知らないけど、これが絵画の根本かどうかもよくわからない。ま、一つの絵画条件であることは
確かだ。
でも、「絵画条件」て何だろう? いま私が作った造語だと思う。笑わないでください。
絵を、主題や図柄がどうかということで語っていない点、一つの造形として見る条件かな? フォーヴの課題はゴッホの宿題だけど、絵描き
が素通りできない最重要課題だと思う。だからどうやれ、とは言えない。わからない。「ちゃんと感動して筆を執れ」と言えるだけだ。少
なくとも、ゴッホは対象に感動している。
12年4月19日
「最近の絵」のページを作らないまま1ヶ月が過ぎた。何とかしなければ!
昨日は絵画教室で海を描きに葉山の長者ヶ崎に行った。御用邸の少し向こう側。運がよければ富士山も見える。昨日は見えなかった。
私は風景を描いているとき、空間のことばかり考えている。空間描写で頭がいっぱいだ、ということに気がついた。
だけど基本的な方法はいつも一緒。よく対象を見ることだ。15分も経つと描き手は対象を見なくなる。自分の絵ばかり見始める。絵を直そ
うとする。何とかしようとする。それは左脳の作業なのだ。前頭葉の作業だ。
そういう自分の狭い世界から軌道修正してくれるのは目の前の対象だ。特に風景はでかい。現実の自分がどこに立っているのか教えてくれ
る。自分がでっかい景色のなかにいることを気がつく。これが重大である。脳の作業が前頭葉から爬虫類の脳に移行する。本能的に幸福に
なる。
海の景色は空間がすべてだ。絵を作ってもダメだ。月並みになる。自分の知識を捨てて景色を見ることだ。
狭いキャンバスの作業に熱中してきたら、その絵を捨てることだ。そんな絵は要らないからだ。そういう絵は世間に充満している。キャン
バスの中の作業で、巧拙を語るなんて意味がない。つまらない。絵っていうのはそんなもんじゃない。
われわれはいつも牧谿の瀟湘八景図に還るべきだ。少なくともターナーから学ぶべきだ。
12年4月11日
フランスへ行くことが現実的になると、向こうの画家に自分の絵に対する考え方を簡潔に伝えなければならない。
どういえばいいのだろう?
たとえば、最近の私の考えを日本語でまとめると、
作品は結果である。重要なのは「描く」という行為だ。しかし、「描く」ためにはモチベーションが必要だ。大きなモチベーションは展覧
会かもしれない。小さなモチベーションは目の前の花や海やモデルたちだ。そして、たっぷり絵具を含ませた絵筆をもって、しっかり地塗
りをしてあるキャンバスの前に立つ。大きく息を吸い込んで、静かにゆっくり吐きながら、キャンバスに筆を叩きつける。その瞬間の喜び
は計り知れない。その瞬間のためにすべてがある。
というようなところだろうか?
仕上がった作品についての思いも以前とはちがう。たとえば、昔は色彩や発色なんてほとんど気にかけていなかった。最近も描いていると
きは気にしていないけど、出来た絵を見ると色の効用は大きいと感じる。油絵の具というのはつくづく魅力的な画材だと思うようになった。
あんなに短い時間で描いて、しっとり魅力的な画面が出来る。いや、むしろ短い時間だからこそああいう画面になるのかも。
私はギンギラでテカテカの装飾品なんて見向きもしないけど、油絵ってけっこうギンギラでテカテカかもしれない。水墨画のような簡素な
美とは正反対かも。
12年4月5日
金井画廊の個展が終わって日常の暮らしが戻ってきた。
焼きたてのフランスパンも食べたし、プールも行った。毎日1万歩以上歩いている。まだ絵だけ描いていない。でも絵画教室やクロッキー
会が立て続けにある。5月8日からは町田の国際版画美術館で個展みたいなグループ展もある。一人10点ぐらいは出す。桜も咲き始める。
来週は桜のポイントを探してこの辺をうろうろ歩き回ると思う。
やっぱりこっちが本当の私だ。画廊にいるのは難しい。秋には豊橋展もあると思うけど、豊橋展の1週間も長くて辛い。でも豊橋展は18
時に閉まるので、その後プールに行くことも出来る。
その前にフランス行きがあった。フランスのことはまったく未定。6月ごろ行くはず。いまフランス語の復習をしている。36年間のブラ
ンクを埋められるか? 手ごたえは、・・・ほとんどない。すっかり忘れている。見事にからっぽ。でも、昔頑張ったので、勉強方法は知っ
ているし、効果も実感しているから少しずつやっている。もちろん25歳の脳と61歳の脳では吸収力がちがうだろうけど、とにかくフラ
ンス語は一度マスターしたんだから、まったく新しい言語をやるよりずっと楽だ。発音も出来る。多分通じると思う。恐ろしいのはリスニ
ング。このごろは日本語のリスニングも出来ない。
12年3月29日
毎日、金井画廊できれいに額装された自分の絵を見ている。もちろん、乱暴な絵だ。乱暴な絵だと思ってさぁーっと見て帰ってしまうお客
様もいる。素晴らしいと興奮なさるお客様もいる。
買ってくださる方は滅多にいない。一番安くて7万円では簡単には買えない。7万円でも、電気製品とか、家具、自転車などの実用品なら売
れるだろうが、絵は何の役にも立たない。バンドバッグや洋服より役に立たない。
画廊を絵の販売場だと思っている方はとても少ない。実際には、販売場ではない、と思う。やっぱり鑑賞する空間だ。買う方のほうがはる
かに少ない。
まずは絵を見ていただく場所だ。これが大前提。
フランスなどでは気楽に絵を買う習慣があるらしいけど、絵の値段も日本ほどは高くないという情報もある。私の絵の場合は今以下になる
とヒジョーにヤバイ。ご勘弁願いたい。いくらイッキ描きでも買ってもらえるような名品は滅多に生まれないからだ。
年間600枚描いても、画廊に並べられる絵は100点以下。買ってもらえるような絵は20点もない。10点ぐらいか。
会期中は、無論絵も描けない。プールも行けない。歩く歩数も5千歩以下。普段の本当の自分じゃない。でもプールがないから鼻の調子がい
いかもしれない。ああ、そろそろ泳ぎたくなってきた。絵も描きたい、かな? 焼きたてのプランスパンが食いてぇ〜
12年3月22日
今日から金井画廊の個展が始まる。私は電車賃もない。私がないというのは、どこかの銀行に貯金があって、いま手元に現金がない、とい
う「ない」ではない。正真正銘どこにもない、のだ。
でも、今日は絵画教室な(初日だけど、金井さんにはお休みを貰った)ので、お金が入る、と思う(=貰った!)。このお金で電車の回数
券を買いたいけど、またスッカラカンになるのは怖いから、買わないでおくか。でも、マンションの会社から給料が入るから大丈夫だけど、
それは4月の家賃だからなぁ。一応いろいろ計算している。金が少ないから計算も簡単だ。
金はとても大事だけど、人間にとってもっと大切なのは行動することだと思う。活動だ。その大元は呼吸とか鼓動。鼓動と呼吸は活動のお
手本である。素晴らしい。何も文句を言わず、毎日毎日休むことなく頑張る。凄い。やっぱり人間はコツコツ頑張り続けるものに支えられ
ている。だらだらごろごろしているのは人間の本性に合致しない、はず。
でも、もちろん私はだらだらごろごろ派だ。もっとも、最近はあまり長く寝ていると腰が痛くなってしまう。歩かないと膝も痛くなる。よ
く出来ている。怠けるわけにはいかないのだ。
話が別方向に行ってしまった。私が言いたいのは、グチャグチャ屁理屈を並べるより、行動するべきだということ。はっきり言えば美術論
より描くことだ。スキルだ。腕だ。ブラ(bras=フランス語の「腕」)だ。美術論もたまにはいいけど、腕なしの美術論はあまりにも寂し
い。人間は口ではない。活動なのだ。行動なのだ。心臓と肺みたく頑張ろう!
12年3月15日
13日のクロッキー会で、初めの20分ポーズのときから、いまこうやって絵を描いている自分を最高の幸福者だと感じた。レンブラント
もティツィアーノも、たくさん絵を描いたけど、たった今こうやって描いているのは私自身だ。こうやって、太い筆に画溶液をいっぱい含
ませて、好きな色の絵具で、目の前の裸の女性を描くのだ。こんな幸福はない。生きているのは私なのだ。描いているのは私なのだ。当た
り前のことだけど、これは途轍もない幸せなのではないか?
しっかり地塗りしてあるベルギーのクレサンキャンバスに、ヨーロッパのいろいろな絵具で描く。そういう方法も何十年も続けて一番やり
いいようにやっている。凄く気持ちいい。
3時間に13枚の油絵と10枚の水墨裸婦を描く。
終わったときは、もうフラフラである。
最後の10分ポーズなんて、心身ともにボロボロになっている。それでも描く。泥沼の中を歩くような状態だけど、モデルがポーズを取る
以上、こっちだって筆を放さない。もちろん、頭もぼけている。何が何だか分からない。それでも描くのだ。
イッキ描きとか言うけれど、決してカッコのいいものではない。ズタズタ、ボロボロで描いている。
そのために、普段から水泳やウォーキングをやっている。どんなことでも理屈じゃない。やるってこと。行動。最後は体力勝負なのだ。
12年3月8日
父親が大きな絵を上野の国画会に搬入するときは近所の米屋でリヤカーを借りた。
そのころ、米屋には俵がいっぱい積んであった。俵の蓋が三度笠になる。われわれ子供はその俵の蓋を被って長谷川一夫の真似をして遊ん
だ。オモチャの刀は、けっこうリアルだった。刀身も鉄だったように記憶する。
父の絵も、もちろん売れない。父は看板屋をやっていた。私の記憶では亀有の映画館で俳優の似顔絵を描いていた。よく一緒に行った。亀
有に行く途中にオバケ煙突があった。電車から見ていると方向によって本数が変わる。最高4本だったと思う。とにかく4〜6歳ごろの記憶だ
から、はっきりしない。一本になることもあったっけ? 最低2本だったような気がする。電車からの角度で重なって見えなくなるだけのこ
とだ。
この映画館の主は今井さんという人で、有名な画家になったあの今井さんだと思う。ちがうかもしれない。隅田川の向こうには版画家も住
んでいた。とても有名になった人だ。名前は失念した。もちろん、もう亡くなった。最近、名前をあまり聞かなくなった。一時期、よく美
術史の本を書いていた西岡文彦氏の先生だと思う。ちがうかもしれない。
映画館の看板は写真を見ながら描く。そういうこともあって、父は写真を見て油絵を描くことを忌み嫌った。父が看板を描いている間、私
は特等席で映画を堪能した。なぜか覚えているのは、東映の映画ばかり。東千代之助の『鞍馬天狗』をよく覚えている。北大路欣也のお父
さんの市川右太衛門が三度笠になる映画も覚えている。市川右太衛門は『旗本退屈男』が当たり役で、威張っている武士のほうが似合う。
股旅物は無理だと思う。
それにしても、父は私をいろいろなところに連れて行ってくれた。父は戦争でカリエスを患い、いつも苦しんでいたけど、よく頑張ってい
たという感じがある。絵も描き続けていた。あの時代に、あの身体でよく続いたなぁ、と感嘆する。
12年3月1日
父の先生の原精一の家にはいつもお邪魔していた印象がある。浅草にあった。私の家が深川だったから父の自転車の後ろに乗ってしょっちゅ
う行っていた。般若のお面が飾ってある店があった。時代劇に出てきそうな、下半分が格子模様の大きな壁のところを左に折れる。細い路
地の先に先生の家があった。二階もあった。玄関を入ってすぐ左の部屋に先生がいて右側に奥さんがいた。奥さんはいつも着物を着ていた。
お茶の葉っぱをでっかい甕に捨てる。台所とかには行かない。ずっと座っている。原先生はだいたいニコニコしていた。いつもタバコをく
わえている。先生も奥さんも先生の子供たちもみんないい人だった。とてもよくしてもらった。そういう印象が強い。
その後原先生は世田谷に引っ越した。その世田谷の家にも行ったことがある。先生やお子さんたちとトランプをやった。
それから、父と先生が疎遠になった。
私が23歳のころ、父と上野を歩いていると原先生に出会った。池之端の上手い蕎麦屋で蕎麦を食べた。今でもその蕎麦屋はある。それから
近くのデパートでやっていたサンパウロ美術館展に三人で行った。ピカソの絵の下に黒いリボンが付いていた。ピカソの亡くなった年だっ
た。原先生はセザンヌの夫人像をじっと見つめていた。
このときのカタログは今でもある。パラパラ捲ると、とても懐かしい。私はこの展覧会で初めてターナーとアングルの原物を見た。
計算すると、父が50歳、原先生は67歳、ピカソは91歳ということになる。
12年2月23日
最近の画壇のことは知らないけど、私が子供のころの国画会は凄かった。
とにかく、会場を梅原龍三郎が歩いていたのだ。びっくりする。それを見ていた私って、歴史上の人物か。少なくとも歴史の目撃者かも。
会場をぐるっと一周すると、香月泰男、里見勝三、曾宮一念、小泉清などの瑞々しい新作が並んでいた。父の先生の原精一の絵もあったし、
岸田劉生の直弟子の椿貞夫、この前まで読んでいた『デッサンのすすめ』の伊藤廉の絵もあった。松田正平とか喜多村智、渡辺貞一なども
あった。杉本健吉もあったかな? 隣の会場は春陽会。こっちにもいっぱい著名人の絵が並んでいる。中川一政とか岡鹿之助の絵があった。
国展の版画の部屋には棟方志功の新作があり、工芸の部屋には浜田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどの陶芸があった。着物も掛
かっていた。あれは有名な染色家の作品だったのだと思う。
今の公募展とはだいぶ違うかもしれない。現代は非常に多くの人が絵を描いている。大作も描いている。日本は世界一豊な国なんだから、
絵を趣味とする人も多い。そういう人がたくさん公募展に出すのだから、絵の数も公募展の数も物凄い量だ。
上野の古い都美術館が懐かしい。ワックスのかかったあの黒褐色の床の匂いも忘れられない。長谷川利行が古い都美術館の絵を描いている。
ギリシャの神殿みたいに大きな柱が並んでいた。柱と柱の間に、薄汚いけどでっかい幟がぶら下がっていて「国画会」と書いてあったよう
な気がする。「国展」だったかな?
12年2月16日
では、私は絵を売ろうと思って描いていないのだろうか?
もちろん、私は絵を売って生活しているわけではない。そういうわけではないけれど、買ってもらわないとヒジョーに困る状態にはある。
年間予定収入の大きい部分を絵画に負っている。完全なプロの画家とは言えないが、とてもアマチュアとは言いがたい。アマチュアと言っ
たら怒られる。年間売り上げは100万円ほどだけど、累計にしたら1000万円は軽く越えている、と思う。100万円の売り上げが10年以上続い
ているということだ。
だから、絵が売れないと困る。この心配は心の奥のほうにいつもある。だから、絵筆にも現れてしまうかもしれない。それにしては、あま
りにも乱暴な筆致だけどね。
おそらく、苦しい生活が長いから「勝手にしやがれ」という気持ちが大きいのだと思う。踏み込むところがないと、魅力的な画面にはなら
ないのだ。
相撲だって、勝とう勝とうと思うあまり、守りの体勢を続けていると負けてしまう。思い切って技を掛けないとジリ貧になる。ま、小技に
頼りすぎてもいっぺんに押し出されることもあるけどね。
相撲は本当に難しい。
絵もまったく同様である。
空間描写とか質感とか量感とか色彩とか、そういうゴミみたいな、そこらの書店に積んである貧乏臭い技法書を見て傑作が描ければ、こん
な楽なことはない。
もちろん、ゴミみたいな技法を自分の腕に染み込ませるのも並大抵の精進では達成できないけどね。
ま、売ろうなんて思って売れる絵が描けるぐらいなら苦労はない。そういう業界もあるのかもしれないけど、私には無縁の世界だ。
12年2月9日
「売り絵」というのはあると思う。だけど、私が実際に絵を売ろうと思って描くことはない。売ろうと思っても売れはしない。安いもので
はないのだ。無論、私の絵の評価は「美術市場」の中では最低クラスだ。最低クラスとは言っても6号なら18万円。液晶テレビだったら50イ
ンチでも十分買えちゃう。
「俺は売り絵は描かない」と威張っている人もいるけれど、「じゃあ、売り絵とやらを描いて売ってみなよ」と言いたくなる。
売れるのだろうか?
少なくとも私の絵を買ってくださる方はそんなに甘くない。ちゃんといい絵を描かないと買ってくれない。当たり前である。
現代は印刷が発達して、画集が町に溢れている。そこらの本屋にドガだってモネだって積んである。もちろんフルカラーだ。
義務教育の美術の時間だって、絵具を塗ったくっているだけではない。ちゃんと鑑賞もしているはず。
そういう教育を受け、画集なども見、実際の美術展などにも行っている方を納得させる画面を創るとなると、これは容易ではない。
確かに、画材店やデパートには、額付きでこの価格か、と思える低価格の絵が並んでいる。実際に人が描いた絵だ。100円ショップにも人が
描いた100円の絵があった。ああいうの買う人いるのかなぁ。いるから置いてあるのだろう。不思議だ。
ま、絵画、と一言で言ってもいろいろな分野がある。気にしても致し方ない。
とにかく、私の絵を買ってくださるお客さんに対して「売り絵」では通用しない。
12年2月2日
経験上、100号を描いていると小品が上手く行くことを知っている。これを知っていることは危険である。「100号を描いているから、上手く
行くはずだ」と思い込んでしまう。
自覚表情としては、筆が大胆になる。乱暴になってしまうおそれもある。
でも、やっぱり自由で描きやすい。楽だ。
昨日は強風のなか、三浦半島の三戸というところで絵筆を揮った。去年から何度か行っている。強風だけど暖かかった。暖かい風だが、台
風のような物凄い風力だった。イーゼルを電信柱に縛り付けて描いた。100号はすでに搬入済みだったけど、息子の自動車の都合もあり、昨
日になってしまった。でもまだ100号の手応えは残っていて、おそらくモノになったと思う。ダメだったかもしれない。数日後に見てみない
と分からない。
それにしても、三戸は風景の穴場だ。中村彝の絵に『海辺の村』があるけれど、まったく、現代に残った海辺の村って感じだ。もちろん、
現代風な邪魔な物もないことはない。だけど、ちょっと高台の道路から見下ろす海辺の家々は郷愁をそそる。私は別に漁師の出ではないけ
れど、なぜか懐かしい。不思議だ。
遠くに海が見えて、風が強かったので沖のほうまで白波が立っていた。実は、運がいいと富士山も見えるのだが、今日は見えなかった。見
えないものは描かない。正直です。
夏も行ったけど、冬のほうがいい。角度を少し変えても絵になることも発見。この冬にもう一度行きたい。