No92 絵の話 2001.8.19更新
水で描く絵
まっこと、美しい絵
探していた絵まずは下の二枚の水彩画をご覧いただきたい。
左:クロード=ロラン(1600〜1682)「ローマ近郊の湖」ビスタの淡彩・紙 1640年頃
18.5×26.8cm
右:ドラクロワ(1798〜1857)「イギリスの田園風景」水彩・紙 1825年
大きさ不明(小さいと思う)パリ・ルーブル美術館
私はこの左の絵を27〜8歳の頃見たが、どこで見たのかすっかり忘れてしまい、ずっ
と探していた。すでに20年以上経つ。ただ、クロード=ロランの絵で、川の絵だと
いうことだけは覚えていた。今こうして説明書きを読むと川ではなく湖の絵だった。
とにかく、クロード=ロランのデッサンが凄いことはよく知っていた。ロランといえ
ば、数年前には上野の西洋美術館で大きな展覧会があったし、それまでもターナーが
慕った絵描きということで、あちこちでお目にかかった。しかし、これほどの絵には
出会った覚えはない。
今こうして見てみると、やっぱりいい絵である。
これだけの水面はそう描けるものではない。
右のドラクロワの風景はつい最近見つけた。二玄社の「ドラクロワ色彩の饗宴」とい
う本。
二点ともほんとうに美しい。
昔の絵を見る実は、私は絵が好きである。絵描きなんだからあたりまえとお思いかもしれないが、
おそらく私ほど絵が好きな男も珍しいと思う。描くのも嫌いじゃないが、とにかく見
るのが好きなのだ。もっとも「見る」と言っても、評論家ではないし、史家でもない
から勝手に好きな絵ばかりわがままに見る。早い話が、ただ絵が好きなだけのおっさ
んということ。
ターナー(1775〜1851)「ベニスの日の出」水彩・紙 1840年
19.8×28cm ロンドン・テートギャラリー
もちろん本物も見るが、画集は便利だから手当たり次第に見る。私ほど東西のクラシッ
クを見ている絵描きはそうはいまい。ときには模写もする。
はっきり言って、昔の絵を見ない絵描きはダメだと思う。話にならない。特にアマチュ
アの方は上野の都美術館に通って公募展などを梯子しているが、まったくばかばかし
い。あんなことをしても絶対うまくならない。いい絵を描きたいならまずいい絵を見
ること。それは、上野だったら、都美術館ではなく国立博物館や西洋美術館の方にあ
る。いい絵を繰り返し見て、模写して、また見る。史家の説明も読む。これだけやっ
ていれば先生なんかいらないはずだ。もし絵の先生が必要なら、古典絵画を説き明か
してくれる先生がいい。
展覧会は社会悪自分が描くのは基本だし、たいへんけっこうなことだが、その前に古典を見て欲しい。
1枚や2枚描いてすぐ発表するのは頂けない。社会悪である。展覧会全体を破壊する。
基本的に会場費を払えば誰でも展覧会は出来る。グループ展なら2〜3万円、銀座で
個展をやるにしても50万円ぐらい出せば可能だろう。しかし、禄に修業もしていな
い絵をズラズラ見せられたのでは見に来る人間には拷問である。そのうち誰も展覧会
に行かなくなる。展覧会のインフレだ。
第一、それでなくてもプロと呼ばれている人達の気のない売り絵の展覧会が横行して
いるのだ。へなちょこテクニックで誤魔化したインチキ芸術である。作家が死んだら
すぐ二束三文になってしまう絵。
左:ゴヤ(1746〜1828)「シャツはなくても幸福だ」墨・セピア 紙 1820〜23年
20×14cm マドリード・プラド美術館
右:ゴヤ(1746〜1828)「貧窮者」墨・セピア 紙 制作年不詳
25.5×15.4cm エルミタージュ美術館
とにかく今や100円コーナーでも原画を売っている時代なのだ。この前は朝日新聞
の全面広告で1年12か月を飾る12人の画家の12点の絵を売っていた。額付きで
いくらだったか? 限定100セットとあった。絵描きは100枚同じ絵を描くこと
になるのか? まことに「プロの絵描き」にはなりたくない。
いっぽう、わけのわからないゲイジュツも跡を断たない。
ほんとうに誰も展覧会に行かなくなる。
今回の水彩画について話が飛んだが、右のドラクロワにはびっくりした。「ドラクロワってこんなに描け
たっけ?」という感想。この水彩はまことに美しい。
その下のターナーの日の出もいい。ターナーが生涯尊敬し続けたのが、上の左のク
ロード=ロラン。凄いはずだ。いくら印象派の画家たちが忌み嫌っても、クロード=
ロランは半端じゃない。上の絵だって簡単には描けない。もちろん絵自体は数分で仕
上がるだろうが、これだけの絵が描けるようになるには数十年の歳月が要る。
その下の絵はゴヤ。ゴヤもいい。前にも書いたが、ゴヤはベラスケス(1599〜1660)を
尊敬していた。ベラスケスの筆捌きは驚くべき画技。ゴヤは一生これを追い求めた。
そして、たどり着いたのが、上の水彩画やエッチング、また黒い絵と言われる一群の
シリーズだった。ベラスケスを追うゴヤの生涯はまことに切ない。だからいい。誰に
も真似のできないゴヤだけの絵画世界が出来上がった。
左:モランディ(1890〜1964)「風景(レヴィコ)」水彩・紙 1957年
21.0×16.0cm
右:ルオー(1871〜1958)「娼婦」水彩・パステル 紙 1906年
71×55cm パリ・市立近代美術館
最後の二点は比較的最近の絵。モランディは67歳のときの傑作。老いてますます画
境が深まった感がある。なかなかこういう具合に歳はとれないものだ。
これに対して、ルオーの方は37歳の無名時代の傑作。これだけ描けて認められない
のではやってられない。孔子が言っている「人に知れなくても恨まない。これこそ君
子というものだ」果たしてわれわれはルオーのように君子になり切れるのであろうか?