No49 絵の話1998.5.18更新

ドガの世界

わがスーパークロッキーの祖師

構図、ヴァルール、デッサン

ドガは実にいい。私の家の壁はドガの絵(もちろんポスター)だらけ。ドガの画集も10 種類以上ある。どれもしょっ

ちゅう見ているからぼろぼろだ。ドガは、言ってい ることも生き方も本当によくわかる。死ぬ少し前「追悼演説などい

らない。墓の上で『彼は心からデッサンを愛した』と言ってくれればいい」と語ったそうだ。まことに ドガはデッサンを

愛し、絵を愛し、また絵をよく知っていた。絵画の魅力を十分自分で味わい、そして後世に伝えた。もちろん言葉に

よってではなく、絵筆によってその 魅力を残してくれた。 下の2枚の絵は、左の絵はもうだいぶ前に亡くなったある

日展系の日本人画家の油絵。右はドガのパステル画『ダンスの試験』。P15号ぐらの大きさの紙に描いてある。

こう見比べるとドガの美しさがよくわかる。第一、パステルのほうが油絵より厚く見えるから不思議だ。これはすなわ

ちヴァルール(色価)ができているからである。色がよく付いているということだ。構図も斬新だし、色彩も豊か、脚の

表現もドガのほ うが俄然優って見える。左の絵が1951年(51歳)、右が1880年(46歳)の作。右は左より70年

も古い。どう見たって右のほうが新しい感じがする。左の画 家もずいぶん真面目な方だったようだが、日本のアカデ

ミズムにどっぷり漬かって、それになんの疑問も抱かずに威張っていたから、こんなに差が出てしまう。世界の片

隅、日本なんてところの腐ったアカデミズムに何の魅力があったのだろう? これだけの才能がありながら一生を

棒に振っている。いっぽうのドガ(1834〜1916)はフランスの官展・サロンに颯爽と登場し、これからというときに、

サロンに入選できない若い人たち(モネやルノアール)と伴に反旗を翻した。本場フランスのアカデミズムに真正面

から闘いを挑んだのだ。度胸もいいし、義侠心もあり、頭も切れる。しかも(「だからこそ」と言うべきか)絵が抜群に

いい。 

ドガに学ぶ

ドガは若い画学生に対して「完全にモノクロームで描け」と言う。「それから、ほんのちょっと色を置く。ここに一筆、

そこに一筆と。ほんの些細なものと見えても、人には生気が感じられる」と言う。実際にその言葉どおりの絵が下の

絵である。特に右の絵はついこの前のコートールドコレクション展で日本に来たばかりだ。

     

右の絵の膝に置かれた手の表現は実に素晴しい。両方とも油彩画だが、キャンバスに 筆を下ろした最初の感動

がほとんどそのまま画面に焼き付いている。ちなみに、左は1872年(38歳)20号ほどの絵、右はP12号ほどの

大きさで1875〜8年(41〜44歳頃)の絵である。

左の絵は、踊子が身繕いをする瞬間を捉えている。見事な速描きである。

これはまたドガがいかに構図を大切にしたかを知る手がかりになる。画

面右側が黒っぽい大きな壁になっているのも構図上の実験だろうが、下

の床は手前のところだけ紙が継ぎ足してある。まったく思いのままにやっ

ている。絵を仕上げようとか売ろうなんて考えていないから無茶苦茶で

ある。既成の額縁に収めようなどと思ってもいない。この絵は1879年

(45歳)のパステル画でP12号ほどの大きさである。

 

真のドガ

ここまででもドガの魅力は相当のものである。ところが、ルノアールはこう言っているの

だ。 「もしドガが50歳で死んだら、優れた画家という評価は残しただろうが、それ以上では

なかっただろう。彼の仕事が広がり、彼が真のドガとなったのは50歳以後のことだ」。

ドガが最後に到達した世界。それが左下の絵だ。 ドガは36歳のときに普仏戦争に志願して従軍し、目を痛め、60歳頃からほとんど見え

なくなる。しかし、それでも驚異の意志力で描き続ける。左の絵  は10号ぐらいのパス

テル画で、1888〜92年(54〜58歳)の作品。ミュンヘンの近代美術館にあったが、

その美しさのために絵の前から離れた くなくなるほどだ。事実ほかの絵を見てもまたすぐ

そこに戻ってしまう。もっとも、ここには出さなかったが、この絵と同じくらい美しい絵

が上野の西洋美術館にもある からありがたい。上野のほうがいいぐらいだ。カラー図版が

見つからなかったので出さなかった。運がいい人は西洋美術館の常設展のときデッサン室

で見られる。これら ドガのパステルは実に美しいのに、ほとんど画集に載らない。この少

し前の時代のもっと精密に描いてあるパステル画ばかり掲載する。集英社が出しているリッ

ツォー リ版の画集は最後に小さなモノクロ写真で画家の全作品が載っているから、虫めが

ねでドガの最晩年の作品を楽しむしかない。まったく絵のわかる人間はいない。ところが、

この前洋書でやっと晩年の絵がたくさん載っている画集を見つけた。かなり値は張ったが

買ってしまった。あのありとあらゆる裸婦のポーズは入浴シーンだというが、どうも性的

な体位のようにしか見えない。それが作画の情熱になったのかもしれない。

こういう絵を見ると抽象は実につまらない。美しさだけ初めから狙おうなどと、精神が貧

しいではないか。女性の性的な美しさを描いていて絵も美しくなる。形を追う情熱が不思

議な造形美を醸し出す―これが絵画の真価だろう。抽象性は画家の意思とは別な、結果と

してたまたま期待できるものであるべきだと思う。抽象美を初めからそれを狙って描いて

はシラける。自分で笑ってばかりいる漫談師みたいで、お客さんには大きな迷惑である。

下の左の絵は、なんと1905〜7年(71〜3歳)の作品。P20号ほどの絵。右は

1900〜2年(66〜8歳)で、25〜30号ぐらいの大きさである。

    

これこそまさにクロッキーの精華! ドガこそスーパークロッキーの源泉、祖師である。

われわれはここから始めるべきなのではないか。

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