No48 絵の話1998.5.12更新

絵画三銃士― 筆技の極み

バロック絵画の妙技

時代もピッタシ

名作『三銃士』は何度も映画化されている。この前も最新版をテレビでやっていた。 確かフランスのルイ13世当たりの話だ。その子が絶対王政最盛期を作った有名な太 陽王・ルイ14世。この17世紀中頃の絵画がバロック絵画だ。バロックの代表的な 画家を列挙すると、フランドル(ベルギー)のルーベンス(1577〜1640)、その弟子 のヴァン=ダイク(1599〜1641)。スペインのベラスケス(1599〜1660)、リベラ(1591 〜1652)、ムリリョ(1617〜1682)。フランスのプッサン(1594〜1665)、クロード=ロ ラン(1600〜1682)。イタリアのカラバッジオ(1573〜1610)、それからオランダのレン ブラント(1606〜1669)というところか? ご贔屓が漏れていたらご容赦ください。 この中から絵画三銃士を選び出すのは至難だが、ルーベンス、ベラスケス、レンブラ ントというところだろう。私情を挟めばプッサンも是非入れたいが、今回は我慢す る。 バロック絵画というと、だいたいもの凄い大作で、金ぴかの宮廷を飾る絢爛たる天井 画、大壁画を思い起こす。描写は精緻を究め、技巧を懲らし、見事な明暗を創り出 す。しかし、いっぽう大作の片隅や合間に描かれた小品のなかに驚くべき珠玉の画技 が隠れている。

ルーベンスの力量

まず下の絵は、ルーベンスの『老婦人』。老年の女性の肌をこれほど美しく、見事に 描き上げた絵があっただろうか。まったく驚嘆する。しかも一回勝負で決めている。 普通の絵画修業では達しえない、偶然としか見えないような筆捌きだ。

    

この絵は8〜10号ほどの小品で40歳前後の作品。ミュンヘンの国立美術館にあ る。実物も見たが、惚れ惚れする仕上がりだ。ルーベンス自身もこの絵の前に来ると 解放感を味わったという。 ルーベンスはたいへん真面目な人で、50歳過ぎてまで数知れぬ模写を繰り返した研 鑽の画家である。よくルーベンスを「通俗的」などと評する向きもあるが、ちゃんと しっかり真筆を見ていないのだろう。どこの美術展でも評論家の卵みたいな若い人が ろくに絵を見ないで下のプレートの字を手帳に写している。絵は後で図版ででも見る つもりか? あれでは目は肥やせない。絵はとにかく本物を見なくては始まらない。

ゴヤの憧れ

2番手はベラスケス。下の絵は死ぬ3年前、58歳頃の大作(220×289cm)『織女た ち』である。ベラスケスというと、ピカソも絶賛した『ラス・メニーナス』が有名だ が、私はこの『織女たち』を最高傑作に挙げたい。  スペインの古典画家で、ベラスケスといつも並び  称されるのはゴヤ(1746〜1828)だが、ベラスケス  とゴヤは150年もの隔たりがあるのだ。そんな  昔の画家ベラスケスをゴヤは死ぬまで尊敬し続け  た。原画と同じ大きさの克明な模写が残っている  し、特にゴヤの最晩年の黒い絵のシリーズは「ベ ラスケスのように描きたかった」ゴヤの最後の闘いだったと考えられる。いったい、 ゴヤはベラスケスのどこに惚れていたのか? それは、一筆で対象を捉えてしまう奇 蹟の筆捌きにであった。 この絵の右端の女の子が凄い。下の2点はその拡大図。若い女の子のはちきれるよう なポッペ、柔らかい唇を一筆で決めているのがお分かりだろうか? 失敗を恐れてビ クビクと筆を重ねた絵ではないのだ。

    

この技量、抜き手を見せぬ達人の一閃、これこそ絵画の居合い抜きとも言える妙技で ある。ゴヤが憧れたベラスケスの手腕がここにある。

レンブラントの居合い描き

3番手はレンブラント。 私が以前レンブラント(1606〜1670)の「ダナ エ」を模写しているとき、かなり進んだところで、ダナエの左手にかかった。この左 手の描写を見て模写を放棄した。その手の表現は上のベラスケス同様一筆で仕上げて あったのだ。レンブラントというとゴテゴテした厚塗りの絵を連想するし、それがま たレンブラントの大きな魅力でもある。しかし、いっぽうレンブラントには比類なき 早業があるのだ。 下の絵は12号ほどの小品だが、この脚の太腿の表現はどうだ。水の中をそっと歩む 女性の柔らかい筋肉と肌が的確に、しかも一筆で描かれている。胸のすく筆捌きであ る。これだから絵はたまらない。なんという手腕、技量。人間はここまで腕を磨ける ものなのか! 裾を捲る右手も見事に一回で決めている。

    

本当にこういう鬼気迫るようなもの凄い筆蹟を見せられると身体がふるえてくる。恐 ろしいまでの技である。最近はいろいろ難しい絵画理論が先行して、わけの分からな い「芸術」が横行しているが、まず古典をよく見て欲しい。人智を超えた研鑽の軌跡 を見据えなけれないけないのではないか。先人の絵画表現への飽くなき探究を知るべ きである。だいたい屁理屈をこね回す奴は「絵」を見ていない。                                   おわり。

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