唇 寒(しんかん)集25<06/12/3〜07/4/22>

 

06年12月3日

ブログのほうでは公募展についての考えを述べたが、こちらはアクセス数倍増を狙って今は

やりのイジメ問題を述べたい。

いま世の中は学校絶対主義社会である。学校へ行くことは大前提であり、子供の非行の責任

はまず学校に負わせられる。お笑いは学校ネタ、教室ネタをやればだいたい受ける。ドラマ

や映画はもちろん、「学校へ行こう!」というバラエティ番組まであった。

なんで学校がそんなに重大なのか? さっぱりわからない。学校なんて行くことはないのだ。

いじめられたら行かなければよい。全然行く必要なんてない。

当然、子供の非行の責任もない。責任は親にあるに決まっている。バカバカしい。アッタリ

マエではないか!

まずこれが大前提。

私も幼稚園から大学まで行った。幼稚園は卒園寸前で中退した。別にイジメがあったわけで

はないが、とにかく行きたくなくなった。

私は子供のころから身長があったからそれほどいじめられた覚えはない。また、人をいじめ

た記憶もないが、知らず知らずにイジメに加担していたかもしれない。こればかりはわから

ない。

学校ではなぜか孤独だったような気がする。私の思い込みかもしれない。しかし、寂しい気

はあまりしなかった。弁当も一人で食べたように思う。弁当なんて一人で食ったほうがすっ

きりする。今もパーティーなどは好かない。金が掛かるし、酒は飲めないし、人と話すのも

面倒だ。等迦会のパーティーにもあまり行くたくない。ちょっと変わり者かも。

塾をやっていたが、イジメらしいイジメはなかった。塾は勉強するところだから、そのため

に親が金を払っているから、イジメなんてやって時間を無駄にしたくないのかも。本来学校

も勉強するところなんだから、ガンガン教え込めばイジメどころではないのでは。情操教育

とか「ゆとり」とか訳のわからないことを言ってカッコつけているからイジメや学級崩壊が

起こる。

塾はもちろんだが、学校もそんなに大したところではない。そう考えれば少しは自殺も減る

のではないか。

私も世間一般の考えと同じで、執拗なイジメはいじめているほうの子供が病気だと思う。イ

カレている。

 

06年12月10日

厳密なイジメの定義は難しいと思う。だいたい三人寄れば文殊の知恵ではなく、イジメが起

こる。2対1になるからだ。どうしても一人が孤立する。孤立を仲間はずれと思うか、せい

せいしたと感じるかによって、イジメの成立不成立が決まる。イジメの一歩手前がカラカイ

だ。カラカッているうちに、カラカイが昂じてイジメに発展する。その境目を見極めるのは

結局バランス感覚だ。頭がいいかどうかということ。IQとかEQの問題だろう。低レベル

の奴が多い集団はイジメも多い。そんな集団からはいち早く逃げるに限る。

先週の続きだが、皆勤賞とか精勤賞などと言って終業式に名前を呼ぶのがよろしくない。

それは確かに皆勤は立派だ。褒めてあげたくなる。しかし、それはあくまでも結果論として、

知らず知らずのうちに皆勤となるべきで、あまり向きになって目くじらを立てて皆勤賞を目

指して頑張りすぎてはいけない。だから苛められていても学校が休めなくなる。皆勤賞のた

めに自殺をしては元も子もない。

私には自殺する度胸はないが、自殺は案外簡単に出来ると思う。こんなつまらない世の中、

誰だって死にたいよ。死ねるものなら。だけど、いろいろ無駄をやってみんな励ましあって

生きているのだ。オリンピックとか宇宙開発などもそういう無駄の一種だと思う。絵も本来

はそういう無駄であるべきだ。みんなが死なないためのブレーキなのだ。歌や踊りも同じだ

と思う。

今週もギャラリーは完成せず。

 

06年12月17日

来年の個展は現在4回決まっている。3月が京橋の金井展、6月が町田のギャラリー・マチ

ス展、9月が銀座のギャラリー近江展、10月が豊橋のギャラリー公園通り展。このほか、

1月の豊橋・ギャラリー公園通りの「暮らしの中の小さなアート展」や4月の横浜のギャラ

リー・ボールドの「春季展」などに出展する(来年は等迦展はない)。大分のギャラリー美

慶展もあるかもしれない。

2005年3月に塾を辞めてほぼ2年が経つがやっぱりこの2年はよく絵を描いた。個展も

合計15回以上やったのではないか。来年も回数だけは多い。絵の売れ行きは大したことは

ないが、夫婦二人で生きて行くだけだったら何とかなるかもしれない。しかし、塾時代の借

金があるし、家も借家だからとても無理だ。

いろいろな方策を巡らし、この前は年金を免除してもらった。夫婦二人とも25年以上掛け

ているから猶予してくれるらしい。考えてみれば私もけっこう真面目に払ってきたものだ。

われながら偉いと思ってしまった。

個展の詳しいことは個展案内をどうぞ。

 

だいたい人をたくさん集めていっぺんに何かをやろうとするのはロクでもない。学校もそう

だが、政治、宗教みんな同じだ。サザンのコンサートも妖しいし、スポーツイベントもおか

しくなる場合がある。すぐ集団の勢いで妙な方向に進む。イジメも同様かも。サル山的集団

社会じゃなくオランウータン的個別社会になったほうがいいかも。美術団体は年に一度だか

ら大事にはならないが、それでもしょっちゅう分裂している。

今週もギャラリーは完成せず。

 

06年12月24日

今日はクリスマス=イヴだ。わが家は子供が大人になったのでもうオモチャを買わなくて済

む。昔はオモチャを11月ごろ買っておく。クリスマスが近づくとオモチャの値が上がるか

らだ。押入れの奥のほうに隠しておく。24日の夜中に子供の枕元に置く。だけど、私だっ

てオモチャで遊びたい。11月から買ってあるのだ。25日の朝がすごく楽しみだった。だ

から、普通人生にクリスマスは2回ある。自分自身が子供のころと自分がサンタになる大人

の一時期。

 

養老孟司の本はだいたい読み尽くしたので、最近は別な人を探している。中島義道と澤口俊

之はけっこう読める。面白い。2人ともとてもきついお人だ。澤口さんは今日読んでいると

ころで木村拓也の悪口をしっかりやっていた。でも私はキムタクのことをそんなに嫌いじゃ

ない。『武士の一分』も見る予定だ。『たそがれ清兵衛』も『鬼の爪』も見たし。

中島先生は凄まじい。悪口ばかり。私には面白い。学校嫌いも私と似ている。肉が大嫌い、

体育の時間が嫌いなども同様。ただ中島先生は東大出で国立大学の教授だから学校内での要

領のよさは私とは比較にならないみたいだ。中島先生も澤口先生もかなり教育論を述べてい

る。だから、負けずに私も今日はここで教育論を打とうと思ったが、こんなに書いちゃった

から、止めておく。どうもおしゃべり男は困る。

来週(=年内)には新しいギャラリーをアップします。

 

06年12月31日

2年ほど前『わーずわーす』という雑誌に1年間の連載予定で日本の美術館を旅歩くという

企画が始まった。しかし、3回で休刊になってしまった。その記事の主人公は水墨画だった。

私が好きな画人を選んで好きなように語っていいというありがたい企画。中国南宋時代の牧

谿と梁楷を書いた。もう一人は日本の明治期の巨人・富岡鉄斎を取り上げた。言いたいこと

をたくさん言わせていただいた。

同じ出版社から今度は油彩が中心で語れとの話。今度は数年連載が続くとおっしゃる。もち

ろんまだこれから私の原稿を見て没になるかもしれない。ぬか喜びはいけない。出版社は多

数の読者を抱えているのだ。無名のよれよれ男の戯言を活字にするわけにはいかない。よれ

よれをごまかし、戯言を愛の言霊にしなければならない。

連載が好評なら本にまとめるかもっしれないと脅かされた。油断ならない。

そういうわけで、ホームページのギャラリーはまだ更新できません。

やっぱ、いくらよれよれ親爺でも年末は忙しいもん。離散寸前でもまだ一応ギリギリ家族も

いるし。

ご報告ですが、よく読むと言い訳でした。

中島義道には相当がっかりしているが、もう少しちゃんと読んでから、ここでズタズタに切

裂きます。

 

07年1月7日

あけましておめでとうございます。

年明け早々尿路結石になってしまい、激痛、疝痛の正月を味わった。まったく歳はとりたく

ない。56年も使っていれば身体にもガタが来る。

病院では両親の死因なども訊かれる。二人とも癌だ。伯父も祖父もみんな癌。考えてみれば

わが家系は、父系も母系も癌だらけだ。思わず「私も癌ですか?」と尋ねてしまった。

ま、今回は癌ではないらしい。そのうち癌になると思う。これは致し方ない。もっとも父と

は母はタバコの吸い過ぎの肺癌だから、タバコを吸わない私は別なところの癌になるだろう。

こんなことはブログに書くことかもしれないが、昨日は大エルミタージュ展とボストン美術館を

見るために名古屋へ行った。その話はブログに書いている最中。

そのとき、山本屋の味噌煮込みうどんを食べた。一杯1200円もするうどんだ。名古屋コー

チンとか黒豚とか牡蠣などのオプションを付けると2000円にもなる。椎名誠の友だちが

2000円のうどんと怒りをぶちまけていたらしい。ま、そういう人は山田うどんでも食っ

ていることだ。

うどんは1200円だが、漬物が好きなだけ食える。われわれ夫婦は3回お代わりをした。

ものすごく美味い。ほとんど元は取ったと思う。味噌煮込みうどんも似て非なるものはたく

さんあるが、山本屋でなければ味噌煮込みではないだろう。オプションなんていらないのだ。

一番安いので十分。蕎麦だってざる蕎麦が一番美味い。もちろん、ざる蕎麦はもり蕎麦より

高価だが、やっぱ、海苔は付けなくちゃ。

と、本日は味噌煮込みうどんの話。みなさんも名古屋へ行ったら山本屋の味噌煮込みうどん

を是非ご賞味ください。

 

07年1月14日

年末に雑誌連載のお話を頂き、とにかく毎日のように書いている。ちょっとした文筆家だ。

まだ今はお試し期間で、ここで何度書いてもモノにならなければ、首チョン(胸キュンでは

ない)かもしれない。でもまあ、まずは大丈夫だと思う。最低でも3回ぐらいは書かせてく

れるのでは。合格なら5年連載との話。そうすると60回だ。そんなに書くことがあるだろ

うか?

とにかく、今はルーキーの気持ちで文字を書いている。

文字をたくさん書くと絵に影響はあるか、というとほとんど影響はない。むしろ、このホー

ムページとかブログなど文字を書くほうには影響がある。やっぱり、文字を書く情熱という

と大げさだが、意思みたいなものはキャパシティがあってこっちに使うとあっちが不足する

ということがあるのかもしれない。だから、今ここで書いているように、ホームページやブ

ログには連載文を書きながらのこぼれ話などを書こうかと思っている。

で、ここのところエコール・ド・パリのパスキンについて調べているが、当たり前かもしれ

ないが、パスキンはよく絵を描いている。絵描きになるためにはある程度の分量の絵を描か

ねばならない。パスキンなど毎晩酒を飲み、飲んだくれてハチャメチャな暮らしだが、絵だ

けはきっちり描いている。だからこそのパスキンなのだが、まったくあんな暮らしでよく絵

を描き続けるものだと驚く。絵によって己を保っていたのだと思う。

 

07年1月21日

何の雑誌に連載されるのかは、まだ内緒にしておく。しかし、やっと金曜日の夜に1回目の

OKが出た。まだ取材に行っていないので採用文ではないが「こんな調子」でOKというこ

とだ。

本心、金曜日の夕方は一人町田の本屋で沈み込んでいた。私を知っている人は「あいつの沈

み込む姿が見てみたい」と思われるほど、根っから能天気な野郎だが、1月締め切りの文章

で19日金曜日の朝送った文章にその日の夕方まで返事が来ないとなると誰だって多少は落

ち込む。もうダメかと思った。ああ、世の中甘くないなと途方にくれていた。

取材旅行は28日の日曜日と決まった。

私の文章だからもちろん絵の話だ。今回はドガ(1834〜1916)のことを書いた。ドガの話も

あちこちに語りつくされている。書けば月並みな話になってしまう。誰でも知っていること

ばかりという気になる。ま、実際にはほとんどの方が興味がないから心配要らないだろうが、

ドガの絵があり、その絵に付ける文章なのだから、読む人も多少はドガのことを知っている

人と思わなければならない。そうすると斬新な話、というか少なくとも切り口ぐらいは斬新

でないと採用されない。読んでくれない。

まこと、文章は難しい。

今回の雑誌は『わーずわーす』のときのような執筆者の紹介がほとんどない。名前だけ。だ

から、私の絵の宣伝効果は薄い。悲しい。だけど、文を読む人はその文を書いた人に興味が

わくと思うのだが・・・そんな身勝手な意見は言えない。ペイペイの執筆者ならなおさらだ。

読者のみなさん、名前を見てインターネットで検索してくださいまし。

ああ、2月末までにホームページの整備を終了させなければ・・・ これは忙しくなってき

た。

しかし、それまでこの家に住んでいられるだろうか? 息子の教員臨時採用もそろそろ終わ

るらしいし。それにしても、息子が教えているアメフトの部員たちはどうなるんだろう? 

ここがとても不思議? だから、来年も採用されると思うのだが。まったく世の中分からな

いことだらけだ。

 

07年1月28日

今日は例の雑誌の取材に三重県津に行った。朝7時に起きて8時30分ごろ新横浜発の新幹

線に乗った。9時過ぎには名古屋に着く。途中、富士山が奇麗だった。名古屋から特急南紀

3号に乗った。特急が動いた始めたとき頭の中に寅さんのテーマ音楽が充満した。

「ああ、旅だぁ!」初めての実感。

なんと、ここのJRはディーゼルなのだ。驚いた。

旅だなぁと思ったとたんに、仕事なのだと自覚した。原稿を取り出して読み直したりして。

美術館の写真も撮った。学芸員の方とお話もし、収蔵庫にも入れてもらった。常設展を鑑賞

し、これで仕事は終わり。ここで午後2時半ぐらい。

なぜか腹が減らない。そのまま直感で海に向かう。40分ほど歩く。実は油絵の道具を持っ

てきているのだ。安濃川の河口から津の町並みを見ると、なぜか今度は昔の日活映画のファー

ストシーンみたいだ。宍戸ジョーとか浅丘ルリ子か。石原裕次郎かも。映画ではヤクザがあ

の町のなかで威張っていて、その用心棒が宍戸ジョー。裕次郎と戦う。笹森礼子なんて女優

もいたなぁ。

寒風のなか、4号と3号を2枚ずつ描いて本当に全部終わり。後はどんどん帰る。帰宅時間

は午後7時40分でした。プールには間に合うけど、ま、止めておいた。

息子は今の高校のアメフト部の面倒は無料奉仕で見てあげるとのこと。まずはめでたし。

 

07年2月4日

今日こそギャラリーの更新を実行すべく、朝からテンパッていた。だが、障害が多くダメだっ

た。残念。

しかし、更新は近い。なんとしても更新しなくてはならない。例の雑誌に私のプロフィール

が少し入ることになった。ホームページアドレスは長いので入れられないが「HP:イッキ

描きで検索可」とは入れられるらしい。90万部の雑誌だ。これはなんとしても整備しなけ

ればならない。

 

12月の初めごろ、ほとんど絵がない感じがしていた。春の金井画廊に間に合わないかもと

不安があった。あれから2ヶ月。今は絵だらけだ。2ヶ月あると相当溜まる。今ある絵に動

物を加え、風景をもう少しプラスすれば十分すぎるほど十分だ。デラックスな個展になる。

風景は雑誌の取材で描ける。宅急便などを上手く使えば、大きな絵も描けると思い始めてい

る。なにもいちいち自分で運ぶことはないのだ。

今週末には豊橋に行く。ここで、乗馬クラブと動物園を征服しようと考えている。これで春

の金井画廊は完璧である。90万人! どっとご高覧ください。

 

07年2月11日

4月に出る雑誌(今のところまだ名前は内緒)にこのHPの案内は出ないらしい。それでも

名前で検索できる。油断ならない。それなのに、ギャラリーなどの更新がまだできない。ウ

ォーキングばかりしているからか。

 

今日は暖冬のなかのお休みか。とても寒かった。風もあった。そこで、田原へ行った。白谷

の浜が荒れているのを期待したのだ。予想通りの素晴らしい眺め。ターナー(1775〜1851)

を想わせる波と雲だ。早速準備したキャンバスを取り出す。強風の中、飛ばされないように

イーゼルを紐で縛り、完璧にセッティングする。

さぁ描くぞ!

と絵筆を執ると、なんと画溶液がない! 

ああ、こういうことも多い。親父がいたら、「刀を持たないで果し合いに行く侍がいるか」

と罵られる。「絵はすべて遺言なんだ。果し合いなの」と諭される。まったく早めに死んで

くれたので五月蝿くなくていい。ああ、しかし、情けない。

 

07年2月18日

先週はぎゃらりーの更新のためにとても頑張った。そしてやればやるほど時間がかかること

を知った。そういえば、仕事というのはそういうものだった。忘れていた。だから頑張った

けれどほとんど進んでいない。20%ぐらいか? 

去年の私はこのギャラリーの更新にすべてを懸けていた。これがダメならすべてダメ。勝手

にしやがれ! と思っていた。で、ダメなまま月日ばかりが経ってしまった。だって、ダメ

は確定したくないもの。もちろん、もともと怠け者であることは否定しないけど。

で、今度、名前は内緒だけど90万部の雑誌の美術記事の話が来た。記事の内容は直接は私の

絵の宣伝にはならない。しかし、言いたいことが書ける。テーマとなる画家もほぼ選べる。

それが証拠には第1回目の4月号はドガだ。ちなみに5月号はピサロの予定。このように、

自分の好きな画家について画像入りで語れる。これはデカいのではないか。

絵の好きな人なら、インターネットで「菊地理」と検索するだろう。そうすると、このホー

ムページに行き着く。すぐ行き着く。ここで重大なのは、私がどんな絵を描いているかだ。

すなわち、ギャラリーだ。ま、他のページも整備しなければならない。実は絵の話のプッサ

ンのページの画像がない。知っていたが、面倒なのでそのままにしてある。あれほど尊敬し

ているプッサンのページが何年も画像なしだ。本当に尊敬しているのだろうか? まったく

だらしがない。すみません。

とにかく、そういうところも整備しなおさなければならない。

おそらく90万部の雑誌と今私が作っているホームページと今年予定している(今のところ)

5回の個展(京橋、田原、町田、銀座、豊橋)の3つが重なれば、それで、絵がちゃんと描

けていれば、おそらく私は今年からまともに生活ができるはずなのだ。と思う。家内や娘は

とても危ぶんでいる。まったく女は厳しい(ちなみに、息子は私のことなど眼中にない)。

だけど、とりあえず私には、これしか道はない。第一、まず絶対間違いなく上手く行く。こ

れでダメなら、私の絵が初めからダメだったということである。ま、どう考えてもダメなわ

けない。私の絵はどう見てもいいもの。

 

07年2月25日

先週はよく絵を描き、名画をたくさん見た。ブリヂストン美術館へ行ったし、今日も茅ヶ崎

美術館に行った。昨日はオルセー美術館展のチケットをインターネットオークションで落と

した、というか娘に落としてもらった。2枚で1400円(速達送料込み)だった。半額だ。

上手くやれば、もっと安くなったが、夜中になってしまう。夜は寝たほうがいい。200円

ぐらい高くても夜は寝たほうがいい。

茅ヶ崎美術館は萬鉄五郎展。今日が最終日だった。昨日、クロッキー会でNさんに教えても

らった。

萬の絵はいい。いいが下手だ。とても乱暴だ。あれでは売れない。私のほうがまだ丁寧かも。

しかし、家内はとても褒めていた。厚くていい絵だと言っていた。いつからあんなに目が肥

えたんだろう。ウカウカできない。

萬のページは昔作った。こちらをどうぞ。

で、ホームページのギャラリーは20%のままほとんど進んでいない。今週は最低でも50

%ぐらい進めたいが、インターネット美術館から3月の出展のご依頼を頂き、今月中に

12点のバラの画像をお送りしなければならなくなった。つまり水曜日までにやらねばなら

ない。ちなみに、インターネット美術館には私の馬の絵が今でもアップされている(ANNEX

の第14回)。

 

07年3月4日

先々週に引き続き、先週も美術館に行った。金もないのによく出かけるものだ。電車賃と入

場料以外は使わない方針だが、ついコーヒーとかを飲んでしまう。もちろん安物のコーヒー

だが缶コーヒーではない。少し贅沢。だって、缶コーヒーなら水筒の水のほうが上手いもの。

私はいつも水筒を持って歩く。1日2リットル水を飲まないと痛風になるから。ホントお

しっこ回数が多くて大変なのだ。凄く面倒くさい。

出かけた先は上野の都美術館(オルセー美術館展)と六本木の国立新美術館(ポンピドー・

センター所蔵作品展)で、もうほとんどパリにいる気分(にはなれなかった)。詳しくはブログ

をどうぞ。

で、この前から内緒にしていた連載予定の雑誌は上記のとおり『翼の王国』。公表解禁とな

った。

この雑誌の記事を読んで、書いている絵描きに興味を持つ人が現れ、私の絵が売れるのだろ

うか? そうなってくれると物凄く嬉しい。もちろん記事には自分のことなど一切書かない。

第1回なら、ドガの絵の素晴らしさを語るだけだ。そういう文章を読んで文を書いている

男に興味を持つだろうか? ま、多少興味が湧くと考えるのが普通だ。だけど、それですぐ

私の絵が売れるとは思えない。『わーずわーす』のときも大反響はなかった。もちろん部数

が桁違いだが、そう簡単にはいかないような気もする。ああ、3月で破綻するのにどうしよ

う。3月末には金井画廊の個展があるが、間に合うのだろうか? もちろん、個展も全然売

れないことだってある。もっとも、そんな心配をしていたら生きてゆけない。こちとら、公

務員ではないんだ。ハイ、公務員の方々に対し、心の底から羨ましく感じております。

 

インターネット美術館というサイトの3月の企画展は私の薔薇の絵。どうぞお立ち寄りください。

なお、インターネット美術館には私の馬の絵もアップされている(ANNEXの第14回)。

 

で、本日の更新だが、まず、4月から田原で個展予定なので、そのお知らせを個展案内にし

た。

それから、やっとギャラリーができた。とは言ってもほんの一部だ。新しいギャラリーは画

題別に5つの部屋に分けた。「裸婦」「風景」「花・静物」「動物」「水彩・水墨など」だ。

このなかの一番小さな部屋「水彩・水墨など」だけ出来上がった。そのほかの部屋のフォー

ムも出来ているので、出来れば来週全部、無理でも毎週1部屋ずつアップできると思う。

とりあえず、本日はこちらをどうぞ。

 

07年3月11日

いまは豊橋にいる。今日もこれから田原の白谷の海岸にヨットを描きに行こうかと考えてい

るが、風が強い。豊橋には乗馬クラブもあるし、動物園もある。しかし、乗馬クラブで絵を

描き始めると雨になる。3回連続だ。白谷の海でも去年はすぐ雨になった。最近は2回連続

で強風。今朝も風が強い。物凄い波だから、見るだけでも楽しい。楽しいが、絵は描けない。

三脚が立たない。立ってもキャンバスを置くと船の帆みたいな状態になって、すっ飛ばさ

れる。波を3分間見ているだけでどっと疲れる。風は人を疲れさせるのかも。とにかく絵は

無理だ。

4月にやる田原展の打ち合わせがあるから、無駄足ではない。おばあさんも田原の出身で、

田原へ行くのは大好きだから、どっち道、日曜日は田原へ行こうと決めていた。前にも書い

たが、田原の図書館はチョー素晴らしいのだ。もしかしたら、「翼の王国」が置いてあるか

もしれない(結論:置いてなかった。係りの人が強い興味を示した)。

ブログのほうは最近はずっと「現代美術とは?」シリーズを書いている。現代美術を語る前

に美術史をさかのぼっているので、ここのところずーっと中断している「イッキ美術史」が

復活したみたいになっている。暇な方はご覧ください。

今日は新ギャラリーの「風景」をアップする予定だったが、ダメだった。一言コメントでも

40点以上となると簡単にはいかない。2〜3日中にアップします。

と言って4日が過ぎた。

で、本日「風景」の部屋のみアップする。こちらからどうぞ。一挙42点の掲載だ!

 

と、昨夜(3月14日)アップ作業をしたが、どうも容量が足りなかったようで出来なかった。

42点を20点に減らして再度挑戦する。上手く行けば、こちらから。

 

07年3月18日

ホームページのギャラリーはなかなか進まない。金井展が始まってしまう。ここ2〜3日の

うちに裸婦の部屋を完成させたい。本日、このホームページの容量を最大の50MBに変更

したから、もう大丈夫だと思う。裸婦の部屋と動物の部屋が出来れば一応満足。花の部屋も、

もちろん作るが、これはとりあえず新作の薔薇12点がインターネット美術館に展示され ている。

 

と、本日は3月21日。墓参りも行かずにホームページを作っていた。下のギャラリーから

新ギャラリーに入れます。ここからもどうぞ。

ただし、「花の部屋」だけはまだ。上記のインターネット美術館にリンクさせた。

 

豊橋の地下駐車場で、ルノアールやフラゴナールの複製画の展示コーナーがあった。ま、音

楽で言えば、ポピュラークラシックというやつか。その中になぜか日本人のデッサンが1点

だけ掛けてある。おそらく若い人の絵だ。ジーパンをはいた若い男の上半身の裸の絵。自画

像かもしれない。学校や美術研究所では上手いほうなのだろう。しかし、こうやって、フラ

ゴナールやルノアールのなかに置くと、あまりにも粗雑だ。「線の修練」というものがある

なら、その鍛錬の跡がまるで違う。格段の差が見える。きっとその絵は原画だと思う。フラ

ゴナールやルノアールは複製画なのだ。それなのに、絵の厚みにも格段の差がある。

絵は確かに技術ではない。今日のブログにも書いたばかりだ。だが、最低限の練習量は一目

瞭然で見えてしまう。

 

なお、インターネット美術館には私の馬の絵もアップされている(ANNEXの第14回)。

 

で、本日の更新だが、まず、4月から田原で個展予定なので、そのお知らせを個展案内にし

た。

 

07年3月25日

金井画廊の個展は枚数的には今までにないぐらい順調だ。今日で4日目だったが、なんと9

点も買っていただいた。この調子だったら本当に20点になってしまうかも。まさか、全日

空の執筆があるので、値上がりを狙ってのお買い上げではない。だって、毎年買ってくださ

る方がほとんどだからだ。

それに、枚数は多いが小さい絵なので売り上げはイマイチ。でも金井さんはいつも枚数で数

えるので、とても上機嫌だ。

全日空の仕事はどうなるかわからない。明日雑誌が仕上がる。機内に置くのは4月1日から

だと思う。どんな反応があるのだろうか? 取らぬ狸の皮算用なら何もしないでじっとして

いたほうがお利口だ。

あの記事を読んで、私のホームページを見てくれるかもしれないということ、金井展に見え

た方が私のホームページを開いてくれるかもしれないという期待で、とにかく、新しいギャ

ラリーは作った。「花の部屋」がまだ不完全だが、個展が終わればまた暇になり、きっと作

れるだろう。下の「ギャラリー」からお入りください。

第1回のドガは全日空の方々にも好評だった模様だ。夏ごろ美術記事の特集を組むという話

も飛び込んできた。まだ未確定だ。私の記事より、ドガの絵の力だと思う。これからも、名

画を汚さないようにちゃんと真面目に記事を書こう! ま、チョー当たり前のことだが。

 

07年4月1日

いよいよ今日から私のドガが全日空に乗る。思わず、早朝から目が覚めてしまう。ま、私が

早起きしたってどうにもならない。

それにしても凄い世界になったものだ。私みたいないい加減な男の文章が日本中を飛び回る

のだ。まったく驚く。こんなもの、想像ができない。人ひとりの責任の範囲を超えている。

どうにもならない。7月には20ページの特集だという。

私が渇望している茂木健一郎の「『脳』整理法」だって9万部なのだ。「翼の王国」は90

万部だって!? 凄すぎる。

で、茂木健一郎の「脳の中の小さな神々」(柏書房)の終わりのところの話をブログに書こ

うと思ったが、私のブログの師、英語ぺらぺらの「EVRYDEY ISSA」のN氏(私の裸婦も所蔵

してもらっている)が、「どうも最近ブログとホームページの区別が出来ていない」との苦

言。これは私への警告かと勝手に察知して、とりあえずこっち(HP)に述べることにした。

しかし、今日はこれから豊橋に行かねばならないし、田原展のDMの宛名ラベルも作らねば

ならず、相当苦境に立っている。凄く書きたいが、ちょっと無理かも。そのうえ、「翼の王

国」のヴュイヤールの原稿準備もある。とりあえず、昔読んだヴュイヤール(1868〜1940)

を読み返すだけだが、遅読の私には大仕事なのだ。自分の書いたものだけは読んだ。このH

Pの「マチスからの警告」と「フェルメール的主題」だ。下の「絵の話」から入ってくださ

い。ヴュイヤールの画像付き。

金井画廊の個展のエピソードはブログ に詳しく書きました。

 

07年4月8日

本来なら明4月8日が更新日だが、明日は倉敷の大原美術館に『翼の王国』の取材に行くため、

更新できないので、本日トップページのみ更新する。

で、4月第1週のアクセス数だが、全然増えていない。無理だと思う。だって世間の人は絵な

んかに興味はない。それが普通だ。『翼の王国』は90万部の月刊誌だ。それに嘘はない。し

かし、『少年ジャンプ』のように、正真正銘、読者が渇望する90万ではない。『少年ジャン

プ』は毎週300万部の発行(だと思う)。『翼の王国』は90万部発行するのだろうが、飛行

機に乗った人が無料でもらえる雑誌だ。子供や青年が少ない小遣い銭を割いて買い、隅から

隅まで穴の開くほど読み返す雑誌ではない。もちろん私も若いころは『少年マガジン』や『

少年サンデー』をそうやってむさぼり読んだ。ま、2冊は買えないから、主に『少年マガジ

ン』だった。ちなみにラジオの深夜放送は文化放送。みのもんたはよく聴いた。友人はほと

んどTBSだった。

だから、相当ヤバい。が、しかし、そんなに性急に答えは帰って来ない。物凄く多数の人び

とが私の文章を読んでくれていることは確かなのだ。気が遠くなるような数だ。この反響を

予想するのは不可能だ。いま私がやることはちゃんとした文章を書くことだと思う。それに

専念すればいいのだ。それしかない。

5日に桜を描き、6日に馬を描き、今日裸婦を描いた。筆がこなれるというより、うんざりし

てきた。明日も岡山や倉敷や瀬戸内の風景を描く予定。6号以下の小品だが、意欲が湧くだ

ろうか? 新しい風景に出会えば気持ちも変わると思う。とにかく、いまの私の筆はこなれ

ている。

 

07年4月15日

倉敷の大原美術館のことはブログに書いた。

倉敷のホテルはとてもよかった。翌日は月曜日で美術館は休み。朝食前に倉敷の街を

描いた。アサメシマエって奴だ。それから、9時前にホテルを出て、瀬戸の海を目指した。

フロントでだいたいの場所を聞いていた。

まず、広島との県境の笠岡に行く。そこから、御岳山まで行く。これが一苦労。カブトガニ

博物館でバスを降りる。そこから御岳山登山口まで歩き、登頂し始める。10キロ以上のリ

ュックを背負っている。どれぐらい歩くのかわからない。津のときもそうだが、未知の土地

なので、いま歩いている方向が正しいのかも不明。今回は御岳山が見えているから大きくは

間違えないが、一度細い山道を登ってしまい、かなり行ったところに畑をやっている人がい

て、ここは行き止まりと教えてもらった。また降りて、再度登る。とにかく56歳が10キ

ロのリュックを背負っている。すでに2〜3キロ歩いているのだ。午後3時20分の飛行機

に乗らなければならない。これに乗らないと金がないのだ。乗り遅れると帰れない。登って

絵を描いてまた歩いて、時間までに笠岡に辿り着くだろうか? まったく、私の人生はハラ

ハラドキドキ。物凄く面白い。もちろん4月が越せるかどうかもわからない。こういう状況

は絶対に絵をよくする。いい絵が描ける。だからと言って・・・ 本当に家内には申し訳な

い。

しかし、御岳山の山道(とはいっても舗装されていて車も走れる)は素晴らしかった。鶯が

うるさいほど鳴いている。まだ山桜がいっぱい咲いている。快晴。風もない。時々、木々の

合間から瀬戸内の海や島が見える。空気は最高。荷物は重いが、まだ老いぼれてはいない。

時間がないから、中腹の駐車場で4枚描いた。汗びっしょり。身体はクタクタ。脚はガクガ

ク。頭もボーっとしている。だからなおさら景色が奇麗だ。山は車で登ってはいけない。脳

内麻薬が出ない。この景色一生忘れない。私の場合、一生といっても先は長くない。だから、

中学生は山登りなどをしたほうがいいのだ。

あとは、どんどん帰る。はい、ちゃんと間に合いました。

空港で食った遅い昼食、讃岐ざるうどんはムチャクチャうまかった。

人生、こんなもんである。ちなみに、絵の出来はイマイチだった。シクシク。

 

07年4月22日

『翼の王国』が全日空に乗って22日間が過ぎた。わがホームページのアクセス数は減ってい

る。おかしい? 3月末から4月にかけてアクセス数が80に達したのはギャラリーのペー

ジを改造したからだと思う。ギャラリーを見てトップページに戻るとまたカウントされてし

まう。一人の人が行ったり来たりすると、すぐ10ぐらいカウントされる。また、金井画廊

の個展で新しく知り合った方がアクセスしてくれる。続いて田原展があった。田原展は来客

数は少ないが、DMにホームページを紹介できる。これで多少アクセス数が増える。だけど、

実際には減っている。新しいギャラリーを見てしまった人はトップページだけで閉じるから

当たり前だ。今後はギャラリーも逐次更新する予定なので、80ぐらいは維持できる計算。

本当に更新すればだが。

ま、『翼の王国』からの訪問者はほとんどないかも。しかし、3月前半までのようなアクセ

ス数ではないのだ。3月前半は50前後。最近でも65以上はある。やっぱり増えているの

かも。桁違いに、爆発的に増えることはないが、着実に微増している傾向だ。もちろん、こ

んな調子では私の家計が破綻する。というかすでに破綻している。困るが、絵だけはまだよ

くなっていると思う。絵がよくなっていれば、あとはどうでもいい。これが本音だが、まだ

一応家族がいるから、それではまずい。怒られる。

画家は、長谷川利行(1891〜1840)なんかも、「仕事」をしようとする。創作だ。モニュメ

ントだ。そういうものを創造しようとする。私にそういう気持ちはまったくない。絵の大き

さも100号までしか描かない。物理的に描けない。はっきり言って、絵の大きさなんかど

うでもいい。いい絵が描ければいいのだ。そんなこと言ったら、尾形乾山などに大きな作品

はない。でも、あのお皿の意匠は素晴らしい。

ヨーロッパの画家も、ロダンなど、地獄の門などを作った。素晴らしい創造の世界だ。

私は作品は結果だと思う。結果も重大だが、さらに重大なのはプロセスなのだ。これは養老

先生も言っている。私もまったく同意見だ。そして、そういう考えは東洋のものだ。仏教も

悟りより修行を重んじる。いろいろな本を読んできたつもりだ(まだまったく足りないが)が、

インド哲学とかヨーロッパ哲学とか養老先生とか茂木健一郎とか、仏教思想とか老荘思想と

か、いろいろ混ぜて考えると、人間で、重大なのは過程だと思う。プロセスである。絵も同

様だ。モニュメントを作ろうとするのはけっこうだが、できはしない。できたからって大し

たことはない。

それは、ダーウィンの『種の起源』とかニュートンの『プリンキピア』とか道元の『正法眼

蔵』とか、ま、他にも思い当たらないが、いろいろ凄いのはある(名前だけ知っているだけ

で読んでない。『正法眼蔵』はけっこう読んでいる)。絵にも、ミケランジェロの『最後の

審判』とかモネの『睡蓮』とか、ド凄いのが残っている。ミケランジェロはモーゼ像を作っ

たとき、立体の凄い構想を持っていた。これは挫折した。

こうやって、思い出してみるとやっぱり大したことあるか?

わからなくなってきた。

しかし、どうもこういう大仕事はヨーロッパ嗜好だ。ま、生きるだけでも大仕事、実体は要

らないだろう。

現在もヘボなモニュメントがあちこちにあるが、ああいうのを見るとつくづく「プロセスだ

ろが!」と言いたくなる。まったくほんとに要らないよ。尾形乾山は偉い!

それでも、牧谿の『観音猿鶴図』はすげぇ。あれもモニュメントかも。

 

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