唇 寒(しんかん)集28<08/2/2〜08/5/31>

 

08年2月2日

等迦会で受賞した。大海清三賞という。

等迦会の賞は、文部科学大臣賞、東京都知事賞、瑛九賞(主に抽象対象)、等迦会賞、松本静

太郎賞、大海清三賞、佐々木松次郎賞、委員賞、会員賞、会員奨励賞、会友賞、会友奨励賞、

新人賞、新人奨励賞という賞がある。今回は40回記念特別賞としてローマ賞とパリ賞があった。

私はこれが欲しかった。10万円の副賞が付くから。

だけど、ま、賞としては大海清三賞のほうが魅力的かも。

(私は以前、靉光賞があると書いたが、どうも瑛九賞の間違えだったようだ)

小さな会だが、私は今まで新人賞、松本静太郎賞、等迦会賞と貰ってきている。裏工作は一切

していない(当たり前すぎるが=第一裏工作をする金もない)。私みたいな乱暴な絵によくい

ろいろな賞をくれるものだ。不思議だ。もっと絵が売れれば、本当に自惚れてしまう。これで

いいと思い込んでしまう。

今日、2月の家賃を振り込んできた。もうこれで、金がまったくなくなった。というか、完全

に借金も出来ない状態になった。

だから、自惚れるわけがない。これでいい訳がないもの。自惚れてる場合ではないのだ。で、

昨日腰をひねってしまい、歩けるけど寝返りが打てない状態。こういう腰の不都合は精神から

来る。まったく情けない。明日はクロッキー会で、5日には等迦会の飾り付けがある。こんな

腰で絵が描けたり、力仕事が出来るだろうか? 昨日より今日はだいぶよくなったけど、相当

ヤバい。本当はクロッキー会の前日は風景などを描いて筆慣らしをしたほうがいいのだが、も

ちろん出来ない。ああ、モデルが来るのにもったいない話だ。だけど、ぶっつけ本番でも、描

けないことはない。

考えてみれば、私は物凄い分量の油絵を描いている。それで賞も貰えるのかもしれない。

 

08年2月9日

先週は腰を捻って、今週は風邪。どうも罰が当たっている状況。現在37.7℃の熱がある。明日

は授賞式や懇親会がある。困ったものだ。ちゃんと医院へ行ったからきっと直ると思う。

横山大観のチケットを貰ったので明日見たいけど、熱が引かなければ行かれない。午後から雪

だというし、事態は最悪の方向に進んでいる。

いい話はまったくない。

 

08年2月16日

先週は、授賞式は出られたが、懇親会は無理だった。

現在、風邪も治り、腰もほとんど平常だ。

毎日凄い寒さが続いている。この前まで、暖冬だと言って心配していたテレビの人たちは、異

常な寒さも異常気象なのではと心配している。心配するのが仕事なのだ。

今は豊橋にいる。今朝は自分がどこにいるのか、わからないぐらい熟睡していた。よく寝るな

ぁ。

2日ほど前には、物凄い量の夢を見た(感じがした)。この歳になると夢の世界も膨大である。

強烈なリアリティをもって、同じ場面が繰り返し出てくる。朝起きると、「すげぇな」と思う。

この前の「秘策」はダメだったので、次の手を考えている。というか今朝思いついた。昨日ま

でに『翼の王国』の4月号の原稿などを送信してしまったから、頭の中に余裕が出来たためだ。

ま、しかし、「秘策」はだいたい下らない。朝の頭は冴えているが、松尾芭蕉は「寝覚めの

分別、何事をか貪る。愚かなる者は思うこと多し」と言っている。

 

08年2月23日

俳句の世界は、作る人も鑑賞するし、鑑賞する人も作るという特別なものらしい。しかし、私

は俳句がけっこう好きだが、全然作れない。もちろんたまに捻ってみるが、とても俳句とは言

えないシロモノ。ちなみに、昔作った私の俳句を挙げておくと「暑すぎて/誰も通らぬ/夏の

道」。酷いね。塾をやっていたころ、俳句を作るという学校の夏休みの宿題を、塾生のために

考えてあげたものだと思う。

最近の油絵の世界も、買って頂く方がご自分も描いている場合が多くなった。油絵の世界も、

俳句の世界化しているのかも。そうなると、私みたいに若いころから描いている人間は俳句の

宗匠みたいになれるかも。そうすると少しは収入もあるか?

とにかく、この2月は越せないから、家内からの攻撃が激しくて息もつけない。そりゃ、攻撃

するわ。越せないんだから。まったくどうしよう? 今日ぐらいが平和に生きられる限界だ。

明日はクロッキー会だからとにかく午前中は顔を合わせなくて済む。明日の午後からどうやっ

て凌ごうか? 家内を凌ぐことより、2月を乗り切ることのほうが先決なんだけど、やっぱり

目の前の脅威は怖い。2月を乗り切れば取りあえず目の前の脅威は消える。

 

08年3月1日

とうとう3月だ。子供のおかげで、とりあえずギリギリだが3月の家賃までは払えることになっ

た。「ああ、助かったな」と思っていると、家内の機嫌が物凄く悪い。3月末を心配している

のだ。

新聞の一面では、大地震で国宝や重要文化財が壊れるだろうと心配している。あたしゃ、壊れ

たのかと思ったよ。「ああ、心配なのか!?」とホッとした。

歳をとってボケることを心配している人もいる。心配ばかりしていても・・・

黒澤映画の三十郎はとりあえず1回分の飯と酒代があれば喜ぶのに。ブログでは『椿三十郎』

の話が続いている。

 

昨日の新聞には惑星Xのことが書いてあった。去年だったか冥王星が惑星ではないと判定され

た。で、わが太陽の惑星は8個になった。ところが太陽系のずっと外側を1千年の公転周期で

地球ぐらいの大きさの惑星が回っているらしいと書いてある。気の遠くなるような遠大な話だ。

もちろん、130億年の大宇宙に比べれば太陽系なんて針の先ほどもないのだけれど、太陽

系の惑星の神秘はなかなかつかめないらしい。もっと外側に2千年、3千年周期の惑星がある

かもしれない(これは私の勝手な放言である)。まったく、凄いスケールの話だよ。

 

08年3月8日

今日は『翼の王国』の取材で山形に行った。山形空港にANAは降り立たないので新幹線で行っ

た。遠かった〜ぁ。だけど、福島辺りから一面の銀世界。遠くの山々が白く輝き、頂上か雲か

分からない。信じられない光景だ。あんなの初めて見た。蔵王とか朝日岳とか月山(がっさん)

とか、山形盆地は美しい山々に囲まれている。ただし、山形市内はビルが多すぎる。三遊亭円

生の落語『火事息子』に「こんなところに蔵を作りやがって! これじゃあ火事が途切れちま

うじゃあねぇか! まったく! だから銭のある奴は嫌れぇだよ」という台詞があったが、ま

こと、銭のある奴は嫌だね。すぐビルを作りたがる。遠くの山が見えないっつ〜の。山形は金

持ちだらけか!

往きも帰りも見たが、白竜湖という辺(赤湯の近く)の景色はずば抜けている。死ぬまでにも

う一度山形へ行ってあの景色を書きたいものだ。きっと昔から有名な風光明媚な地だと察する。

 

山形美術館には新海竹太郎とその甥っ子の新海竹蔵の彫刻がたくさんある。二人とも素晴らし

い作品だった。新海竹蔵は国画会の所属。私は子供のころ新作を見ているはずだ。

 

08年3月15日

山形へ行ってからもう一週間だ。あまりの早さにびっくりする。

山形はジェット機が使えなかったので、片道4時間掛かった。新幹線も4時間は辛い。昨年の

10月ごろに行った鹿児島、その前の松江は遠かったけど、ジェット機だったので、機内にいる

時間は1時間もない。やっぱりジェット機は楽だ。日帰りも無理ではない。だから、夜遅くなっ

ても帰れる。翌朝一番で、主題の絵の印象を記事にする。これがでかい。やっぱり、印象が鮮

やかだし、感動もたっぷり残っている。

出不精の、というか金もないからどこへも行けない男が、一年間で驚くほど旅をさせていただ

いた。ありがたい話だ。きっと今年もあちこち行くと思う。四国とか福岡とか北海道とか青森

や秋田。行ったことないところへ行ける。毎月ではない。やっぱり東京周辺には立派な美術館

が多いから、近所の美術館も行くことになる。だけど、こんなに旅をすると人生観も変わるか

な。

あまり変わった感じはない。しかし、松尾芭蕉は旅の重要性を説いている。芭蕉にとって旅は

最高の創作の糧だった。江戸時代の旅と現代の旅はまったくちがう。だけど、旅は旅だ。そう

いう思いもあって、とにかく、取材に行ったら絵を描く、という自分の法則は守っている。

 

08年3月22日

いよいよ金井画廊の個展が近づいてきた。

来週の月曜日から休みなしの9日間だ。私は毎日会場にいる予定だが、29日(土)だけクロッ

キー会のため行けない。その代わり、あくる日新作をもってゆく予定だ。実は今日も金井画廊

に行ってきた。今回の個展の絵は2週間ぐらい前に金井さんが見えて、もう70点ぐらいもって

行かれた。だけど、金井さんが見えた後も描いているので、そのなかでめぼしい絵を持って行っ

たのだ。

株価がどんどん下がり、週間天気予報を見ても曇りの日が多い。なんか、嫌な予感がする。ま、

縁起でもないことは書かないほうがいい。株価なんかに関係ないいい絵を描けばいいわけだし、

週間天気予報はあまり当たらない。気にしなくても大丈夫だと思う。

 

08年3月29日

ただいま、金井画廊の個展の真っ最中である。9日間のうち今日で5日目が終わった。相撲み

たく、序盤、中盤、終盤と分ければ、中日が過ぎたところ。中盤の後半に入った。あと4日間

だ。

明日はクロッキー会なので行けない。

日曜日に新作を持ってゆけるかどうか?

明日は、会場に行かないので、午後も桜を描こうかと企んでいる。計略が図に当たるかどうか、

そんなにはうまくゆかないかもしれない。

今日は大昔から研究所をやっている先生が見えた。もう80歳を過ぎていると思う。私の親父

と一緒に研究所通いをしたというのだから、歴史上の人物みたいな人。その方の研究所には今

展覧会をやっている中山忠彦もいたし、同じ白日会の元会員・野田弘志もいたし、国画会の森

本草介もいたという。現在の日本を代表する細密画の巨匠たちだ。彼らの習作時代をご存知と

いうこと。そこで、私の習作時代の絵の写真があったから、見ていただいたら、けっこう驚い

てくださった。現在の絵と比べてびっくりしていたのかもしれない。今の絵は5分で仕上げる

が、30年前の習作は2週間の固定ポーズだから25時間ぐらいかかっている。

このホームページでもご覧いただける。画歴(profile)から入って、1977年の油彩人体画とか鉛筆

デッサンのところをクリックしてください。

 

08年4月5日

もちろん私はオシャベリである。いらないことをペラペラしゃべる。しかも悪い口癖があるか

らなおさら困る。

金井画廊でも、褒めていただくと、つい

「いい絵でしょ。上手くいっちゃんたんですよ」

と言ってしまう。

絵は安いものではない。もちろん私の絵は安いが、絶対価格として百円とか千円では買えない。

それなのに「上手くいっちゃった」はねぇべ。

だから、ここで言い訳をさせていただく。

一般の方は、ちゃんとした絵描きは思いのままに傑作が描けるものとお考えである。意匠を凝

らして計画的にじっくりと完成する、仕上げてゆくのだと信じていらっしゃる。そういう画家

もいるかもしれない。たとえば点描のスーラとか。

しかし、私が尊敬するほとんどの大画家は大量に描いている。もちろん、どの絵も素晴らしい

絵ばかりだ。だけど、失敗した絵は潰してしまうのではないか。また、おかしな絵もある。ま、

贋作か失敗作だと思う。誰だって失敗する。

むかし原精一が「このごろの若い絵描きは失敗しないそうだね」と皮肉っぽく言っていた。

朝青龍だって負けることはある。松井だってイチローだって三振する。それが本当だろう。自

然だと思う。

朝青龍が勝つときは「上手くいった」ときだ。松井やイチローがヒットを打つときも「上手く

いった」とき。絵描きだって同じ原理なのだ。ただ上手く行く可能性をどれだけ高めてゆくか

という問題だ。そこが腕の見せ所なのである。

われわれ凡人はうんと描くこと、これに尽きると考えている。

ああ、もっともっと描かなければ・・・

 

08年4月12日

昨日は進学塾の講師採用試験を受けに行った。凄く疲れたけど、とても面白かった。疲れすぎ

て今も頭が重い。採用規定では50歳ぐらいまでとあったから、初めから無理で、電話で57歳な

んですけどと聞いたら、全然問題ありません、というお答え。だけど、実際の試験会場は20名

ぐらいの希望者でほぼ全員大学生。その中にひとり禿親爺がいるのは奇怪である。

息子の判定では絶対合格しないとのこと。理由は、子供たちは若い人が好きだからだそうだ。

私も塾を閉めるとき、やっぱり子供を教えるのは若い人のほうがいいと思った。若い者同士の

世界だと感じたからだ。

ま、だけどそうも言っていられない状況になってしまったので、「子供の成績を上げる」テク

ニックはあるから(と言うか「それしかないけど」)、それを使って生きるしかないわけだ。

昨日受験した進学塾が採用不可でも他の進学塾を受ける。けっこう人手不足みたいだからどっ

かで使ってくれると思う。

そういえば、昨日も私以外に(私より若いが)年配の人がいた。塾の紹介ビデオを見た段階で

帰ってしまった。子供たちに鉢巻をさせて、「めざせ! 合格」とか叫ぶ姿が嫌だったのかも。

そんなの初めからわかっていることだ。(私には)どうということはない。

また、いまどきの大学生は「分数の足し算も出来ない」などと言われるが、みなさんなかなか

お利口で、模擬授業もお上手だった。

 

08年4月19日

やっぱり、塾の講師採用試験は落ちたみたいだ。ちなみに筆記試験はとてもよく出来たと思う。

・・・困った。で、別の塾を受験しようとパソコンで調べたが、もう募集が終わっているとこ

ろなどもあり、とても困った。第一、採用試験の写真は大学生がいっぱい楽しそうに映ってい

て、オッサンの割り込む隙間はない。57歳じゃ無理だべ。

家内の草むしりのアルバイトも発熱で終わった。喉が悪いので埃みたいなものがいっぱい飛び

散る仕事は無理なのだそうだ。ドクターストップってヤツか? 致し方ないから私がそっちを

やるか。

とにかく、絵を描くべくキャンバスは用意した。絵を描かないわけにはいかない。これでまた

集中して絵が描ける。先のことは真っ暗だが、塾の仕事はないほうが絵にはいい(ような気が

する)。

 

昨日はクロッキー会だった。絵を描いていると、いろいろな妄想が頭をよぎる。ほとんど忘れ

てしまうが、たまに覚えていることもある。

私の絵はほとんど世間に認められていない。もちろんゼロではない。褒めてくれる人もいる。

買ってくれる人もいる。金井画廊では9年連続で企画個展をやってもらっている。

だから、私は自分の絵をあまり卑下して考えてはいけない。金井さんや買ってくれた方々に失

礼である。

私の絵は、少なくとも独特である。油絵でクロッキーを描いて、それをそのままタブローにし

てしまう、そんな絵描きは他にいない(と思う)。邪道かもしれない。

もちろん私は正道だと思っている。絵画の正法眼蔵だ! そのために、古典絵画を引き合いに

出していろいろ述べてきた。

絵は(実は彫刻も)タッチなのだ。筆触だ。彫刻なら鑿の跡だ。一つのタッチが人体の面に適

っていなければならない。これが技だ。それが感動を画面に焼き付ける唯一の方法なのだ。こ

れしかない。

・・・と思うんだけどなぁ。

 

08年4月26日

今後どうするか? 本当に困った。とりあえず、家庭教師の口があったら紹介してください。

やっぱり中学生がいいけど、私立受験の小学生でもやります。全科目できます。高校は高2ま

でが限界。無理かな? 英語の単語数など桁違いに増えるから。もっとも高校受験でも有名私

立は2000語は必要らしい。大学受験は5000語だもん。ま、これは予習するっきゃないか。数学

もわれわれの世代は行列をやっていない。理系の人に聞いたら連立方程式と同じだし、連立方

程式のほうが早く解けるとのこと。ま、これも勉強します。でも、高校の因数分解なんか嫌な

問題も多いからな。3日考えても解けないこともあったな。

で、費用ですが、交通費別で3〜5万円かな? 成績が上がったら考えてください。まず,上が

ると思うけど。

 

で、現在地塗りは50枚以上準備した。いまは豊橋にいる。豊川展の飾り付けに来たのだが、生

まれたてのヤギを描くのが本来の目的だ。ヤギの喫茶店にはまだ行っていない。ちゃんと生れ

てるかな? 30号から0号まで準備した。2回は行きたい。近いうちに、このホームページに

ヤギの赤ちゃんの絵をアップします。

 

08年5月3日

5月2日に家賃を払った。また通帳が空になった。ま、しかし、今月はこの家に住める。今日

払わないと7日になってしまう。ゴールデンウィークはおそろしいかも。

ここのところ、毎日絵を描いている。

ヤギの赤ちゃんはちゃんと生れていて、生後2週間、メイメイよく鳴くしぴょんぴょん飛び跳

ねる。だから、毎日描くことになってしまった。ヤギを3日間描いて、今日またクロッキーで

裸婦を描いた。今日のクロッキーは筆が熟れていてとても描きやすかった。だからと言ってう

まく行くとは限らない。まったく絵というものは手に負えない。ま、上手くゆく確率は高い感

じがする。

だけど、上手く行過ぎても絵が軽くなるし、薄く見えるんだな、これが。

今は、ハナミズキや藤の花が最盛期だ。明日これらを描けばきっといいのができるはず。描く

か!? とりあえず、地塗りしたキャンバスはまだかなりある。さらに、裁断キャンバスと木

枠も用意してある。まだそうとう描ける。このこなれた絵筆で描けば、そうとういい線行くは

ずだ。やってみるか。

だけど、絵は上手いからってそれでいいわけじゃないからな。偉い絵の先生が言っているもの。

困ったな。

 

家庭教師などの話は全然来ない。

この前テレビで茂木健一郎先生が記憶法の秘伝を公開していた。それは私が塾で子供たちに教

えていたのとまったく同じ方法。あれでやってもわが塾から東大へ合格した子はいない。早稲

田・慶応はいる。私は中学のとき教えただけだからあまり関係ないと思う。自力で頑張ったん

だろう。

 

08年5月11日

最近金曜日の夜にホームページのアップがしにくくなった。土曜日の午後とかになってしまう。

申し訳ありません。

ああ、ヤギとの三日間は楽しかったな。

豊橋のその喫茶店は「メイとバク」という。静岡県の湖西市に向かう立岩街道を左に折れたと

ころにある。夢のような場所だ。長野の保養地の喫茶店みたい。広々とした山の斜面にある。

雌のヤギが2匹いる。メイとバクだ。メイはちょっと乱暴モノですぐ頭突きを入れてくる。バ

クはとてもおとなしいお利口さん。今度生れた赤ちゃんはメイの子が2匹、バクの子が1匹。バ

クはとても子煩悩だ。だけど、バクの子はメイの2匹の子供と一緒に遊ぶのが好きだ。

仔ヤギは私が絵を描いていると、どんどんキャンバスの上に来る。絵に頭突きを入れて頭が緑

色になってしまった。この悪戯モノはキャンバスを食べ始めた。30分ぐらい暴れると自分の寝

床で寝てしまう。よく寝る。しばらくするとまた暴れだす。

6月上旬にはどこかに売られていってしまう。

5月末にまた豊橋に行くから、また描けるかもしれないが、そのころにはもう大きくなってし

まっていると思う。

 

08年5月17日

町田牡丹園の芍薬はほぼ全滅。まこと絵画の道は甘くない。

所詮写実も抽象も空想も、絵画の造形の前ではキッカケに過ぎない。美術においてもっとも重

大なのは視覚への感触である。平面でも立体でも心地よい視覚の喜びが目的だ。それは長く見

ていたい、何度も見たい、長い間印象に残る。たびたび思い出す、などなどいろいろな刺激だ。

過去の古典絵画の中にはボッシュ(ボス)の絵のように気持ち悪い絵もある。そういう絵が何

度も見たいという人もいるかも知れない(もちろん、私は普通の絵のほうがいい)。

では、よりよい造形に導くより有利なキッカケは何か? これが絵描きの一番知りたいところ

だろう。

私は、これは感動だと思っている。感動は本能に深く結びつく。生きているという実感だ。切

実な願いだ。これは個人的なエゴではなく、全地球規模のグローバルな生存の希求に繋がって

いるべきである。

でかいことを言っても、来月の家賃と2年目の更新に四苦八苦しているのが私の現状である。

しかし、現状は現状。どうあるべきかを見失ってはいけない。

誰だって一度は死ぬのだ。

 

08年5月24日

JR横浜線の成瀬駅の連絡通路には毎年ツバメが巣を作る。今年も作ってある。巣からツバメ

の赤ちゃんが口を出している。実に面白い。その口に親ツバメが餌を運んでくるのだ。駅の構

内だからカラスなどはまず来ない。巣は垂直の壁の上のほうにあるから猫も登れない。とても

セイフティー。

あの、巣から顔を出している姿は中国南宋時代の画僧・牧谿が描いている。愛知県の徳川美術

館の所蔵。87.6×43.9cmで、見ごたえのある大きさだ。よく見ないと子ツバメは見つからな

い。風雨にそよぐ柳の枝の中にいる。その柳のカーブがたまらなくいい。柳のカーブと反対方

向に親ツバメが飛んでいる。その滑空の描写は実に見事。

面倒だから本日の表題の絵は牧谿にした。(絵はけっこうあるのですが、昼間に写真を撮り忘

れました)

 

 

08年5月31日

いまは豊橋にいるが、豊橋に来る前に成瀬駅のツバメの巣を見た。雛がもう巣から出ようとし

ていた。巣の上に立ち上がっていた。巣立ちも近い(というか、きっともう巣立ちしている)。

豊橋の仔ヤギはとても大きくなっていた。特に角が立派だった。でも、まだオッパイを飲んで

いるから、赤ちゃんなんだと思う。

先週は1週間、伝牧谿の『柳燕図』を掲載した。やっぱり古典絵画は素晴らしい。まず、堅牢

である。構成がガッチリしていて簡潔だ。物凄く頑丈に見える。本音を言うと、これが絵画の

永遠のテーマである。古典絵画でも牧谿あたりになると、この絵は鉄板か? と思えるぐらい

堅牢なのだ。もちろんヨーロッパ絵画でも同じ。私を含めて日本人の絵はフニャフニャに見え

る。情けない。

堅牢さは相対的なものだ。牧谿と比べれば雪舟でもフニャフニャだ。等伯はさらにフニャフニ

ャ。茂木健一郎先生は長谷川等伯を物凄く高くかっておられるけど、もちろん、等伯は桁外れ

に素晴らしいけど、牧谿と比べるとねぇ・・・

暮らしが不便なほど芸術とか宗教はいいのではないかと思ってしまう。

 

 

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