唇 寒(しんかん)集37<11/9/3〜12/1/26>

 

12年1月26日

年間600枚の油絵を描き、水墨や鉛筆画を入れれば1000枚はくだらない作画量ではあるけれども、それは、私の絵の枚数ではない。たとえば、

ドラクロワ9千枚、ターナー2万枚、北斎4万枚などと言われるが、これは残っている絵の数だ。まともな絵の数だ。失敗した絵は勘定に入れ

ていない。私の場合、1000枚を30年間続ければ3万枚になるけれども、自分が納得できる絵となると、3千枚にもならない。納得できないま

でも、「これは残しておこう」とか、「ま、いいか」というような絵を入れて、やっと1万枚かな。これから90歳まで生きても2万枚だ。尿

酸値が高く、血圧も130前後、喘息がある私が90歳まで生き延びるのは至難の業だ。だって、本当に健康な人にはとても敵わないもの。私は

今でもかなりがんばっているから健康なのだ。本当に健康な人は何もしなくても健康だもの。天才的な健康人? みたいな?

作画量に拘りすぎても碌なことはない。執着は危険だ。だけど、絵は描けば描くほど上手くなる。描かなければ話にならない。絵描きでは

ない。ここも忘れてはならない。

健康についても、生まれ持っての健康人には敵いっこない。出来る範囲でがんばるだけだ。私の身体はこれなんだから、これを維持するし

かない。ましなほうかもしれない。少なくとも、まだ当分絵は描ける、と思う。

 

12年1月19日

われわれは何が描きたいのか? 何を考えて描けばよいのか?

頭脳明晰でない私は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式でやってきた。たくさん描いて、その中からましなものを選ぶ。

さすがに「何がましな絵か」の判断はつく。

おそらく頭脳明晰な中村彝はどうだろう?

その前に、『デッサンのすすめ』の伊藤廉はどうか? 伊藤廉は現在の名古屋大学の医学部に合格したほどの秀才。中退して画家を目指し

東京芸大に進んだ。頭脳明晰だ。外国語も達者だと思う。だけど、絵に関してはとても物足りない。『デッサンのすすめ』も挿図が楽しい

から悪い本ではないけれど、意味不明な点が多い。最後が色鉛筆になるのはあまりにも寂しい。画学生に使いこなせるだろうか? 松田正

平とか香月泰男、曾宮一念などなら、色鉛筆でも魅力的な小品を描き出すようにも思うけどね。あの人たちの域に達するのは簡単じゃない。

中村彝は「全体を貫く厳かなるリズムと堅固なる構成」と言っている。

しかし、これは結果論であって狙って得られるものではない。狙っても無理だ。もちろん、忘れてはならないことだけど、狙えば失敗する。

挫折する。危険である。

われわれは感動によって筆を持ち、描く喜びの中で筆を揮うべきだ。

駄作の山を築いても、その中に必ず光るものがある。

頭脳よりも作業である。それがボンクラ頭の絵画作法だ。けっこう的を得ているかも。

 

12年1月12日

ゴヤ(1746〜1828)が戦争の惨禍を描き、ピカソはゲルニカを描いた。レンブラントにはホームレスの絵や老人の絵があり、ベラスケスも

身体に障害のある道化師たちの肖像を残している。

中村彝(つね)の絵がいいのは、20歳で結核を患った彝の切ない思いが画面に充満しているからだ。

しかし、私が上記のような画題で絵を描いたら、きっと笑われてしまう。

私の裸婦は、ほとんどが明るく健康な感じだ。花だってバラとか芙蓉、牡丹など大きな花ばかり。山は富士山。

私は描きたいものを描いている。

心底描きたいものを描かなければ切実な筆致にはならないと思う。お涙頂戴の安物のテレビドラマみたいな画題は御免蒙りたい。本当じゃ

ないもの。

だいたい、この平和で健康なニッポン社会では悲愴な絵は無理だろう。そういう絵を見かけることもあるけど、どうも嘘くさい。作り物と

いう感じがする。少なくとも私には無理。

私自身、喘息だし鼻炎だけど、死病ではない。ま、そういうものを克服するためにも、泳いでいるし歩いてもいる。けっこう辛いけど、彝

などとは根本的にちがう。こういう国のこういう時代に生まれ合わせた以上、この情況の中で描きたいものを描くしかない。それしか能も

ない。(1月10日のブログにかぶってしまったかも)

 

12年1月5日

あけましておめでとうございます。

本年から、いままで「土曜日の朝」だった更新を木曜日の朝に変更いたします。今後ともよろしくご高覧ください。

 

イッキ描きとは、その瞬間、その情況、その場を画面に焼き付ける画法だ。

TPOだっけ? ちょっと似ている。TPOはサラリーマンなどが使う和製英語で、かなりダサい。時間、場所、場合に応じて臨機応変に対応せ

よというような意味だ。

イッキ描きのTPOとは相当ちがう。何度も述べているけど、イッキ描きのTPOはバラ園に行ったときとか、裸婦を目の前にしたときとか、海

で絵を描くようなTPOだ。そのときの喜びを画面に焼き付ける画法だ。ノーテンキな画法かも。悲しみや寂しさはない。

むろん、私にも悲しみはあるし、寂しい思いもしている。喜びというのはそういうものの裏返しだ。悲哀があるから歓喜があるのだ。当た

り前である。こんな十代しゃべり場(かなり古いかも)みたいな話はしたくない。

しかし、統計的にいい絵は出来ないものだ。まったく大量のキャンバスと絵具を無駄にしないとまともな絵は生まれない。イッキ描きとは

効率の悪い画法かもしれない。だが、たまに生まれるましな絵は、まったく滅多にできない絵だ。こう考えると、私の絵は安いかもしれな

い。大安売りである。

ま、値段なんてどうでもいい。今の画法で絵が描けることがありがたい。いつまで続くか分からないけど、とにかく描けるところまでは描

く。

古代ギリシアから続く西洋の彫刻や絵画、中国の宋元画、日本の水墨画や絵巻、障壁画などなどを想うと、私の画法に大過はない。まず間

違いない。大丈夫。今年も頑張ろう!

 

11年12月30日

『デッサンのすすめ』(伊藤廉・美術出版社)にもイッキ描きを支持してくれる言葉が多い。

たとえば、p152の終わりのあたりには「デッサンという一つの種類として、それだけで、鑑賞にたえるということ」とあるし、p174とp192

には筆の速さの重要性が書いてある。

p220には「デッサンを習うとは、プロポーションや黒白の調子だけを習うことだけではないのです。それよりも絵画を全部習うことです」

と言い切っている。

私も絵画の三要素は「デッサン、色彩、構成」ではなく「線、調子、構成」だと考えている。「線、調子、構成」だと白黒のデッサンにす

べて含まれる。もちろん水墨画にも通用する。音楽の三要素「メロディ、ハーモニー、リズム」にもぴったり一致する。

色彩は調子の一部、というのが私の主張だ。私の絵画三要素は抽象絵画にも適用できるのだ。

いっぽう、中村彝の『芸術の無限感』を読んでいると、絵画に対して、もっと別なアプローチをしている。中村のアプローチは実に参考に

なる。具体的な内容は別の日に。

さらにNHKの増山修の絵画教室もとても分かりやすい。私の画法にとても近い。この前はコスモスの描き方をやっていたが、初めに大地を描

き、コスモスの茎を描いて葉を描いて、最後に花を描く。このやり方は私とまったく同じだ。もちろん絵画教室でもいつも言っているけど、

みなさんけっこう花から描き始めている。別にいいけどね。

で、増山の完成された絵はとてもつまらない。アニメのバックなんだからあの絵で十分だと思う。

 

11年12月24日

いよいよ押し迫ってきた。これから年末年始にかけてアクセス数が上がる。不思議だ。今年も上がるかどうか分からないけど、「イッキ描

きとは何か?」の傍証シリーズをやろうかと考えている。ブログでやる心算もあったけど、なぜかブログは中村彝の話で持ちきりになって

しまった。

とにかく、本日は、以前にもアップした記憶もあるけど、木内克の言葉を全文引用する。

 

デッサンは彫刻より自由で、より純粋だ。これは私の経験としても実感しているところだ。私はロダンの彫刻が、彼のデッサンが到達し把

握している世界を表現し得ていたなら、一段とすごかったことだろうと思う。

彫刻には、彫刻をするうえでの制約がつきまとう。時間、素材、そして彫刻家としての常識や習慣など……。自然を見る時その人の人間と

しての積み重ねうえで、虚心に見ることが出来ればいいのだが、彫刻家としての理屈や常識で見がちだし、それに動かされやすい。彫刻家

としては、ある意味では当然とも言えるし、それも悪いとだけはいえないが、 デッサンは、自然そのものから学びとるものと自己との結

合がより直截で、激しく純粋である。仕事としては彫刻のほうが重みがあるとしても、感覚的にはデッサンのほうが進んでおり、作者の精

神の深奥に、より近づいている。更にいうならば、デッサンよりもそれ以前のロダンの精神のほうが、なおすばらしかったろうと推測され

るのだ。逆説的にいえば、ロダンは「ロダンの彫刻」に邪魔されているとさえいえそうだ。……

ロダンのデッサンを見て考えることは、現代の日本の線の貧弱さだ。日本は「線」の国だといわれているのだが、どうも習ったつくりもの

の線が多い。一つの点が、生命に肉迫するために統合し、育っていったような線。地震計が、鋭敏な感度で地震を感知して描くような線。

ロダンの線はそういう線だ。練習し、拵えた線ではない━━結果としては厳しい修練を積んだ線だが━━生まれ出た線だ。我々はロダンの

デッサンから、線に対する解釈と理解の相違を学びとることが出来よう。

(1967年)

 

11年12月17日

100号を描いていると、ミケランジェロ(1475〜1564)は偉大だなと、つくづく思い知る。イッキ描きとか言っていい気になっているけど、

私の筆はとても遅く不確実だ。消したり描いたりがとても多い。ミケランジェロのシステナ礼拝堂の壁画と天井画は、詳しくは知らないけ

れど、フレスコ画だから一回勝負だと思う。油絵のように描いたり消したりは出来ないだろう。

人体画は手足の長さや顔や手の大きさなど、子供が一目見てもおかしいとすぐ分かってしまう。そういう寸法だけでなく、身体の動き、腕

と脚の関係、腰のひねり、軸足のなど、ちょっと不自然でもすぐ見破られる。油断ならない。

ミケランジェロのへきがにはデフォルメも当然あるが、おかしい感じはまったくない。すべてが自然。見事な人体群像と言える。天井画が

1512年に完成、壁画は1541年に完成したとある。天井画を37歳で完成させ、壁画は65歳で完成した計算だ。

また、100号を描いていると、ティツィアーノのこともルーベンスのことも思い出す。ギリシア彫刻はいつも忘れない。

これから1月末まで、100号との格闘はまだまだ続く。ミケランジェロになったりティツィアーノになったりルーベンスになったりピカソに

なったり古代ギリシアのフィーディアスになったり、過去の偉大な芸術家になって格闘する。出品する絵がどんなでも関係ないのだ。描い

ているときが一番楽しいのだ。時空を超えた不思議世界に入り込めるのだ。これがよいのだ。これでよいのだ。

 

11年12月10日

池田満寿夫がピカソの友人関係を羨ましがっていた(『私のピカソ、私のゴッホ』p32)。ピカソの友人は、ピカソに負けないぐらい有名

であり、実力もある。画家はもちろん、詩人、哲学者、写真家などいっぱいいた。時代をリードしていた著名人たちだ。

それに対して、池田満寿夫には友達がいないか、または少なかったらしい。

実際にはそうでもない。有名人もいっぱいいる。最後の奥さんは佐藤洋子。有名なヴァイオリニストだ。

ピカソの時代に限らず、もっと前の、印象派の交友関係は深く長い。

こういう有名人と私自身を比べるのも申し訳ないし、トンチンカンだけど、私の周りにも、限りなくいい人が多い。私に関わると迷惑にな

るので、なるべく近づかないようにしているけど、それでも多大なご迷惑をおかけしている。友人とは言いがたい。申し訳ないもの。

彼らはピカソの友人のように有名ではない。むしろ普通の人だ。でも無限に善良で勤勉で親切だ。人間て、そういうことが一番大事だと思

う。私の生きる方向は狂っている。

で、池田満寿夫だが、彼自身とてもいい人だ。実は私は少ししゃべったこともある。私のほうがずっと後輩で、池田満寿夫は大先生だ。池

田自身がいい人だから、より素晴らしい友人を求めるのかも。

私はなるべく近づかないように頑張っているけど、私の友人もいい人ばかり。いっぽう、私自身は凄く嫌な奴だ。精一杯演技している。ギ

リギリ限界まで頑張っている。だけどとても苦しい。こっちは演技だもん。腹の中は真っ黒だ。不思議に一瞬で見抜く人もいる。初めから

私を蛇蝎(だかつ)のように嫌う。でも、演技しているから大丈夫だと思う。演技したまま死ぬ予定だから安全のはず。でも、直感で腹の

中がばれてしまうこともあるらしい。

というわけで、私はとても孤独だ。でも別にどうと言うことはない。池田先生のように寂しくもない。一昨日みたく、ゴヤ展とか東京国立

博物館とかを見て、自分でも絵が描ければ、それでいい。十分である。

 

11年12月3日

絵は描いていなければ始まらない。描いて描いて描き捲くって、描き続けなければならない。まずそれが大前提だ。絵は筆の主張なのだ。

筆の叫びなのだ。筆が動かなくては話にならない。

また、目を肥やさなければならない。筆は表記。目はその根源だ。大元だ。言ってみれば、筆はハード、目はソフトだ。

両方バランスよく養うのはとても難しい。

いつも追い立てられている。キャンバス張りと地塗り。都心に行って美術館巡りをする。博物館もたまには見る。楽しいけど疲れる。これ

を、死ぬまで続けるのはしんどいけど、これをやり続けているのが自分なんだから止めたら自分じゃなくなっちゃう。続けるしかない。自

転車状態。止まれば倒れる。倒れたら止まる。

とにかく偶然が重なって、この歳まで絵を描いてきた。世界中のたくさんの絵を見てきた。そうやって私が出来上がっている。これを続け

るしかないのだ。ま、そう考えれば、ただひたすらキャンバスを張って、地塗りして、絵を描いて、古典を見ていればいいわけだから、そ

れほどの苦痛はない。楽しいかも。でもとりあえず、キャンバスを裁断しなければならない。これも一苦労だ。とは言っても贅沢な悩み。

裁断すべきキャンバスをゲットしてあるんだからこれほどの幸せはない。

 

11年11月26日

現代社会では絵の上手い人はコミックやイラストやアニメの世界に行く。純絵画は多少カッコいいけど金にならない。その前に、「純絵画

なんて滅びた」という妄想もある。

私は筆の喜びがある限り、純絵画は続くと思う。おそらく現生人類は純絵画を描き続けるだろうと推測している。筆を動かすことはそれぐ

らい楽しい。人類の根源的な喜びである。

お釈迦様や他の宗教でも偶像禁止の思想は根強い。その根拠も分からないでもない。しかし、宗教は造形を生む。どうしてもそういう宿命

がある。全人類のすべての造形は宗教から生まれている。宗教の布教の必要性と造形が絡み合うのかもしれない。

中国には古くから筆の文化があった。書を、その意味内容(記号としての役目)とともに造形として受容してきた。書の線描は、絵画に強

い影響を与えた。それは、筆の修業であるかもしれないけれど、同時に喜びでもあった。楽しみでもあった。筆は面白いのだ。

で、昔の中国のお坊さんは書が上手い。素晴らしい。当然日本の坊さんも真似て書が上達した。日本のお坊さんの書も凄い。大燈国師・宗

峰妙超(だいとうこくし・しゅうほうみょうちょう1282〜1337)とか一休宗純などがまず思い浮かぶ。何度も述べるが遺偈の書は凄まじい

迫力だ。数年前に上野の東京国立博物館で展示してくれた。もちろん見に行った。

中国で水墨画が生まれ、日本人が慕ったのも自然の流れかもしれない。

書も画も筆の文化だ。それが仏道修行の一つになる可能性は小さくない。

 

11年11月19日

私の父は弁護しようのないどうしようもない人間だが、絵画への矜持みたいなものは持っていた。それは絶対ゆずれない不動律だったのだ

が、そんな堅苦しいものでもなかった。あまりにも当然で、自然だった。

で、その「矜持みたいなもの」だが、その根本は「好きなことをやる、好きなように生きる」だったと思う。自分は戦争で一度死んだんだ

と思っていたのかもしれない。その戦争でもらったカリエスのために、手術台にも何度も乗った。ここでも死んで不思議のない不治の病だっ

た。だから、絵画への思いはハンパない。

私に対してものを言うときの「お前は馬鹿だな」の枕詞は、私の世間一般の常識的な質問に対してつけられた。

絵を出世の道具、金儲けの道具にしてはいけない。絵画の真実を求め続けなければいけない。結局、それが一番面白い。

父の出発点はルオー辺りだったと思う。

晩年に東洋の水墨画に出合う。梁楷、牧谿などの研ぎ澄まされた線描がどこから来るのか、絵画の大きくて深い森は、行っても行っても行

き着けない包容力を持っている。

で、仏教にたどり着く。禅の修行を知る。しかし、お釈迦様は絵画を否定している。絵画はモノだから。

深淵はさらに続く。修行としての画道もあるのだろうか? 白隠はあると教えている、ような気がするけどな。

 

11年11月12日

11月5日分の更新は豊橋個展のためお休みした。個展では少し絵を買っていただき、昨日、筆や絵具、紙を買った。豊橋に行く前に地塗りも

たっぷり済ませた。

若い頃の野望はピカソみないに世界的メジャー画家になることだった(かな)。初めから狭い日本の文化勲章なんて目じゃなかった。

ところが、今61歳になってみると、とにかく飯が食えることが先決。私には年金がほとんどないから、死ぬまで自分で稼いで生きなければ

ならない。ま、昔の人なら、それは普通のことだったけどね。

今でも絵画的な野望はある。もちろん世界的メジャーなんてどうでもいい。名なんて知れなくてもいいから、富岡鉄斎やティツィアーノみ

たいな画境をゲットすることだ。そのためには大量の絵を90歳まで描き続けなければならない。他人に認められるとかブレイクするなんて

ことは問題外なのだ。

ま、絵を買ってくださった方には申し訳ないけどね。だから、ブレイクしないまでも安定した評価への努力は怠るつもりはない。

しかし、一番肝心なのは「ちゃんとした絵を描くこと」である。それには年間油絵600点、水墨や鉛筆合わせて1000点のペースを守らなけれ

ばならない。

絵は描けば描くほど、確実に向上する。古典絵画を見据えて軌道を逸脱しない限り、絶対に上達するのだ。それには生涯2万点を目指すしか

ない。

 

11年10月29日

キャンバスを整理していたら、まだ描いていない地塗りキャンバスが1枚だけ(3号)出てきた。また、紙はなくなったけど、ラルシェのス

ケッチブック(4号)も出てきた。10枚以上綴ってある。

私の若い頃ぐらいまでの美大や美術研究所の姿勢は才能よりスキルだった。とにかく腕を磨くことだった。それでも、私が通った美術研究

所のように、毎日裸婦の固定ポーズを午前の部、午後の部、夜の部とやっていたところはないと思う。土日は合計8回のクロッキー会だ。裸

婦攻めである。朝から晩まで裸婦だらけ。もちろん私はキャンバスメーカーに勤めていたから、夜の部だけに行っていた。他にデッサン室

もあり、彫刻室もある。研究生は自由に入って制作できる。だから、裸婦のモデルが気に入らなければ、石膏デッサンをすることも可能だ。

絵だらけの毎日だった。

空間の中にある立体を描き写すことが重大なのだ。そのスキルを磨かなければならない。このときに、画材にも精通するし、過去の画家が

どれだけ偉大だったかも理解できる。これは出発点である。昔の画家はだいたいみんなこのスキルを踏んだ。のちに抽象を描いても若い頃

の立体からの写生は絶対条件だった。

現在、具象画家の多くが写真を使って描いている。写真はすでに平面である。空間が大切なのに、初めから平面では話にならない。ゼリー

の中のサクランボのように、われわれは空気というゼリーに包まれている。その空気の層が美しいのだ。特に日本の四季は目を見張る美し

さだ。このゼリー━サクランボ現象を十分理解すること、スキルを高めながら、腕や身体で覚えることが、絵描きの最低条件だと思う。も

ちろん、ゲイジュツカやアーティストにとっては不要なのかもしれないけどね。

 

11年10月22日

10月21日のクロッキー会で豊橋展前の制作は終わった。次の11月16日の絵画教室まで公式に絵を描くことはないはず。地塗りしたキャンバ

スもなくなったし、水墨裸婦の紙も終わった。すっからかんだ。25日間も絵を描かないことはないから、その前に、どこかに描きに行くと

思う。それにしても、今の十分こなれた腕をいったん萎ますのももったいない気はする。このまま維持したい気持ちもある。だけど、そん

なに緊張し続けるのは不可能だ。若い頃の習作時代ならともかく、今はローテーションで描かないと結局は続かない。年寄りに、無理は利

かない。

20歳代後半のクロッキーは土日で各4回あった。合計8回だ。美術展なども見に行くから、毎週8回出たことはない。だけど、4回は出ていた

と思う。朝出て、昼間に用事を済ませて夜の部に出るみたいな感じだった。現在は1ヶ月に2回だけ。凄く少ない。少ないけど、油絵で描い

ていることもあり、月2回で精一杯だ。

で、若い頃は、月曜日から金曜日までは3時間2週間の油絵固定ポーズだった。これを3年半やった。よく生きていたな。

ただひたすらの写生だ。今の美大生のようにアイデアは不要。モデルを見て描き写すだけだ。私みたいに写生ばかりやっていた絵描きは凄

く少ないと思う。ほとんどいないかもしれない。もちろん、私の行っていた美術研究所にはたくさんの仲間がいたけど、私の知る限り絵描

きになった仲間はいない。

 

11年10月15日

やっぱり、年間600枚油絵を描くのは物凄くたいへんだ。いつも10枚以上のキャンバスを用意しておくのは尋常じゃなない。正確には15枚以

上。もちろん、十分地塗りが乾いていなければならない。花や風景なら、失敗作の上に直接描けるけど、裸婦は地塗りがしてないと無理。

まったく裸婦は効率が悪い。ま、花や風景でもちゃんと地塗りしてあるほうが描きやすいし、成功率も高い。

キャンバス張りと地塗りは日常作業の中に入れておかないと、慌てることになる。

100号の準備も怠れない。2点の100号を出すとなると、私の画法ではどうしても最低5点は描かないと、2点合格しない。出来れば6点とか7

点用意したい。これもまたたいへん。

100号は庭で描く。等迦会は真冬なので、そろそろ描いておかないと寒くて描けなくなる。ま、暖かい日にイッキに描けば、1月でも大丈夫

だけど、暖かい日を待っているのも難しい。イッキ描きには体調のローテーションも必要。天候のローテーションと体調のローテーション

を合わせるのは容易じゃない。まったくスポーツ選手に似ている。

スポーツ選手のように普段から基礎体力をつけておくことも忘れてはならない。腕ならしだ。いつも鉛筆で描いていなければならない。父

は毎朝鉛筆で男女の絡みを描いていた。

私はブログを打っている。これでいいのか? バカボンなら、これでいいのだ。これでよくない人生はない。

本当の基礎体力作りも要る。もちろんスポーツ選手のようにはいかないけど、年寄りはだらだらしているとすぐ老化する。そのスピードは

ハンパない。まったく人の身体は手が掛かる。

歩いて泳いで、それから絵も描く。連続して続ける。いつまでも続ける。たいへんである。ぽっくり死ねたら、チョーハッピーかも。

 

11年10月8日

私の絵に対する考えは萬鉄五郎(1885〜1927)にとても近い。作品を見ると、私の絵には近くない。『鉄人アヴァンギャルド』(二玄社)

に散りばめられた萬の言葉はぴったりと同意できる(この話は『絵の話』の「萬鉄五郎の絵と言葉」に画像付で詳しく書いた)。また、日

本の彫刻家の木内克(きのうちよし1892〜1977)の言葉にも、そっくり同意できる部分がある。木内克の言葉もどこかにアップした覚えが

ある。

私のイッキ描きはこういう先人の考え方に大きく負っている。ロダンの言葉などに影響されていることは当然である。また、水墨画の方法、

その根底にある仏教や禅の行き方には根本的な影響を受けている。すべて納得できる。

しかし、禅家で言う悟りには縁がない。ただ、道元禅師の言っていることは理解できる。「修行しているときが悟っているときなのだ」と

いう主張だ。私も描いているときが真の絵描きなのだと思う。ゴッホであり、牧谿であり、フィーディアスなのだと思う。

出来た作品に執着するのは愚かだ。それはピカソも言っているけど、ピカソがどこで言ったのか、いまだに発見できない。

作品よりも描く行為がより重要である。こう思って、思い切って筆をとるとましな作品が生まれる。このシステムは分かっているが、描く

行為に集中しきれることは滅多にない。まったく情けない。

 

11年10月1日

昨日健康診断の結果待ちのとき、医院の待合室で『週刊文春』を読んでいた。中村うさぎの名文が載っていた。ハチャメチャな女流作家。

家内と娘が大ファンだ。

無欲について書いてある。きっと誰かカッコつけた知り合いがターゲットなんだと思う。もちろん、その名前は書いてない。欲の塊のくせ

に、無欲を気取った東洋趣味のインテリはいっぱいいる。

無欲は無理だ。だから面白いのだ。誰も彼も、もちろん私も欲の塊である。ここに諦めがある。いろいろなことを諦める。これがいい。人

生、諦めの連続だ。諦めて、諦めて、諦め抜いて現在がある。性欲、名誉欲、物欲、金銭欲、すべて諦めざるを得なかった。無理だよ。好

き勝手にやったら犯罪者だもの。もちろん現実に合法的な犯罪者はいっぱいいる。私自身、とても妖しい。

禅では、諦めるというのは悟りに通じる、らしい。だけど、われわれの諦めは悟りからは程遠い。ただただ悔やまれる人生を未練たらしく

悲しむだけだ。若き日の夏目漱石なら「そこに詩が生まれて絵が出来る」と言うかもしれない。私もそう思って絵を描いてきた。だけど、

絵も出来なかった。絵は実にむずかしい。

まだ、これからも描き続ける予定。傑作の生まれる可能性はほとんどない。だけど、描き続けるしかない。それが道元の教えだと思う。お

釈迦様も同じことを言っている、と思う。そういう考え方が仏教の教えだと思う。きっとそれが本筋だ(葬式仏教は筋違い)。

歩いて、泳いで、描く。欲の塊だけど諦める。以上!

 

11年9月24日

仏教の悟りや修行について、あまりにも多くの見解があるので、どうにも収拾がつかない。最近読んでいるのは『迷いの風光』(法蔵館)

という臨済禅の僧侶・西村恵信(えしん)の書いた本。その前から読んでいる『寒山詩』(西谷啓治・筑摩書房)も終わっていない。図書

館で借りた『純粋仏教』(黒崎宏・春秋社)だけは読み終わって返却した。

西村はずっと前にテレビの宗教の時間で見た。精悍な禅僧という感じだった。本物の修行者のイメージだ。それで、古書店で見つけた『迷

いの風光』を買ったけど、全然読まずに置いてあった。今は本が買えないので、こういう本を引っ張り出して読んでいる。『寒山詩』も同

類の本。『迷いの風光』を少し読むと、悟りは大前提という姿勢だ。びっくりする。悟ったのは、お釈迦様だけで、次は56億年後の弥勒菩

薩という説もあるのだ。

あまりにも、いろいろな人がいろいろなことを言うのでわけが分からない。

だけど、『寒山詩』の西谷啓治はイマイチという感じがする。全部読んでないから結論は言えないし、道元なども研究しているから方向性

は悪くないはず。でも、どうもムード派みたい。山に篭る寒山に惹かれている。でも自分はやらない、みたいな。インテリ路線みたいな感

じ。

私の、今のところの結論では、悟りはないかな? でも、悟りへの方向とか可能性はあると思う。修行は有効だと思う。普通の人でも悟れ

るのかもしれない。

「仏教の修行」という考えは、人の行動のモチベーションにはなる。というか、絶対的で唯一のモチベーションかもしれない。「何のため

に生きるか」とか「なぜ働くか」とか「どうして勉強するか」などの答えとして、「仏教の修行」はもっとも説得力がある。もう一つ、絶

対的に説得力があるのは「お金のため」という単純明快な答え。実に爽快な回答だ。

 

11年9月17日

なぜか、ドガについて書きたくなった。その前に、13年も前に書いた下の『絵の話』のなかの『ドガの世界』を読み直した。・・・読み直

してみると、これで十分だと思ってしまう。画像も付いている。『絵の話』も100話ぐらい書いた。もう言いたいことは十分言い尽くした。

最近は繰り返しているだけだ。だけど、まだ生きているから、何か言いたい。でも中身は同じ人間だから、言っていることはそんなに変わ

らない。変わるほうがおかしい。変わらなければ偏屈、頑固と言われ、変われば首尾一貫していないと言われる。どうとでも言ってくれ。

ほとんどの人は見向きもしない。

少し前に、横浜美術館でやったドガ展では、若いころの絵がたくさん来ていた。それほど上手くはない。上手くはないが、絵画への情熱は

感じられる。「ああ、絵の世界にのめりこんでいたんだなぁ」と納得できる。絵画の根本のところを追い求めている。上手い下手ではない。

ドガは、初めから絵画の真実を掴んでいた。

ドガは若いころからイタリア絵画に親しんだ。当時はサロンでローマ賞をもらうと、4年間ローマに留学できたけど、ドガは祖父がイタリア

の銀行家なんだから、ローマ賞なんかもらわなくてもイタリアでいくらでも学べた。好き勝手に研究できた。当時のフランスアカデミズム

がラファエロを画神として崇めているとき、ドガはマンティーニャを模写している。マンティーニャとはあまりにも渋い。生意気な画学生

である。フランス画壇なんか「フン、絵のことなんて何も分かっちゃいないくせに、威張りやがって」という気持ちだっただろう。

そして、ドガは師と仰いだアングルの言葉どおり、たくさんの線を引いた。たくさんの絵を描いた。晩年には、誰も達成しえなかった画境

を獲得した。あの見事な線描と信じがたい美しい色彩を持ったパステル画群だ。すべて人物画。

絵はモノとして残ってしまうところが最大の欠点でもあるけど、そこが最大の長所でもある。まったく、絵とはありがたいシナモノだ。ド

ガの手による線描がそのまま残っているのだから嬉しい。生涯をかけた鍛錬によって達成された造形だ。ドガはいろいろなことに文句があ

り、腹が立っていたけど、とにかくたくさん絵を描いた。ここが凄い。絵を描くというのは行動である。活動である。結果が残る。ここが、

素晴らしくて恐ろしい。

 

11年9月10日

ブログでは36年前にヨーロッパの美術館を巡ったときの、絵画や彫刻との衝撃の出会いを書いている。私は25歳で、まだろくに筆も木炭も

使えなかった。木炭ぐらいは少しは使えるようになっていたかも。

日本で十分絵画修業を積んだ絵描きがヨーロッパへ行くと、絵を止めてしまうという。それぐらいヨーロッパの絵画は凄まじい。まったく

凄いのだ。ヨーロッパ人は心底絵が好きなのかも。絵描きも凄いけど、支持層も厚く広い。

私は生半可な若造だったので、むしろ意欲を掻き立てられた。また、ヨーロッパに潰されないように奈良をしっかり見ておいた。奈良には

日本人の創作の息吹が吹き荒れている。「ヨーロッパに行くなら奈良を見ておけ」といったのは父親だった。私は20歳のときに自転車で奈

良へ行き、10日間、奈良を走り回った。その後も毎年のように奈良に行った(もちろん、自転車ではなく新幹線と近鉄特急)。

けっこう計画的な美術人生かも。まったく金にはなっていないけどね。少しは回収しているかな?

で、ヨーロッパで衝撃を受けて、絵を止めるのではなく、美術研究所に通い始めた。これが27歳ごろで、それから3年半、油絵の固定ポーズ

を描いたのだ。さすがに27歳だから勤めていた。会社帰りに毎日研究所に直行していた。2週間の固定ポーズだから年間20枚あまり描くだけ。

点数はとても少ない。だけど、キャンバスに向かっていた時間は今よりずっと長い。贅沢な絵画人生である。このころからベルギーのクレ

サンキャンバスにオランダ・タレンス社の油絵の具で描いている。だって勤め先がクレサンキャンバスやタレンス絵具の輸入元だもの。ま、

それでも一番安い9番とレンブラント絵具ではなく、ヴァン・ゴッホ絵具だけどね。ヨーロッパかぶれ、みたいな?

 

11年9月3日

株分けしてもらった芙蓉は順調に若葉を次々に出している。根付いたと思う。3年後ぐらいに花が咲くかな?

絵というのは写真ではない。ヨーロッパ絵画は写真のように再現することが目的だったから、パッと見は写真のように見える。だけど、実

際の絵は写真ではない。横10mにも及ぶカラー写真を焼き付けるのだって大変だ。ヨーロッパの油絵はそういうでかい画面にびっちり絵具

が塗り込めてある。まったく凄い作業によって生まれる。絵具が塗り込めてある。といっても、塗りこめるのが目的ではない。ちゃんとし

た画家の意志が働いているのだ。そういう方向性を持って絵具が付いている。

写真とは根本的にちがう。

ギリシア彫刻でも、よく見ると、腕が太すぎたり、顔が小さすぎたりする。そういうアンバランスをまったく感じさせずに、「うわっ、す

げぇ!」と感嘆させられてしまう。感嘆してから、ゆっくりよく見直してみると、いろいろと作ってあることが分かる。作り物なのだ。よ

く言えば創作ってこと。

こんなことは絵描きにとっては当たり前のことだけど、けっこう美術に携わっている人でも分かっていない。びっくりする。

展覧会のカタログの解説にもそういう造形的な話はほとんどない。物凄く退屈だ。水曜日に行った『古代ギリシャ展』の会場のあちこちに

書いてある解説も、アフロディテは性の対象として、ポルノ的な意味合いも含めて彫られた、など、ま、当たり前のことが書いてある。も

ちろんどれも貴重な情報だけど、造形に関する情報はゼロに近かった。ああいうのって、私の若いころから40年間以上まったく進歩してい

ない。天才的な学芸員ていないのだろうか?

 

最初のページ           「唇寒集」目次