No42絵の話 1998.3.30更新

龍の絵大特集

 

第1回 画像入り「絵の話」

 

加山又造の龍の絵

3月22日のNHK『新・日曜美術館』はフランスのノルマンディーで教会を修復す

る日本人画家の再放送だった。このことは前に少し述べた(No38「専門職はあぶ

ない」 )。今見直すと、林檎の絵はなかなかうまい。もっとも、腰を抜かすほどでは

ない。写真を見ながらあんなものを描いて、何が面白いのか、気が知れない。

又今週もネタがなくなるかな、と困っていると、同夜遅く総合テレビのほうで加山又

造の龍の絵の制作現場を1時間以上やっていた。大相撲ダイジェストやミュージック

フェアを見ながら合間合間にかいま見ただけなので、よく分からないが、最後の方は

けっこうちゃんと見たと思う。もちろんいい絵ではないが、たいへん大きな絵で、あ

れは描くだけでも骨が折れるだろう。それは認めたい。しかし、凄い金の掛け方であ

る。アトリエも素晴しい。絵も丸いが、アトリエも丸くなっていて中二階があり、ぐ

るりと手すりが付いている。二階から絵が見下ろせる仕組だ。加山さんの奥さんや娘

さんも二階からニコニコ笑って絵を見ている。平和な絵描きの家族である。若い女の

人が2、3人いる。弟子だろうか? 大学生のようだ。加山さんはきっとどこかの美

大の先生だからその学生かもしれない。

次の場面では、出来上がった絵を白装束の雲水が運んでいる。禅宗のお寺に入るのだ。

臨済宗の天龍寺とのこと。ここの和尚は平田精耕という人で、画面にも出ていた。

以前、宗教の番組で、キリスト教の瞑想と禅の接点などと言ってヨーロッパに赴き、

修道院などで実験的な試みをされていた。これもNHKのテレビ番組だった。平田師

は厳格な校長先生といった風格で、押し出しも立派だ。わたしの好きな囲碁の秀行先

生や陶芸の唐九郎先生とはだいぶ感じが違う。

 

探幽と宗達の龍

一緒にテレビを見ていた高校1年になる長女が、中学

時代の修学旅行で見た妙心寺の龍はもっと凄かったと

いうので、図版を探すと、狩野探幽(1602〜1675)の龍

だった。左の図である。人形は顔が命。龍も同じだろ

う。顔のところを下に拡大しておく。大きさが不明だ

が、娘の話ではたいそう大きな絵だったとのこと。

探幽は江戸の狩野派の中興の祖で、この龍は壮年の傑

作とある。探幽は龍の名人だったという。

わたしは自分が龍の絵を描くわけではない(年賀

状では何百枚も描くが)から偉そうなことは言え

ないが、龍は雲である。これを見事に描き上げた

のはまず、宗達だろう。永徳より半世紀ほど年長

だと思う。下の図だが、見事な空間処理を見せて

いる。驚くべき手腕である。

 こう比べると、探幽の龍はう

 るさい。宗達は墨の明暗を聡

 明に描きわけ、雲のなかから

 龍が現われているが、龍の実

 像は雲と渾然一体をなしてい

 る。

 顔も立派である。この画像では分

 かりにくいが、例の風神雷神を思

 わせるユーモラスな顔つきだ。

 ユーモラスだが、やっぱり神性は

 ある。

 この図は双幅でもう一幅も悪くな

い。

スマートとは「頭のよい」と言う意味だが、まことに俵屋宗達という人は頭がよい。

明治の大画家橋本雅邦に比べると、宗達の美しさはさらにはっきりする。

これでは貼絵である。空間の広がりが全然違う。工芸品のような絵になってしまって

いる。この雅邦を富岡鉄斎が褒めているのだから不思議だ。

面倒だから世界最高の龍の絵をお見せする。

 

これは中国13世紀前半に活躍した陳容という画家の龍である。2年ほど前に横浜の

そごうデパートの美術館に来たので、2〜3度見に行った。アメリカのボストン美術

館にある絵だ。これを出したら終わりである。まことに龍とはこのことだ。龍は雲で

あり、波である。この絵を見てから、空を見ていると、本当に龍が現われそうな気が

してくる。夕方の千切れ雲など、何度も龍の様な姿を見せる。陳容も雲を見て龍を描

いたにちがいない。

陳容の傑作は日本にもある。名古屋の徳川美術館の龍である。こちらも凄い。これで

 はさすがの宗達もちょっ

 と霞む。かといって、探

 幽のようにうるさいわけ

 ではない。まことに絵と

 は限りなく深い世界であ

 る。

 陳容の後では気の毒だ

 が、牧谿に私淑し、陳容に学んだ日本の雪村の龍も掲載する。

この龍のお尻は馬の尻を連想するが、加山又造もこの雪村を真似ている。

しかし、雪村もたいした画僧である。横3メートル以上の大画面に思いの丈をぶつ け、

しかもピチっと見事に収まっている。空間も完璧である。加山さんのはがたがただっ

た。雪村周継は宗達より130年ほど前の室町末期の画僧だ。いま、書いた中国の牧

谿の龍もお見せする。

  

上の2枚の絵の左の図が牧谿である。図が見にくくて申し訳ないが、この立派な絵は

今京都の大徳寺に蔵されている。牧谿は中国四川省の出身で、13世紀後半に活躍し

た禅画僧である。わたしがもっとも尊敬している画家だ。とはいっても、牧谿の絵を

見れば誰だって「もっとも尊敬」してしまう。興味のある方は、後で、参考図版を掲

載しておくので、図書館などで確認していただきたい。下手な現代の絵や版画に大枚

を払うより、美術全集でも買って楽しんだほうがどれほどよいか、頭を冷やして比べ

られたい。絵や版画では絶対儲からない。郵便貯金でもしておいたほうがずっと得で

ある。もっとも、わたしの絵だけは、いつでも売値の80%で買い戻すから、絶対安

全!

商売は置いておくとして、牧谿の右隣は戦国を生きた障屏画家・海北友松の代表作で

ある。これも悪くない。横3メートル70という大画面である。牧谿ほどの気品はな

いが、気迫あふれる雄渾な筆勢がすがすがしい。

しかし、どうも、牧谿や陳容を出しては、日本の画家に申し訳ない。ま、これで、じっ

くり絵画の奥深さを味わっていただきたい。

 

画龍点睛

龍は悟りの象徴である。鯉が滝を登り、さらに天まで駆け上がって龍となる。「寺の

雲水たちよ、修行は辛かろうが、なんとかがんばって、この龍のように見事悟りを開

いてくれ!」という励ましの絵だと思う。絵描き冥利に尽きる画題なのだ。多くの立

派な画人が龍を描いているわけである。

テレビのほうは最後のシーンで、絵が寺に入ってから足場を組んで龍の目に墨を入れ

ていた。画龍点睛という場面だ。おそらく薄く描いてある当たりに丁寧に墨を入れて

いる。死んだ親父が、「今の日本画はロクでもない。あんなものは子供の塗り絵と変

わらない」と嘆いていたが、まことに幼い女の子が丁寧に塗り絵をするようにやって

いる。あれじゃあ生きた目玉にはならない。

残念ながら、ここには肝心の加山又造の図版はない。この前本屋で『日経アート』と

いう雑誌を見ていたら、加山又造特集で、別の図柄だが加山の龍が大きく載っていた。

雪村やら宗達やらを取り入れているらしいが、画面はがたがたであった。時間の余裕

のある方は、ご自分の目でお確かめいただきたい。

 

参考図版

ここに掲載した図版を更に美術全集などでで見て比較なさる方は、下記の全集をお薦

めする。図書館などでご覧ください。

   原色日本の美術(小学館)/日本美術絵画全集(集英社)/

   水墨美術大系(講談社)/ボストン美術館の至宝・中国宋元画名品展カタログ

 

 

さらなる疑問

加山又造の制作現場には若い女の人がいて、絵を手伝っていた。それにしても、禅寺

に入るような絵を描くのに、若い女の人に手伝って貰っていいものなのか? わたし

なら、あんなに若い娘さんがそばをうろうろしていたら気が散って絵どころではな

い。しかも龍の絵…? やっぱり悟りを開いた人は考えていることが違うのかもしれ

ない。

                                  おわり。


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