No69 絵の話 1999.11.21更新

セザンヌ展に行く

絵でもっとも重大なこと

 

セザンヌは本当にいい絵描きか?

 金曜日にようやくセザンヌ展に行った。23日までかと思ったが、

 12月19日までやっている。もっとゆっくりでもよかったか?

 セザンヌ(1839〜1906)については言いたいことが山ほどある。

 まず、本当にセザンヌはいい絵描きか? うまいのか?

 私の父はセザンヌをいつもけなしていた。左のセザンヌ婦人の絵

 (この絵は今回なかったと思う)を見ては

 「このスカートはブリキ製か?」と言っていた。

 

セザンヌの一般的評価

結論から言うと、私はセザンヌはいいと思っている。誰でもだいたいいいと思っているので

はないか? ただし、私がいいと思う点は世間一般の評価とは違う。今回のセザンヌ展を見

ても私のセザンヌ評は間違っていなかったと意を強くした。

世間一般にセザンヌは「近代絵画の父」と言われ、立体派の祖ということになっている。

それは、「面でものを見る」とか「球体と円筒形」とか「塗り残し」などという、いわゆる

新しい絵の見方、描き方を実践した画家だからだろう。いや、誠にそのとおり、今回の展覧

会を見ても確かによく頷ける。右上のルノアールとセザンヌを比較した絵(「ショケの肖像」)

を見ても、セザンヌの意図は明白だ。セザンヌのほうが頭脳明晰という気がする。ピカソや

モジリアニなどもセザンヌの方法を真似ている。左がセザンヌ、右はピカソ。

          

本当の魅力

しかし、ピカソがセザンヌを慕ったわけはそんな頭で考えたような新奇なところにではない。

前にも書いたと思うが、モジリアニもたいへんなセザンヌびいきで、他にも マンギャン、

ドニなどセザンヌ教徒の絵描きは数限りない。どうしてセザンヌがそんなに多くの絵描きか

ら慕われるか、その第一の理由はセザンヌの筆触にある。

           

左からモジリアニ、マンギャン、ブラック。セザンヌの筆使いはどんなサロンの巨匠にも負

けない。こればかりは本物を見ないとわからない。印刷物では絶対に計り難い、絵の具と筆

が織り成す不思議なレリーフな のだ。ま、それでも一応、下に印刷物からの参考図版を載

せておく。ちょっとわかりにくいが、右の絵の左下白い壁の下。少し光ってしまっている部

分の拡大が左の図 版。この思いを篭めた筆使いこそ達人のもの。

          

若き日の情熱

実は父も言っていたように、セザンヌは下手である。技法も怪しいところがある。特に裸婦

は酷い。有名な「水浴図」はどれもこれもロクでもない駄作ばかり。あのシ リーズばかり

は私も納得できない。 おおむねセザンヌの人物画は頂けない。ただし初期の肖像

は悪くない。レンブラントを追慕した真摯な情熱があふれている。実は今回もこう

いう絵が見たかったのだが、残念ながら一枚も来てなかった。イギリスのナショナ

ルギャラリーにあるちょうどいい図版もないので、今回は右の肉の絵で我慢してい

ただく。

水彩の達人

しかし、水彩画が比較的たくさん来ていた。セザンヌの水彩は一流である。ものすごく美し

い。屈指の水彩画家だと思う。私は今回の展覧会での最高傑作はサント=ヴィクトワールを

描いた水彩画だと思った。あの画面は簡単には出来ない。もちろん印刷ではわからない。し

たがってカタログの絵もダメ。しかし、モノクロで図版があったので載せておく。また、私

が一番好きなセザンヌの油絵「ジャ・ド・ブーファンのマロニエの並木」(この絵も今回は

来ていない)も載せておく。

          

もっとも重大な造形

話を戻して、油絵の筆触だが、実は絵画においてもっとも重大なのは筆触である。構図とか

色、形なんてどうでもいいのだ。一流の画家の筆触はすべて感動的である。絵を慈しみ、描

く喜びに満ち満ちているからだ。この前ワシントンナショナルギャラリー展で見たロートレ

ックの筆触も素晴しかったし、今回のセザンヌのタッチにも 「やっぱり」同質の躍動があ

った。現代の日本の巨匠たちの絵には微塵もない画面にこめた絵画への切ないほどの思いで

ある。ここがもっとも重大である。絵描きの手が、筆が、どれほど絵画を思っているか? 

筆や絵の具は画家の(ろくでもない)意匠を伝えるための道具ではないのだ。いい絵とい

うのは一筆一筆がいいのだ。キャンバスに筆を置く喜びに満ち溢れていなければならない。

絵を描くということは描く動作一つ一つが歓喜なのだ。これがなければ始まらない。この言

い尽くせない喜びのために絵描きはすべてを犠牲にする。恋も金も人生も。これが本当の絵

描きというものだ。少なくともそういう方向を向いていなければ話にならない。入選とか受

賞とか絵が売れるとか、そんなことは結果に過ぎない。いい絵が出来るということでさえ結

果なのだ。今生きている、描いている、ここに最大の幸福がある。これが本当の絵描きとい

うものだろう。

抽象も具象もない。うまいも下手もない。もっとちゃんと真の絵の世界を見なければダメだ。

 

昨今の美術界

ジジイどもは芸術院会員とか文化勲章とかで頭がいっぱい。若いのは若いので、美大合格と

か有名公募展入選とかどっかの大賞受賞とかで目が血走ってる。もうちょっと歳をとると今

度は「プロ、プロ、プロ」。絵が売れることが最大の勝利なのだ。そうかと思うと、狭い画

壇のなかでちょっとでもエばろうと、つまらない肩書きに奔走する。

本当に情けない。こんな奴らが描いた絵がいいわけがない。すべて絵が道具なのだ。絵に対

する慕情など微塵もない。だから、最近の奴らの絵はどれもこれも気持ちが悪い。みんなガ

リガリ亡者の描いた絵だ。これじゃあ、悪徳商工ローンと大差はない。絵とはもっと優雅な

ものだろう。頭を冷やして貰いたい。

 

自分の立場

「お前はどうなんだ、絵が売りたくてウズウズしているんだろう」

と言われれば、一言もないが、はっきり言ってウズウズはしていない。やっぱり私は絵が

描きたい。少しでも絵が描きたい。だから生きている。絵を描くほうが第一目的である。そ

うかと言って「絵は売りたくない」なんて言うつもりもない。買っていただけるなら喜んで

お売りする。もともと私の絵を買ってくれる人は資産運用なんて考えてない。第一私の絵で

は資産運用なんて出来ない。私の絵を買ってくださる方は私以上に私の絵を大切にしてくれ

る。見てくれる。飾ってくれる。だいたい絵を売らないなんて傲慢だと思う。買ってくれる

というのだから買って貰えばいいではないか。それが世の中というものだろう。「もちつも

たれつ」。有難い話ではないか。

 

名画複製の夢

セザンヌ展の出口にはアートショップがあり、カタログを初め、絵ハガキとかポスターを売

っている。最近はキャンバス地に複製した額絵も多い。ついリコーのデジタルアートと比べ

てしまう。リコーの技術は大したものだ。あの複製画に比べるとたいていの複製画はインチ

キ。酷い印刷だ。キャンバス地といっても普通のキャンバスに 印刷物が貼ってあるだけ。

スーパー・クローン・タブローとは違う。「ああ、セザンヌの原画がデジタルアートに取り

込めたらなあ」と思う。これは叶わぬ夢。

この絵はおまけ。

 

計り知れないマーケット

それにしてもたいへんな人出だ。2か月間毎日のようにこんなに人が来るのだろうか? 上

野のオルセー美術展も凄い人波だった。この人たちは絵を買わないのだろうか?

どこまで絵を知っているのだろう? 

私は、こういう人たちは凄くよく絵がわかっているように思う。わかっているから現代の絵

には目もくれないのだ。この人たちを絵画市場に取り込んだら絵画産業革命になる。その野

望への小さな入口がリコーデジタルアートであり、私のスーパー・ク ローン・タブローな

のだがこの大仕事は一朝一夕にはいかない。

しかし、これがうまく行けば、本当の絵画、真正なる現代絵画が、膨大な市場を掴むことに

なる。ちゃんとした絵描きが絵で食えるということだ。今ある腐り切った文化勲章画壇など

いっぺんにかき消してしまうし、頭でっかちの現代アートも根こそぎ粉 砕できる。ま、そ

の前にセザンヌたちに負けないほど絵画を慕わなければならないが。

おっと、純粋な絵画論がとんでもない算盤談義になってしまった。ここが私の弱いところ。

所詮貧乏絵描きの小倅。セザンヌのような銀行家のご令息というわけにはいきませんです、

ハイ。

【参考図版】
上から順に
セザンヌ(1839〜1906)「赤い肘掛椅子のセザンヌ夫人」(75.2×56.0cm 1877年頃 油彩 キャンバス ボストン美術館)
ルノアール(1841〜1919)「ヴィクトール・ショケの肖像」(45×36cm 1975年頃 油彩 キャンバス)
セザンヌ(1839〜1906)「ヴィクトール・ショケの肖像」(45×35cm 1876-77年 油彩 キャンバス)
セザンヌ(1839〜1906)「静物」(27×22cmぐらい ?年 油彩 ブリジストン美術館)
ピカソ(1881〜1973)「グラスと果物のある静物」(27×21.5cm 1908年 油彩 板)
モジリアニ(1884〜1920)「小さな百姓」(100×65cm 1818年 油彩 キャンバス ロンドン テートギャラリー)
マンギャン(1874〜1949)「ヴィルフランシュの停泊地」(92×73cm 1913年 油彩 キャンバス)
ブラック(1882〜1963)「ラ・ロシュ・ギュイヨン、城館」(79×59cm 1804〜05年 油彩 キャンバス)
セザンヌ(1839〜1906)「オーヴェールの眺め」(部分と全体)(65×81cm 1873〜75年 油彩 キャンバス シカゴ・アート・インスティテュート)
セザンヌ(1839〜1906)「羊の股肉」 (27×35.5cm 1804〜05年 油彩 チューリッヒ・クンストハウス)
セザンヌ(1839〜1906)「サント=ヴィクトアール山」(32×49cm ?年 水彩)
セザンヌ(1839〜1906)「ジャ・ド・ブーファンのマロニエの並木」 (73×87cm 1885〜87年 油彩 キャンバス ミネアポリス・インスティテュート)
セザンヌ(1839〜1906)「サント=ヴィクトアール山」(73×92cm 1904〜06年 油彩 キャンバス フィラデルフィア美術館)
 

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