唇 寒(しんかん)集50<16/7/2〜16/11/26>

16年11月26日

それにしても絵が描けない。いやいや描いている。描いているけど思うように行かない。それが当たり前だということも知っている。知ってはいるが、これだけ描いて筆が自由にならな

いというのも情けない。

そうすると、葛飾北斎(1760〜1849)の90歳で死ぬ間際に放った言葉が襲ってくる。「あと10年、いや5年でいいから命を長らえさせたまえ」と天に祈った。そうすれば真正な画工になっ

てみせると叫んだ。

ダメだ、ダメだと思いながら描くのが絵である。それはわかっているけど、66歳にもなって絵で食えないのはともかく、自分の思う絵が描けないというのが情けない。もっとも、自分が

思うように絵が描けたからと言って飯が食えるわけではない。世の中そんなに甘くない。飯なんてどうでもいいのだ。自由に描きたいだけだ。

66歳と言っても北斎の90歳に比べれば超ガキだ。まだまだ。もっとたくさん描けばいいのだろうか?

描けるなら描いたほうがいい。

「絵は描けば描くほど巧くなる」

これはわがイッキ描きの信条である。

しかし、「描きたい」という気持ちがなくていやいや描くのはいただけない。画学生じゃないんだから、そんな必要もない。十分描いていると思う。精いっぱいだ。

だいたい、現場で三脚立てて秋景色を描いて『源氏物語絵巻』みたいな画面が獲得できると思うほうが図々しい。

と、その前に『源氏物語絵巻』って本当に素晴らしいのだろうか? 『源氏物語絵巻』に限らず、いろいろな古典絵画って本当に凄いのか? 道を歩いているとき私自身の根本を揺り動

かす大疑問がふと湧いてきた。本当にティツィアーノて素晴らしいのだろうか?

結論はわかっているけどね。いいに決まってるじゃん!

 

16年11月19日

11月16日(水)に4つの美術展を回った。1つは牧谿の『煙寺晩鐘』が目当て。他の3つは印象派を中心とする西洋の絵画ばかり。詳しくはブログにも書いている。

会場でつくづく思ったことは、私の原点はドガ(1834〜1917)だなぁということ。

三菱1号館(1月9日まで)にはドガが2点。デトロイト美術館展(1月21日まで)には5点あった。なぜか懐かしい。じっと見ているとドガが語りかけてくる。

「そのやり方でいい。そのまま描き続ければいい」と言っている、ような気がする。

デトロイト展ではドガの壁の前にアンリ・ジェルヴェクスとカロリュス=デュランの大きな絵が展示されていた。スナップ写真のような群像は印象派の新しい絵画だ。だけど、つるつる

というかぬるぬるというか、そういう筆遣いは気持ちが悪い。ドガが前の壁で言っている。「違うんだよねぇ〜」「色がないよ」「油絵具ってそういう画材じゃないだろ」

ドガの絵は近づいてみると、ものすごく速い。ゴッホもそうだった。ゴッホが速いのは有名。原物を見るとよくわかる。『ゴッホとゴーギャン展』(12月18日まで)では、近くでじっく

り確かめてきた。

ドガの『包帯を巻いた女性』という小さな絵の右上のコーヒーカップの描き方を見て欲しい(ネット上では『日々好日』「デトロイト美術館展その2」で見られる)。これをヴュイヤール

(1868〜1940)が学び、マルケ(1875〜1947)が風景画に活かし、モランディ(1890〜1964)が何度も繰り返した。筆を慈しむ画法。

そして、手の表現。うまいねぇ。瞬間的に仕上げている。手の素晴らしさは『バイオリニストと若い女性』でも味わえる。

筆を使う悦び、それは牧谿の『煙寺晩鐘』にももちろんある。われわれはこの筆遣いを学び伝えてゆくべきだと思う。今の描き方でいい。今の気持ちでいい。

 

16年11月12日

地塗り済みのキャンバスがたくさんあると、やっぱりじゃんじゃん描いてしまう。ロールキャンバスもなく、四面楚歌の状態だったが、なんとかキャンバスだけ手に入る。明日からどん

どん張って、早目に地塗りを済ませておこう! とはいっても、地塗りの絵具も底をついているので、これはすぐ買いに行く予定。

秋バラは9枚描いたからもういい、か?

なぜか秋の景色がむしょうに描きたい。こういうことをあまり口に出したり文章にしたりしてはいけない、というのが父の教えだった。「描きたい」という気持ちはとても大切なので心

の奥にしっかりしまっておいて絵筆を持った時に一気に爆発させるとのこと。ま、口に出して言っても私のまわりには反応する人がいないから問題ないけどね。

あのピサロ(1830〜1903)の絵が目標だよね。

『赤い屋根、冬の村はずれ』(1877年 54.5×65.6p オルセー美術館)。

ピサロって、最晩年まで絵を描いたけど、モネの晩年みたく開花しなかった感じもある。上記『赤い屋根、冬の村はずれ』は47歳の頃の絵だ。ピサロの最高傑作だと思う。モネみたく開

花する画家はとても少ないから当たり前なんだけどね。葛飾北斎(1760〜1849)も70歳頃の『富嶽三十六景』が最高かな? 北斎の場合はその後20年もあるから70歳でも最晩年とは言え

ない。

ピサロの『赤い屋根、冬の村はずれ』は一つの目標だけど、日本の秋は少しちがう。

ま、これからしばらく楽しく格闘してみる予定。

 

16年11月5日

11月3日は祭日だったので朝から歩いて近所の25m中学解放プールに行った。ガラ空きではなかったが、じゅうぶんゆったり泳げるお客さんの数。最近は開放時間が短縮しているので、も

のすごく水が綺麗だ。気持ちいい。

朝の水泳は最高だった。11月3日付のブログに最近疲れ気味と書いたが、まったく問題なかった。

われを忘れて泳いだね。

ああ、忘我ってことか。これが諸法無我のことだと勝手に解釈している。まさに実体験の諸法無我だ。

で、時間も忘れる。こっちが諸行無常。

そしてこれは富貴栄達を求めない、という教えにも通じている、のでは。富貴とはお金をどんどん稼ぐこと。お金というのは時間のことなのだ(Time is money)。時間を忘れるとはお金

の心配(=貧困)を忘れることでもある。

いっぽう、栄達とは出世のこと。自我の強い主張だ。諸法無我とはそれを戒めた教えなのでは。

全然ちがうかもしれないけど、釈尊の言いたかったことはそういう簡単なことなのかもしれない。脂ぎったくそ坊主のもったいぶった説法より真髄をついている可能性がある。だってテ

レビに出る坊さんの袈裟なんて、テカテカしていてどう見ても絹だべ。袈裟が絹? ふざけるなよ! ああいう坊主は袈裟の意味も知らないのだ。

絵は成り行きで描いている。水泳は喘息予防。だけど、偶然われを忘れ、時を忘れる瞬間を味わえる。私の説では眠りは全人類(もしかすると全生物)の忘我忘時の体験だけど、覚醒し

ていないから味わえない(眠りに落ちる数秒だけが涅槃寂静)。絵や水泳のときは100%意識がある。意識がある忘我忘時を涅槃寂静というのではないか。私の思い込みはけっこう正しい

かもしれない。

 

16年10月29日

先週は豊橋展のため更新できなかった。

また、豊橋展出品作のページはアップできなかったが、本日アップに成功。

豊橋展は採算度外視なら成功と言えるかも。やけに褒めていただいた。褒め殺しだったかも。66歳でも進歩している、という証ならかなり嬉しい。

だいたいスポーツの頂点は25歳ぐらい。相撲でも27〜8歳ぐらい。嘉風は35歳だっけ? とても頑張っている。まだ2〜3年はいけそうだ。絵でも一般的には50歳ぐらいが最高と考えられて

いる。

世界絵画史上最高の油彩画はティツィアーノの87歳(?)、ルネサンス以降の彫刻ならミケランジェロの88歳。近代日本画なら富岡鉄斎87歳。

というように、私の憧れる最高傑作はみんな90歳レベルだ。

モネも最晩年のバラや藤が最高だと思う。ドガは目が見えなくなっちゃうけど、50歳以降のパステル画が輝いている。

絵については50歳最高という見方の一般の方には、もっとたくさんの絵をよく見て欲しいと思う。私の具体的な説明を聞けば納得していただけると信じる。その具体的な説明(=プレゼ

ン)をこのホームページやブログでやりたいけどなかなかできない。多少はやっていると思う。全然足りない。

もちろん、私の説が絶対正しいわけではないだろうが、私の説はかなり強力だと思う。ま、自分が自分の説を信じていないわけもないけどね。バカバカしい。

極一部だけど、美術史上に輝く90歳レベルの作品をよーく見ていただきたい。比較していただきたい。

 

16年10月15日

『怖い絵2』(中野京子・朝日出版社)のp90の冒頭に「世界が全く違ってしまうこと。その断絶は恐ろしいばかりで、以前の自分と今の自分には全く関連性がない、それほどの大きな変

化が瞬時に起こる」とあり、同じp90の後半には「別の世界へ、外の世界へ、がむしゃらに一途に駆け出してゆく。結果など考えない」と来る。この後、ここの記述が何を述べているのか

わかってしまう。

これはわがイッキ描きの画法を述べているのではない。筆を持ってしっかり地塗りのできたキャンバスに向かうときの喜びあふれる激変の瞬間ではない。

乙女が恋に落ちる瞬間を綴っている。

P89の最後からp90の冒頭には「一目見た瞬間、「この人だ!」と恋に落ちたことのある人なら誰でも、シャロットの乙女が感じた肌を這う電流は知っていよう。恋する前と後では、」と

あり、ここが最初の引用につながっている。

中野京子さんの体験談みたいでちょっと色っぽい。

で、二つの引用(p90の後半)の続きは「結果を考えるのは計算であり、計算ほど恋のエネルギーに無関係なものはない。彼女にとってはこの瞬間、自分が変わる今この時こそが命の燃え

る時であり、その先がたとえ破滅であろうと相手からの無視であろうとかまわない。炎のように髪の毛が逆立った今だけが、本当の自分を生きる時の「時」なのだ」と続く。

さらに、女が恋に落ちると、家庭も家族も蜂の頭もなくなるというようなことが書いてあり、W不倫の浦沢直樹を思い出してしまい、なぜか瀬戸内晴美(=寂聴)を思い出してしまった。

中野先生も凄まじい経験がおありなのか? 怖いね。

この引用した文章は『怖い絵2』の「作品7」ハント『シャロットの乙女』のなかの記述。ハントはラファエロ前派の一人。あまり有名ではない。この絵の、乙女の髪の毛が山のように逆

立ってる姿は『ドラゴンボール』で悟空がスーパーサイヤ人に変身したときみたいだ。まさか鳥山明がこの絵を参考にしたとも思えない。

中野京子の恋の記述は、禅の悟りの瞬間みたいだし、わがイッキ描きの主張とも似ている。

『シャロットの乙女』の話はアーサー王伝説から詩人テニスンが創ったらしい。悲恋であり悲劇である。画家ハントはそのクライマックスを縦188pの大画面に描いた、わけだ。

画像は『怖い話2』で見ていただきたい。多分大型書店にならまだ並んでいると思う。

来週は豊橋展のため、ホームページの更新はお休みです。

 

16年10月8日

画集は頓挫した。頓挫したが版下だけは作ることにした。カラリオで完成見本も作る。印刷は保留。お金がない。見本をご覧になって注文していただく方針。どんな感じの冊子になるか

は、予想見本(全然別の、どっかの美術館のA4の冊子)もあるのでお分かりになると思う。

悔しいけど致し方ない。人間、何ごとも諦めが肝心。諦めてばかりの人生だけどね。

なんか肩の荷が下りて、素晴らしい版下ができそうな気もする。またダラダラしてしまって何もしないで秋の夜長を過ごすことになるかも。それはそれでとってもいい。人間、充電が必

要だ。ま、なんか、充電ばかりしている、気もする。

地塗り済みキャンバスは50枚あり、それでおしまい。ロールキャンバスもなくなった。お手上げだ。だけど、まだ50枚はあるのだ。これに全身全霊をかけるしかない。背水の陣、みたい

な? けっこう追い詰められたいい状態かも。

追い詰められないと、絵に関してはいいものはできない。というか、しょっちゅう追い詰められているのだけど、そういうのを何十年もやっているから鈍くなっている。今度のはかなり

深刻、だと思う。

50枚の中身は小さいキャンバスが多いけど、8号がやたらと多い。15号も3枚ある。けっこうバラエティに富んでいる。描くよぉ〜〜〜。

それでおしまい。

チンチロリンのカックンだ。

 

16年10月1日

私は自分がめちゃくちゃな人間だと知っている。暮らし向きがデタラメだ。将来性はゼロ。無縁仏になると思う。

ふつう、みなさん、けっこうちゃんとしている。いろいろ心配し過ぎなのではとも思うし、心配したら切りがないとも思うけど、それが 「堅気」というものだ。

方向性が違うのだから、私の暮らしは私のでいい、と言ってくれる人もいる、か?

ま、私も泥棒や人殺しをしているわけじゃない。多くのところで、自分では知らずにご迷惑をかけていると思うけど、極悪人ではない、はず。

とは言っても、どう見ても「まとも」じゃない。

でも、「まとも」にエネルギーを使っていると、肝心なことが何もできなくなる、ような気がする。

じゃあ、「肝心なこと」っていったい何だ?

詳しくは知らないけど、ノーベル賞をもらった山中伸弥先生なら完全に「肝心なこと」をやっているように思える。

私にとっての「肝心なこと」はましな絵を描くことなんだろうけど、絵ねぇ〜。

いやいや、私自身どれだけ昔の人の素晴らしい絵を楽しんできたことか。ついこの前見たティツィアーノ。他にも、富岡鉄斎(1837〜1924)、長谷川利行(1891〜1940)、ドガ(1834〜1917)、

モネ(1840〜1926)、ラファエロ(1483〜1520)……切りがない。

山中先生に比べると、「絵かぁ〜」と思もっちゃうけど、どっちみち死んじゃうしね。

南海トラフもある。そのうち巨大隕石も降ってくる。ずぅーっと先だけど、永遠に来ないぐらい先の話だけど、いつかは太陽も燃え尽きる。太陽の巨大化が始まって、一応5億年先には地

球上に生物は住めなくなる、らしい。

そういう規模で考えると、「堅気」や「まとも」もいい加減にしておいていいようにも思う。私には自分の墓の心配はとてもできない。家もないんだから墓があったらおかしい。その前

に両親の墓の場所も知らない。仏教、仏教と言っているのに、ほんと不信心だ。心の底から申し訳ないと思っています。そう言えば、新聞の本の広告に『成功している人は、なぜ神社に

行くのか』というのがあった。人生の惨敗者はプールにばかり行っちゃう。初詣も行かない。酷いね。ゴメン。本当にゴメン。

他の方の個展やグループ展にも行かず義理を欠いている。申し訳ない。

 

16年9月24日

40年前、ロンドンの大英博物館で古代ギリシア彫刻の本物をじっくり見られた(古い人間なので「ら」を入れた)。客はほとんどいない。

2500年も前にどうしてあんなに素晴らしいリアリズム彫刻ができたのだろうか?

雄大にして繊細。チマチマしたところは微塵もない。大きくムーヴメントを把握しているのに、文句のつけようのない写実彫刻なのだ。指の先までしっかり彫ってある。

確かに人体像を彫ってあるのだが、それは現実の人間が見せるどんな表情よりも現実的で魅力に富んでいる。ほんと不思議だ。

どういう修業を積めばああいう人体表現が可能なのだろうか?

ティツィアーノ(1488/90〜1576)は一つのでっかい解答を出した。

やっぱり大きなムーヴメントを掴みたい。納得のゆく人体の動き、それは静止ポーズでも血が通い、呼吸をしている生きた人体ということでもある。

ミケランジェロ(1475〜1564)やロダン(1840〜1917)も確かな答えを見せてくれた。

それは、ルーベンス(1577〜1640)、レンブラント(1606〜1669)、ドガ(1834〜1917)など、それぞれみんな必死の(とはいっても大らかなゆったりした優雅さが見える)精進を続け

た。

われわれが跡を追うのは至難の業だけど、とにかく描かないと始まらない。一生懸命にたくさん描くことで、少なくとも造形の同じグループにしがみついていられる可能性はある。そこ

に期待してこれからも必死に描くしかない。

で、先週「史上最大の油彩画家がティツィアーノであることを否定する人はいない。その渾身の超大作がいま六本木にある。絶対にもう一度見に行く!」と宣言した。だから、昨日の夕

方見に行った。こういうことだけは有言実行だ。

 

16年9月17日

いま日本に来ているティツィアーノの『受胎告知』にはすごくしっかりわかりやすい楷書で「ティツィアーノが描いた、描いた」とサインしてあるらしい(=イタリア語なのでわからな

い)。

ということは、教会や諸侯はティツィアーノの晩年の絵を完成品と見てくれない傾向があったからだそうだ。なんか粗雑だもの。ティツィアーノ自身の絵でも、若いころの絵はちゃんと

丁寧に仕上げてある。そういう若いころの絵をぬるぬるして気持ち悪い、と感じるのは私が印象派以降の絵に慣れているからだ、と思う。

ティツィアーノの絵画意識は何百年も先を行っていた、ことになるのか?

どうもそういうことになるらしい。

レオナルドが何百年も先を行っていたという話はよく訊くけど、ティツィアーノも先を行っていたのか。あのルネサンス時代って、どうなっているのだろうか? そんな超人類がいっぱ

いいたってことか? 父は「みんな宇宙人だ」と言っていた。

ティツィアーノの若いころの絵でも同意できる絵はいっぱいある。『埋葬』のための習作(嘆くマリア)を見たときには、あまりの素晴らしさに「ティツィアーノにデッサン力がないっ

て、この絵をミケランジェロに見せたいよ」と思った。この習作の画像はカラースライドで買ったと思う。また、美術出版社の『世界の巨匠』シリーズの「ティツィアーノ」にモノクロ

で掲載されている(p38、図版49)。

いま日本に来ている『受胎告知』はティツィアーノが、一番若くて70歳、最年長予測なら77歳頃に描いたとされている。その5年後に傑作『荊冠』を描き、さらに5年後に裸婦の大作『ニ

ンフと羊飼い』を描いている。絵の大きさはすべて登場人物が等身大という150号クラス。でっかい。どういう爺だ。すべて油彩画だ。

とにかく史上最大の油彩画家がティツィアーノであることを否定する人はいない。その渾身の超大作がいま六本木にある。絶対にもう一度見に行く!

 

16年9月10日

晩年のティツィアーノ(1488/90〜1576)の超大作は、私の知る限り2点ある。いま日本に来ている縦4m10pの『受胎告知』(1564年)と、もう一点はさらに大きい縦5mある『聖ラウレ

ンティウスの殉教』(1548〜59年)だ。私は40年前に両方とも見ている可能性があるけど、記憶がない。40年前のヨーロッパ旅行は連日美術館めぐりで、朝から晩まで美術館にいた。夜

中には電車移動(ユーレイルパス)。ベニス(=ヴェネティア)にも行った。ティントレット(1518〜1594)の40年前当時は世界最大の油彩画と言われた『キリストの磔刑』(526×1224

p)も見たのは覚えている。ヨーロッパに行った25歳の頃にはティツィアーノの偉大さは十分知っていたから、いろいろな美術館や教会でティツィアーノを探して見ていたと思う。その

とき生ティツィアーノで『荊冠』の比較をしたのだった。贅沢だね。

『聖ラウレンティウスの殉教』はまったく覚えていない。画集で見ると男が丸焼きにされるおぞましい絵。縦長の絵だが上の部分三部の二以上が黒くて何が描いてあるかわからない。年

齢も最長予想で60歳。晩年の絵とは言えないかも。

いま日本に来ている『受胎告知』は正真正銘ティツィアーノ晩年の傑作。最晩年としては最大の大きさ。すンばらしい人体表現だ。スバ抜けている。ギリシアを除けば西洋人体表現の最

高傑作かもしれない。油彩画としてはミケランジェロさえも凌ぐ。

一緒に並んでいる『聖母子像』(9月2日にブログにアップ)も最高級の聖母子像だ。私はラファエロ(1483〜1520)も真っ青だと思う。いやいやラファエロはラファエロでなくてはなら

ないけどね。欲張りなのだ。

さらに贅沢なことを言えば、最晩年のティツィアーノの裸婦が見たい。40年前には見たけど、その頃もティツィアーノの偉大さは十分知っていた。だけど、現在の私ほどは心酔していな

かった、と思う。スコットランドにある約2m四方の裸婦の群像2点『ディアーナとカリストー』(1556〜59)と『ディアーナとアクタイオーン』(1556〜59)もものすごく見たい(これら

の絵は最晩年というよりまだ晩年だけどね)。スコットランドは遠いなぁ。多分行けない。

最高傑作は『ニンフと羊飼い』(150×187p 1570年80〜82歳)だと思う。これは見た。下の『絵の話』「悟りの絵画(ティツィアーノの世界)」にもアップしてある。図版が小さいけ

どね。

どの美術書にも書いてある。「太い筆に絵の具をたっぷり含ませ、それをキャンバスにたたきつける」。それがティツィアーノが最後に到達した画法だ。ルーベンス(1577〜1640)が受

け継ぎ、プッサン(1594〜1665)が追い求め、ベラスケス(1599〜1660)も王宮でティツィアーノの本物から学び取り、レンブラント(1606〜1669)が、ティツィアーノの晩年の原作を

十分見ていないのに到達した筆の業。わがイッキ描きの源流である。

 

16年9月3日

TBSテレビ『プレバト』は俳句コーナーが面白い。私にとっての俳句はとにかく小林一茶だった。小学校高学年の頃、父が一茶にはまっていて、私の部屋のふすまには父が一茶の絵を描い

てくれた。風呂焚きの仕事をしていて、薪に腰掛けながら俳句を作っている場面だった。勤勉の教訓かも。私はテレビの銭形平次に熱中。父の絵に10円玉を投げていた。かなりのアホガ

キだ。

その絵は今思うと梁楷(1200年前半活躍)の『六祖截竹図』(東京国立博物館)に似ている。その当時、父はまだ梁楷を知らなかったはず。のちに『原色日本の美術「請来美術(絵画・

書)」』(小学館)の『六祖截竹図』の図版を見てぶったまげていた。

その後、東京国立博物館で実物も見た。もちろん今でも年に1回は見られる。この『原色日本の美術「請来美術(絵画・書)」』(小学館)以来、父は梁楷、私は牧谿、という趣向になっ

た。それにしても『原色日本の美術「請来美術(絵画・書)」』(小学館)は素晴らしい画集だ。古いから印刷はイマイチ。

俳句は父も私も、その後松尾芭蕉に目覚め、一茶は脇に行っちゃった。芭蕉ばかり。『プレバト』を見ていると、俳句にも無限のレベルがあると知る。ちなみに、私は俳句はまったくダ

メ。

で、『プレバト』の水彩だけど、酷いね。だいたい先生は写真を見て描いている。その点ですでに私のなかでは「才能なし」だ。写真を水彩に焼き直す技能。それならパソコンにもでき

る。しかし、水彩に正確に焼き直すことに徹している点でわかりやすい。すっきりしている。

わがイッキ描きも単純だけどね。

古典を見て、模写して、自分も裸婦も含めた自然に感動して描く。描いているときが最高。出来た作品はオマケ。

『プレバト』の先生とは大違いだ。

 

16年8月27日

先週「萩は1962年生まれ。2008年に日経小説大賞を『松林図屏風』で受賞した。このとき萩は54歳頃だ。」と書いたが、明らかな計算間違い。受賞したとき萩はまだ46歳だった。萩は現

在54歳なのだ。

それにしても、世間一般では『モナリザ』が絵画だと思っている。当たり前である。『モナリザ』は確かに絵画だ。で、そのほかの古典絵画もみんな素晴らしい絵画だと認識している。

それも当然だ。ヨーロッパの美術館にもそういうしっかり仕上げられた油彩画が並んでいる。中野京子の『怖い絵』シリーズでは、そういう絵がいっぱい取り上げられていた。

私だって、美術館に並んでいる油彩画は素晴らしいと思っている。まったくマドリードのプラド美術館に行くと腰を抜かすよ。でかいもの。ドでかい絵がずらずら並んでいる。しっかり

塗り込められたすごい油彩画だ。完成品だ。

今も六本木の国立新美術館にティツィアーノが来ている。晩年の傑作『受胎告知』だ。この絵も完成度の高い油彩画。大きさもハンパない(410×240p)。私自身のなかでは『モナリザ』

以上の名作だ。一番若いとしても70歳ごろ。完成は88歳とも書いてある。私の推測だけど、弟子が描いた絵ではないと思う。爺さんが一人で大画面に向かっている姿が頭に浮かぶ。凄い

ね。描きたいように描いているもの。自在だよ。すべてがティツィアーノ丸出しだ。弟子の手は見えない。油彩画なのに生のデッサンみたいな仕上がり。まさにわがイッキ描きの理想で

ある。

27日(土)午後2時から越川倫明(こしかわみちあき)の講演『ティツィアーノ━晩年様式の驚異』がある。講演なんて大嫌いだけど、この講演には行きたい。私はマンション勤務で行け

ない。カタログに概要が載っているかも。会場で見本のカタログを熟読してくるか。

ほんと、ティツィアーノの晩年は驚異だよ。おったまげる。

ティツィアーノ『受胎告知』が展示される『アカデミア美術館所蔵ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』展は六本木の国立新美術館で10月10日まで。

 

16年8月20日

長い引用だけど、『鹿鳴館のドラクラ』(萩 耿介・中央公論社)のp171で死んだドラキュラが心の中でつぶやく「すべて生者の趣味だ。華やかな気配も、小綺麗な雰囲気も、すべては虚

栄心に根差している。栄達を競う者どもの勝利の証明として美しさが利用されているのだ。美しさとはそんなものではない。もっと濃密で、もっと色乱れ、息苦しくなるほど無秩序なも

のだ。何ものにも従属せず、ましてや地上の生者どもの価値や倫理に縛られない。見え透いた励ましも追従も拒み、超然とした高貴な陶酔へと誘うものだ。それを求めている。死という

無の極みで、いったい何の目標があるだろう。死につつあるのではなく、死んでしまったのでもない。死の中を生き続けなければならないこの身を支えるには、苦悩をすべて忘れさせて

くれる美しさが必要なのだ」

萩は美術に対して一家言を持っている。ま、もっとも美術の「美」にまだ惑わされてはいるけど、かなり同意できる。美術はfine artの訳語。fineを美と訳しただけだ。絵や彫刻が美し

いものと思い込むのは危うい。

萩は1962年生まれ。2008年に日経小説大賞を『松林図屏風』で受賞した。このとき萩は54歳頃だ。けっこう遅い文壇デビューである。私が読んだ範囲では、萩はかなりの筆力を持ってい

る。「これだけ書けて54歳デビューか」と訝ってしまった。

こういう小説家も多くない。年齢から推しても、美術に対する造詣も深くなろうというものだ。早稲田大学の第一文学部ドイツ文学科卒業以外にほとんど情報がない。卒業後何をしてい

たんだろう。家族構成などはどうなっているんだろう?

『松林図屏風』の巻末に「通信社に勤めていた」とあった。それならとてもまともだ。

私の読書計画では、ここでひとまず小説から離れて将棋のドキュメンタリー『新・対局日誌 第1集「二人の天才棋士」』(河口俊彦・河出書房新社)を読む予定。棋譜も豊富だから、

読み終わるとけっこうな棋力アップになる、はず。ちなみに、二人の天才棋士というのは羽生善治と渡辺明だと思う。違うかもしれない。書店で「この本読みてぇ〜」と思って、図書館

検索で探したら簡単に予約できた。中野京子の『怖い絵』シリーズもまだ2巻残っている。ゲームがなくても楽しく暮らせるかも。本は睡眠薬としては最上。ちょっとしたウォーキング

と組み合わせればますます素晴らしい快眠が得られる。金の心配もすっ飛ぶ。

 

16年8月13日

<パソコン不調のため休止>

 

16年8月6日

5日ほど前、テレビのクイズ番組でクラシック音楽特集をやっていた。シューベルトは、画家でいうとセザンヌやゴッホのように死後認められたとのこと。たしか、ブラームスが有名に

したというような話だった。

大衆というのは、人格を持った一つの塊なのだと思う。その人格はとてもいい加減。なんの信念もない。教養もない。ムードに流されるだけ。それは、何十年にわたる選挙結果を見ても

わかる。

政治のことは知らないが、こと美術分野だけで語るなら、大衆はトンチンカンだ。当てにならない。少なくとも絵を描くうえでぜんぜん気にしない方がいい。逆に大衆のウケ狙いは無駄

な労力ということだ。

今わが家のカレンダーはセザンヌの『レスタックから見たマルセイユ湾』(57×71p)だけど、本当にいい絵だ。これがわからないとは当時のフランスの美術愛好家がいかに低劣かを物

語る。レベルが低いのだ。はっきり言えばバカばかり。

シューベルトが生きていた時代の音楽愛好家はシューベルトを理解できなかったということ。

そういう輩は相手にしない方がいい。

テレビでは、シューベルトは不幸だったという判定だけど、いつも言うように、セザンヌもゴッホも、無論シューベルトも、誰も不幸ではなかった、と私は思う。創作は、その創ってい

る最中が最高の喜びなのだ。出来上がった作品の評価なんてどうだっていい。評価されれば嬉しいし、それでお金が入ればさらに嬉しいけど、そういう喜びと創作の喜びはぜんぜん別。

セザンヌやゴッホの絵をよく見ていただきたい(シューベルトの場合は聴いていただきたい)。一筆一筆が絵を描く喜びで満ち溢れているではないか(シューベルトの場合は一小節一小

節?一音一音?)。出来上がった作品が評価される喜びとはぜんぜん異質な、純正な創作者だけが味わうことができる至福の「とき」が凝縮されているではないか。

世間の評価なんてまったく気にすることはない。描きたいものを描きたいように描けばいいのだ。

創作の目的は評価されることではない。創作しているその真っ最中に目的は成就されている。創作自体を味わうことが創作の目的だからだ。また、そういう創作こそが本当の創作であり

創造である、のだ。

 

16年7月30日

自分の絵って、どうなんだろう?

いつも言っているように、絵は出来不出来ではない。描くことに意味がある。

確かにそうだけど、出来た作品が気にならないわけがない。

私の直近のお手本は父の絵だ。父の絵と比べて私の絵はどうなんだろう?

ま、比べても仕方ないけどね。

だって、映画俳優でも三船敏郎と三國連太郎を比べたとき、芝居の上手さで言ったら圧倒的に三國だ。二人が千利休を演じた映画がほぼ同時に封切られて、私はテレビ放映だったと思う

けど両方見た。いやいや三國の演技力は抜群に素晴らしい。見比べると三船は大根。はっきり言って見ていられないほどだった。

しかし、『椿三十郎』は三船にしかできない。三國では無理だ。あのぶっきらぼうな感じ。抜手を見せぬ殺陣。丹田に腰が据わった歩き方。織田裕二でも話にならない。

絵だって、同じようなことが言える。あのパリ祭の旗がいっぱい描いてある絵。モネの絵が頭に浮かぶけど、ピサロも描いていると思う。フォーヴの画家はみんな描いているかも。その

なかで、デュフィの絵がいいなんて、私はこの歳まで気が付かなった。この前行ったポンピドー・センター展の最初の1点がそのデュフィのパリ祭だった。いい絵だねぇ〜〜。私はデュ

フィの画集なんてぜんぜん持っていない。昔の展覧会のカタログが1冊あるだけだ。ちなみに、そのデュフィのパリ祭の絵の図版は持っている。同じ図柄ならマルケのほうがずっといい

と思い込んでいた。確かにマルケもいいけどね。

絵は比べるとよくわかるけど、比べるレベルまで達するのが一生ものの難事業だ。

 

16年7月23日

それにしても、傑作って奇蹟だよね。

野球なら世紀のファインプレイ、相撲なら歴史に残る名勝負、サッカーなら試合終了直前の逆転ゴールみたいな。水泳だって岩崎恭子の金メダルとかソウル五輪の鈴木大地100m背泳ぎ金

メダルなど、信じられない奇蹟があった。いやいや北島康介も2大会連続金メダル2つ(世界新を含む)は凄いけど、予想できないことはなかったからね。岩崎や鈴木は誰も考えていなかっ

た、と思う。岩崎の場合は本人さえも。

奇蹟だねぇ〜〜。

絵だって計算して描ければ楽なものだ。体調とかパレットの具合、筆の動き、地塗りの調子などなどいろいろな偶然が重なってマシな絵ができる。いやもちろんそういう偶然が起きるよ

うにいつも調整している。いくら調整したってダメなものはダメ。

むしろ逆に不調整が奇蹟を生むことだってあるのだ。人間の考えることなんて浅い。限界見え見え。年間何百枚も描いてもマシなものは数枚である。生涯の傑作となれば万に一つの偶然

が引き起こす。この「万」は喩えでもなんでもない。実際に何万枚も描かないと、奇蹟は起きない。だから「奇蹟」なんだけどね。だけら、描かないと始まらないのだ。考えていたって

ダメ。筆の動きなんだから動かさなきゃ始まらないっしょ。

まったくこの論法でいったら、体調管理が最重要事項になってしまう。食を控えて欠かさず運動、か。辛いねぇ〜〜〜。

 

16年7月14日

絵がいっぱい売れてお金が入ったら、そんなに嬉しいことはない。クレサンキャンバス29番も買えるし、テレピン油も1斗缶で買える。とりあえずの望みはこの二つ。さらに、ルノワール

展にもう1回行くとか、贅沢はいっぱいある。そりゃ、台湾の故宮博物院にも行きたいし、ギリシアにも行きたい。その前に、東京国立博物館の古代ギリシア展に行くなぁ。金があるんだ

から、ついでに弥勒菩薩展も見る。

などなど欲望は切りがない。

この前、昼のフジテレビで30歳前のお若い画家が大きな墨絵を描いていた。けっこう売れているらしい。羨ましい。ヴァトーは若い頃から肺結核だから羨ましくないけど、名画『シテー

ル島の巡礼』で32歳にしてアカデミー正式会員に選ばれる。素晴らしい画壇デビューだ。もっとも36歳で孤独のうちに死んじゃう。

というような欲望と羨望と妄想の日々なのだけど、いったん筆を持つと、欲望も羨望も消えてしまう。不思議だ。絵はいいね。

具体的に、私の油彩裸婦は筆とボロ布で描いている。だから、地塗りは絶対条件。必要不可欠だ。で、そういう描法に疑問の声もあり、私自身、このやり方ばかりでいいのかと心配にな

ることも少なくない。ルノワールはもちろん、多くの画家、というかほとんどすべての画家は筆で絵具を加えてゆく描法だ。私のやり方は父親譲りである。きっと長谷川利行もやってい

ない。ま、しかし、パンやボロ布で調子をつけてゆく木炭デッサンは私の方法と同じだ。それを油彩でやったって邪道とも思えない。地塗りだって絵のうちなのである。

筆を持って(ボロ布も)絵を描き始めると、そういう画法の心配も消えてなくなる。目の前の裸婦に集中して、全部消えてしまう。絵は描いたもんの勝ち。生涯いかにたくさん描くかだ。

とは言っても、ローテーションがある。無闇矢鱈に描きまくってもダメ。特に裸婦は真剣勝負なんだから、そう毎日は戦えない。ま、真剣勝負というなら、負けっぱなし。私の生命は1万

個あっても足りない。

 

16年7月9日

本心、私は専門画家なんて認めない。専門画家である時点ですでに二流だ。

この主張は中国から日本に伝わる文人画の思考に似ている。似ているけど、特に日本では「文人画」という言葉が独り歩きしてしまい、レッテルは文人画家でも実体はただ絵を売る絵描

きになっている。

私自身は、ごくたまに絵を買っていただくこともあり、絵を売ることに罪悪感みたいなものはない。買ってくださるならお売りしたい。お金は必要だ。画材も買いたいし、美術展にも行

きたい。美術書だって図書館ばかりでなく、たまには買いたい。買うと言っても、ブックオフやアマゾンの古書で十分。

むしろ新しい本は危うい。つまらない場合がとても多い。映画も同じ。封切り後、数年経って評判のいい映画を見たほうが利口だ。焦ることはない。人生は長い。ま、若い人ほど封切り

映画に殺到するけどね。バカだねぇ。映画より「殺到」が好きなんだと思う。

で、専門画家ではないなら、何者なんだ? ということになる。絵ばかり描いているから絵描きである。と言うか有性生殖の哺乳類の爺、みたいな? そこらをウロウロしている爺だ。

嫌われないようにおとなしく生きる。あまり文句も言わない。ウロウロしている爺の代表は水戸黄門だけど、あんなにかっこよくない。正義の味方じゃない。悪に加担しないように気を

つけるぐらいで精一杯。

たくさんいい絵を見て、自分も描く。それだけのこと。そういう暮らし。そういう人生。それ以上でも以下でもない。上とか下なんてない。平。ま、下と言えば最下層かも。朝飯のパン

は最高、焼き立て。コーヒーもけっこう美味い。それで十分満足です。

 

16年7月2日

長谷川等伯も含め日本の水墨画を中国宋元の水墨画に比べたとき、古代ギリシアのオリジナル彫刻に対するローマンコピーを思い出す。パトロンやコレクターの意にかなうように、フィー

ディアスやスコパスやミュロン、プラクシテレスなどを再現した。ま、そのおかげで、古代ギリシアの息吹が多少は味わうこともできる。古代ギリシアのオリジナル彫刻もいっぱい残っ

ている。それらの前に立つと、ほんと息を呑むよ。

日本の水墨画も結局は牧谿を拡大コピーしたみたいなもの。少なくとも、そういう方向性を持っている。

このことは『等伯』(池田満寿夫、橋本綾子・講談社「水墨の巨匠」第3巻)の95ページに「水墨画を受容した日本では、その二百年の間の制作には筆法ではなく、筆洋が重視される方向

へと展開していった。筆法には作者の魂が込められているが、筆用にはそれがない。見る人がいったん視覚化し、類型化した一種の型である。(中略)水墨画自体がすでに変質していた

ことを示すといえよう」という橋本の文章がある。

溜飲が下がるね。

この意味で雪村はまったく別格である。まさに魂を求めた。いつの時代も「変質」はある。そして、いつの時代にも軌道修正する画人が登場する。白隠であり、浦上玉堂である。富岡鉄

斎であり、長谷川利行である。

同じことはヨーロッパでも言える。古代ギリシアを求めてルネサンスの芸術家たちが活躍し、フランスのプッサンは何度もアルプス越えに挑戦した(=ついにアルプスを越え、ローマに

住みつく)。フランスアカデミズムの換骨奪胎を印象派の芸術家たちが軌道修正した。

その軌道修正という行為そのものを繰り返し続けているのが20世紀からのバカアート騒ぎ(=ポンピドー・センター展か?)。「古典を見て追う」という根本姿勢を忘れている。ピカソ

は古代ギリシアをちゃんと追っている。

トンチンカンはいたるところにいる。政治の世界だけではない。

頭が良すぎてわけがわからなくなってしまうのだろうか?

単純なことだと思うけどね。

政治は平和にみんな仲良く。泥棒(ネコババも泥棒だ)と人殺しはいけない。

絵画は古典をよく見てたくさん描く。

それだけのことだ。

 

 

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