唇 寒(しんかん)集14<03/4/27〜03/6/22>

 

03年4月27日

もう27日かと驚く。

金井展は近づくし、ましな絵はほとんどないし、作品集への道もまだまだ遠い。収入面で

は生きているのが不思議。そのうえ面倒なことが今日の午後また起こった。本当にやりき

れない。

先週、将棋の米長の引退(と言っても今年はまだ指す)やくまざわ書店(銀座店)の閉店

(5月11日まで営業)など寂しいニュースをお知らせしたが、今度は朝日新聞の「折々

のうた」が今月一杯で1年間のお休みに入ると来た。最近はここで取り上げていないが、

なくなるとなるとまた新聞の読む欄が減る。

この休載の記事は4月23日にあった。その日の「折々のうた」は和田知子の「無心とは

春椎茸の傘のうら」という俳句。『茜』という句集に入っているとある。この句の意味は

まったく不明。大岡さんも答えていない。ただ「武芸者や芸術家などが好んで使い、……」

と無心であることの難しさに触れるのみ。そう言えば、今朝もNHKの日曜美術館で宮

本武蔵の水墨画を特集していた。武蔵は武芸者でもあり芸術家でもあったのだから「無心」

の達人かもしれない。その武蔵の傑作「枯木鳴鵙図」を現代の水墨画の先生が模写しよ

うという企画。ついこの前も同じNHKで森何がしというレンブラントなどの古典絵画に

自画像をはめ込む画家が武蔵の模写をやっていた。そのときも出来上がった模写を一切画

面に出さなかった。おそらく出せる絵ではなかったのだと思う。今回も水墨画の先生が気

の毒になるような惨憺たる結末。私が頼まれたら絶対に断る仕事。武蔵の最高傑作を模写

できる道理がない。武蔵自身だって出来ないだろう。もしそんなことが出来るなら、野球

のバッターは毎打席ホームランが打てることになってしまう。絵は技術ではないのだ。そ

れは技術も必要条件ではあるが、いくら技術を磨いても傑作は出来ない。そんなことも知

らないでよく美術番組を作るものだ。まったく驚く。図々しいのではないか。武蔵の画技

と精神や境遇、他の絵からの感化、実際に見た風景などがうまく噛み合ってああいう傑作

が出来るのだ。水洗トイレ完備、空調の効いた部屋で武蔵の絵の線が出せるわけがない。

なんでそんな当たり前の理屈がわからないのだろうか? 絵を何だと思っているのだろう

か? 絵をなめているし、人間をなめているし、宇宙をなめている。右脳で考えたことな

どゴミ粒にも等しいのに。NHKと言えば「NHKスペシャル」で人間や宇宙のことなど

をしょっちゅう放映しているのに、全然わかっちゃいない。

その明くる日(24日)の「折々のうた」もよかった。「<不整脈くらいが何だ>以外絶

句 虚勢は萎む故に意義あり」という歌。石田比呂志『老猿』に所収とある。大岡のコメ

ントはイマイチ。作者は70歳代で、昭和の初めには無頼派と呼ばれた作家たちの後継者

だろうと紹介してあるが、自分の老体を一歩引いて哂う姿は好ましい。何派だろうと関係

ない。そこには一人の年老いた歌詠みがいるだけだ。上の歌のほかに3首ほど載っていた

が、連続して読むとますます惹かれる。

本日の更新は「唇寒集13」。ここまでを本年度の『絵の話』に収録しようとたくらんで

いるのだが、今年は『絵の話』は作れないかもしれない。そのかわり、私の絵を9点以上

収録したフルカラーのパンフレットを作った。金井画廊などでこれをお配りする予定。

先週更新した『今月の絵』(久しぶりなので10枚一挙掲載)もよろしく。

 

03年5月4日

今日はなんだかたいへん腹が立った。自分の絵に対して腹が立つ。下手だからではない。

売れないからでもない。いや、売れないことは多少関係ある。「絵を描くというのは子供

が一人いるのと同じ。それも相当手のかかる赤ん坊」と以前に書いたことがあるが、まこ

と、手もかかるし、金もかかる。だから売れないことにも関係ある。

これも前に書いたが、絵の倉庫を借りている。倉庫といっても完全空調の効いた絵画保

管庫ではない。単なるコンテナ倉庫だ。この費用だけで年間20万円近くかかる。このほ

かに、モデル代、風景の取材費、キャンバス代、絵の具代、木枠代、額縁代、展覧会費な

どなど数えたら切がない。このホームページにかかる費用もバカにならない。年間の売り

上げが50万円とか60万円ではとても収まらない。絵が道楽なら致し方ないが、油絵だ

けでも10代から初めてもう35年以上描いているのだ。いい加減にしろと言いたくなる。

結局、私はバカだという結論に至った。パートナーである家内もバカ。その子供だから娘

も息子もみんなバカ。大バカ一家である。バカと言っても、微妙に違いがあるので、私は

赤バカ、妻は青バカ、娘は紫バカ、息子は黄色バカと色分けした。なんか5レンジャーみ

たいでけっこうカッコいい(やっぱりバカ)。

どうしてこんな話になったかと言えば、突然家内(青バカ)が私(赤バカ)に「バカなの

か天才なのか教えて欲しい」と言い出したからだ。こんな経済状況のまま何年も何年も平

然と生きていられるのはバカか天才だと考えたようだ。

答えは明瞭。天才のわけないからバカである。

また、子供が20歳前後になると食事のあとの会話にも飽きてくる(もっとも息子はたい

ていいない)。これまた突然紫バカの娘が「話って、他人の悪口か自慢話だね」と言い出

した。そういえば、たまには他の人を褒めることもあるが、それは究極では自分を褒めて

いるのと変わらない。つまり自慢話ということ。

まこと、「物言えば唇寒し秋の風」である。この欄の表題。

もっとも、わが家の台所は二人で食事が理想の広さ。三人だと手狭。四人になると喧嘩と

いう状況なので、食事はバレーボールみたく時間差攻撃で済ませるから、NHKが推奨す

るような一家団欒は滅多にない。

ところで、金井画廊の個展が迫ってきた(8日から)。案内状の送付も不完全なまま、1

週間を割ってしまった。作品は一応間に合った。30日の裸婦にうまく行ったものが多かっ

た。どうしても私は切羽詰らないと絵が出来ない。やっぱりどうしても赤バカ。

本日も更新はこのページだけ。作品集のページを至急作るつもり。作品集でバカからの脱

出を是非とも図りたい!

 

03年5月11日

ただいま金井画廊の個展の真っ最中。不景気の風を真っ向から受けている。イラク戦争が

終わったから「これはいい」と思ったのもつかの間、今度は新型肺炎SRASの嵐。どう

も世の中甘くない。「どうとでもしてくれよ」という気分だが、金井社長はそれでは収ま

るまい。忙しいなか、町田まで二回も来て絵を選び、額縁に合わせて絵の図柄や大きさな

どを考えて飾り付ける。その前にはDM作りと発送。2種類の美術雑誌に宣伝も打ち、万

全の体制でお客様を迎える。

気力も体力もお金も使って個展勝負!

これで売れなかったら、大赤字だし、精神的打撃も小さくない(だろう)。

ま、しかし、私にはどうしようもない。手助けしたくても何にもできない。パンフレット

を作ることと少しでもましな絵を提供するぐらい。だから、会期中でもどんどん描いて持

って行っている。

またプロアマ談義になってしまうが、金井社長は本物の画商のプロ。しかし、こっちは「プ

ロ!」とは言い切れないし、言いたくもない。われわれの描いたものはあくまでも「作品」

であって「商品」ではない。われわれの「作品」を「商品」に変えるのが金井社長の手腕。

前にも書いたかもしれないが、われわれは魚屋とか漁師みたいなもの。素材を提供するだ

け。その素材を上手に料理するのが本物の画商。臭みを取ったり、骨を抜いたりする。額

縁は食器みたいなもの。金井画廊の額縁はすべて金井オリジナルなのだ。こっちは「厳選

素材」となるべくがんばるだけだ。

 

ところで、作品集はいまだにできない。「産みの苦しみ」を味わっている。実は一応それ

らしきものが8日には出来上がった。出来てみると不備だらけ。まこと情けない。手元の

既製の画集を見ると、いろいろなところで無知がわかる。まったく画集(私のはあくまで

も「画集」ではないが)はむずかしい。画集作りは一般の印刷よりも一段格が上で、特に

「美術印刷」というらしい。突然素人がそんなものに挑戦するのだから一朝一夕でできる

わけがない。出来てたまるかと言いたい。

このホームページをご覧の方はよくご存知だから隠すこともないから、舞台裏を言うと、

カラリオのインクはメチャ高額。それがどんどん減る。インク代と紙代などの材料原価だ

けでもたいへん高価な作品集になってしまう。制作費は無料としても3000円以下では

絶対無理。ぜひとも3500円でお願いしたい。しかし、出来上がった作品集は2000円

ぐらいでなければとても売れそうにない品物。悲しくなる。私としては絵で勝負したい。と

にかく、私の絵の作品集は世界に一つしかないオンリーワンなのだ。ゴッホやルノアール

の画集ではないのだから、ご勘弁願いたい。必ず近日中に「これならば!」と言われるよ

うな作品集を作り上げる所存である。

 

03年5月18日

昨日金井画廊の京橋展が終わった。みなさま、ご推察の通り、結果は惨憺たるもの。あま

りの「予想通り」にまこと「素晴らしい世の中」と喝采を上げたい。それでもお客様の来

場数はそれほど減ってはいないと思う。

とにかく今日は疲れ果てて、ほとんど寝てすごした。よくぞこれほど寝られるものだとわ

れながら感心する。実は今だってまだ眠たい。本当になれないことをすると疲れる。

絵を買っていただいた方にはこのホームページをご覧の方も多い。

絵を買う人とはどういう人なのだろうか?

まず、絵を買うことは日本では普通の人の感覚ではない。ふつう一般の人は絵なんて買わ

ない。一時期投資として絵を買うような風潮もあった。確かに投資になる絵もあるにはあ

るのだろう。しまし、ま、だいたい絵は投資にはならない。そう考えるのが無難であり、

健全である。絵画市場のためにも絵が投資になるというような妄想はやめてもらったほう

がいい。

以前私は「絵は飾るために買う」と申し上げた。24万円の絵も10年飾れば1年2万4

千円、1ヶ月2000円、1日67円弱。缶コーヒーより格段に安いのだ。もちろん絵の

耐用年数は10年ということはない。最低でも30年。油絵ならば50〜60年はまず大

丈夫。ちゃんと描いてあれば何百年も持つしっかり頑丈な画材なのだ。

金井社長は「『絵を持つ』というのは必ずしも飾るためではない」と言う。「飾るのが悪

いと言うのではない。もちろん飾っていただいてもいいのだが、絵は飾るだけのものでは

なく、『持つ喜び』もある」とおっしゃる。この辺のところはよく説明できないが、そん

な心理もわかるような気もする。「はー、そういうこともあるのか」と少しお利口になっ

た。

絵を買う人はそこのところを味わっている。そこのところを楽しんでいる。そこに不思議

な連帯感もある。絵を買うという人種なのだ。人種差別をしてはいけないが、この人種は

かなりハイレベルらしい。もちろんある程度お金もあるが、びっくりするような金持ちで

はない。生活に困っていたのでは買えないが、少し余裕があれば買う。パチンコだっての

めり込めば1ヶ月に数万円すっ飛ぶ。われわれの絵ならけっこうでかい絵が1年2枚ぐら

いは買えてしまう。だから、金のあるなしはあまり関係ない。

本当にそういう人がたくさんいてくれたら、私はもっともっと絵が描ける。

 

03年5月25日

銀座のくまざわ書店が終わってしまい、寂しい日々を送っていたら、自宅の前の喫茶店

「秋桜(こすもす)」の奥さんが絵を掛けさせてくれるとのこと。素晴らしい展示室がで

きた。ご近所の方は是非ご高覧ください。2〜3週間ごとに展示替えしようと思う。

この喫茶店のコーヒーは一杯450円。駅前などにあるスタンドコーヒーショップに比べ

ると高いが、一杯ずつサイホンで入れてくれる本格コーヒー。手間を考えれば安いぐらい

だし、味はもちろん申し分ない。私ももっと景気がよければ毎日でも行きたい(今の状態

では3ヶ月に一度か)。軽食もあり、こちらもおいしい。セットで頼めば割安になる。店

内はゆったり贅沢なレイアウト(ご夫婦二人だけでやっているから、お客さんを裁ききれ

ないため)。数台停められる駐車場もあるし、庭まである。庭にはたくさんの花が咲き、

今年牡丹と芍薬を描かせていただいた(先週掲載した「芍薬」はここの花)。こんな経営

が可能なのはご主人が地元の農家の息子さん(と言っても私よりご年輩)だから。開店し

て1年になる。いままでは不定期に休んだりしていらしたが、最近はきっちり定休日を決

めておられる(ようだ=近所のヒマなオヤジの観察)。

本日、半日がかりで秋桜のホームページを作った。これが本日の更新。ご覧ください。

ほんの少し未完成(95%OK)。

 

次は面白いホームページのご紹介。私のページに感動してくださり、先週リンクもしてい

ただいた。お礼の気持ちもあるが、掛け値なしに面白いのだ。インプレッションさん。30歳

寸前の男性。会社員。絵が好きでいろいろ描いておられる。愛すべき社長がしばしば登場

する。もちろん彼にとっては愛するどころか憎むべき資本家、収奪搾取の現行犯だが、私

みたいな52歳のオヤジから見ると、社長の気持ちも少しわかってしまい、つい、ちょっと

愛してしまう。ゴメン。

作品は試行錯誤で、これまた愛すべきもの。油絵もあり、イラストもある。この前読んだ

文には「何を描いたらいいかわからない」というような悩みが記してあった。これは(真

面目な)絵描きにとっては最大最強の大問題。私が「絵は描いてしまった者の勝ち」とい

つも言うのは、この大問題解決に打ち勝つ唯一の自己暗示なのだ。

まずはご覧あれ。ここをクリック(リンク集「おすすめホームページ」にもリンク)。

 

そして、作品集。

作品集には本当に困っている。わたしは軽い気持ちで始めたが、世の中そんなに甘くない

(らしい)。

カラリオで作ることはこのページだけの秘密なのだが、ホームページで「秘密」と言うの

も馬鹿げた話だ。カラリオと言ったって知っている人は知っている。そこらの美術印刷に

は絶対負けない。負けないから買ったのだ。買う前には西新宿カラりオのショールームま

で原画を持って出かけ、実際にプリントアウトして貰った。「これなら、絶対行ける!」

と心底力が湧いてきた。

ここには何度も書いたがカラリオPM−4000PX。知っている人は知っている。顔料

系のインクを使う新機種。耐水性、耐光性抜群のこれまでのカラリオとは根本的に違う製

品なのだ。「MC画材用紙」という純正の絵画専用の用紙まであるのだ。私のために作っ

てくれたようなプリンタなのだ。

去年の夏にこのプリンタを知り、何度も販売店に足を運んでよーく調べ、上に書いたよう

に西新宿まで出かけた。だいたいパソコンをこのウインドウズXPに変えたのも作品集作

製の下心があってのこと。そしてついに今年の1月ゲットした。それから4ヶ月。インク

と紙代だけでも数万円が消えた。324万画素のデジカメも買った(スキャナは前から持っ

ている)。

しかし、美術書の作製技術はハンパではない。素人が4〜5ヶ月でマスターできるような

甘いものではない。設備があっても技術がなければできない。わが家は家中が画集だらけ。

私は日本一画集を持っている絵描きだと思う(父が死んだから)。だから画集のことは詳

しいと思っていたが、本を作るとなると話は全然ちがう。まったくびっくりした。

とにかく、近いうちに完成させる!

ところで、作品集には「MC画材用紙」は使えない。紙代が高すぎて話にならないからだ。

しかし、この用紙は素晴らしい。これを使ってポートフォリオを作ろうかとも思う。

6号まで原寸で作れる。ま、(髪と脳みそが)なけなしの頭で、いろいろなことを考えて

はいる。早いところ花を咲かせないと家内をはじめ、家族全員から見捨てられそー。

しかし、一言自己宣伝させていただくと、私は矯正したように歯並びがいい。歯並びだけ

は「いい男」である。超音波歯ブラシで歯周病とも戦っている。また、キャベツの千切り

ができる。千切りのコツは「細かく切るぞ!」とキャベツに立ち向かうこと。

 

03年6月1日

自転車操業とはどういう意味だろうか? 私の塾みたいなのを言うのだろう。もちろん辞

書にもちゃんと書いてある。読めば意味もわかる。しかし、心底実感しているのは私と家

内、そのほか日本全国の中小零細自営業者だろう。

絵のほうは完全にダメ。私の絵では売れない。しかし、絶対売り絵は描かない! 当たり

前である。どうして売り絵が売れるのか、本当に理解できない。あんなもの買ってどうす

るんだろう? ゴッホとかの絵とは明らかに違う。印刷物でもわかる。筆に感動がないで

はないか。これだけゴッホやピカソが受け入れられているのに、本当に理解できない。ま

ことに不思議だ。

この前、ミレーの「落穂拾い」を初めて見た。なけなしの財布から電車賃と入場料をひね

り出した。渋谷のBUNKAMURA。20年前私がパリにいたときには、「落穂拾い」

はどっかの国のミレー展に出かけていてルーブルにはなかった。

もともと、ミレーの時代の絵ではミレーよりコロー。生意気な画学生は誰でもコローが上

と言う。私だってコローを買う。

もっとも、当時のフランス画壇ではミレーもコローもほとんど無名。マイナーな田舎絵描

きだった。フランス画壇自体は世間から持て囃され、今で言えば芸能界みたいなもの。

筆一本でフレンチドリームを実現できたのだ。今度のミレー展にも同時代のミレー以外の

画家の超大作がゾロゾロ来ている。驚くべき写実。画技の粋を凝らした力作がズラっと並

んでいる。まこと圧倒される。「落穂拾い」だって小さな絵ではない。50号ぐらいはあ

る。だけど「なんだこんな小さな絵か」と思われるほどまわりはでかい。絵の技術だって

まわりの絵の方がずっと凄い。絵の好きな日本の子供は誰でも教科書に出ている「落穂拾

い」にはびっくりする。物凄い写実。セザンヌやゴッホとは明らかに違う本格的な油彩画っ

て感じだ。しかし、今度のミレー展のミレー以外の絵はもっともっと本格的。しかもでか

い。

絵を描く人(買う人も)は、何はともあれ、とにかく、フランスのサロン絵画の凄さをよ

くよく知るべきである。とりあえず渋谷のミレー展に行ってその絵を目の当たりにするべ

きだ。まわりの解説を読んだり聞いたりする前にまずご自分のその目で原物を見ていただ

きたい。できればこの私の小文も読まない方がいい。

ミレーも初めはサロン入選、一等賞(=ローマ賞)をめざして絵を描いていた。その絵は

塗りつぶされて麦藁帽子をかぶった農村の少女が笑っている絵になった。今アメリカのボ

ストン美術館にある。

ミレーは止めたのだ。出家したみたいなもの。娑婆から足を洗った、ということ。ミレー

の絵にはゴッホやセザンヌにはない並外れた技巧があるが、ミレーの時代のほかに画家に

比べればそれほど大した技術ではない。当たり前の腕前だ。しかし、ミレーの絵には真似

のできない「諦めの心」がある。世俗的な競争を止めた男の、別世界に住む絵描きの筆触

がある。それが格段の美しさを放つ。画面から滲み出ている。

生意気な画学生はミレーよりコローと言う。しかし、ゴッホはミレーを高く買った。終生

尊敬していた。私も今度の展覧会でやっとミレーがわかったように思う。「落穂拾い」や

「晩鐘」よりもその前にたくさん並んでいた農村の家族の絵がとてもよかった。本物の絵

描きの絵だと思った。

 

03年6月8日

家内の話。娘がフランス留学したいと言う。これはいい。私も行ったし、文句も言えない。

しかし、当然金がない。娘の友達が「留学どうなった?」と聞いてくるので「準備してい

るけどお金が足りない」と言ったら、10万円貸すとか、車買うんで30万貯めたから、

それを貸すとかみんなが言ってくれる。お金がないというようなことは人に言ってはいけ

ない、というのが結論。「私は毎週ホームページで言っている」と言ったら「それは大丈

夫。人徳のない人には誰もお金なんて貸さないから」とのこと。今後も大声で金のないこ

とを話題にさせていただく。

 

ところで、昨日やっと作品集の雛形ができた(=やったー!)。もちろん、3月の町田展

のときも5月の金井展のときも雛形らしきものは作ったが、とても3500円という出来

ではなかった。私としては「多少難はあるが、画像が悪いわけではないんだからよいので

はないか」と、甘く考えていた。金井さん「これでは3500円では売れません!」ときっ

ぱり。そりゃそうだよ。製本が不完全なんだから。見ているうちに本がバラけて来るもん。

また、画像のレイアウトももう一つ。上や下が不ぞろい。私は画集を山ほど持っているが、

レイアウトなんてほとんど見ない。中の絵を見ている。ところが、レイアウトなどはとて

も大切で、縁の下の力持ちというか、読者は知らずに心地よい画集鑑賞をしているのだ。

最低限の基本がきっちりできていないと売り物にならない、ということ。やっぱり日本橋

東急で修業を積んだ人はちがう。

今度の雛形が金井さんのお眼鏡に適うかどうかわからないが、ま、だいたい合格だと思う。

ちなみに、妻と娘からは不評。世間一般で妻と娘から好評という話は聞いたことがない。

だから気にすることもない。

手ごろな大きさ(A4)で、ページのなかの画像はいっぱいいっぱい取る。SMとかF0

は原寸で収める。画質はできるだけこだわり、価格はできるだけ安くする。

この作品集のホームページを今日アップする予定だったが、間に合わなかった。

 

ところで、「美術の新しさ」とは何だろう? 美術ったってそれほど幅の広いものじゃあ

ない。所詮は四角い枠の中のこと。もちろん彫刻は別の話としてだ。絵と彫刻の境を超え

た作品もあることはあるが、そういうのを除けば、美術なんてそんなに変化に富むもので

はない。

ここ数十年の美術の動向を見ていると、びっくりするような新しい実験美術が登場してい

るが、ああいうのも鼻につく。あんな左脳で考えた「新しい試み」など、時間が経てばほ

とんどすべて忘れ去られるだろう。思い付き美術が真なる「美術の新しさ」のわけがない。

たとえば、印象派絵画は誰が何と言おうと新しい。また、浮世絵の歌麿も北斎もそれまで

の浮世絵にはない斬新さを見せた。ああいう「新しさ」は本物の新しさだと思う。

やっぱり新しさは時代や社会に深く関わる。印象派は産業革命から始まるヨーロッパ帝国

主義の産物だろう。当時勃興した中産階級に圧倒的に支持される。江戸の浮世絵は武人(=

軍人)から庶民への時代の到来がもたらした。つまり武力より金の力ということ。ルネサ

ンスも、ヨーロッパが東方と積極的に交渉を始め開かれた思想が受け入れられる時代に生

まれた。

現代も新しい時代だと思う。ヨーロッパ帝国主義の時代に比べると、「勢い」という点で

はまったくゼロ。というかマイナスだが、現代は、この狭い地球(実際にはとてつもなく

広いが)でどうやって人類が仲良く生き長らえるか、というテーマの時代だと思う。絵で

いうとボナールとかヴィヤールのような世界。自分のまわりをじっくり見つめるって感じ。

前から言っているように、これからは社会人の絵画の時代だと思っている。20世紀前半

までの絵画は一人前の社会人の絵ではなかったのだ。ゴッホも半人前だし、日本の長谷川

利行も社会に適応できなかった。中産階級のおこぼれで絵を描いたハンパモンたち。無論

絵はいい。文句はない。時代の絵であり、熱烈な叫びである。よく描きも描いたものだと

感服する。立派だと思う。

ただ、これからは違うということ。違うということが「新しい」ということでなければな

らない。私はそう思う。

ま、とにかく描く。描かなければ新しいも蜂の頭もない。描くような状況に自分を追い込

むことが重大である。本音を言えば「新しさ」とか「時代」とか「社会」とか、そんなも

のはどうでもいいのだ。好きなように描く。これが大事で、めっちゃむずかしい。

しかし、美術史を概観すると、きっとおそらく私の予想はまず当たる。

 

03年6月15日

6月13日(木)の朝日新聞朝刊28面(東京「文化総合」)には驚いた。まったく開い

た口が塞がらない。ヒロヤマガタの告白記事。

今まで広く売買されてきた自分の絵を「マンガだと思っていた」と言い切る。「もう描く

ことはない」と宣言する。作品に対する愛情ゼロ。買った人への配慮も皆無。創作者とし

て低劣極まる発言。それをもっともメジャーな一般紙に公言するとは! 信じがたい無神

経さ。どうしても言いたいのなら、そういう告白は遺書にでも残して、死んで50年間は

開封禁止にでもしておくべきである。数十億の利益をむさぼり、アメリカに島を丸ごと一

つ持っていると聞く(映画「ジュラシックパークU」の島)。記事の中で「女の色気を使

ったとか、チラシで強引に勧誘したとか、話は聞いています」としゃあしゃあと言っての

ける。そうまでして売って、しかもそれが「マンガ」(私はマンガは嫌いじゃない。今だっ

て「バガボンド」を読み直している。マンガをマンガとして描くなら文句はない、どころ

か尊敬するぐらい)。もちろん、作品についてその原作者の評価が絶対正しいとは限らな

い。自分はマンガだと思って描いてもできた作品は芸術品かもしれない。しかし、印刷物

のような複製品を版画と偽り、百万円近く(以上かも)で売る。これは詐欺である。法律

上は許されるのかもしれない(とても思えない)が、正真正銘のウソツキである。友だち

だったら絶交まちがいなし。

土曜日の午後はNHK教育の人気番組「課外授業」に登場(再放送)。なんという図々し

さ。子供たちに嘘のつき方でも教えるつもりか? NHKの相変わらずの馬鹿さ加減にも

あきれる。あんなものを「先生」に迎えるとは!

しかし、中で紹介された高校時代の絵は悪くなかった。自分で「マンガ」と謗る絵だって

悪いばかりでもない。いいところもある。もちろん値が高すぎて話にならないが、通常の

画料でなら通用するだろう。けっこうちゃんと修業している。

ま、しかし作家があんなことを言ってはもう駄目。絵の良し悪しは関係ない。売れるか売

れないかも他人のこと。私がとやかく言えば焼餅にしかならない。どうでもいいこと。許

せないのはインチキ商法だが、それも証拠をつかんだわけじゃない。私は警察でも裁判官

でもないから、悪を糺す力もないし、意思もない。どうしようもない。知り合いが彼の絵

を買うと言ったら止めるぐらい。

人間として容赦できない点は、これからまた一旗上げようとしていることだ。図々しいに

もほどがある。あれだけの悪事を働いて、有力新聞にそれをぶちまけ、それは懺悔ではな

いのだ。次なる活動への予告というか宣伝。まだ誰かから褒められたいのか? それはも

う絶対無理だろう。刑務所へ行かなくて済んだのだから、余生は頭を丸めて山にでも篭る

ところだろう。

新しい試みの内容は腹が立つからここには書きたくないが、NHKでちらと見たが、「マ

ンガ」の方がずっといい。若い頃の絵はさらにいい。しかし、絵は人間そのものだからやっ

ぱり駄目。すべて駄目。若いときの素晴らしい才能と意欲をすべて無にした。55歳であ

の顔。NHKに映った顔は実に不誠実な嫌な顔だった。人間あんな顔だけにはなりたくな

いものだ。

本日の更新は作品集のご紹介ページです。

 

03年6月22日

明日から新宿の日税アートギャラリーで「NS2003年秀作6人展」が始まる。お近く

においでの節はご高覧ください。ちなみに、日税アートギャラリーが入っている新宿アイ

ランドタワーの正面には有名なLOVEのオブジェがある。

数週間前にこの欄でご紹介し、わがリンク集にもアップしてあるアトリエ アートボックス

のオーナー・インプレッション氏から作品集のご注文をいただいた。ページを拝見すると、

私に負けない財政事情なのにまことに申し訳ない。ご満足いただけることを祈るのみ。そ

れにしても、私の作品集は3500円もする。ゴッホの全作品集が4000円。あの画集

はどうやって作るのだろうか? だって紙代だけでも相当な金額だ。あれだけの絵を印刷

するのだからインク代だってバカにならないだろう。あの画集の印刷はかなり程度が低い

が、本の厚さだけ見ても4000円は安い。他に美術年鑑社の「水墨画」というのも物凄

い厚さで低価格だったが、あれには最近の画家の絵がたくさん収録してあったから絵描き

がお金を払っているのだと思う。本当に欲しくなるページは十分の一もないぐらい。不思

議なのはゴッホの画集。私の持っているのと同じ内容だと思う。ただ4000円のほうは

縮刷版。

 

ところで、先週のヒロヤマガタの話題には少し反響をいただいた。みなさん、あの方には

お腹立ちのようである。

ああいう人を見ると、絵の評価はままならない。どれがいい絵で、どういう絵が売れるの

か? まったくわからない。絵のことは本当に難しい。自分の道を行くしかない。しかし、

描いている本人もわからないのに買っていただいてもいいものなのか? 年下の画友が自

分の個展で「私みたいな未熟な絵を買ってもらっては申し訳ない」というから、私は「あ

なたが売らなければお客さんはヒロヤマガタを買ってしまいますよ」と言ってあげた。

どうも他の人にはいいアドバイスをするのだが、自分のこととなるとやっぱり「買っても

らっていいのかなぁ?」と心配になる。おそらくきっと大丈夫だとは思うが。

 

本屋でいろいろな画集を見比べると、私の「作品集」は高い。高いが、作者自身の手作り

作品集というところが売り。本当に一つ一つ自分ひとりで作っている。もちろん家族は誰

も手伝ってくれないし、作り方を教えるのも面倒。だから私はここのところたいへん忙し

い。労働時間もバカにならない。画集としては割高だが、私の絵をまとめて見るにはあの

作品集しかない。世界に一つしかない。スマップの歌をパクラせてもらえば、ナンバーワ

ンじゃないがオンリーワンなのだ。

なんだかわからないがとにかく一応謝っておく。本当にごめんなさい。

 

最近の私の自慢はいつでも絵の描けるキャンバスが70枚以上用意してあること。もちろ

ん地塗りも終わっている。これはかつてない枚数。今までの最高が50枚ぐらいだと思う。

もっとも、F0やSMといった小さなキャンバスが多いという弱点もあることはある。

 

先週は風邪をひいてしまい、作品集作りも忙しく、なかなかホームページの更新ができな

い。「今月の絵」も「唇寒集」もそろそろ更新しなければ。昔の「絵の話」リニューアル

してカラーで作品集の末尾に収録したいとも考えている。どうも年のせいで情熱が希薄に

なったか? 申し訳ありません。

 

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