No93 絵の話 2001.12.16更新

ゴッホの絵

小林英樹「ゴッホの遺言」から

贋 作!

表紙の帯に「『朝日新聞』で絶賛!」とある小林英樹「ゴッホの遺言」をまずはお読

みいただきたい。400ページに及ぶブ厚い本だがどんどん読める。

下の2点の「寝室」のスケッチのうち上側が贋作であるという。下側は間違えなく真

作。よーく見比べていただきたい。ちなみに大きさなどは不明だが、便箋に描いてい

るから小さい絵だと思う。


 上:ゴッホ「寝室―テオ宛スケッチ」 1888年10月
 下:ゴッホ「寝室―ゴーギャン宛スケッチ」 1888年10月

いかがだろうか?

小林さんは、透視法や部屋の構造などいろいろな所から上が贋作であると論じる。こ

の辺はかなり冗長。そのうえ、もうひとつ納得できない。

タブロー(油彩画)の寝室は3点あるが、ここでは2点だけお見せしておく。

もちろんこれらは真筆である。

   

 左:ゴッホ「寝室」 油彩 キャンバス 1889年9月 73×92cm
 右:ゴッホ「寝室」油彩 キャンバス 1888年10月 72×90cm

小林さんの本にも類似したことが書いてあったが、私は贋作(小林説)は掛け布団の

部分がふわりとしていないように感じた。ま、それよりも決定的な所は絵のなかの壁

に掛かっている絵。贋作(小林説)の絵のなかの絵だけがいい加減。小林さんも贋作

の絵のなかの絵はゴッホのどの作品とも特定できないと書いている。逆に言えば、他

の「寝室」の絵のなかの絵はすべてゴッホのどの絵かわかるということ。たとえゴー

ギャン宛の小さなスケッチでもはっきり特定できるそうだ。

この点は誰が見ても頷けるだろう。もちろん私も頷いた(=小林説は正しい!)。

 

渦巻き構図

この話は小林さんの本にはないが、さらに贋作説を支持できる私の説もある。

ゴッホの絵には、たいへん古くさいところがあって、ほとんどすべてのタブローはル

ネサンスやバロックのような古典絵画と同じ渦巻き構図が使ってあるのだ。下の図版

をじっくりご覧いただきたい。見比べれば一目瞭然。この渦巻き構図についてはフラ

ンスにいたとき芸大卒の植村さんという人に教えてもらった。ちなみに、この著者の

小林さんも芸大卒。

   

 左:ゴッホ「アルルの跳ね橋」 油彩 キャンバス 1888年3月 54×65cm
 右:ゴッホ「菜園」油彩 キャンバス 1888年6月 73×92cm

上の真作の「寝室」3点も渦巻き構図がよくわかる。贋作だけがデタラメ。

「寝室」の渦は右側の椅子から右回りに巻いている。ゴーギャン宛の小さなスケッチ

でもちゃんと意識的に渦を巻かせてある。「跳ね橋」は右端の二人の洗濯女から左回

り。「菜園」は真ん中の大きい荷車の車輪から右回り。

 

ゴッホとテオとヨーのこと

小林さんの「ゴッホの遺言」について、ここであまりしゃべってしまうと、これから

読む人に申し分けないから止めておく。なにしろ「ゴッホの遺言」は「世の常のミス

テリーをはるかに凌ぐスリリングな推理」(本の帯)なのだ。

小林さんの本の後半部にはテオの嫁はん・ヨーのことが詳しく書いてある。これはた

いへん面白い。この所は是非小林さんの本で楽しんでいただきたい。

小林さんの本にもある(p42〜43)が、ゴッホの弟・テオは一流の画商だった。

グーピル商会のやり手営業マンだった。月給は約80万円。かなり凄い。このうちな

んと30万円もゴッホに送金しているのだ。いかれている。ゴッホは全然貧しくない

のだ。一人暮しで毎月30万円。裕福とは言えないが決して貧しくはない。しかも画

材などは別に送ってもらっている。

いくら仲がいい兄弟でも普通の常識では理解できない関係だ。歳の若い弟のほうが毎

月収入の半分近くを兄に貢ぐ。考えられない。

私は、テオはゴッホの絵を認めていたのだと思っている。そうでも考えなければとて

も納得いかない。

テオは画商でゴッホは画家。テオは先行投資をしていた。一世一代の大勝負。

ここにヨーが登場する。才媛である。ゴッホを「偉大で崇高な芸術家」(p307と

p353)と信じつつも、テオとの生活がある。妊娠、出産と現実の暮らしは容赦な

く二人を襲う。

「義兄・ゴッホさえいなければ」と思うのは罪だろうか?

それはゴッホも十分知っていた、と思う。

我々は偉そうなことを言っても所詮哺乳類に過ぎない。家族と子供。これが一番重大

なのである。

 

絵の具のちから

ゴッホの死ののち6カ月後にテオも後を追うように病死する。その1891年にフラ

ンスのアンデパンダン展でゴッホ回顧展があり注目を集め、さらに1901年には大

回顧展があった。

もちろん私はゴッホは偉大な画家だと思っている。特に私が好きなゴッホは下の2点。

展覧会では下の絵の隣にボナールが飾られてあったが、ボナールの画面がフニャフニャ

に見えるほどゴッホはがっちりしていた。

 

上:ゴッホ「花咲くアーモンドの枝」 油彩 キャンバス 1890年2月 73×92cm
下:ゴッホ「オーヴェールの雨」油彩 キャンバス 1889年 48.3×99cm ウェールズ美術館

ゴッホは油絵の具の力をはっきりわれわれに教えてくれた画家だと思う。最近は一般

にマチエールと言われる、あの画面の凸凹である。絵の具の盛り上げはゴッホが元祖

ではない。古くはレンブラント(1606〜1669)もやっているし、ゴヤやターナーにも見

られる。ドーミエにもあるし、ミレー、クールベだってやっている。

しかし、原色であんなに凄まじく盛り上げた絵描きはいない。やっぱり浮世絵や印象

派の絵などからヒントを得ている。素晴しい才能だと思う。27歳から本格的に絵を

始めて、たった10年であそこまで行くのは凄い。

前にも書いたが、ゴッホはやっぱり本物の牧師なのだ。桁はずれの純粋さがある。し

かもパリからはるか遠い田舎の人。そのうえ、今の私たちから百年以上昔の人なので

ある。手紙を読むと「本当にダサいな」と思う。「こんな意識だったのか」と驚き呆

れる。しかし、そういうことは皮相のことだ。澄みきった純真な絵画が目の前にある。

絵描きはすべてが画面勝負だ。やっぱりいくら見直してもいい。

いつも同じ台詞で終わって恐縮だが、

「ゴッホの前にゴッホなく、ゴッホの後にゴッホなし」

これに尽きる。

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