唇 寒(しんかん)集24<06/6/4〜06/11/24>

 

06年6月4日

今日が更新日だということを2分前に気がついた。

前回はギャラリーほりかわの飾りつけ。明日は搬出に行く。いい話はないらしい。シクシ

ク。神戸の街を描けというご要望も頂いたが、絵の道具を持ってこなかった。車は額縁で

満載だった。

前回、三宮から元町にかけて迷子になり大散歩をしたと書いたが、そのとき、凄く面白い

店があった。メゾン・ド・マルシェと看板にある。フランス語だ。「市場の家」か? 油

絵や彫刻を売っている。それもでかい。絵は小さくて60号。でかいのは200号ぐらい。彫刻

は2m50cmはある裸像。ミロのビーナスもあった。値段が凄く安い。絵は100号でも8万

円以下。200号で28万円ほどだったか。たしか彫像も安かった。値段は忘れた。

彫像はひどい出来。ミロのビーナスの顔などむちゃくちゃだ。あんなものに10円も出した

くない。邪魔なだけだ。

絵も驚くほど下手だ。だけどキャンバスと絵具代よりは高い。絵具も安物だと思う。おそ

らくキャンバスも本麻ではなく化繊だろう。しかし、確かに手で描いてある。風呂屋の看

板のお化けみたいな感じ。私は風呂屋の看板のほうがよいと思う。

 

06年6月11日

驚くべきスピードで月日が過ぎてゆく。もう6月の中旬だ。

塾を辞めて1年半になろうとしている。この間に何をやったか? 個展をいっぱいやった。

本もけっこう読んだ。あとはパソコンで将棋ばかり。このホームページも整備していない。

情けない。いま評判の村上氏は2年間で4400億円稼いだそうだ。信じられない荒稼ぎ。

正業の社長たちはバカバカしくてやってられないのでは。ま、パクられては話にならない。

ホームページは結局企画力かも。テレビと同じだ。私みたいな怠け者は新企画がないと仕

事をしない。コツコツがんばるという人間の基本が出来ていないのだ。コツコツに勝てる

ものはない。コツコツがすべてである。お釈迦様も死ぬ間際に弟子に言った言葉は「怠ら

ず励めよ」だった。私も55歳だから本当にそう思う。怠らず励まなきゃいけない。それ

がすべてだ。わかちゃいるけど、できないんだな、これが。

盗作の和田義彦のことはブログのほうに詳しく書いた。

 

06年6月18日

今日のブログ(量子力学のこと)は絵にほとんど関係ないが、ここのところ絵の話ばかり

だった。神戸展でお目にかかった方が私のブログをご覧になっていて、絵以外の話はよく

わからない(というかつまらない)というようなことをおっしゃっていたので、やっぱり

私は絵の話かな、と反省した次第。

ところがさっきテレビの白隠禅師を見ていたら「白隠さんの書は美術の方からも評価を頂

いている」というような言い回し。

「美術の方? ハアァ?」

それってどういう方なんだ?

美術なんてないのだ!(だからもちろん美術の方もなにもない)

もともとは仏教が先だ。そこから美術なんていうわけのわからないものが生えてきた。カ

ビみたいに。夏にニョキニョキ生える蔓植物みたいに。キモチ悪るっ。

みなさん、よーく考えてください。騙されてはダメです!

美術、ビジュツ、びじゅつ。すべて包装紙なのだ。ハッタリなのだ。この前の和田事件で

わかったはず。あんなもんだ。

重大なのは真理、真実、まこと、仏性、統一理論。

だから、養老先生とか茂木先生とか量子力学とか宇宙の仕組みなどを確かめたくなる。

白隠禅師が悟りを開いたかどうかは証明できないが、あの書画は残っている。あの線は見

られる。ロダンのクロッキーの線も白隠の禅画もピカソの闘牛のリトも素晴らしいのだ。

われわれはもともとピカソとかロダンばかり見てきた。そこに突然白隠が現れた。仙高ェ

現れた。よく見直すと良寛も禅坊主だ。芭蕉も臨済宗の印可をもらっている。なにっ? 

雪舟って禅僧なの? 挙句の果てが牧谿だ。これまた素晴らしい禅坊主。

何だよ、いい絵が描きたかったら美術研究所じゃなくて寺に入れってことか。

だからワタクシ、美大ではなく東洋哲学に進みました。ハイ。

私の絵はいいはずなのです。

渡辺謙。いい俳優です。白血病になる前は全然ダメだった。そこらにいるただの二枚目ク

ソ俳優だった。あの病気を克服してあんなにいい役者になった。「この野郎、富士の山は

一晩で出来たってぇが、一晩でこんなにいい役者になりゃあがった。これはそばに行って

やらねばなるまい」というのは六代目三遊亭円生の落語『淀五郎』だが、渡辺謙はまさに

淀五郎。命を懸けなければいいものはできない。ハイ、ワタシメの絵もまだまだです。

 

06年6月25日

私の習作時代の絵が見たいというご要望があったので倉庫から出してきた。ブログの方に

もアップしたら、「この程度の描写力でよく絵を続けたもんだ」というコメントを頂いた。

まことにありがたい。ありがたいが、自分の絵の下手さ加減はよく心得ている。絵は貶せ

ば切りがない。もちろん褒めても切りがない。褒め殺しというのもある。だから私は他の

人の個展などでは出来るだけコメントしない。

貶し始めるとレンブラントでも貶せる。

われわれ生身の(まだ死んでない)絵描きはどうなるかわからない。和田騒動なんてこと

もある。評価は定まらない。

絵というと、何はともあれ作品を判断する。判断しようとする。ご覧になる方はもちろん、

描くほうもついつい絵の出来にこだわる。これは極当たり前のことだ。当たり前だが、描

く立場で言えば、絵で重大なのは描く行為そのものなのだ。絵に限らない。その人の人生、

若い頃、40代になってなどなどそれぞれその時代時代をどう生きたか、何をしていたか

が問題なのだ。

私の20歳代は裸婦の固定ポーズを描いていた。下手な絵だ。見ればわかる。だが、絵の

上手い下手は関係ないのだ。別に売るわけじゃあない。おそらく夜中にバイクで暴走する

より世間に迷惑をかけないと思う。私みたいなおしゃべりが黙って静に描いていただけな

んだから。もっとも油絵は臭いけど。

たとえば、絵画教室。発表会もあるし、毎回講評もする。しかし、重大なのは描いている

行為、描いているそのとき、その事実。これがもっとも重大だ。モチーフをじっと見て、

キャンバスに写す。筆に絵具をつけてなぞる。これが楽しいのだ。この瞬間にすべてがあ

る。絵とはそれ以上でも以下でもない。描いている瞬間だけ。

レンブラントはもちろん、そのほかのすべての古典作家はそのことをよーく知っていて、

身体で知っていて、画面に昇華している。その集中度は群を抜いている。描いている瞬間

に実存のピントがピタッと合っている。ブレがない。

そういう意味でもわがイッキ描きは理に適っているのであ〜る。

 

06年7月2日

6月30日午後4時に明け渡さなければならない。ブログで詳しく実況中継した引越しだ。

物凄い絵と画材の分量。ミニバンで10回以上往復した。どうしても4時に間に合わなく

なりとにかく外に出した。外の歩道に並べた。

新しい家にももう入らない。こっちも外に並べる。

問題は雨である。

なぜか物置にあったドデカイシートにくるむ。それでもはみ出す。

もうほとんど戦争である。

久しぶりで死ぬかと思った。

昨日今日と片付けている。これまた風雨との戦い。風でシートが舞ってしまう。泣きたく

なる。ああ、こういうときに絵を描くと傑作が出来るのだ。それがイッキ描きの極意だ。

しかし、流石にこの状況では描けない。情けない。

絵は安定の中では描けない。いい絵は出来ない。いつも不安の中にいなければならない。

現実にはどの人間も不安の中にいる。400年前にフランスのパスカルが喝破した。賢明

な哲人なら人間の不安や悲惨を常に感得できる。ノー天気なアホだとすぐ忘れる。すなわ

ち私だ。

もっともっと自分の状況を認識できればもっともっといい絵になるはずだ。

絵画の真髄を描き出すにはまだまだはるかに遠い。

 

06年7月9日

引越し地獄から豊橋に逃れて来た。昨日は三河湾のクルージング、今日は動物園でお絵描

き。そのあとスイミング。2ヵ月後のことはともかく、今月は大丈夫。第一、絵は仕事なの

だ! もうすぐ小田急町田展なのだ!!

動物園で虎を描いていると、幼い子供たちが集まってきた。日曜日の午後の動物園は子

たちの領分だ。薄汚い禿オヤジが絵を描いていては邪魔。だけど、画材を広げてしまった

ら仕方ない。いちいち子供の問いかけに応対しなければならない。面倒だが、日曜日では

致し方ない。

初対面では凄んだ虎だが、なんか仲良くなってきた。壁一枚右側にはライオンのペアがい

たが、なぜか虎が描きたくなる。ライオンは目が青くて西欧系。虎はやっぱり東洋の動物

だ。懐かしい。

子供のころ、虎とライオンが闘ったらどっちが勝つか、真剣に知りたかった。本によれば 、

虎とライオンが出会うことはないから闘う可能性はないとあった。答になってない。いま

の私は虎が勝つと思っている。虎のが大きいもの。虎は単独行動だ。集団でつるんでいる

ライオンなんかに負けるわけがない。

もっとも今日描いた虎は小柄だった。まだ子供か雌なのだと思う。

虎のすぐ近くには熊もいた。動物は絵を描こうとするとなぜか強く反応する。虎は襲いか

かろうとしたが、熊は餌をねだってきた。歩いている姿を描きたいのに、私の前から離れ

ない。お座りまでした。

実に面白い。はっきり言って私は動物が好きだ。また来よう。だいたい、もともと私は動

物作家なのだ。

 

06年7月16日

町田に帰ってきて、今は連休中。子供(といっても成人)2人と3人暮らし。妻はあと少

し豊橋にいる。引越しの余韻で、まだ何かと忙しい。いろいろなものがどこにあるのかも

わからない。

大事な個展も近づいている。絵も描かなければならない。とにかく私の説では、緊張して

たくさんの絵を描くために個展をやるのだ。絵を描くことが最大の目的なのだ。

それにしても、子供の話はけっこう面白い。自慢話の嵐だが、自分の子供では文句も言え

ない。エネルギーだけは満ち溢れている。あと数年でお別れだと思う(というかお別れで

ないと困る)が、別れないでだらだら何十年も過ごしてしまう親も多い。なんとなくその

気持ちも理解できる。しかし、だらだらは不幸だ。

ブログの方は『イッキ美術史』と銘打って私の独断と偏見の美術史を書き始めた。いつま

で続くか、ご期待ください。

 

06年7月23日

昨日のブログにも書いたとおり、高田馬場に私の常設展示場が出来た。とは言っても建設

会社の事務室だ。勝手に見に行ってもOKとのこと。町田展があるのでいま小さな絵も額

縁もなく、昨日飾ってきたのはF20〜P8まで9点。F50でも掛けられるとのことだ

ったが、こういう大きな絵は豊橋にある。最新作も並べてきた。

住所:〒169-0075 東京都新宿区高田馬場2−14−2 原田ビル610
      あぽろ建築舎  Tel 03-3205-2722(担当:志知)

 

06年7月31日

昨日、更新しなければならなかったのにすっかり忘れていた。ブログのほうはちゃんと毎

日更新しているのに、イカレテイル。

ブログで毎日ご報告している通り、ただいま小田急百貨店町田店7階の美術サロンで個展

をやっている。とは言っても明日で終わり。毎日夜8時までだが、明日は最終日なので午

後6時まで。もっとも私は6時ごろ帰ってしまう。と言うか帰してもらえる。

で、絵の売れ行きはどうか、というと。これはブログには一切書いてないのだが。

人生最大のピンチである。

しかし、やっぱりデパートは凄いかも。けっこう買ってもらいそうにはなる。驚く。実際、

あと1日だが、ゼロではないのだ。町田にも目のあるコレクターがいる。もちろん、そう

いう胸算用があって個展をやってもらったのだ。とにかく絵は見てもらわないと始まらな

い。個展が出来るならなるべくやったほうがいい。ちゃんと描いていれば必ず見てくださ

るものだ。・・・と親父が言っていた、ような気がする。

 

06年8月6日

忙しくなってきた。まず、グループ“悠遊”のDMを作らなければならない。

次に自分の銀座展のDMを作らなければならない。さらに、そのパンフレットも作りたい。

この3つの仕事を3日間で終わらせなければならない。

他に、今日のこのホームページで「最近の絵」を更新したい(これは今日たった今)。

また、最新作の作品集もこの3日間で作らなければならない。

以上だが、間違えてはいけないから困る。

私はチェックが大嫌いなのだ。

だから絵もイッキ描きで修正なし。絵については面倒だからではない。あとで直すと必ず

ダメになるからだ。私の絵は写生で、目の前にあるものに感じて描いている。そのときの

自分の思いをキャンバスに焼き付けている。作品を体裁よく作り上げているわけではない。

だから、絵を描いているその瞬間の気持ちや体調が物凄く大事なのだ。したがって、2年

前にテレビカメラの前で描いた15号の花の絵がなかなか超えられない。なんとか超えな

いと本当にヤバイ。上手い方法を考え出さないとまずい。テレビタレントになればいいの

だが、ならせてくれないし、なれても慣れてしまって、すぐ緊張した絵にならない。経済

状態から考えれば十分緊張しているのだが、もっともっと緊張しなければコレクターの眼

は納得しない。

世間一般の絵よりも緊張して描いているのだが、私の画法ではもっともっと百倍も緊張し

なければならないらしい。第一、私みたいなノーテンキな奴は簡単にはマジになれないの

かも。

今度の銀座は正念場なのだが。もちろん今までも毎回正念場だが。

おっと、もう一つ大事な仕事があった。大量のキャンバス張りと地塗りだ。

 

06年8月13日

ギリシャ美術にはまっている。

と言うか、ただ『ギリシア美術襍稿(ざっこう)』(美術出版社)を持ち歩いているだけ

かも。

この本は昭和57年版で4300円もした。私が21歳のときだ。しかし、古書店で買っ

たのでもう少し安かったと思う。「買った」というか父に「買ってもらった」ような気も

する。父はあのころから少しずつ絵が売れていた。48歳以降だ。

絵画ブームのころだ。あのあと更にバブルが来て、父は不動の画家になった。

まったく羨ましい。

 

ご覧のように今日からホームページのデザインを一新した。見かけは「一新した」ように

見えるが、実はまだ全然できていないのだ。とにかく始めないと始まらないので形だけで

もやってみた。今週中には何とかする(予定)。

先週は「最近の絵」をアップした。とりあえずここからお入りください。

 

06年8月20日

ブログの「イッキ美術史」はギリシャからちっとも進まない。ルネサンスとかバロックと

か楽しいのがまだまだいっぱいあるのに、全然進まない。もちろんギリシャも物凄く楽し

い。ギリシャは美の原点だからこのままでもまったく問題ない。

第一イッキ美術史は東洋も十分やる。集英社の「世界美術全集」は名前は「世界」だが、

中身はヨーロッパばかり。あれでは看板に偽りがある。

この分でゆくと、10話ぐらいで終わらそうかと始めたのが、50話とか100話になる

かも。昨日でもうすでに「11話」なのだ。

また、以前からやろうかと思っていた「いろいろな美術全集案内」もブログで始めたいと

思っている。いつになるのやら。

ところで、先週ずらずら並べた「近日中に片付ける仕事」は着実に進んでいる。けっこう

働き者だったりして。もちろん金にはならないけど。

 

06年8月27日

ホームページの修正をまったくやらないうちに、銀座個展一週間前になってしまった。本

当に絵を描かなければならない。まったくありがたい。こんな状況ででもなければ絵なん

て描くもんじゃない。描きゃしない。手は汚れるし、疲れるし。金にならない。褒めてく

れる人もいるが、貶されることも少なくない。

気に入ったら買ってくれればいいし、気に食わなければ見なければいいのだ。絵なんてそ

んなもんだ。議論を吹っかけられても困る。とても切り返せない。口で言えないから絵に

描いているのだ。描いていない人にいろいろ言われても返事が出来ない。

一筆一筆のいろいろな思いをいちいちしゃべれるか? 第一ほとんどその場で忘れてしま

う。思いは筆に込めている。

日本画壇には、画題についても難しい取り決めがあるらしい。はっきり言って私はまった

く問題にしておりません。すみません。もちろん、画壇のほうからも無視されているが、

こっちも眼中にない。

重大なのは風景ならば大地と風と空間。花ならば儚い命。不可思議としか言いようのない

植物の見事な仕組み。人体なら骨格と肉、ムーブマン。そういうテーマごとの細かい課題

に共通した線と色。これがすべてだ。

その前に、筆を洗い、キャンバスを張り、地塗りをし、しっかり準備を怠ってはならない。

この前も、豊橋にイーゼルをもって行くのを忘れたおかげで、まったく描く気が起きなかっ

た。イーゼルがないと6号以上は描けない。物凄く重大な必需品なのだ。一つ一つの道具

がとても大切だ。われわれは芸術家や美術家である前に一職人に過ぎない。職人が道具を

忘れたら仕事にならない。まったくタガが外れた話だ。

 

06年9月3日

明日から銀座展が始まる。飾り付けは土曜日に済ませる予定だったが、2会場を2時間足

らずではとても無理で、今日の午後も銀座に出かけた。ギャラリー近江さんのご好意であ

る。

いよいよ明日から最後の起死回生を期する銀座展が始まる。もうどうしようもない。

これはどんな大企業でも同じ。あの世界のトヨタだって潰れかかったことがあるのだ。た

だ淡々と会場に通うしかない。もうそれしかないのだ。

それにしても最近思うことは欧米と日本の違いだ。クリムトの婦人像(100号近くある と

思う)が150億円で落札されたニュースはまだ新しい。私は以前ブログで15億円と書い

てしまったかもしれない。実は150億円だったのだ。これに対して少し前のテレビの

『何でも鑑定団』の富岡鉄斎の山水は300万円だったか? クリムトと鉄斎にそんなに

差があるだろうか? 私は鉄斎のほうが上だと思う。まったく日本の美術界は情けない。

ダメだ。150億円もちょっとヒステリックだが、鉄斎の300万円はあまりにも安すぎ

る。話にならない。

で、ホームページの修正は全然できていない。

ま、個展後ですか? 忙しい奴にものを頼めと言うから、会期中にどんどん修正が進んだ

りして。

 

06年9月10日

ブログでお約束したとおり、まずはシヌエッサのアフロディテのリンクはこちら

わたしがこの彫像の写真を見たのは『ギリシア美術襍稿』の澤柳大五郎先生が自ら撮った

モノクロ写真でだ。澤柳先生のカメラ技術はけっこう凄い。この写真も素晴らしかった。

以前にブログでも告白したが、先生の文章はよくわからない。偉いギリシア美術史の専門

家の固有名詞がアルファベットで出てくる。出典もアルファベット。横文字だらけの論文

だ。有名な美術史家やその著作を少しは知っていれば、楽しいのかもしれないが、こっち

はまるで無知。あの人がこう言っているとかこの人がこう述べているなどと言われてもさ

っぱりわからない。

しようがないから、ただひたすら写真を見る。

とにかくいい彫刻である。

もう何時代でもいい。素晴らしい古代彫刻なのだ。サモトラケのニケだってギリシア盛期

ではない。ヘレニズム期だ。それでもあれだけ素晴らしい。文句はない。まことに見事で

ある。惚れ惚れする。

シヌエッサのアフロディテは、理知、清新、息吹き、情熱、技術、躍動、あらゆる賞賛が

可能だ。あれだけのリアリズムでしかもまったく硬さがない。流麗である。気品があり、

清楚だ。力に満ち、ハツラツとしている。もちろん、骨格や肉付けは完璧だ。大きさもあ

る。まことに美しい。

 

06年9月24日

インターネットの広がりは予想を超えるものがある。最近の注目株は携帯電話だ。これっ

て電話だったっけ? と思わずじっと見つめてしまうほどの機能を持っている。

カメラもゲームも付いている。テレビも見られるらしい。メモ帳にもなる。通勤の定期券

の代わりもすると聞く。おそらくもうじき財布代わりになる。電子マネーという奴だ。私

の携帯は音楽が100曲ぐらい聴けるらしい。まだインストールしていない。

で、もちろんインターネットにも接続できる。交信も可能。言ってみれば携帯は小さなパ

ソコンである。よく未来予想などといって偉い人がリニアモーターカーとか宇宙ステーシ

ョンとか太陽熱利用などを挙げて、万博などで実際に見せたりしているが、携帯やインタ

ーネットを予想した識者はほとんどいなかったのではないか?

大変なことになってきている。

映画を凌駕したテレビのように、テレビから携帯に人々の関心は移っている。若者は便利

な道具として使いこなしている。もう身体の一部だ。

インターネットが登場したとき、これはビジュアル系の道具だと思った。絵画がより広く

理解されるチャンスかもしれないと感じた。全世界に繋がるという夢(実際には現実だ)

で、一生懸命ページを作った。もうほとんど言い尽くしたと思えるほど美術について語っ

た(実際には言いたいことの半分も言えていないかも)。

このホームページをもっともっと素晴らしいものにすることは出来る。私は金はないが時

間は有り余っているのだ。

だから、やっぱりやる! というのが自然な流れだろう、と思う。

 

06年10月8日

予想通り、ホームページの改革は進んでいない。ギャラリーマチスにパソコンを持ち込ん

だのは一回だけ。ほとんど仕事は進まなかった。おそらく今週も難しいと思う。さらに来

週から豊橋に行く。もちろんパソコンは持ってゆくが、ここでも改革は進まないだろう。

ところで、ギャラリー・マチスにお客様が殺到することはない。だから実はパソコンぐら

い出来るのだが・・・

明日はギャラリーマチスはお休みである。

本日アップした「花畑にて」はギャラリー・マチスには展示していない。おそらくもう少

しましなSMの同じような絵を掛けてある。この花は、ご存知の方も多いだろうが、セン

ニチコウというらしい。以前にも描いたことがある。

 

06年10月15日

人の様子とか言葉なんてどうでもいいと思う。意味がない。絵描きなら絵が問題なのであ

る。落語家なら噺が問題。野球選手ならプレイだろう。それ以外のことはどうでもいい。

と言うか、実は問題はそれ以外のほうかもしれない。絵とか噺とかプレイなんてどうでも

いいのかもしれない。

問題は人間だからだ。

個展会場で私は正直にお話申し上げる。褒めてくださる場合は何枚も描いたから偶然うま

くゆきましたと言う。本当のことだ。だいたい絵のわかる方はこのように言うとそれなり

に理解してくださる。

絵が好きでコレクターでもありご自身も描いておられるような方でも、こちらの言葉をま

ったくわからない人もいる。

確かに私の絵は下手な鉄砲も数打ちゃ当たる方式かも知れない。しかし、「じゃあ、お前

描いてみろ」と言いたい。描けるもんじゃあないのだ。

私は自分の意思もあるが、ま、だいたい成り行きでこの歳まで絵を描いていることになっ

た。運がよかったと言えば言えるが、絵なんて描けたって金がなきゃ話にならないだろ、

と家族に言われる。描くったって、たかが絵だ。大したもんじゃあない。落語も野球も同

じようなもんだが。

何が言いたいのか訳が分からなくなったが、別な文章を書き直すのは骨なので、ここまで

お読みになってわたしの気持ちを察していただきたい。

まったく、無口で頑固なクソ爺になりたくなることがある。

 

ギャラリー・マチスのリンクを作るまで、こちらからどうぞ。

 

06年10月22日

ホームページを始めた当初の未製本のプリントが15冊分ほど出てきた。読んでみるとけっ

こう面白い。本日はその古い「絵の話」をアップする。

絵の話から入ってください。細かいところはまだ不備があるが、ほとんど読めるはず。

今日改めて調べたら、さらに画像なしの「絵の話」がこの2倍近くある。これらも近日中に

アップする。画像倍増のギャラリーも鋭意製作中。

 

その古い文章を読んでいたら、石膏デッサンの修業について書いてあった。

私が高校の美術クラブを指導するなら、徹底的に石膏デッサンを描かせたい。毎日毎日描

かせたい。自宅での課題は鉛筆によるルネサンスやバロックのような古典絵画の模写だ。

高校時代に、これを3年間やっておいたら、物凄い財産になると思う。その後どんな道に

進んでもリタイヤ後に大きく役立つ。

高校の美術クラブだからランニングも取り入れたい。ランニングは学問でも美術でも技術

工学でも、すべての分野の基本である。走れない奴はダメだ。

描く石膏はギリシア彫刻中心にしたい。模写する絵画はレオナルド、ラファエロ、ティツ

アーノ、ルーベンス、レンブラント、ベラスケス、プッサンあたりか?

私だったら、油絵は描かせない。

画材に習熟するより、ものを見る眼を養うことが重要だからだ。

 

06年10月25日

明日の喫茶フォルム1日を残して今年の個展の予定がすべて終わる。よくやったものだ。去

年の3月に23年間続いた塾を閉めて、個展ラリーに入った。05年3月の京橋の金井画廊

を皮切りに、7月豊橋公園通りギャラリー、10月大分ギャラリー美慶、11月名古屋ギャ

ラリーシラカワ、12月町田国際版画美術館。年が変わって1月つくばなが屋門ギャラリー、

3月田原神戸館、4月京橋金井画廊、5月神戸ギャラリーほりかわ、7月小田急まちだ、9月

銀座、10月町田ギャラリーマチス、そしてこの豊橋展だ。2年間で13回の個展。この不

景気によくやったものだ。もしかするとバイタリティーだけは凄いのかもしれない。図々し

くもある。

全国のみなさま、たいへんご迷惑をおかけしました。これで当分お休みです。ご安心くださ

い。

 

06年11月5日

明日のブログは銀座8丁目のミウラアーツに展示してある長谷川利行の絵のこと。

どうぞお楽しみに。

で、こっちでは豊橋展でじっくりお目にかかった長谷川利行の水彩画の話。

もちろん、浜松のたっちゃんことはらさんが持ってきてくれた。画像を見たい方はこちら・

たっちゃんハウスをどうぞ(新作はまだ未収ですが、いい長谷川が見られます)。

去年は6〜7点ほど持ってきていただき、私の壁の絵を長谷川利行に並び替えてミニ長谷川

展になった。今年は2点なので、椅子に立て掛けた。4号ほどの少女像は私の目の前の椅子

に置いた。だから、随分長いこと長谷川と向き合っていた。それにしてもいい絵である。し

みじみといい絵である。きっとおそらく無礼にも原田さんとの会話の合間に呟いていたと思

う。「それにしてもいい絵ですね」

長谷川利行の絵には邪心がない。絵を道具にしていない。毎回言うことだが、これは物凄く

偉大なことなのだ。長谷川は絵が好きである。大好きである。絵を描くことそのことに無上

の喜びを感じている。モデルがいること、絵具があること、紙があること、たった今絵が描

けること。これらがすべてなのだ。だから出来た絵がよくても悪くてもどうでもいい。しか

し、もちろん自分の絵を大切にした。いとおしんだ。愛児のように持って歩いた。それでも、

描くことが更に重大だった。

そういう人間の筆の跡は真似のできるものではない。お宝である。

というわけで、本日もギャラリーなど更新できない。来週は絶対に頑張る。私が今週やるこ

とは渾身のバラの絵を描くことと千葉市立美術館へ行って浦上玉堂を拝むことだけなのだ。

おっと、等迦会の100号を2点仕上げなければならなかった。

 

06年11月12日

昨日のブログはアップを忘れた。

ところで、今日もギャラリーを更新できない。昨日はギャラリーページを作り直していた。

画像でだが、昔の絵をずっと見た。途切れることなくよく描いて来たものだ。われながらびっ

くりした。あんな分量では選んでギャラリーページにまとめるには目を真っ赤にして頑張り

続けても3週間はかかる。

本当によく描き続けてきたものだ。

7月の小田急町田店の個展でお世話になった画商さんが「この絵でよくやってきましたね」

と驚いていた。「この絵」というのはもちろん「こんな売れそうもない乱暴な絵」という意

味だが、そこには非難するニュアンスはなかった。呆れた様子かも。

まことに私は図々しい。

去年塾を閉めてからそろそろ2年になる。去年の3月は、もう絵しかないと思ってガムシャ

ラに個展をやって、ガンガン描きまくった。本当によく描いた。というか、今も描き続けて

いる。この1年半は生涯で最もよく絵を描いたかもしれない。もう少し売れてくれたら嬉し

いのだが、構わずさらにまだ描くつもりだ。来週また豊橋に行くが、途中で富士山、向こう

で馬を描く予定。帰って来たらまたクロッキーをやる。バラもまだ諦めていない。泥沼の中

でパリに行こうかとも考えている。第一目的は画廊への売り込みだが、もちろん画材も持っ

てゆく。そうするとパリの風景か。これも面白いかも。

 

06年11月19日

今朝は久しぶりにNHKの『新日曜美術館』を見た。浦上玉堂の話だった。テレビだから琴

が聴けてそれがよかった。「ああ、こういう音なのか」と理解できた。のんびりした音楽だっ

た。この前、千葉市立美術館の浦上玉堂展(12月3日まで・月曜日休館、「千葉市立美術館」

で検索可能)を見に行ったばかりだから、なおさら興味が湧いた。

番組自体は相変わらずつまらない。玉堂が50歳で武士を捨て2人の子供を連れて脱藩する

話で、48歳のとき連れ合いを亡くしていることを語らない。一緒に見ていた家内が「あの

話をしないなんて!」と憤慨していた。まことに間抜けだ。

また、玉堂が専門画家でも職業画家でもないと言ったことで、玉堂の絵の構図がどうの、右

上が未完成だのと御託を並べていた。バカ野郎! おめぇらにつべこべいえる相手か。国宝

の絵を描いた男だぞ。頭を冷やせっつーの。専門家や職業画家の絵がいかにつまらないかを

語っているのだ。わかんねぇかな、嫌になるね。これは現代でも同じだけど。何十年、何百

年経ってもわからない。まったく頭が悪い。バカばかり。

玉堂の絵は300点しか残っていないと聞いた。3万点は描いている手練の線描だ。絵は結

局自力で残る。絵自身の力で残る。運がなければいい絵でも消える。まことに難しい。これ

を絵画の自然淘汰、絵画の進化論と呼ぶ。私が勝手に名付けた。進化論というか残留論だが。

ところで、先が見えない限りその場所は無限だ。生きている限り決して死なない。繁栄して

いるからには滅亡はない。ビッグバンも死も人類の滅亡も地球の消滅も幻想に過ぎない。だっ

て、ちゃんとここにあるもの! 心配するより精進することだと思う。

 

06年11月26日

11月は馬を描く予定だった。バラも咲いていればもっと描きたかった。結局、馬は描かず

に、三ケ日のみかんの丘をたくさん描いた(馬は12月に描くかも)。等迦会の100号も

描いた。100号は明日もまだ描くつもりだ。明後日はクロッキー会。これで、11月のお

絵描きは終わり。

11月上旬はバラもけっこう描いたから、この11月は相当量の絵を描いたことになる。

29日からは上野へ行って等迦会の審査をする。去年は審査の見習いだったが、今年から審

査員を命じられた。当分見習いかと気楽にしていたので驚いた。私の父は35歳から国画会

の審査をしていた。自分で「俺は天才だ」などと言っていたが、けっこう偉いかもしれない。

ま、偉いと言っても、絵がうまいだけのことだが。

絵描きって商売はおかしいと思う。好きな絵を勝手に描いて、それで生活するなんてイカレ

ている。堅気じゃない。真面目な一般の方の潤滑油ってことなのかもしれないが、あまり自

慢できる仕事じゃないと思う。

とにかく11月はたくさん絵を描いた。絵は描けば描くほど不思議な境地に分け入る。筆と

絵具と画溶液が腕の延長上にあって自在に操れるようになる。「操る」というより一体化す

るみたいな感じ。別の人格になるような気がする。時間が止まる。

相撲のインタビューで、アナウンサーがいろいろ聞いても「よく覚えていません。夢中でし

た」という力士が多いが、私も自分がどうして画面のここにこの色をつけたのかまったく覚

えていない。凄く不思議な状況になっているらしい。けっこう気持ちがいいかも。

というわけで、今週もホームページの改革は進まず。来週も難しい。

 

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