小さな話 第1集

第2集   第3集

テレビ番組―最近のヒット作

98.8.1 「絵の話」が画像入りになったので、絵の話ばかりになった。「絵の話」なのだから 絵の話ばかりでいいのだが、ちょっとつまらない。もっと他の話を自由にしゃべろう ということで、さっき風呂のなかで思いついたのが、この新企画。 98.7.26 NHKスペシャルの「海―知られざる世界」は面白い。第4集は深層海流の話だが、 そこに出てくる大洪水の話は興味津々。古代の洪水伝説が荒唐無稽な作り話ではない ということが察せられた。すなわち、氷に覆われた火山が大爆発をするなど。アメリ カの五大湖は大洪水の名残とのこと。 また、南極だかグリーンランドだかに管を埋め込んで、氷の筒を取り出し、数十万年 にわたる地球の気温を調べたグラフは圧巻である。地球の気温が安定したのはここ1 万年だけ。それまではそれこそ数年単位で寒かったり暑かったりで、あんなに気温が 不安定では今のような文明など生まれようはずもない。今の全世界に及ぶ人類の繁栄 は地球の気象が生み出したものだったようである。ちなみにNHKではあまりこのこ とに触れていない。 わたしは超古代文明にはずいぶん興味があったのだが、あの気温グラフで見る限り、 どうも超古代文明はあまり期待できそうもない。ちょっと寂しい。ま、これは逆に言 うと、このわれわれの文明が地球史上唯一最大の文明であるということなのだろう。 気持ちを新たに、わが人類の最大の文化を継承しようではないか!

もうこのままでいい

98.7.29 また例の古本屋に行く。某日本人画家の展覧会のカタログが600円。画集としては 小ぶりだが、代表作がほとんど網羅されている。『少年H』の筆者が支持した国民的 な人気を博する洋画家である。 600円なら買ってもいいかと、つくづく見てみると、驚くほどつまらない。昔は もっとうまい絵描きだと曳かれた時期もあったが、信じられないほど酷い。上の段に ドガのパステル画の画集(古書でも1万円以上)があったからそっちを見たら、なお さらその日本人画家の酷さが際立つ。チャチで見られたものではない。絵に対する根 本的な姿勢がなってないのだと思った。もしかしたら、2人の精神の構造には本の値 段ぐらいの格差があるのかもしれない。 絵で飯を食う。絵が売れる。人気が出る。羨ましいが、こんな絵で一生が終わるな ら、今の暮らしでも自分の好きな絵を追及していたほうがいいと感じた。 98.8.2 また、昨夜、富士山を描く3人の老画家の映像をNHKの深夜放送で見た。80歳を 越える洋画家と日本画家と版画家が登場した。結論から言えば、3人の作品は目を見 張るほどのものではない。洋画家の絵はむしろよくない。酷い絵だった。しかし、3 人のなかでは洋画家が一番金持ちのようだった。なんとヘリコプターで富士のアング ルを探している。たかが絵を描くのにヘリコプター。遭難者がいるわけではないの だ。いったい何を考えているのか。おそらく絵が売れているのだろう。あんなインチ キな売り絵をン百万円も出して買う人間がいるということだ。描くほうも買うほうも 信じられない低能児である。絵について、現代日本国の程度の低さは言語を絶する。 全然絵がわからない国民である。あれが売れるのではわれわれの絵が通用するわけが ない。あんな絵を描かなければ売れないのならもう売れなくてもよい。通用しなくて もいい。絵を描きながらなんとか生きて行ければいい。このままでいい、と心の底か ら思った次第である。

コロッケに感動!

98.8.7 実はわたしは今夏休みである。1日中やることがない。本当を言うと自営業なので、 やることはいっぱいある。限りなくある。経営者の立場で考えれば、休みなどとんで もない話だ。仕事だらけなのである。書類だらけの机を何とかする。汚れた壁を何と かする。剥がれた床を何とかする。宣伝方法、宣伝文句を考える。さらに絵の関係で 言えば、銀座のくまざわ書店へ行き絵を掛け替える。新しい絵ハガキを納品する。そ のために、透明な袋に貼るシールを作る。中に入れるお知らせの小さなチラシを作 る。その文句を考える。まだまだ細かい仕事はいくらでもある。しかし、わたしは労 働者でもあり、しかもそのうえ、相当の怠け者でもある。だから、ヤ・ス・ム! というわけで、朝一番に綿密に新聞をチェック! もちろんテレビ番組である。隅か ら隅まできっちり見回す。 あった! 「徹子の部屋」のゲストがコロッケである。今日は午後1時20分に的を絞った生活 設計を立てる。もっとも、その時間までこのパソコンで将棋をやっているだけであ る。少しキャンバス地塗りもしたけど。 はたして、コロッケは素晴しかった。番組の出来も期待通り。たっぷり物まねを堪能 した。感想。「コロッケなら飯が食える」。いや、コロッケをおかずに飯を食うとい う話ではなく、コロッケほどの芸があり、あれだけ熱心に物まねを研究していれば飯 が食えるということである。絵描きはインチキが多いが、コロッケはちゃんとがん ばっている。あれなら人気が廃れない。 その後最低限の仕事をして、町田の本屋に行く。2000円ぐらいまでなら買っても いいとちゃんとお金も持った。断じて立ち読みではない! しかし、結果として立ち読みになってしまった。ターゲットは立花隆の「インター ネット何とか」(ミケランジェロの絵が表紙の本)。それから池田清彦の「正しく生 きるとはどういうことか」。池田さんは生物学者なので、おそらく、生理的に正しく 生きる方法が書いてあるのだと思う。たとえば、働きすぎはいけないとか、ぐっすり 寝たほうが長生きするとか。おそらく怠け者に都合がよいことが書いてあると勝手に 推察している。この本は読んだらここで報告します。 それから、98.7.26に書いた10万年にわたる地球の気温グラフを発見。実はこれを ずっと探していたのだ。あの氷の筒はグリーンランドが正解だった。やはり、ここ1 万年だけ安定している。それ以前は変動が激しい上にだいたい気温が低い。生きてい るのがやっとという感じ。もっともわたしの場合、この文明社会でも生きているのが やっとなのだから情けない。早く池田清彦さんの本を読んで正しく生きよう!

100円のプライベートプール 98.8.14

もうじき終わってしまうという恐怖感に苛まれながら、わたしは今最後の夏休みを満 喫している。公共の宿だが、旅行も行った。川遊びも、海も行った。今日は掃除をし て、夕方からプールへ行く予定。隣町の公共の野外プール(25m)だが、なんと午 後5時からはわたし独りしか客がいないのだ!(しかし6時まで)20分に10分休 みという信じられないお役所プールであるが、プライベートプールというのは凄い。 しかも2時間100円。40分間泳ぎ続ける。それでも1000mと少し。もう歳だ からいい加減にしておく。ここはインターネットだから、上のプールのような情報は 詳しく場所や電話番号をお知らせしなければならないのだろうが、お知らせしちゃう とわたしの楽しい遊び場が減るから内緒である。ゴメン。

社会問題 98.8.15

世の中の喫茶店のコーヒーがどこもみんなまずくなった。これは社会問題である。今 日は携帯のポットにコーヒーを入れて出かけた。超不便である。まず、ほとんどの町 のコーヒーがエスプレッソになってしまった。300円までの安いコーヒーなら我慢 するが、500円前後でも平然とあれを出す。ずうずうしいのではないか?  エスプレッソより酷いのは色が着いているだけというのもある。お湯のがまだうま い。ちなみにわたしはお湯がかなり好きである。あんなものに300円なり400円 を要求するのは詐欺だと思う。行政改革よりも、衆議院の解散よりも、絵画の販路革 命よりも、わたしはまずコーヒーの適正味覚改革を望みたい! ちゃんと普通のコー ヒーを煎れても原価50円ぐらいだと思うのだが。 豊橋市庁舎前の「五輪の書」というヘンな名前の喫茶店のコーヒーはちゃんとおいし かった。しかし、接客態度は悪いというより、ビョーキ状態。気にしなければ我慢で きるが、フツーではありません。 ところで、昨日のプールはけっこう込んでいました。それでも子供を掻き分けて 1500m泳ぎました。まことに申し訳ありませんでした。

政治の話 98.8.16

堺屋太一という人が今テレビに出ていた。今度経済企画庁の長官になった(らし い)。こんなところに文句を書いても仕方ないのだが、あんまり馬鹿なので、どうし ても書きたい。一番頭に来た台詞は、新しい内閣に期待が持てないという意見に対し て、「今日本の経済はどうしようもない悪い状態で、一国の問題である。一内閣が悪 いかどうかなどいう問題ではない」と来た。暴力団の組長のような風格の橋本さんに 文句を言うのは怖いが、あの馬鹿が調子に乗って消費税を上げたから今の不景気が来 たのだ。はっきりわかり切ったことである。その同じ体質の内閣を臆面もなく続けて 何が新内閣だ。ふざけるなと言いたい。自民党は終わったのだ。諦めなければいけな い。いま潔く諦めれば生き残りのチャンスもあるし、百に一つ再生のチャンスもあろ うものを。根本的な馬鹿。権力がそれほど欲しいか。屋台骨のない権力である。何か 平家の最後みたい。武士が公家の真似して、化粧なんかしてるから、厚化粧ともども 首が飛ぶ! ちゃんと歴史を勉強しろ! だいたい政治家が金を集めるシステムには無理がある。金は商人に集めさせて、そこ から税金をとるのが一番いい方法なのだ。恒久減税などといって金持ちの税金を減ら すのは馬鹿である。集金能力のある天才から税金を貰うのが一番いいに決まってい る。儲かっている人間は税金なんて庇でもない。金を稼げる奴は、ちゃんと払うもの だ。絶対大丈夫。ダメなのは二代目。親の金で遊んで暮らしたい奴。こういう奴を貧 乏人に墜落させるのが日本の税システムだった。それが恒久減税とかいう馬鹿なもの で、非生産、放蕩人間を生き延びさせようという。働かない奴は貧乏になるに決まっ ているではないか! 今までの日本の税システムのどこが悪いんだろうか? 世界の見本である。一番いい 国は日本だった。何が「欧米の税システムを鑑みると」だ。ちゃんとうまくやってき たではないか。人類史上最高の税システムだった。景気だって世界一だった。消費税 は消費を冷やす元凶である。消費税がなくなれば、景気はすぐに回復する。稼ぐのが うまい人にどんどん稼いで貰って、そういう人たちから税金をいただく、これが最高 の税制である。消費税なんかが威張っていたのでは勤労意欲がなくなってしまう。加 藤とかいう白髪頭の税の専門家が馬鹿なことをしたのだ。「消費税を始めなければ、 日本の将来はない」 ? ふざけるな。将来よりもたった今の日本がなくなるではな いか。だいたい政治家でも宗教家でも三流のインチキ野郎は必ず将来の不安で人心を 引く。一流の本物は今を語る。あんたに心配して貰わなくても将来は自分で考える。 口先だけの誤魔化しをしゃべるなと言いたい。 しかし、今のわたしの営業成績が悪いのは自分のせいです。政治のせいではありませ ん。わたしの責任です。しかしわたしは絶対に復活します。 馬鹿野郎! 負けてたまるか。人生とは喧嘩である。

ミロ展に行く 98.8.14

日付が前後するが、家族でミロ展に行った。妻と高2の長女、中3の長男、計4人。 愛知県の豊橋市は家内の出身地で、その市立美術館でやっていた。ほとんど観客のい ない絶好の鑑賞環境である(プライベートミロか?)。 ミロは1893年にスペインのバルセロナに生まれ、1990年、97歳で死んだ シュールレアリズムの巨匠である。抽象的な絵だが、ミロ自身は形を重視した。 わたしのような便利な人間と展覧会を見に行って、誰もわたしの話を聞かない。家族 とは素晴しいものである。中学で「あなたの親戚には絵を描く人が誰もいないのね」 と言われた絵の苦手な長男は「こんな絵俺でも描ける」という陳腐な台詞。一刻も早 く会場を出たい様子。長女は少しわたしの話を聞く姿勢。しかしやっぱり聞くより しゃべりたがる。わたし自身父親に対して同じような態度だったと思う。今思えば、 もっと話を聞いておきたかった。ま、それはいた仕方ない世の常。わたしが語るより ミロが画面で語ってくれるだろう。本物を見せておけば、少しは親の責任も立つとい うもの。絵の厚みとか画面の深みを見るようには言っておきました。 あれだけ描けて形を追わないのが不思議。もしかしたら形が描きたかったのでは? 一流の絵描きは、たいてい歳をとると意地を捨てて形を描くものだが? これだけ立 派なヨーロッパの巨匠の絵を見ると、ますます中国の宋元画は凄いと思う。墨という 不思議な材料にも感服する。やっぱり牧谿は素晴しい。豊穰である。ミロは牧谿を 知っていただろうか?

クロード・ロランの展覧会 98.9.4

17世紀最大の風景画家クロード・ロラン(1600〜1682)の展覧会が上野の 西洋美術館で開催される。9月15日から12月6日まで。耐震改修や新展示室の増 築などで2年間も休んでいた。再開第一回展が『イタリアの光―クロード・ロランと 理想風景展』である。 わたしは以前、「ルーヴル美術館展」にクロードがないことを嘆いたが、あの展覧会 はロココの画家の展覧だったから仕方がない。クロードはバロックの画家である。今 度は絶対大丈夫。たっぷりクロードが見られるはず。特にデッサンに注目したい。大 作は弟子などが奇麗に仕上げた商品だが、デッサンはクロード直筆の作品である。も ちろん大作も楽しみなのだが、デッサンはさらに期待したい。

正しく生きる! 98.9.4

8月7日のコロッケのところで書いた『正しく生きるとはどういうことか』(池田清 彦/新潮社)をやっと読み終え、その本に紹介があった『国家民営化論』(笠井潔/ 光文社)を今少し読み始めたところ。そうとう政治的なので、そろそろ疲れてきた。 面白いがばかばかしい。『正しく…』も買うほどの本ではない。図書館で十分だと思 う。忙しければ読むこともない。 池田氏によれば、「善く生きる」と「正しく生きる」は別なことらしい。「善く生き る」とは好きなことをして生きるという意味。池田氏は昆虫を専門とする国立山梨大 学の教授だから、昆虫採集で虫がいっぱい採れるて、奥さんの機嫌を損ねず、昆虫の 標本を見る時間がたくさん取れること。これが池田氏が「善く生きる」具体的な項目 である。これに、今書いているこの本が上手に書けて売れることというような一項が 付いていたようだ。なかなか愛すべき人物である。50歳にもなって昆虫採集をして いるのが凄い。これをわたしに当てはめると、まず第一に今の赤字経営から立ち直る こと(ここが国家公務員の池田氏と大きく異なる)。次に満足のゆく絵が描けるこ と。女房の機嫌は? ……やっぱり損ねたくない。さらに欲深いことを言えば、悟り が開きたい。もちろん教祖になって一儲けする気はない。当然苦行もしたくない。い つものようにダラダラ暮らしていて「ハッ」とすべての不思議が氷解しないものだろ うか。 ま、それはさておき、次に「正しく生きる」とはどういうことかが書いてある。つま り、「善く生き」さらに「正しく生きる」。お察しのとおり、自分の好きなことをし て、他の人に迷惑がかからないように、という話。中学生が読んだら楽しいかもしれ ない。自分が殺される覚悟があるなら人殺しをしてもいい、というようなことが書い てある。また、倫理や道徳、崇高な政治思想などはみんなフィクションに過ぎない、 などとも書いてある。ばかばかしい。わかり切ったこと。ちょっと程度が低い感じが した。そういうフィクションのなかでどうやって生きてゆくかということが聞きたい のだ。本心をぶちまけると、恥ずかしながらわたしは真理というものはあると信じた い。だからすべてがフィクションという仮定は一度は考えることだが、最後には捨て たい仮定である。虚無、ニヒル。それでも何かあると期待する。ここに魅力があるの だろう。何の魅力か。すなわち生きる魅力である。生きる価値である。少なくとも絵 画において、何百年も昔の絵描きは見事に人間の真理を画面に焼き付けている。 しかし、わたしはこの『正しく…』からでかい収穫を得た。その話はまた次回。

黒澤明 98.9.8

黒澤明の訃報は昨夜の手話ニュースで知った。今朝の朝日の一面に大きく出ている。 黒沢の作品がずらずら書いてある。しかし、肝心なのが抜けている。これだから朝日 は嫌いである。黒沢作品で一番いいのは「用心棒」と「椿三十郎」に決まっているで はないか。それは「七人の侍」も悪くないが、何分にも長い。嫌になるほど長い。映 画は2時間が限界である。できれば90分で収めてもらいたい。朝日はインテリのつ もりか? 肝心な傑作を取り上げないで、何をカッコつけているのか?  しかし、黒澤明には楽しませて貰った。「赤ひげ」など後で繰り返し見るとおかしな ところだらけだ(たとえば、紙の貴重な時代に馬鹿でかい文字で日記を書いたり) が、封切が待ち遠しかった。見ると、やっぱりいい。最初の感動は大きい。原作は山 本周五郎で、黒沢は周五郎の小説を何本も映画化している。あの「椿三十郎」も周五 郎の小説からとったのだ。小説のほうのヒーローはずっと惨めだったが。そのころ は、周五郎の小説もよく読んでいたので、楽しみは倍増した。不評の「どですかで ん」も周五郎の「季節のない街」の映画化であった。わたしは楽しみにしていた。ま た実際楽しかった。黒沢はここまでだっかかもしれない。この後自殺未遂をしてい る。この後の映画でよかったのは、「影武者」ぐらいか。ぎりぎりセーフというとこ ろ。「乱」はつまらないし、「夢」は悪夢だった。「まあだだよ」はいらない。「8 月のラプソディー」は見ていない。ずっと見る予定はない。見たくない。 それにしても、「隠し砦の三悪人」はよかった。三船が両手放しで疾駆する馬に乗る ロングのシーンは忘れられない。「七人の侍」の野武士を斬る場面も凄い。男の色気 があった。戦いは映画で済ませるに限る。 黒沢さん、ありがとうございました。合掌。

5年半ぶりに「公募ガイド」を買う 98.9.12

5年半ぶりに「公募ガイド」を買った。わたしは本業がうまくゆかなくなると「公募 ガイド」を買う。一攫千金で何とか切り抜けようと謀る。ろくでもない魂胆である。 もちろんうまくいったためしはない。 どうせ絵では認められっこないから文章で応募する。初めの頃は絵でも応募した。下 心で胸が張り裂けそうになりながら描く。おかげで、少しましな絵が残ったような気 もする。欲得も使いようではモノになるときもあるらしい。 小説は5本ぐらい書いた。人物往来社の歴史文学新人賞と月間asahiの文学新人 賞の一次までは通過した(5〜8倍の倍率!)。 日本の水墨画の黎明期に活躍した 黙庵霊淵という画人の物語である。図書館に通ってさんざん勉強したものだ。鎌倉末 期から南北朝のこの時代は「中世」というイメージからはかけ離れた、たいへん開か れた活動的な時代であった。中国、朝鮮、日本の間で貿易をとおして信じられないほ どの活況を挺していた。それだけでも調べていて楽しくなる。ま、この物語はそのう ちリニューアルしてネット上に発表する(かな?)。 ところで、「公募ガイド」の話だが、まず驚いたことは、本のあっちこっちにやたら とインターネットのアドレスが躍っていること。何しろまず表紙に、「公募ガイド」 のアドレスがある。本をめくってゆくと、自分のHPをそのまま出せる公募もあった (これもやってみる予定)。 とりあえずは、溜まった「絵の話」をまとめた小冊子で応募してみる。ジャンルや期 限、枚数を問わずに応募できる「本の原稿募集」という公募は5年前までは近代文芸 社一軒だったが、今や十ほどもある。これに応募して、返事を待つ振りをしながら、 まただらだらと秋の長日を無為にすごそう。 ウソデス。ヒッシデホンギョウニハゲミ、カゾクノセイカツヲマモリマスデス。

続・正しく生きる! 98.9.13

98.9.4の「正しく生きる!」の最後のところで、「わたしはこの『正しく生きるとは どういうことか』からでかい収穫を得た。その話はまた次回」と結んだ。だから今回 はその話を書く。 『正しく……』の終わりのところ、最終節の一つ前に「環境は守らなければならない か」という節がある。わたしはこういう話は大好きである。特にこの池田先生のよう に理系でありながら、哲学や政治の話をする人の、環境などの話は実に興味深い。果 たして、期待どおりのお話があった。206ページ「CO2の増大は(中略)長期的に みれば、地球全体の生産量は増大するはずなのである」。世界中の科学者が血眼になっ て説くCO2増大の危機を簡単に一言で解決してしまう。実に面白い。悲しいかな、わ れわれ文系人間には絶対に言えない。前にも森林伐採の危機を理系の人に尋ねたら、 「いろいろ問題はありますが、酸素が不足することはないんですよ。酸素はほとんど 海で作られるんだから」と一蹴された。竹内(均先生=環境問題などで発言の多い物 理学者)さん、そういう前提をまず教えていただきたい! 実を言うと、わたしは自分が死ぬことはしようがないと思っている。もちろん死にた くないが、いつかは死ぬ。これはどうも防げそうにない。とりあえず自分が死ぬのは 諦めるとしても、人類全体が絶滅してしまうとなると、これは納得がいかない。どう しても筋が通らないのだ。イヤである。絶滅して欲しくない。我慢ならない。 しかし、冷静にいろいろな本を読むと人類の絶滅は避けられない自然の条理らしい。 もちろん、ノストラダムスの予言のように来年の7月が危ないという話ではない。人 口爆発があるので10年先は怪しいという節も有力だが、人類は何とか凌ぐと思う。 環境破壊によって数十年先に、人類が絶滅するとは考えにくい。隕石が落ちてくる可 能性もたいへん薄い。また、相当でかいのが落ちても地球は何ともない。人類は危な いかもしれないが、しかし、隕石落下の可能性は薄い。 そういう心配をすべてクリアしても人類は5億年で絶滅する。これは間違いない。太 陽が今の状態ではなくなるからだ。地球の環境は激変し、ほとんどの生物が死に絶え ると言われている。5億年先である。この話が間違えでも50億年先には太陽は燃え 尽きる。終わりである。 しかし、5億年にしても、50億年にしても気が遠くなるような未来である。どうで もいいような、ずーっと先の未来である。もちろんそれでもわたしは納得できない。 仏にすがりたくなる。仏教には未来仏という信仰がある。遠い未来にお釈迦様のよう な方がこの世に現われるという。弥勒菩薩と言う。今はまだ菩薩で、天上界にいる。 地上に降りるときは弥勒仏となる。これが、不思議なことに56億7千万年先という ことになっている。地球がないではないか! 渡辺照宏先生(故人。岩波新書の「仏 教」を書いた)が現代の数えかたで計算すると、現代の5億7千6百万年になると書 いている。それでも待ちきれない。第一救うべき人類がいないことになる。 このイライラを解消してくれたのが池田先生だ。 こういう理系の人は、特に生物学者だからかもしれないが、人類の絶滅など当然のこ ととして全然悩んでいない。生物は絶滅するに決まっているのだ。これを前提として 話が進むから、わたしの苦悩など気にもしていないのだ。もっと別の工学系の人は 「それまでには他の星に行っているでしょう」と来る。何とも気が楽だが、誠にここ 百年の科学の進歩を考えれば、それも荒唐無稽なことではない。また別な理系の友人 の話では、新しいエネルギーは水から取れるとのこと。これは今本気で東京電力が取 り組んでいるというから頼もしい。 ま、所詮人間は瞬間に生きているのであり「瞬間のなかにこそ永遠がある」。どうも こんなところが話の結論らしいのだが、どうもやっぱり悟り切れない。それでも何だ か気分が少し軽くなった『正しいとは……』の読後感なのでした。  

勝手に休んでしまい、申し訳ありませんでした 98.9.29

なかなか本業がうまく行かない。どうもめげる。どうしてもホームページの更新とい う気になれない。ま、現実問題として、例の富士山の絵のことで豊橋まで車で往復 し、かなり疲れ果てたこともあった。とにかくすみませんでした。 ところで、やっぱり、まず生きることが第一である。絵を売って生きるのは不可能だ と思う。まず、普通に真面目に生きなければならない。絵では食えない。何度も言う が、絵では食えない。 この前NHKテレビの「新日曜美術館」で若い女の人が「私たち芸術家は……」など と言っていたが、本気だろうか? 訳の分からないものを作って、才能があるとでも 思っているのだろうか。20代の前半だと思う。つまらないものを世間に発表してい る暇にデッサンでもやったらどうだろう。何にも分かちゃいないで何が芸術家だ!  あんなものを全国放送で流すNHKの気が知れない。レンブラントの絵の片隅だけで も模写して見ろ。芸術家というのがどれほど厳しいものか、ちょっとでも知っていた ら口が裂けても自分が芸術家などとは言えないはずである。 この世に「芸術家」などという職業はない。

最初のページ