小さな話 第2集

第1集   第3集

新日曜美術館のレンブラントとルーベンス 98.10.4

NHKの「新日曜美術館」のレンブラントを見た。今見たばかりである。相変わらず 造形的な話はない。絵がわからない人が作っているのだから仕方がない。「絵がわか る」と偉そうに言ってもわたし自身そんなにむずかしいことがわかるわけではない。 本当に基本的なことだが、それも言えないNHKは情けない。 やっぱりレンブラントは達者な絵描きではない。下手な絵描きだ。特に手が下手だ。 いつもゴム手袋のような感じで、手がむくんで見える。若い頃の絵は空間も歪んでい る。しかし細部の質感は抜群にうまい。群を抜いている。特に布の表現は素晴しい。 ビロードや絹の手触りが伝わってくる。 以前にわたしは「絵の話」のなかでレンブラントの手の描き方を褒めちぎった。それ なのに、たった今、こうけなすのはヘンである。実は、もともとレンブラントは手が 下手なのだ。わたしは若い頃からよく知っていた。しかし、ときとして、レンブラン トは目を見張る画技を見せる。驚くべき筆致なのだ。特上の2作品がエルミタージュ の「ダナエ」とロンドンナショナルギャラリーの「水浴する女」である。 ま、こんな話はNHKにはできない。絵をよく見ていないし、比べてもいない。わた しは模写までしているのだからNHKと競争しても始まらない。しかし、わたしがN HKのディレクターだったら、ずっと素晴しい日曜美術館を作るのに。無念である。 そのうちわたしも死んでしまう。あんな全国放送なのに、あのレベルでは勿体ない。 わたしだったら美術愛好家を100倍にしてみせる! 数週間前にやったルーベンスのほうもつまらなかった。レンブラントの番組でも同じ だが、有名な大作ばかり映す。小品や習作にいいものがあるのに全然映さない。いい と思う自信がないから、どうしても安全な有名作に行く。絵がわからないのだから仕 方がない。それでも早逝した娘の小品(「子供の肖像」)は映っていた。あれはまご うかたない傑作である。

東急日本橋の夢 98.10.4

銀座で個展をやると凄いことが起きる。第1回目は天下の「くまざわ書店」の社長の 目に留まり、銀座店での常設が実現した。売れたためしはないが、銀座の真ん中にわ たしの絵が1年中かかっているのだ。凄いことである。もちろん今もかかっている。 第2回目では、前を通りかかったH氏が2度3度と来場され、とうとう1点買ってく れた。第3回展は、そのH氏が画商N氏をともなって初日早々現われ、会場の外で飾 り付けを待っているという熱心さ。汗顔どころか、体じゅう汗びっしょりである。 その数日後、5分ほど遅刻して会場に着くと、なんと、日本橋東急美術部のK氏がわ たしを待っていた。わたしは夢かと、体じゅうの血が引いた。 あとはご存じのように、K氏からお電話をいただく前にテレビや新聞で東急日本橋店 の閉店を知った。 現実はドラマよりすさまじい。

棟方志功はマル 98.10.4

わが町田市には美術館がある。その名も国際版画美術館! でかい名前を付けたもの だ。企画展は版画中心。ときおり面白いのもやる。昨日から棟方志功展が始まった。 初日は無料観覧日である。何とか時間を作って30分ほど見た。30分だからざっと である。全体の印象:「棟方志功はマル」。「マル」というのは無論「いい」という ことだ。伝記や人柄はほとんど知らない。作品だけを見ての感想である。 第一に人物が描けている(彫れているというべきか?)。裸婦が描けるということ。 つまり肉が描けている。まずこれが立派である。もっと偉いのは絵に媚びがない。こ れは希有のことである。 ふつう絵描きはついついぱっと見て見栄えのする絵を描いてしまうものだ。よく見る とつまらない絵である。長く見ているとうす汚くなってくる。ロクでもない絵だ。世 の中はこういう絵で満ち溢れている。絵を知らない「専門家」や「愛好家」がそうい う絵を絶賛し、「後世に残る」だとか「プレミアムが付く」などと寝言を言ってい る。ばかばかしくて話にもならない。 棟方は本当に残る。見事に己を全うしている。 しかし、止まらない毒舌で一言言わせていただけば、絵に空間がない。酷い近視だっ たから仕方ないが、そこが悔やまれる。しかし作品の厚みは十分あり、もちろん民芸 品の域は遥かに超えている。世界でも十分通用すると思う。

なかなかできない『絵の話』 98.10.11

たまには『絵の話』もアップしたい。しかし、なかなかできない。長谷川利行の特集 を考えているが、水墨画のぶどうの絵の比較もやりたい。ぶどうは秋の果物なので、 時期的にもぴったりである。また、この前の「新日曜美術館」に即してルーベンスや レンブラントの本当の画技をお見せしたくもある。さらに、早く上野の「クロード= ロラン展」に行き、クロード=ロランの素晴しさもご紹介したい。今日は「新日曜美 術館」で佐伯祐三をやっていた。佐伯の話も画像付きでしたい。切りがない。しかし なかなかできない。始めればけっこう簡単なのだが、構想ばかりが膨らんで、実行に 移れない。情けない。70%の出来でも更新してしまえば勝ちなのだが、どうしても 120%ぐらいの記事を期待してしまう。根が図々しい。来週当たり何か出来るで しょう。それから等迦会の100号も描かなければならない。 ところで、オッサム・ワールドの「超高画質複製画に賭ける」や「絵はがきプレゼン ト」を多少リニューアルしました。大した変化はありませんが、実は1日掛かりでし た。

行くところまで行く「心・技・体」 98.10.18

絵描きの偉いところはなんと言っても絵を描くところである。絵を描くから絵描きな のだ。たとえば、富岡鉄斎やティツィアーノは90歳まで絵を描いた。しかもずばぬ けて美しい傑作である。ここが凄い。 絵は理屈ではない。行動であり、事実である。観念ではない。実体である。 ティツィアーノは大ボラ吹きだったという。年齢を多く誤魔化して、年寄りの振りを し、諸国の王様や貴族を騙しては金などをせしめていたらしい。しかし、ティツィ アーノが90歳で筆を持ち、大画面と戦っていたというのは本当である。これは凄い ことだ。しかもその絵が美術史上に輝く神品なのだから驚く。40歳、50歳のとき の絵よりもいい。誠に不思議である。究極の「心・技・体」である。口で何と言おう と問題じゃない。 富岡鉄斎は耳が不自由であった。何も聞こえない。自分は絵は素人だと言い続けた。 しかし、あれだけの仕事をした。誰も真似の出来ない美しい絵を山ほど残した。プロ の絵描きではないと本人が言うのだからそうなのだろう。しかし、間違いなく本物の 絵描きである。絵描きのなかの絵描きである。絵描きとは「絵を描く人」のことだろ う。それなら、富岡鉄斎こそ絵描きそのものである。鉄斎も限界まで「心・技・体」 を究めた超人だと思う。 相撲の「心・技・体」はせいぜい35歳頃で限界だが、絵画の「心・技・体」は行く ところまで行く。最後の最後までよくなる。ミケランジェロの85歳の頃の「ピエ タ」も凄かった。あれは絵ではなく彫刻だが、彫刻も凄い。絵も彫刻も天まで届く勢 いである。 ああいう凄いものがこの世にあるなんて、まったくこの世は素晴しい世の中だと思 う。

「電波少年」を賛える 98.11.8

最近の「電波少年」はたいへんよい。日曜夜10時30分、日本テレビ。ほとんど毎 週見ている。売れない若手タレントを使ってヒッチハイクの無線旅行をさせるという 残酷な企画。初代は猿岩石という変な名前のお笑いコンビだったが、NHKの朝の連 続テレビ小説(たしか「天うらら」?)に出演するまでに出世した。 現在パンヤオというコンビがアフリカの喜望峰からスカンジナビア半島の北の果てを めざしてがんばっている。もう少しでゴールだ。他に、素裸の「なすび」という若手 タレントが懸賞だけで生きられるかと日夜ハガキを書き捲るという企画もある。百万 円分の懸賞がもらえれば達成だが、食い物一切を懸賞で賄わなければならない。ア パートの一室から外へ出られない。ただしエアコンだけは初めから付いている。もう 少しで残り30万円を切る。3番目の企画はロッコツマニアというこれまた変な名前 のコンビがどこともしれない無人島(実は瀬戸内海の島)でしばらく生活し、無人島 を脱出したらば、今度は山中湖の足で漕ぐ白鳥のボートで瀬戸内海から東京まで海上 の旅。続いて今、東京から仙台までさらにスワンの旅を続けている。 どれもとにかく感動の名場面が続く。悪役は、過酷な企画を次から次と指令するディ レクター。応援役の松本明子も邪魔になってくる。 中学生の間で大人気の番組だが、どんな教育番組より優れていると思う。パンヤオが 5日間も何も食べず、それでも精力的に仕事を探す姿は実に感動的である。

今日、サスキアに会う! 98.11.11

今日は新宿へ行った。ついでにサスキアに会った。すなわち、伊勢丹のレンブラント 展に行った。 やっぱりレンブラントは凄い。ゴッホがレンブラントの絵を見て「この絵は炎の手に よって描かれた」と言ったそうだが、本当に一筆一筆に思いが込められている。いい 加減なタッチはどこにもない。色を付ける、画面に絵の具を有機的に生き生きと躍動 させるその技は並外れている。もちろん技は感情のない技法ではない。熱い情熱が生 み出す描くという作業そのものへの汲み尽くせない喜びである。しつこいほどの激情 である。どこにもないレンブラントのリアリティ、レンブラントの写実。一筆たりと もなおざりにしない丹念な筆触が創り出す真似のできない現実。 「レンブラントは世界に一人も絵描きのいない大昔に生まれても、必ずきっと最初の 絵描きになっていただろう」とも言われたが、誠にそういう筆使いである。 サスキアもよかったが、自画像もよかった。 同時代の他の多数の絵もある。絵は古ければいいというものではない。レンブラント だからいいのだ。この手の展覧会ではそういうことがよくわかる。 他に、ルーベンスの小品が一枚、ヴァン=ダイクの80号ほどの肖像画が一点あっ た。これらはもちろん光っていた。画面に隙がなく、ピッチとしている。 会場にはわたしより10年ほどはご年配のご婦人が大勢おられた。耳にはさむ会話は みなさん絵をお描きのようである。驚くべきパワーである。レンブラントから技法を 盗もうというような方もおられた。意欲は認めるが、己を知るということも、ときに は必要なのではないだろうか?

クロード=ロラン展に行く! 98.11.24

やっと昨日クロード=ロラン(1600〜1682)展に行った。ターナー(1775〜1851)の惚れ 込んだロランを十分見せていただいた。それにしてもターナーとロランは175年も の年齢差がある。ここにこうして書き出して見ると改めて驚く。われわれの感覚は けっこうごちゃ混ぜになっている。 わたしが期待したのはデッサンである。タブロー(ちゃんと仕上げられた大きな絵) は、けっこう弟子が描いているし、ワンパターンの技法で案外つまらない。しかしも ちろんタブローも十分楽しい。何と行ってもかのターナーが惚れ込んだ作品群であ る。風景画の見本だと思う。ロランのような風景画を理想風景画というらしい。理想 境を描いたからだが、われわれから見ると、理想的な風景画だから理想風景画と呼び たいぐらいだ。 それにしても、どれも同じように見えてどうもつまらない。数年前マルケ展に行った ときもつまらなかった。マルケ(1875〜1947)は、若いときにマチスなどとフォー ヴィズム運動をやったが、激しい原色は使わず、中間色のやさしい絵を残した風景画 家である。もちろんいい絵である。しかしつまらない。 どうも風景画はつまらない。わたしが若いころは、どうしてマルケやロランの画集が 出ないのだろうと不思議に思ったが、昨日やっとそのわけがわかった。すなわち、つ まらないから出ないのである。喰う、ということはつまらないことなのだ。「喰う」 とは、金にするということ。「売り絵」というのとは少し違う。もっと本物である。 しかし、十分つまらない。ロランだから詐欺のようなインチキな売り絵ではない。 ちゃんと精魂こめて描いてある。空間も質感も立派。国立の美術館に十分入る絵。し かし、それでもやっぱりつまらない。喰うための仕事、生活のための作業、利潤を生 み出す生産というものは往々にして退屈でつまらないものだ。売れるものを間違いな く作り続けるというのはたいへんなことなのだ。 これがターナーとなると、楽しい。おそらく人間性の問題だと思う。ターナーという 人が面白い人なのだ。面白いというのはヒョウキンというのではない。いろいろなこ とに興味を示し、飽きが来ない人間という意味である。ロランはどうも頑固一徹とい う感じがする。有名な「真実の書」という版画(エッチング)のシリーズは、哲学的 な意味ではなく、自分のタブローの贋作が多いので、タブローを版画にして本物の証 明に使ったらしい。これを真似てターナーは「研鑽の書」というエッチングのシリー ズを作った。どうもターナーはちょっと間が抜けていて、かわいい。しかし、ター ナーには並外れたエネルギーを感じる。ロランは杓子定規で律儀な職人というイメー ジを受ける。スケールが小さい。やっぱりターナーのほうが面白い。 そうすると、ロランの魅力は何か。厳格で隙のないタブローに隠れた人間性を探りた くなる。それは、デッサンに見ることが出来る。タブローを構成するために下絵とし て描いたデッサンではなく、自然をそのまま描いた写生のほうである。わたしはこれ が見たかった。弟子の絵ではない。ロラン一人の感動が焼き付いている。ロランに限 らず、デッサンは誰のデッサンでも興味深い。ルネサンスやバロックの巨匠のデッサ ンは特に貴重だと思う。タブローより価値がある。デッサンにこそ画家の意匠が見ら れるからだ。 この話は始めると切りがないからそのうち「絵の話」のほうで、じっくりやってみた い。わたしのスーパークロッキーの意図もここにある。もう少しだけ、ここのところ をしゃべらせてもらうと、……面倒なので、木内克(1892〜1977)という彫刻家の言葉 を引用しておく。   デッサンは彫刻より自由で、より純粋だ。これは私の経験としても実感している   ところだ。私はロダンの彫刻が、彼のデッサンが到達し把握している世界を表現     していたなら、一段とすごかっただろうと思う。   彫刻には彫刻をするうえでの制約がつきまとう。時間、素材、そして彫刻家とし   ての常識や習慣など……。自然を見る時その人の人間としての積み重ねのうえ   で、虚心に見ることが出来ればいいのだが、彫刻家としての理屈や常識できめて     見がちだし、それに動かされやすい。彫刻家としてはある意味では当然ともいえ   るし、それも悪いとだけはいえないが、デッサンは自然そのものから学びとるも   のと自己との結合がより直截で、激しく純粋である。仕事としては彫刻の方が重   みがあるとしても、感覚的にはデッサンのほうが進んでおり、作者の精神の深奥   に、より近づいている。更にいうならば、デッサンよりも、それ以前のロダンの   精神のほうが、なおすばらしかったろうと推測されるのだ。逆説的にいえば、ロ   ダンは「ロダンの彫刻」に邪魔されているとさえいえそうだ。……(後略) しかし、重大なのはロダンの精神であり、そのロダンの精神を培ったものは、制約が 付きまとい、手こずる彫刻の大作だったと思う。つまり、あの彫刻がなければ、あれ だけ自由なデッサンは生まれなかったろうし、当然そのデッサンを生み出す精神も育 まれなかったわけだ。 ところで、ロランのデッサンだが、もちろん十分素晴く、ロランの技量と人間味が溢 れ出ていた。

ルオー回顧展 98.12.5

いま、新宿西口の安田火災ビル東郷青児美術館で「ルオー回顧展」をやっている。確 か23日まで。絶対お勧めの美術展である。特に絵を描いている人。なかでも若い 人。是非見てください。 20年ほど前に読んだルオーの本にドガとの出合が語られてあった。ドガは、ルオー の師であるモローの友達だった。モローが亡くなった後できたモロー美術館をドガが 訪れたとき、出口付近にモローとは画風の違う絵が掛けてあった。ドガが目に止め、 館長に尋ねると、「それはわたしの絵です」との答え。ドガがその「東方の三博士」 をじっと見つめていると、館長は「そんな絵はダメです。人真似です。巨匠の寄せ集 めです。博士はデューラー調、キリストはレオナルド調、全体の調子はレンブラント 調です」と言った。するとドガは「影響されることは悪いことじゃない。お父さんと お母さんのいない子供はない」と独り言のように語った。この館長がルオーである。 絵が売れなくて生活に困っていたルオーはモロー美術館の館長という職をもらってい たのだ。 今度来ているルオー展にこの「東方の三博士」はないが、この話に出てくるような 「ピエタ」が来ている。また、いま上野の西洋美術館でやっているクロード=ロラン 調の風景画もあり、実に興味深い。

唐の女帝・則天武后とその時代展 98.12.5

等迦会で、またまた自分の絵の乱暴さに深く反省しながら、ふと見ると、同じ都美術 館でよさそうな中国美術展。切符を買う前に表の売店のカタログを見ると目を見張る 仏像群。「これを見ない手はない!」12月20日まで。この後、神戸、福岡、名古 屋と廻る(ついでにわたしの乱暴な絵も名古屋、大阪と廻る)。ズイ(中国王朝名の ズイ。こざとへんに「惰」の右側)、唐の仏像は日本の奈良の仏像の原形である。そ の美しさはとぎれとぎれに画集などで見て知っていた。ズイのいい作品が一つ日比谷 の出光美術館にもある。それが大挙して本場中国から来日している。こういう展覧会 を見ない人物画家はもうすでにインチキである。 1100円はちっとも高くない。2300円のカタログも買った。こんな素晴しい彫 刻集はない。借金生活でもやっぱり買う! 第一顔がいい。抜群の素晴しさ。ミケランジェロよりいいと思う。こんなにすごい彫 刻群を全然宣伝しない東洋人というのは馬鹿なのか謙虚なのか? ヨーロッパ人がや たら宣伝上手なのか。とにかく東洋には驚くべき美術がいたるところに隠れている。 この前テレビでお寺の鬼瓦を作っている職人さんの話をやっていたが、その職人が江 戸時代の鬼瓦を見て感動している場面があった。若い職人には一切なにも教えない。 自分もこうやって昔の仕事を見て腕を磨いてきたという。東洋の不思議な修業法であ る。手取り足とり教えればいいというものではない。自ら求め、探し、苦しみ、自分 でやってみる。こういう芸の世界もある。遅々としてほとんどまったく進歩は見えな い。何が何だかわからない。五里霧中。混沌のなかでただひたすら描き続ける、作り 続ける。何年も、何十年も。しかし、ある日突然、霧は晴れ、混沌が条理を見せる。 目覚めである。これこそが「わかる」ということなのだ。しかし、その次の霧がまた 襲ってくる。結局誰もが皆修行者である。この世は巡礼である。

わたしのインターネット時間 98.12.13

わたしのインターネット時間は毎日2分前後である。自分のページのアクセス数を見 て、美慶さんのページを見て終わり。メールなどで新しい方が訪ねられたときは、そ の方のページを見る。美慶さんの掲示板は長いときは1〜2分では読み切れない(わ たしは超遅読である)。だから電話を切ってローカルでゆっくり見る。 ところで、わがページのアクセス数だがここ2週間やけに多い。4月から1週間に 100を超えたのは4回しかないがここ2週連続100を超えた。ちなみに4月から のアクセス数は3000を超えているが、この3000には自分のアクセスもあるの で実質2800というところだろう。1997年2月から数えれば8000ぐらいに はなっていたかもしれない。最初のころはアクセス数が多かったのだ。 この12月15日にインターネットのイエローページなる本が出る。そのなかにわた しのページも載せてくれるらしいから、もしかするとまた少し増えるかもしれない。 がんばって画像つきの話を作ろう!

「絵」という言葉 98.12.14

「絵」という言葉は「え」と読む。または「かい」と読む。わたしは「え」は訓読み (和語)で、「かい」は音読み(昔の中国語)だと思い込んでいた。ところが、つい 最近「え」は音読みであると知った。「かい」はもとより音読みである。すると絵を 表わす和語がない。大昔の日本人は絵を描かなかったのか? ばかばかしくも「図」とか「画」なども漢和辞典で調べてみる。もちろんどれもすべ て音読みである。どうしても絵を表わす訓読みがない。言葉がないということはそう いう概念がないわけだから大昔の日本には絵がなかった理屈になる。絵画を持たない 民族か。われわれはそういう民族の末裔なのか。ちょっと寂しい。がっかりする。 ま、大した問題じゃない。数日ほったらかしておいた。 ある朝ふっと気がついた。もともと日本に文字はない。大昔の日本人が「かく」とい うというときはすべて絵である。文字がないのだからことさらに絵という言葉は要ら ない。かくといえば絵に決まっていたわけだ。「かく」という言葉はもとより和語で ある。だから大昔の日本に絵がないという理屈はない。「かきもの」といえば、それ はすべて絵であったにちがいない。何だか少しほっとした。 ……と柳田国男ゴッコで遊んだ1週間でした。  

富士山に行く 98.12.20

9月ごろ頼まれた富士山の絵はいまだにできていない。赤富士とのご注文だからカド ミウムレッドで殴り描いたが、どうも納得が行かない。 とりあえず、車にわたしの絵を20枚ほど積んでご依頼主の住む豊橋に向かった。そ れが9月の末である。お会いして話してみると絵のことはほとんどご存じないが、 富士山にはすこぶる詳しい。見る方向、季節、時間。油断ならない博識である。わた しも多少調べてからお目にかかったのだが、敵は実地に何度も見て足で固めた知識で ある。とてもかなわない。 だいたいわたしは富士は静岡県から見るものと思い込んでいた。ところが富士の一番 美しい姿は河口湖からだという。それも、河口湖大橋を渡ってちょっと右に入ったと ころ。……そんなこと知るか! 知っててたまるか! と言いたい。 そのうえ、そのご婦人のお宅の玄関を見てさらに驚いた。その玄関に飾るというので 是非拝見することになった。たいへんなお宅である。完全な木造注文住宅。 「この木は杉ですか」 貧乏人が馬鹿な質問をしたら、 「この家の木はすべて桧です」と来た。 こんなに太い桧をふんだんに使って、玄関だけでもわたしのアトリエよりずっと広 い。2倍は軽くある。天井も高い。 「この家は畳の下の床板も桧です」 だいたい外から見たときに普通じゃないとは思っていた。蔵みたいな家なのだ。屋根 の瓦だって奈良のお寺みたいだ。欄間などのちょっとした細工もよく見ると手が込ん でいる。天井の隅の見過ごしそうなところなどにも竹の細かい細工がしっかり施して ある。 ―これは偉いことになった。ハンパな気持ちでやったのでは建物に負けちまう。い や、これはもう勝てない。負けよう。 ―しかし待てよ。この不景気に32万円の仕事を失うわけにはいかない。不景気とい うのは世間が、じゃなない。世間もかもしれないが、そのずっと前にこの俺自身がメ チャクチャ不景気なのだ。 ―負けたって何だってやるっきゃない! まず、じっくり富士山を見る。御殿場に行く! 下見は山中湖でごまかした。朝はダメだから夕方の赤富士でかたずけよう。こういう 精神がいけない。寒いばかりで赤富士どころか黒富士である。ああ、ばかばかしい。 貧乏人の銭失い。まことに世の中甘くない。 というわけで、昨日は一泊覚悟で河口湖に向かった。河口湖は遠い。遥か彼方であっ た。山中湖より人影も少ない気がする。やっぱりこれだけの道のりだとみんな足が遠 のくのか。しかし、富士山は美しい。頂上の幅も狭からず広からず、両脇のカーブも 見事である。この前は富士山なんて八の字を描いておけばいい、などとうそぶいた が、見る方向でカーブは全然違う。静岡県からの表富士は右に宝永山が出っ張ってい て、あれはあれでなかなかいいと思っていたが、河口湖から見るカーブはまことにな だらかでスマートだ。横山大観もここから見ている。大観の富士の絵は売り絵だと 言って前にけなしたが、ちゃんと写生しているらしい。昔は自動車もないからここま で来るのは大変だっただろう。深く反省します。 夕方の赤富士に期待したが、ここも黒富士。淋しく民宿に戻る。とにかく淋しい。涙 が出るほど淋しい。テレビも映りが悪い。1時間ごとにいちいち百円入れなくてはな らない。これも今どき珍しい。しかし、執念深く百円を入れ続ける。それでも民宿の その部屋は2階で眺めは最高。富士山が真正面にしっかり見える。明日の朝は日の出 の前から起きることになる。早めに寝ようと思いつつ、気がつけば11時。ま、もう すぐ冬至だし、夜明けは遅いか。切羽詰まった貧乏人のくせに相変わらずの太平楽。 とりあえず6時に起きてみる。夜中には真っ暗だった西の空に富士の影がちゃんと見 えている。ヤバイ! 跳び起きる。 わたしは起きると水を浴びる。真冬でも励行。父親の遺産である。そろそろ年寄りの 冷や水になってきている。外の車は霜だらけ。冷水が応えたはずである。いい加減に 霜を払って湖畔に向かう。河口湖は目と鼻の先。 まだ夜明けには間があるが、けっこうちゃんと見える。手元は暗いが一枚やっつけ る。安もんのコートだが2枚着たので、案外あったかい。 目の前に本物の富士山がある。すごい迫力。鳶が飛んでいる。鷲かもしれないし、鷹 かもしれない。とにかくそういう奴。大空から旋回して薄黒い富士の裾にかかると、 大きな鳥が裾野に飲み込まれて雀のようになってしまう。富士山が俄然大きく実感で きる。ものすごいスケールだ。 とにかく、周りは普通の世界なのである。道路があり、橋があり、釣人がいて、水鳥 が浮かぶ。夜明け前の街の明りがあちこちにまたたく。そのまま目を上に向けると突 然レベルを超えた大自然の脅威が立ちはだかる。山頂だけ見ているとぞっと恐ろしく なる。すさまじいものが突然生えている感じ。そのアンバランスはやはり巨大な恐怖 である。後ろを振り返れば、日本中どこにでもある長閑な山合いの景色なのだ。マラ ソンの人もいれば犬の散歩をしているお年寄りもいる。 しばらくすると、ドラマが始まった。 その美しさは絵にも描けないし、ここに綴ることもできない。刻々と変わる山容とは このことか。山頂のところで雲がダンスをしている。雲は次々と衣装を替える。徐々 に明るくなる。広大な裾野が正体を表わす。想像を絶する大きさだ。まさしく地球の 出っ張りである。 富士山は一瞬嘘のように赤くなった。赤富士は一瞬で終わる。信じられない美しさで ある。この世のものとは思えない。こんな景色があるものなのか! 少し間を置いて太陽が上ってきた。ドラマははかなく終わった。 民宿へ戻り、朝飯を済ませて帰路につく。西湖を回り何度も車を止めて富士山を確か める。陽が上り切ってからの富士もやっぱり美しい。いろいろな角度から見たが、河 口湖の富士は絶品かもしれない。 もちろん絵の出来はロクでもない。あんな一瞬が描けるわけがない。あんなデカいも のをキャンバスに収められるだろうか。無理である。しかも、空気遠近法で言えば富 士山なんて空である。空を描けるわけがない。空ばかりキャンバスいっぱいに描くの だろうか。 とにかく、富士山はすごい。言語に絶している。はみ出ている。やっぱり八の字を描 くしかないのかもしれない。

最初のページ