唇 寒(しんかん)集21<05/4/3〜05/7/31>

 

05年4月3日

昨日で個展が終わった。買っていただいた絵は全部で11点。金井画廊の赤字作家・菊地展

も今年は少しは黒字なのではないか? トントンてところか? 金井さん個人の労力(人件

費)は出ないだろう。実に申し訳ない。

私の知り合いの方にも買っていただいたが、富岡鉄斎などをコレクションしている方など素

晴らしいコレクターにも数人買っていただいた。たくさんの画家にも見ていただいたし、今

年は買ってくださらなかったが、有名なコレクターの方も多数お越しいただいた。さすがは

京橋・金井画廊。また、M氏のおかげで、『わーずわーす』にも載ったし、毎日新聞にも宣伝

していただいた。そういうこともあって、今年の個展は成功といえる。ありがとうございま

した。

塾が終わってしまったので、暮らしに困るが、身体はいたって健康である。おそらく何とか

できると思う。みなさま、何か仕事がありましたらご連絡ください。

とりあえず、「ペットを描く」という企画を考えている。日本全国どこへでも描きに行く(

交通費と出張費は別)。絵はお気に召さなければお買い上げの必要なし。5〜6点は続けざ

まに描くのでおそらくその中の1点ぐらいはお気に召すと思う。私は写真を見て描くという

ことがない。すべて写生である。だから凄く贅沢なのだが、こればかりは譲れない。そのか

わり、目の前で動き回るペットのその瞬間をタブローにできる。絵の大きさもお望みどおり

だが、号3万円とちょっと高い(多少値引きします)。

さて、個展の会期中はいろいろな話をし、いろいろなことを考える。それをここに記してい

ると長くなるので、別のページを作ることにする。当てにしないでお待ちください。

 

05年4月10日

今年の桜は遅かったが、いろいろな花と一緒に一気に咲いた。町中花だらけだ。

上の桜を描き終えようとしたころ、20歳ぐらいの若い男性が話しかけてきた。

自分では描かないが、絵が好きだという。有名大学の哲学科に通っている。

最近の哲学科はどんなことをやっているのかと尋ねると、私の若い頃とあまり変わらない。

だいたい日本の大学はどこも文献学ばかり。ソクラテスから始まって実存主義までたどった

ら4年間は終わってしまう。生死について考えている暇はない。

ハイデガーもやっているというので、「存在と時間」てのはどんな内容なのか聞こうとした。

道元の「有時(うじ)」はハイデガーの「存在と時間」を800年も先取りしているとの期

待がある。そっちに振ったら「そういう研究報告もあります」だって。それぐらいなら私で

も知っている。

ニーチェとかキルケゴールなんかの名前が飛び出し、論戦が始まろうかというとき、

「ま、こちとら、学生時代は今で言うストーカー寸前。女の子に振られる毎日。しようがな

いから本でも読もう、という程度の浅知識。一番切羽詰った問題は哲学ではなくて下半身の

ほう。はっきりいやあ、哲学なんてどうでもいいの」

と本音を言ってしまった。

K大で哲学を専攻して絵画に興味がある。けっこう毛だらけ猫灰だらけ。大したモンだヨ、

蛙のションベン。見上げたもんだヨ、屋根屋のキ○○マ、である。映画の寅さんは「屋根屋

の褌」というが、私の東京の叔父さん(これを「オイシャン」という。寅さんの「おいちゃ

ん」は少しおかしい)は「キ○○マ」と言っていた。塾をやめたので多少品が落ちる。

若い頃のサザンオールスターズはいい。「いなせなロコモーション」は痺れる。いつも恋を

していて、やりたくて、切なくて、やるせない。それが歌になっている。やっぱり音楽は若

い人のものかも。われわれの歳になると、もっと人間全体を見るようになる。切なくてやる

せないのは同じかも。絵は音楽よりずっと年寄り向きなのかもしれない。

 

来週の更新は1〜2日遅れます。

 

05年4月18日

豊橋にいたので、1日遅れの更新となった。

先週の哲学科のK大生(美術愛好家)も、一般の方々同様、美術は進歩していると思って

いた。最近の美術が一番いいと信じ込んでいたのだ。

何度も言うように最高の西洋美術はギリシャ彫刻(2400年前)。最高の水墨画は中国の

宋元画(700〜1000年前)である。油絵の最高はルネサンス絵画(500年前)だ。

モナリザは別格として、大きさや作画数などを考え合わせるとティツアーノを最高の油彩画

家と称えたい。

先週は豊橋で画廊探しをしていた。名古屋も行った。足を棒にして探し回った。やっぱり何

日もかけて足で探さないといい画廊にはめぐり合えない。インターネットや印刷物だけでは

わからない。もちろん、もっと探せばもっといい画廊が見つかるかもしれないが、やっぱり

最初の1週間の探索が肝心。最初のうちは好奇心だって旺盛なのだから。

まだはっきり決めてはいないが、まず豊橋で6月にやって、さらに名古屋でやるかもしれな

い。

塾が終わってしまったので、何とかして生きる道を求めなければならないから大変である。

本気でキャンバスの販売にも一枚かませてもらう。ホームページを作った。インスタントで

やっつけたので、写真も何もないが、これから徐々に充実させてゆく予定。

私のお売りするのは大作用張りキャンバス。品質はまず間違いない。最近私自身が使ってい

るのはベルギー製のクレサンキャンバスで、ロールで買って自分で張っているが、若い頃は

この日本製のキャンバスもよく使った。このページでお売りするのは日本製のキャンバス。

これだけの品質でこの価格は、普通出せないと思う。

製作しているのは、私が20代の頃勤めていたキャンバス会社。現在の日本製のキャンバス

はほとんどすべて(膠ではなく)合成樹脂で目止めし、油彩アクリル絵の具兼用の水性塗料

で下塗りが施してある。こういうキャンバスを開発したのは私の元社長(今も同社の社長)

である。すでに40年以上の実績がある。社長自身もアマチュア画家の域をはるかに越えた

かなり腕のある画家。

実は20年来知り合いに細々とお売りしてきた。しっかりした固定客も数人いる。だって安

くて便利で品質がいいのだから当たり前だ。

なお、テオ画材舗は姉妹店である(どちらに注文してもけっこうです)。しかし、張りキャ

ンはアートレゾンのみで取り扱っているので、よろしく。

 

05年4月24日

昨日テレビをつけたら刀鍛冶の話をやっていた。私と同じ歳ぐらいの人。斉藤さんという

名だったと思う。大学時代に刀の魅力に惹かれたが、一年ほど経理事務所に勤め、やっぱ

り刀鍛冶になりたくて修業を始めたという。この辺は記憶だけで書いているので多少違っ

ているかもしれない。

とにかく、印象に残ったのは鎌倉時代の刀は現代の最新技術で作った刀よりも優れている

という話。私にとっては当然過ぎるぐらい当然のこと。「やっぱり!」という思いが強く

印象に残る。何度も何度も繰り返すように昔のほうがいいのだ。刀も陶磁器も漆器も染色

も、もちろん絵も。いま名古屋の徳川美術館では源氏物語絵巻を復元した絵を展示してい

るらしい。私は行っていない。行くまでもない。いいわけないから。絶対に復元などでき

ないのだ。現代の絵描きは誰も源氏物語絵巻の中の草一本の線も引けない。引けっこない。

絵の中の線を何だと思っているのだろうか? まったく絵がわかっていない。絵というの

はそのときそのときの人間なのである。もしいま源氏物語絵巻を描いた画家がここにいて、

同じ線を引けと言っても彼でさえ引けないのだ。同じ線は二度と引けないのだ。なぜわか

らないのだろうか?

われわれは複製物に囲まれすぎているからかもしれない。テレビも車もエアコンもパソコ

ンも洗濯機も冷蔵庫もみんな大量生産された複製物である。映画もCDも本もすべて複製

物。

この現代の複製だらけの世の中で、絵だけがなんとか一枚物として頑張っている。もちろ

ん刀も一本一本作っている。インチキなまがい物もあるが、一目見ればわかる。絵も刀と

同じくらいマイナーな世界なのだ。ただ、刀は誰でも作れるというわけではないが、絵は

誰でも描ける。そこが根本的に違うかも。私の絵を買ってくださる方もご自身描いておら

れる方がけっこう多い。

斉藤さんは鎌倉時代の刀をめざすと言っていた。そこも私とはまったく違う。われわれは

一生が百回あってもレンブラントにはなれない。富岡鉄斎にもなれない。そこのところは

よーく理解している。もちろんゴッホにもなれないし長谷川利行にもなれない。斉藤さん

もどんなに頑張っても鎌倉時代の刀は作れないと思う。

時節ということを知るべきである。

われわれは現生人類であり、鎌倉時代の人も現代人も人類学的にはそれほど違ってはいな

い。しかし、宇宙の中での座標はまったく違う場所にいるのだ。われわれは宇宙空間を秒

速何百キロメーターというスピードで移動しているのだ。そこのところをよくよく知るべ

きである。われわれは現代に生きており、それは檻に閉じ込められた動物と同じ状況なの

である。どうにもならない。

われわれはわれわれの状況の中で生きる。これしかないのだ。

私はたまたま絵を描いているが、この時代のこの場所の絵しかできない。当たり前である。

われわれはガンジガラメなのだ。

しかし、われわれはレンブラントの絵を見ることはできる。鎌倉時代の刀を見ることもで

きる。利行の絵を見ることもできる。模写することも、時代を探ることもできる。目の前

で見られる。しかし、それはなんと遥かかなたにあるのだろう。絶対に手の届かない遥か

かなただ。

しかし、われわれは絵筆を持ち、キャンバスに色を塗ることはできる。レンブラントやゴッ

ホや長谷川利行や富岡鉄斎がやっていた方法とそんなに変わらずに、色を塗る。それはで

きる。誰でもできる。できるからやる。ただそれだけのことだ。大したことではない。

 

豊橋展(7月)と大分展(11月)がほぼ決まり、次は山形を探検に行く。来年には神戸

でもやる予定。

 

05年5月2日

本来なら昨日更新するはずだが、また豊橋に行っていたので今日になってしまった。いつ

もいい加減でまことに申し訳ありません。

と、キムタクのドラマを見ていたら、私が描いた三崎風景が映った。「ああ、あの道の脇

で描いたんだ!」と叫ぶ。上の絵です。月曜更新でよかった。

豊橋は関西に進出する足がかり。ベースキャンプである。

前回は名古屋をアタック。今回は神戸と大阪に挑戦した。神戸は三宮。大阪は難波。両方

とも物凄い人の量。びっくりした。私は東京の人間だから人の波には慣れているつもりだ

が、まったくのオノボリサン状態。大阪出身の知人に話したら、豊橋から通える範囲の方

が無難とのこと。やっぱ、名古屋、岡崎、豊田、浜松あたりが順当か? 豊橋は当たり前

だが。

いろいろな会場を回っていると面白いこともある。ある個展会場の話。明らかにアマチュ

アの年配の女性の個展。「この絵で個展は無理だろ」と思うような絵。別の女性のお客さ

んとの会話に、な、なんとモネが登場。フランスでモネを見て、その簡略された描き方か

ら学んだそうである。ちらとその絵を見るとモネとは程遠い作品。

簡略された描き方? ハァ? 

そんな簡略を学ぶよりまず絵の具の着け方を学べよ。その前に空気を描けよ。

よくモネを見てみろ、まず、遠くから見て魅力あふれる画面。厚く重厚。これが第一。空

が遠くにあって、頑丈な大地があり、満々と水をたたえるセーヌが流れているんだよ。わ

かる? 誰でもわかると思うんだがな。本物よく見てみな。

と今度は別の土地で水彩画のグループ展。偉そうなおじいさんが絵の講評をしている。背

後に数十人のギャラリー。ほとんど「白い巨塔」状態。なんと、そのおじいさんは杖の先

(地面につくほう)で絵の部分を示して「ここがどうの、あっちがこうの」と語っている。

ご自分がどれだけ絵がうまいか知らないが、ほかの人の絵を杖の先でつついていいのだろ

うか? ワッキー蹴り(不明の人は深く追求しないでください)を食らわしたかった。お

そらくそのじいさんは死ぬ。

さらに驚いたことに、別の油絵グループ展に見慣れた裸婦の小品。特別出品に菊地辰幸と

ある。そのグループの中心人物の所有という。「倅です」と名乗ると「申し訳ない」を連発。

所有権とか著作権の話かもしれない。厳密なことを言ったら切りがないが、こんなところ

で著作権云々とやる馬鹿もいまい。「いえ、いえ、こちらこそありがとうございます」と

恐縮しておいた。

 

05年5月8日

今日でゴールデンウイークが終わる。まったくの自由業になった私が寂しがるのもおかし

いが、やっぱりどこか寂しい。子供のころからの習慣か?

 

5月4日からブログを始めているた。「イッキ描きブログ」というタイトル。唇寒は本日で

終わり、今後はブログで100文字程度の小文を書いてゆく。一応毎日書く覚悟。絵も毎日更

新する。ホームページでは大きな画像で見ていただく。まさにギャラリー。バックナンバー

の「絵の話」や「唇寒」もちろんアップする。つまり、だいたいいままでどおり。ただ、

少しデザインなどを変えたいとは思っている。絵が本業なのだからホームページの変更も

立派な仕事である。というか、仕事の中心か?

ブログにも書いたが、私にブログを教えてくれた人は「お父さん、一茶が一番喜んでいる

よ〜」というブログをやっている。アメリカの先生が一茶の俳句を英語に翻訳した。これ

をブログの主・SAKUOさん(=お父さん)が一茶の原句を見ずに日本語に翻訳し直す。

最後に一茶の原句も紹介する。英語の勉強には大いに役立ちそう。こちらのブログは当

ページのリンク集にも入れておく。というかリンクするのが遅かったかも。

というわけで、本日より私も本格的ブログデビューである。

よろしくお願いします。こちらです。

というわけで、本日は「唇寒」の最終回でした。なんかあっけないかも。

 

05年5月15日

先週で「唇寒」は終わりと書いたが、やっぱり終わるわけにはいかない。

このホームページでは展覧会、絵画教室、クロッキー会などのお知らせを続けなくてはな

らない。

だから、やっぱり「唇寒」も続ける。

本日は下に書いてあるアートレゾンのホームページを大改革し、見る価値のあるページに

仕上げた。是非ご覧ください。

また、以前のこのコーナーのような話は「イッキ描きブログ」でどうぞ。

来週までにはこのページも大改革する予定。

 

05年5月29日

養老孟司の「死の壁」を読んだ。脳死のことや死後の世界のことが書いてあった。養老は

怪力乱心を語らない。宇宙人とか幽体離脱とか死後の世界とか超能力などを信じていない。

大槻教授みたいな頑固者だ。立花隆はそういうことに物凄く興味がある。だから絵のこと

にまで口を出す。香月泰雄を高く買う。もちろん私も香月を悪いとは思わない。

香月も含めたわれわれより一世代以上上の画家たちには学べき点が多い。鳥海青児、原精

一、小泉清、川島理一郎、佐野繁治郎、杉本健吉、渡辺貞一、木村忠太など国画会や独立

美術で活躍した画家が思い浮かぶ。彼らは油絵具と闘った戦士だった。間違えなく私の先

人である。大画面に筆を揮った勇者かもしれない。1ヶ月ほど前、名古屋や神戸、大阪の

画廊を回ったとき、木村忠太の12号の小品はとてもよかったし、杉本健吉もたくさん見

た。ついこの前は東京駅のステーションギャラリーに佐野繁治郎を見に行った。さらに前

には平塚美術館で鳥海青児を見た(その前には原精一展)。渡辺貞一は金井画廊で拝見し

た。この先輩たちの絵は間違えなく油絵具を使いこなしている。戦中戦後の厳しい世の中

で絵描きとして絵筆を捨てなかった。立派である。ただ画家という枠の中でだけ絵を描い

たところが狭い感じを受ける。この話をすると長くなるから今回は止めておく。

養老と立花を比べると、どうしても養老のほうが面白い。「死の壁」は道元の思想などに

も通じるところがある。養老は本の中で「死ぬのはちっとも怖くない」と断言している。

私も理屈では怖くないが、まだまだ断言できる自信はない。鎌倉時代の禅僧・道元も死と

生は別なものとして「木が燃えて灰になるのではない。木は木のくらい(存在{価値}と

いうほどの意味か?)灰には灰のくらいがある」というようなことを言っている。同様に

生は生、死は死。別なものという意味だろう。

なんとなくわかるが、実感できない。

立花は危うい。騙されそうだ。子供のようにいろいろなことに興味を持ち、よく調べもす

るが、やっぱり私には信じきれないところがある。興味を持つことに物凄い意義を感じて

いる。雑誌記者から出発したからか?

養老はもっと真実を掴もうとしている。真理を語ろうとしていると思う。そこが大学教授

のスタンスかも。

また話を戻すが、上記の画家たちも絵画そのものが目的になっていない感じがある。それ

でも納得できる分量の絵を残し、納得できる画面を築いてくれた。希望を言えば、私は彼

らの十倍の絵を描きたい。生きているからまだまだ出来る。絵を描きながら本当のところ

を掴みたい。筆がキャンバスの上で踊っている瞬間に真実(の一つ)がある。これが目的

だが、それはいつも過程の中にある。

毎日更新「イッキ描きブログ」もよろしく。

 

このページの改造は当分できないかも。

 

05年6月5日

「イッキ描きブログ」で予告したとおり、ルオーの言葉を全文掲載する。ただし本日体調不良につき、

「全文」は無理かも。

『我に触るな』(セザンヌ)1910年「メルキュール・ド・フランス」誌

 注:この言葉はセザンヌの言葉をして語られるが、ルオーは実際にセザンヌに会ったわ

   けではない。

「私に近づいてはいけない。私に触れてはいけない。私は世の人の知らぬ、世の人の理解

せぬ美の世界を持っている……。」

 

「近づいてはいけない。私は人びとの恐れる、そしてまた人びとを恐れる癩病者なのだ。

世を遠く離れて、私は自分の魂の絶対をめざして渾身の努力を注ぐ喜びを知った。それは

ささやかなものであった。私の芸術は手段であって目的ではない。私は自分の芸術に、餌

食に襲いかかる獅子のように全身を投げかけた。だがいつも決して心から幸福であること

はなかった。今後何世紀生きたとしても、おそらくそれは同じことであろう。ごく少数の

芸術家たちは、私の作品を美しく奥深いものといってくれた。だが私は彼らを知らなかっ

た。私は死者とともに生きた。偉大なる死者たち、その作品の中に小さな永遠の灯をとも

し、覗かせてくれた死者たちとともに生きたのだ。私は彼らと語り、また自然と語った。

それが私の喜びだった。だが私の心を満たしていた理想はあまりに高いものであったので、

私が自分の眼にするものを不完全ながら写し出そうと全力を費やして生み出したものの

中の最良のものでさえ、明るい水面に映る澄みきった美しい顔のように、微かな風でも吹

けばたちまちかき乱され消し去られてしまうものであった。」

まだまだ続くが、本日はここまで。ここまでで十分カッコいい。

つづきは毎日少しずつ「イッキ描きブログ」で書くかもしれない。

わが絵画の原点は15歳のときに見たルオー展にあったのか。こんなスタンスでは絵で飯は

食えない。永久に。ま、しようがないか。

 

毎日更新「イッキ描きブログ」もよろしく。

 

05年6月12日

ルオーの言葉は前回の分で十分か、とも思ったのだが、続きを読んでみるとやっぱり捨て

がたいので本日は頑張って全文掲載する。体調もいい。音楽もいい。新しく文章を書く場

合は音楽は邪魔だが、ただ写すだけだから音楽付き。ちなみに、井上陽水とサザンオール

スターズ。今かかっているのは陽水の「恋の予感」。

前回の分もまとめて掲載する。

 

『我に触るな』(セザンヌ)1910年「メルキュール・ド・フランス」誌

 注:この言葉はセザンヌの言葉をして語られるが、ルオーは実際にセザンヌに会ったわ

   けではない。

 

「私に近づいてはいけない。私に触れてはいけない。私は世の人の知らぬ、世の人の理解

せぬ美の世界を持っている……。」  

 

「近づいてはいけない。私は人びとの恐れる、そしてまた人びとを恐れる癩病者なのだ。

世を遠く離れて、私は自分の魂の絶対をめざして渾身の努力を注ぐ喜びを知った。それは

ささやかなものであった。私の芸術は手段であって目的ではない。私は自分の芸術に、餌

食に襲いかかる獅子のように全身を投げかけた。だがいつも決して心から幸福であること

はなかった。今後何世紀生きたとしても、おそらくそれは同じことであろう。ごく少数の

芸術家たちは、私の作品を美しく奥深いものといってくれた。だが私は彼らを知らなかっ

た。私は死者とともに生きた。偉大なる死者たち、その作品の中に小さな永遠の灯をとも

し、覗かせてくれた死者たちとともに生きたのだ。私は彼らと語り、また自然と語った。

それが私の喜びだった。だが私の心を満たしていた理想はあまりに高いものであったので、

私が自分の眼にするものを不完全ながら写し出そうと全力を費やして生み出したものの

中の最良のものでさえ、明るい水面に映る澄みきった美しい顔のように、微かな風でも吹

けばたちまちかき乱され消し去られてしまうものであった」

(以上が前回までの掲載分) 

 

「近づいてはいけない。私は今や死に臨んでいる。すでに自分のすることを為し就げた者……。

今や消え行こうとしている者は、自己の最良のものを残す以外、生きている者のためにいっ

たい何が出来るだろうか。そして私は、それだけを果たそうと努力したのだ」

 

「近づいてはいけない。私は何も教えることはできない。私の人生は世人の眼からは隠さ

れていた。しかしそれは輝かしく清らかに、慎ましく厳かで、また思索に富んだものであっ

た。そして私の芸術は、その生活の最も絶対的な、最もひめやかな表現であった。お前の

尋ねるものは、私の不完全な作品のうちに求めるがよい。この年老いた、苦しんでいる病

人に問うても無駄なのだ」

 

「近づいてはいけない。もし望むなら、もしなし得るなら、今度はお前が自分の仕事をす

るがよい。世の人から遠く離れてでも、あるいは世の人の只中ででもよい。だが人びとの

教えや、称賛には、あまり耳を傾けてはならぬ。もしお前が何世代かの生涯を生き得たと

すれば、お前は人びとが絶えず、かって崇めたものを焼き捨て、かって焼き捨てたものを

崇めているのを眼にしたことだろう。しかし、彼らに対しては深い憐れみの心を持たねば

ならぬ。お前も同じように弱い者であり、私を心から讃美しながら、明日になれば私を否

定してしまうかもしれないからだ。傲慢からではなしに自分自身のことを、永遠に、絶対

に保証し得る者はいったい誰がいるだろうか」

 

「われわれが身を捧げているこのいとも気高く、いとも高貴な芸術が、学校や画塾で教え

たり習ったりすることの出来るものだなどと思ってはいけない。お前がそこで習うものは、

お前が形や色を愛情をもって見ることができるようになった時には、醜いものでしかない

だろう。だがその誤り以上に、自分でその誤りを教えて得々としているお偉方の方をもっ

と信用してはならぬ。その誤りというのは、時には見事な真理と思われたものの変形であっ

て、その上に覆いかぶさっている殻を剥ぎとれば昔通りに輝き出すものであるかもしれな

いのだ」

 

「私の死後、私の名において語る者、また私の哀れな屍体を争う者を信じてはならぬ。そ

れよりむしろ、最もまずい、最も不完全なものであっても、私の作品を信ずるがよい。戦

いの跡の夜の闇には、いつも狼や山犬がうろつきまわるに相違ないのだ」

 

いまちょうどテレビで流れているどっかの相撲部屋の遺骨争いみたいな話。大関・貴乃花

の昔のビデオがたくさん見られたから、ま、いいかっ! やっぱ力士は土俵の上が一番。

絵描きは作品がずべてってことか。

「イッキ描きブログ」はつまらないので、これからは昔の「絵の話」を紹介する方向に変えた。

ブログで古典絵画の話をしても画像がないのでつまらない。そこで、昔の絵の話にリンク

する。そうすれば、ダラダラ長い私の絵の話(100話ある)もメリハリをつけて読める。

 

*なぜかこのへん飛んでいる。

 

05年6月30日

ブログでもお伝えしたように、母が亡くなった。75歳。私はたいへん親不孝で、20年

以上も妹にまかせっきりだった。妹とその連れ合いには頭が上がらない。しかし、妹の子

供たち(4人もいる)にはけっこういいおばあちゃんだったと思う。とてもよい子に育っ

ている。このホームページの読者には私の知り合いもいて、いろいろ心労されるかもしれ

ないが、一切お構いなく。母は強く密葬を願い、葬式も身内だけでやった。気にしない気

にしない。私は来年の年賀状の構想も練っている。なんたって最近の愛読書は養老孟司。

霊魂なんてまったく信じていない先生なのだ。だから、私もここのところ養老先生の影響

を強く受けている。もともとほとんど同意見だったが、読むといろいろと知ることが多い。

さて、個展である。案内状のほかにパンフレットを2種類作った。11月の大分や神戸で

も使えるように500部印刷屋に注文した。本日はそのパンフをアップするが、なにぶん

忙しいので、ワードで作った下書きをそのままWEBバージョンに直してアップするので読み

にくいかもしれない。どうかご容赦を。

 

05年7月3日

現在豊橋にいる。やっとネットが繋がった。これでメールも読めるしブログも書ける。ホー

ムページも更新できる。

自分のホームページやブログを見直すと、私は驚くべき親不孝。罰当たり。極道。母は素

晴らしい賢母のよう。これは近いうちに天罰が来る。私には私の言い分があるが、それは

普通世間には通用しない。神様はお見通しだから多分きっとおそらく許してくれる(とは

思う)。

ところで、豊橋展が始まって3日が過ぎた。今日はお休みと書いたが、私の勘違いだった

ので、休みなしで10日間続けて開催することになった。東京の京橋でやっているときも

お客さんが来ないときは全然来ない。ここは豊橋。何時間もお客さんが来ないのはごく当

たり前。とても暇である。会場にパソコンを持ち込んで将棋をやっている。相変わらず連

戦連敗。おのれのドジと頭の悪さには辟易する。自己を知るには将棋はたいへんよいかも。

今回は個展もあり、来る前に図書館も家内任せだったので、将棋の本も養老先生の本もな

い。本当に困る。本は眠り薬なのに、それがないから夜中まで起きている。朝は予定通り

市民プールで泳ぐのでけっこうしんどい。そこで、また「将棋世界」を買ってもらった。

今晩からはぐっすり眠れる。

それにしても、こんな文章では、ブログと変わらない。ブログにはなんと書こうか?

 

豊橋に来る前にアップした「イッキ描きとは?」と「パンフレット」を見直すと、「パン

フ」はほとんど絵がアップされていない。これは明日から会場で直す。とにかく暇だから

しっかり修正できると思う。とにかく、前回のアップをそのままつけておく。また、ルオ

ーの言葉もそのままつけておく。

 

05年7月11日

まだ豊橋にいる。ネットは切れたり繋がったりでなかなか思うようにはいかない。このペー

ジの更新も本来なら昨日だが1日ずれた。すみません。

「イッキ描きブログ」で個展実況中継を連載したので、ブログをご覧の方は大まかな状況は

掴んでいただいていると思う。はっきり言って豊橋は有望である。家内の故郷なのでその

力も大きいが、ここには絵や音楽に対する包容力がある。また、面白いことに江戸落語が

盛ん。アマチュアの落語家が公演するとホールがいっぱいになるらしい。私も演者として

参加したいぐらい。とにかく、文化への奥深い希求がある。

そこで、来年ももちろん個展をやる。来年は喫茶フォルムも個展開催の予約をしてあるの

で、ギャラリー公園通りと同時に45点ぐらい並べようかと目論んでいる(これは家内の

提案だった)。実はすでにギャラリーは予約した。予約といっても口約束だけ。こういう

雰囲気では絶対に裏切れない。このギャラリーのオーナーは染色の専門家で地域の方に絶

大なる人気がある。集客力も大きい。こんな人を裏切ったらもう豊橋に来られなくなる。

というわけで、来年の豊橋展は10月16日から31日まで。喫茶フォルムとギャラリー

公園通りの2箇所で同時開催となった。

なお、豊橋展の出品作を中心とした「最近の絵」は今週中、遅くいとも来週の日曜日には

アップします。

下をクリックしてください。

パンフ1:「イッキ描きとは?」

パンフ2:菊地理作品パンフ「躍動」1菊地理作品パンフ「躍動」2

 

05年7月17日

大分展と神戸展が11月に重なっていたが、大分の美慶さんが11月展を10月にずらし

てくれたので、これはいいと神戸のギャラリーほりかわさんに電話すると、11月展を来

年にずらすのは可能か、というような話。ま、画廊さんの会期のやりくりも大変みたいだ。

私は速描きなのでたいへんイージー。ほとんどOKである。ギャラリーほりかわさんの11

月展は可能性が濃いので、このページの予定はこのままにしておく。

実はこの間、山形にも打診した。9月の末頃という話がちらとあった。そうするとまた美

慶さんと重なる。絵はいっぱいあるので40点ぐらいの個展なら同時に3箇所ぐらい可能

だからヘーキヘーキ。だが、額縁はそんなにない。しかもほとんど豊橋に置いてきた。ま 、

豊橋へ行って発送すればいいのだが。

で、どうやって生き抜くかだが、絵描きはかなり有望かも。今年に限れば京橋も買ってい

ただいたし、豊橋もそこそこよかった。あちこちこんな調子なら食ってゆけるかもしれな

い。借金がなければなんとか切り抜けられる。しかし、借金はちゃんとある。息子の大学

もあと半年以上ある。これをクリアできるか? ま、それほどは絵は売れないから。

とにかく、いい絵は売れる。とりあえずいい絵を描くしかない。と言ってもなかなか描け

ないんだな、これが。

 

豊橋展の出品作を中心とした「最近の絵」をアップしました。菊地理作品パンフ「躍動」

は画像が重なるので、「躍動」を消去します。

また、もう一つのパンフ「イッキ描きとは?」は以前の絵の話とほとんど重なるのでそち

らをご覧ください。

 

05年7月24日

これから山形に行く。山形は父の絵がたくさんある。父のファンも多い。何年も何十年も

父が通った土地。私もそこで個展をやるかもしれない。しかし、父のファンがそのまま私

の絵を好むとは限らない。私の妹(=父の大ファン)など私の絵を全然問題にしない。そ

ういう人は多い。私の絵と父の絵はちょっと似ているが、画法などまるでちがう。ブログ

でも書いたが、父は空想で絵を描く(もっともダリみたいな超現実主義の絵ではない)。

私のはすべて写生。まったくちがう絵だと思っていただくのが無難。なかなかそこまで見

てくれない。父の絵にはまってしまうと私の絵は受け付けなくなる。大昔からの父のファ

ンはなおさら難しい。

父の裸婦など空想で描いているが、物凄くリアル。しかし、よーく見ているとそれが空想

だとわかる。ありえないポーズをとっていたりする。それが自然に見えるから不思議だが、

ずっと見ていると少林サッカーになる。すなわち「ありえねぇー!」

現実感から言えば、私の絵のほうが自然だ。モデルを見ているから。しかし、絵としてどっ

ちがいいかは別。ま、登り方はいろいろあるが、めざすところは変わらないと思う。重大

なのはどうやって描いたかではない。何を描こうとしたかである。というより、どういう

気持ちで描いたか、どういう気持ちで筆を握っていたかである。できた絵なんてどうでも

いいのだ。

ところで、私は昨日久しぶりに怒った。心底怒鳴り声を上げた。凄くつまらないことでで

ある。あれから何時間経っただろう。最悪の心持はまったく消えない。もう一生ああいう

醜態はしないと強く心に誓った。あれは人を殴るのと同じだ。死んでももう繰り返さない。

ああ、馬鹿馬鹿しい。

 

05年7月31日

山形から帰って1週間。遠い昔のような気もするし、「もう1週間か」という感じもある 。山形の

話は「イッキ描きブログ」に詳しく書いた。

その後の活動も記した。明後日はその活動の具体的第一歩。けっこうでかい話。8月10日

は名古屋に再訪する。話があれば京都にも行く。神戸のギャラリーほりかわさんとは電話

で話しただけでお目にかかっていない。一度伺ったときはお休みだった(神戸まで行くん

だからちゃんと調べてから行けって言うの)。だから是非行って、堀川さんにもお目にか

かりたいし、会場も見たい。地図で見ていると、北海道や広島も悪くないかも。金が続け

ばこういう就職活動みたいのも悪くはない。その合間合間に風景が描ければ最高。製造と

営業をいっぺんにこなすことになる。これでなければ社長は勤まらない(誰が社長じゃ!?)。

山形では描けなかったし、実は初めから描く気もなかったのだ。

車で行かないとちょっと無理。

それにしても日本は広い。びっくりする。だけど絵の好きな人は限られているし、絵が好

きで経済的に余裕のある人となるとガクンと少ない。ま、こういう活動は物凄くたいへん

だが、とにかく元気だから大丈夫。山形にも水泳パンツはもって行った。絵は描かなくて

もプールがあったら泳いじゃおうという魂胆。怖いのは資金が尽きること。実際にはすで

に尽きているのだが。

ああ、このごろ全然泳いでない。暑いのでどこのプールも満員でガンガン泳げないから行

かないのだ。泳ぎてぇー!

本日は画歴(profile)を少し変更。55歳になっちゃたので。

 

 

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