No72 絵の話 2000.4.9更新
牧谿「ぬれ雀」
水墨画の世界5
可翁の雀
下の雀の絵(「竹雀図」90.5×30.1cm)は日本の初期水墨画の代表・可翁の筆による。
可翁は1345年以前に活躍した。つまり鎌倉末期から南北朝時
代ごろ。雪舟の山水図巻から129年以上昔ということになる。
絵を見てお分かりかと思うが、日本の水墨画のレベルは鎌倉末期
にすでに相当のところまで達していた。
今回から図版を少し大きくしたのだが、まだ細部はよく見えない。
この全体図ではこの空間の広がり、画面の中に占める黒い墨の分
量と位置などを味わっていただきたい。
まずは、中ほどに横に伸びた竹の向こう側の空間の広がりはどう
だろうか。そして、その上部のところ。グーンと大空に開けてい
る。
画面における墨と余白のバランスはどんな精密な測定器をもって
しても測りえない胸のすく配置になっている。可翁の鋭い感覚が
全画面に行き渡っている証拠である。
左下の拡大図で可翁の実力をさらに堪能していただこう。
この雀のムーブマンはほとんど完璧である。
顔の方向と身体と尾。それから身体を支え
る右の足。細い右足は軽快にしなり、確か
に上体を支えている。どんなに素晴しいヨー
ロッパの解剖学にもとずいて描いてもこれ
だけの動きの瞬間を捉えられるだろうか?
この機能性、この絶妙なバランス。一気呵
成に描かなければ成しえない妙技である。
さらに筆を2回走らせただけの左足。この
左足は雀という小動物の生態までも伺わせるではないか。
もうこれ一点だけ見ても可翁の実力は十分堪能できる。今から700年ほども昔に描
かれたこの信じられないような人間の技。こんな凄いものが残っているだけでもう十
分ありがたい。ところがこの軸は双幅で、対幅もちゃんと残っているのだ。さらに可
翁は人物道釈画に秀で、数副の画跡が伝わる。
左:「梅雀図」84.9×32.2cm、中:「梅雀図」の部分、右:「蜆子和尚図」87.0×34.5cm
ところで、この前(「絵の話」No62)の「中国水墨画の深遠を覗く」では「水墨
画の世界1」とやったから今回は「2」のはずだが、突然「5」にした。これはよく
よく考えて見ると「絵の話」に画像を入れてから中国水墨画をすでに3回やっている
のだ。前回は「1」ではなく「4」だったのだ。最初が「龍の絵」(1)で次が「鶴
と猿」(2)。そして超短編だったが「最高の風景画」(3:これについては再度書
き直したと思っている)となる。
武蔵の筆力
下の右の図版は宮本武蔵の絵(37.9×111.1cm)である。水中の餌を狙う小鳥。おそら
く雀ではない。可翁と比べてどうだろうか。
宮本武蔵は日本のヒーローだから、公の場でけなすのは気が引けるが、私は可翁が俄
然いいと思う。拡大図を比べてみる。
武蔵の方がピンぼけで申し訳ないが、それを割り引いても可翁には勝るまい。
武蔵の最高傑作「枯木鳴鵙図」(54.5×125.7cm)と比べてみよう。
やっぱり可翁の方が大きい。武蔵は厳しいが、可翁にはおおらかさがある。可翁の方
がどうしても絵が厚く見える。
細部を見ても同じことだが、可翁の実力が大分上と言うしかない。
武蔵はちゃんと目も描いてあるが、どうしてもからだがペっちゃんこに見えてしまう。
武蔵の絵だけ見ていれば、緊張感溢れる素晴しい水墨なのだが、こうして並べるとど
うしても可翁にはかなわない。この可翁の絵を見ているとやっぱり可翁は禅僧として
最高位まで登り詰めたあの可翁宗然なのではないかと思えてくる。私は希望も含めて
以前から「可翁は可翁宗然」と決めてはいるのだが、異説は多い。
牧谿の雀
牧谿という画僧については何度か述べている。1200年後半に中国南部・揚子江周
辺で活躍した禅画僧である。私がもっとも尊敬する画人だ。この牧谿筆と伝わる雀図
(30.7×84.0cm)がある。
私はここにご紹介した図版はすべて本物を見ているからよく分かるが、ここの図版だ
けでは判断できないかもしれない。特に私はこの牧谿の「ぬれ雀」は大好きだから何
度も見ている。表参道の根津美術館にある。それにしても物凄い絵である。可翁の雀
が装飾画に見えて来る。それぐらい牧谿の絵は厚く深い。左端の武蔵と比べても牧谿
の画力は歴然である。
細部を見てみる。
牧谿の動物画にはいつもちゃんと目があるが、この雀図にもちゃんと目がある。時雨
のなかで寒そうにうずくまる二羽の雀が的確に描き出されている。
この牧谿の絵の下の部分は加筆されたもので、描き方が乱暴だと言われるが、この部
分だけ武蔵の絵と比べると、全然乱暴に見えない。
これでは武蔵の方(左)がむしろ乱暴に見える。「勢いがある」というのと「乱暴」
は紙一重だ。牧谿の竹の葉っぱの表現は絶妙である。もちろん可翁よりいい。
絵の深さというものは計り知れない。しかも、この「ぬれ雀」も牧谿の真筆ではない
らしい。「伝牧谿」という評価で扱われている。本物の牧谿は宇宙人か?
まことに絵の話は果てしない。このほか牧谿には道釈人物画、野菜の図、花、燕、烏、
鳩と切りがない。日本人画家がそれを真似て描いた絵が山ほどある。そういうのを一
つ一つ比較していったら、私は300歳になってしまう。もう少し頑張ってみるが、
皆様も是非ご自分で美術館や図書館で比較して、できればご意見ご感想をください。