2.2.10更新

ヨーロッパ絵画への憧憬1

日本洋画人の奮闘

 

13年前のレポート

以前やっていた絵画教室の会報「成瀬美術」は、毎月発行し、会員以外も含めて80

名ぐらいに郵送していたと思う。茨木に住んでいた父にも送っていたが、滅多に褒め

てくれない。それでも、たまには「この前のはよかった」と言ってくれることもあっ

た。その数少ない賞賛の一遍が「明治画人の格闘とつまずき」というレポートだ。

まず、それをそのままここに転載する。

 

明治画人の格闘とつまずき

明治期の洋画を見ていると凄いなぁと思う。大変なエネルギーを感じる。偉大な異文

化に接した感動が波打っている。

明治初期、日本の画人は先ずクールベなどの流れを汲む写実主義に出会う。続いて印

象派、後期印象派と来て、フォーヴィズム、キュビズムと摂取してゆくのだ。相手は

全ヨーロッパである。吸収しようと思えば、その文化の奥の深さは計り知れない。写

実主義のすぐ前には、ロマン主義、新古典主義があり、ロココ、バロック、ルネサン

スとさかのぼれる。しかもそれぞれフランス、イタリア、スペイン、フランドルとい

う地域的広がりを持っているのである。明治期の日本画人が、胸をときめかせながら、

広大無辺なヨーロッパ美術を心に描いたことは想像に難くない。大変なカルチャー

ショック(文化的衝撃)だったことであろう。

しかも実利にもつながった。ヨーロッパを学ぶことが富や名声をもたらしてくれたの

である。黒田清輝がいて、ひそかにその跡を願った青木繁もいた。

もちろん、純粋な美的欲求が先行したことは信じて良いと思う。もっとも、その「美

的欲求」の程度の高さ、という点についてはかなり怪しいところもある。

日本洋画家は心のどこかに(これは現代作家や日本画かも含めて)「東洋と西洋の融

合」という一つの課題を持っていると思う。しかもこのテーマをライフワークとして

いる画人も少なくない。本気かどうかは別として少なくても公の場ではそんなことを

言ったりする人が結構多い。

しかし、この「融合」なるものがいかにばかばかしい課題か、宗教や哲学の立場に立

てば一目瞭然である。「融合」というからにはすでにその前に「別な物」という前提

がある。しかし、哲学や宗教の対象は人間全体なのだから初めから東洋も西洋もない

のである。

美術が人間の宗教的側面の一表現であると考えるのなら、何も悩むことなく、美術史

的疑問はすらすらと解明できるのである。もちろん美学的疑問もいっぺんに解消して

しまう。

ギリシア美術は永遠で、レオナルドの聖母は限りなく優しく、ルオーのキリストはあ

くまでも美しい。すべて宗教的情熱が生み出すエネルギーによって創造されたものだ

からである。

このことをもっとはっきり実証しているのが禅画である。特に禅画が優れているのは、

禅画を生み出す画僧が、完全に明確に意識して、自分の宗教的エネルギーを画面に表

出しようとしている点にある。目的が、達磨を描くとか、釈尊を描くとかということ

ではなく、そのようなことが言い訳になっていて、本当の処、描かずにはいられない

情熱をちゃんと真正面から中心めがけて描き切っているというところが凄い。ヨーロッ

パ美術の第一目的は対象の再現にあった。より分かり易く、より正確な女神の造形、

イエスの創造に向かった。このように西洋美術は写実へ写実へと変化して行ったのだ

が、純粋な美の探究だったかどうか疑問符が残る。禅画は対象から離れて、ますます

宗教に入って行く。だから◯を描いても△を描いても、見るものを飽きさせない何か

があるのだ。人間の存在に関する問題、すなわち宗教的課題に何時でも挑み、答えを

出そうとしているからである。

結局、明治期の日本洋画の凄みは、やはり西欧文化に接した日本画人の奮闘にあった

と思う。しかし、それ以上のものではない。藤田嗣治などもその延長上にいたと言わ

ざるを得ない。美術という独立した分野が存すると信じ込んだ明治画人の蹉跌であろ

う。

すなわち、美術にとってもっとも重要なことは情熱の大きさと質である。明治期のカ

ルチャーショックも確かに大きな情熱を生み出した。その質の高さだってかなりのも

のだと思う。しかし、人間の生死と真っ向から対決しようという宗教的情熱の大きさ

や質と比べるのは酷である。明治画人が驚愕したヨーロッパ美術の素晴しさの秘密も

宗教性にあったわけで、これはいくら日本人が器用でも簡単に剽窃できるものではな

い。

そして、現代においても欧米の美術に心酔し、その摂取吸収に邁進している何と多く

の画人のいることか? 明治百二十余年になんなんとする現代、いまだに明治初期の

パターンを繰り返そうというのはいかがなものかと言わざるを得ない。

現に、哲学思想界においては東洋の見直しが叫ばれて久しい。絵画においても宋元の

水墨画をはじめ、東洋の美は注目を集めている。われわれもそろそろ目が醒めてよい

頃なのではないだろうか。

かの松尾芭蕉も言っている。

「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」

(この言は、実は南山大師の言葉。芭蕉の俳文「許六離別の詞」で引用)

 

最初のページ