唇 寒(しんかん)集23<06/1/1〜06/5/28>

 

06年1月1日

みなさん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

「少なくても正月までには驚くべきギャラリーのページを3つは作る!」

と前回宣言したが、ご推察のとおり、できなかった。来週までには何とかできると思う。

少なくても1つは。

それに、前回の週間のアクセス数は1000に迫る勢い。真鍋とかいう女性タレントのブ

ログ(1週間で10万?)にはとても及ばないが、個人ページとしては驚くべきアクセス

数! これは何としてもギャラリーページを増やさなければ。京橋で個展をしたって10

日間で500の訪問はないのだから。

ところで、つくば展のDMは見事に失敗した。スキャンし、フォトショップで処理した画

像があんなボケになるとは信じられない。今までこんな酷いことはなかった。やっぱり年

末で忙しかったからだろうか? がっくり来た。

 

いま豊橋にいるが、今日のホームページ用の絵を忘れてきてしまった。だから、昔の犬の

絵で誤魔化させていただく。戌年だから。これまたご容赦あれ。

 

ブログに少し書いたが、以前『ブローニュの森』というマチスの絵についてページを作った。

この絵が今上野のプーシキン美術館展に来ている。ブログからリンクしたがうまくゆかな

いので、こちらにもう一度リンクしておく。ここをクリックしてください。

 

06年1月8日

それにしても驚くべき寒さである。もともと温室効果による暖冬なんてあまり信じていな

かったが、やっぱ、地球は凄いね。レベルが違うよ。人間なんてカスだもん。人の知恵も

技術も知れてるよ。大自然に平伏!

私は起きると水をかぶる。バケツに3杯半ぐらい。初め、バケツの水に頭を漬ける。バケ

ツから洗面器で水を汲み、両膝にそれぞれ一杯。両肩にそれぞれ一杯。次に立ち上がり、

頭からバケツに2杯。最後に肩から一杯。ここで水道を止める。洗面器やバケツに残った

水を股間やわきの下にかけて終わり。

今年は利く。嫌になる。特に豊橋では水道の出が悪いからバケツに溜まるのを待っている

時間が厳しい。町田はどんどん溜まるが、待ち時間が短すぎるのも厳しい。

タオルで身体を拭くと真っ赤になっている。年寄りの冷や水だからそろそろ止めたいが、

父は74歳で死ぬまでやっていた。それに私は19歳からやっているので、水をかぶらな

いと体調がおかしくなる(発熱などでかぶらない日もある)。水をかぶっているからとい

って風邪をひかない訳ではないのだ。ちゃんと人並みに風邪もひく。熱も出る。そういえ

ば、今年は風邪をひいていない。どうしたのだろうか? 冬期講習がないからかも。考え

てみれば楽な冬だなぁ。合否の心配もしなくていい。だいたい毎年正月は風邪をひいてい

る。プロはちゃんと休みに風邪をひくのだ。

それにしても凄い冬だ。いつもと景色がちがって見える。なんかとてもなく奇麗だ。

 

06年1月15日

全人類がみんな良寛さまみたいになったら、世の中はどうなるのだろうか?

良寛は全国行脚を終えて故郷の越後に帰ったが、もちろん乞食坊主だから泊まるところも

ない。海岸の小屋にいるところを土地の人々に見つかり、殺されそうになる。そのとき、

良寛は何の言い訳も抵抗もせず、もう死ぬ気でいたそうだ。いつ死んでもいいらしい。誰

かが出雲崎の名主の息子だと知っていて助かったという。

全人類がこういう心境だと経済も発展しないし、価値観が全然ちがうからいろいろやりに

くい。だいたい生物の根本的な本能に基づかないから、すべてが狂ってくる。良寛は泥棒

に入られてもすべてを与えてしまった。全人類が良寛だと、泥棒がいなくなる。だって、

すべてオープンになるもん。そういえば、昔の図書館は本棚のところには入れなかった。

最近は自由自在。本屋のように勝手に見られる。少しは良寛さまの精神に近づいているの

かも。

いつ死んでもいいとなると、地球の滅亡も気になんない。惑星探査の必要もない。

もし人類より進化した宇宙人がいるとなると、科学力もだが、哲学や思想も高級なわけで、

もしかするとみんな良寛さまみたく悟ってしまっているのかも。そしたら、地球に来るわ

けない。探査することもないし、連絡する必要もない。ましてや侵略など絶対にありえな

い。ひっそりと自分の星で暮らすだろう。

私の周りを見ると、けっこう穏和な人が多い。みんな良寛さまとまでは行かなくても、穏

やかにゆったりとやっている(ように見える)。ますます、こういう風潮が広がって、み

んながさらに穏やかになれば物凄くいい世の中になるはず。平和はいいね。

そういう紳士をめざし、何年も英国留学している若い人(私の知り合いの息子さん)のホー

ムページをご紹介。留学の目的は会計士の免許。趣味は写真で絵画にも興味がある。毎日

更新している。英語と日本語で書かれている。チラッと英語を読んでみるとけっこう勉強

になる。簡単な単語を使って上手く表現している。是非ご覧ください。表紙の写真はけっ

こうカッコいい! こちらです。わがリンクもついに地球規模!!

 

06年1月22日

東京ドームを真っ暗にして1年間放っておく。

その真っ暗な1年間の中で0.02秒輝いたのが人類の現代文明である。1年のうちで0.02秒。

これがどれぐらい短い瞬きか。こんな瞬きに誰が気づくだろうか? 

私は、地球に宇宙人が来ることはありえないし、通信もないと思う。宇宙人が過去にいた

としてもそちらも瞬き。交信できるはずもない。宇宙は物凄く広い。隣の恒星まで行くの

に何万年もかかってしまうのだ(秒速40kmのボイジャーなどだと)。

これが私の宇宙人説だが、今日読んでいたところでは、宇宙に人類のような知的生命はい

ないだろうという件。もちろんすぐ納得してしまった。

だいたい私が読んで切る『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』(まだ読んで

いる)はちゃんとした物理学者が書いているから、けっこう難しい。はっきり言ってわけ

のわからない話も多い。専門のこともだし、普通の言い回しでも書いているほうは頭脳明

晰でも読むほうはぼけジジイだからわからない。だけど話題が話題だからついついのめり

込む。

やっぱり、ふつう宇宙人の存在は肯定しにくいなぁ。

そういえば、年末か年始に例によってテレビ朝日で宇宙人討論をやっていた。私もチラと

見たがが、肯定論者はどう見てもいかれていた。「本気かよ」と思ってしまった。本気な

らよほどのバカである。大槻教授が「バカ!」と叫んでいたが、あんな人にバカだなんて、

自分もバカだと思われるっつーの。

そういえば、横尾忠則も宇宙人とかなんとか言っているが、ちゃんと普通に天文の本を読

めば、宇宙人はありえない。いても来れないし、通信できない。この同時期に存在するこ

とはありえない。

と、金井画廊の個展とまちだ小田急の個展の日時が決まった。

金井画廊はほぼ去年と同じ。小田急は予定の7月上旬が下旬に変わった。上旬は梅雨だし、

下旬は真夏。どっちも苦しい。ハイ、絵で勝負しますです。

 

06年1月29日

先週、宇宙カレンダーで人類の現代文明を0.02秒としたのは大げさかも。もうちょっと長

い。350億年を1年と計算して50年で0.125秒だから、その半分と見ても0.0625秒。3倍以

上はある。それでも一瞬の瞬きには変わりないが。

そのうえ、この現代の最先端技術もまったく大したことない。スペースシャトルは地球の

周りをうろついているだけだし、マッハ118(私の電卓のいい加減な計算40÷0.34)の

ボイジャーでは一番近い隣の恒星まで7万年もかかってしまう。ワープとか光速船などは

理論上の話。もっとも光速の宇宙船が出来ても隣の惑星まで4年半かかる。

宇宙論も盛んだが、太陽系の誕生の様子だってほとんどわかっていない。

また、宇宙人の話だが、知的生命の誕生は奇蹟に告ぐ奇蹟なのだ。地球環境のような惑星

を見つけ着陸しても恐竜だらけかもしれない。これでは通信はありえない。しかし、この

地球にしても人類より恐竜が繁栄していた期間のほうがずっと長いのだ。もちろん人類が

いてもネアンデルタール人では通信は不可能。もちろん地球にネアンデルタール人が存在

したこと自体奇蹟なのだが。

わたしたちは自分がものを理解できる知的生命体であることを物凄く感謝しなければなら

ないかもしれない。仏教の輪廻の思想ではないが、人と生まれることはチョウ物凄いこと

なのだ。五体満足で絵が描けたり、歌が歌えたり、走ったり泳げたり出来るならなら、こ

れはもうそれだけで涙が出るほどの大当たり。郵便局のお年玉年賀はがき一等よりずっと

凄い。しかも、モーツァルトの後に生まれたことは更に幸せ。全モーツァルトが聴けるか

ら。そう言えば、最近モーツァルトが流行っている。生誕350年だっけ? ま、どんど

ん聴きましょう。

 

06年2月5日

モーツァルト(1756〜91)は生誕250年。先週350年と書いてしまった。

女の子と付き合いたいならば「顔を描かせて」と頼む方法がある。これが絵描きの特権だ。

つい最近ここに気がついた。55歳じゃ遅い、つーの。実は中学生のころ、恋に悩む私に

父がこの手を教えてくれていた。しかし、中学生ではまったく気がつかない。現実に好き

な女の子にそんなセリフが吐けるわけがない。18歳を過ぎると、相手が警戒してまず無

理。だって、絵を描くときは部屋に二人きりである。全身やりたくて爆発しそうな男の部

屋に来るわけがない。

しかし、実際、好きになると描きたくなる。やりたくなる以前に描きたくなる。やっぱり

ここは絵描きか。

世間では相変わらずプロアマ談義が続いている。プロは職業画家のことだ。私だって去年

からは職業画家だ。税務署にはそういうふうに出すしかない。まさか無職とは書けない。

再び問うが、プロとは何だろう? その前にドガはプロの画家だったのだろうか? ドガ

は間違えなく画家だった。絵描きだった。しかし、プロの画家だったかどうかはとても怪

しい。だって、自分が売った絵を描き直すとか何とか言って取り返してしまうのだ。こん

なプロはいまい。私は印象派の多くの画家は日本のプロとはかなり違うスタンスを持って

いたと考えている。

他人のことより私自身はどうなのか? 

以前にも申し上げたように、私はプロの画家なんかにはなりたくない。本物の絵描きにな

りたいのだ。だから、いろいろな話が逆さまになる。たとえば、個展をやるのは「個展を

やるぞ!」という気持ちで絵を描くから。これはアマだって同じだ。上野に絵を出すのは

大きな絵を描くから。重大なのはまず絵である。ここにすべての要がある。これを妥協し

たらおしまいだ。売りたいが、売れる売れないは第二義的なことだ。テレビ局で言えば、

視聴率以前にいい番組がある、ということ。

 

06年2月12日

個展の予定がどんどん増え、物凄いことになってきた。2006年度はこれから7回個展

をやる。1月のつくば展を入れると8回となる。11、12月がまだ空いているからさら

に増えるかもしれない。去年でも多いと思っていたが、すでに二倍はある。よほど気を入

れて絵を描かないとすべてが無駄になってしまう。その損害は計り知れない。お金もだが、

いろいろな人の労力が無駄になる。ホリエモンならすべて金に換算できるのだろうが、わ

れわれお金の素人はやっぱり申し訳ないという思いが先に立つ。開催前に謝ってしまうよ

うでは話にならないが、本当に売れるかどうかは確約できない。全体的な世の中の風潮は

悪くないように思う。

それにしてもありがたい話ではないか。個展のほとんどは企画展だ。とりあえず、私はひ

たすら絵を描けばよい。少なくとも、それだけはお許し頂けるということ。

今週は金井展の作品をパソコンに取り込んだ。おそらく、画像として十分使えるはず。こ

れを整備して来週こそは本当にギャラリーページを作ります。画像があるんだから、後は

難しくない(だろう)。

 

06年2月19日

冬期オリンピックの真っ最中。イタリアのトリノで行われている。

昨夜、テレビをつけたら女子のカーリング競技をやっていた。氷の上で石臼みたいなもの

を滑らせる競技。よく滑るようにモップみたいなもので滑る石の前の氷を必死でこする。

初めて見るとけっこうユーモラスなスポーツだ。そして、のどかでのんびりした雰囲気が

ある(もちろん、実際にやっている選手は懸命なのだと思う)。しかし、他の競技はたい

へんスピーディでスリルにとんでいる。真似のできない大技が炸裂する。踏み込む勇気と

機敏な身体能力が必要。命にかかわる。

命にはかかわらないが、絵を描くときも踏み込む度胸は要る。この前の絵画教室では踏み

込みがテーマだった。「そこのところにグンと太い線を入れてください。どうせ失敗したっ

て潰すだけのことですから」というのが私のセリフ。しかし、描いている最中、自分の絵

は可愛いからつい破滅的な筆は使いたくなくなる。しかし、それでは魅力に富む絵は出来

ない。踏み込んでばかりいても自分勝手な絵になってしまうが、ビビリ絵画ではつまらな

い。アマチュア絵画にはとても多い弱点だ。そうすると、やっぱり「基礎」ということに

なる。「基礎がないから踏み込めない」と来る。基礎があり、自信があるから踏み込める

のか? 本当だろうか?

 

06年2月26日

昨日で金井画廊企画の風景画展(複数作家)が終わった。私も出展した。

3月1日からは横浜のギャラリーボールドで「春美会展」が始まる。売れている作家に混

ざって私の絵も一点展示してもらえる。以前は裸婦や海の絵などを送ったが、ここ2〜3

年はバラばかり。オーナーが女性なのでバラのほうがいいみたいだ。だから今年もバラ。

ブログのほうでは子離れ論とか躍動論などを展開している、というか勝手に喋り捲っているが、

くれぐれも誤解のないように申し上げておくと、私の話は自分のことを言っている。教育

論も自分の子供のこと。介護論は妻の母のこと。私の親はいまこの人しかいない。もちろ

ん義理の親だが、あとの3人(私の両親と妻の父)は死んじゃった。

大体はいい加減なことを言っているが、23年間、中学生相手の塾をやっていたので、心

理学や教育心理学などの本は一応読んでいる。ユング、河合隼雄、シュタイナーなどは通

読してある。また、仏教にはけっこう詳しい。仏教は心理学的なことも教育学的なことも

たくさん教えている。いまだって養老孟司のちゃんとしたほうの本を読んでいる。だから、

大筋は掴んでいる。

たとえば、介護では相手が人生経験豊かな老人なのだから、人格を破壊するような言動は

絶対にまずい。相手がわかっていてもいなくてもちゃんと礼を尽くさなければいけない。

「私誰だかわかる?」などという質問は最低。子供のように扱うことも厳禁だ。本当は爺

さん、ばあさんと呼んでもいけない。ちゃんとしたヘルパーさんは名前で呼ぶ。だいたい、

私誰だかわかるなどと言われてわからないことはわれわれでもしょっちゅう。スーパーな

どで、あの人誰だっけ? と悩む場面は物凄く多い。悩んでいるのにニコニコ笑いながら

話しかけられてしまうこともある。

ボケといってもずーっとボケているわけではない。冴えていることも案外多い。いつもボ

ケていると思って油断すると、とんでもない過ちを犯す。

また、今日の中日新聞(いま豊橋にいるから)に貧富の差が子供の学力の差に現れている

などという記事があった。さらに、元有名女子アナは自分の幼い子供に英語の家庭教師を

つけて特訓しているという。

何という馬鹿なのだろうか! 学問は金ではない(もちろん最低の教育費はかかるが)。

そういうスカラー的発想からいい加減で離れないものか。これだけ教育書が出ているのに

全然読んでいない。スカラー的というのは物量作戦ということ。金に物を言わせて詰め込

み教育をしてもだめなのだ。本当にわからないバカばかり。勉強は本人のやる気である。

賢明な教師は生徒に興味を起こさせる。学問とはベクトルなのである。躍動なのだ。

私は介護される老人はどんどん外へ連れ出すのが一番の刺激だと思う。デイサービスも凄

くいい。介護する人間は自分がノイローゼにならないように介護老人と気楽に一緒に楽し

みながらやらなければ続かない。頭を冷やさないと、とんでもない不幸が起こる。

 

06年3月5日

養老孟司の『人間科学』は、人間がいかなるものかを語ろうとしてる。一種の哲学だが、

それを解剖の立場からアプローチしているところがより自然科学的であるといえる。大い

に納得できるところがある。しかし、わからないことも多い。たとえば、と言うかこれは

『人間科学』の根幹なのかもしれない。物理化学系と情報系の話(脳という物質《物 理化学

系の担当》からどうやって心《自我=情報系》が生まれたかということ)。その情報系を細胞

と遺伝子から解き明かそうとする。遺伝子は記号で細胞がシステムだという。なんとなく

わかる気もする。いっぽう、言葉も記号である。脳はシステムである。つまり、遺伝子と

言葉が対応し、細胞と脳が対応していると考える。この「情報系としての人間」を考える

とき、「人間科学」の可能性が始まる。つまり科学的に人間を哲学するのである。

一番の圧巻は細胞が他の細胞を排除する原理だ(184ページ前後)。たとえば、「指が発生

するときには、指の間の皮膚細胞が死ぬ。すなわち排除される。それによって各指がいわ

ば『独立』するのである」という。これが細胞の自我か? 

この辺の話はもっともっとしたい。しかし、あまりの長話はいただけない。とにかく本日

はここまで。

 

昨日はテレビで人類の進化の話をやっていた。この話も『広い宇宙に地球人しかいない50

の理由』にも『人間科学』にも繰り返し出てくる。私も大雑把には心得ているつもりだが、

すぐ忘れてしまう。昨日のテレビではチンパンジー以前の霊長類からチンパンジーやオラ

ンウータン、ゴリラなどに別れたのが700万年前としていた。これは大方そんなところ

だろう。この700万年前は地球の歴史でいうと、非常に新しい。700万が10個で

7000万、それが10個で7億なのだ。地球の歴史は今までで45億年もある。つま

り、地球の歴史の45分の一が1億年。その10分の一が1000万年。人類はここでも

まだまだただの猿なのだ。それから300万年経ってやっと猿人になる。しかし、猿人に

なってから今のホモサピエンスになるまでに650万年もかかる。

そして、ホモサピエンスの最大の特徴は芸術を創造すること、だそうだ。この話ももっと

したいが、やっぱり長くなりすぎる。だってあたしゃただの絵描きだもん。学者じゃない

し。出来ないよ。学者は一つの仮説を立証するのに一生かけるんだから。私にはそんな暇

はない。と言うか、絵を描かなくちゃ。ゴメン。

ま、言いたいことは書き続けます。

 

06年3月12日

たとえば、父がいた国画会はたいへんメジャーな公募展だ。ご存じない方も多いと思うが

国画会には梅原龍三郎がいた。日展ではないのだ。ほとんどの人は公募展というと日展だ

と思い込んでいる。実際には日展には碌なのがいない(中村彝を除く)。芸大時代に日展

で特選を取っている小磯良平など絶対日展だと思っている方もいるだろうが、実は新制作

なのだ。真鶴に美術館がある中川一政は春陽会。この会は実は岸田劉生の系列だ。佐伯祐

三は独立美術の創始者の一人だ。これまた日展ではない。日本の洋画史を支える巨匠たち

のほとんどは在野(日展以外)の美術団体に属していた。最近の人気作家でも島田章三や

森本草介は国画会、絹谷幸二は独立。少し前だが鴨居玲は二紀、織田広喜は二科なのだ。

日展ではない。

それじゃあ、お前のいる等迦会はどうかというと、全然小さな会で話にならない。等迦会

に入りたてのころ、会の偉い人に「親の七光りか」と言われたが、こいつは本当のバカか

と思った。親の七光りなら国画会に入る。誰が等迦会などに入るかっていうの。等迦会に

入り、10年以上もいることは、いかに私がフェアーな人間か証明しているようなものだ。

ま、今後は、等迦会も菊地理がいることでメジャーになるだろうがね。

しかし、その前にもう公募展の時代は終わったと言う人も多い。

私も上野の有名公募団体の会員より金井画廊の企画展のメンバーでいるほうがよっぽど自

慢だ。私は親父より偉いのかもしれない。親父には金井さんのような画商はいなかったも

の。

もっとも私も頑固で自分の好きなようにしか描かないから金井さんに嫌われる日も遠くない

かも。

 

本日、この唇寒のバックナンバーを更新しました。「唇寒集21」。去年の夏ごろまで。近日中

に寸前までを更新予定。以前はそういうふうにすると宣言していたが。

 

06年3月19日

上の絵『春』は今全国の書店にある『月刊ギャラリー』の42ページの左下に掲載されてい

ます。書店にてご確認ください。

絵のことを考え始めると何がなんだかわからなくなる。上に書いた『月刊ギャラリー』な

どをパラパラめくるとますますわからなくなる。画壇とか現代アートとか売れるとか認め

られるとか入選とか受賞などと考え始めるともっともっとこんがらがる。

しっかりいい絵を見つめなくてはいけない。ゴッホの絵だ。ドガの絵だ。ヴィヤールの絵

だ。牧谿の絵であり、鉄斎の絵だ。長谷川利行の絵だ。いい絵に還らなければいけない。

いつもいつもいい絵を見て、いい絵とともにあらなければいけない。現代に騙されてはダ

メだ。世の中に流されては迷いから醒めない。

昨日のブログにも書いたが、地球上の全生物は33億年前にたった一つの生物から生まれ

たのだ。そして、現在アメーバから人類まで150万種ほどの生き物になっている。もと

もとはたった一つの生命だった。

ここが大事だ。

この根本的なところを捕まえなければいけない。

ここから離れてはダメだ。

重大なのは共通事項なのだ、違いではない。

絵で言えば、新しさではない。レンブラントが追い求めたものが何か? これが重要なの

だ。「古人の求めたるところを求めよ」ということ。

物凄いヒントは10歳以前の子供の描く絵にある。子供の絵から学ぶことは無限だ。

 

06年3月26日

まずはお約束のリンクから2件。

1件目はブログからリンクしたいが、なぜか出来ないので、とりあえずホームページに。

一茶の俳句と英訳とその翻訳が楽しい「evry day Issa」

もう1件はこちら。「やっぱり美術館が好き!」

もう一つお知らせ。わが画友・石橋弘泰氏による『かと思ったら・・・』が新風舎から出

版された。子供向けの絵本だが、絵はもちろん、アイデアもいい。是非書店にて手にとっ

てご覧の上、できればご購入ください。

ちなみに、新風舎の05年度の出版点数は、講談社を抜いて業界ナンバーワン。これは自

費出版と共同出版の点数が多いからだが、石橋氏の出版は全額新風舎負担。なんといって

も、氏は新風舎のコンテストでグランプリを取ったのだ!

ああ、私の知り合いもやっと世に出たか! 

と、私も個展の真っ最中。世に出ている、っちゃあ出ていることになるのか?

で、たいへんくたびれているのでお話はなし。すみません。

上の絵(F20「風渡る」)は個展会場で大好評!

 

06年4月2日

個展の実況中継はブログのほうでやっている、とは言っても毎日疲れているのでろくにお知らせしていない

が、一応最低限のことは書いている。今日は金井画廊はお休み。久しぶりで焼きたてのフ

ランスパンを食べた。

前の桜並木はもう花吹雪の様相。その素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。もちろん絵にも

描けない。

ブログでも述べたが、絵を買ってくれる人とは、どういう人なのだろう。もちろんありが

たい人、絵を描かせてくれる人、お前、絵を描いてもいいよと言ってくれる人、などであ

る。

絵画文化の一番初めの開拓者でもある。放送や出版が取り扱っている画家は開拓済みの安

全な作家ばかり。もちろん30年後、50年後、100年後には消えているかもしれない 。

というか、ほとんどが消えている。

街の画廊で絵を買う人は自分の眼で買う。特に金井画廊で取り扱っているような画家はま

ったくの未知数。金井さんの眼を信じ、自分の眼を信じてお金を出す。金井画廊の絵はど

れもそれほど高くはない。絵としては高くはないが、最低でも万円台、ほとんどが十万円

台なのだ。最新型の大型テレビが買える金額だ。私のF3号(27.3×22.0cm)は十万円。

金井さんが多少オマケしてくれても安い買い物ではない。

私としては、これでは食べていけないのだが、買うほうからすれば、二束三文かも知れな

いものに十万円を出すのだ。ほとんどの方は普通の方だ。ホリエモンみたいな桁外れの大

金持ちではないのだ。ちゃんと働いて稼いだお金だ。まったく頭が下がる。責任重大であ

る。必ずや自分の画道を全うします! ありがとうございました。

 

06年4月9日

金井展が終わって5日が過ぎた。その間に絵画教室とクロッキー会があり、一人で桜も描

きに行ったから、もう5日も過ぎたのか、という感じだ。絵画教室もクロッキー会も桜も

待ったなし。義務である。有無が言えない。だからやっと休みが来た気分だが、豊橋だか

らイマイチ実感がない。それに、もう神戸展のDMが完成しそう。まだ2ヶ月近くある。

これからは有無を言わずにバラを描かねばならない。前の喫茶店「秋桜」の牡丹や芍薬も

蕾を持っている。その間、裸婦はもちろん(上記のようにクロッキー会が入っている)、

風景も描きまくる。神戸も行くし、大阪も寄る。ここらの風景も捨てがたい。さらに鹿児

島に行くかもしれない。またまたさらにパリにも行くかも。図に乗った馬鹿は月へも行く

勢いだ。その間、引越しをしなければならない。55歳。世の中まだまだなかなか休ませ

てくれない。ハイ、頑張ります。

 

06年4月16日

ブログの方で、これから述べてゆくつもりだが、絵画活動とは何なのだろうか? これを

養老先生の人間科学の基づいて解き明かそうと思う。ま、早い話がイッキ描きの正当化?

これだから文字は嫌いなんだな。言葉(=文字)は所詮正当化に過ぎない。要するに、言

葉は言い訳だ。だからいくらしゃべってもつまらない。言葉は力ではない。暖簾に腕押し、

糠に釘、柳に風(ちょっと意味が違うかも)である。

しかし、言わないより言ったほうがいいともうこともある。言うべきことは言っておかな

ければならない。政治の討論番組など愚の骨頂だが、ときどき、面白いと思うこともある

し、学ぶべきこともある。

もともと絵画は表現なんだから、いちいち口で言わなくてもいいのだ。

しかし、これがなかなかご理解いただけない。情けなくなる。

やっぱり、言えることは言おう! 言えるかな? かなり難しい。

 

06年4月23日

ふつう、男は女が好きだ。私も男だから女性が好きだ。サザンオールスターズの歌は「俺

は女が好だ!」と叫んでいるように女性が好きなヤツの歌だ。桑田圭祐だ。女性讃歌であ

る。だから、物凄く同意できる。共感できる。賛同できる。

どうして男は女が好きなのだろうか? もちろん、これには理由はない。わけもわからず

好きなのだ。「好き」ということはそういうことだ。理由があったら、その理由が好きな

のだから。たとえば、キムタクが好きという人はキムタク全体が好きなのだ。その状況も

含めて好きなのだ。顔がいいからとか、歌が美味いからとか、ガッツがあるからなどと理

由を言えば、その理由のほうが好きなのだから、顔だったら長谷川一夫だろとか、歌なら

平井堅だろとか、ガッツなら石松だろなどとなってしまう。

サザンの歌には女性蔑視ととられるような表現もある。品のあるわがホームページには書

きたくないが「女呼んで揉んで抱いていい気持ち、女なんてそんなもんさ」というような

歌詞もある。この歌の裏側に「女はそんなもんじゃない」という気持ちがどれほど現れて

いるか! 女性蔑視どころか女性讃歌である。桑田が男で、女好きである以上、当然セッ

クスが前提にある。あまりにもそればかりなので全然もてない。だから14回も振られた。

私だって半分の7回なのだ。ま、その後女房に何百回も振られているが(おそらく桑田も

=夫婦も絶対安定の仲ではないのだ)。

 

06年4月30日

少し前にコピーしたサザンの新しいアルバムは『キラー・ストーリー』だった。爆笑問題

の太田がたいへん褒めていたCDだ。しかし、私はあまりいいとは思わなかった。いい曲

もあったが、古い曲だった。ま、褒める人がいるんだから水を差すことはない。

ブログではヘンなコメントが入るようになってしまい、この前クリックしたら、見てはい

けないような場面が現れてきたのであわてて止めた。迷惑コメントに違いない。そこで訪

問者の方にご迷惑がかかるといけないのでコメントを中止した。

この頃全然ホームページに熱心じゃない。毎週「唇寒」と画像は更新するが、「絵の話」

など全然作らなくなってしまった。ギリシャ彫刻の話などをもっと書きたいと思うことも

あるが、なかなか出来ない。

宇宙の話も原稿があるのだから、最新情報を交えてどんどん作れるはずなのに、イマイチ

やる気がない。やっぱ原稿料とかがないとこの歳では無理か。原稿料はやる気の元かも。

ま、無理をせずにやりたいときにやろう。歳なんだから。

 

06年5月14日

やっとブログのいろいろなやり方をマスターできた。いまだにコメントとトラックバック

の区別ができない。ま、どうでもいいや。ブログのリンクもできなかったが、今週中には

完成させる。いっぺんにやろうとするからいけない。毎日少しずつやろう。ブログの画像

も復活した。

ついに引越しが決まった。引越し先はまだ決まっていない。6月末までにこの家を出なけ

ればならない。チョー面倒くさい。仕事だと思ってやろう! それにしても引越し先は決

まるのだろうか。これもとても不安。金はもちろん、衣食住が不安定だといろいろな心配

が少なくなる。これらが満たされると健康とか老後とかまた別のことが心配になる。どの

心配も絶体絶命だ。人間は心配せずには居られない性分らしい。井上陽水の『長い坂の絵

のフレーム』に出てくるデパートにいる「満ち足りた人々」なんていない。だからそうい

う人たちの「思い上がり」もない。「孤独な人の振りをして」もみんな孤独だ。特に、五

月半ばの薄ら寒い日曜日の夜はとても寂しい。つまり、いまだ。

 

06年5月21日

5月7日の「唇寒」を保存し忘れた。このミスは最近減ったがやっぱり時々やる。もっと

も、最近はブログが主でこっちがサブになってきたから大したことは書いてない。もちろ

んブログの方もつまらない。

ブログのリンクは出来なかった。今週中になんとかやります。

ブログでは「わかるかも」シリーズで人間の根源に迫ろうとした。初めからわかっている

ことを確認するだけだ。偉い先生と意見が合うと嬉しい。もうわれわれは絵を描くしかな

く、どうやって己を保つかという問題が残るだけ。所詮「己」なんてない。絵を描きまく

って死ぬだけなのだ。もちろんへぼな絵だ。どうにもならない。今さら精密描写とはいか

ない。第一もう眼が老眼だ。ざまぁない。勝手にしやがれ、ということ。

ただ、私は若い頃からたくさん絵を見てきた。くだらない絵も少しはあったが、だいたい

はいい絵ばかり追いかけてきた。それを自分なりに翻訳しているだけだ。絵描きはみんな

そういうことをしているはずだが、実際にいい絵ばかり見ている絵描きなんてほとんどい

ない。みんな絵なんて見ていない。話にならない。だから私は人間国宝なのだが、自分で

いくら叫んでも誰も見向きもしない。でも最近少し認めてくれる人もいる。世の中捨てた

もんじゃあないのだ。

 

06年5月28日

本来なら5月28日の更新だが、神戸のギャラリーほりかわに個展の飾り付けに行っていたの

で今日になってしまった。

ギャラリーほりかわは2階と3階を使う個展。合計50点の大個展になってしまった。

50号から0号まで展示した。社長の堀川さんは静かな方だが、展示は的確で絵の配置も

見事だった。私みたいな訳のわからない絵描きにとても親切に応対してくれた。

日曜日に飾り付けを終え、月曜日からの会期だ。飾りつけの後、迷子になってしまい、三

宮から元町のあたりを15000歩ほど(万歩計をつけているのだ!)歩き回った。途中で2回

も食事をした。そばと海鮮カレー。書店も2件見た。古本屋も多かった。前に図書館で借

りた将棋の羽生善治とイギリス文学の柳瀬尚紀の対談『対局する言葉』も買った。これは

文庫にもなっているが、大型書店にもなかなか在庫してないし、古書なので文庫より安か

った。しかもけっこう奇麗だった。

今日から町田のアカシア画廊でも企画展が始まった。10人ほどの方々との合同展だ。3

号(バラ)とSM(裸婦)をお届けしておいた。お近くの方はご高覧ください。

ブログの「わかるかも」シリーズは10回で一応終了した。私のホームページをご覧頂い

ている方がギャラリーほりかわに見え、絵の話の方が興味深いとのことなので、やっぱり

絵の話(と言ってもどうしても悪口になってしまうが)、を増やそうかな、と思っている、

のに今日も水泳の話だった。すみません。

 

 

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