No62 絵の話1999.2.14更新

中国水墨画の深遠を覗く

水墨画の世界4

雪舟がもっとも慕った画家

左の絵は雪舟の代表作「山水長巻」の部分。右の絵は中国・南宋時代の夏珪(かけ い)の作と伝わる。

  

大きさも構図も違う絵を比べてもわからないが、この部分だけをしばらく見ていて も、夏珪の画面の広がりがよくわかる。墨の味わいも夏珪が優って見える。木のとこ ろを拡大してみよう。

  

雪舟の木には夏珪のような複雑なふくらみがない。どうも夏珪のほうが優れているよ うだ。 雪舟は日本の画聖である。日本画の祖とも仰がれる画僧だ。雪舟は1420年岡山県 に下級武士の子として生まれたという。貧しさから寺に入れられ、絵を描くようにな る。1506年、86歳で亡くなるが、最晩年の画業は驚くべき域に達する。 その雪舟が最も尊敬していた中国の画家が夏珪である。夏珪のことはよくわかってい ないが、1200年前後に活躍した中国画壇最高の画家のひとりである。「中国画壇 最高」といっても今の日本画壇最高といわれている画家たちのようにインチキではな い。本当に凄い画家だった。 もう1回、雪舟の絵と夏珪の絵を比べる。人物の部分だ。

  

これだけでは不十分だが、どうも夏珪の人物は橋に足をしっかりつけて歩いているよ うに見える。雪舟の2人はなんとも不安定である。それから下の水の表現も、雪舟の ほうが拙い。夏珪は何も描いていないが、ちゃんと水に見える。雪舟の水の流紋はど うもぎこちない。 雪舟は夏珪を一番尊敬していた。雪舟も夏珪と比べられてはやりきれない。筆をとっ て夏珪を真似てみればわかるが、筆は全然動かない。強引に紙に擦れば乱暴になる。 正確に丁寧に倣おうとすれば、夏珪のスピードも迫力も失われる。われわれはもちろ ん雪舟のところまでもはるかに届かないのだ。

本当の夏珪

これだけ見ても、夏珪のずばぬけた描写力はおわかりいただけただろう。しかし、話 はここから始まる。 私が上の夏珪の絵を初めて見たのは、1986年10月世田谷の静嘉堂文庫「中国の 名画展」でである。今から数えると、13年も昔のことだ。そこで透き通るような、 まことに美しいこの夏珪の山水画を見た。 カタログを買って、浮き浮きしながら家路についたものだ。「ああ、今日はいい絵を 見た。行ってよかった」 ところが、あの図はどうも見覚えがある。水墨画の画集をぱらぱら見ていると…… なんとさらに素晴しい夏珪があった。実物も見ている。上野の国立博物館にある夏珪 の山水図だ。下の左の絵である。右は上の絵。

  

右の方が横長に見えるが、この絵は両方とも長巻図を切断してあるから、切断した人 間の趣向で多少感じが違う。実は左が22.5×25.4cm、右が25.0×34.6cm。 この2作を見ただけでは双方とも立派でどちらが上とは言い難い。しかし、実物を見 れば一目瞭然。ここでも部分を比べるとかなりわかる。まず木のところ。

  

水墨画のほうで、よく「墨気」というが、まさに左の樹木こそ「墨気」溢れる描法で あろう。雪舟を出すと、雪舟は幼稚園クラスになってしまう。

  

どっしり繁った豊かな葉や枝がしっかり幹に支えられている。雪舟の枝葉は貧弱で情 けない。 夏珪どうしで人物を比べて見よう。

  

足取りは軽快で、バランスも絶妙である。これだけの点景人物が描ける絵描きはヨー ロッパにも滅多にいない。達人の域に数えられるだろう。 ついでに水の表現も比べれば、左の博物館の絵がいかに見事かおわかりだろう。 しかし、この夏珪もまだ真筆ではないという。 「それじゃあ、本物の夏珪は絵の神様か?」と聞きたくなる。 とにかく、本物と言われている画像をお見せする。アメリカのボストン美術館にあ る。大きさは22.9×25.1cm。右の画像。上野の博物館の「伝夏珪」(左)と比べられ たい。

     

その昔、私はこのボストンの夏珪を油絵で模写したことがある。座興にお見せしたい が、好都合なことに、どっかに仕舞い込んでしまって見当たらない。

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