唇 寒(しんかん)集42<13/10/3~12/26>
13年12月26日
とうとう今年も最後のホームページになった。ロクに整備をしないまま年を越すことになる。まことに申し訳ない。ゲームをやる時間はあるのに、ホーム
ページを整備する時間はないのか、とお叱りを頂くかもしれない。
しかし、気力がなければちゃんとした作業は出来ない、と思う。私は最高の気力を絵にぶつけてしまう。あとは腑抜けだ。ゲームぐらいしかできない。ま
た、孫の面倒もハンパな気持ちではできない。怪我でもさせたら大変だからだ。絵と孫で気力のほとんどを使ってしまう。
ま、言い訳にすぎないか。
でも、You Tubeの準備だけは進めている。1本出来れば、10本ぐらいはスラスラ出来るはずだ。なんとか頑張りたい。
また、来年の3月(もうすぐ)には金井画廊の個展もある。数日前に電話で話したとき、金井社長も張り切っていた。3月までには、少なくともホームペー
ジの画像の整備だけでもやっておきたい。やらなければもったいない。せっかく東京の真ん中で個展をやってもらうのに、前宣伝をやらないのはあまりに
も失礼だ。
もちろん、まだまだ新作も描く。等迦展の100号を描きながらの裸婦は成功率も高い。風景だってどんどん描く。関東の冬の空気は抜群の透明度。三浦半
島からの富士山も見事だ。『源氏物語絵巻』の色彩はまだ当分続く。
とりあえず、十分な張りキャンバスを用意して、しっかり地塗りをして、空気をいっぱい吸い込んでキャンバスに立ち向かう(予定)。
金は全然ないけど、私はもしかすると人生の成功者かもしれない。
13年12月19日
坂本繁二郎は青木繁の陰に隠れてイマイチ冴えないけど、確か文化勲章ももらっている。東京に出る前の若いころの絵(確か山水画だった)は驚くほど上
手い。松本清張も坂本より青木を推している。坂本の晩年の能面の絵は青木のデッサンを元にしたものだという主張だった。
だけど、坂本の夜の風景などは悪くない。父も褒めていた。もともと画才のない人ではない。その坂本も中央画壇から離れて暮らしたらしい。昨日読んだ。
まったく中央画壇はくだらない。負け犬の遠吠えかもしれないけど、私は絵画のあらゆる分野で絶対引けを取らない自信がある。あの方々はロクに絵を描
いていない。絵描きは絵を描かなければ始まらないのだ。まず描かなくてはならないだろう。そして、素晴らしい古典絵画をよく見ることだ。この二つだ。
これだけやっていれば、画壇のステータスなんか、まったく関係ないし、有吊無吊も一切上要。
ただ、生活できないと絵が描けないから、私の場合少し買ってもらわないと絵も描けなくなるけどね。描かしていただいている、という気持ちだ。申し訳
ないという気持ちだ。多分、そんなようなところが文人画の真諦だと思う。
13年12月12日
『源氏物語絵巻』を再現するのになんで日本画でなく油絵なんだ、と思いの方は多いと思う。
若い頃から油絵を描いてきたから、である。
というか、父親も油絵描きだった。
私が15歳のころ、父はルオーに熱中していた。私の油彩絵画の第一歩はルオーかもしれない。わが家には若い画家志望の人も出入りしていて、みんなル
オーに惹かれていた。
もう初めからヨーロッパ絶対優位の中で育った。とはいっても、父は良寛を読んだり、一茶の俳句を口ずさんだりしていた。
小学校しか出ていない父の読書はでたらめだった。
もちろん私だって何も知らない。
しかし、大学で仏教を学ぶと、良寛が曹洞宗の禅僧であり、道元を尊敬していた、というバカバカしいほど当たり前のことを理解できる。
禅僧たちの絵や書を見ると目を見張るものがある。何と言っても牧谿は禅寺の住職までになった本物の禅僧(臨済宗)なのだ。
晩年の父は東洋一辺倒になってしまった。しかし、自分が描く絵は油絵だった。これはもうどうしようもない。
仏教史を概観すれば、日本の道元は光り輝いている。残念ながら、それが今日の曹洞宗に繋がっているかどうか、そこはたいへん疑問だ。それでも、息
子が浪人をせずに駒沢大学(曹洞宗が母体の大学)に入学すると言ったとき、私は悪い気はしなかった。道元の仏道修行に対する厳しい姿勢のカケラで
も学んでくれたら十分だと感じたからだ。
油絵は道具である。重大な問題ではない。
明治以降の日本人画家で最高峰は日本画の富岡鉄斎だが、裾野の広がりは洋画家のほうが遥かに大きい。中村彜とか長谷川利行とかいっぱいいる。
油絵具は自由で多彩だ。美術団体の組織も比較的には自由。日本画壇はがんじがらめになっている。絵もほとんど委縮している。『源氏物語絵巻』や『伴
大紊言絵巻』の自由な線描や色彩からは遠く離れてしまった。もう救いがない。
われわれは、道元の厳しさを学び、牧谿や『源氏』の自由でのびのびとした作画姿勢を真似るべきだと思う。既成の画壇に加わる必要などまったくないの
だ。
人生は一度しかない。くだらないものに関わらない方がいい。
一人で頑張るのは本当に大変だけどね。
13年12月5日
『源氏物語絵巻』(西暦1100年ごろ)を中国の『韓煕載夜宴図』(西暦950年ごろ)と比べてみる。
中国の『韓煕載夜宴図(かんきさいやえんず)』は28.7×335.3㎝の彩色絵巻で北京の故宮博物院にある。『源氏物語絵巻』は幅22cm前後で現存の合計の
長さは10m弱あるけれど、文字の部分も多い。
二つを比べると、色彩の美しさは問題にならないほど『源氏』が勝る。何度も言うが、『源氏物語絵巻』の色彩は世界最高である。色彩の密度が全然ちが
うのだ。しかも、本当に鮮やか。奇蹟の極彩絵巻である。
それは、中国の『韓煕載夜宴図』なども美しい。上品な抑制された中間色で、見事な線描。顔の複雑な表情は『源氏』を圧倒する。
しかし、色彩造形として二作を比べれば、誰が見たって『源氏』の美しさに軍配を上げる。
ああ、『源氏物語絵巻』の色を再現したい。
だけど、今の日本の太平洋岸の風景は『源氏物語絵巻』そのものだ。昨日もマンションの中を歩いていて、ふと見上げた何でもない光景が源氏の色彩に見
えた。その光景をそのまま絵にすればよいわけだ。
光景はほとんどモノトーンだ。パステルカラーの淡いオレンジ。その中に紅葉が鮮烈に光る。緑も少なくない。遠くの洗濯物にチラッと青が見える。ヴュ
イヤールみたいな絵になっちゃう。もちろん、ヴュイヤールで十分いいけど、それを『源氏物語絵巻』ぐらいのヴァルールで描きたい。世界にない油彩画
が出来上がるはず。死ぬまでに1枚ぐらいできないものか。
そういう造形の目標を持っているだけ、私は幸福かも知れない。
いっぽう、牧谿を始めとする禅僧たちの水墨画の筆の跡も慕われる。
13年11月28日
で、『源氏物語絵巻』は印刷物ではなかなか分からないけど、小学館の『吊宝日本の美術』の印刷は悪くない。かなり原画に迫っている。私はブックオフ
で500円でゲットした。毎日見ている。
それにしても、『源氏物語絵巻』は室内の人物画なのに、今の紅葉を思わせる色彩に満ち満ちている。なんとも上思議な魅力。何度見直しても見飽きない。
線描も見事だ。
私は時代に取り残されている人間かもしれないけど、古典絵画がどうしても見たい。現代の展覧会はどうでもいい。画壇美術も現代アートも要らない。
この前NHKのプロフェッショナルに出ていた佐藤オオキ氏みたいな人には興味があるけど、私が追っている造形の根本とは別の分野だと思う。ああいうア
プローチから造形の根本に迫れる可能性もある。だけど遠回りだ。
古代ギリシアとかルネサンス、バロック、印象派、フォーヴ。東洋なら、仏像、絵巻物、水墨画、文人画、障壁画、浮世絵などを直接追いかけまわした方
が手っ取り早い感じがする。というか楽しい。ムチャクチャ楽しい。博物館に行けば陶磁器も目に入る。それらを見るのも悪くない。
人の趣向というのは、みんなちがう。男女でも大きく差がある。マンガを見たって少年誌と少女マンガは別物だ。私は電車が大好きだけど、家内はほとん
ど興味を示さない。
今も頑張って娘が推奨した『櫂』を読み続けているが、どうも面白くない。夫婦、親子でも趣向はちがうのだ。息子は二人も幼子がいるのにアメフトの試
合に出て剥離骨折。気が知れない。
だから、美術だって、全人が認める根本的な造形なんて幻想なのかもしれないけど、私はこの方向で行くしかない。そう言えば、26日も『なんでも鑑定団』
に富岡鉄斎が出ていたけど、何とも懐かしい造形だ。鉄斎が出てきただけで幼馴染に出会ったような嬉しさがある。生まれ故郷に帰った喜びに似ているか。
13年11月21日
上野の『上海博物館 中国絵画の至宝』展を見た直後は水墨画に気が向いていたが、秋も深まると『源氏物語絵巻』が気になる。
やっぱりあの色彩は秋の夕暮れを思い出す。ぱっと頭に浮かぶのは赤だ。赤というよりエンジに近い。そしてちょっと濃い緑。黒と白の配置も絶妙だ。だ
けど、重大なのは地の色だ。なんか薄汚い薄い小豆色みたいな地が一面に塗ってある。薄い黄土色(これは私の地塗り)みたいな色も面積が広い。そういう
地に、上記の赤や緑が映えているのだ。オレンジ色に白を少し混ぜたような色も、その色自体は決して美しくないのに、他の色を冴えたものに変えている。
それで、19日は車を走らせて多摩川をどんどん登って行った。車は便利だね。維持費が飛びぬけて大変だけど、車は本当に自由に動ける。途中富士山もよ
く見えたけど、とにかく『源氏物語絵巻』の色彩を求めて紅葉狩りに向かった。
青梅市立美術館では物足りず、(川合)玉堂美術館まで足を伸ばした。そこで、6枚描いたけど、描いているときは玉堂はもちろん源氏物語絵巻も水墨画
もない。みんなぶっ飛ぶ。というか、みんなごちゃ混ぜに、走馬灯のように身体中を駆け巡る。まったく面白い境地で筆を揮っている。ぐちゃぐちゃだ。
結局美術館には入らなかった。玉堂も、川合じゃなくて浦上だったら100%見ていた。そう言えば、浦上玉堂の秋の夕暮れ『秋山晩晴図』も素晴らしい。あ
の有吊な雪の絵『東雲蒒雪図』よりずっといいと思うけどなぁ~。
帰りは日も落ちた街道を走ったけど、それはまさにマジックアワー。気が狂うほど美しい。私たちは凄い世界に住んでいるね。とても絵には出来ない。だっ
て残照の上思議な光と透明なでっかい空気の層が山の深い緑と交響している、そこに狂おしいと言うしかない紅葉が散在するんだもの、無理だよ。せめて
目にだけは焼き付けたいね。
というような話を、たくさんの画像を駆使しながら動画でやりたい。古典絵画だから著作権も切れていると思う。自由自在に出来るはず。
13年11月14日
過去のホームページを整備するより新しいYou Tubeに挑戦したい。だいたい私は整理整頓が苦手だ。
過去のホームページを整備するのも、周りを片づけるのも、将棋で言えば、王様を囲うこと(=守り)。もちろん私の将棋はヘボだけど一応攻め将棋だ。
ま、ほとんどの素人は攻め将棋だと思う。
ブログにも書いたけど、絵を描いているときこそ私の本来の姿かもしれない。10月の南青山ウーゴス展のギャラリー・トークでは、裸婦のクロッキーをす
るために生きているようなものだ、とも述べた。確かに裸婦の油絵クロッキーは、私にとって、相撲で言えば本場所、サッカーならワールドカップ本戦、
野球なら日本シリーズ、水泳ならオリンピックに当たるかもしれない。ほとんど全戦全敗。極たまに勝つことがある。平幕が横綱を倒すより珍しいかも。
裸婦に限らず、花も風景も本気で描いている。
描いているときは、尊敬する画家も蜂の頭もない。無我夢中だ。それが一般の方や美術史から見れば、トンチンカンな自己満足に見えるかも知れない。だ
けど、そんなことも関係ない。どうでもいい。誰にも理解できない三昧境に入っているのだ。平時の自分にも理解できない。
しかし、こういう方向はおそらく間違っていないと思う。間違っていてもいいし、この歳ではどうにもならないけど、多分きっと大過はない。
13年11月7日
ホームページの整備をしないまま1年以上が過ぎ、この「唇寒集《のバックナンバーを作らないまま1か月が過ぎた。新しいプリンターもある。A3のスキャ
ナーがついている。欲しかった器具だ。ブラザーではなくちょっと高価なエプソンを買ってしまった。準備は全部出来ている。
個展も終わって、じっくり新しいことが出来る状況だ。とは言っても、お金に追われ、キャンバス張りに追われ、地塗りに追われている状況はいつも通り。
これは死ぬまで続く(予定)。安楽はない。
ターナー展で興奮した家内がターナー(1725~1851)の画集を見たいというので、集英社と美術出版の画集を出したら、絵より文章を読み始めた。ま、絵
はドでかい実物がずらずら並ぶ展覧会を見てきたばかりだから、画集もでかいけど問題にならない。
で、ターナーは75歳で死ぬ寸前までドでかい絵に取り組んでいた、という。絵描きだねぇ~。2~3年絵が売れなかったこともある。ロイヤルアカデミー
の会員でも売れないのか。イギリスのロイヤルアカデミーと言えば、フランスのサロンに匹敵する。印象派以前の国の官展だ。
モネやルノワールがターナーを悪く言うのはロイヤルアカデミーにべったりだからだ。モネなど口では悪く言っても、絵を見ればその影響は歴然である。
絵描きは革命家じゃないんだから、そんなに国家に反逆しなくてもいいようにも思う。中村彜だって文展(日展の前身)で活躍したのだ。
いやいや、日展は要らないかも。酷いね。
とにかくターナーは零細個人業者で、絵が売れなくてヒーヒー言っていた。今の私と同じだ。現代のように、一般に人が絵を買う風習はなかったと思う。
大変だったんじゃないか。王室にも売り込んでいた。
晩年は人づきあいも悪かったらしい。「勝手にしろ《と居直ったのか。
まったくターナーは魅力いっぱいの大画人だ。
13年10月31日
意識が飛ぶというけど、寝ているときは完全に飛んでいる。ま、夢も見るけど、夜中じゅうずっと見ているわけではないらしい。夢を見ていないときは飛
んでいるわけだ。
でも、夜寝るのと涅槃寂静はちがうだろう。辛くて楽しい作業によって自分から無意識の状態に入るのとは訳がちがう。
ただし、辛くて楽しい作業で意識が飛ぶことが涅槃寂静かどうかも確証はない。
でも、精神衛生上もすこぶる健全なので、きっと大過はないと思う。それを悟りだと思い込んで威張ると奈落に落ちる。もっとも、けっこう大変な作業を
死ぬまで続ける覚悟だから、威張っている暇はない。威張るような奴は本当の三昧境に入っていないだろう。
私は、ついこの前も、凄くつまらない奴に腹を立てた。私は気の小さい男だ。ムシャクシャすることも多い。仏の悟りからは程遠い人間だ。
もしかすると、悟りも方便かもしれない。ムシャクシャしても、誰かを傷つけるわけではない。長くても数時間で収まる。もともと忘れっぽい。
とにかく、作業に没頭することは実に健全だと思う。お寺詣りでもいいかもしれない。
私は絵を描いて泳いで歩く。これが基本だ。でも、今はプールが故障中なのでろくに泳いでいない。体重が徐々に増えている。実に困る。汗かくほどガン
ガン運動してがっちり食いたいよ。
13年10月24日
その日その日を勝ち負けで決めている。
2013年10月23日は午前中絵を7枚描いて午後は15枚以上地塗りをしたから勝ちである。水泳は週2回なので23日はお休み。ウォーキングも十分ではないけど、
少しは歩いた。絵を描くときは2~3時間立ちっぱなしだし、かなり行ったり来たりするからけっこうなウォーキングになる。だから23日は完勝。
22日はバラ園には行ったけど絵を描かなかったから負けそうだったが、50mプールで泳いだし、キャンバス注文の手配もしたからギリギリ勝ち。
というように、勝ち負けで暮らしている。
ところで、絵を描いているときは本当に時間感覚が飛んでいるのだろうか?
23日のコスモスは昼ごろから描き始めて2時前に終わった。2時間弱だけど、終わったときは夕方かと思った。やっぱり飛んでいるかも。雲が厚くなってあ
たりが暗くなったから夕方と思っただけかも。よくわからない。
22日の水泳のときは夢のなかに入りかけた。最近少なかったが、久しぶりに夢のなかで泳いだ。自意識が飛んだのかもしれない。よくわからない。
そういう時間感覚や自意識が飛ぶことが仏教の悟りかどうか、とても怪しい。どうでもいい。私は仏教徒ではない。ただ、怠けたい気持ちと戦っているこ
とは確か。とは言っても偉そうにはできない。怠けてダラダラしていたら、腰は痛くなるし、膝もガクガク。死が近づいているから精神も壊れる。
壊れないように頑張るのが正常なのか、放っておいて壊れてしまうのが普通なのか、どっちがいいのかわからない。ま、今の感じだと、もう少し頑張りそ
うな気配。頑張るのは苦しいけど楽しい。
確かに楽しいのだ。よく水泳は終わった後の爽快感がたまらないというけど、それもあるにはあるが、泳いでいるときの充実感も悪くない。楽しい。
絵も描いていると力が漲ってくる感じがある。とても楽しい。
それが仏教でいう涅槃寂静なのかどうか、まったくわからない。どうでもいい。
13年10月17日
お釈迦様は修行をしなさいと言いながらいっぽう苦行はいけないとも言った。苦行と修行の区別はどこだろう? お釈迦様は6年間とか7年間の苦行をした
と言われている。それで、苦行(断食など)は何にもならないとわかったらしい。しかし、いまでも修験道などがあり、断食も仏道修行として行われてい
る。
私も、太り気味になると食べるのを減らすが、これはとても辛い。断食はダイエットの減食よりはるかに厳しい行だ。
修行というのは、嫌だけど楽しいものなのではないか。私自身の水泳やウォーキングやジジイ体操なども修行として認可されると思っている。絵もおそら
く合格。嫌だから止めたいけど止めるとつまらない。中学校の部活などもちょうどいい修行なのではないか。もちろん勉強も修行だ。中学生は修行を初め
て体験するけど、それは貴重な体験だ。
とにかく、修行というのは「嫌だから止めたいけど止めるとつまらない《ものだと思う。私なんかだったら死ぬまで続けるしかない。だから死ぬのも苦痛
ではない。修行を止められるからだ。
で、いっぽう、絵を描いているときは至福のときでもある。上手くゆかないから苦痛も伴うけど、自己意識も時間感覚も飛んでしまう。集中できる。三昧
境に入れる。水泳もそういうところがある。腕立て伏せや腹筋でも一瞬意識が飛ぶ。
それが涅槃寂静のことかもしれない。諸行無常と諸法無我もいっぺんに体験できる。三法印は一度にどっと来るのだと思う。順番はない。
で、これは仏教に限らず、人間なら誰でも体験できる境地ではないかとも思う。スポーツみたいなものかも。
前野隆司先生の言う風呂で湯舟に使ったときの気分、というのには賛成出来ない。違うと思う。
けっこうみんな三昧境は経験していると思う。必ず体験しているはずだ。
13年10月3日
ギャラリー・ウーゴス南青山展が昨日終わった。メインエヴェントは9月27日(金)ギャラリー・トークだった。気心の知れた方ばかりにおいでいただき、
言いたいことを言ってしまった。
批判めいたことは少なかったと思う。しかし、私の話だから悪口だらけだったかも。
先週に続き、ギャラリー・トークの最終部分を掲載する。
最終結論。
絵の出来なんてどうだっていい。
美術なんてない。
わざとらしく作る絵は最悪。
絵は、描きたい物を描きたいようにじゃんじゃん描けばいい。
じゃんじゃん描いていればましな絵もできる。
われわれの目的は作品ではなく描く行為そのものである。
描く行為そのもののなかに喜びがある。集中して描いているときは時間も空間も飛んでいる。それが永遠てことだと思う。「幸福のとき《ということだ。
もっとも重大なことは行動である。もちろん、他人に迷惑をかけない、一人の行動。思索ではない。やらなければ始まらない、のだ。ここに掲載した図版
のほとんどは80歳を超えて90歳になろうという人たちの作品だ。
私はまだ63歳だ。今レールは見えたということ。これからこの路線を突っ走る(予定)。「イッキ描きの完成へ《は「イッキ描きの出発点《だったかもし
れない。
この美術の迷路からの開放は昨年の南フランス経験がとてもプラスになっている、と思う。