No43絵の話1998.4.4更新

鶴と猿の絵

絵画の真実を見る

パクリ!

この2枚の鶴は左が、13世紀後半に活躍した中国南宋時代の禅画僧・牧谿の絵である。

京都の大徳寺にあるたいへん有名な絵だ。右のは大正から昭和にかけての日展作 家・金島

桂華が描いた。

  

小学館の「原色日本の美術26『近代の日本画』」によると、金島桂華の絵は「ギリシャ

の壷の白と黒の対比の美しさにヒントを得た」とあり、最後に「上品である」と結んでい

る。著者はかの有名な美術評論家・河北倫明氏。牧谿については一言も触れ ていない。知

らないのか、あまりにも似過ぎているから避けたのか、そこのところは不明だが、とにか

くじっくり見ると、構図と脚はそっくりそのままである。桂華はこの絵を第9回日展に出

し、この絵で翌年芸術院賞を受けた。

こう書いてから、もう一度じっくり見ると、何となくよく見えてくるから不思議である。

題名は『冬田』という。ちょっと寒そうに見える。しかし、脚は完全なパクリ、模写であ

る。色があるぶんむしろ気持ち悪い。

みんな大馬鹿

この絵に賞を授けた大巨匠たちは牧谿を知らなかったのだろうか? 以前池田満寿夫が「審

査するということは、同時に審査員自身の審美眼を審査されていることにほかならない」

というようなことを言っていた。この名言は、毎週12チャンネルでやっている『誰でも

ピカソ』という番組の審査風景を見ているとよく頷ける。あの審査員の方々の眼力は視聴

者から冷徹に審査されているのだ。

それにしても、金島への授賞は日本画界の不見識をよく象徴している。こんなことは 今だ

にしょっちゅうやっているのだ。描くほうも審査するほうも何にも知らない。わたしは「絵

描きはみんな大馬鹿」と昔から言っているが、まったく情けない。父親が 絵描きだったか

ら子供の頃から絵の世界を見ている。…やっぱりみんな馬鹿だった。

みなさんも絵描きに直接かかわらないほうが賢明である。もっとも、それを知っててなお

絵を描いているわたしは馬鹿のなかの馬鹿、デラックス馬鹿である。ゴメン。

等伯と永徳の鶴

絵は主観の世界だから、客観的な判定はできない。また、図版が小さくて見にくいかも知

れない。 しかし、もう一度、牧谿の鶴をじっくり見ていただきたい。  これは声を絞って鳴いてい

る姿である。実に見事な描写力ではないか。桃山から江戸初期に活躍した長谷川等伯がそっ

くりに模写した下の左の図と比べると、牧谿の描写力がさらに際立つ。羽毛のふくらみや

空間描写が全然違う。そういう目  で比べるなら、桂華の鶴はペちゃんこで話にならない。

あれでは高校生の体育祭のベニヤのアニメキャラである。  等伯とほぼ同時代に活躍した

狩野永徳は声を絞って鳴く鶴を描いている(下の右)。主題は見事に成功しているが、全

体の描写力はだいぶ落ちる。

    

絵画の真実

この牧谿の鶴の絵は三幅対で、鶴は左、真ん中が観音、右に猿の絵を配する。この猿の絵

も素晴しい(もちろん観音も傑作だが、今回は掲載お休み)。等伯は、鶴は模写したが、

猿は独自な画面で挑戦している。上が牧谿、下が等伯。右はその拡大図。

   

     

しかし、やっぱり牧谿の偉大さは歴然である。全体の構図の大きさ(宇宙のように無限に

大きな心で描いたのだろうか)、猿の細かい描写。どちらも問題にならない。もちろん当

の等伯は百も承知である。 日本人は日清戦争では中国に勝ったらしいが、絵画戦争では全

戦全敗だ。もっとも等伯や永徳は初めから戦争などする気はないと思う。だってかないっ

こない。負けを認めて弟子になっている。彼らの絵には牧谿を尊敬する姿勢がはっきり見

える。神様みたいな相手と戦ってどうする。だから等伯の絵も永徳の絵もかわいらしい。

それに対して桂華の絵は不誠実である。新しがっているつもりなのか。新しさとはつまら

ないことだ。重大なのは絵画の真実である。 明治以降の日本の絵描き(特に日本画家)の

矮小さは見るに耐えない。地位や金に目が眩んでいるどころか、それで頭が一杯である。

絵画は自分を売り込むための道具に過ぎない。絵画に対する誠意など微塵もない。ゴミ粒

のようなちっぽけな精神である。あっちのデカさはどうせ大したことはないのだろう。ち

なみに、わたしはまるっきり自信がない。だから、せめて心ぐらいはデッかく持とうでは

ないか。

最後についつい地が出て品がなくなった。どうも金島桂華のように「上品」とはいかない。                    

おわり。

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