小さな話 第3集

第1集   第2集

モランディ「花と風景」展 98.12.27

11月の末ごろ光と緑の美術館から「モランディ展」のパンフレットが郵送されてき た。もちろん全然知らない絵描きである。タイトルの絵を見てすぐいいとわかった。 裏を返すと6点のカラー図版が並んでいる。コローかピサロの風景画から点景人物を 取り去ったような絵。しかし、ちゃんと人の歩く道、暮らす家が描かれている。箱庭 のようなインチキな風景画ではない。もちろん絵の中にしっかり光もある。ぴっちり 絵画修業を成し遂げた画家の筆である。「これは見に行こう」と決めた図版は一番小 さな水彩画。こういう絵はなかなか描けない。並大抵の絵描きではない。ふわっと置 いた筆が影になり、残した余白が光になっている。何気なく着けた点や短い線が絵の ポイントになる。しかもそれらがはっきりと具体的な建物や煙突を現わす。数分で描 かれた水彩画だが、空、大地、森、建物などが見事に描き分けられている。制作年を 見ると67歳のときの小品である。そういう歳にならなければできない画面だ。もち ろんただ歳をとればいいというものではない。ちゃんと修行を重ねつつ歳も重ねなけ ればならない。これは滅多に出来ることではない。 とにかく12月25日の午後5時に家を出た。閉館時間は午後6時だが光と緑の美術 館がある相模原市は隣町。何度か行っているがそんなに広い会場ではない。10分も あれば見られる。4〜50分走れば着くだろう、といつものノーテンキで出発した。 ところが、25日はクリスマス。思ったより車は多い。国道16号から相模原市の大 通りを左折したときはすでに6時を回っていた。わたしの家内はわたしと同じかそれ 以上のノンキ者。「とにかく行くだけ行こう!」と来た。「夜のドライブも悪くな い」と言う。細い道で、車だらけ。何がドライブだと思いつつも何とかたどり着く。 6時20分ごろだったと思う。 受け付けの若い男性は快く観覧を許してくれ、もう一人の若い女性もとても親切。会 場の電気をつけてくれた。クリスマスの夜は人の心も暖かい! やっぱり本物はいい。複製画の新時代を画策するわたしとしてはちょっと言いにくい が、絵はやっぱり本物に限る。画家の息づかいが伝わるようだ。 モランディ(1890〜1964)がフランスのマルケ(1875〜1947)の影響を受けているのは、 その色調から見てまず間違いない。また、彫刻家ロダンの愛人だったグウェン・ジョ ン(1876〜1939)の画面とも似ている。マルケやグウェン・ジョンとモランディとは 15年ほどの隔たりがある。ヨーロッパ美術の源泉イタリアを母国とするモランディ は、やはりイタリア出身の彫刻家マリーニにも共通する洗練された簡素な美しさを もっている。もちろん、マルケの泥臭さも捨て難い。 モランディはコローもピサロも研究済みだろう。ロランやターナーも十分見ているに ちがいない。さらに母国イタリアのルネサンス美術にも精通していたことは作品から 伺える。 イタリアの地方都市ボローニャに一つの魂がらんらんと燃え盛っていた。その魂は絵 画となって今もなお人々を魅了している。 モランディ展は2月14日までです。詳しくはTel.042−757−7151光 と緑の美術館まで。8000円の画集は買えなかったが、2500円のカタログは買 いました。

続・モランディ展 99.1.4

不気味なぐらいのアクセス量であった。1998年の4月20日にアクセスカウン ターを付け直してから(正確にはso−netさんに付け直してもらってから)、週 間アクセス数が100を超えたことは3回しかない。それが11月の第4週に99を 数え、12月からは毎週100を超えた。不思議には思っていたが、昨日4日振りで 見たらなんと162。異常である。暮れに川村龍俊さんからリンクの申し入れがあ り、もちろん喜んでOKさせていただいた。その後フクヤマ画廊さんからまたまたリ ンクの申し入れをいただき、もちろん即OK。ちなみに、わたしのHPは当然だがリ ンクフリーである。リンクフリークラブに入ろうとしたが、あまりにも当り前なので やめた。ホームページを公開している以上誰だってリンクフリーだろう。とはいいつ つ、わたしがリンクする場合は一応許可をいただいている。そこがわたしは偉い。 この文章のどこが「続・モランディ展」なのか? というわけで、フクヤマ画廊さんにリンクさせていただく許可をもらったので、みな さん、フクヤマ画廊さんのページでモランディの画像を堪能してください。もしこち らにお戻りになる場合は、ブラウザのバーの「戻る」でどうぞ。 これが「続・モランディ展」の正体である。 ところで、モランディが生まれ育ち活躍したイタリアの古都・ボローニャはどこにあ るか? イタリアの北寄り、フィレンツェとベネチアの中間、ちょっとフィレンツェ 寄りの辺りである。イタリア半島の北寄り中央部。モランディは外国旅行は生涯にス イスだけ、ほとんどボローニャを離れなかったとあるが、かの盛期ルネサンスの中心 地・フィレンツェまでわずか100キロたらずの土地に暮らしたのだ。外国へ行く必 要など全然ない。

キャンセルをくらう! 99.1.4

わたしを「恐怖のキャンセルくらい男」と呼んでいただきたい。日本橋東急のキャン セルの傷も癒えぬはずなのに、いろいろな方面からワクワクドキドキのお話しをいた だき、ノーテンキにも楽しい毎日を送っていたのだが、年末に来て右ストレートと左 アッパーを食らった。もちろんパーフェクトに鍛えられたこのボディはまだまだリン グの上に立っているが、正直、相当グラッときた。 右ストレートは12月15日に近所の本屋で見舞われた。もちろん本屋で喧嘩をした わけではない。わたしは椎名誠ではないのだ!(椎名さんはその昔、新宿の紀伊国屋 で大立ち回りをやった)。 毎年年末に出るインターネットのイエローページにわたしのページが紹介される(無 料)はずだった。そういう嬉しいメールが9月ごろ来たのだ。ずーっと待ちに待って 12月15日の発売日にルンルン気分で本屋さんに入った。わたしが48歳でなく、 頭も禿げてなかったらスキップをしていたかもしれない。「もちろん今は金がないけ ど、イエローページなんて要らないけど、やっぱり俺のが出ていたら買ってもいいか なあ」などとノーテンキな夢想を抱きながら、本屋への夜道を急いだ(多分スキップ はしていなかった)。 書店でその本(エーアイ出版)を手にしたとき、わたしは全身の血が引くのをはっき り覚えている(日本橋東急の話があったときと同じ感じ)。素晴しい本である。全 ページカラー。1300しかページを紹介しないのだ。日本中に20万以上もある HPからたった1300。オールカラーで1ページに10ぐらいしか並んでいない。 もちろんヘッドページの画像付きである。これにわたしのページが載るのか! 載っ ているのか! これはエラいことだ。晴天の霹靂(へきれき)だ。そんなアホな!  そんなことがあるわけない。 メールによればわたしのページは「絵画/イラストレーター」の部門。やっぱり信じら れないので、買わないかも知れないから、はやる気持ちをぐっと抑えて丁寧に書店の 本をめくる。 ……やっぱりない。あるわけない。 何回探してもない。索引にもないし、よく似た他の出版者の本にもない(あるわけな いだろバカ! それでも5種類ぐらい探す)。10万ページも紹介した1HP1行のイ エローページにもない(去年はあった)。 泣きながら(実際には泣いてない)家路につく。 帰ってもう一度メールを確認する。よく見ると以下のような一文がちゃんと書いてあ る。 「また、誌面の都合上どうしても掲載ができない場合もあります。」 ああ、せめて「その他のページ」とか「Bランクですが」とかやってずらずら紹介し てくれなかったものか。 無情のキャンセルでした。 しかし、冷静に考えれば掲載はむずかしい。日本中で1300はあまりにも少ない。 まず官公庁のページが相当ある。大企業のページがごっそりある。リコーさんのも ちゃんとある。有名タレントのページがけっこうある。その上、イラストやCGやア ニメの楽しそうなページがかなりある。これに食い込むのは至難の業である。こっち はオッサンが仕事の合間に(家族に遠慮しながら)独りでやってる淋しいページ。声 を掛けてもらっただけでも凄い! んじゃないの? と、ここまではプロローグ。お正月まであと15日と迫ったこんな寒空に更に追い討 ちをかけるように左アッパーが入った。 例の富士山の絵である。わたしはこの絵に最低でも5万円は掛けている。額縁まで きっちり用意した。 32万円は現実の痛打だ。相手は膨大な土地を持つ大地主。32万なんて落ちていて も拾わないような身分の人。もっとも土地や金はあっても絵ばかりはむずかしい。 だいたいわたしの絵を買おうなどと生意気である。いくら金持ちでも無理な話だ。わ たしの絵がわかるはずがない。わたしの絵を買う人はみんなわたしよりも偉い人ばか りなのだ(もっともわたしより偉くない人は滅多にいない)。最大のお得意様は中学 時代の先生。35年のおつきあいである。わたしはとてつもなく素晴しい中学生(中 2まで)だったのだ。そういう先生がお二人もいる。 最近よく買ってくださる方は理工系の大学教授だった方。今は定年退職しておられる 模様。 せめて友人のSならわたしのほうが偉いだろうと思い巡らしたが、やっぱり向こうが 上だ。まずわたしの2倍働き10倍稼いでいる。大学は同じだが出身高校は向こうは 千葉高(偏差値70ぐらい)。こっちは志村賢と同じ都立高校。偏差値だと45ぐら いか? とても勝負にならない。 もちろん志村先輩は一流のコメディアン。自作のコントも、ちょっと品がないときも あるが、大したものである。もうすぐわたしが追い抜くが、今のところはわが久留米 高校OBの王者であらせられる。シムラはわたしの絵は買ってくれない。 他の方々もそれぞれ立派な方ばかりで、やっぱり古今東西のありとあらゆる絵画彫刻 を行脚歴訪して築かれたわたしのスーパークロッキーは、生半可な審美眼では見抜け ない。 しかし、昨日NHK教育の「ロダン」を見ていたら、例のバルザック像は5年もかけ て仕上げた力作で、この傑作は依頼主からキャンセルされた上にマスコミからボロカ スにけなされたという。あれに比べればわたしのキャンセルなど問題ではない。第一 絵描きにキャンセルはつきもの。わたしは自分の絵はいつでも買い戻す覚悟である! また、おかげで富士山がたっぷり味わえました。12月早朝の赤富士は5万どころか 500万円出しても文句はないような壮大なイベント。河口湖いっぱいに繰り広げら れ、清澄な空気も寒さも大きさも全部入っての大舞台。朝日と富士が織り成す大自然 の千変万化は息を飲む感動でありました。 まことにありがとうございました。 河口湖畔で冷水木浴して格闘した富士山の最新作は近日中にアップします。

米長邦雄と井上陽水の対談 99.1.8

月曜日から金曜日まで毎日午前10時30分過ぎからラジオの文化放送で「米長邦雄 の人生さわやか流」という番組をやっている。わたしは仕事がら午前中空いているこ とが多いので、こんな時間の番組が聞ける。しかし、ここのところずっと仕事で、今 日は久しぶりだった。すると、新春特別番組ということで特別ゲストが井上陽水。 「これは面白い」わたしにとっては降って涌いたお年玉となった。 ご存じのように米長邦雄は将棋の棋士。50歳で将棋界の最高位・名人を獲った。最 年長名人奪取という記録を持つ。今から6年ほど前のことだ。わたしは将棋が大好き で、このパソコンでもすぐ将棋を始めてしまう。だからHPの更新がちっともはかど らない。愛読書も「将棋世界」という専門誌で、ちゃんと棋符も読み込む。おそらく 腕前は3段ぐらいある、と勝手に思い込んでいる。棋界にも詳しく、棋士のこともよ く知っている。米長さんが一番のひいきだ。今でも毎晩米長さんの将棋の本を読みな がら寝ている。大好きだから2ページも読まぬうちに寝てしまう。最高の睡眠薬に なっている。 陽水もいい。わたしは昔からレコードやCDをあまり買わないが、陽水のは2〜3枚 持っている。特に陽水の詞が好きだ。百年後には、陽水は戦後最大の詩人と評価され る、とこれはわたしの大予言である。俵万智など問題にならないと思う。もちろんね じめ正一さんも(問題にならない)。 たとえば、「小春おばさん」という詞には「風は北風、冬風」というくだりがある。 「冬風」などという言葉はないだろう。しかし、この歌ではぴったり来る。こういう のを創作というのではないか。実に素晴しい。芭蕉にも通じるほどだ。 また、「窓の外ではりんご売り」という。「りんご売り」とは何だろう? そんな商 売があるのだろうか?「声を枯らしてりんご売り」と続く。実際にはない商売だが、 実に現実感がある。声を枯らして売っている感じが生々しい。もともと陽水は温暖な 九州の人だが、冬の歌がうまい。しかし、数年前に作った「少年時代」は夏の歌の傑 作になった。 と、まあ、米長さんも陽水さんもわたしにとっては最大のアイドル。そのお二人が対 談とはありがたい。ほんの10分たらずの放送だったが、たいへん楽しい一時が転が り込んできた。 話は二人の老後のこと。最近は「老人力」などという言葉も流行り、巷では老後が けっこう話題になっている。米長さんは70歳をピークにしたいと語っておられた。 今55歳だからこれから10年将棋に打ち込んで、5年休んで70歳で大恋愛をした いという。これに対し、「ま、せいぜい犯罪者にはならないように」というのが陽水 さんのコメント。 ついでに、正月休みに本屋で「老人力」の目次だけ立ち読みした。今年は本は買えな い。富士山がキャンセルになった上に年末に2500円でモランディのカタログを 買ってしまった。だから予算がない。本屋さんご免なさい。 しかし、世の中の人は気の毒である。本当の絵を知らない。真なる絵の世界を知らな い。「老人力」は赤瀬川原平さん本で、赤瀬川さんは美大卒。絵にもたいへん詳しい が、どうも本当のところは分かっていないようだ。ぱらぱら見た限りでは凄い絵描き のことが全然出てこなかった。 米長さんは70歳をピークにしたいと言っていたが、富岡鉄斎のピークは89歳であ る。ピークのまま死んだ感じがする。昇華とでも言いたい。ティツィアーノも最晩年 が一番いい。これまた90歳レベルである。絵の世界では70歳から本格的によくな る。ここからが正念場なのだ。それまでは「つなぎ」に過ぎない。70になったとき ちゃんと戦えるように基礎体力を養っているだけだ。わたしは今48だが、今のわた しは仮の姿だと思っていただきたい。 ロダンは60歳から性に狂っている。もちろん素晴しいクロッキーを残しているか ら、本当に狂ったわけではないだろう。もっとも、あたりまえのことだが、わたしも 60からロダンに倣う予定はない。 ところが、松尾芭蕉は50歳で死んだ。道元禅師も50年の生涯だった。もちろん立 派すぎるほど立派な方々である。そうすると、年齢はあまり関係なくなる。「そのと きそのときを精一杯生きるしかない」という相田みつおみたいな結論になってしま う(ま、相田さんの結論はいつもサイコウですからして)。50歳といえば、長谷川 利行も50歳だったと思う。織田信長も。 とにかく、東洋には「遊行期」という教えがあり、これは70歳とか80歳からの生 き方を説いている。その前が「林住期」で、このことを書いた本は前に近所の書店で 見かけた。ちなみに若い修行する時期は「学生期」、家庭を守って必死で働く時期が 「家長期」である。 トルストイは、82歳で家を出て2週間ほどで死んでしまった。よくわからないが、 立派な最期だったのではないかと思う。 わからないままに申し上げれば、鉄斎やティツィアーノの最晩年の絵はいくら見ても 見飽きることがない。素晴しい絵画である。ミケランジェロの彫刻の最期のピエタも 凄い。 こういうご老人が残した絵や書が東洋には山ほどある。禅僧の墨蹟である。特に死の 寸前に書いた遺偈(ゆいげ)はずばぬけて素晴しい。 禅の考え方というか生き方は不明な点ばかりだ。「悟り」とかいうシロモノもなんか 怪しい。禅を分かり易く説明するための方便のような気もする。しかし、禅は最後の 砦である。生き方である。絶対にインチキではない。もちろん最近の坊さんがどうか は知らない。坐禅教室をお勧めする気もない。しかし、中国の宋元、日本の鎌倉・室 町の禅は凄い。絶対に凄い。(禅の本としてとりあえずお勧め出来るのは講談社新書 の飯塚関外「禅のこころ」です)。 この世に生まれ、絵を知り、禅の書画に出会い、仏教や禅というものを漠然とだが、 かじり(修行したわけではありません)、何かとてつもない真理があるという気配が 感じられるだけでも楽しいではないか。どんな不況にも耐え、いかなるキャンセルに も動ぜず、石にかじりついてでも生きるだけ生きようではありませんか! わたしは 絵も描き続けますよ。どんなことがあっても筆だけは放しません。

米長邦雄と藤沢秀行の対談 99.2.9

今日は田無展の搬出である。朝9時過ぎに車で家を出た。ちょっとした独り旅。11 時に田無に着く予定。米長さんの『人生さわやか流』は車のなかで聞ける。誰も知ら ない私だけの楽しみである。しかし、私のカーステレオは表示部が壊れていて見えな い。文化放送を探すのに一苦労。時間ギリギリにやっとキャッチした。そうしたら、 なんと今週のゲストはあの囲碁の藤沢秀行先生。これはHPでお知らせしないわけに はいかない。毎朝10時30分過ぎ。文化放送系列。私が昔書いた「修羅場に生きる ――酔いどれ碁打ちの言行録」を再掲しておく。こちらをクリックください。 なお、放送局では私が読んで仰天した藤沢秀行と米長邦雄の対談「勝負の極北」(米 長のサイン付き)をプレゼントしてくれるそうである。

最後のモランディ 99.2.16

2月14日、モランディ展の最終日である。今日行かなければせっかくもらった招待 券がパーになる。実は私は血液型がA型。変なところにこだわる。なんとしても無駄 にしたくない。第一もうモランディには会えないかもしれない。やっぱりもう一度見 たい。2月8日に田無展が終わったばかりで、そのアト始末が忙しい。塾も高校受験 最後の追い込みでなかなか時間がとれない。しかし行く、なんとしても行く。 光と緑の美術館への道も裏道を覚え、けっこうスイスイ行ける。近くにフクヤマ画廊 さんがあり、9月には個展をやらせてもらう。道路事情はバッチリである。 モランディはやっぱりいい。十分抑制された筆使いがたいへん好ましい。輪郭線を 嫌った空間表現も効果的だし、グレーでわざとトーンダウンさせた色彩も悪くない。 若いころは時代の潮流に挑んだ形跡もあるが、早い時期に世俗的な雑音から身を引い たようだ。本当に絵画を愛する聡明な姿が見える。じっと筆を握って静かに、確実に キャンバスに染み込ませた魂の筆痕。あふれる情熱、みなぎるエネルギー。それらを 丹念になだめながら、意志の強い画家が行く。背中を向けて絵の具箱を担いで。

ホームページ2周年・一大決心 99.2.16

ホームページを始めて丸2年が過ぎた。インターネットを通じて、いろいろな方と知 り合い、アップした絵や文も相当な量になった。最近はアクセス数も倍増し、もちろ ん嬉しいのだが、正直驚いている。おそらく浜松の原田さんが宣伝してくださってい るのだろうと思うが、その原田さんもホームページで知り合った。そしてついに3月 15日からは大分のギャラリー美慶さんで個展をやっていただく。さらに、9月には 相模原のフクヤマ画廊さんでも個展。美慶さんも福山さんもホームページがなければ 知り合うことはなかった。ほんとうに想像を超えるインターネットのパワーだ。 というわけで、感謝を込めてこれから3ヵ月間毎週画像付き「絵の話」を連載する! 2周年記念である。どこまで実行できるか、マラソンのつもりでがんばる。 自分の絵の画像もスーパー・クローン・タブローになったものを順次アップして行く 予定だ。容量が不足するかもしれないが、そのときは、拡張するかもしれない。 とまあ、このような決死の覚悟であります。

御免なさい 99.3.20

……と、マラソン更新を宣言したが、3回目ですでに挫折した。今日はどうしてもう まく行かない。画像の更新も捗らない。第一、今度のクロッキーのためのキャンバス が危ない。木枠も布もあるが、張ってない。明日から鬼になって張らないと間に合わ ない。田無展の後始末も終わっていないのに次々と個展が目白押しで、頭がパンク状 態である。本当に儲かっているのかわからないままに請求書と期日に追われて2月が 過ぎようとしている。とにかく大きな借金は増えていないのだから、損はしていない のだろう。 とにかく、本日の画像付き「絵の話」の更新は出来ません。御免なさい。水墨画シ リーズを予定していたが、文が浮かばない。絵画的生活実況中継もあったが、先週も やったのでやめた。水墨画は日本の初期水墨画、または中国水墨画の北画と言われて いる系列。絵画的実況中継は「わたしの画材」と題して、パレットや筆洗いの写真な どを写してごまかそうかと図った。いや、「ごまかす」は言葉が悪い。わたしは知り 合いの方に画材を格安でおわけしている。そのご紹介。ヨーロッパの一流品が4割引 である。わたしは元画材メーカーに勤めていたから、手に入るのです。

御免なさい2 99.3.7

本日も画像付き「絵の話」、更新できませんでした。来週も銀座のグループ展の最終 日なので怪しいです。美慶さんの発送が終われば一段落かと思いきや、町田の「イン コンプリート」さんの展示や案内状、田無の「サバァーイ」さんの準備などで忙殺さ れそうです。本業の塾は今生徒の入れ替え時で、一番大切な季節なのです。しかも税 金の申告。嘘偽りない大赤字なので簡単なのですが、やっぱり一仕事です。ま、しか し言い訳を始めたらきりがありません。何とか来週こそは画像付き「絵の話」を更新 します。 絵で忙しいのは本当に嬉しいものです。これが現実に収入に直結すればこれほどの幸 せはありません。世の中大不況だし、なかなか難しいところですが、ここはチャンス ですから全力でがんばります。 もっと重大なことは、この困難なときに絵を描くことです。こういう時の絵はいい絵 になるはずなのです。第一ここでいい絵を描かなくては話になりません。「わたしの 人生、何だったの?」ということになってしまいます。今度の6月の銀座個展は過去 3回の展示を上回る最高の絵で満たします! そうなるハズなのです。 オットその前に大分の美慶展がありました。今は美慶展でいっぱいです。こちらもご 期待ください。銀座の「くるら」もなかなかですよ(F20の裸婦は会心の一作)。

ドラクロワ展に行く 99.3.17

無謀にも3月14日の日曜日にドラクロワ展に行った。もの凄い列である。並ぶ前に とにかく先頭の様子をうかがう。すると、招待券の人は入っていいらしい。わたした ち(家内と行ったから)は招待券なのだ! 新聞屋さんにもらったのだ。 上野の国立博物館の特別室。去年百済観音を見た部屋らしい。暗くしてあり、奥のと ころに凄いガラスケースに入って、たしかにあの「自由の女神」がある。大変な人だ が、後からならゆっくり見られる。最前列は止まってはいけない。進みながら見る。 2列目は進む必要はない。最前列とは手すりで区切られている。わたしは後から見て から、最前列に並んでもう一度近くで見た。 ちょっと大袈裟だと思う。人気もありすぎる。こんな国は日本だけだろう。 わたしは20年以上前にフランスのルーブル美術館で何度か見た。ルーブルには「自 由の女神」クラスの大作(260×325)がズラズラ並ぶ部屋がある。ドラクロワやジェリ コー、グロ、クールベなどもの凄い大作がびっちり掛けてある。日本では人間が並ん でいるが、フランスでは絵が並んで人間を待っている。 ドラクロワは達者な絵描きではない。ルーベンスなんかと比べるとそうとう下手であ る。形に対する勘が悪い。当時の人はドラクロワが下手なことを知っていて、なかな か出世させなかった。 しかし、下手なのに有名である。どうしてか? 色彩感覚が並外れて素晴しかったか らだ。このドラクロワの才能を逸早く発見したのが印象派の画家たちなのだ。そし て、印象派の後裔・ボナールはドラクロワの色彩理論を近代化した画家だった。この ことは以前にも書いた(こちらに再掲)。 それにしても、ニュースでも「自由の女神」が運ばれてくるところをやっていたり、 日本のヨーロッパ絵画に対する尊敬は度を超している。もちろん、わたしとしては いくら度を超しても異存はない。わたしは絵の味方だから構わない。しかし、あんま りやりすぎると、あっちこっちから文句が出るのではないか。 また、「自由の女神」1点というのもあまりにも寂しい。もちろん、フランスからわ ざわざ来てくれたのだから不満はない。そのうえ、わたしなど招待券で金も払わず、 並ぶこともなく見たのだから不満が言える筋ではない。しかし、上野まで行って何時 間も並んで入場券を買って見た人たちはちょっと物足りなかったと思う。わたしでさ え寂しかった。小さな油彩画とか、水彩やデッサンなどの関連作品を30点ぐらい一 緒に運んで、もう一部屋作ってくれたらさらに嬉しかった。 わたしの家内は「よかった」を連発していた。「特に女神の顔がよかった」そうであ る。日頃ロクでもない絵描きのロクでもない顔の絵を見せられているからなおさらよ く見えたのかも知れない。十分反省します。

ドラクロワ2 99.3.21

昨夜、上のドラクロワを書いたときは、まだ新聞記事を読む前だった。実は新聞記事 は知っていたが、どうせつまらないだろうと、自分の思いのままを書いた。今朝、朝 刊を息子に取られたので、仕方なく昨日のドラクロワでも読むか、と目を通した。3 月20日(土)朝日新聞の「女神よ この国に光をはなて」の記事である。4人の女 性(田中真紀子、福田美蘭、エリカ・ペシャール・エルリー、小勝禮子)が語ってお られる。その記事の真ん中にドラクロワの絵(「民衆を導く自由の女神」)がある。 この絵の女神の胸がはだけているのは記事で初めて気がついた。女性は胸がはだけて いるのはご不満らしい。わたしは上野でも全然気がつかなかった。もちろんわたしは 今のところまだ性的不能者ではない。しかし、言われなければ豊満な女神の乳房には 気がつかない。これは、女性解放を語る識者の薮蛇(やぶへび)である。そう言え ば、ずっと前、NHKの「新日曜美術館」でバロック期の女性画家の話をやってい た。その女流画家を主人公にした映画の一部も紹介されていた。わたしは映画は見て いないが、その紹介された部分だけ見ていると、もちろんポルノ映画ではないのだろ うが、そうとうHな、なんか勘違いしそうな場面があったように思う。もちろん主演 女優は実際に身体の一部をさらすわけで、本人は承諾しているのだから、問題はない のだろうが、ちょっとすさまじい。凄いと思う。性的差別を訴えたいのかもしれない が、趣旨がちゃんと理解されるか疑問である。映画のパンフレットも見たが、やっぱ り怪しい。何か、別な方面で観客を誘っている。 話が違う方向へ行ってしまったが、この新聞のドラクロワの絵を見て、これは「サモ トラケのニケ(古代ギリシャ彫刻)だな」と思った。今見比べると足は逆だが、完全 なパクリである。もっともこういうのはパクリとは言えないかもしれない。もちろん わたしはいいと思う。以前書いた日本画の鶴の絵(こちらに再掲)とは話が違う。ド ラクロワはルーベンスなどからもポーズや構図を借りている。 ところで、話を戻すが、性的差別のことは実にむずかしい。むずかしい話に戻すのも アホだが、やっぱりちょっと戻したい。わたしは女性は偉いと思っている。それは、 女性は子供を生むからで、これは全生物にとって命懸けの生態なのだ。ここは男とは 根本的に違う。まず女性は立派なのである。これが前提だ。次に女性は力が弱い。平 均的に身体も小さい。これが第2の前提である。ここのところをよくわきまえなけれ ばいけない。特に男性は胆に銘じておくべきだ。すなわち、男と女は違うのである。 まず違いをはっきり知るべきだ。 性欲という点からも、男と女は違う。男は初めから性欲がある。気の毒な生まれなの だ。仏教でもキリスト教でも性欲との闘いは大きな課題である。松尾芭蕉も「色は君 子のにくむところにして、仏も五械の初めに置けりといえども、さすがに捨てがたき 情けの、あやにくに、哀れなるかたがたも多かるべし」と言って、金儲けのガリガリ 亡者より恋に狂うほうがマシだ(閉関之説)と語っている。しかしもちろん、ガマン できない男が女性の弱さを利用して理不尽な行為をするのは最低である。そういう奴 は、頭を剃って仏門に入り、一生性欲と闘って生きるべきである。 そう言えば、去年29歳という若さで死んだ(ネフローゼという病気)将棋の村山聖 (さとし)八段は最後まで女性と交わらなかった。親友の先崎六段に「一度でもい い、やりたかった」と漏らしたという。将棋ファンのわたしはもちろん村山の死を悼 んだが、別に涙を流したわけではない。しかし、このエピソードを読んだときには、 涙が止めどなく流れた。女性は立派だが、男は悲しい。本当の男は、歩いている後姿 だけでもの凄く悲しい。村山は生殖能力を失う手術を最後まで拒んだ、拒んだから死 に至ったともという。村山こそ本当の男だった。 男は性欲との闘いの中からモノを創る。やりたくてもやらない、できない、そこがい いのだ。だから絵を描く。だから没頭する。のめり込む。それが男だと思う。 ところで、女性が描く絵もある。しかし、これはわからない。作画動機はわからなく てもいい絵はたくさんある。女性の描いたいい絵も多い。文学ならもっと多い。女性 もやっぱり素晴しい創作者である。それは人間として共鳴できるからで、性との闘い とは別な、そういう境地がきっとあるのだと思う。わたしもいつかはそういう境地に たどり着きたいものである。  

美慶展延長! 99.3.28

連続で「画像付き絵の話」をするハズが全然できない。誠に申し訳ない。 4月の初めまではガンジガラメである。ご容赦ください。「初めからあんな宣言をし なければよかった」というのが本音である。来週は大分のG美慶に行くので絶対無 理。4月の第二週以降にご期待ください。 ところで、そのG美慶の個展が延長になった。映画で言えばロングランということ か? ちょっといい気持ち、になっていいのだろうか? わたしの家のヨドの物置き に入れて置くより絵も幸せだろう。 美慶さん、ありがとうございます。

「絵の話」について 99.3.28

安岡章太郎の「でこぼこの名月」(世界文化社)という本を読んでいる。絵の話を中 心にした随筆集である。全部読み終わっていないが、どうもつまらない。文筆家の絵 の話はロクなものがない。ちゃんと絵を見ていないし、第一絵のことを知らない。無 理である。いくら見識があっても、絵ばかりはむずかしい。 それは美術史家の話のほうがずっと面白いし役立つ。 しかし、絵の見方をはっきり示し、読む人にわかってもらう方法、賛同してもらわな くても、「うん、うん」と頷いてもらう方法は一つしかないと思っている。すなわ ち、わたしの「絵の話」のやり方である。ああいう風に、絵をどんどん出して、はっ きり自分の意見を言う。あれしかない。 わたしの話はほとんどが父からの受け売り、と言うより、わたしはああいう風に父か ら絵を学んだ。一つの絵の世界、絵の見方を開示してもらった。たいへん楽しかっ た。一対一の完全個別授業である。一緒に写生に行き、一緒に画集を見、一緒に美術 館を巡る。父の絵画教室について行って指導の手伝いもした。もちろん、一緒に釣を したり、映画も見たりもした。絵ばかりの毎日ではない。また、いつも仲がよかった わけでもなく、ときには口を利かないような日もあった。向こうは父親であるから、 わたしが一方的に怒られるようなこともある。いや、こういうことは多々あった。 父はよく「この話は内緒だが」とケチなことを言っていろいろ教えてくれる。しか し、なにも内緒にすることもないと思う。父の秘伝を勝手に公開しては、これまた怒 られるかもしれないが、わがホームページの趣旨は、わたしが父から学んだ「絵の 話」をそのまま不特定多数の人にお伝えすることである。幸い父はこの世にいない。 おしゃべりなわたしに秘伝を漏らした不幸を嘆くしかない。インターネットなどとい う飛んでもない発明があったことも不幸を早めた。 とにかく、わたしの「絵の話」は、本当の絵の見方(これが絶対正しいとは言わな いが)、一つの信念を伝える唯一最高のものだと自負している。絶対誰にも真似はで きない。これからもガンガンいく。大いにご期待ください。もっとも、一対一の完全 個別授業のようには十分ではない。そこはご容赦いただきたい。しかし、なんとか画 像とキーボードで一対一の仮想空間を作り出す意欲はある! 近いうちに、ちゃんと本にしてお届けする気もある。そのときにはこの上の文を「は しがき」としたい。 近日中に「喜多村知展を見る」をここ「小さな話」に掲載します。

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